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経済学はインフレの心配はするのにデフレの心配をしない。本当にバカげた学問
ジョーン・ロビンソン「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである。」
マルクス経済学はこれを前提とした理論ヒトが同一性力学にあることを寝転んで突き詰め階級を認識した発想でガバっと起き上がり机の上で夢想を膨らませた結果 です
世論作りは大切なこがわかりました
大学の講義で感じた違和感がスッキリ解決しました!ありがとうございます。
竹中は帝王学心得てるから厄介。汚れ役は橋下のようなチンピラが担ってる。金持ち喧嘩せずの竹中の本性出させた三橋さんは天晴だった。
三橋先生の経済学大変勉強になります。
84歳の近所のお爺さんでも、自由貿易の事、嫌がってたよ。
セイの法則なんてほとんど宗教のそれに近い気がします。一見それっぽいけど、良く考えたら成り立たない事がいっぱいある…😨どんだけ作っても要らない物は要らなんだよ😫
経済学は屁理屈竹中にぴったりだよな
信用貨幣論を基軸に経済学を再構築すれば、人類の存続と繁栄に大いに貢献する学問になると思います。
大変分かり易い解説で、私でも理解することができました。学生にも見てほしいです。
10:27 大学受験の頃、英単語帳にeconomy(=経済、節約、節制)で覚えてたの思い出した今思うと英語にも緊縮財政(主流派新自由主義)って蔓延してるだなぁ
日本の大学には経済学部がたくさんあるのに、いつまでたっても経済が上向かない理由がわかったような気がします。🤔
そもそも政治学と経済学を分けてるからな(笑)政治経済学部も怪しいけどね
主流派経済学を教えてるからね。もれなく完全に頭クルクルパーになります。
三橋先生、いつものように分かりやすい解説をして頂き有難うございます👏子供を経済学部にだけはいかせたくないです。
前提が正しくないのに正しい結果が導かれないのはあたりまえですね。現実(実態)を無視し美しい数式を作り自己陶酔してきた学問が現在の主流派経済学。クルーグマンも反省してます。逆にMMT理論は現実(貨幣の実態)を明らかにして構築されているので非常に説得力があると思います。
本当にそれですわ。自己陶酔の世界そのもの。現実無視してるんだから。
⁰
ケインズ自身、経済学は理論であり、現実には役に立たないと言ってますね。経済は国民がいれば勝手に回るもので、見てりゃいいんですよ。大事なのは、元気な国民が沢山いるという事だと思います。
ほっとけば経済は勝手に回ると主張するのがセイの法則、ありえない
増税で天下を回るお金を次々削れば景気が萎むのは当然 😓景気が萎んで仕事が減れば国民の活気もなくなる 😰国民の元気を削る緊縮/増税 😱
半世紀近く前、理系の学部に在籍していた私は、遊ぶ暇なく授業、実験、実習と忙しい傍らで、全く勉強しているように見えない文系学生、とりわけ経済学部の連中が腹立たしく見えたものでした。その後、経済学部卒の後輩が、地元県庁に就職して局長にまで出世し、「国の借金が大変なことになっているから増税は仕方ない」と上から目線でほざいたので、私と大喧嘩になり、酒席がしらけてしましました。世間の人に早く目覚めてほしいと思いますが、悲しいかな三橋さんのような主張が主流になりませんね。日本の経済学が日本の滅亡を招く、そして私たちが築いてきた技術の世界まで衰弱していくのを実感しています。先人にも子や孫たちにも申し訳ない思いでいっぱいです。
結局この国の破滅は国民が無知無関心だから。学ばないから。心底バカに成り果ててるから。そしてその事にまるで気が付いてないから。それが結論なのですよ。
よくないけどネット上で文系がバカにされる風潮(=俗に言う理系至上主義?)を産む原因だねまぁ文系って真面目に勉強しても損しかしないからね法学部と商学部以外
私も常々、経済学は〝学問〟ではなく〝学説の寄せ集め〟だと考えてます。
学説の寄せ集めというよりバカの集まりでは?
変数が多すぎるし人の気持ちとかも入ってくるからカオス理論の領域。
学問ではなく宗教
高度成長期やバブル期は昨日より今日、今日より明日の方が良くなるという実感があったから活気があった。だから緩やかに経済成長するマイルドインフレが必要なのだ。政府や経団連の連中はこんなことも理解できないのか!?
最近思いました。主流派経済学や新自由主義を唱える人たち、そして民営化を神化する人たちがこぞって使う定番フレーズ。それは”これからは個人の時代だから”、”個人でなんとかするしかない”です。アベマでも某外国人の方が個人で給料アップがどうとか言っていましたが、経済の話でやたらと”個人が”を主語に持ってくる人はたいていの場合見当違いな事を堂々と言ってます。まず国が土台作りをするという点には触れず、税金が上がっても個人で給料アップできればそれでいい、という事なのでしょうか。まさしく国を亡ぼす考え方です。
こんな間違いだらけの学問はあっという間に廃れて忘れ去られるはずなのに、どうして未だに存在しているのでしょうか?
選抜試験として未だに使われているにすぎん。
金本位制どころか物物交換のロジックで凝り固まってる。それを信用創造に無理矢理ブチこんでタイヘンダー、ハタンスルー、ケツゼイガーの大合唱、破綻真理教の出来上がりでございます。
国民が心底アホだから。それ以外の理由があったら教えてほしいレベル。
三橋さんいつも解かりやすい解説、ありがとうございます やばい これは小学校から改革教育しないと あと 貨幣論です 経済学はいらない 共同体意識
高家さんの「え゛?」が正解と思います。
娘さんが可愛いんでしょうね。子孫に美田を残す。これぞ、まさに、保守の原点と思います。 改めて、三橋先生の御活躍に、感謝と敬意を表します。
この動画凄い!
経済学がわからない人ほど正しい知識の持ち主⁉️
良い発言をありがとう
なるほど。経済学が財務真理教の大元だったのですね…マルクス共産主義が否定された様に、経済学も否定される時代になって欲しいですね。
明快平易な説明ありがとうございます。経済学を少し齧ったとき、その前提となる荒んだ人間モデルに経済学者の心象風景を見た気がしたのを覚えています。観測と合致しない理論が棄却される自然科学との違いに恐ろしく違和感を覚えました。有り体にいうとツッコミどころ満載。昔、経済学部出身の友人に経済学を問うたところ「適当に数理モデルをこねくり回してるだけで面白くない」とも。貨幣経済論が軽んじられている事実に驚くとともに、財務省やお偉い学者さんの理論整合性のために我々は存在するのね、と自虐的な事でも言わないとやってられないような無力感に苛まれます。先生は日本の希望です。これからも情報発信を期待しております。くれぐれもご自愛の程を。
中小企業診断士受験生としても有意義すぎる動画ですね。
いったい何を読んだら主流派経済学に対してこういう理解の仕方をすることになるのか気になる。
なんか、岡野陽一の日本の教育っていうコントを思い出しました。基礎が、基本が間違っていると何もかもダメになる😢
だからこそノーベル経済学賞なんて即刻廃止すべきなのですよ。現実の経済で何の役にも立たないのに仲間内だけで理解できるどうでもいい理論を穿り回しているのが彼ら経済学者です。
あれ経済学者の自分で創ったプロモーション目的の賞ですからね。もちろんアルフレッド・ノーベルとは何の関係もない。
単純労働者を歯車に例えるのは不適切と考えます というのは、歯車なら欠ければ全体が機能しなくなるが、現実はそうではない例えるなら、少々の影響しかない、もしくは即時影響はしない ネジの方が適切だと思います。ネジはとても大切です。機能を支える、機構を保持するためにも但し、その1点がかけただけで即時機能を満たせなくなるネジばかりではなく、どちらかってぇとじわじわと効いてきて耐久性損耗 信頼性低下 と言う形が多いのでは? と メーカー勤務者として感じてます。
リカードはアトキンソンの先祖かしら?w
大学で経済学部と商学部受かってて、商学部にいった俺、危なかった…。
経済学部行ってたら間違いなく主流派経済学教えられるから、完全に頭クルクルパーになってたでしょう。
経済学部行くくらいなら商学部会計学専攻に行った方が稼げる食える
受験の為に教科書で一生懸命に勉強した経済学が、どれもこれも悉く前提条件に無理がある学問だったなんて……。無駄な時間とエネルギーを使ったなぁ…。(センター試験)
竹中平蔵という人は、昔、住民税を払ってなかったので問題になったよなあ。あれはどうなったんだろう?
