中村元 - ブッダの真理の言葉 ダンマパダの解説

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  • Опубліковано 15 лют 2019
  • ●ブッダが当時の人々に説いた教え。ダンマはパーリ語で真の生き方、パダは言葉の意。合わせて真理の言葉と訳され、漢訳では法句経と名付けられています。世界で最も多く翻訳された仏典と言われています。
    ●解説は中村元(なかむら はじめ、1912.11.28-1999.10.10)先生。
    インド哲学の世界的権威で、多くの論文や著作を記され、東京大学教授、同大学文学部長、同大学名誉教授を歴任された後、東方学院の開設や比較思想学会を創設。世界各地で講演された他、NHKにも度々出演されました。
    本動画は中村先生の著書「真理のことば ダンマパダ」に基づいて説明しています。
    ●中村元先生関連の動画を私のplaylist「中村元 Hajime Nakamura - ブッダ」に収めています。 • 中村元 Hajime Nakamura - ブッダ
    ●中村元先生の著書「真理のことば ダンマパダ」の全文を文字に起こしておられるサイトをご紹介します。ご参考まで。
    hosai.world.coocan.jp/dammapad...
    ●参考としてダンマパダの一部を記します。
    1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
    2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。
    3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。
    5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
    6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
    7 この世のものを淨らかだと思いなして暮し、感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。──弱い樹木が風に倒されるように。
    8 この世のものを不淨であると思いなして暮し、感官を抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。──岩山が風にゆるがないように。
    12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実に達する。
    13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。
    17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところにおもむいてさらに悩む。
    21 つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである。
    23 (道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。
    29 怠りなまけている人々のなかで、ひとりつとめはげみ、眠っている人々のなかで、ひとりよく目醒めている思慮ある人は、疾くはしる馬が、足のろの馬を抜いてかけるようなものである。
    33 心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。──弓師が矢の弦を直くするように。
    35 心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。
    36 心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。
    42 憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。
    50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
    54 花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。
    60 眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。
    62 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。
    64 愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。匙(サジ)が汁の味を知ることができないように。
    65 聡明な人は瞬時(マバタキ)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。──舌が汁の味をただちに知るように。
    66 あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵(カタキ)に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実(コノミ)を結ぶ。
    69 愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。
    71 悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
    76 (おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。──隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。
    78 悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。
    79 真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。
    80 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。
    81 一つ岩の塊が風に揺るがないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。
    91 こころをとどめている人々は努めはげむ。かれらは住居を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、かれはあの家、この家を捨てる。
    94 御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなった人──このような境地にある人を神々でさえも羨む。
    96 正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人──そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。
    100 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
    101 無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
    102 無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
    103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
    104、105 自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、──このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。
    113 物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、事物が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。
    114 不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。
    115 最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほえがすぐれている。
    116 善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。
    117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。
    118 人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。
    119 まだ悪い報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときは、悪人はわざわいに遭う。
    120 まだ善い報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときは、善人は幸福(サイワイ)に遭う。
    121 「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。
    122 「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。
    127 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、悪業から脱れることのできる場所は無い。
    128 大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の洞窟に入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。
    129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
    130 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
    131 生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。
    132 生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せをもとめているが、死後には幸せが得られる。
    133 荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。
    134 こわれた鐘のように、声を荒らげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。
    152 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。
    159 他人に教える通りに自分でも行なえ。自分をよく整えた人こそ、他人を整えるであろう。自己は実に制し難い。
    160 自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。
    198 悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。
    199 貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、むさぼらないで暮らそう。
    214 快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?
    234 落ち着いて思慮ある人は身を慎み、言葉を慎み、心を慎む。このように彼らは実によく己れを守っている。
    ‪@KaoruGreenEmerald‬​

