Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
私の父がまさにその業務をしていたのを子供の時に聞かされておりました。いまはもうありませんが、かつて名古屋駅に隣接して建ってた名古屋中央郵便局で働いていて、これも今は跡形もなくなっているのですが、名古屋駅の1番ホームの反対側(郵便局側)に荷物車・郵便車専用ホームがあって、列車が到着するたびに荷札のついた郵袋を積み下ろしていたそうです。年たつの年賀状などで郵便の量が増えると下ろしきれずに郵便車に閉じ込められて熱田や枇杷島の駅まで行っちゃったりして上司によく怒られたそうです。なんか私が子供の頃におぼろげながら名古屋駅に連れてってもらって、いわゆる親父の職場を見せてもらった記憶があります(昭和55年頃、私が小学校時代の話です)。
今は荷物や郵便を鉄道で運ぶとなるとコンテナ便になるんだな。それに長距離トラックはかなりの重労働だから、労働環境改善の為にも長距離便は鉄道でやったら良いのかもしれない。鉄道、トラック、船、飛行機は対立するだけでなく、お互いの長所でお互いの欠点を補完する様に連携すべきだな。
モーダルシフトを徹底させるいい機会
昔、カーテンで客室としきっていたのを覚えています。駅で二人組で大きな袋を数を数えながら、下ろしたり積んだりしているのを見たことがあります。郵便の鉄道輸送が無くなってしまいましたが、国鉄の鉄道員から郵便屋さんになられた方々も多かったと聞いています。
国鉄時代、郵便車を追いかけて (=郵便車内で使われる日付印《にっぷいん》集め)いて、乗り鉄になってしまいました。当時の記憶が蘇る、素敵な動画ですね。Upして下さり、ありがとうございます。🙇
日付印《にっぷいん》・・・私は「ひづけいん」と聞かされていました。学生時代の文通相手からの消印が鉄道郵便で押される「鉄郵印」だったのを覚えています。日付印上段に、「米原貴生川間」日付印下段に、「下 二」と刻印されてました、懐かしいです。
日附印っですかね?
おおっ、そうでした。“日附印”です。【本務者の方(かた)でしょうか。】昭和の時代、郵政で数年アルバイトしていて、その流れで鉄道郵便に興味を持ち、夜行列車メインの乗り鉄になったのに、お恥ずかしい…。ご教示いただき、ありがとうございます。🙇
身延線のなつかしい車両を載せていただきありがとうございます。高校生の時にアルバイトで駅に郵袋を取りに行ったのが懐かしいです。
母親の姉が市川大門に住んでいて、甲府から身延線に乗っていきました。この車両は運行当初は非冷房(というか、身延線自体、115系も非冷房で順次、冷房化されたけど。)だった覚えがあります。
載ってないけど…😁
昔は、鉄道郵便局というのがありました。夜行列車内に郵便差し出し口があったのを覚えてます。
鉄道便という言葉もありましたね。駅のホームには荷物を計るハカリが置いてました。
@@藤原鎌足の子孫 鉄道小荷物ですね、宅配便が出来て、廃止になりました。私の従兄弟が鉄道郵便局の仕訳をやっていましたね。
リクエストを聞いてくださってありがとうございます!非常に分かりやすかったです。特に今でも鉄道と郵便局が協力していることにとても驚きました!これからも応援してます!