今もやってるかも、住民票の移動マジックってやつ!
経済学者が共産主義者よりはるかにドグマティックという説明でした。どっちも完璧に非科学。科学は事実認識の哲学なので非科学なら当然そうなる。
高橋洋一のイカサマ数式ね。前提条件が現実に則してないのに数式ガー数式ガー。
ひろゆきもやね大学受験で政治経済を受験科目にした人ほどなかなか抜け出せなさそう
7:26 〜 12:13 〜 16:20 〜
マルクスもアダムスミスもいらん
新古典派経済学が、かつての天動説のように間違いとして認識されないのは「保守主義」と結合したからではないでしょうか。経済的・政治的自由主義者であっても保守感情はあるでしょう。保守が新古典派経済学と結合し、更には乗っ取られ、人々は新古典派経済学ヘ保守感情を抱き、逆にMMTやケインズ経済学は逆に新しい認識になり、本能的に拒否してしまう。
龍が如くに出てくるインテリヤクザみたいですね見た目三橋さん笑笑
興味深い話題ありがとうございます。本日の話の中で「人事権」について、国民は議員の人事権をもっているから議員に要求すれば良いと言われてましたが、それなら内閣が財務省に要求することができると言うことになります。それであれば、現在、財務省がやっていることは全て内閣の了承のもとで行われていると言うことになります。三橋さんはようやくこちらの方向にシフトしていかれることになりますか。それであれば、消費税を上げたのは安倍内閣の判断であったことになり、現在の日本の衰退の全ての原因は安倍内閣に在ったということになります。そこまで言って、ようやく日本国民はごまかしの網から逃れることができます。同時に、なぜ安倍首相はあのようになったのかを本当に考えることができます。安倍首相やったことの意味とその身に起きたことが何で在ったのかを国民が知ることで本当に日本国民が考えることができるようになります。「安倍さんありがとう」と言っている段階では、日本独立は夢のまた夢です。
欲しい物がある必要なサービスしますお金がない通貨供給ですね!実体経済である簡単です。
その経済学の初期概念と共産主義社会の概念と、何処のあたりに差異があるのか判らなくなってくる件…
学問は真理の追求であるのに対して政治は人の意図ですからね。経済はそもそも政治と関連してますから都合のいい解釈が入りますよね。誰かに都合のいい解釈が入った学問に動かされてるのが悲しい現実です。せめて国民は現実はそういうものだと認識して投票に向かうべきなのです。
そう諦めるのは悲しいねでもケインズという人は実際に誕生したわけだし、利益誘導に満ちてない新しい時代の経済学も産み出せるんじゃないかなーとは思いますよケインズが見直されてるのもその前触れかなと思います
診断士の勉強の際、こんなもの何の役に立たんだろうとマジで思いました。
経済学だけじゃなく、栄養学や医学の一部もね。
まっ、人をコミュ力とか人当たりの良さだけで判断するとロクなことにならないわな。
三っちゃん、岸田は国債発行を全く理解してなかったね。太郎がチンチロに笑笑
農業だけだと、軍事力がなく侵略され放題。工業だけだと、輸入しないと飢える。金融・デジタル産業などサービス産業だけだとカネはあっても物がない。
日本国憲法の前文と同じ感じですね。
経済人には防災グッズが売れませんねw
y田川先生に「経済学の教科書を読みなさい」とか説教されてるんですけどどうしたらいいですかね
この動画を見せたらどうでしょうか。
読まれたらよろしいのでは?マンキュー2冊
Y先生のことはほっとけばいいよ。積極財政の人と面と向かって議論してやる!ってだけで十分。それよりも議論の場に出てこない似非の奴らを議論の場に出すことを考えるべき。
まず、お前が現実社会の勉強をしろと返せば桶
学位は経営学士です。経営学部ですから卒業必修科目に経済学概論やミクロ経済学やマクロ経済学があり履修して経済学の教授の講義で教授自身がめちゃくちゃ経済学を嘘つき詐欺師だと馬鹿にしてましたw三ツ橋氏は学位は経済学士ですよね。教授陣は経済学を正しいと教えてましたか?それともめちゃくちゃ馬鹿にして教えてましたか?非常に気になりますw
「経済学」という学問は存在しない。ノーベル経済学賞を受賞した論文を見れば明らかである。
なんか、まんま竹中平蔵先生的理論じゃね主流派経済学て( 一一)
だから日本が破滅してるんですよ。
経済って「経世済民」が語源でしょ?経世済民学は無いのでしょうか?
中野先生にはあるでしょうね
実は江戸時代にはあった。
そもそも新古典派経済学は、物々交換から派生させたものやから。
連携して落選運動するでー‼️‼️
12:12 ひろゆきの言うマクロな数式ができない人はインフレ予測の説明できないに対する皮肉
相変わらず、素晴らしい情報を提供いただきありがとうございます。最近は、プライベートの時間が減り、観るチャンネルが増えるという、一人デフレ状態。いいんです。マニアックな回もあったって、もっと勉強しなきゃ。と思えますから。
経済学者に不況(日本の供給力棄損)の責任を取らせよう。
俺そこら辺の経済学者より経済解ってるんじゃねと思うこの頃。通貨は増やしたり減らしたり出来るんだから。お金が足りないなら作っちゃえば良いんだよ。
その通りだよ。日銀はキーボードで数字打ち込むだけでいくらでも金作れるんだし。どうやってこれで不況になるのか?数字打つだけですよ。
経済学と歴史学と心理学は信用できない。
ICT進展でテレワークにより労働力の自由貿易が国際間で活発になれば、労働生活物の比較優位論により、日本人は欧米のために労働力を供給する時代が近いと感じます。欧米の企業と仕事すると日本語での思考の方が英語よりも組織に伝播して速い印象ですし、賃金は圧倒的に安いまま。
そういえば経済学マンセーの竹中さんや高橋洋一さんの発言から行動経済学うんぬんは一言も出てこない。行動経済学の前提が人は限定的な合理的経済人だからですかね?
