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新間がバリバリ仕掛けていたころの新日が一番おもしろかったというのは本当にそう思います。猪木といい長州といい新間といい、もっといえば力道山もそうですが、”みんなから好かれる人畜無害のいい人”では、この業界で天下は獲れないですよね。
コメントありがとうございます!そうなんですよね、いい意味で「狂って」ないと、熱狂は生み出せないと思います。
い8888@@romanlive
53歳のおじさんです。当時、夢中になって週プロの記事を読み漁ってたのを思い出しました。一人ひとりが懸命に生きてきた結果、今の格闘技界の下地が作られていたのですね。感慨深いです。
コメントありがとうございます!あの当時はちょうど週刊化されたタイミングでしたので、ホント面白かったです。その後のUWFという運動体がどうなって、誰がどういう貢献をしたのかは私なりにblogに書いていますので、よかったら覗いてみてください!
前田が述懐しているように、猪木は結局二股かけていたんでしょうね。クーデターが起きたことから、猪木は万一新日を追放された場合はUWFに行くつもりでいた。そしてあわよくば、かつてのようにテレ朝とフジの両方のテレビに出れたら儲けものと。このあたり、猪木は日プロ時代に主導権争いのゴタゴタで追放されているから、その記憶がよぎったのではないかと。日プロ時代、猪木はNETプロレスの看板だった縁で、結局NETと坂口に救われる形で新日を旗揚げできた。クーデター派も一時は猪木追放に傾いたらしいが、テレ朝の幹部に「猪木が抜けたら放送打ち切り」と言われて諦めたと聞く。アナログ地上波占有の時代は、テレビ局が絶対的決定権を握っていたということですね。
自分もとにかくタイガー(佐山)が好きだったので、東京12チャンネルでスポット放送されていた試合を友人に録画してもらって、何とかスーパータイガーの試合を観ていました。その後、前田とニールセンが戦った頃までのプロレスは面白かったですが、その後は本当の格闘技に傾倒していったため、UWFの分裂などは横目で見ながら「今度は3つに別れたのか」という感じでしたねぇ。
プロレスというよりもはや政治の世界なんだよなあ。ここで一旦揉めることにして、とかの会社の立てた筋書きじゃなくて、完全に個人の意志で動いている。本気でいまの団体抜けて新しいもの作って戦いに行くっていう、やり方は、もういまの日本のプロレス界だと起こしようがない気がする。いまのみんな仲良しのプロレス界も嫌いじゃないけど、この本気でガチガチにやりあってる空気は、やっぱりいいものだ〜。
コメントありがとうございます!そうなんですよね。後付けで「あれはアングル」とか「ブック」とか言って喜んでる輩が多いんですが、そんな単純なもんじゃない、というか、逆にそんな全部が周到に仕組まれたもんじゃないというか(笑)
この当時、毎週プロレス週刊誌を欠かさず買っていました。出来事を点としては把握していましたが、短期間に多くのことが起こり、消化しきれず、今に至っていました。この時の疑問の一つとして、馬場さんがUWFに外人レスラーをブっキングした理由が謎でした。ほぼ絶縁状態だったWWFとの関係改善を狙っていたとは、深いです。
旗揚げポスター、?マークあったの?😅知らなかった💦あの頃高校生でしたが、大宮旗揚げ戦は「はぁ?」、前田新王者には「ふざけるな!」藤原&髙田移籍には「なんで?」でしたがタイガー参戦と同時にUWF信者になりました(笑)旧UWFの試合はガチだと信じてたなあ。大阪の泉佐野総合体育館で入門テストを藤原さんに直談判して合格。「高校卒業したら上京しておいで」と後に新生Uの社長になった神さんから名刺を貰いました。諸般の事情で上京出来なかったけど旧UWFはそれからの私の人生の心の支えとなった懐かしい団体です😊
初代タイガーマスクの突然の引退でこれでもかと心が折れたのに、その上猪木までもが他団体に移籍したりしていたら、あの時にプロレスファンを続けていたのかどうか正直自信がないですね…。もちろんUWFでのザ・タイガーとしての復帰や後のスーパー・タイガーとしての活躍も嬉しかったですが、やっぱこれじゃない感も強かったですし、ライガーのような生涯新日みたいな世界線も見てみたかった気がします…。ただそれ以降のプロレス界の数多な事件やトラブルを見てきて随分と鍛えられ、そういうのも含めてプロレスなんだなと妙に納得出来るようにはなりましたけどね😁
コメントありがとうございます。過去、プロレス界のこういうゴタゴタでファンをやめた、という人もよく聞きます。私はむしろ興味が湧いて仕方なかったですがw
TERU さん、1970年生まれ・男のロマン動画、ありがとうございます😊。昔を思い出しながら、それぞれのテーマを楽しく、感心しながら、さらに、そうだったのかと納得しながら拝見しています。わたしの場合は、週刊ファイトを愛読し、I編集長の文字プロレスからロマンを馳せていました。あの当時のプロレスはリング内も外も、ほんとうに破天荒でした。自分も新日と猪木が好きでした。そうですねえ…、テーマの案として、やはり、古舘さんの言葉の魔術が、新日マットを彩ったと思うので、是非、古舘さんの名言から、プロレスを探索した動画を作って欲しいです。これからも男のロマン、感じさせてください。よろしくお願いします。💪