郵便車の歴史もおもしろいし素晴しいものだし価値あるものだと思うけど、この動画自体が本当にすばらしい価値あるものだとおもう。学校の教材にしてもいいくらいだとおもう。あまりに素晴しいのでお金はらいます
郵便車両の時代懐かしいですね。私が小中学生の頃です。鉄道郵便車の時代は長距離普通列車に連結されて多数運転されていました。1984年2月改正の貨物輸送の大幅整理が郵便車にとっても大きな転機だったようですね。その2年半後の国鉄最後の改正の時点では全滅に至っています。
ちげ~よ!国鉄では郵便📮は「貨物」ではなく「旅客」輸送の一部😉
なんかこういうのって時代を感じるなァ…今なんて郵便自体がメールに負けそうになってるけど…
郵便車の説明、とても分かりやすかったです
動画ありがとうございます😊元々は鉄道が好きですが、最近は郵便局巡りに行ったりします🏣まだ500局ぐらいしか巡っていませんが😂全国に約2万4000局はあると言われています😍郵便局の建物も個性豊かだし、社員さんの対応も好きです😊駅内で簡易局が入っているのは見た事がありますが、駅に特定局が入ってるのは初めて観ました😳👍郵便車が停車中、郵便入れがあるのも初めて知りました😊宮崎県延岡市で日向永井駅は🚉目の前に永井郵便局🏣と言う局がありかつては、郵便物の取り扱いをしてたと社員さんがお話ししておりました。北海道に昆布郵便局や東京の小笠原郵便局も行って観たいです。やっぱり宮内庁内郵便局は入って観たいです。過去に知人の紹介で入った方も居るそうです👍個人的に長くなりましたが🙏ありがとうございました。
2019年3月16日から明知鉄道で客貨混載輸送(日本郵便)始めてます。
近い将来 2024問題(トラック運転手不足問題)があったりするから、さすがに郵便・荷物専用車両の製造は無いとしても回送車を使った郵便・荷物輸送はあり得そうだなー
新幹線やJRバスを使う、貨物輸送もありますしね。
来年4月からだから今慌てる会社は手遅れ😅
最近だと新幹線を使った荷物輸送の実証実験もしていますね
郵便車は青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸にも保存されてますよ。
それは「郵便・荷物車」(スユニ50)😉
鉄郵か、なつかしいなぁ。大学時代の同級生で、バイトしてたのがいたなぁ。東浜(とうはま)、浜阪(はまはん)、阪糸(はんいと)、糸門(いともん)なんて、乗務区間を表す用語もなぜか知ってたり(笑)
東新(上野~新潟), 東松(新宿~松本), 敦金,金直…。
以前、鉄道郵便局に勤務していました。 クモユ141・143に乗車して、直江津から信越本線、高崎線、東北貨物線に入り、隅田川貨物駅までのルートでした。 途中の高崎まで115系と併結して、高崎から先は、新潟方面から来た郵便車を併結して隅田川貨物駅へ向かいました。 すでに護送便でしたが、積み卸しはあるので、冷房は必要でした。 現金書留があるので、緊張しながら乗務していました。
かつてはこちら土讃線にも郵便車が荷物車と共に活躍していました。客車と気動車両方が。国鉄時代の名物車両でした。気動車は昼間と夜行で時間を問わず走っていました。昔を懐かしんで涙が出たのぜ。😢
郵便車って昔あったんだ!今は見ることが出来ないなら貴重だ
郵政がブラックになるのは民営化後なんだよなぁ
利益にならん業種やもんなぁトラック輸送が時給換算やと学生のバイト並みやし
貯金のV90は闇が深い
何で?
幼少時に、EF58に牽引されてきたマニ・オユ等の列車が到着し、袋入りのを中から取り出してホームに投げていた光景を思い出します。このほか、踏切の近くでカンカンと鳴る中、EF58が高速で通過していくさまを近くで眺めて痺れたこともありました。
蛍光灯は帝国海軍潜水艦で標準化していたり、病院でクル病治療に使われたりと戦前からあった技術です普及しなかったのは当時は高すぎた価格のせいですね
法隆寺金堂の修復の際に東芝が提供した国産蛍光灯が使用された様です。昭和15(1940)年の事。
@@takana4381そも法隆寺の壁画が焼けたのは修復作業の際に灯りに使っていた蝋燭の火が燃え移ったからだと聞いたことがありますが実際は戦前から蛍光灯を使っていたのですね。ウィキペディアを見ても不審火とだけあって火災の詳しい原因は分からないようですし。
鉄道郵便の名残りで、JR駅に隣接している郵便局が現在もあります。ゆうちょ銀行があるのでよく利用してます。(例 山陰本線 宍道(しんじ)駅)
そう言えば東北新幹線で新鮮な魚とかを載せて運ぶとか始めたよね。時代は繰り返す…なのかな?
