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丁寧な動画造り素晴らしいです。見習いたい古地図と併せての解説わかりやすかったです。湖上での施工は本当に大変です、凄い城ですね
コメントありがとうございます。古地図と同じ道が残っているとうれしくなりますね。
諏訪地方出身のものです。屏風絵図を用いて本丸だけではなく他の曲輪も解説頂きありがとうございます。諏訪観光の際は高島城、諏訪大社の2本立てが無難です笑また諏訪地方には他にも整備されている山城がたくさんあり、遺構も顕著に見られますので諏訪地方に来た際は、是非そちらもご検討下さい。
コメントありがとうございます。高島城は見学していてとても面白かったです!日本の真ん中の湖と盆地って魅力的ですよね。
お諏訪さんだけでも4か所あるから結構充実しますよね。疲れたら秋宮の隣の「新鶴本店」で糖分補給しましょうw
UPお疲れ様です!あのキレイな天守は旧来の姿をかなり伝えているのですね。小諸や上田など信濃の他の城のような武骨さが少なく、畿内にあっても不思議ではない姿の面白い天守だと思います。それにしても、諏訪はどこからでもお湯が湧くんですねw諏訪湖には大小の河川が注ぎ込まれていますが、出口は天竜川のみ。昔から大雨になると水位が上昇し、湖岸周辺が水没したそうです。そのため江戸時代中期から湖の出口を拡張する工事がすすめられました。その成果と河川による土砂流入により、高島城が「浮き城」でなくなっていったようです。現在の姿は住民の生活を護った証なのでしょうね。次回も楽しみにしています!
高島城天守は個人的にかなりカッコいと思います。望楼型が好きですね。確かに諏訪湖の出口は天竜川だけ。川のはじまりを見に行ったことがあるのですが、これだけの川で諏訪湖の水をはかせることができるのか不思議でした。諏訪湖が氾濫しやすい湖だったことがわかり理由も納得できました。高島城周辺の干拓が江戸時代から始まったと聞き、城の防御があるのにな・・と思ったのですが、住民の生活を養うため必要なことだったのですね。ありがとうございます。
地元民です。参考情報として、諏訪市岡村1丁目の貞松院(ていしょういん)に松平忠輝公の墓所があります。
南野 陽子さん(湖衣姫)が懐かしいです。
諏訪湖や周辺の観光地、温泉を合わせて行ければ全然楽しめます
成程。天守が外郭に隣接してて、大砲で真っ先に砕かれては士気が一気に落ちるが当時は湖岸なら...ですね。これが海に隣接してて失敗だったのが、後世の五稜郭(艦砲射撃)。運用としては支城クラスなので、増援を待ちつつただ耐えるのみ。兵糧攻めされたら自由が利かずに不利だったでしょうね。忠輝がここで幽閉とは知りませんでした。真田信之に次ぐ長寿だったのですね。
諏訪湖が高島城の防御の要だったのだと思います。早々に干拓されたのは時代の流れでしょうか
昭和の鉄筋コンクリ製天守当時の人達が戦後復興のシンボルとして欲したのは分からんでもないのですがいやーでもやっぱなー・・・それなら明治破却のままで天守台の礎石とか見せてくれたほうが嬉しいかなあ
石垣と古写真も良さそうですね
丁寧な動画造り素晴らしいです。見習いたい
古地図と併せての解説わかりやすかったです。湖上での施工は本当に大変です、凄い城ですね
コメントありがとうございます。古地図と同じ道が残っているとうれしくなりますね。
諏訪地方出身のものです。屏風絵図を用いて本丸だけではなく他の曲輪も解説頂きありがとうございます。
諏訪観光の際は高島城、諏訪大社の2本立てが無難です笑
また諏訪地方には他にも整備されている山城がたくさんあり、遺構も顕著に見られますので諏訪地方に来た際は、是非そちらもご検討下さい。
コメントありがとうございます。高島城は見学していてとても面白かったです!日本の真ん中の湖と盆地って魅力的ですよね。
お諏訪さんだけでも4か所あるから結構充実しますよね。疲れたら秋宮の隣の「新鶴本店」で糖分補給しましょうw
UPお疲れ様です!
あのキレイな天守は旧来の姿をかなり伝えているのですね。
小諸や上田など信濃の他の城のような武骨さが少なく、畿内にあっても不思議ではない姿の面白い天守だと思います。
それにしても、諏訪はどこからでもお湯が湧くんですねw
諏訪湖には大小の河川が注ぎ込まれていますが、出口は天竜川のみ。昔から大雨になると水位が上昇し、湖岸周辺が水没したそうです。そのため江戸時代中期から湖の出口を拡張する工事がすすめられました。その成果と河川による土砂流入により、高島城が「浮き城」でなくなっていったようです。現在の姿は住民の生活を護った証なのでしょうね。
次回も楽しみにしています!
高島城天守は個人的にかなりカッコいと思います。望楼型が好きですね。
確かに諏訪湖の出口は天竜川だけ。川のはじまりを見に行ったことがあるのですが、これだけの川で諏訪湖の水をはかせることができるのか不思議でした。諏訪湖が氾濫しやすい湖だったことがわかり理由も納得できました。高島城周辺の干拓が江戸時代から始まったと聞き、城の防御があるのにな・・と思ったのですが、住民の生活を養うため必要なことだったのですね。ありがとうございます。
地元民です。
参考情報として、諏訪市岡村1丁目の貞松院(ていしょういん)に松平忠輝公の墓所があります。
南野 陽子さん(湖衣姫)が懐かしいです。
諏訪湖や周辺の観光地、温泉を合わせて行ければ全然楽しめます
成程。
天守が外郭に隣接してて、大砲で真っ先に砕かれては士気が一気に落ちるが
当時は湖岸なら...ですね。
これが海に隣接してて失敗だったのが、後世の五稜郭(艦砲射撃)。
運用としては支城クラスなので、増援を待ちつつただ耐えるのみ。
兵糧攻めされたら自由が利かずに不利だったでしょうね。
忠輝がここで幽閉とは知りませんでした。
真田信之に次ぐ長寿だったのですね。
諏訪湖が高島城の防御の要だったのだと思います。早々に干拓されたのは時代の流れでしょうか
昭和の鉄筋コンクリ製天守
当時の人達が戦後復興のシンボルとして欲したのは分からんでもないのですが
いやーでもやっぱなー・・・それなら明治破却のままで天守台の礎石とか見せてくれたほうが嬉しいかなあ
石垣と古写真も良さそうですね