ありがとうございます。古舘名実況はぜひ取り上げたいのですが、権利問題で映像が使えず、音声も微妙でして、その点が難関です…
お忙しい中、ご返信、ありがとうございました😊。男のロマン!動画のおかげで、その理由分かって、棺おけに入ることができそうです。ホント、ありがとうございます。例えば…、ボックとは何ものだったのか、シンの狂気、大塚さんが何故前面に出て来たのか…、そして、気になっていた騒動と新間さんの舞台裏…無事で良かった、1番笑えたのは海賊男🏴☠️ブラックキャットでした。プロレス入場曲に関しての動画とか、いかがでしょうか?またまた、プロレスのグループに関する動画とか、例、NWO、維新、国際軍団、UWF、レボルーションなど追加して、新日から生まれた最強外国人選手の変遷…、やはりベイダーの強さはまとめて欲しいです。勝手千万で大変失礼します。当方、1965年生まれ、TERUさん、今後ともますますのご活躍を願っています。拝
83から84年のプロレス界は激動でしたね。Ifの世界ではないけど、猪木がIWGP優勝していたらタイガーマスク引退や分裂なかったかもだしもし、馬場さんが社長から会長で冷や飯食べてなければ絶対に大塚氏と業務提携や長州全日もあり得ないし当時は純粋のプロレス少年なのでどうして?どうして?でしたが様々な大人の事情が絡み合ったのでしょうね。今後の配信も楽しみにしております、
お疲れさまです。私は1975年からプロレスを見始めて、馬場さんはNWA&AWAの世界タイトルが最高とし、猪木さんはそれに反発しながら異種格闘技戦でプロレスが最強をうたってました。新日本がWWFから契約料金を跳ね上げられたために長州さんの維新革命で日本人対決をメインにしたあたりから、なぜかファンはリングでのファイトより引退、引き抜き、分裂、移籍などリング外の事件に感心が主になってしまった。私はこれはマスコミの責任と思っております。
小ネタですが、前田さん、高田さんなんかが、現役時代に履いていたリングシューズに縦にUWFとロゴが入ってるのが、凄くカッコよく観えました!
当時、東スポに「猪木、フジテレビに移籍か?」みたいな記事が出て「ありえない」と思いました。そのあと例の「万里の長城」ポスターが出て、これも「ありえない」と思った。なので第1次UWFの試合は全然見ていませんでした。UWFの見るようになったのは、新日本Uターン以降です。
新間さんがいた頃の新日本は本当に面白かった!
新間さんが居なければプロレス黄金時代はありませんでした。その人が結局プロレス界から去らなければならなかったのが、残念でなりません。あの企画力を超える人はもう出ないでしょう。プロレスが分裂、合流を繰り返して迷走している現状は、あの時から始まっていたと思います。
お疲れさまです。やっぱりアントンハイセルの失敗が原因でしたね。あとWWFの契約料金の値上げのために長州さんの維新革命で日本人対決をメインにすることによって遺恨や分裂、移籍、引き抜き、はたまたクーデターにつながったと思います。
クーデターからこの話しに至るまでをドラマ化したら一時間全11話軽く作れてしまう位のボリュームですね、兎に角昭和プロレスのリングの外の話しは面白い。
コメントありがとうございます!まさしく、2時間の映画ではもったいないドラマの連続で、それこそ大河ドラマで1年かけてやって欲しいくらいですw
この頃前田は魅力的でしたね。83年からその後数年間は。
ありがとうございます!そうでしたよね…w
お話見事でしたね僕は複雑な内容の時は結構予習し、話がうまくいった時はとても心地よいのですが、今回の動画は満足いく話ができたとご本人も思っているのではないでしょうか相方を置くのはいい選択だし、相方を置けない僕にとってはうらやましい(笑)50 過ぎて年上も年下もないけど年齢が僕より若い人の高い完成度を見て、もっとがんばらなきゃと思いましたね
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1975年からプロレスを見始めて、生で初めて見たのがUWFの立ち上げの大宮大会でした。新間さんちょっとあまりにもすべてを早く進めすぎた感想です。中でもWWFとの契約期間問題、新日本との委託契約、ショージコンチャ問題などなど。。。UWFの大会迫力あってよかったですよ。中止になった次のシリーズにトミー・リッチや未来日のルチャドールの来日楽しみにしていたのに残念に思いました。
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UWFスタイルのプロレスが誕生したのは偶然の産物だったのかもしれないが、あとから見ると「うまいこと考えたなあ」と思います。プロレスが下手な選手が、ぎこちない試合をやっても「あれは、ガチだから」と言い訳できるものね。そう思いませんか?