キハ58の郵便車は四国だけに存在していたな。四国以外で存在していなかったのが今では不思議。
四国は、気動車列車が多かったから併結を考えて多数の気動車郵便荷物車が存在したのをリアルに覚えています。よそは、客車列車が多かったから客車の郵便荷物車が多数派でしたね。
キハ58の形式があったこと覚えてますよ。土讃線後免駅至近に暮らす鉄オタです。
キユ25ですね。四国内の急行(キハ58系)に連結されて、予讃線、土讃線を走っていましたね。確か4両あったと思います。そのうちの一両が、松山→今治の国道317号線沿いで「でんぷん」という列車レストランとして営業してます。かなり植物に覆われていて、改造もされていますが、足回りそのままでちゃんとレールに乗ってます。
キユ25は40年以上前の子供の頃に買って貰ったトミックスのNゲージしか知らず、実車を見る事もなく全車廃車されてしまいました。郵政省の予算で製造されたので、新製時から冷房付きだった様ですね。素人目で見ても非冷房郵便車の労働環境は劣悪だったのが想像できます。真夏の昼間の区分けで流れ出る汗で郵便物が汚れたり、窓全開にすることで郵便物が車外へ吹き飛ばされたら大変なことですので。
昭和時代の四国の道路事情も悪かった。その点ではキユ25の存在は大きかったな。
北海道の夜行客車列車には郵便車や荷物車が1〜2両併結されていて、カゴ台車から郵便物を積み込む様子を何度か見たことがあります。
郵便車を送り込むほどではない地域は、郵便局員が列車に乗り込んで配達して折り返しの列車で帰ってくるという方式もあったらしい。十勝三股の例を見たことがある。あと、郵便局との複合型であれば、道南いさりび鉄道の渡島当別もそれのはず。
今でも飯田線沿線地域ではそういう方式だそうですね。例えば大嵐駅には配達用のバイクが常時駐輪してあって配達員は駅についたら郵便物をバイクに積んで配達に出かけるとか。
小さい頃郵便荷物列車が大好きで、よく駅に見に行った事を思い出します。先頭に立つEF58がカッコ良かったです。
郵便車は広島運転区にも残り昔はプラレール製品にもなってた。
昭和54年に短期間でしたけど金沢鉄郵で北陸本線の敦直間(敦賀⇔直江津)と七尾線の金輪間(金沢⇔輪島)を乗務していました。阪青(大阪⇔青森)上り下りは急行きたぐにに連結されていて、昭和47年の北陸トンネル列車火災事故の話を乗務されていた先輩から聞かされたことがありました。
そう言えば「荷札」を見なくなりましたね…
「荷札」はネットワーク業界で生き残っています。NTTへ工事指定する際に「MDF荷札」や「〇〇階IDF荷札」などと使います
郵便車も荷物車もなくなるんだったら、鉄してた頃に撮っとけばよかったとは思って昔の引っ張り出したら撮ってたwその写真で荷物車けん引してたのがDD13だったのにさらに驚いたw今は去る事40数年前の話だなw
郵便車がなくなっても、郵便物はコンテナで運ぶことを初めて知りました。
鉄道郵便車や荷物車も無いですからね。小学生の頃に御殿場線で、車掌室の前に新聞紙の束が、普通車に載ってましたよ。
昔、郵便局で592(ごーきゅーに)という呼び方の合理化を聞いた事があったんだけど、昭和59年2月の国鉄合理化に関する鉄道→トラック輸送への切り替えのことだったみたいですね。
この国鉄合理化の改正ではローカル線の小荷物輸送も鉄道から鉄道代行便と表示された運送会社のトラック輸送に民間委託されました。
