n oritoさん、明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。 はい。中村先生も武力によらないで説得だけで広まった宗教は仏教だけであると述べられています。また国と国との関係性がより複雑になっている今日、他国や他人・他民族・他の文化・他の宗教などに対して寛容で、慈しみの大切さを説く仏教の重要性は増しているとおっしゃってます。 他宗教の中には科学の発展や宇宙創生に関する知識の深まりと共に矛盾を抱える教義もある中、それらと相反しないでより良い生き方や真理を示す教えを信受できる私達は幸せに思います。 メッセージを下さって、ありがとうございました。
第3章の慈悲喜捨(じ・ひ・き・しゃ)に関連して、四無量心(しむりょうしん)の説明を追記いたします。
慈無量心 : 慈 - 慈しみの心を持ち、生きとし生けるものの安楽を共に望む心。
悲無量心 : 悲 - 生きとし生けるものの苦しみがなくなるように望む心。
喜無量心 : 喜 - 生きとし生けるものの幸福や成功を共に喜ぶ心。
捨無量心 : 捨 - 一方に偏らず、偏見がなく、落ち着いて客観的に観察する心。
学生時代から50数年中村先生の翻訳による仏教を拠りどころとして幸せな人生を送ってまいりました、先生のお言葉を簡単に拝聴できるよい世の中になりました、感謝です。
中村元先生の素晴らしい教えを、何度でも聴かせて頂けて、幸せです。その都度反省し、身に付けたいと思っております。動画配信、ありがとうございます。
中村元先生のお話をのこして下さり、今、こうして拝聴できる事に感謝致します。有難うございます。先生を通してお釈迦さまの生きた言葉を知ることが出来、感無量です。1人でも多くの方に聴いていただきたいです。
同感です。先生の著書は大事にしていますが、若かりし頃に聞いた声が聴けて感無量です。
本当にありがたいです。感謝致します。何度も何度も聞こうと思います。
毎晩就寝時に聴いています。 古代のインドの人々は、詩の朗誦を好み、韻律に載せて語り、聴くことを好んだとのこと。詩文の韻律は聞いていて飽きることが無く、お気に入りの名調子を心待ちに繰り返して聴くうちに『良い人生の生き方』が心に染み入っている感じ。こういうのが説法というのでしょうか。。 中村先生の語り、素晴らしいです。
テキスト『ブッダのことば〜スッタニパータ』(中村 元訳・岩波文庫)も購入しました。 ありがとうございます。
優しい語り口だなぁ。中村元さんは日本の宝です
ありがとうございます。繰り返し拝聴して指針と致します。
ありがたいです。
生きている今この時に勉強出来る幸せに感謝致します。
10年前(20代)の時に、中村元訳「ブッダのことば スッタニパータ」の文庫本を購入しました。
当時興味本位で買ったのですが、分厚くて読む気にならず、ずっと放置していました。
10年後(現在)、再び原始仏教、中村元に興味を持つようになり、この動画にたどり着きました。
昔購入した本をふと思い出し、動画の解説と、10年前に購入して読まずに押入れに入っていた文庫本「スッタニパータ」が、ここで交わりました。
何か不思議な感覚を持っています。
今は、先生が解説している章・節と、本の中身とリンクさせながら聞いています。
動画を上げてくださって感謝します。
仏教は宗教でない、人々のより良い生き方、幸せに生きる為の教えで有ると理解しました。
本当に有難う御座います。
先生の声がありがたいです
以前中村元先生ご出演:ききて:草柳隆三~心の時間を視聴し人間味溢れるお言葉に感銘致しました。些か乍ら自分の体現から深く仏教に救いを求めて先生の本に助けて頂いています。スッタニパータの一説を拝聴し、己の悩み、現世に生まれ出ずる生命の生老病死感慨深く一体感覚え、無限の境地に迄も誘ってくれるようです。只、合掌。
79分位からの死にたいしての説話の部分などお気持ちが伝わって参ります。先生の心温まるお話しをお聴き出来て、とても感謝しております。製作スタッフの方々、googleの皆さんにも感謝するくらい感動致しました。ありがとうございます。
中村先生の声を拝聴できる貴重な記録をありがとうございます。
3年ほど前にタイで出家しました。タイ人同様に短期の仏僧生活をしました。朝のビンタバーツの際には中村先生の仰る修行者の心得(開始後20分頃)を事前にタイ人の世話をしてくださる僧侶から教えて頂きました。