武藤曰くU行った奴らはアマチュア競技者の本当の実力を知らない奴ばかり。実際U系の選手で輝かしいアマでの実績がある人は皆無ですよね。本当の強さを理解しているアスリートがプロレスをショーと割り切って演じているのというのも面白いですね。
@@lowcomp9638 その「Uに行った連中」は、坂口や長州、谷津、武藤、馳らに負い目を感じていたのかもしれませんね。格闘技経験がないだけに「新日本の道場で強くなった」というしかない。
動画の中で出てくる梶原一騎の秘書「川島茂」は私の叔父で当時タイガーマスクのサインを頂いたりしました。
長編でしたね。あの当時の一つ一つの流れを思い出します。UWFのオープニングシリーズは蔵前国技館、無限大記念日は2日目に観に行ってました。蔵前ではテレビ中継もない薄暗いリング上で、新間さんがマイクを持ってゆっくり一周しながら、猪木が来なかった事を詫びてましたね。ところが無限大記念日は熱気ムンムンで、雰囲気がパッと明るくなっていたのには驚きました。やはりタイガーかな、と。試合はマッハ隼人とのシングルで、1年振りのファイトに大盛り上がりでしたから、集客を考えれば、新間さんを切ったのも仕方なかったのかなと。
コメントありがとうございます!蔵前と無限大、会場でご覧になってたのですね、羨ましい!当時、佐山タイガーの魅力には誰も敵いませんでしよね…
バックランドは全日で観たかったな鶴田とのタッグやアマレスエリート対決は双方に刺激になったろうし
新間さんは東京プロレスでも、猪木さんと離れ、新日本では数々の仕掛けを成功させ、猪木さんの片腕でした。猪木さんとの関係はある意味夫婦みたいなところもあり、尚更それが愛憎劇に発展してしまいました。この後を平成になり永島さんが引き継ぐ形になりますが、猪木さんに捨てられWJを旗揚げしますが、失敗。いい悪いは別として、とにかく猪木さんが全て廻していたわけですね。
コメントありがとうございます。結局のところ、すべては猪木だったんですよね。
新間さんのあの旗揚げポスターは今ならSNS巻き込んで大炎上でしょうね…。一部でセメント最強と言われサンボもかじってたラッシャーさんが、あのまま格闘色の強くなったUWFに残ってた世界線を見たいなと思ってます。
コメントありがとうございます!まさしく大炎上でしょうねwR木村さんがサンボやってて実はセメント強い、という説は聞きますけど、プロレスの強さはそれだけじゃないですからね…もうあの時にはそっちでやる気はご本人まったくなかったでしょうし、ファミリー軍団は良い選択だった気もします
昭和のプロレス界は、70年生まれの女のロマンでもあります!とってもわかりやすいお喋りで、新間さんという人物を深堀できました。
コメントありがとうございます!何気に最近、新間さんチャンネル化してますねw
新間さんがいなくなったのは新日にとっては痛かったですね。UWFも追い出されてプロレスゴールデンタイムの立役者に対してきつい仕打ちでしたね。
コメントありがとうございます!そうなのです、敵が多い新間氏ですが、アントニオ猪木があのタイミングでバッサリ切り捨てたホントの理由がずっと謎です。というより、その前後を見たらあの蜜月期間こそがイレギュラーだったのかも、と今にして思いますね…
この時代の資料や証言も大体出揃いましたね。当時は解らなかったけど食って行く事=カネが何よりも一番大事って事が分かる歳になりました。1970年に生まれた52のオッサンです😂
コメントありがとうございます!ようやく全体像が理解できるようになりました。そしておっしゃる通り、すべてのトラブルの裏にあるのは金なんですよね…第2次U崩壊時はもっとロマンがなくて金の話ばかりで酷いもんですw
猪木さんも新間さんも馬場さんも興行の世界の人だから、一般人の感覚とは違いました。興行を打つ以上、裏社会の組織とも関係があったろうし、まさに信長の戦国時代と同じ。鬼気迫る攻防がありましたね。馬場さんは家康タイプだったかな(笑)
もし新間さんがレスラー並みの大男だったら馬場、猪木クラスのカリスマレスラーになっていたかも……
過激な仕掛人は誰がやるんでしょうねえ(適当)
@@泉此方-v7k 様候補グレート東郷大山倍達村松友視梶原一騎…適当w
佐山が、新間と同じ方向を向いているなら、なぜテレ朝の欽どこに出たのだろう。
新間寿さんって、釣りバカ日誌の佐々木さんに似てますよね!
実務能力は雲泥の差がありますが笑
右のオジサンのリアクションがおかしい。そんなに笑ったり、驚いたりすることではない。
いい新日の若手(前田、高田、佐山)や全日のエースクラスで新団体を作りたかったとか?もしかしたらビンスjrのようになったかもしれない。新間さん。でなければなんなに佐山タイガーと揉めないですよね?
新間寿、最後の仕掛けでしょうか。新間さん自身にとっては不発に終わりました。新日クーデターの最大の犠牲者は紛れもなく新間さん。新間さんがいたころの新日がいちばん面白かったというTERUの意見に異存はありません。新間さんの喪失は、ある意味、佐山のそれより大きかったやも知れません。
映画ゴッドファーザークラス✌️愛と憎しみの新日🍺ドラマやー🍺新間ちゃんにフロントを任せておけばレスラーも稼げたねー🥲しかしスーパータイガー対AKIRA兄を生観戦した身からしたら当時の格闘プロレスは最高傑作!
コメントありがとうございます!まさしく大河ドラマ、ゴッドファーザーか仁義なき戦いか、ですよねw第一次での「実力No.1決定戦」には私も燃えました
@@romanlive こちらこそ!返信誠にありがとうございます♪😄ちょうど今、帰宅致しました!数年前?blogを見つけて最近UA-camに遭遇💪( '-' 💪 )ゲンキデスカー?🔥🔥🔥あの頃の時系列がかなり頭の中が整理され!拝聴しながら動画にあるようにスッキリして参りました☺️🤣
ポスターには?マークがついてたんですね(笑)
UWFは新日から発生したブランドみたいですね!そのおかけで、前田さんの知名度が上がり前田日明、UWFというブランド、ポリシーを持ち込んで、新日本に殴り込みをかけ、一気にスターレスラーになりました!