その前に5310 ごーさんとーがあり、鉄郵の組合員が合理化反対の署名活動をやっていましたね。
南海にも私鉄では珍しく郵便車がありましたね。ポストや仕分け室も備わっていたようです。
大きな駅のホームには郵便ポストがあって、街中のポストと同様に郵便物を出せましたっけ。ポストに書かれた取集局名は「○○鉄道郵便局」で、消印もその局名のものが捺されて宛先に届けられました。
因みに京都駅には今でもホーム上にポストがあります。
16:35霊夢「なんかくたびれてるね」で草w
モーターサイクルとトラックが輸送で有利だからな。
常磐線沿線から東海道本線沿線へ引っ越して一番最初に目についたのが、下り電車の先頭の郵便車、荷物車ですね。それとEF58が引っ張る郵便列車でした。冬場になると車両の下回りから暖房用?のスチームをたなびかせて結構な勢いで走っていった姿を思い出します。
暖房用で合ってます😉
以前、通常郵便物の配達日数が延びたことで鉄道コンテナを使いやすくなったな。人身事故とかで遅延した場合、その影響を吸収しやすくなったから。
大阪環状線は環状線だけど行き先はユニバーサルシティ、奈良、関空、和歌山と様々ある。
そのユニバーサルシティの1個前の安治川口に大阪の拠点になる新大阪郵便局という巨大な局というよりターミナルがあるんだけど、名前が名前だけに新大阪駅にあるとよく間違えられてる
一番可愛そうな郵便者はクモユ143 。 3年くらいしか使わなかったし。しかも国鉄所有じゃないから改造できず廃車、のちに鉄コレ20弾シクレで人気になった形式。
荷物電車と言えば佐川急便貸し切りの貨物電車「スーパーレイルカーゴ」が東京貨物ターミナルから大阪の安治川口までをM250系で6時間11分表定速度91キロ曲線通過速度は本則+20キロ最速度130キロで走り東海道本線のうち東京都〜大阪府間を走破した全ての列車の中で歴代最速❗
所変わってフランスでは、あの高速列車のTGVの郵便専用車両のTGV La Poste という列車が走ってたけど、こちらも2015年限りで廃止済み…。
そのTGVって黄色のTGVですか?
@@ルイージ-g4c 確かそうです。
2024年問題もあるし一部の鉄道輸送振り替えはありうるはなし。大手中堅運送会社は将来見据えて一部鉄道輸送シフト傾向にある。東京大阪郵便ライナーが佐川さんや福山さんみたいにできる可能性はある
郵政内では鉄道部門を「鉄郵」と言ってました。駅に隣接した「中央郵便局」内に普通の郵便関係とは別組織で「鉄郵」が併存する形。局の地下から台車を使い、レールの下を通るトンネルがあり、エレベータもあった。普通の職員とは組合も含め、別組織だった。なお、車両内の区分けや積卸が英国の動画に、記録されています。
昭和50年代の時刻表見ると各地の幹線に長距離鈍行が必ずといっていいほど運転されていました。当時すでに長距離移動は急行や特急を利用するのが一般的になっており、長距離鈍行を全区間通しで乗る人など少数派でしたが、どうしてそんな列車が残っていたのか、といえば荷物輸送、郵便輸送のためなんですよね。これら長距離鈍行も優良"顧客"である郵便、荷物輸送廃止とともに存在価値を失い、どんどん廃止されてしまいました。
昔、地元のローカル線に郵便荷客車が走っていて、乗客数が多い時間帯は郵便車にも乗せてくれていたな(当然立ち席のみで吊革とか無い)。
