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社会人3年生の頃、残業帰りに新大阪駅で20系客車の急行「雲仙」見かけたけど、何だかレトロな客車だなとしか思わなかったけど、こんな歴史の有る列車とは夢にも思わなかったです。
長崎から大阪まで乗りました めっちゃガラガラなのに、一区画に6人という配置だったのを覚えていますw
九州旅行の帰りに一度だけ乗車した。オープンしたばかりのハウステンボスや長崎市内を観光した後、長崎駅から乗車。ガラガラだったので、寝台の一区画を占有したような気分だった。ベッドの狭さはさておき……。途中の湯江駅で下り列車と交換停車の際、車掌さんが乗降ドアを開けてくれてホームを散策したことは忘れられない思い出。老い先短い20系寝台車に乗車できた、とても貴重な経験だった😊
晩年20系の急行というと「あおもり」も有名ですね。乗ってみたかった。
「あおもり」は走行中に寝台から座席への転換作業をしていましたからねぇ…
さだまさしさんのトークで出てくる雲仙号ですな。復活してたとは…
団体扱いではない20系寝台車の最後の運転は急行「桜島」で、新大阪〜西鹿児島までを結んで走っていました。1995年だったか、96年だったかの年末年始の臨時で、20系のブルーとホリデーパルの交互で運転されました。私は運良くブルーの20系に乗り、新大阪から熊本まで乗車しております。懐かしい。動画もUA-camにありますので、よろしければ見てやって下さい、ボロボロの手元ヨレヨレの動画ですけど………
新大阪ー長崎間で同一経路を走る寝台特急あかつき号を補完列車として運転していました。
20系末期だと、事情を知らない人は列車が来ても、ドアの前でボーッとしている事が多発しそう
末期は車掌が一つ一つ施錠とドア開閉(手動)していたはず…
12系と併結するやつは自動化されてたと思うけど、併結改造しないやつは自動化されなかったんだっけ?
あかつき81号に乗ったことがあるけど、同じ値段で20系で損した気持ち気になった思い出... まあ、今思い返すと貴重な体験だったんだけどね
90年代に成るとある意味、通常運行のリバイバル列車だね。新車好きなら苦痛だが物好きにとっては嬉しいし有難い事この上ない。
2代目の14系座席車時代の少なくとも末期の頃は自由席がありましたよ。周遊券で乗ったことがあります。空いていましたね。3代目の20系寝台車には1993年に大阪→博多間で乗りました。朧げな記憶なんですがコンパートメントに透明の扉が取り付けられていたような記憶があります。
雲仙号乗りました.でも、、、私の記憶だと1995年8月5日だったのですが記憶違いかな?それはさておき、とにかく52cm3段寝台の居住性はなかなかきついものでした.発車時のガッシャーンも相まって20系はこんなもんか.が、感想です.
急行…だいせん・さんべちどり・たいしゃく・みよし
1:10EF58キタ~!やっぱり夜行列車は10時間以上時間欲しいな!
急行雲仙はホリデーパル車が優先使用されていて、ノーマルの20系はさほど使われてなかったと思うノーマルの20系は…日本海8x号として普通に特急料金取っていた記憶
急行あおもりに格下げされてませんでしたっけ。
寝台急行雲仙号、大阪〜長崎間、寝台急行桜島号、大阪〜西鹿児島間、寝台急行シュプール白馬栂池7号、8号、神戸〜大阪〜糸魚川〜南小谷間、20系寝台車、走ってたでござる、バブル時代で、懐かしいでござる😊
JR移行後に創設された夜行寝台急行列車と言えば1988年3月改正で創設された青森~札幌間のはまなすが思い浮かびます。関西~九州間の夜行列車需要が減退している時勢での夜行寝台急行の創設は考えられないですね。
「創設」ではなく「特急からの格下げ」だから😉
14系の雲仙は自由席もありました。
本編の話題とは直接関係ないが、JRの往復乗車券(+往復割引制度)、連続乗車券の終了が報道されたこともあり、こうなると、現在もなぜか残っている「急行券」制度の廃止も時間の問題だろう。
急行は団体列車で必要な種別。特急のようなスジは入らないけど、普通では儲けがない(団体列車のために長距離回送し、乗務員を付けて、団体割引では釣り合いがとれない)ので、使える種別なのです。
@急行フィット 返信ありがとうございます。団体では急行種別もあるようですが、一般の乗客が利用できる急行列車が事実上運転されていない以上、時刻表に急行券制度があることを掲載するのはどうか、とは思います。
飯田線秘境駅号がある限り急行は残る。
@@katanoya-ke5yj 掲げておかないと急行料金を取る根拠を失うことになります。時刻表になぜ掲載されているかは時刻表の出版社(JTBパブリッシングや交通新聞社)が決めることなので…。私には“所管外”です。
@@MN-tw5fq ありがとうございます。JRは急行の種別を軽々と廃止できない事情はあるようですね。今後JRにおいて急行の種別がどうなるかは注視する必要はありそうですが。
20系[雲仙]を初めて知りました.昭和50年代に大阪駅で14系急行[雲仙][西海]併結列車(ガラガラ😭)を見た事がある.以前は[西海]が[雲仙]より格上だったらしい.(佐世保は工業都市なので食堂車🍴を連結).