まさに激動の、戦前の第二次世界大戦みたいなすさまじい時代、当時中高生でどうなってるのかわからなかったのが何とか複雑難解な事態が理解出来た
馬場が絡んだことは当時知らなかった?ゴングで馬場ーテリールートでブッキングしたってことが掲載されてたぞ。
最大の謎は、「猪木さんは、本当にガチで強かったのか?」という事です。前田さん、ライガーさん、藤原さんも、この点については、論点をはぐらかします。唯一、新日OBでリングスのレフリーもしてらした北沢さんが、「猪木先生は、強かった」とおっしゃっているのが、唯一の救いです(笑)。新間さんは、何と言ってるのかなぁ?
まさにwblog読んでください!hobby.red-cm.com/
@@romanliveブログ、大変興味深く拝読致しました。道場で、リングスオランダ勢を締めまくっていた北沢さん(この方は、猪木さんの悪口を絶対言わないですよね)が証言しておられるので、少なくとも「1976年」までの猪木さんは、間違いなく強かったのだと思います。馳さんが、猪木さんの「タックル」、船木さんが「打撃」に関して酷評していたので、どうなんだよ猪木さん?と思っていたのですが、信者としては少しほっとしました。ブログの続きの③を楽しみにしてます。追記ですが、あの前田さんが最近、猪木さんに対して思いやる発言が増えているので、まぁ良かったなぁと思う昨今です(笑)。
@@カオル-t5h ありがとうございます!後追いで「打撃が」とか「タックルが」とかはいくらでも言えますよね。あの時代に、誰もやらなかった、やろうとも思わなかったことに常に挑んでいたことが偉大な訳で。最強!なんて言いませんが、間違いなく弱い訳がありませんよ。
@@romanlive おっしゃる通りです!決して「最強」ではなかったと思いますが、「プロフェッショナルレスラー」として、猪木さんは最高傑作だと思います。散々悪口を言っていた、長州さんも前田さんも、また最近ではあの高田さんまでも猪木さんに対して感謝の言葉を口にしていますよね。まぁ多分、猪木さんは「そんなの知らねぇよ、ムフフ」と言うと思いますが。You Tubeもブログも、凄く面白いです!更新、楽しみにしてまーす。
実力世界一とは言い切れないかとは?思います。全盛期だった74年から76年あたりでも。当時の世界プロレス会では少なくともベスト10には?個人的には入れたいです。様々検証すると、強さはともかく、柔軟な強さ!はあったと思います。しかしかっこよさならサイコウ!のレスラーだったと思います。
マッハも…
え?前田は新!格闘王やん!
コメントありがとうございます!「え?」も「やん!」の意味もわかりませんw
(笑)失礼致しました!ドン中矢戦の後にイチローさんが実況で新格闘王!と言外に猪木が格闘王!とあり☺️WOWOWのAKIRA兄さん引退試合でアナウンサーも単なる格闘王!みないなアナンスを😂
なるほど、そういう意味でしたかw確かにそういう流れなのですが、その前に猪木さんが「格闘王」と呼ばれてたことはほとんどなくて…なので猪木さんの次なので「新」というのは、私はどうにも違和感あるんですよw
@@romanlive なるほど🤔☺️プロレスは十人十色千差万別のそれぞれの当時の印象や思い出があるので!猪木流で格闘王!もそれぞれにありますよね!こちらもめちゃくちゃ理解が深まりました!ありがとうございます😊ちなみに文字に残せない😂エピソードや裏話✌️ございます☺️🤣
猪木は事前打ち合わせに乗らない、前田日明との試合は、自分の都合のいい言葉を並べ、逃げてましたからね。
明らかに逃げてましたよね。ただ、レスラーとしてアブラが乗っていたバリバリの前田が衰えた猪木を挑発しまくっている姿はちょっと大人気ない感じであまり共感できませんでした。まあ今になってみるとあれもアングルだったのかも知れませんが。
ふざけた宣伝ポスターでしたね。
確かに。この頃、新間は調子こいてましたね。
格闘技の世界でまともなの馬場と朝倉未来だけ。あとはみんな金にだらしない
新間がバリバリ仕掛けていたころの新日が一番おもしろかったというのは本当にそう思います。猪木といい長州といい新間といい、もっといえば力道山もそうですが、”みんなから好かれる人畜無害のいい人”では、この業界で天下は獲れないですよね。
コメントありがとうございます!そうなんですよね、いい意味で「狂って」ないと、熱狂は生み出せないと思います。
い8888@@romanlive
53歳のおじさんです。当時、夢中になって週プロの記事を読み漁ってたのを思い出しました。一人ひとりが懸命に生きてきた結果、今の格闘技界の下地が作られていたのですね。感慨深いです。
コメントありがとうございます!あの当時はちょうど週刊化されたタイミングでしたので、ホント面白かったです。その後のUWFという運動体がどうなって、誰がどういう貢献をしたのかは私なりにblogに書いていますので、よかったら覗いてみてください!