昔、鉄道郵便の消印を集めておりました。懐かしく拝見させていただきました。
郵便は昔から身近な存在で、常磐線を走ってた郵便車を見るのが好きでした。今じゃ利用頻度も減りましたがそれでも「郵便の話」は大好きです。
近い将来、トラックドライバー問題があるので鉄郵が復活するかもしれませんね。ドライバーも長距離かつ家族に会えないブラック業界だし、改革が必要。
かつての東京駅丸の内駅舎に隣接していた東京中央郵便局(いまのKITTE)東京駅構内に停車した郵便車から直接郵便物を搬入できる地下ベルトコンベアがあったそうだけど、見てみたかったなあ。
クモユ143は新造後数年で廃車となり解体されたんだよね。旧郵政省所有車両だったからかもしれないがもったいない・・・
郵便物を運ぶのは自動車と二輪車が一般的ですけど、鉄道で運んでいた時期があったなんて初めて知りました。
路線バスで運んでいた事例もありましたよ。最前列の席に郵袋をひとつかふたつ載せていました。
郵便車は国立市の郵政研修センターの敷地内にも保存車があります。公開はされていませんが、道路から見えます。
学生時代 まだ郵便車があって冬休みのバイトでキユ キユニに乗ってました。行った先には宿舎があり翌日の便で帰るパターンでしたよ。
郵便局員ですが先輩に鉄郵出身の方いました。○○中央郵便局ってかなりの確率で駅前にあります。いまでは集中局の役目終えてるところ多いです。地下道ある東京中央も窓口業務のみです。
列車で荷物を運ぶというと、「新聞電車」もあるよね。通常列車をシートで区切ってやる場合と専用列車で運ぶ場合があって、国鉄を始め、小田急なんかもあったな。いずれも、今はトラックで運ぶんだろうけど、昔は駅で見かけたね。
国鉄の荷物輸送の廃止が大きいですね、当時の旅客列車には無い冷房が郵政省所有の郵便車(電車・気動車・客車)には付いてましたね、
郵便車にいち早く冷房が設置された事で国鉄に「客は冷房無しで乗せるのに郵便や荷物は冷やすのか」ってクレームが沢山あったそうで。そんなこと言われてもユやユニは郵政省の管轄で国鉄とは財布が違うからなんとも言い返せず…
関西から北陸まで貨物は乗り換えなしに行けるのに、人間様は敦賀で乗り換えさせられるのか?
@@DoReMiLight悔しかったら貨物と同じように文句言わずに運ばれやがれください
確かに昔は、大都市の駅の至近に「中央郵便局」ありましたね。
東京、川崎、横浜、今は窓口だけに格下げされた。
名古屋,京都も。京都なんかは、1番線ホームに直結の出入口があったりして。
ターミナル駅前の一等地に店を構えていた中央郵便局。小泉竹中を始めとしたハゲタカ共が狙わぬ訳は無い。郵政は民営化攻撃でやられ、特に大阪中央局は桜橋から辺鄙な地下街へと追いやられた。あまつさえ歴史的建造物の局舎も破壊されて。
今も京都や福岡はあるんじゃない?😋
大阪中央局も現在は北局に統合されたみたいですね。@@N--jv3go
なんか客車鈍行が走っていたとき、旅客列車の脇に郵便か高速貨物も連結する列車の時刻表も載ってました。パレット荷物と郵便を運ぶのがあって、駅の郵便局に集配されたのが列車で運ばれたんだもんね。あと急行列車の先頭か最後尾に郵便車がくっついてたし、電車の郵便車2両旅客車2両と旅客&郵便合造車とかもあったから、高速道路網出来上がるまでは鉄道が大事だったんだねああっ!飯田線郵便車!懐かしい!
