Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
これは猪木さんの偉大な功績ですよね。ソ連を説明するのが現代では困難ですが猪木さんが風穴を空けてソ連のスポーツ界にでかい衝撃を与えたのは確かだし関係者を含めて彼らが世界を知りそれに対峙する機会を与えたのは真剣にノーベル平和賞レベルの行為だと思います。成り立たせて成功させた剛腕に痺れますね。政治家時代のイラク人質解放交渉もそうだし勿論アリ戦もですが世界を相手にした時の輝きや強さは特別な魅力だと思うし歴史的な人物として評価されていくだろう偉人。
現在アラサーのにわかプロレスファンです。有田と週刊プロレスから昭和プロレスに興味を持ち、貴方のブログにたどり着きました!毎日読ませて貰ってます!その度に心の底から今のアラフィフ世代の方が羨ましいと思います。自分も昭和プロレスの熱気をリアルタイムで感じたかったなぁ、、、、
コメントありがとうございます!ホント、昭和のプロレスは面白かった!当たり外れはもちろんありましたけど、男のロマンとしか言いようのないスケールのデカさがありました。これからも宜しくお願いします!
当時はネットが無かった。毎週木曜日にプロレス雑誌を走って買いに行ってたよ。興奮しながら夢中で読んだ。ネットが無かったからいろんなギミックが成功したファンタジー溢れる時代だった。週刊少年サンデーのプロレススーパースター列伝も嘘ばっかりで、面白かった。アンドレが木こりだとかね。
ビガロ評に大納得です🙂本当に素晴らしいプロレスラーでした
コメントありがとうございます!あの時期、ビガロとベイダーが揃ってたのはスゴイですよね。ビガロベイダーvsスタイナーズは日本での外国人タッグ戦でキッドスミスvsマレンコと並ぶベストバウトだと思います!
自分はあのザンギエフ戦で橋本をずっと見ていこうと決めました。猪木の負けはものすごくショックでしたねえ。あの裏投げを超える裏投げは無いんじゃないかと。猪木はこの前年辺りから死に場所をリングに求めてる猪木と、いつまでもスーパースターでありたい猪木が同居しているように感じました。
懐かしいですねぇ😊仰る通りプロレスなのに、この大会には勝負論と観客論が上手くマッチした大会に見えました😀さすが猪木さんですよね。当時新生UWFに一矢報いたプロジェクトでした😅
当時中2で兄貴と東京ドームに行きましたが、どうせガラガラなんだろうなと思っていたから入った瞬間座席の7〜8割は埋まっていて壮観で感動したのを覚えています。ハシミコフよりも実力上と言われていたソスランアンディエフ見てみたかったです。ちなみにビガロvsハシミコフは2分26秒で決着しています😊
初めて聞くエピソードもあり、興味深く面白かったです。この大会は観に行けてないのですが、この時のビガロvsハシミコフは、プロレスは長きゃ良いってもんじゃない見本だと思ってます。あの短い中に両者の良さやプロレスの面白さが詰まった名勝負でした。
コメントありがとうございます!まさにビガロとハシミコフはあの衝撃のフィニッシュ一発!がよかったんですよね。あれより長いときっとボロが出てたでしょう。
闘強導夢、ホント懐かしいなぁ〜!!あの頃は真剣に真面目にプロレス見てたよ。ただ猪木の強さはちょっと陰っていたが…
1989年以前まではソ連のレスラーというのはオリンピックでしか見られず、しかも日本人でも勝てなかった。しかもあのベイダーからIWGPヘビー級チャンピオン奪取したハシミコフは強かったと思いますし、アメリカもプロレス大国で、しかも反則なしの真剣勝負をし、アメリカのレスラーのブラッド・レイガンズ、バズ・ソイヤー、スティーブ・ウイリアムス、ビッグバンベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロが真剣に勝負してた。ソ連のレスラーもまたWCWの会場に立たせ、日本、アメリカ、ソ連がいままでにない交流があってすごく盛り上がったと思う。また新日本も山田恵一(現獣神サンダー・ライガー)、飯塚とソ連・東欧選手の持っている技である裏投げをブリザードスープレックスと言う名前でサンボの技術を取り入れたことで今まで見たことがない技を見られ、発展したことは言うまでもないと思います。
榊原さんと未来が2人で話し合うトコなんてまず観られない...いい企画だと思う👍😇
