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【ゆっくり解説】毛利輝元~悩める後継者編その3ー信長との断交(後)周辺状況に翻弄された同盟破棄
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- Опубліковано 27 чер 2024
- 今回は毛利輝元が織田信長との同盟破棄に至った事情を、織田勢力圏との境目に位置する諸勢力や将軍足利義昭の動向を中心に解説していきます。
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「そんなワケないやろ~w」「え??なんで??」
ノッブの人生は最後の最後までコレ
ノッブは外交は割とライブ感でやってるからなぁ…w
5:45
この辺りに足利将軍及び室町幕府に対する周りの末期的な扱いを感じますね
足利将軍があってこその天下、というのが権威となって室町幕府が成り立っていたのに
長引く戦乱や有力守護の弱体化が原因で権威が低下
辛うじてあった権威も信長が近畿を治め信長包囲網が破られると
「もう足利じゃなくても天下纏まる」というのが示され、足利将軍による室町幕府は分解してしまったのでしょうね
大国が隣接すると、国境沿いの豪族同士の争いから大戦に発展することが多いですが
浦上と宇喜多と言う国持クラスの争いとなると、両陣営ともに介入は不可避なんでしょうね
しかも浦上と宇喜多はお互い梟雄と言える人物だし、義昭の件が無くても遅かれ早かれ争いにはなっていたと思います
浦上さんは割と色んなとこで名前が出てきてキーマンになってるよね(村宗、宗景
今回も分かりやすく面白かったです。
対等の同盟・安全保障は、勢力圏が接しないこと(緩衝地帯となる非勢力圏の存在)または共通の敵が無いと上手くいかないものですね。
近代でも第1次大戦後敗戦国ドイツの南洋植民地を戦勝国日本が委任統治で引き継ぎ、太平洋で日米の勢力圏が接した途端に日米双方で仮想敵国認定し、結局は1941年に衝突してますものね。
輝元は、宇喜多のことよくわかってるな
尼子残党の執念すごいですね。
彼らの辞書には降伏とか和睦とか平和的な言葉は載ってないのですね。
心意気はビッテンフェルトをも凌ぎますね(笑)
毛利視点での鉄甲船がどう表現されるかとか楽しみにしております。
最近は第二次木津川口の戦いも毛利の勝利とする説を聞きますから確かに楽しみですね
動画投稿お疲れ様です!
浦上宗景って、宇喜多直家よりも梟雄ぽいところがありますね。
毛利氏を度々裏切り、親族を誅殺して備前の覇権を確保しようとしてましたから....
信長も毛利も最初から戦りあうつもりは無かったんだな
これ隆元 元就なら義昭下向した時どんな対応するんだろ
月山富田城を攻める織田軍と守る毛利軍を見たかった
投稿お疲れ様です。第3弾、ついに信長との断交となってしまいました。
まず、浦上氏が没落してしまったこと、今までさんざん、赤松・山名・大内・尼子・毛利氏を翻弄した挙句の果てでしたが、仕方ないのか、それとも偶発的だったのか、と言われると、分かりません。浦上村宗の代から、細川氏を巻き込んでの戦争を起こし、幕府に多大な影響を与えたり、大内義隆・毛利元就や尼子晴久が対立しているときから、両者に従属しては寝返ったりしていました。でも、私は時代の変化に対応してのことだったのではないかなと思います。ほかの国衆たちも、生き残るためには手段を選ばず生きているので、それは別に普通の事だと思いました。裏切ったことが直接的な原因なのかは分かりませんが、周辺からはよく思っている人はいなかったのではないかなと思いました(あくまで私見です)。