前田が述懐しているように、猪木は結局二股かけていたんでしょうね。
クーデターが起きたことから、猪木は万一新日を追放された場合はUWFに行くつもりでいた。そしてあわよくば、かつてのようにテレ朝とフジの両方のテレビに出れたら儲けものと。
このあたり、猪木は日プロ時代に主導権争いのゴタゴタで追放されているから、その記憶がよぎったのではないかと。
日プロ時代、猪木はNETプロレスの看板だった縁で、結局NETと坂口に救われる形で新日を旗揚げできた。
クーデター派も一時は猪木追放に傾いたらしいが、テレ朝の幹部に「猪木が抜けたら放送打ち切り」と言われて諦めたと聞く。
アナログ地上波占有の時代は、テレビ局が絶対的決定権を握っていたということですね。
自分もとにかくタイガー(佐山)が好きだったので、東京12チャンネルでスポット放送されていた試合を友人に録画してもらって、何とかスーパータイガーの試合を観ていました。その後、前田とニールセンが戦った頃までのプロレスは面白かったですが、その後は本当の格闘技に傾倒していったため、UWFの分裂などは横目で見ながら「今度は3つに別れたのか」という感じでしたねぇ。
プロレスというよりもはや政治の世界なんだよなあ。
ここで一旦揉めることにして、とかの会社の立てた筋書きじゃなくて、完全に個人の意志で動いている。
本気でいまの団体抜けて新しいもの作って戦いに行くっていう、やり方は、もういまの日本のプロレス界だと起こしようがない気がする。
いまのみんな仲良しのプロレス界も嫌いじゃないけど、この本気でガチガチにやりあってる空気は、やっぱりいいものだ〜。
コメントありがとうございます!そうなんですよね。後付けで「あれはアングル」とか「ブック」とか言って喜んでる輩が多いんですが、そんな単純なもんじゃない、というか、逆にそんな全部が周到に仕組まれたもんじゃないというか(笑)
この当時、毎週プロレス週刊誌を欠かさず買っていました。
出来事を点としては把握していましたが、短期間に多くのことが起こり、消化しきれず、今に至っていました。
この時の疑問の一つとして、馬場さんがUWFに外人レスラーをブっキングした理由が謎でした。
ほぼ絶縁状態だったWWFとの関係改善を狙っていたとは、深いです。
旗揚げポスター、?マークあったの?😅知らなかった💦
あの頃高校生でしたが、大宮旗揚げ戦は「はぁ?」、前田新王者には「ふざけるな!」藤原&髙田移籍には「なんで?」でしたがタイガー参戦と同時にUWF信者になりました(笑)
旧UWFの試合はガチだと信じてたなあ。大阪の泉佐野総合体育館で入門テストを藤原さんに直談判して合格。「高校卒業したら上京しておいで」と後に新生Uの社長になった神さんから名刺を貰いました。諸般の事情で上京出来なかったけど旧UWFはそれからの私の人生の心の支えとなった懐かしい団体です😊
初代タイガーマスクの突然の引退でこれでもかと心が折れたのに、その上猪木までもが他団体に移籍したりしていたら、あの時にプロレスファンを続けていたのかどうか正直自信がないですね…。
もちろんUWFでのザ・タイガーとしての復帰や後のスーパー・タイガーとしての活躍も嬉しかったですが、やっぱこれじゃない感も強かったですし、ライガーのような生涯新日みたいな世界線も見てみたかった気がします…。
ただそれ以降のプロレス界の数多な事件やトラブルを見てきて随分と鍛えられ、そういうのも含めてプロレスなんだなと妙に納得出来るようにはなりましたけどね😁
コメントありがとうございます。過去、プロレス界のこういうゴタゴタでファンをやめた、という人もよく聞きます。私はむしろ興味が湧いて仕方なかったですがw
TERU さん、1970年生まれ・男のロマン動画、ありがとうございます😊。
昔を思い出しながら、それぞれのテーマを楽しく、感心しながら、さらに、そうだったのかと納得しながら拝見しています。
わたしの場合は、週刊ファイトを愛読し、I編集長の文字プロレスからロマンを馳せていました。
あの当時のプロレスはリング内も外も、ほんとうに破天荒でした。
自分も新日と猪木が好きでした。
そうですねえ…、
テーマの案として、やはり、古舘さんの言葉の魔術が、新日マットを彩ったと思うので、是非、古舘さんの名言から、プロレスを探索した動画を作って欲しいです。
これからも男のロマン、感じさせてください。よろしくお願いします。💪
ありがとうございます。古舘名実況はぜひ取り上げたいのですが、権利問題で映像が使えず、音声も微妙でして、その点が難関です…
お忙しい中、ご返信、ありがとうございました😊。男のロマン!動画のおかげで、その理由分かって、棺おけに入ることができそうです。ホント、ありがとうございます。例えば…、ボックとは何ものだったのか、シンの狂気、大塚さんが何故前面に出て来たのか…、そして、気になっていた騒動と新間さんの舞台裏…無事で良かった、1番笑えたのは海賊男🏴☠️ブラックキャットでした。
プロレス入場曲に関しての動画とか、いかがでしょうか?