ノーベル経済学は価値あるの?😱😱😱
価値マイナス100転
あれって確か普通のノーベル賞とは関係ないんよね
ノーベル経済学賞ってウソです。ノーベル財団が選出してないから。12年にはネオリベ系経済学者ばかり選ぶならノーベルの名前外せってノーベル財団に警告されてる。正式名称も「スウェーデン国立銀行賞、アルフレッド・ノーベルを記念して」とかだから。
無茶苦茶ですね。
先物取引は日本から堂島米会所(どうじまこめかいしょ)は、江戸時代の享保15年8月13日(1730年9月24日)、摂津国西成郡の大坂堂島に開設された米の取引所。現在の大阪府大阪市北区堂島浜1丁目にあった。当時大坂は全国の年貢米が集まるところで、米会所では米の所有権を示す米切手が売買されていた。ここでは、「正米取引」と「帳合米取引」が行われていた。正米取引とは現物取引、帳合米取引とは先物取引のことである。堂島米会所では、市場参加者は敷銀という証拠金を用意するだけで、差金決済による先物取引が可能であり、現代の先物市場の基本的な仕組みをそのまま備えていた。これは同時期の世界では例がなく、江戸時代の堂島米会所は世界初の本格的な先物取引市場であった[1]。歴史浪花百景 堂じま米市 1800年代の米会所の様子。競りに熱中する仲買人たちの足元と入口辺りでそれを見守る人々。落ちた扇子やキセルから混乱ぶりが偲ばれる1930年代の堂島米穀取引所元禄10年(1697年)、大坂にある堂島の中之島の新地が新しく開発され、それまで淀屋が淀屋橋南詰に作った米市場がその堂島に移転して、堂島の米市場が誕生する。江戸幕府が米価下落への対策に苦慮していた時、江戸の三谷三左衛門、中島蔵之助、冬木彦六の3名の取り計らいで、「米座御為替御用会所」が設立され、3名が取締の任にあたった。しかし、正銀正米の売買だけでなく、廻米(かいまい)の入津季節以外にも1年を通じて取引ができるようにして、市場を繁栄させようとした。そこで、大坂の米商人である備前屋権兵衛、柴屋長左衛門が新しい売買取引の方法を考案した。これは「建物米」を定め、限月限日を建て、その期限内に「延売買」を行うものであった。しかしその後、米取引が複雑化すると米市場に新たな支配人を置く必要も出てきた。この支配人が後の「遣来(やりくり)両替」、すなわち「米方両替」である。彼ら支配人は、市場が開いている間、必要な時に相当の給銀を出して、市場参加者たちに取引の「消合」(けしあい。売買解除)に従わせた。享保6~7年頃、幕府は不正取引のかどで「延売買」を禁じたが止まなかったので、享保7年(1722年)12月、1000石以内の延売買を許可し、享保9年(1724年)2月、空米相場をも認めた。享保9年(1724年)3月、大阪を襲った大火・妙知焼のために大阪の米取引はしばらくの間、休場となった。ところが、この機に乗じて江戸商人たちが幕府に「米相場会所」の設立を3回にわたって願い出て、幕府はその設立を認めて、江戸に「米相場会所」が作られることになった。この幕府の決定は大阪商人たちに大きな衝撃を与え、このままだと堂島米仲買などは江戸商人たちに支配されることになり、米取引の収益の一半を江戸商人たちに持ち去られてしまうことになる。これを遺憾とした大坂商人たちは、田辺屋藤左衛門、尼崎屋藤兵衛、加島屋清兵衛の3名を総代として江戸へ派遣し、江戸町奉行大岡忠相に自分たちの不満を訴えた。享保15年(1730年)8月、この訴えは幕府の受け容れるところとなり、米市場は再び大坂商人の手に戻り、堂島市場においてのみ「帳合米取引」を公許されることとなった。ここに、江戸幕府公認の堂島米会所が誕生した。その後、その堂島の中之島には、全国の各藩の諸大名の蔵屋敷が次々とできて、米商人も全国から多く集まるようになった。全国で収穫された米はまず、ここ大坂に集まる。そして「正米取引(現物取引)」と「帳合米取引」(先物取引)が行われて、米価が決まっていく。そして、その価格に基づいて大きなお金が動く。こうして、この大坂の堂島は「天下の台所」と呼ばれるほど日本最大の市場となった。享保16年(1731年)2月、初めて米仲買株441株を許可し、米方年行司を定め、享保17年(1732年)4月に521株、享保20(1735年)年7月に351株を許可し、合計1313株となり、別に米方両替株50をも許した。天保13年(1842年)8月、幕府は「天保の改革」の一環として「株仲間」を解除することとなり、堂島市場組織も変わった。従来の仲買に限らず、誰でも米方年行司に届済の上、市場に出て払米その他の売買ができるようになった。ただし従来通り市場の取締は、年行司が担当した。嘉永4年(1851年)、株仲間再興の結果、堂島は仲間人員の検査取締のため、再び鑑札を下付された。幕末、国内が騒然とし、貨幣制度が乱れて米価が甚だしく変動した。その為、4ヶ月を1期間とする帳合米取引が困難になり、堂島米会所は幕府の許可を得て「石建米商」を実施した。しかし、その許可を出した幕府も財政難になり、財政危機に陥った幕府や多くの諸藩はその財源不足を補う為、新たな資金を求めて堂島米会所の米相場を利用することにした。その資金需要は、現物の米がないにもかかわらず空手形を多く乱発・発行する方法で行われ、その結果、米の価格はさらに高騰して市場は大混乱し、堂島米会所はその市場機能を失っていった[2]。明治2年(1869年)、ついに幕府が崩壊して、新たに誕生した明治政府は堂島米会所を廃止する。それに伴い、堂島周辺の諸藩の大名蔵屋敷も明治政府が没収する。明治4年(1871年)、再び「堂島米会所」が新たに復活する。明治6年(1873年)、堂島米会所は油取引を加えて「堂島米油会所」となるが、明治9年(1876年)に油取引を分離して「堂島米商会所」となる。[3]明治26年(1893年)9月9日、堂島米会所は取引所法による株式会社組織の米穀取引所「大阪堂島米穀取引所」へと組織変更する。大正7年(1918年)、米価の高騰とその過剰投機により米騒動が引き起こった。昭和14年(1939年)に米穀配給統制法による日本米穀株式会社に吸収されて幕を閉じた。取引方法[icon] この節の加筆が望まれています。参加者等堂島市場の取引は次のようなものがあった。正米商 - 米切手を売買する帳合米商 - 1年を3季にわけて延売買する石建米商 - 一種の帳合米売買であり、古くは虎市といい、売買1口の最低額は帳合米では100石であったが、石建米では20石または10石であった。讃岐米を建物米としていた。米仲買は、堂島15町に住まい、蔵米の入札を行い、正米方、帳合方、積方の3種のうち1種または2種以上を合わせ営むことができた。帳合米のみを売買するのを帳合方、正米および帳合米を売買するのを問屋、正米の蔵出し、および輸送をするのを積方といい、これらを総称して浜方といった。米方年行司は、浜方総中から人望のあるもの5人が選挙され、浜方に関する公私の取締を行った。年行司の下には月行司があった。米仲買の住所は不定ではないため、町ごとに月行司を置いて、その町の米仲買の取締を行った。米方会所は堂島船大工町にあって、水方役の筆頭が会所守として住んでいた。当時は市場はもっぱら寄場とよばれた。期間春・夏・冬の三期に分けて取引が行われた。取引期間をまたがっての取引はできなかった。取引の流れ取引は午前8時から午後2時まで開かれた。前日の火縄値段(後述)を元に寄付き値段(始値)を決める。午前に正米の取引を行い、正午に一旦引ける。午後に入って立合いを再開する。午後2時の終了時刻前になると長さ一寸ぐらいの火縄に火をつけて立合場の軒先に吊るし、それが燃え尽きた時点で取引終了とした。この時の値段を火縄値段といい、次回の始値となった。決済決済は米方両替で行われた。
小選挙区で落としても比例で復活当選されたらたまったもんじゃない
経済学に関してはヤクザの世界よりも堅氣の世界の方が、酷いわぁ😵💫🥹😭
三橋さんは多くの大衆が、最低でも思考というのを備わっているのが前提として考ええるからこんな動画も粘り強くしているのかもしれないが、恐るべきごとに、記憶はできても、思考っていうのもさらにできる人がほんのわずかな人しかない。
頭の回転早そうだもんね
複雑なものを自分の頭で扱える簡単な設定で丸っと全て扱おうとするから非現実的な結論が出てくるということですね。各論で議論した方がいいのでしょうか?