飯塚vsビクタシェフの異種格闘技戦も割といい試合だったなぁ。
バブル真っ只中ですね。懐かしい。このドーム後、猪木は参院選で当選しましたから。後々の民主党政権と似たようなノリの社会党ブームの中でスポーツ平和党は健闘しました。
この時の円形リングは大阪のリマッチと平成維震軍旗上げ戦のメイン(越中VSシン レフェリー猪木)でも使用されています。
私自身、毎年新日のドームに新潟から馳せ参じるのが恒例で(ただし、コロナ禍でこの2年間は遠ざかってますが)、この時新日が開催しなければその後のドームプロレスも無かったか…と思うと、改めてこの時のドーム初開催という英断に拍手を送りたいです
コメントありがとうございます!まさに一歩踏み出す勇気、ですね。
そもそも映画のロッキー4でも米ソ対決が行われていて、それに肖ってプロレス版の日ソ対決も実現しようという展開でしたよね?それと自分は最初の大会こそ生観戦出来ませんでしたが、次の年から暫くは毎年生観戦に行っていた記憶があります😁それにしても業界的にはほとんど定着しませんでしたが、個人的には闘強導夢というネーミングも好きでした👍それ以来、新日の東京ドーム大会の翌日にタイソンがダグラスに負けた大番狂わせが起こったり、女子プロのオールスター戦、全日、SWS+WWF、UWF等々、数々の団体がドームに進出しましたよね✌中には週プロ主催の虹の架け橋なんて大会までありましたし😁自分は全大会を見に行った訳ではありませんが、ドームでは野球場なのに、野球よりも先にプロレスを観たという経験をしましたよ😁
コメントありがとうございます!ロッキーには影響受けていたでしょうね。「闘強導夢」というネーミングはケロちゃん発でしたっけ…当時、そんなこと聞いた記憶があります。
いや、闘強導夢のネーミングはおっさんプロレスファンには定番ですよ。むしろ、東京ドームっていうよりこっちの方がしっくりくる。長州VS天龍、猪木VS天龍が続いたこの頃は最高に待ち遠しい大会だった。ちなみに自分もドームで野球見たことない。
@@user-dp3lb4dn2k さん自分は野球ファンでもあるので、ドームで野球を観た事はありますが、これもプロレスファンあるあると思われる蔵前や両国の国技館で相撲を観た事がありませんし、後楽園ホールでボクシングを観た事もありません…。
この時の東京ドーム大会行きました。新日本も気合が入っていたのかチケットのサイズが異常に大きくてビックリした記憶があります。
コメントありがとうございます!私も行きましたが、チケットについては忘れてましたw
バズソイヤーvsザンギエフすげー盛り上がった記憶があるなー
コメントありがとうございます!ソイヤーはソ連とやる時イキイキしてましたね!
初の東京ドーム大会、TVで観戦しました。よく覚えています。猪木さんの環状線の理論が発端の大会。プロレスファンでない環状線の外から集めよ、未だに分かったような、分からないような(笑) ほぼ詭弁に等しいような気がしますが、もはや、どうでもいいです(笑) IWGPのワンナイトトーナメントは良かったですね。橋本の出世試合でした。それしても、さすがアントニオ猪木。
30年前、大学時代、シベリア鉄道でハバロフスクからモスクワまで旅行したことがあるんですが、日本人が乗ってると分かったらウオッカを持って自分たちのコンパートメントに乗客から乗務員が次から次へと訪れてくる(笑)片言の英語でスポーツ談議になった時「チョチョシビリって有名なの?アントニオ猪木に勝った柔道家なんだけど」と聞いたら「知らない」と即答されました。ロシア人にとってジョージアの柔道家なんて興味なかったんでしょうね。
猪木がウィリアムルスカをバックドロップでKOしてその後時がたって、今度は逆にチョチョシビリに裏投げでKOされるという柔道で始まった異種格闘技戦を最後は柔道で終わる、ドラマを見せてくれますねアントニオ猪木と言うレスラーは。
コメントありがとうございます。ホントに、格闘技戦のエンディングに相応しい敗北でした。だからリターンマッチは余計でしたよね。
この大会のメインを張ったチョチョシビリが銅メダルを獲得したモントリオールオリンピックの一つ下の階級で同じく銅メダルを獲得したのがアレンコージ時代のバッドニュースアレンだったらしいですね⁉️
コメントありがとうございます!確かに、モントリオール柔道メダリストにアレン・コージとチョチョシビリが並んでますね!
