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【8月発売/予約受付中】宗のたった4時間で現代文www.amazon.co.jp/dp/4053058457/ref=nosim?tag=book29dict-22待望の宗先生現代文参考書、8月に発売予定です!予約注文受付中です📖よろしくお願いいたします!!
とても共感しながら、拝見しました。現実に数年前、命に関わる人生の超難問に直面した経験があります。母に100万人に1人〜2人の疾患がみつかり、手術しなくても余命4〜5年、手術しても5年生存確率50%〜60%と言う希少な病気でした。情報も少なく、絶望感と茫然自失の中、家族として究極の選択に迫られ、悩み苦しみましたが、最後は人事を尽くして天命を待つしかないとの結論にいたり、手術を選択しました。幸運な事に権威でもある名医に執刀頂き、母は元気になりました。この事は自身の人生観や死生観に大きな影響があった出来事でした。人生において何が正解かは結果はどうであれ、本人が納得できたか、後悔がないかによるのかなと思う時があります。長々とすみません。いつも素敵なテーマのお話をありがとうございます😊著書も是非購入させていただきます!
この話をまとめると評論文一個作れるんちゃう
なんか、こういう動画も好きだなぁ。
サンデルの授業は今までの自分の中の常識がどんどん崩れていく感じがする。で、結局答えは残らない
法は社会を作り、社会が法を作ると言われますが、少なくとも法律は新技術に遅れて制定されるのが常です。そうだとすれば、新たな技術をどのように使うべきか又は使わないべきかの判断は私たちの倫理観に基づき、国民主権の下で立法がなされることになります。「〜をすると法律違反になるから」という価値観ではなく、「〜した/〜しない方がいいと思う」という意見交換をすることが重要と考えます。それはさておき、私は多数のために積極的に少数を犠牲にすることはできません。もっとも、他に取り得る手段がないレベルでやむを得ず、消極的な意識の下、少数が多数人のために犠牲になることは差し支えないと考えます。
トリアージ原則はいわゆる新型コロナ禍でも医療資源の枯渇に関連して現実的な問題として認識されましたね。大事な論点ですね。
5人に到達するまで止める方法必死に試しまくります。方向の切り替えは無理でございます。自分の手でその元々なんら関係もない人を殺すことになるので、一生罪悪感に苛まれます。
興味深いお話でした。ふと思ったのは、原爆投下についてでした。アメリカ政府の論理は、アメリカ人の兵の犠牲を最小限にするために、兵士・民間人を無差別大量に殺傷する兵器である原爆を日本が降伏するまで落とし続けるというものだったと理解しています。人工妊娠中絶が元となったということでしたが、お話にあった通り宗教観と関連した議論であり、日本では人工妊娠中絶が是か、非かという議論は、ほとんどないのではないかと思います。英国に居住して9年になります。日常生活で具体的に差別を感じることはありませんが、日本人(またはアジア人)として全く同じと見られているかというと、そうではないと思います。イングランド人もいれば、スコットランド人もいて、ウェールズ人やアイルランド人、その他ヨーロッパの様々な国から来ている人たち、アフリカにルーツを持つ人たち、インド人、パキスタン人、イラン人、などなど様々なルーツを持つ人たちが暮らし、価値観も多様です。「日本では?」と聞かれることもあれば、政治関連の話などでは聞かれないことも多々あります(お互いの知っていることや、話題の関心の多くが重ならないためだと思います)。今回の様な話があった時に、日本人は「中立的な」問題として捉える傾向が強いと個人的には感じますが、様々な人種・宗教・文化が交わる中では、言うか言わないかは別として、「相手は誰なのか」「議論をしている相手の考え方の前提は何なのか」を意識的・無意識的に考えていることが多いと感じます。「中立的に考えられる」日本人は、悪いことではないと思いますが、「相手の考えの前提」が違う可能性と、その違いの程度と内容について、「学んだ」上で自分の意見を言うような教育であったり、訓練をする機会がもっとあるといいのではないかと思います。「日本人はどういう考えを持っているのか?」に興味を持っている人は、とても多いです。一方で、地球人としてどう思うか、という議論はあまりないように思います。政治家から一般庶民まで、自分のルーツ、文化、育った国や環境の上に立って、「私はこう思う」と主張します。日本人の頭の良さを生かして、それに加えて「相手はどういう考えに立っているのか」を理解した上で、議論を展開していく、そんな日本人が国際舞台の場に多く現れることを期待したいです。
日本人は物事を中立的に考え、まっとうな結論を出しますが、その結論によって社会問題を解決していこうという気概のある人は少ないです。外人さんは主観的な意見が多く、聞いていると辟易としてしまう場面が多々ありますが、意見のぶつかり合いによって相手を理解し、社会問題を解決しようという気概は感じられます。日本人は頭の良さを生かし、まっとうな結論を出すだけでなく、社会問題の解決にも力を入れて欲しいです。
とても面白い話でした。つい最近、生命倫理学という本を読みました。その本には臓器移植や人工中絶、神の領域と言われる治療までが記載してあり、それに対しての倫理観が書かれていました。トロッコ問題と同様、大多数が幸福であるべきか、本人が幸福であるべきかなどが記載されていました。そのため、今現在もこういった問題が発生しているんだなと言う感想とともに、自らもその問題の渦中に入る可能性もあるんだなと読書をしていて思いました。そのため今回のこの話は非常に興味深く、必要な講義では?と思い視聴させて頂きました!!