スタートになる仮定を抑えてそこからどんな結論が出てくるか?は学問の基礎でしょう。経済学が嘘というか、現状の理論体系では適応範囲が狭いか、現実を説明するのにまだまだ未熟という事だと思います。こういう現状を一般に認識してもらう為に嘘というワードを使っているんでしょう。
経済学の話を聞いていると、古代社会の「世界は木と水と火と土と金の5種類で成り立っている!」と同レベルなくらいにいい加減だなあと感じます。むしろ五行説のほうがまだマシかも。
陰陽五行説懐かしいなお中国の皇帝を皇帝の地位から引きずり下ろす大義名分に利用された模様
分かりやすい解説をありがとうございます!! とどのつまり現状の経済学を一言で言い表すとするなら上手に布教されて真理であると信じ込んでしまっているカルト宗教ってことですねw
以前、ノーベル経済学賞だけは成立の経緯が政治的理由だから表彰式も違う場所であるとか何とかって動画か記事かを見たような記憶が?曖昧ですけどね。
でも 何か新しい知見や概念を生み出さないと、研究者や学者としての役割は皆無なので 経済学者、とかでなく経済知識職人の称号にしないとかわいそうですね。それにすがってる役人は何といったらいいか思いつきませんが。経済分野での慣性の法則具現者でしょうか。
信用無い人間はせいぜい野次馬とSNSの雀になるぐらいしか出来ることはねえなあ ああかなしい
エリートヤクザじゃなくって、インテリヤクザ?
どこかは忘れてしまって、うる覚えなんですが、経済学はロックフェラーが自分たちの為に作った学問だといった、説明をしていた動画があった記憶があるのですが、どうなのでしょうか?
現在の主流派経済学・新古典派の総本山シカゴ大学を創設したのはジョン・ロックフェラーですもんね。
日本もブータンのようにGDPよりGNHを基準にしたら世界最高国になる。
ほんと、経済学が正しいと思ってる人は、地動説が正しいと思っている人と同じくらい〇〇だと思う。
米山某のことですね。勉強好きの人ほど教科書に書いてあることは何でも信じるのです。
権力者からしたらなんとも都合の良い存在だこと(by教科書検定)
子供の宿題に「税」の標語があるそうな。。
税は国債と相殺されて、この世から消えるだけだと全国民が知ったらどうなるかな?今まで払ってた税金は何だったのでしょうか?
そろそろ、MMTとか、大幅な財政出動とかの小手先の手段では無く、部分準備銀行制度から100%準備銀行制度への切り替え、つまり最新のシカゴプランを基にした日本国公共貨幣法(日本版シカゴプラン)の成立に向けた取り組みをしていただけませんか?
三橋さん!
ありがとうございます
ノーベル賞って経済と文学以外は間違いなく世界に貢献している。でもノーベル経済学賞取っても、その人が住んでる国の景気がよくなってもない。ノーベル経済学賞とった人たちはいままで何百人もいるだろうにいまは全世界的に不況。どういうこっちゃ。
A.ノーベル経済学賞だけは厳密にはノーベル賞ではないから。
とりあえず言葉の定義から始めるのが良いと思うのです。思うのですが、今現在いわゆる積極財政派と言われる人達の間で、その「積極財政」という言葉の定義すらなされていないのが現状でして、というわけで、「消費税減税」は積極財政の定義に入りますか?実質民間最終消費支出のグラフなんかを見れば、中国に追いつくために消費税減税は必須だと思うのですが、実際には自称積極財政派の人としょっちゅうそのことでバトってます。
経済学者、政治学者、社会学者、法学者、で社会問題を解消した人は居ない。貧困問題、階層問題、差別問題や治安問題は永遠ですね。解消したら職が無くなる。
医学もやね てか全部やんw
経済学って面白そう。
今日のWBSで未だに国の借金と言っていました!三橋さん、どうなっているんですか?そろそろテレ東に反省させられませんかね?
今はわかりませんが昔テレビで今年の通貨発行額はいくらですとやっていたのはマネーのプール論を誤解させるためのものだったのですか?
むしろその放送作った人達は結構経済に明るいと思うけど。
人類が持続可能じゃない原因がはっきりしましたね。
自分は冷やかし大好きなので主流派経済学を学んでみたくなりましたねww有権者が性悪で歯止めが効かないのに、生産性第一に考えて動くって…2行で矛盾しちゃいますけど、、
文楽が好きとも思えない三橋貴之が好みそうな文化的経済人。蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう、寛延3年1月7日(1750年2月13日) - 寛政9年5月6日(1797年5月31日))は、江戸時代の版元(出版人)である。朋誠堂喜三二、山東京伝らの洒落本、恋川春町らの黄表紙、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版で知られる。「蔦重」ともいわれる。狂歌名を蔦唐丸(つたのからまる)と号し、歌麿とともに吉原連に属した。人物父は丸山重助で母は津与。重助は江戸の吉原で遊廓の勤め人だったという。寛延3年(1750年)、重三郎も吉原に生まれ、のちに喜多川氏の養子になった。「蔦屋」は喜多川氏の屋号であり、吉原の茶屋といわれる。また、「耕書堂」とも号した。安永2年(1773年)、重三郎は吉原大門の前に書店を開き、はじめは鱗形屋孫兵衛に独占されていた吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の販売、出版から出版業に関わっていった。安永3年(1774年)に遊女評判記『一目千本』、翌安永4年(1775年)に吉原細見『籬の花』を出版している。後に通油町、横山町1丁目、小伝馬町2丁目、浅草並木町、嘉永頃に浅草寺中梅園院地借り市右衛門店に移った。安永9年(1780年)に売れっ子作家・朋誠堂喜三二の黄表紙を出版したのを手始めに本格的に出版業を拡大。かねてから付き合いのあった狂歌師[1]たちや絵師たちを集め、それまでにない斬新な企画を統括し(現代で言うプロデューサー業)、洒落本や狂歌本などでヒット作を次々に刊行した。天明3年(1783年)には丸屋小兵衛の株を買取り一流版元の並ぶ日本橋通油町に進出、洒落本、黄表紙、狂歌本、絵本、錦絵を出版するようになる。浮世絵では喜多川歌麿の名作を世に送ったほか、栄松斎長喜、東洲斎写楽などを育てている。また、鳥居清長、渓斎英泉、歌川広重らの錦絵を出版している。しかし自由な気風を推し進めていた田沼意次に代わり老中となった松平定信による寛政の改革が始まると、娯楽を含む風紀取締りも厳しくなり、寛政3年(1791年)には山東京伝の洒落本・黄表紙『仕懸文庫』、『錦の裏』、『娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい)』が摘発され重三郎は過料により財産の半分を没収[2]、京伝は手鎖50日という処罰を受けた。その後も、寛政6年(1794年)には写楽の役者絵を出版するなどしていたが、寛政9年(1797年)に48歳で没。脚気であったという。面倒見がよく、また人の才能を見抜く術を心得ていたといわれている。写楽をはじめ曲亭馬琴、十返舎一九など重三郎の世話を受けた人物は数多い。なお、2代目は番頭の勇助が継いでおり、初代同様、狂歌本を多数出版した。享和2年(1802年)に葛飾北斎の狂歌本『潮来(いたこ)絶句集』を出版すると、装丁が華美ということで処罰された。耕書堂は5代、明治初期まで続いた。
経済学はインフレの心配はするのにデフレの心配をしない。本当にバカげた学問
ジョーン・ロビンソン「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである。」
マルクス経済学は
これを前提とした理論
ヒトが
同一性力学に
あることを
寝転んで突き詰め
階級
を認識した発想で
ガバっと起き上がり
机の上で
夢想を膨らませた結果
です
世論作りは大切なこがわかりました
大学の講義で感じた違和感がスッキリ解決しました!