またまた、プロレスのグループに関する動画とか、例、NWO、維新、国際軍団、UWF、レボルーションなど
追加して、新日から生まれた最強外国人選手の変遷…、やはりベイダーの強さはまとめて欲しいです。
勝手千万で大変失礼します。当方、1965年生まれ、TERUさん、今後ともますますのご活躍を願っています。拝
83から84年のプロレス界は激動でしたね。
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タイガーマスク引退や分裂なかったかもだし
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様々な大人の事情が絡み合ったのでしょうね。
今後の配信も楽しみにしております、
お疲れさまです。
私は1975年からプロレスを見始めて、馬場さんはNWA&AWAの世界タイトルが最高とし、猪木さんはそれに反発しながら異種格闘技戦でプロレスが最強をうたってました。新日本がWWFから契約料金を跳ね上げられたために長州さんの維新革命で日本人対決をメインにしたあたりから、なぜかファンはリングでのファイトより引退、引き抜き、分裂、移籍などリング外の事件に感心が主になってしまった。私はこれはマスコミの責任と思っております。
小ネタですが、前田さん、高田さんなんかが、現役時代に履いていたリングシューズに縦にUWFとロゴが入ってるのが、凄くカッコよく観えました!
当時、東スポに「猪木、フジテレビに移籍か?」みたいな記事が出て「ありえない」と思いました。そのあと例の「万里の長城」ポスターが出て、これも「ありえない」と思った。なので第1次UWFの試合は全然見ていませんでした。UWFの見るようになったのは、新日本Uターン以降です。
新間さんがいた頃の新日本は本当に面白かった!
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あの企画力を超える人はもう出ないでしょう。プロレスが分裂、合流を繰り返して迷走している現状は、あの時から始まっていたと思います。
お疲れさまです。
やっぱりアントンハイセルの失敗が原因でしたね。あとWWFの契約料金の値上げのために長州さんの維新革命で日本人対決をメインにすることによって遺恨や分裂、移籍、引き抜き、はたまたクーデターにつながったと思います。
クーデターからこの話しに至るまでをドラマ化したら一時間全11話軽く作れてしまう位のボリュームですね、兎に角昭和プロレスのリングの外の話しは面白い。
コメントありがとうございます!まさしく、2時間の映画ではもったいないドラマの連続で、それこそ大河ドラマで1年かけてやって欲しいくらいですw
この頃前田は魅力的でしたね。83年からその後数年間は。
ありがとうございます!そうでしたよね…w
お話見事でしたね
僕は複雑な内容の時は結構予習し、話がうまくいった時はとても心地よいのですが、今回の動画は満足いく話ができたとご本人も思っているのではないでしょうか
相方を置くのはいい選択だし、相方を置けない僕にとってはうらやましい(笑)
50 過ぎて年上も年下もないけど年齢が僕より若い人の高い完成度を見て、もっとがんばらなきゃと思いましたね
国際が潰れて3年後1984年 UWF設立
今は、新団体なんて珍しくないけど当時は、新日本プロレス 全日本プロレスの他団体が出来るのは、驚いた
大宮スケートセンターの控え室でベルトを肩にかけた前田と高田が並んているグラビア記事を週プロかなんかで観たの覚えてますここから4年後新生UWFそしてここから3年後Uが分裂、前田と、高田は別々の道へ
今思うと時の流れは、あっと言う間
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あの当時はどうなるのか?と思いました。
故猪木さん、新間さん、大塚さんとで大もめにもめたイメージでしたし、選手そっちのけで新日本プロレスが分裂し、UWFは新間さん、ジャパンプロは大塚さんと新日本のだれが抜けるんだろうと思いましたし、藤波さんが抜けなかったことで、現在の新日本はなかったな~と思いますし、この問題に巻き込まれたのは新日本サイドでは藤波さん、Uサイドでは山崎一夫さん、ジャパンでは小林邦明さんかなと思う。
藤波さんは猪木さん、新間さん、大塚さんと親交があり、どっちつかずで、いろいろとこんにゃくだとか言われたが自分の仕事をしていたと思うし、そこで長州さん、前田さんとも身体を張ってプロレスをしてたし、長州前田から藤波さんへの批判がなかったのは割り切ってプロの試合をしてくれる藤波さんを評価してのことだと思う。
山崎さんは佐山さんのタイガージム、タイガーが潰れたあと第一次UWFに移籍し、ここでも潰れ、新日本に移籍し、前田さんと行動とともにし、第二次UWF参加し、メガネスーパーやWOWOWの放送問題でUWF大分裂し、今度は高田さんと行動とともにしてUWFインターに参加し、山崎さんにしてもUインターでも不遇な扱いを受けて脱退し、長州さんから「山崎はどうしている、山崎はどう思っている」と長州さんも新日本の現場監督をしていたため、山崎の実力を買っており、その後スムーズに新日本に移籍し、新日本の道場をも任せてくれたことで安心して仕事ができ、引退後も整体師の仕事をしている。
小林邦明さんも分裂問題で、長州さんと一緒に行動を共にし、新日本分裂、ジャパン分裂と仕事ができなかったと思う。出戻りしてからは上野毛道場の寮長になり、これも山崎さん同様、新日本で後輩を育てて現在に至っている。
この騒動で、泥をかぶったのは新日本では藤波さん、Uでは山崎さん、小林邦明さんかなと思う。
UWFスタイルのプロレスが誕生したのは偶然の産物だったのかもしれないが、あとから見ると「うまいこと考えたなあ」と思います。プロレスが下手な選手が、ぎこちない試合をやっても「あれは、ガチだから」と言い訳できるものね。そう思いませんか?