鉄道ファンの友達が、郵政民営化前鉄道郵便車に乗っていました。青森に行ったり九州にもいいっていたといってました。その郵便後荷物列車の廃止で地域の郵便配達係になりさらに郵政民営化で契約社員になってしまったのですが、責任だけは変わらずダラダラしている正社員のトラブル対処までやらされて精神を病んでしまい退職。今彼は、携帯電話もつながらない。住所もわからないで完全に行方不明になっています。元気にしてるんやろか。
へぇーそうだったの?、地元では名残りと言う訳では無かろうが、代表駅の直ぐ近くに、規模の大きな郵便局が存在してるんだねぇ。
たしか航空機も、黎明期は郵便も多かったはず
子供のころは普通に見ました。懐かしいです。
昔名寄線がまだあったころ、遠軽駅で18時頃発車の興部行きの列車に郵便車が付いていたのを覚えています。
郵便鉄道車輛は見れたらプレミア感ありました😊東海道本線と横須賀線で見たことあります、大半先頭で走ってましたね😅
儂も列車での郵便仕分けの仕事をやりたかったが、儂が社会人なった時にはもう既(すで)に廃止されたので、今、考えると、あの社会主義の日本が懐かしい……車なんてと思うけど、時制だねぇ~
福知山線で旧型客車の普通列車に必ず郵便荷物車が連結されてましたね。旧型客車全廃でなくなりましたが。
鉄道貨物輸送を増やしたほうが良いと思うんだけどなートラックの運転手とかの問題も解決すると思う。
1977年、気仙沼線の全線開業に行った時の帰りに乗った大船渡線(多分、キハ ユニ)。隣の車輛に行ってみようと思って扉を開けたら、郵便の仕分け作業を行っていた。子供心に「ヤバイ !!!」と思ってすぐに扉を閉めたけど、郵便局員さん(?)とはバッチリ目が合った。移動中も仕分け作業を行っていた事を知れたのは、貴重な体験だったと思う。
「照度」については、けっこう暗かったと記憶しています。
鉄道で郵便輸送する必要無くなると地方に関してはそれだけで鉄道の存在価値の一つを失うことになる。ローカル線が廃止される要因にもなるよ。
今も郵便や荷物を鉄道で運んでいたら、クモハユニE233系なんて車両があったかも。
昔は郵便車にポスト付いてて旅のハガキをその場で送れたらしいですね。なんか今よりロマンがありますね。
45年前加古川線でキハユニ15って流線形の電気気動車(エンジンで発電してモーターを回す)に乗ったことがあります
小野田線で走っているクモハ123が、現存する最後の荷物車改造車ということになりますか😗上野などの大きな駅では、人混みを掻き分けるようにターレが荷物トレーラを繋いで走り。大概最後尾に繋いであったクモニやカニにドッカンドッカン荷物を積み込み。時は流れ、ブルトレの最後尾のカニ24はいつの間にかカヤ24と名を変え、今や歴史の彼方。昭和って、猥雑な時代だったんだなあとつくづく思います🤔
日本郵便の父・前島密氏、1円切手の人物ですね
動画興味深く拝見させて頂きました。郵便車について知ることができ良かったです。私は今こそ郵便も宅配便も新幹線からローカル線まで貨客混載列車させ更なるモーダルシフトをより強化すべきと考えます。人口減の中、トラックドライバー含めた大型車の運転手不足のみならず、危機的状況にある日本の旅客列車を貨物混載を進めることにより乗客の運賃以外に貨物からの収入を得ないと都心部でも廃線、廃線にならずとも更なる減便か、大幅な値上げになります。乗客の待ち時間が貨物の積み下ろしのために増えることについては私はそれで良いし、集荷と受取を柔軟に対応してもらえるなら大きな荷物なら最寄り駅まで荷物取りに行く、出すという仕組みも良いと思います。
未だ、郵便番号の無い頃、郵便車の中で、細かい行き先の仕分け作業をしていましたし、跨線橋に並行して、小荷物や郵便物の移動のリフトがありました。
昭和40年代までの長距離の夜行客車急行には必ずと言っていいほど郵便車と荷物車が連結されていて、現在の鉄道模型で再現するとアクセントを添えている。ただその時期からストライキが過激になり輸送が本当に確保出来るのかという風潮になり、トラック便、やがては宅配便という流れに敵わなかったのも事実。スーパーレイルカーゴの様なスタイルをもう少し活用出来れば、2024年問題にも取り組めるのでは無いか。
背景画像に台風で流された別所線の鉄橋が使われているのが芸が細かいと感心してしまった。