ありがとうございます。
竹中は帝王学心得てるから厄介。汚れ役は橋下のようなチンピラが担ってる。金持ち喧嘩せずの竹中の本性出させた三橋さんは天晴だった。
三橋先生の経済学大変勉強になります。
84歳の近所のお爺さんでも、自由貿易の事、嫌がってたよ。
セイの法則なんてほとんど宗教のそれに近い気がします。一見それっぽいけど、良く考えたら成り立たない事がいっぱいある…😨どんだけ作っても要らない物は要らなんだよ😫
経済学は屁理屈
竹中にぴったりだよな
信用貨幣論を基軸に経済学を再構築すれば、
人類の存続と繁栄に大いに貢献する学問になると思います。
大変分かり易い解説で、私でも理解することができました。学生にも見てほしいです。
10:27 大学受験の頃、英単語帳にeconomy(=経済、節約、節制)で覚えてたの思い出した
今思うと英語にも緊縮財政(主流派新自由主義)って蔓延してるだなぁ
日本の大学には経済学部がたくさんあるのに、いつまでたっても経済が上向かない理由がわかったような気がします。
🤔
そもそも政治学と経済学を分けてるからな(笑)
政治経済学部も怪しいけどね
主流派経済学を教えてるからね。もれなく完全に頭クルクルパーになります。
三橋先生、いつものように分かりやすい解説をして頂き有難うございます👏子供を経済学部にだけはいかせたくないです。
前提が正しくないのに正しい結果が導かれないのはあたりまえですね。現実(実態)を無視し美しい数式を作り自己陶酔してきた学問が現在の主流派経済学。クルーグマンも反省してます。逆にMMT理論は現実(貨幣の実態)を明らかにして構築されているので非常に説得力があると思います。
本当にそれですわ。自己陶酔の世界そのもの。現実無視してるんだから。
⁰
ケインズ自身、経済学は理論であり、現実には役に立たないと言ってますね。経済は国民がいれば勝手に回るもので、見てりゃいいんですよ。大事なのは、元気な国民が沢山いるという事だと思います。
ほっとけば経済は勝手に回ると主張するのがセイの法則、ありえない
増税で天下を回るお金を次々削れば景気が萎むのは当然 😓
景気が萎んで仕事が減れば国民の活気もなくなる 😰
国民の元気を削る緊縮/増税 😱
半世紀近く前、理系の学部に在籍していた私は、遊ぶ暇なく授業、実験、実習と忙しい傍らで、全く勉強しているように見えない文系学生、とりわけ経済学部の連中が腹立たしく見えたものでした。
その後、経済学部卒の後輩が、地元県庁に就職して局長にまで出世し、「国の借金が大変なことになっているから増税は仕方ない」と上から目線でほざいたので、私と大喧嘩になり、酒席がしらけてしましました。
世間の人に早く目覚めてほしいと思いますが、悲しいかな三橋さんのような主張が主流になりませんね。
日本の経済学が日本の滅亡を招く、そして私たちが築いてきた技術の世界まで衰弱していくのを実感しています。
先人にも子や孫たちにも申し訳ない思いでいっぱいです。
結局この国の破滅は国民が無知無関心だから。学ばないから。
心底バカに成り果ててるから。
そしてその事にまるで気が付いてないから。
それが結論なのですよ。
よくないけどネット上で文系がバカにされる風潮(=俗に言う理系至上主義?)を産む原因だね
まぁ文系って真面目に勉強しても損しかしないからね法学部と商学部以外
私も常々、経済学は〝学問〟ではなく〝学説の寄せ集め〟だと考えてます。
学説の寄せ集めというよりバカの集まりでは?
変数が多すぎるし人の気持ちとかも入ってくるからカオス理論の領域。
学問ではなく宗教
高度成長期やバブル期は昨日より今日、今日より明日の方が良くなるという実感があったから活気があった。だから緩やかに経済成長するマイルドインフレが必要なのだ。政府や経団連の連中はこんなことも理解できないのか!?
最近思いました。主流派経済学や新自由主義を唱える人たち、そして民営化を神化する人たちがこぞって使う定番フレーズ。それは”これからは個人の時代だから”、”個人でなんとかするしかない”です。アベマでも某外国人の方が個人で給料アップがどうとか言っていましたが、経済の話でやたらと”個人が”を主語に持ってくる人はたいていの場合見当違いな事を堂々と言ってます。まず国が土台作りをするという点には触れず、税金が上がっても個人で給料アップできればそれでいい、という事なのでしょうか。まさしく国を亡ぼす考え方です。
こんな間違いだらけの学問はあっという間に廃れて忘れ去られるはずなのに、どうして未だに存在しているのでしょうか?
選抜試験として未だに使われているにすぎん。
金本位制どころか物物交換のロジックで凝り固まってる。
それを信用創造に無理矢理ブチこんでタイヘンダー、ハタンスルー、ケツゼイガーの大合唱、破綻真理教の出来上がりでございます。
国民が心底アホだから。
それ以外の理由があったら教えてほしいレベル。
三橋さんいつも解かりやすい解説、ありがとうございます やばい これは小学校から
改革教育しないと あと 貨幣論です 経済学はいらない 共同体意識
高家さんの「え゛?」が正解と思います。
娘さんが可愛いんでしょうね。子孫に美田を残す。これぞ、まさに、保守の原点と思います。 改めて、三橋先生の御活躍に、感謝と敬意を表します。
この動画凄い!
経済学がわからない人ほど正しい知識の持ち主⁉️
良い発言をありがとう
なるほど。
経済学が財務真理教の大元だったのですね…マルクス共産主義が否定された様に、経済学も否定される時代になって欲しいですね。
明快平易な説明ありがとうございます。
経済学を少し齧ったとき、その前提となる荒んだ人間モデルに経済学者の心象風景を見た気がしたのを覚えています。観測と合致しない理論が棄却される自然科学との違いに恐ろしく違和感を覚えました。有り体にいうとツッコミどころ満載。昔、経済学部出身の友人に経済学を問うたところ「適当に数理モデルをこねくり回してるだけで面白くない」とも。
貨幣経済論が軽んじられている事実に驚くとともに、財務省やお偉い学者さんの理論整合性のために我々は存在するのね、と自虐的な事でも言わないとやってられないような無力感に苛まれます。
先生は日本の希望です。これからも情報発信を期待しております。くれぐれもご自愛の程を。
中小企業診断士受験生としても有意義すぎる動画ですね。
いったい何を読んだら主流派経済学に対してこういう理解の仕方をすることになるのか気になる。
なんか、岡野陽一の日本の教育っていうコントを思い出しました。基礎が、基本が間違っていると何もかもダメになる😢
だからこそノーベル経済学賞なんて即刻廃止すべきなのですよ。現実の経済で何の役にも立たないのに仲間内だけで理解できるどうでもいい理論を穿り回しているのが彼ら経済学者です。
あれ経済学者の自分で創ったプロモーション目的の賞ですからね。もちろんアルフレッド・ノーベルとは何の関係もない。
単純労働者を歯車に例えるのは不適切と考えます というのは、歯車なら欠ければ全体が機能しなくなるが、現実はそうではない
例えるなら、少々の影響しかない、もしくは即時影響はしない ネジの方が適切だと思います。
ネジはとても大切です。機能を支える、機構を保持するためにも
但し、その1点がかけただけで即時機能を満たせなくなるネジばかりではなく、どちらかってぇとじわじわと効いてきて
耐久性損耗 信頼性低下 と言う形が多いのでは? と メーカー勤務者として感じてます。
リカードはアトキンソンの先祖かしら?w
大学で経済学部と商学部受かってて、商学部にいった俺、危なかった…。
経済学部行ってたら間違いなく主流派経済学教えられるから、完全に頭クルクルパーになってたでしょう。
経済学部行くくらいなら商学部会計学専攻に行った方が稼げる食える
受験の為に教科書で一生懸命に勉強した経済学が、
どれもこれも悉く前提条件に無理がある学問だった
なんて……。無駄な時間とエネルギーを使ったなぁ…。
(センター試験)
竹中平蔵という人は、昔、住民税を払ってなかったので問題になったよなあ。あれはどうなったんだろう?