КОМЕНТАРІ • 22

  • @KaoruGreenEmerald
    @KaoruGreenEmerald  4 роки тому +48

    5:10からの「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」に関して、サンフランシスコ講和会議におけるスリランカ民主社会主義共和国(当時はセイロン)全権代表J.R.ジャヤワルダナ氏(Junius Richard Jayewardene、当時は蔵相、後に第2代大統領)の演説全文(1951年9月6日)を掲げます。
    副大統領および友人の皆様:
    講和条約の調印に際して、世界からお集りいただいた51か国の皆さまの前で、セイロン政府の見解を述べる機会を与えられたことは光栄であると存じます。
    私の声明は条約を承認すべき根拠と承認反対への釈明を表すものです。
    私はセイロン代表として政府の意に沿って意見を述べますが、それはアジアの人が日本の将来に抱く全般的な感情を述べていると確信しています。
    この条約が最終草案に至るまでの経緯を述べる必要はありません。アメリカ代表ダレス氏、イギリス代表ヤンガー氏が1945年8月、日本の無条件降伏からの出来事との詳細を述べられました。しかし、草案の作成にあたって四大国の間に重大な意見の対立があったことを見過ごしてはなりません。ソ連は四大国のみ、アメリカ、イギリス、支那、ソ連の外相が起案に当り、それ以外の国が加わる場合は拒否権が与えられるべきだと強く主張。イギリスは自治領の国々と相談すべきであると主張し、アメリカも同意しました。この両国は日本との戦争に参加したすべての国々においても実際の条約について深刻な意見の相克があり、軍国日本の台頭を懸念する国々、日本軍による侵略による被害と恐怖を未だに忘れ難いという国々もありました。
    日本の独立を認める提案が最初に審議されたのは、1950年1月コロンボで開かれたイギリス連邦外相会議でした。この会議では日本を南アジア・東南アジア地域の一部としてとらえました。アジアは世界の富と人口の大部分を占めながら、数世紀にわたって苦難の道を歩み、近年になって再び自由を獲得した地域であることを考慮すべきであり、第1に日本の独立、第2に南アジア・東南アジアの人々の経済的・社会的な発展を重視すべきであるという2つの考え方に達しました。
    皆さまが手にされている条約は会議の成果であり、その一部はセイロン政府の意向と合致し、また合致していない部分もあります。しかし、現時点において日本との講和を望む国々の最大公約数の同意を表していると私は断言します。
    草案の作成に対して、セイロン、インド、パキスタンなどのアジアの国々が共に取り組んだ主題は日本の自由です。この条約はそれを完全に具現したものです。しかし日本の自由が及ぶ領土など若干の問題も残されています。自由は、本州、北海道、九州、四国に限られるべきか、小さな島々に及ぶべきか、もし島々を除外するならばその帰属をどう考えるか?台湾の地は1943年カイロ宣言に基づき支那に返すべきか? どちらの支那政府に? 支那を講和会議に呼ぶべきか? 呼ぶのはどちらの政府か? 日本から賠償をとるべきか? その金額は? 自衛の力を得るまで日本はいかにして自国を守るか?
    日本の自由に関わる大部分について、私たちは最終的に同意に達し、この条約はそれを具現化しています。他の問題に関しては深刻な意見の対立があるのも事実ですが、条約は多数意見を表すものでありセイロン政府は小異を捨て大同につく道を選びます。条約のすべてに賛同しなくても、それが条約署名を拒否する理由にはならないと思います。なぜならこの条約の主題は、自由にして独立の日本にあるからです。