18:44に出てくる千葉県鴨川市の江見駅にある郵便ポスト。地方に行くとよくある角形の小型タイプなんだけど、よーく見たら113系スカ色のカラーに加えて全面を模しているという芸の細かさ😄
ググったら郵便車のクモユニ74012を模した物だそうです。しかも両サイドのカラーが微妙に違うという力の入れよう😅
@@Lancee259 ずっとクモユニ143だと思ってたわ、確かにそうだわ
郵便車に投函された郵便が、逆方向だったらムッとするだろうなぁ
郵便列車懐かしいです。JRになる前になくなってしまい残念だと私は思います。寂しい。当時の日本郵政公社がJP日本郵便になっても続けて欲しかった。もし、道路が渋滞又は船と飛行機が欠航したら、必要だったと私は思います。現在は佐川急便のスーパーレールカーゴや佐川急便以外のロングパスなどが活躍中です。
新越谷郵便局での鉄道コンテナ扱い、過去にはあったけど、今はほぼ皆無ですね。至近の越谷貨物ターミナル駅発着の郵便物コンテナは、ほぼ新岩槻郵便局発着です。 ちなみに、新越谷郵便局開局前は、新岩槻局もまだ無く、越谷貨物ターミナル発着の郵便物は、越谷郵便局や、さいたま新都心郵便局扱いがメインでしたね。
郵便車に郵袋を載せる下ろすをよく見たけど、重いしあまり丁寧に扱って無かったような記憶です。荷物車には「チッキ」で客が駅から荷物を出し、送り届けた駅で「チッキ」の附票を見せて、荷主が渡した荷物を貰う。何とも手間がかかる時代でしたねー。コンビニや郵便局で手軽に配送が出来る時代には、鉄道を介して運搬するというのは、人手がかかり過ぎて非効率だと思います。大都市間だけでも郵便車、貨物車を復活させ、そこでトラック便に仕分けする事は可能ですが、積み下ろし、集配に余計なコストがかかるでしょう。今は大型のトラックターミナルを配送大手は各地に持ってます。鉄道輸送は、まあ、過酷な労働なんでブラック職種に挙げられます(笑)。
私の地元を走っていた夜行列車に郵便マークのついた車両が連結されていたのを覚えています。早朝の地元駅で積み降ろしもされていた?のかもです。
【鉄郵一家】という言葉が残っていることをご存知の方もいまだ多いと思います。明治後期(明治38年ごろ?)鉄道と郵便は【逓信省】という組織の中にあったように記憶しています。
昭和40年代後半から昭和50年代のこと、なんとなく覚えています。基本的には今のような郵便配達事情が確立されてゆくんだけど、田舎の方はこんな感じでしたね。ハガキや手紙は、全国津々浦々ポストがあったので普通に集配局に集められてトラック輸送だったんだけど、特に田舎なら、郵便小包は駅に持っていく感じでした。だからローカル線でも有人駅が多くて、有人駅なら窓口では、切符の販売より郵便小包の受付の方がメインという印象でしたよwそういえば覚えているのは高山本線で、全ての駅に駅員さんがいました。もちろん貨物列車も多く走っていましたが、普通列車に必ず郵便車が1両あって、列車が駅につく度に郵便物~主に郵便小包~の袋を積み込んだり降ろしたり。小包は、発送だけでなく、受け取りも駅だった記憶ですよw 到着列車が分かるので、それにあわせて駅に行く感じでした。でもまぁ、それも昭和50年代半ばまで。昭和50年代になると、ヤマト運輸など小口の運送事業者が出現してきたので、わざわざ駅まで発送・受け取りに行かなくてもよくなったからでした。
諸外国、特にフランスでは郵便と鉄道の連結は重要視されていて、TGV開業後すぐに郵便専用編成が配備されていた。急行列車が「~メイル」と郵便急配便の名称を持つことも英仏では伝統的に多かった。新幹線に郵便車両が用意されなかったのは大阪駅側の無配慮によるだろう。国鉄末期に航路連絡便が現金入り郵袋を紛失し、現業者間でトラブルになった事件があり、国鉄側の補償額の低さに郵便事業者たる郵政省は驚いていた。タイミングとしてはその後大規模に郵便は鉄道利用から退出するのである。因果関係は知らない。
環境の為に鉄道郵便を復活してほしい
そう言っても大半の連中は運賃が安いほうを選ぶ
トラック運転手も鉄道の運転士も人手不足って言われてますよね。日本人になり手がいないならばまたも困ったときの外国人頼みになるのか、それとも自動運転車を使ってでも走らせるのか?