@@romanlive さんちなみにそのモントリオールオリンピックで、ボクシングのそれぞれの階級で金メダルを獲得したのが、レオンとマイケルのスピンクス兄弟らしいですし、そのレオンスピンクスやアレンコージ、チョチョシビリと対戦した猪木さんとは本当に凄い縁で結ばれていると思いました😁
若い私から見てら、この様な話が物凄く興奮してしまいます‼️その後に前田日明がロシアへ行RINGSへ繋がるんですね(๑•̀ㅁ•́ฅ✨
どストレートな説明をしても馬鹿にして言うことなんか聞かないし、いいプロレスラーにはならないからw猪木さんのそうゆう感覚って凄いですよねぇ
面白い!
ありがとうございます!
サルマン・ハシミコフ…。Uインターで高田延彦と戦った時が有ったなぁ!
レッドブル軍団以前にもニキタ・コロフやイワン・コロフなどのソ連系レスラーがいましたね。…ってニセロシア人だったのかw
紅い眼鏡よりレッドブル軍団の曲ってイメージ強い。そして、ソ連からロシア、旧共産圏の流れは前田が受け継ぐことになる。
レッドブル軍団😁サルマンハシミコフ❗
29:46 例えが悪いかもしれませんが、かつてのおニャン子クラブも最初は「素人」を売りにし、それで人気が出たのですが、「夕焼け~」以外の歌謡番組などにも出るようになって、出れば出るほど逆にその「素人臭さ」が仇となって、徐々に人気にかげりが出ていった、ということもありました。レッドブル軍団も、最初は「まだ見ぬ強豪」ということで話題を呼び、格闘技術は高かったものの、やはりプロのレスラーとしては「素人」で、彼らなりにもプロレスに馴染もうとしたのでしょうけれど、結局、やればやるほどそういう「素人臭さ」というものが露呈してしまったのでは、と感じました。ちなみにFMWにもグレゴリー・ベリチェフというソ連系の柔道家が参戦していましたが、ベリチェフはプロレスにそこそこ馴染んでいたように思えます。
そもそも、おニャン子の素人というのはギミック設定。モデル経験者や子役経験者が殆どだったし某M奈代はバーニング傘下のスクール出身だった。
ソビエト 煽り 盛り上がりました。
コメントありがとうございます!「ソ連が来た!」ですからね、コワイです
この東京ドームのプロレス初興行はもちろん観に行きました。受け身の取れないスープレックスで投げるとか、力がムチャクチャ強いとか、物凄い前宣伝で煽って、事実猪木の異種格闘技初黒星になったチョチョシビリやハシミコフら強豪揃いだったんですが、すぐにメッキが剥がれてしまい、ゴツゴツした強さがあったザンギエフ等は、新日にシリーズ参加するようになると、相手をサソリ固めに決めてガッツポーズをするとか、すっかりプロレス慣れしてしまい、噛み合わないギクシャクした緊張感と迫力、面白みはなくなってしまいましたね。M高橋は例の本では、ソ連勢とは一緒に練習をし、楽しく食事もし、合宿もしたって言ってたかな。最初から殺気みたいなのはなかったって意味合いの話をしてたから、染まってしまうのは時間の問題だったのかも知れませんね、
コメントありがとうございます!プロレスに慣れたら慣れたで、慣れなきゃ慣れないで批判されたでしょうからね、プロレスは難しいですね…
チョチョシビリが猪木の引退説 これは一理ある
新日本が低迷していた頃ですよね。東京ドームなんて何考えているんだと呆れましたね。絶対にコケてつぶれると思っていましたよ。タイガーマスク時代ならともかく、この頃は前田UWF人気でしたからね。
ワッハエブロエフ名古屋でベイダーにボコられましたよね。
コメントありがとうございます!対ソ連戦ではアメリカ勢も普段より力が入ってた気がしますねw
カレリンにも触手を伸ばしてたらしいですね。
コメントありがとうございます!カレリンは当時でも大物過ぎたんでしょうね。引っ張り出した日明兄さんも大したものですよね。
これは猪木さんの偉大な功績ですよね。ソ連を説明するのが現代では困難ですが猪木さんが風穴を空けてソ連のスポーツ界にでかい衝撃を与えたのは確かだし関係者を含めて彼らが世界を知りそれに対峙する機会を与えたのは真剣にノーベル平和賞レベルの行為だと思います。成り立たせて成功させた剛腕に痺れますね。
政治家時代のイラク人質解放交渉もそうだし勿論アリ戦もですが世界を相手にした時の輝きや強さは特別な魅力だと思うし歴史的な人物として
評価されていくだろう偉人。
現在アラサーのにわかプロレスファンです。
有田と週刊プロレスから昭和プロレスに興味を持ち、貴方のブログにたどり着きました!