    これらの諸問題は日本の自由が認められれば必ず解決されるものであり、日本の自由なくして解決されません。
    自由があってこそ日本は、例えば、国連を通じ世界の自由諸国と討論を交わし、諸問題を検討し、早期に結論に達することができます。この条約に署名することで日本が望むなら(この会議に不参加の)支那政府やインドとも友好条約を結ぶことができるわけで、そうなれば私たちにとって喜ばしいことです。私たちがこの条約に署名しなければこれらの希望はどれも結実しないでしょう。
    なぜアジアの国々が日本の自由を熱望するか? それは長年にわたる日本との密接な関係と、アジアの人々の日本に対する尊敬の念があるからです。日本だけがアジアの国々の中で強力にして自由な独立国であり、私たちは指導者として友人として日本を信頼しています。この戦争中に日本が唱えたアジア共栄のスローガンは、アジアの人々の心を動かし、自国が解放される望みから、ビルマ、インド、インドネシアの指導者には日本に呼応をした人もいました。
    セイロンは幸いにも侵略は受けませんでしたが、空爆や東南アジア駐留部隊により被害を受け、連合国唯一の生ゴム生産国であるわが国の生ゴム産業への多大な損害は、当然賠償されるべきものです。
    しかしセイロンは、それを放棄します。なぜならブッダの教えを信ずるからです。
    ブッダは「憎しみは憎しむことによって止まず、ただ愛によってのみ止む」と諭されました。
    仏教の開祖ブッダの教義は、北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、秦国、インドネシア及びセイロンへと広がり、さらに北方へヒマラヤ山脈を越えて、チベット、支那ついに日本にまで及びました。このようにして数百年にわたり共通の教義が今も存在していることを、私は先週この会議に出席する途中で日本に立ち寄り発見しました。
    日本の知事、指導者、一般民衆は現在もブッダの平和の教えを信仰し、将来もその教えに従って生きる希望を持っていることを感じました。私たちは日本にその機会を与えねばなりません。
    ソ連は日本の自由の制限を提案していますが、これまで申し上げた理由から私はこの見解に同調できません。ソ連が日本に課そうとしている制限は、日本が自由国家として当然保持すべき自衛権、その他、ここに出席されている各国代表の大多数のみならず欠席の諸国にとっても受託できないもの、この講和条約そのものを無意味にするものです。特にインドは絶対に反対するはずです。
    カイロ・ポツダム宣言に反し、琉球、小笠原が日本に返還されるべきであるとソ連が要求するのであれば、なぜソ連は千島列島や南樺太を返還しないのでしょうか? ソ連の修正条項は不可思議なものです。それは日本国民の表現・報道・出版の基本的自由、信仰・政見・会合の自由を制限することを言及していますが、それこそソ連の人々が享受したいと願う自由ではないでしょうか。
    この条約は日本に宗主権と平等と尊厳を復活させるものであり、制限を加えればそれは不可能となります。この条約の目的は日本を自由な国とし、日本の復活に何ら制限を課さず、外部からの侵略や国内の騒乱に対して自衛の軍備を組織させ、その能力が備わるまで、自国防衛のために友好国の援助を求めやすくし、経済に影響を与える賠償金を日本から取り立てないようにするものです。
    この条約は敗戦国・日本に対して公正かつ寛大なるものです。私たちは、日本に友情の手を差し伸べ、今日、書き上げる最終ページをもって人類の歴史におけるこの章を閉じ、新たな章をはじめ、明日から最初のページを開くときより、日本の人々と私たちが互いに人類の尊厳を享受し、平和と繁栄に向かって進むことを心から祈念します。