1993年3月26日博多から新大阪まで急行「雲仙」1号車3番下段を予約しましたが、当時はまだストライキが行われていた時代。「雲仙」は運休となりついに20系寝台車に乗ることができませんでした。
1983年4月頃、銀河に乗った事があるよ。3段の蚕棚で個室ではなくカーテンで仕切られていたな。
JR後にストなんかあったっけ?
1993年はすでにJRになってるが?JRになってストライキがあったら、なんのためJRができたんだ!ということになる何言ってんの、おまえ?
@@sunami808 そうだったな。知りたい。そこが疑問だった。国労の時は凄かったし(スト権スト)1985年には千葉動労のストに呼応して中核派がテロを起こし浅草橋駅を放火したな。
@@sunami808 ああ、あった。千葉動労が遵法闘争をやった。
初めて乗った寝台車が「銀河」で52cm。狭くて寝れなかった記憶がある。2回目は「だいせん」でやはり52cm。この時は疲れていたので熟睡できた。3回目が「きたぐに」。もう70cmになっていた。以降52cmは乗っていない。
西九州新幹線が全通して、新大阪~長崎の直通運転が始まったらまた雲仙の愛称が復活するかもね。
SAGAがフル規格の負担金は出さないから当分現状維持だと思う
1994年のGWに下りに乗りました。6両中1両のみ禁煙車で、その車両の中段でした。1区画に私1人。長くないなと思いつつ三ノ宮出たら気づいたら下関。20系が乗り心地ましではと感じたことを覚えてます。博多からは車内販売も乗り込んできました。この当時はムーンライト九州も運転してましたので、立位置が微妙な存在でしたね。
平成元年は、なは・彗星・あかつきに雁行して20系臨時あかつき・明星が走っていました。車端がぬるんとまるい時もあれば遠慮なく中間車の時もあり、14・24系にない姿を見かけて楽しんでました。結局見てるだけに終わってしまいました。
14系座席車寝台車混合の彗星81,82号やオール座席車の金星も
これは新設ではなくて寝台特急あかつきの臨時列車を20系のアコモデーションが特急に合わなくなったので格下げした!というのが真相です。その他にも玄海や霧島・あおもりなどありました。
民営化後の寝台急行と言ったら銀河でしょう。定期列車では唯一かな。
ギリ、廃止寸前に乗れました。ただ、大阪発が0時過ぎだった記憶があるんですが、ネットで調べると22時台なんですよね。。耄碌しちまったのかな?。でも、入場しようとしたらできなくて、駅員さんに「日付が変わってから」と言われた覚えもあるんですがね??。
あかつきは00年に彗星と併結運転になった(門司で分割)
「門司」のイントネーション正しく言えるか?気色悪いイントネーションで言わないでね
民営化後しばらくの間JR西日本は利用者にやさしい会社でした。臨時の夜行列車や寝台列車に座席車両を連結したりと。いつ頃から金にうるさい会社になってしまったのでしょうか。
10系や20系の寝台は子供ながらに狭いと思った。最後は玄海で乗った。大人になっての20系はクッソ狭いと思った。90年代入っての20系はボロかった。
ことばきたない
銀河は?