今もやってるかも、住民票の移動マジックってやつ!
経済学者が共産主義者よりはるかにドグマティックという説明でした。どっちも完璧に非科学。科学は事実認識の哲学なので非科学なら当然そうなる。
高橋洋一のイカサマ数式ね。
前提条件が現実に則してないのに数式ガー数式ガー。
ひろゆきもやね
大学受験で政治経済を受験科目にした人ほどなかなか抜け出せなさそう
7:26 〜 12:13 〜 16:20 〜
マルクスもアダムスミスもいらん
新古典派経済学が、かつての天動説のように間違いとして認識されないのは「保守主義」と結合したからではないでしょうか。経済的・政治的自由主義者であっても保守感情はあるでしょう。保守が新古典派経済学と結合し、更には乗っ取られ、人々は新古典派経済学ヘ保守感情を抱き、逆にMMTやケインズ経済学は逆に新しい認識になり、本能的に拒否してしまう。
龍が如くに出てくるインテリヤクザみたいですね見た目三橋さん笑笑
興味深い話題ありがとうございます。本日の話の中で「人事権」について、国民は議員の人事権をもっているから議員に要求すれば良いと言われてましたが、それなら内閣が財務省に要求することができると言うことになります。それであれば、現在、財務省がやっていることは全て内閣の了承のもとで行われていると言うことになります。三橋さんはようやくこちらの方向にシフトしていかれることになりますか。それであれば、消費税を上げたのは安倍内閣の判断であったことになり、現在の日本の衰退の全ての原因は安倍内閣に在ったということになります。そこまで言って、ようやく日本国民はごまかしの網から逃れることができます。同時に、なぜ安倍首相はあのようになったのかを本当に考えることができます。安倍首相やったことの意味とその身に起きたことが何で在ったのかを国民が知ることで本当に日本国民が考えることができるようになります。「安倍さんありがとう」と言っている段階では、日本独立は夢のまた夢です。
欲しい物がある
必要な
サービスします
お金がない
通貨供給ですね!
実体経済である
簡単です。
その経済学の初期概念と共産主義社会の概念と、何処のあたりに差異があるのか判らなくなってくる件…
学問は真理の追求であるのに対して政治は人の意図ですからね。経済はそもそも政治と関連してますから都合のいい解釈が入りますよね。
誰かに都合のいい解釈が入った学問に動かされてるのが悲しい現実です。せめて国民は現実はそういうものだと認識して投票に向かうべきなのです。
そう諦めるのは悲しいね
でもケインズという人は実際に誕生したわけだし、利益誘導に満ちてない新しい時代の経済学も産み出せるんじゃないかなーとは思いますよ
ケインズが見直されてるのもその前触れかなと思います
診断士の勉強の際、こんなもの何の役に立たんだろうとマジで思いました。
経済学だけじゃなく、栄養学や医学の一部もね。
まっ、人をコミュ力とか人当たりの良さだけで判断するとロクなことにならないわな。
三っちゃん、
岸田は国債発行を全く理解してなかったね。
太郎がチンチロに笑笑
農業だけだと、軍事力がなく侵略され放題。
工業だけだと、輸入しないと飢える。
金融・デジタル産業などサービス産業だけだとカネはあっても物がない。
日本国憲法の前文と同じ感じですね。
経済人には防災グッズが売れませんねw
y田川先生に「経済学の教科書を読みなさい」とか説教されてるんですけどどうしたらいいですかね
この動画を見せたらどうでしょうか。
読まれたらよろしいのでは?
マンキュー2冊
Y先生のことはほっとけばいいよ。
積極財政の人と面と向かって議論してやる!ってだけで十分。
それよりも議論の場に出てこない似非の奴らを議論の場に出すことを考えるべき。
まず、お前が現実社会の勉強をしろ
と返せば桶
学位は経営学士です。経営学部ですから卒業必修科目に経済学概論やミクロ経済学やマクロ経済学があり履修して経済学の教授の講義で教授自身がめちゃくちゃ経済学を嘘つき詐欺師だと馬鹿にしてましたw
三ツ橋氏は学位は経済学士ですよね。教授陣は経済学を正しいと教えてましたか?それともめちゃくちゃ馬鹿にして教えてましたか?
非常に気になりますw
「経済学」という学問は存在しない。ノーベル経済学賞を受賞した論文を見れば明らかである。
なんか、まんま竹中平蔵先生的理論じゃね主流派経済学て( 一一)
だから日本が破滅してるんですよ。
経済って「経世済民」が語源でしょ?
経世済民学は無いのでしょうか?
中野先生にはあるでしょうね
実は江戸時代にはあった。
そもそも新古典派経済学は、物々交換から派生させたものやから。
連携して落選運動するでー‼️‼️
12:12 ひろゆきの言うマクロな数式ができない人はインフレ予測の説明できないに対する皮肉
相変わらず、素晴らしい情報を提供いただきありがとうございます。
最近は、プライベートの時間が減り、観るチャンネルが増えるという、一人デフレ状態。
いいんです。マニアックな回もあったって、もっと勉強しなきゃ。と思えますから。
経済学者に不況(日本の供給力棄損)の責任を取らせよう。
俺そこら辺の経済学者より経済解ってるんじゃねと思うこの頃。
通貨は増やしたり減らしたり出来るんだから。お金が足りないなら作っちゃえば良いんだよ。
その通りだよ。日銀はキーボードで数字打ち込むだけでいくらでも金作れるんだし。
どうやってこれで不況になるのか?数字打つだけですよ。
経済学と歴史学と心理学は信用できない。
ICT進展でテレワークにより労働力の自由貿易が国際間で活発になれば、労働生活物の比較優位論により、日本人は欧米のために労働力を供給する時代が近いと感じます。欧米の企業と仕事すると日本語での思考の方が英語よりも組織に伝播して速い印象ですし、賃金は圧倒的に安いまま。
そういえば経済学マンセーの竹中さんや高橋洋一さんの発言から行動経済学うんぬんは一言も出てこない。
行動経済学の前提が人は限定的な合理的経済人だからですかね?