突然、先月から仏典を読むようになりした。中村先生の本は1970年代に買って本棚にありますが読んでませんでした。60代後半になろうという今では、字が小さすぎて読むのが大変です。こういう音声で聞けるの助かります。20歳ころには全く理解できませんでしたが、周りの人間が歯が欠けるように亡くなっていく現実で、人間の魂は輪廻転生のループに捕らわれ、苦界であるこの世になぜ拘るのか?魂は肉体を持つことによって物質と魂の間の「心」を持つようになって、この心は自由奔放で欲望によって私自身である魂を悩ます。だから心を整え、心を制御する方法を仏教は言っているとの理解に到達しました。「心」は自分であるが物質に影響を受けた「現世の存在」であると理解しました。齢を重ねてようやく「心」の背後の魂を感じるようになってきました。中村先生の内容も若い時とは別の視界が開けてきました。
最近はAmazonで、「聴く本」という本の中身が朗読されたものが日本でも出てきました。海外ですと既に、選択肢の一つとして親しまれています。登録し、購入すれば、聴くことができます。
あと数年経てば、AIが素早く読むことも可能になるかと思います。
私などもっと爺さんですが、遅いが学ぼうと、、、、
投稿者さまに感謝しております。
ブッダのことばを図書館で見つけ、読み始めました。
翻訳された仏典からすると簡単なものでしょうが、
どうしても仏教の前提知識がなければ全てを理解することは難しく感じました。
その中、「スッタニパータ」と検索したところ、
中村元さんが解説している動画を見つけました。
借りた本を片手に聴いていたら、理解が深まったので楽しんで読むことが出来そうです。
ありがとうございます。
わかりやすくとても良い講座です。
Kaoru GreenEmeraldさん
はじめて、中村元氏の声を聞けました。ありがとうございます。
すごいですね。ちゃんとインデックスも作ってあって、労作ですね。
ありがとうございます。
繰り返しのフレーズが多い事について先生の解説で何となく本来の歌を楽しむ感じの雰囲気なんだなと納得出来ました。
初めまして、先生のお話が分かりやすく心に入っています。
有り難うございます🙂
すばらしい
やはりこの方の仏教解釈と
独自の仏教研究は貴重かつ精緻だ
説得力があって学びも深まる
あくまでイチ人間としての
ゴータマ
元バラモン教徒としての
イチインド人
目覚めた人物としての歩んだ方向性
この歴史の研究と理解への丁寧な歩み寄りは切迫感やリアリティも感じ
実に魅力的に感じる
中村元さんのおかげでより仏教が面白く
なりブッダという人物に親近感を感じ
だし興味が強くなるような気がする
経典も含めて学びなおしたい
そう思いましたし兎に角
本当にどうもありがとうございました
すばらしいわ
とても癒されます
「幸せであれ」素敵なお言葉です
ありがとうございます🙏
生きとし生けるものが幸せでありますように
ありがとうございます、本で読むのと違って先生の声で聴けて、嬉しいです、66old.
貴重な動画をありがとうございます。感謝♪
元さんの翻訳したスッタニパータは面白くてほんと勉強になった どこの音声か分かりませんがありがとうございます
とてもわかりやすい、お話でした。
中村先生の言葉、私の小さい時から思ったこと、は、心の中、生まれる前からの、自分の考え、でしたこれは、人間として生まれてくれば当然行きつくところなのでしょう、それを。お弟子さんがまとめてくれた、わたしを含めて超人的なお釈迦さま、には全く、興味なし
で、これに出会って、やはり自分の思ってた通りの、仏教、でした、人としての生き方が、多くの間違いをしながらも、もう70になると
その間違いが少なくなり、他人に少しは、教えられる、ことができるようになり、そして、死んでゆくまでに、多くの感謝を、受けまた
多くの教えをうけ、やがて、心よりこの世界に生きた喜びのなかで、行く、喜びなのでしょう、涅槃。ありがとぅございます。
心より、原始仏教が巡り合え、方向は、これでいいのだとの確信を得ることが、強く強く、なりましたことに重ねて感謝。
とても貴重で勉強になる動画をあげていただきまして誠に感謝致します。
画面の挿絵のレトロな雰囲気も好きです。
大変勉強になります。ありがとうございました。
ありがとうございます
ありがとうございます。
個人的にホットなエピクテトスの話が出てくるとは驚き。
と同時に方向性は合っているんだと再認識できました。
素晴らしく聴きやすくわかりやすい中村先生の解説と動画制作者様に感謝いたします。
今自分が研究している卒論が終わり次第真剣にブッダの言葉と向き合おうと思っています。
その時はこの動画を参考にさして貰います。
少しづつ学びたい。蛇の章での”この世とかの世とを捨て去る”の意味が分からなかった。(→もし全ての人が出家し托鉢僧になったとすると誰が食物を得ることになるのだろうか?人類は1カ月も持たないで死滅する?) 釈尊に輪廻転生の考えがあったとすると、”この世も輪廻転生後の生活もどちらも捨て去る。私:釈尊はそうした。”という意味ではなかろうか?