武藤曰くU行った奴らはアマチュア競技者の本当の実力を知らない奴ばかり。
実際U系の選手で輝かしいアマでの実績がある人は皆無ですよね。
本当の強さを理解しているアスリートがプロレスをショーと割り切って演じているのというのも面白いですね。
@@lowcomp9638
その「Uに行った連中」は、坂口や長州、谷津、武藤、馳らに負い目を感じていたのかもしれませんね。格闘技経験がないだけに「新日本の道場で強くなった」というしかない。
動画の中で出てくる梶原一騎の秘書「川島茂」は私の叔父で
当時タイガーマスクのサインを頂いたりしました。
長編でしたね。あの当時の一つ一つの流れを思い出します。UWFのオープニングシリーズは蔵前国技館、無限大記念日は2日目に観に行ってました。蔵前ではテレビ中継もない薄暗いリング上で、新間さんがマイクを持ってゆっくり一周しながら、猪木が来なかった事を詫びてましたね。ところが無限大記念日は熱気ムンムンで、雰囲気がパッと明るくなっていたのには驚きました。やはりタイガーかな、と。試合はマッハ隼人とのシングルで、1年振りのファイトに大盛り上がりでしたから、集客を考えれば、新間さんを切ったのも仕方なかったのかなと。
コメントありがとうございます!蔵前と無限大、会場でご覧になってたのですね、羨ましい!当時、佐山タイガーの魅力には誰も敵いませんでしよね…
バックランドは全日で観たかったな
鶴田とのタッグやアマレスエリート対決は双方に刺激になったろうし
新間さんは東京プロレスでも、猪木さんと離れ、新日本では数々の仕掛けを成功させ、猪木さんの片腕でした。猪木さんとの関係はある意味夫婦みたいなところもあり、尚更それが愛憎劇に発展してしまいました。この後を平成になり永島さんが引き継ぐ形になりますが、猪木さんに捨てられWJを旗揚げしますが、失敗。いい悪いは別として、とにかく猪木さんが全て廻していたわけですね。
コメントありがとうございます。結局のところ、すべては猪木だったんですよね。
新間さんのあの旗揚げポスターは今ならSNS巻き込んで大炎上でしょうね…。一部でセメント最強と言われサンボもかじってたラッシャーさんが、あのまま格闘色の強くなったUWFに残ってた世界線を見たいなと思ってます。
コメントありがとうございます!まさしく大炎上でしょうねw
R木村さんがサンボやってて実はセメント強い、という説は聞きますけど、プロレスの強さはそれだけじゃないですからね…もうあの時にはそっちでやる気はご本人まったくなかったでしょうし、ファミリー軍団は良い選択だった気もします
昭和のプロレス界は、70年生まれの女のロマンでもあります!とってもわかりやすいお喋りで、新間さんという人物を深堀できました。
コメントありがとうございます!何気に最近、新間さんチャンネル化してますねw
新間さんがいなくなったのは新日にとっては痛かったですね。UWFも追い出されてプロレスゴールデンタイムの立役者に対してきつい仕打ちでしたね。
コメントありがとうございます!そうなのです、敵が多い新間氏ですが、アントニオ猪木があのタイミングでバッサリ切り捨てたホントの理由がずっと謎です。というより、その前後を見たらあの蜜月期間こそがイレギュラーだったのかも、と今にして思いますね…
この時代の資料や証言も大体出揃いましたね。
当時は解らなかったけど食って行く事=カネが
何よりも一番大事って事が分かる歳になりました。
1970年に生まれた52のオッサンです😂
コメントありがとうございます!ようやく全体像が理解できるようになりました。そしておっしゃる通り、すべてのトラブルの裏にあるのは金なんですよね…第2次U崩壊時はもっとロマンがなくて金の話ばかりで酷いもんですw
猪木さんも新間さんも馬場さんも興行の世界の人だから、一般人の感覚とは違いました。興行を打つ以上、裏社会の組織とも関係があったろうし、まさに信長の戦国時代と同じ。鬼気迫る攻防がありましたね。馬場さんは家康タイプだったかな(笑)
もし新間さんがレスラー並みの大男だったら馬場、猪木クラスのカリスマレスラーになっていたかも……
過激な仕掛人は誰がやるんでしょうねえ(適当)
@@泉此方-v7k 様
候補
グレート東郷
大山倍達
村松友視
梶原一騎…適当w
佐山が、新間と同じ方向を向いているなら、なぜテレ朝の欽どこに出たのだろう。
新間寿さんって、釣りバカ日誌の佐々木さんに似てますよね!
実務能力は雲泥の差がありますが笑
右のオジサンのリアクションがおかしい。
そんなに笑ったり、驚いたりすることではない。
いい新日の若手(前田、高田、佐山)や全日のエースクラスで新団体を作りたかったとか?もしかしたらビンスjrのようになったかもしれない。新間さん。でなければなんなに佐山タイガーと揉めないですよね?
新間寿、最後の仕掛けでしょうか。新間さん自身にとっては不発に終わりました。新日クーデターの最大の犠牲者は紛れもなく新間さん。新間さんがいたころの新日がいちばん面白かったというTERUの意見に異存はありません。新間さんの喪失は、ある意味、佐山のそれより大きかったやも知れません。
映画ゴッドファーザークラス✌️
愛と憎しみの新日🍺
ドラマやー🍺
新間ちゃんにフロントを任せておけば
レスラーも稼げたねー🥲
しかし
スーパータイガー対AKIRA兄を
生観戦した身からしたら
当時の格闘プロレスは
最高傑作!