  • @user-wv6du4dq2u
    @user-wv6du4dq2u Рік тому +7

    中村先生の話し方が柔らかくで聞きやすく素敵です😊

  • @user-ol3si7nb5n
    @user-ol3si7nb5n 4 роки тому +26

    中村元先生の解説が一番、分かりやすく、素直に頭に入ります。
    有り難う御座いました。

  • @SH-vo3qi
    @SH-vo3qi 3 роки тому +39

    いい学者だな。こういう先生に習いたいものだ。

  • @EXAKTA6667
    @EXAKTA6667 4 роки тому +16

    話の速度が ( 忘れられた ) 分かりやすい速さ( 遅さ ).経の訳語が 分かりやすい.
    聞き間違いの 少ない言葉選び.今 改めて 聞くことが出来る.感謝.パーリ語は 聞く機会が 無い.初期は 歌のように 口承で 伝えたのだろう.読経より 御詠歌の様に 聞こえる.ありがとうございます.

  • @nkhamada1
    @nkhamada1 3 роки тому +14

    良いものを作成、アップロードいただきました。感謝します。

  • @user-tb6by4qr7m
    @user-tb6by4qr7m 2 роки тому +11

    原初仏典は高校生の時に出会えて読みました。
    あの時読んだから、今があります。

  • @user-kn9gl3xy2g
    @user-kn9gl3xy2g Рік тому +7

    中村先生とは、講演会場で数回聴衆者としてお会いしています。世界的権威でわからなくなると、困ると先生の編集した仏教辞典を見て理解を深めていました。再び先生のお声を、何か落ち着くお声、お話しを聞けるとは思っていませんでした。アップロードして頂いて有難うございます。

  • @KaoruGreenEmerald
    @KaoruGreenEmerald  3 роки тому +24

    各種言語によるダンマパダ(法句経)の経典をご紹介いたします。ご興味をお持ちの方は参照下さい。
    ・サンスクリット語版
    archive.org/details/dhammapadarahulsankrityayansecondedition_776_I/page/n1/mode/2up
    ・英語版
    archive.org/details/thedhammapada00unknuoft/page/n7/mode/2up

  • @user-ty1fb3bo4x
    @user-ty1fb3bo4x 4 роки тому +18

    ありがたいです。
    命在る今の出会いに感謝致します。

  • @user-vh9wp1ie7e
    @user-vh9wp1ie7e 5 років тому +17

    今年に入りまして中村元先生のスッタニパータの講義に出会い 従来 信じ込んできた「弥陀の第18請願」などは後世の乱世に生きざるを得なかったインドの人々の 「この様に有って欲しい」と云う願いが結晶化されたものではないだろうかと思う様になりました。スッタニパータの中では(人間)お釈迦様は来世の事には一切触れておられないのですから。ただ この法句経がなぜ一般の人々から捨てられ大乗思想が出てきたのかを思索する必要はあります。残念ながら 凡人の私にはそういう思索も勉強も全く不可能ですが。

  • @user-th8xt8hm7f
    @user-th8xt8hm7f Рік тому +6

    勉強になりました。ありがとうございました。

  • @user-gz8bc6zf4b
    @user-gz8bc6zf4b 2 роки тому +12

    解りやすくありがたいです。

  • @boo-wr8sk
    @boo-wr8sk 4 роки тому +10

    いい話です。ありがとうございました。

  • @norito
    @norito 5 років тому +8

    これは知りませんでした。「法句経」と言われるものですね。「法華経」なら知っていますが。👍

    • @KaoruGreenEmerald
      @KaoruGreenEmerald  5 років тому +25

      n oritoさん、おはようございます。
      お経はブッダ入滅後に時の経過と共に新たな解釈がどんどん生まれ、ブッダはどんどん超人的となり、後世に記されたお経ほど、どこまでがブッダ自身の発言によるものなのかわからなくなりました。(私の個人的な感想)
      それらに対し、このダンマパダや先にupしましたスッタニパータは、最も初期に成立したお経であり、拡大解釈を嫌った上座部が今日まで大切に伝え実践してきたもので、ブッダの教えを最も忠実に伝えていると言われています。日本では近代になって広まりましたので、馴染まれていないのは当然と思います。
      ブッダが時や人、状況に応じて、わかりやすく理解しやすいようにお話された教えを、尊敬する中村先生のお声や説明で接していると、なんだかブッダが目前におられるように思っています。
      いつも丁寧なメッセージを寄せて下さってありがとうございます。

  • @EstherMHeart
    @EstherMHeart 5 років тому +6

    Ich verstehe leider nichts
    ...😀😀 lg.🐧🙌

    • @KaoruGreenEmerald
      @KaoruGreenEmerald  5 років тому +4

      Guten Abend, Esther
      Entschuldigung (*^_^*)
      Kaorun🐧

    • @EstherMHeart
      @EstherMHeart 5 років тому +3

      .....Lesen von Dan Maipada in meiner Playlist "Professor Nakamura - Buddha Prof. Nakamura - Buddha"
      Habe den Anhang übersetzt :) sicher interessant..
      Lg.

    • @KaoruGreenEmerald
      @KaoruGreenEmerald  5 років тому +5

      Meine liebe Freundin Esther
      I am very pleased that you are interested in my work. Thank you 💛
      Schönes Wochenende! Kaorun 🐧

    • @EstherMHeart
      @EstherMHeart 5 років тому +3

      @@KaoruGreenEmerald ..liebe Kaorun 🐧 wünsche dir einen wunderschönen Abend 🌟🌙
      Lg. Esther

    • @KaoruGreenEmerald
      @KaoruGreenEmerald  5 років тому +4

      Danke, Ihnen auch! (^_^)
      Lg.