社会人3年生の頃、残業帰りに新大阪駅で20系客車の急行「雲仙」見かけたけど、何だかレトロな客車だなとしか思わなかったけど、こんな歴史の有る列車とは夢にも思わなかったです。
長崎から大阪まで乗りました めっちゃガラガラなのに、一区画に6人という配置だったのを覚えていますw
九州旅行の帰りに一度だけ乗車した。
オープンしたばかりのハウステンボスや長崎市内を観光した後、長崎駅から乗車。
ガラガラだったので、寝台の一区画を占有したような気分だった。
ベッドの狭さはさておき……。
途中の湯江駅で下り列車と交換停車の際、車掌さんが乗降ドアを開けてくれてホームを散策したことは忘れられない思い出。
老い先短い20系寝台車に乗車できた、とても貴重な経験だった😊
晩年20系の急行というと「あおもり」も有名ですね。乗ってみたかった。
「あおもり」は走行中に寝台から座席への転換作業をしていましたからねぇ…
さだまさしさんのトークで出てくる雲仙号ですな。復活してたとは…
団体扱いではない20系寝台車の最後の運転は急行「桜島」で、新大阪〜西鹿児島までを結んで走っていました。1995年だったか、96年だったかの年末年始の臨時で、20系のブルーとホリデーパルの交互で運転されました。私は運良くブルーの20系に乗り、新大阪から熊本まで乗車しております。懐かしい。
動画もUA-camにありますので、よろしければ見てやって下さい、ボロボロの手元ヨレヨレの動画ですけど………
新大阪ー長崎間で同一経路を走る寝台特急あかつき号を補完列車として運転していました。
20系末期だと、事情を知らない人は列車が来ても、ドアの前でボーッとしている事が多発しそう
末期は車掌が一つ一つ施錠とドア開閉(手動)していたはず…
12系と併結するやつは自動化されてたと思うけど、
併結改造しないやつは自動化されなかったんだっけ?
あかつき81号に乗ったことがあるけど、同じ値段で20系で損した気持ち気になった思い出... まあ、今思い返すと貴重な体験だったんだけどね
90年代に成るとある意味、通常運行のリバイバル列車だね。新車好きなら苦痛だが物好きにとっては嬉しいし有難い事この上ない。
2代目の14系座席車時代の少なくとも末期の頃は自由席がありましたよ。周遊券で乗ったことがあります。空いていましたね。
3代目の20系寝台車には1993年に大阪→博多間で乗りました。朧げな記憶なんですがコンパートメントに透明の扉が取り付けられていたような記憶があります。
雲仙号乗りました.
でも、、、私の記憶だと1995年8月5日だったのですが記憶違いかな?
それはさておき、とにかく52cm3段寝台の居住性はなかなかきついものでした.
発車時のガッシャーンも相まって20系はこんなもんか.が、感想です.
急行…
だいせん・さんべ
ちどり・たいしゃく・みよし
1:10EF58キタ~!やっぱり夜行列車は10時間以上時間欲しいな!
急行雲仙はホリデーパル車が優先使用されていて、ノーマルの20系はさほど使われてなかったと思う
ノーマルの20系は…日本海8x号として普通に特急料金取っていた記憶
急行あおもりに格下げされてませんでしたっけ。
寝台急行雲仙号、大阪〜長崎間、寝台急行桜島号、大阪〜西鹿児島間、寝台急行シュプール白馬栂池7号、8号、神戸〜大阪〜糸魚川〜南小谷間、20系寝台車、走ってたでござる、バブル時代で、懐かしいでござる😊
JR移行後に創設された夜行寝台急行列車と言えば1988年3月改正で創設された青森~札幌間のはまなすが思い浮かびます。関西~九州間の夜行列車需要が減退している時勢での夜行寝台急行の創設は考えられないですね。
「創設」ではなく「特急からの格下げ」だから😉
14系の雲仙は自由席もありました。
本編の話題とは直接関係ないが、JRの往復乗車券(+往復割引制度)、連続乗車券の終了が報道されたこともあり、こうなると、現在もなぜか残っている「急行券」制度の廃止も時間の問題だろう。
急行は団体列車で必要な種別。
特急のようなスジは入らないけど、普通では儲けがない(団体列車のために長距離回送し、乗務員を付けて、団体割引では釣り合いがとれない)ので、使える種別なのです。
@急行フィット 返信ありがとうございます。団体では急行種別もあるようですが、一般の乗客が利用できる急行列車が事実上運転されていない以上、時刻表に急行券制度があることを掲載するのはどうか、とは思います。
飯田線秘境駅号がある限り急行は残る。
@@katanoya-ke5yj
掲げておかないと急行料金を取る根拠を失うことになります。時刻表になぜ掲載されているかは時刻表の出版社(JTBパブリッシングや交通新聞社)が決めることなので…。私には“所管外”です。
@@MN-tw5fq ありがとうございます。JRは急行の種別を軽々と廃止できない事情はあるようですね。今後JRにおいて急行の種別がどうなるかは注視する必要はありそうですが。
20系[雲仙]を初めて知りました.昭和50年代に大阪駅で14系急行[雲仙][西海]併結列車(ガラガラ😭)を見た事がある.以前は[西海]が[雲仙]より格上だったらしい.(佐世保は工業都市なので食堂車🍴を連結).