あと、次回の話になるのですが、義昭の毛利家分国下向は、必然的なものだったのではないかと思います。少しさかのぼって、足利義稙が廃立されたとき、義稙は大内義興のもとへと下向していますし、当時西国大名として随一の勢力やその範囲を誇っていました。それは次代の義隆にも受け継がれ、義隆は赤松・山名・大友家と同盟し、島津や対馬宗氏と貿易面でも協力関係にあり、東は備中・伯耆から西は肥前までをその勢力範囲としており、西国のほぼすべてが大内家の勢力範囲でした。そのため、もし義隆が殺されなかったら、しかかくさんも仰っていますとおり、義昭は義隆を頼っていたと思います。それ以外にも信頼できる大名はいましたが、前述したことや、日本の金融業を占めていたことから、大内家国家を引き継いだ毛利家の元へ、義昭が下向したことは必然的だったのでしょう。
長くなったのですが、やはり、輝元の人生は何か興味がひかれる人生です。輝元が生きて生きた人生、決して無駄なものではないなと思いました。
信長さんって、そう言うところあるよね。が発動か😙
境界は難しいですね。現代でも何時の話だよで、我が領土と言ってドンパチやってる
だから割とよく裏切るティを喰らう(笑)
最後の決め手は結局将軍か。
外交は遠交近攻だからなあ。領地が遠いうちは仲が良くても隣接したらバチバチになるからな。結局自陣の国人保護の方が優先されるのよ。
尼子残党軍がここまで激しい活動していたのは今までとはだいぶイメージが違いますね😅
信長と戦ってた輝元像と関ヶ原の戦いの時の輝元像にズレを感じる。
元就も隆元も愚痴っぼいけど名批評家でその後継者の輝元も批評能力は割と高かった
なお勝負師としての才能は受け継がなかった模様
だから〇〇包囲網は全部与太話
現代だってイラク戦争考えたらわかる共同で真剣な攻撃を息合わせて出来るのは米英ぐらいしかないリアルタイムで遠隔通信出来る今でさえ難しい事を当時どうやるの?
こんにちは
13:00 黒田官兵衛の甥で浦上家本来の当主の浦上久松丸が宇喜多直家の元に派遣され、宇喜多直家は浦上家当主の浦上久松丸を旗頭にして浦上宗景打倒を果たすのだが、小寺政職あてに小早川隆景から浦上久松丸派遣についての礼状が残されている。この人たちは完全にクロ。
今後の宇喜多直家のクズっぷりを考えると、毛利に粛正された三村一族が不憫すぎる・・・・
3:15 この文書って輝元が考えたにしては理路整然とし過ぎている印象があります。小早川隆景や吉川元春らに聞かされたのをさも自分の考えであるかのように書いたのではと邪推してしまいます。
毛利氏としては足利義昭様ほど処遇に悩ませる存在もないですね。室町幕府将軍の権威は衰えたとしても存在を無視はできませんし毛利氏も自らを大内氏の後継者として中国地方の支配の正当性を主張していたので将軍様からしたら足利義稙が大内義興や細川高国の協力を得て返り咲いた先例の再現を考えて毛利氏に協力を要請していたのかと
これ、義昭を国境で叩き返すなり、捕縛して信長に引き渡してはだめなのだろうか?受け入れたら条約破棄になるじゃん
本能寺の変がなければ毛利は滅ぼされていた
滅ぼされてなかったとしても防長2カ国(後の長州藩の領域)か防長芸(本貫の安芸)の3カ国だけを安堵って形になったんじゃあ……。
毛利の態度が中途半端すぎる。
信長が圧倒的に力を持ってて国力差がどんどん広がる状況で毛利ほど国力があったら危険過ぎるだろう。
本能寺の変があったからよかったけど、毛利はどんな落とし所を考えてたんだろ。
なんで毛利は、織田家台頭なのに危険な橋を渡るの?いまいち動画みてもわからなかった。
普通に宇喜多切り捨てるなり、調整すればよかったと思います。国力が違いすぎる
切り捨てるってそんな簡単な…
大友宗麟が毛利領を攻めなかった(15:01)のって、以前やった四兄弟時代の島津家の台頭とかがあったせいじゃないの?
現に数年後の高城・耳川の戦いでボロ負けしちゃったし……。
ってか、義昭が毛利じゃなくて長宗我部とか別のところに行ってたらそっちと信長との戦争になってて、毛利は減封こそされただろうけど生き延びられただろうね……。
もっとも義昭が織田と対決するなら毛利しかないとは思う
恵瓊の有名な予言だが高転ぶと言ってた時期には毛利は織田とバチバチにやりあってて五年過ぎたら織田方有利になって毛利滅亡待ったなしだったわけで、本能寺の変が起きるまでの5年間くらいは毛利の重臣からは見る目のない口だけ野郎と思われてそう。
高転びしたのは、毛利も…
確かに。