レバーを引くことで、言い方は悪いけど1人を自ら殺しにいってるって考え方は自分にはなかったからなるほどと思った。でも自分だったら確実にレバーを引くと思う。
トロッコ問題では割と即答で1人を犠牲にすると考える派なんですが、線路の切り替えた先が自分の大切な恋人だとしたら僕は5人を犠牲にする気がします。功利主義じゃ説明できない行動を取ってるんだなぁと感じました。
轢かれそうな人が自国民だと判明したら多くの人はその人を助ける行動に出て別レールの異民族を犠牲にする行動を取るらしいです
確かに5人のほうが数的には多いけど、5人のほうはトロッコが壊れたから事故であってレバーを引いた場合自分が確実に1人殺してることになるから難しいですよね...
トロッコ問題、考えるには条件が足らない。倒れているのは大人か子どもか、自分と関わりある人か否か等。自分の役割(責任、職業等)とか。自分の年齢によっても変わってきそう。条件が提示されていない以上、場合分けして考えないとならない。個人を聞いている体で、全体を問うているような(……逆かな?)感じがするところが、答えに窮する所だと思う。全然上手く言い表せてはいないけれど、そういった問題としての不備が、このトロッコ問題をセンセーショナルな問に見せているような気がしないでもない。
以前、親友にもし妻と子が溺れていてどちらか一人しか救えない場合どうするか?と問うと親友は「二人とも救えないのなら、おれも海に飛び込んで3人で死ぬ」と即答しました。素敵な答えだと思いました。宋先生、今日も魅力たっぷりの動画どうもありがとうございます!暑い時期ですので、お体、ご自愛くださいね。
切り替えて、1人を犠牲にして、政治家になって、国を挙げて鎮魂する。
乗りこなせ境遇を!手なづけろ運命を!お前の選択は間違ってなかったよ!と未来で笑い話になる位のメンタルが欲しいです。
過度な抽象一般化は、個別具体的事例の矮小化を招きかねない
難しい言葉使えて偉いね~
裁判員制度、死刑制度問題も似ている?答えが出ない。
「5人か1人か」という二択から選ぶから稚拙に聞こえる。自ら犠牲になって、モロッコを脱線させるという、第三の選択への発想があってもよかろう。
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この話をまとめると評論文一個作れるんちゃう
なんか、こういう動画も好きだなぁ。
サンデルの授業は今までの自分の中の常識がどんどん崩れていく感じがする。で、結局答えは残らない
法は社会を作り、社会が法を作ると言われますが、少なくとも法律は新技術に遅れて制定されるのが常です。
そうだとすれば、新たな技術をどのように使うべきか又は使わないべきかの判断は私たちの倫理観に基づき、国民主権の下で立法がなされることになります。
「〜をすると法律違反になるから」という価値観ではなく、「〜した/〜しない方がいいと思う」という意見交換をすることが重要と考えます。
それはさておき、私は多数のために積極的に少数を犠牲にすることはできません。もっとも、他に取り得る手段がないレベルでやむを得ず、消極的な意識の下、少数が多数人のために犠牲になることは差し支えないと考えます。
トリアージ原則はいわゆる新型コロナ禍でも医療資源の枯渇に関連して現実的な問題として認識されましたね。大事な論点ですね。
5人に到達するまで止める方法必死に試しまくります。
方向の切り替えは無理でございます。
自分の手でその元々なんら関係もない人を殺すことになるので、一生罪悪感に苛まれます。
興味深いお話でした。ふと思ったのは、原爆投下についてでした。アメリカ政府の論理は、アメリカ人の兵の犠牲を最小限にするために、兵士・民間人を無差別大量に殺傷する兵器である原爆を日本が降伏するまで落とし続けるというものだったと理解しています。人工妊娠中絶が元となったということでしたが、お話にあった通り宗教観と関連した議論であり、日本では人工妊娠中絶が是か、非かという議論は、ほとんどないのではないかと思います。
英国に居住して9年になります。日常生活で具体的に差別を感じることはありませんが、日本人(またはアジア人)として全く同じと見られているかというと、そうではないと思います。イングランド人もいれば、スコットランド人もいて、ウェールズ人やアイルランド人、その他ヨーロッパの様々な国から来ている人たち、アフリカにルーツを持つ人たち、インド人、パキスタン人、イラン人、などなど様々なルーツを持つ人たちが暮らし、価値観も多様です。「日本では?」と聞かれることもあれば、政治関連の話などでは聞かれないことも多々あります(お互いの知っていることや、話題の関心の多くが重ならないためだと思います)。