1993年3月26日博多から新大阪まで急行「雲仙」1号車3番下段を予約しましたが、当時はまだストライキが行われていた時代。「雲仙」は運休となりついに20系寝台車に乗ることができませんでした。
1983年4月頃、銀河に乗った事があるよ。3段の蚕棚で個室ではなくカーテンで仕切られていたな。
JR後にストなんかあったっけ?
1993年はすでにJRになってるが?
JRになってストライキがあったら、なんのためJRができたんだ!ということになる
何言ってんの、おまえ?
@@sunami808 そうだったな。知りたい。そこが疑問だった。国労の時は凄かったし(スト権スト)
1985年には千葉動労のストに呼応して中核派がテロを起こし浅草橋駅を放火したな。
@@sunami808 ああ、あった。千葉動労が遵法闘争をやった。
初めて乗った寝台車が「銀河」で52cm。狭くて寝れなかった記憶がある。
2回目は「だいせん」でやはり52cm。この時は疲れていたので熟睡できた。
3回目が「きたぐに」。もう70cmになっていた。以降52cmは乗っていない。
西九州新幹線が全通して、新大阪~長崎の直通運転が始まったら
また雲仙の愛称が復活するかもね。
SAGAがフル規格の負担金は出さないから当分現状維持だと思う
1994年のGWに下りに乗りました。6両中1両のみ禁煙車で、その車両の中段でした。1区画に私1人。長くないなと思いつつ三ノ宮出たら気づいたら下関。20系が乗り心地ましではと感じたことを覚えてます。
博多からは車内販売も乗り込んできました。この当時はムーンライト九州も運転してましたので、立位置が微妙な存在でしたね。
平成元年は、なは・彗星・あかつきに雁行して20系臨時あかつき・明星が走っていました。
車端がぬるんとまるい時もあれば遠慮なく中間車の時もあり、14・24系にない姿を見かけて楽しんでました。結局見てるだけに終わってしまいました。
14系座席車寝台車混合の彗星81,82号やオール座席車の金星も
これは新設ではなくて寝台特急あかつきの臨時列車を20系のアコモデーションが特急に合わなくなったので格下げした!というのが真相です。その他にも玄海や霧島・あおもりなどありました。
民営化後の寝台急行と言ったら銀河でしょう。定期列車では唯一かな。
ギリ、廃止寸前に乗れました。
ただ、大阪発が0時過ぎだった記憶があるんですが、ネットで調べると22時台なんですよね。。耄碌しちまったのかな?。
でも、入場しようとしたらできなくて、駅員さんに「日付が変わってから」と言われた覚えもあるんですがね??。
あかつきは00年に彗星と併結運転になった(門司で分割)
「門司」のイントネーション正しく言えるか?
気色悪いイントネーションで言わないでね
民営化後しばらくの間JR西日本は利用者にやさしい会社でした。臨時の夜行列車や寝台列車に座席車両を連結したりと。
いつ頃から金にうるさい会社になってしまったのでしょうか。
10系や20系の寝台は子供ながらに狭いと思った。最後は玄海で乗った。大人になっての20系はクッソ狭いと思った。90年代入っての20系はボロかった。
ことばきたない
銀河は?