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。2度目かも知れませんが。
日本は仏教国ですが仏教は寛容性が高い宗教だと思います。ブッダの言葉や経典は東洋の叡智とアインシュタイン博士が言っているという本も読みました。👍動画です。
n oritoさん、明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
はい。中村先生も武力によらないで説得だけで広まった宗教は仏教だけであると述べられています。また国と国との関係性がより複雑になっている今日、他国や他人・他民族・他の文化・他の宗教などに対して寛容で、慈しみの大切さを説く仏教の重要性は増しているとおっしゃってます。
他宗教の中には科学の発展や宇宙創生に関する知識の深まりと共に矛盾を抱える教義もある中、それらと相反しないでより良い生き方や真理を示す教えを信受できる私達は幸せに思います。
メッセージを下さって、ありがとうございました。
仏教は消費社会の現在に足りないものでもあり、反するものでもありますね。資本主義の根本は人間の欲望を源としていますから。そして、欲をみたすことに長けた国、起業、人が現在社会を治める力をもつようになっていってますね
Taiki Urasaki
欲望が悪いものではないないし、資本主義が悪いわけでもないと思います。しかし、それによって思い悩む事があります。真理を考えるのが人間です。犬猫に真理はないと思います。人間だけに備わったものかと思います。ただそれだけかと。。。
生存中 一度お目にかかりたかったかたです。
子供ころ、さんざん聞かされた地獄の鬼の話は出てきませんね。釈尊は彼の理法の中で”すべての生きるものは幸せであれ”と述べているが、これは祈りの一種ではなかろうか?彼が理法を追求する中で「ある種の祈り」も存在していたと思う。釈尊は多くの人にもこの幸せを与えられんことを願い布教したものかもしれない。
『この世と彼の世(あの世)を共に捨て去る』⇒18:59~
●怒りが起こったのを制する修行者は・・・、●五つの(心の)覆いを捨て、悩み無く、疑惑を超え、苦悩の矢を抜き去った修行者は・・・、そうなりたいものですね。
33:36
足るを知る者は富めり。
人間の生き方有り難うございます。😊😂
21:13 〜これはすごい
足るを知るか…
ブッダの生の声を感じたいです。
良いお勉強をさせて頂けてとても有難いのですが、字幕の間違いを修正する方法は無いものでしょうか!? 日本語訳も英語訳も酷いように思います。
ご覧いただいてありがとうございます。
ご指摘の酷い日本語訳や英語訳はどの部分でしょうか? 教えてくださるとありがたいです。
@@KaoruGreenEmerald さま。
有難うございます。私は幸いなことに聴力が有りますので、気にかけなければ良いことなのですが、字幕で勉強される方も在るだろうにと思ったわけです。例えば、
0:26 吸った(スッタ)と申しますのは今日(経?)と言う言葉の言語(原語?)
0:36 それが鈍って吸った(スッタ)となったんですね。などなど。
申しわけ有りませんが、暇が有りませんので、これにてご容赦を。
小橋正枝さま。お忙しいのにお返事を下さってありがとうございます。
これからは色々なご事情をお持ちの方々のことを考えながら動画作りをいたします。
至らないことを気づかせて下さってありがとうございました。薫
話が逸れますが、「幸いな事に聴力がありますので」という言い回し、大変感銘を受けました。ありがとうございます。
@@Inuyama_unagi さま。さりげない書き込みのようですが、斯様な一言はとても励みになります。有難うございます。
無量寿経に書かれている「弥陀の48請願」は法蔵菩薩様が阿弥陀仏に解脱する際の条件であったそうですが 48請願の存在を紹介したお釈迦様(人間)より五劫と云う超長い前時代に法蔵菩薩様が生きておられたとすれば少なくとも1万年以上前と云う事になります。人類が新人類として形をなしたのが10000年前と云われていますので こんな時代に知識を備えた人々が居たとは思えない。したがって「弥陀の誓願」そのものの存在が疑わしい事になります。私は浄土真宗門徒で これまで親鸞聖人様の説かれた極楽往生自体を疑う様になり 現在 混乱しております。
浄土宗系の教えは、中国や日本やチベットなど北方に伝わってきた他の多くの仏教思想(華厳、真言、法華、等々)と同じように「大乗仏教」と呼ばれる仏陀の死後数百年たって生まれた後代の「新しい」仏教です。それに対して、スリランカや東南アジアなど南方に伝わり残った仏教思想は、大乗仏教が生まれる前の「古い」仏教で、大乗仏教からは軽蔑を込めて「小乗仏教」と呼ばれたもので、いまでは「原始仏教」「初期の仏教」あるいは「南伝仏教」と呼ばれています。
ここで中村元博士が話しているのは、後者の「初期の仏教」の中でも最も古い教えを残すといわれている「スッタニパータ」という経典です。これら古い経典(小乗仏典)は仏陀の死後に弟子たちが「私はこのように聞いた」という語り部の形式で、弟子から弟子へと口伝で言い伝えられてきたものを後代に書き残したものです。それに比べて、大乗仏典は初めから書物として書かれた経典で、当時の伝統的仏教に反旗を翻した宗教改革者たちによって、「仏教とはこうあるべきだ」という意図で創作され、経典の形式で書かれた宗教文学と考えられます。
いわゆる「大乗非仏説」、つまり大乗仏典は仏陀の教えではないという考えが生まれたのもこのためで、「そもそも仏陀自身は何を教えたのか」をいま知りたい人たちが初期の仏典を研究するのもこのためです。この意味において、初期の仏典の数々を現代日本人にわかるように尽力した中村元博士たちの業績は大きなものがあります。
では、そもそも大乗仏教はなぜ生まれたのでしょうか。大乗仏教の改革者たちはいったい何に対して反旗を翻したのでしょうか。高山さんの疑問はこの問題を解くことによって解決されるのではないかと思います。
ありがとうございます。