ノーベル経済学は価値あるの?😱😱😱
価値マイナス100転
あれって確か普通のノーベル賞とは関係ないんよね
ノーベル経済学賞ってウソです。
ノーベル財団が選出してないから。
12年にはネオリベ系経済学者ばかり選ぶならノーベルの名前外せってノーベル財団に警告されてる。
正式名称も「スウェーデン国立銀行賞、アルフレッド・ノーベルを記念して」とかだから。
無茶苦茶ですね。
先物取引は日本から
堂島米会所
(どうじまこめかいしょ)は、江戸時代の享保15年8月13日(1730年9月24日)、摂津国西成郡の大坂堂島に開設された米の取引所。現在の大阪府大阪市北区堂島浜1丁目にあった。
当時大坂は全国の年貢米が集まるところで、米会所では米の所有権を示す米切手が売買されていた。ここでは、「正米取引」と「帳合米取引」が行われていた。正米取引とは現物取引、帳合米取引とは先物取引のことである。
堂島米会所では、市場参加者は敷銀という証拠金を用意するだけで、差金決済による先物取引が可能であり、現代の先物市場の基本的な仕組みをそのまま備えていた。これは同時期の世界では例がなく、江戸時代の堂島米会所は世界初の本格的な先物取引市場であった[1]。
歴史
浪花百景 堂じま米市 1800年代の米会所の様子。競りに熱中する仲買人たちの足元と入口辺りでそれを見守る人々。落ちた扇子やキセルから混乱ぶりが偲ばれる
1930年代の堂島米穀取引所
元禄10年(1697年)、大坂にある堂島の中之島の新地が新しく開発され、それまで淀屋が淀屋橋南詰に作った米市場がその堂島に移転して、堂島の米市場が誕生する。
江戸幕府が米価下落への対策に苦慮していた時、江戸の三谷三左衛門、中島蔵之助、冬木彦六の3名の取り計らいで、「米座御為替御用会所」が設立され、3名が取締の任にあたった。しかし、正銀正米の売買だけでなく、廻米(かいまい)の入津季節以外にも1年を通じて取引ができるようにして、市場を繁栄させようとした。そこで、大坂の米商人である備前屋権兵衛、柴屋長左衛門が新しい売買取引の方法を考案した。これは「建物米」を定め、限月限日を建て、その期限内に「延売買」を行うものであった。
しかしその後、米取引が複雑化すると米市場に新たな支配人を置く必要も出てきた。この支配人が後の「遣来(やりくり)両替」、すなわち「米方両替」である。彼ら支配人は、市場が開いている間、必要な時に相当の給銀を出して、市場参加者たちに取引の「消合」(けしあい。売買解除)に従わせた。
享保6~7年頃、幕府は不正取引のかどで「延売買」を禁じたが止まなかったので、享保7年(1722年)12月、1000石以内の延売買を許可し、享保9年(1724年)2月、空米相場をも認めた。
享保9年(1724年)3月、大阪を襲った大火・妙知焼のために大阪の米取引はしばらくの間、休場となった。ところが、この機に乗じて江戸商人たちが幕府に「米相場会所」の設立を3回にわたって願い出て、幕府はその設立を認めて、江戸に「米相場会所」が作られることになった。この幕府の決定は大阪商人たちに大きな衝撃を与え、このままだと堂島米仲買などは江戸商人たちに支配されることになり、米取引の収益の一半を江戸商人たちに持ち去られてしまうことになる。これを遺憾とした大坂商人たちは、田辺屋藤左衛門、尼崎屋藤兵衛、加島屋清兵衛の3名を総代として江戸へ派遣し、江戸町奉行大岡忠相に自分たちの不満を訴えた。
享保15年(1730年)8月、この訴えは幕府の受け容れるところとなり、米市場は再び大坂商人の手に戻り、堂島市場においてのみ「帳合米取引」を公許されることとなった。ここに、江戸幕府公認の堂島米会所が誕生した。
その後、その堂島の中之島には、全国の各藩の諸大名の蔵屋敷が次々とできて、米商人も全国から多く集まるようになった。全国で収穫された米はまず、ここ大坂に集まる。そして「正米取引(現物取引)」と「帳合米取引」(先物取引)が行われて、米価が決まっていく。そして、その価格に基づいて大きなお金が動く。こうして、この大坂の堂島は「天下の台所」と呼ばれるほど日本最大の市場となった。
享保16年(1731年)2月、初めて米仲買株441株を許可し、米方年行司を定め、享保17年(1732年)4月に521株、享保20(1735年)年7月に351株を許可し、合計1313株となり、別に米方両替株50をも許した。
天保13年(1842年)8月、幕府は「天保の改革」の一環として「株仲間」を解除することとなり、堂島市場組織も変わった。従来の仲買に限らず、誰でも米方年行司に届済の上、市場に出て払米その他の売買ができるようになった。ただし従来通り市場の取締は、年行司が担当した。
嘉永4年(1851年)、株仲間再興の結果、堂島は仲間人員の検査取締のため、再び鑑札を下付された。
幕末、国内が騒然とし、貨幣制度が乱れて米価が甚だしく変動した。その為、4ヶ月を1期間とする帳合米取引が困難になり、堂島米会所は幕府の許可を得て「石建米商」を実施した。しかし、その許可を出した幕府も財政難になり、財政危機に陥った幕府や多くの諸藩はその財源不足を補う為、新たな資金を求めて堂島米会所の米相場を利用することにした。その資金需要は、現物の米がないにもかかわらず空手形を多く乱発・発行する方法で行われ、その結果、米の価格はさらに高騰して市場は大混乱し、堂島米会所はその市場機能を失っていった[2]。
明治2年(1869年)、ついに幕府が崩壊して、新たに誕生した明治政府は堂島米会所を廃止する。それに伴い、堂島周辺の諸藩の大名蔵屋敷も明治政府が没収する。
明治4年(1871年)、再び「堂島米会所」が新たに復活する。
明治6年(1873年)、堂島米会所は油取引を加えて「堂島米油会所」となるが、明治9年(1876年)に油取引を分離して「堂島米商会所」となる。[3]
明治26年(1893年)9月9日、堂島米会所は取引所法による株式会社組織の米穀取引所「大阪堂島米穀取引所」へと組織変更する。
大正7年(1918年)、米価の高騰とその過剰投機により米騒動が引き起こった。
昭和14年(1939年)に米穀配給統制法による日本米穀株式会社に吸収されて幕を閉じた。
取引方法
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この節の加筆が望まれています。
参加者等
堂島市場の取引は次のようなものがあった。
正米商 - 米切手を売買する
帳合米商 - 1年を3季にわけて延売買する
石建米商 - 一種の帳合米売買であり、古くは虎市といい、売買1口の最低額は帳合米では100石であったが、石建米では20石または10石であった。讃岐米を建物米としていた。
米仲買は、堂島15町に住まい、蔵米の入札を行い、正米方、帳合方、積方の3種のうち1種または2種以上を合わせ営むことができた。帳合米のみを売買するのを帳合方、正米および帳合米を売買するのを問屋、正米の蔵出し、および輸送をするのを積方といい、これらを総称して浜方といった。
米方年行司は、浜方総中から人望のあるもの5人が選挙され、浜方に関する公私の取締を行った。年行司の下には月行司があった。米仲買の住所は不定ではないため、町ごとに月行司を置いて、その町の米仲買の取締を行った。米方会所は堂島船大工町にあって、水方役の筆頭が会所守として住んでいた。当時は市場はもっぱら寄場とよばれた。
期間
春・夏・冬の三期に分けて取引が行われた。取引期間をまたがっての取引はできなかった。
取引の流れ
取引は午前8時から午後2時まで開かれた。
前日の火縄値段(後述)を元に寄付き値段(始値)を決める。
午前に正米の取引を行い、正午に一旦引ける。午後に入って立合いを再開する。
午後2時の終了時刻前になると長さ一寸ぐらいの火縄に火をつけて立合場の軒先に吊るし、それが燃え尽きた時点で取引終了とした。この時の値段を火縄値段といい、次回の始値となった。
決済
決済は米方両替で行われた。
小選挙区で落としても比例で復活当選されたらたまったもんじゃない
経済学に関しては
ヤクザの世界よりも
堅氣の世界の方が、酷いわぁ😵💫🥹😭
三橋さんは多くの大衆が、最低でも思考というのを備わっているのが前提として考ええるからこんな動画も粘り強くしているのかもしれないが、恐るべきごとに、記憶はできても、思考っていうのもさらにできる人がほんのわずかな人しかない。
頭の回転早そうだもんね
複雑なものを自分の頭で扱える簡単な設定で丸っと全て扱おうとするから非現実的な結論が出てくるということですね。
各論で議論した方がいいのでしょうか?