毎日読ませて貰ってます!
その度に心の底から今のアラフィフ世代の方が羨ましいと思います。
自分も昭和プロレスの熱気をリアルタイムで感じたかったなぁ、、、、
コメントありがとうございます!ホント、昭和のプロレスは面白かった!当たり外れはもちろんありましたけど、男のロマンとしか言いようのないスケールのデカさがありました。これからも宜しくお願いします!
当時はネットが無かった。毎週木曜日にプロレス雑誌を走って買いに行ってたよ。
興奮しながら夢中で読んだ。ネットが無かったからいろんなギミックが成功したファンタジー溢れる時代だった。
週刊少年サンデーのプロレススーパースター列伝も嘘ばっかりで、面白かった。アンドレが木こりだとかね。
ビガロ評に大納得です🙂
本当に素晴らしいプロレスラーでした
コメントありがとうございます!あの時期、ビガロとベイダーが揃ってたのはスゴイですよね。ビガロベイダーvsスタイナーズは日本での外国人タッグ戦でキッドスミスvsマレンコと並ぶベストバウトだと思います!
自分はあのザンギエフ戦で橋本をずっと見ていこうと決めました。
猪木の負けはものすごくショックでしたねえ。あの裏投げを超える裏投げは無いんじゃないかと。
猪木はこの前年辺りから死に場所をリングに求めてる猪木と、いつまでもスーパースターでありたい猪木が同居しているように感じました。
懐かしいですねぇ😊
仰る通りプロレスなのに、この大会には勝負論と観客論が上手くマッチした大会に見えました😀
さすが猪木さんですよね。
当時新生UWFに一矢報いたプロジェクトでした😅
当時中2で兄貴と東京ドームに行きましたが、どうせガラガラなんだろうなと思っていたから入った瞬間座席の7〜8割は埋まっていて壮観で感動したのを覚えています。
ハシミコフよりも実力上と言われていたソスランアンディエフ見てみたかったです。
ちなみにビガロvsハシミコフは2分26秒で決着しています😊
初めて聞くエピソードもあり、興味深く面白かったです。この大会は観に行けてないのですが、この時のビガロvsハシミコフは、プロレスは長きゃ良いってもんじゃない見本だと思ってます。あの短い中に両者の良さやプロレスの面白さが詰まった名勝負でした。
コメントありがとうございます!まさにビガロとハシミコフはあの衝撃のフィニッシュ一発!がよかったんですよね。あれより長いときっとボロが出てたでしょう。
闘強導夢、ホント懐かしいなぁ〜!!
あの頃は真剣に真面目にプロレス見てたよ。
ただ猪木の強さはちょっと陰っていたが…
1989年以前まではソ連のレスラーというのはオリンピックでしか見られず、しかも日本人でも勝てなかった。
しかもあのベイダーからIWGPヘビー級チャンピオン奪取したハシミコフは強かったと思いますし、アメリカもプロレス大国で、しかも反則なしの真剣勝負をし、アメリカのレスラーのブラッド・レイガンズ、バズ・ソイヤー、スティーブ・ウイリアムス、ビッグバンベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロが真剣に勝負してた。
ソ連のレスラーもまたWCWの会場に立たせ、日本、アメリカ、ソ連がいままでにない交流があってすごく盛り上がったと思う。
また新日本も山田恵一(現獣神サンダー・ライガー)、飯塚とソ連・東欧選手の持っている技である裏投げをブリザードスープレックスと言う名前でサンボの技術を取り入れたことで今まで見たことがない技を見られ、発展したことは言うまでもないと思います。
榊原さんと未来が2人で話し合うトコなんてまず観られない...いい企画だと思う👍😇
飯塚vsビクタシェフの異種格闘技戦も割といい試合だったなぁ。
バブル真っ只中ですね。
懐かしい。
このドーム後、猪木は
参院選で当選しましたから。
後々の民主党政権と似たようなノリの社会党ブームの中でスポーツ平和党は健闘しました。
この時の円形リングは大阪のリマッチと平成維震軍旗上げ戦のメイン(越中VSシン レフェリー猪木)でも使用されています。
私自身、毎年新日のドームに新潟から馳せ参じるのが恒例で(ただし、コロナ禍でこの2年間は遠ざかってますが)、この時新日が開催しなければその後のドームプロレスも無かったか…と思うと、改めてこの時のドーム初開催という英断に拍手を送りたいです
コメントありがとうございます!まさに一歩踏み出す勇気、ですね。
そもそも映画のロッキー4でも米ソ対決が行われていて、それに肖ってプロレス版の日ソ対決も実現しようという展開でしたよね?