コメントありがとうございます!まさしく大河ドラマ、ゴッドファーザーか仁義なき戦いか、ですよねw第一次での「実力No.1決定戦」には私も燃えました
@@romanlive
こちらこそ!
返信誠にありがとうございます♪😄
ちょうど今、帰宅致しました!
数年前?blogを見つけて
最近UA-camに
遭遇💪( '-' 💪 )ゲンキデスカー?🔥🔥🔥
あの頃の
時系列が
かなり頭の中が整理され!
拝聴しながら
動画にあるように
スッキリして参りました☺️🤣
ポスターには?マークがついてたんですね(笑)
UWFは新日から発生したブランドみたいですね!そのおかけで、前田さんの知名度が上がり前田日明、UWFというブランド、ポリシーを持ち込んで、新日本に殴り込みをかけ、一気にスターレスラーになりました!
まさに激動の、戦前の第二次世界大戦みたいなすさまじい時代、当時中高生でどうなってるのかわからなかったのが何とか複雑難解な事態が理解出来た
馬場が絡んだことは当時知らなかった?
ゴングで馬場ーテリールートでブッキングしたってことが掲載されてたぞ。
最大の謎は、「猪木さんは、本当にガチで強かったのか?」という事です。前田さん、ライガーさん、藤原さんも、この点については、論点をはぐらかします。唯一、新日OBでリングスのレフリーもしてらした北沢さんが、「猪木先生は、強かった」とおっしゃっているのが、唯一の救いです(笑)。新間さんは、何と言ってるのかなぁ?
まさにwblog読んでください!
hobby.red-cm.com/
@@romanlive
ブログ、大変興味深く拝読致しました。道場で、リングスオランダ勢を締めまくっていた北沢さん(この方は、猪木さんの悪口を絶対言わないですよね)が証言しておられるので
、少なくとも「1976年」までの猪木さんは、間違いなく強かったのだと思います。馳さんが、猪木さんの「タックル」、船木さんが「打撃」に関して酷評していたので、どうなんだよ猪木さん?と思っていたのですが、信者としては少しほっとしました。ブログの続きの③を楽しみにしてます。追記ですが、あの前田さんが最近、猪木さんに対して思いやる発言が増えているので、まぁ良かったなぁと思う昨今です(笑)。
@@カオル-t5h ありがとうございます!後追いで「打撃が」とか「タックルが」とかはいくらでも言えますよね。あの時代に、誰もやらなかった、やろうとも思わなかったことに常に挑んでいたことが偉大な訳で。最強!なんて言いませんが、間違いなく弱い訳がありませんよ。
@@romanlive
おっしゃる通りです!決して「最強」ではなかったと思いますが、「プロフェッショナルレスラー」として、猪木さんは最高傑作だと思います。散々悪口を言っていた、長州さんも前田さんも、また最近ではあの高田さんまでも猪木さんに対して感謝の言葉を口にしていますよね。まぁ多分、猪木さんは「そんなの知らねぇよ、ムフフ」と言うと思いますが。You Tubeもブログも、凄く面白いです!更新、楽しみにしてまーす。
実力世界一とは言い切れないかとは?思います。全盛期だった74年から76年あたりでも。当時の世界プロレス会では少なくともベスト10には?個人的には入れたいです。様々検証すると、強さはともかく、柔軟な強さ!はあったと思います。しかしかっこよさならサイコウ!のレスラーだったと思います。
マッハも…
え?前田は新!格闘王やん!
コメントありがとうございます!「え?」も「やん!」の意味もわかりませんw
(笑)失礼致しました!
ドン中矢戦の後に
イチローさんが
実況で
新格闘王!と
言外に
猪木が格闘王!
とあり☺️
WOWOWのAKIRA兄さん引退試合
で
アナウンサーも
単なる格闘王!
みないな
アナンスを😂
なるほど、そういう意味でしたかw
確かにそういう流れなのですが、その前に猪木さんが「格闘王」と呼ばれてたことはほとんどなくて…なので猪木さんの次なので「新」というのは、私はどうにも違和感あるんですよw
@@romanlive なるほど🤔☺️
プロレスは
十人十色
千差万別の
それぞれの当時の
印象や思い出
があるので!
猪木流で
格闘王!
も
それぞれにありますよね!
こちらも
めちゃくちゃ
理解が深まりました!
ありがとうございます😊
ちなみに
文字に残せない😂
エピソードや
裏話✌️
ございます☺️🤣
猪木は事前打ち合わせに乗らない、前田日明との試合は、自分の都合のいい言葉を並べ、逃げてましたからね。
明らかに逃げてましたよね。
ただ、レスラーとしてアブラが乗っていたバリバリの前田が衰えた猪木を挑発しまくっている姿はちょっと大人気ない感じであまり共感できませんでした。
まあ今になってみるとあれもアングルだったのかも知れませんが。
ふざけた宣伝ポスターでしたね。
確かに。この頃、新間は調子こいてましたね。
格闘技の世界でまともなの馬場と朝倉未来だけ。あとはみんな金にだらしない