スタートになる仮定を抑えてそこからどんな結論が出てくるか?は学問の基礎でしょう。
経済学が嘘というか、現状の理論体系では適応範囲が狭いか、現実を説明するのにまだまだ未熟という事だと思います。
こういう現状を一般に認識してもらう為に嘘というワードを使っているんでしょう。
経済学の話を聞いていると、古代社会の「世界は木と水と火と土と金の5種類で成り立っている!」と同レベルなくらいにいい加減だなあと感じます。むしろ五行説のほうがまだマシかも。
陰陽五行説懐かしい
なお中国の皇帝を皇帝の地位から引きずり下ろす大義名分に利用された模様
分かりやすい解説をありがとうございます!! とどのつまり現状の経済学を一言で言い表すとするなら上手に布教されて真理であると信じ込んでしまっているカルト宗教ってことですねw
以前、ノーベル経済学賞だけは成立の経緯が政治的理由だから表彰式も違う場所であるとか何とかって動画か記事かを見たような記憶が?曖昧ですけどね。
でも 何か新しい知見や概念を生み出さないと、研究者や学者としての役割は皆無なので 経済学者、とかでなく経済知識職人の称号にしないとかわいそうですね。
それにすがってる役人は何といったらいいか思いつきませんが。経済分野での慣性の法則具現者でしょうか。
信用無い人間はせいぜい野次馬とSNSの雀になるぐらいしか出来ることはねえなあ ああかなしい
エリートヤクザじゃなくって、インテリヤクザ?
どこかは忘れてしまって、うる覚えなんですが、経済学はロックフェラーが自分たちの為に作った学問だといった、説明をしていた動画があった記憶があるのですが、どうなのでしょうか?
現在の主流派経済学・新古典派の総本山シカゴ大学を創設したのはジョン・ロックフェラーですもんね。
日本もブータンのようにGDPよりGNHを基準にしたら世界最高国になる。
ほんと、経済学が正しいと思ってる人は、地動説が正しいと思っている人と同じくらい〇〇だと思う。
米山某のことですね。勉強好きの人ほど教科書に書いてあることは何でも信じるのです。
権力者からしたらなんとも都合の良い存在だこと(by教科書検定)
子供の宿題に「税」の標語があるそうな。。
税は国債と相殺されて、この世から消えるだけだと全国民が知ったらどうなるかな?
今まで払ってた税金は何だったのでしょうか?
そろそろ、MMTとか、大幅な財政出動とかの小手先の手段では無く、
部分準備銀行制度から100%準備銀行制度への切り替え、
つまり最新のシカゴプランを基にした日本国公共貨幣法(日本版シカゴプラン)
の成立に向けた取り組みをしていただけませんか?
三橋さん!
ありがとうございます
ノーベル賞って経済と文学以外は間違いなく世界に貢献している。でもノーベル経済学賞取っても、その人が住んでる国の景気がよくなってもない。ノーベル経済学賞とった人たちはいままで何百人もいるだろうにいまは全世界的に不況。どういうこっちゃ。
A.ノーベル経済学賞だけは厳密にはノーベル賞ではないから。
とりあえず言葉の定義から始めるのが良いと思うのです。
思うのですが、
今現在いわゆる積極財政派と言われる人達の間で、その「積極財政」という言葉の定義すらなされていないのが現状でして、
というわけで、
「消費税減税」は積極財政の定義に入りますか?
実質民間最終消費支出のグラフなんかを見れば、中国に追いつくために消費税減税は必須だと思うのですが、実際には自称積極財政派の人としょっちゅうそのことでバトってます。
経済学者、政治学者、社会学者、法学者、で社会問題を解消した人は居ない。貧困問題、階層問題、差別問題や治安問題は永遠ですね。
解消したら職が無くなる。
医学もやね てか全部やんw
経済学って面白そう。
今日のWBSで未だに国の借金と言っていました!三橋さん、どうなっているんですか?そろそろテレ東に反省させられませんかね?
今はわかりませんが昔テレビで今年の通貨発行額はいくらですとやっていたのはマネーのプール論を誤解させるためのものだったのですか?
むしろその放送作った人達は結構経済に明るいと思うけど。
人類が持続可能じゃない原因がはっきりしましたね。
自分は冷やかし大好きなので主流派経済学を学んでみたくなりましたねww
有権者が性悪で歯止めが効かないのに、生産性第一に考えて動くって…2行で矛盾しちゃいますけど、、
文楽が好きとも思えない三橋貴之が好みそうな文化的経済人。
蔦屋 重三郎
(つたや じゅうざぶろう、寛延3年1月7日(1750年2月13日) - 寛政9年5月6日(1797年5月31日))は、江戸時代の版元(出版人)である。朋誠堂喜三二、山東京伝らの洒落本、恋川春町らの黄表紙、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版で知られる。「蔦重」ともいわれる。狂歌名を蔦唐丸(つたのからまる)と号し、歌麿とともに吉原連に属した。
人物
父は丸山重助で母は津与。重助は江戸の吉原で遊廓の勤め人だったという。寛延3年(1750年)、重三郎も吉原に生まれ、のちに喜多川氏の養子になった。「蔦屋」は喜多川氏の屋号であり、吉原の茶屋といわれる。また、「耕書堂」とも号した。安永2年(1773年)、重三郎は吉原大門の前に書店を開き、はじめは鱗形屋孫兵衛に独占されていた吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の販売、出版から出版業に関わっていった。安永3年(1774年)に遊女評判記『一目千本』、翌安永4年(1775年)に吉原細見『籬の花』を出版している。後に通油町、横山町1丁目、小伝馬町2丁目、浅草並木町、嘉永頃に浅草寺中梅園院地借り市右衛門店に移った。
安永9年(1780年)に売れっ子作家・朋誠堂喜三二の黄表紙を出版したのを手始めに本格的に出版業を拡大。かねてから付き合いのあった狂歌師[1]たちや絵師たちを集め、それまでにない斬新な企画を統括し(現代で言うプロデューサー業)、洒落本や狂歌本などでヒット作を次々に刊行した。天明3年(1783年)には丸屋小兵衛の株を買取り一流版元の並ぶ日本橋通油町に進出、洒落本、黄表紙、狂歌本、絵本、錦絵を出版するようになる。浮世絵では喜多川歌麿の名作を世に送ったほか、栄松斎長喜、東洲斎写楽などを育てている。また、鳥居清長、渓斎英泉、歌川広重らの錦絵を出版している。
しかし自由な気風を推し進めていた田沼意次に代わり老中となった松平定信による寛政の改革が始まると、娯楽を含む風紀取締りも厳しくなり、寛政3年(1791年)には山東京伝の洒落本・黄表紙『仕懸文庫』、『錦の裏』、『娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい)』が摘発され重三郎は過料により財産の半分を没収[2]、京伝は手鎖50日という処罰を受けた。
その後も、寛政6年(1794年)には写楽の役者絵を出版するなどしていたが、寛政9年(1797年)に48歳で没。脚気であったという。
面倒見がよく、また人の才能を見抜く術を心得ていたといわれている。写楽をはじめ曲亭馬琴、十返舎一九など重三郎の世話を受けた人物は数多い。
なお、2代目は番頭の勇助が継いでおり、初代同様、狂歌本を多数出版した。享和2年(1802年)に葛飾北斎の狂歌本『潮来(いたこ)絶句集』を出版すると、装丁が華美ということで処罰された。耕書堂は5代、明治初期まで続いた。