それと自分は最初の大会こそ生観戦出来ませんでしたが、次の年から暫くは毎年生観戦に行っていた記憶があります😁
それにしても業界的にはほとんど定着しませんでしたが、個人的には闘強導夢というネーミングも好きでした👍
それ以来、新日の東京ドーム大会の翌日にタイソンがダグラスに負けた大番狂わせが起こったり、女子プロのオールスター戦、全日、SWS+WWF、UWF等々、数々の団体がドームに進出しましたよね✌
中には週プロ主催の虹の架け橋なんて大会までありましたし😁
自分は全大会を見に行った訳ではありませんが、ドームでは野球場なのに、野球よりも先にプロレスを観たという経験をしましたよ😁
コメントありがとうございます!ロッキーには影響受けていたでしょうね。「闘強導夢」というネーミングはケロちゃん発でしたっけ…当時、そんなこと聞いた記憶があります。
いや、闘強導夢のネーミングはおっさんプロレスファンには定番ですよ。むしろ、東京ドームっていうよりこっちの方がしっくりくる。
長州VS天龍、猪木VS天龍が続いたこの頃は最高に待ち遠しい大会だった。
ちなみに自分もドームで野球見たことない。
@@user-dp3lb4dn2k さん
自分は野球ファンでもあるので、ドームで野球を観た事はありますが、これもプロレスファンあるあると思われる蔵前や両国の国技館で相撲を観た事がありませんし、後楽園ホールでボクシングを観た事もありません…。
この時の東京ドーム大会行きました。新日本も気合が入っていたのかチケットのサイズが異常に大きくてビックリした記憶があります。
コメントありがとうございます!私も行きましたが、チケットについては忘れてましたw
バズソイヤーvsザンギエフすげー盛り上がった記憶があるなー
コメントありがとうございます!ソイヤーはソ連とやる時イキイキしてましたね!
初の東京ドーム大会、TVで観戦しました。よく覚えています。猪木さんの環状線の理論が発端の大会。プロレスファンでない環状線の外から集めよ、未だに分かったような、分からないような(笑) ほぼ詭弁に等しいような気がしますが、もはや、どうでもいいです(笑) IWGPのワンナイトトーナメントは良かったですね。橋本の出世試合でした。それしても、さすがアントニオ猪木。
30年前、大学時代、シベリア鉄道でハバロフスクからモスクワまで旅行したことがあるんですが、日本人が乗ってると分かったらウオッカを持って自分たちのコンパートメントに乗客から乗務員が次から次へと訪れてくる(笑)
片言の英語でスポーツ談議になった時「チョチョシビリって有名なの?アントニオ猪木に勝った柔道家なんだけど」と聞いたら「知らない」と即答されました。ロシア人にとってジョージアの柔道家なんて興味なかったんでしょうね。
猪木がウィリアムルスカをバックドロップでKOしてその後時がたって、今度は逆にチョチョシビリに裏投げでKOされるという柔道で始まった異種格闘技戦を最後は柔道で終わる、ドラマを見せてくれますねアントニオ猪木と言うレスラーは。
コメントありがとうございます。ホントに、格闘技戦のエンディングに相応しい敗北でした。だからリターンマッチは余計でしたよね。
この大会のメインを張ったチョチョシビリが銅メダルを獲得したモントリオールオリンピックの一つ下の階級で同じく銅メダルを獲得したのがアレンコージ時代のバッドニュースアレンだったらしいですね⁉️
コメントありがとうございます!確かに、モントリオール柔道メダリストにアレン・コージとチョチョシビリが並んでますね!
