何が違うの?3つの禅宗の違いとそれぞれの教え【曹洞宗・臨済宗・黄檗宗】
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- Опубліковано 2 бер 2022
- 禅宗には3つの教派があります。
・曹洞宗(そうとうしゅう)
・臨済宗(りんざいしゅう)
・黄檗宗(おうばくしゅう)
同じ禅宗でも教えが異なります。
それぞれがどのような教派なのか、どのような教えなのかをわかりやすく解説しておりますので、是非ご視聴ください。
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私の家は、母方の家系が曹洞宗です。
また、私自身も曹洞宗の教えに惹かれております。
本日こちらの動画を拝聴させて頂き、気づいたことがあります。
私の中の仏さんのイメージは、蓮の花の上に仏さんが坐禅を組んでおられる、という風に持っております。
このイメージが只管打坐に繋がるのだろうと思いました。
単自体を蓮の花だと思いながら、ただひたすら坐り続けて、あれこれ抱えている煩悩を無くしていきましょう。そのために必要な坐禅スタイルが、【身心脱落】なのだよ、ということが、天童山の如浄禅師様の教えなんだなと思いました。
そしてその教えを、曹洞宗は連綿と相承しているんだと思いました。
ありがとうございます先生
総持寺派と永平寺派の違いも教えてください
昔、京都の宇治市に住んでいて、宇治には黄檗ってJRの駅があるんですけど、黄檗って言ったら、子供のころには公営プールか基地外病院というイメージしかなかったです。
宗教に興味を持ち始めて数年後の30歳後半にして、ようやく黄檗宗の万福寺を知って2,3度訪れましたが、見学した感想では、ベジタリアン懐石料理のイメージだけが残っています。その後いろいろと宗教について考えるうちに、私はベジタリアンになりました。
そうかね
禅は急げ😮
和尚様 ありがたいお話ありがとうございます。この禅の臨済宗が 私や闘病中の被災地の姉や父を救えるかもしれないと、最後にすがる思いでいます。ひとつひとつ聴き逃しなく傾聴しておりますが、音がクリアでなく、とても残念に思っています。どうぞ愚民救うと思って、音声をお見直し頂けませんでしょうか………勝手申し上げて 恐縮至極、
本当にごめんなさい🙇♀️
私は、禅宗の信徒ではありませんが、下記の言葉が好きです。この言葉こそが信仰の本筋であろうと思っています。これはまさに、般若心経に書かれている「色即是空」と「空即是色」の内容を端的に表れているものと思っています。
道元禅師の『正法眼蔵』生死の巻の中に、以下の有名な言葉があります。
「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」
ここに言われているのは、己の身も心も全てを仏にお預けしてしまうということ。
全てを仏にゆだねきった時、仏の姿が現れ出で、自らもその仏の世界に入っていけるということです。
よく念仏は他力本願、禅宗は自力の宗教だ、というような言われ方がされますが、実は曹洞宗の禅も立派な他力本願だと思います。おおよそ宗教である限り、「救い」というものは自己の全てを神なり仏なりに任せきった時にもたらされるものであるはずです。念仏に於いては念仏に自らの全てを投げ入れ、禅に於いては禅に自らの全てを投げ入れる。
自分ではどうにもならないこの自分を、仏さまに丸投げして全部受け取ってもらう。
全部ということは、嫌なことも悩ましい色々な思いも全てということ。
これらをみんな一緒に仏さまに貰っていただいて、心の中をすっきりさせてしまいます。
すると、このすっきりした心の中に大いなる安心が自然に生まれてきます。
この「安心」は、赤ん坊が母親の腕に抱かれている時の安らぎに似ています。
どこまでも優しい母の腕の中に似て、どこまでも深く広い仏の優しさの中で、私達は真の「安心」を得ることが出来る。
これが只管打坐。
貴方様はどなた様ナノでしょうか!まるで和光同塵の如く光を和らげ〜誰よりもわかり易く説いてくださり感謝申し上げます🙇
@@user-mx8zo2en6u 返信ありがとうございます。貴方様と言われるほどの者ではございません。普通の者です。上の言葉は私の言葉ではありません。下記の住職の言葉を引用したものです。私は、この解説を正しいと思っています。というのは、この解説は、私の師匠の解釈とほぼ一致しているからです。道元禅師の言葉は、並榎山常仙寺 、只管打坐 で検索。
または、私の師匠は、五井昌久「全託について」で検索。
この上記の言葉は、全託ということです。全部お任せ。身も心をも全て神、仏というか守護霊にお任せしてこの世を生きていくということです。これが道元禅師の上記の言葉の意味です。
注 : リンクを貼りますとなぜか削除されますので検索でお願いします。
統合失調症等の事を知って欲しいです。統合失調症等の人の数、症状、生活、家族の事を見聞きして欲しいです。
何宗あってもかまいませんが、コロナはいつ頃退治してもらえますか?
臨済将軍, 曹洞土民。葬式仏教の元祖・曹洞宗が家の宗派だったので、うちは土民でーす。
実際は曹洞宗と言っても関西だから花山院の西国三十三ヶ所のご詠歌ばっかりやけどね。土民は観音信仰で禅と何の関係もないやんw
できれば教えてほしいのですが、、、、
私は昔、曹洞宗に傾倒していました。
ところが、曹洞宗では数年前から輪廻転生を否定し始めています。
インドの高層「佐々井秀嶺」すらも輪廻転生を否定します。
人はカルマによって輪廻転生を繰り返し、この世に人間とは限らぬ形で、あらゆる身体を持たされて、何度も生まれ変わりを繰り返している、迷いの続く「苦の世界」なのである。その輪廻転生から逃れる方法を説くものが仏教なのだと私は理解しているのですが、、、、?
曹洞宗や佐々井秀嶺のように輪廻転生がないとしてしまえば、それは仏教ではない単なる新興宗教だと思うのですが???
できれば その疑問について解説いただければ幸いです。
それで今の曹洞宗についての私の考えが変われば、いつでも考えを変える気持ちはあります。
私の心は、常にニュートラルです。
もう一度お願いします。
『できれば その疑問について解説いただければ幸いです。』
ちなみに私は、禅宗に限らず日本の仏教全般に呆れ果てて、見下し、日本仏教は私の進歩と何も関係のない教えであると気づき、学ぶのをやめました。
しかし、歪みまくった末にいろいろな宗派を生み出し、混迷の度を増し続ける日本仏教が合わないとしているだけで、根本仏教を私の基礎的な信教としているのは変わりありません。
その後、ラマナマハリシからヴィパッサナーに移り、今では仏教を基本に置きながら"我流のスピリチュアル"的な考えを保持するに至っています。座禅や瞑想は一切しなくなりました。
しかしそのおかげかどうか、多くの宗教宗派に思考が振り回されていた昔のようではなく、今では思想的には全く迷いがありません。今では迷いが生じたときに、自分の心に問うて待てば、必ず適切な答えが返ってくるからです。むしろ今の私の思想に反する答えを積極的に探し、反論してくれる説得力に期待しているような毎日です。私は、まだまだ変わりたいのです。進歩したいのです。
だからこそ、よろしくお願いします。
毎日あそんでないで税金払え-