今回の様な話があった時に、日本人は「中立的な」問題として捉える傾向が強いと個人的には感じますが、様々な人種・宗教・文化が交わる中では、言うか言わないかは別として、「相手は誰なのか」「議論をしている相手の考え方の前提は何なのか」を意識的・無意識的に考えていることが多いと感じます。「中立的に考えられる」日本人は、悪いことではないと思いますが、「相手の考えの前提」が違う可能性と、その違いの程度と内容について、「学んだ」上で自分の意見を言うような教育であったり、訓練をする機会がもっとあるといいのではないかと思います。
「日本人はどういう考えを持っているのか?」に興味を持っている人は、とても多いです。一方で、地球人としてどう思うか、という議論はあまりないように思います。政治家から一般庶民まで、自分のルーツ、文化、育った国や環境の上に立って、「私はこう思う」と主張します。日本人の頭の良さを生かして、それに加えて「相手はどういう考えに立っているのか」を理解した上で、議論を展開していく、そんな日本人が国際舞台の場に多く現れることを期待したいです。
日本人は物事を中立的に考え、まっとうな結論を出しますが、その結論によって社会問題を解決していこうという気概のある人は少ないです。
外人さんは主観的な意見が多く、聞いていると辟易としてしまう場面が多々ありますが、意見のぶつかり合いによって相手を理解し、社会問題を解決しようという気概は感じられます。
日本人は頭の良さを生かし、まっとうな結論を出すだけでなく、社会問題の解決にも力を入れて欲しいです。
とても面白い話でした。
つい最近、生命倫理学という本を読みました。その本には臓器移植や人工中絶、神の領域と言われる治療までが記載してあり、それに対しての倫理観が書かれていました。
トロッコ問題と同様、大多数が幸福であるべきか、本人が幸福であるべきかなどが記載されていました。
そのため、今現在もこういった問題が発生しているんだなと言う感想とともに、自らもその問題の渦中に入る可能性もあるんだなと読書をしていて思いました。そのため今回のこの話は非常に興味深く、必要な講義では?と思い視聴させて頂きました!!
レバーを引くことで、言い方は悪いけど1人を自ら殺しにいってるって考え方は自分にはなかったからなるほどと思った。
でも自分だったら確実にレバーを引くと思う。
トロッコ問題では割と即答で1人を犠牲にすると考える派なんですが、線路の切り替えた先が自分の大切な恋人だとしたら僕は5人を犠牲にする気がします。功利主義じゃ説明できない行動を取ってるんだなぁと感じました。
轢かれそうな人が自国民だと判明したら
多くの人はその人を助ける行動に出て
別レールの異民族を犠牲にする行動を取るらしいです
確かに5人のほうが数的には多いけど、5人のほうはトロッコが壊れたから事故であってレバーを引いた場合自分が確実に1人殺してることになるから難しいですよね...
トロッコ問題、考えるには条件が足らない。
倒れているのは大人か子どもか、自分と関わりある人か否か等。
自分の役割(責任、職業等)とか。
自分の年齢によっても変わってきそう。
条件が提示されていない以上、
場合分けして考えないとならない。
個人を聞いている体で、全体を問うているような(……逆かな?)感じがするところが、答えに窮する所だと思う。
全然上手く言い表せてはいないけれど、そういった問題としての不備が、このトロッコ問題をセンセーショナルな問に見せているような気がしないでもない。
以前、親友に
もし妻と子が溺れていて
どちらか一人しか救えない場合
どうするか?と問うと親友は
「二人とも救えないのなら、
おれも海に飛び込んで3人で死ぬ」と即答しました。
素敵な答えだと思いました。
宋先生、今日も魅力たっぷりの
動画どうもありがとうございます!
暑い時期ですので、
お体、ご自愛くださいね。
切り替えて、1人を犠牲にして、政治家になって、国を挙げて鎮魂する。
乗りこなせ境遇を!
手なづけろ運命を!
お前の選択は間違ってなかったよ!と未来で笑い話になる位のメンタルが欲しいです。
過度な抽象一般化は、個別具体的事例の矮小化を招きかねない
難しい言葉使えて偉いね~
裁判員制度、死刑制度問題
も似ている?
答えが出ない。
「5人か1人か」という二択から選ぶから稚拙に聞こえる。
自ら犠牲になって、モロッコを脱線させるという、第三の選択への発想があってもよかろう。