@@romanlive さん
ちなみにそのモントリオールオリンピックで、ボクシングのそれぞれの階級で金メダルを獲得したのが、レオンとマイケルのスピンクス兄弟らしいですし、そのレオンスピンクスやアレンコージ、チョチョシビリと対戦した猪木さんとは本当に凄い縁で結ばれていると思いました😁
若い私から見てら、この様な話が物凄く興奮してしまいます‼️
その後に前田日明がロシアへ行RINGSへ繋がるんですね(๑•̀ㅁ•́ฅ✨
どストレートな説明をしても馬鹿にして
言うことなんか聞かないし、いいプロレスラーにはならないからw
猪木さんのそうゆう感覚って凄いですよねぇ
面白い!
ありがとうございます!
サルマン・ハシミコフ…。
Uインターで高田延彦と戦った時が有ったなぁ!
レッドブル軍団以前にもニキタ・コロフやイワン・コロフなどのソ連系レスラーがいましたね。
…ってニセロシア人だったのかw
紅い眼鏡よりレッドブル軍団の曲ってイメージ強い。
そして、ソ連からロシア、旧共産圏の流れは前田が受け継ぐことになる。
レッドブル軍団😁
サルマンハシミコフ❗
29:46 例えが悪いかもしれませんが、かつてのおニャン子クラブも最初は「素人」を売りにし、それで人気が出たのですが、「夕焼け~」以外の歌謡番組などにも出るようになって、出れば出るほど逆にその「素人臭さ」が仇となって、徐々に人気にかげりが出ていった、ということもありました。
レッドブル軍団も、最初は「まだ見ぬ強豪」ということで話題を呼び、格闘技術は高かったものの、やはりプロのレスラーとしては「素人」で、彼らなりにもプロレスに馴染もうとしたのでしょうけれど、結局、やればやるほどそういう「素人臭さ」というものが露呈してしまったのでは、と感じました。
ちなみにFMWにもグレゴリー・ベリチェフというソ連系の柔道家が参戦していましたが、ベリチェフはプロレスにそこそこ馴染んでいたように思えます。
そもそも、おニャン子の素人というのはギミック設定。モデル経験者や子役経験者が殆どだったし某M奈代はバーニング傘下のスクール出身だった。
ソビエト 煽り 盛り上がりました。
コメントありがとうございます!「ソ連が来た!」ですからね、コワイです
この東京ドームのプロレス初興行はもちろん観に行きました。受け身の取れないスープレックスで投げるとか、力がムチャクチャ強いとか、物凄い前宣伝で煽って、事実猪木の異種格闘技初黒星になったチョチョシビリやハシミコフら強豪揃いだったんですが、すぐにメッキが剥がれてしまい、ゴツゴツした強さがあったザンギエフ等は、新日にシリーズ参加するようになると、相手をサソリ固めに決めてガッツポーズをするとか、すっかりプロレス慣れしてしまい、噛み合わないギクシャクした緊張感と迫力、面白みはなくなってしまいましたね。M高橋は例の本では、ソ連勢とは一緒に練習をし、楽しく食事もし、合宿もしたって言ってたかな。最初から殺気みたいなのはなかったって意味合いの話をしてたから、染まってしまうのは時間の問題だったのかも知れませんね、
コメントありがとうございます!プロレスに慣れたら慣れたで、慣れなきゃ慣れないで批判されたでしょうからね、プロレスは難しいですね…
チョチョシビリが猪木の引退説 これは一理ある
新日本が低迷していた頃ですよね。東京ドームなんて何考えているんだと呆れましたね。絶対にコケてつぶれると思っていましたよ。タイガーマスク時代ならともかく、この頃は前田UWF人気でしたからね。
ワッハエブロエフ名古屋でベイダーにボコられましたよね。
コメントありがとうございます!対ソ連戦ではアメリカ勢も普段より力が入ってた気がしますねw
カレリンにも触手を伸ばしてたらしいですね。
コメントありがとうございます!カレリンは当時でも大物過ぎたんでしょうね。引っ張り出した日明兄さんも大したものですよね。