そういえば、80年代以降鉄道貨物はほとんどがコンテナに置き換わりましたね。貨車だと上げ下ろしに手間がかかります。そのため多くの人手が必要ですが、コンテナに移行してからそれだけの人員が余剰になったわけです。後、貨車自体も余剰になりました。
昔は鉄道の郵便に終始、今は国内の安保等全てにアメリカが注文を付けてたとは……。私も考えさせられました。2024.1.20
ならちうごく🇨🇳の犬になるか?😜
タカラトミー(当時はトミー)社のプラレールも初期バージョンは「郵便車」も販売してました(遠い目…もし、今あればプレミア物だったなぁ(汗
大阪の中央郵便局の横に鉄道郵便局が在りましたね、その前にあったポストは取扱い郵便局が鉄道郵便局になっていました安治川口駅に隣接して新大阪郵便局も在りますね
郵便のトラック輸送ってそれこそ2024年問題って言って来年には長距離輸送が破綻するって言われてるのですから問題解決のためにも鉄道輸送の活用って急務だと思いますけどね。
そう言えば、今から50数年ほど前、母が長崎から実家の藤枝に帰る際、荷物をチッキとして、佐々駅(当時の国鉄松浦線)に預けていました。佐世保から静岡まで、特急さくら号で行っていましたが、荷物は先に着いていました。
鮮魚新幹線を連想しました。(´・ω・`)
荷物の扱いが雑(荷物を投げる、蹴る)で、、、一般客が見ているホームでもムチャクチャな扱いで、、物が潰れる等々で信頼を失い、、、民間宅配が台頭。
私の父がまさにその業務をしていたのを子供の時に聞かされておりました。いまはもうありませんが、かつて名古屋駅に隣接して建ってた名古屋中央郵便局で働いていて、これも今は跡形もなくなっているのですが、名古屋駅の1番ホームの反対側(郵便局側)に荷物車・郵便車専用ホームがあって、列車が到着するたびに荷札のついた郵袋を積み下ろしていたそうです。年たつの年賀状などで郵便の量が増えると下ろしきれずに郵便車に閉じ込められて熱田や枇杷島の駅まで行っちゃったりして上司によく怒られたそうです。なんか私が子供の頃におぼろげながら名古屋駅に連れてってもらって、いわゆる親父の職場を見せてもらった記憶があります(昭和55年頃、私が小学校時代の話です)。
今は荷物や郵便を鉄道で運ぶとなるとコンテナ便になるんだな。
それに長距離トラックはかなりの重労働だから、労働環境改善の為にも長距離便は鉄道でやったら良いのかもしれない。
鉄道、トラック、船、飛行機は対立するだけでなく、お互いの長所でお互いの欠点を補完する様に連携すべきだな。
モーダルシフトを徹底させるいい機会
昔、カーテンで客室としきっていたのを覚えています。駅で二人組で大きな袋を数を数えながら、下ろしたり積んだりしているのを見たことがあります。
郵便の鉄道輸送が無くなってしまいましたが、国鉄の鉄道員から郵便屋さんになられた方々も多かったと聞いています。
国鉄時代、郵便車を追いかけて (=郵便車内で使われる日付印《にっぷいん》集め)いて、乗り鉄になってしまいました。
当時の記憶が蘇る、素敵な動画ですね。
Upして下さり、ありがとうございます。🙇
日付印《にっぷいん》・・・私は「ひづけいん」と聞かされていました。
学生時代の文通相手からの消印が鉄道郵便で押される「鉄郵印」だったのを覚えています。
日付印上段に、「米原貴生川間」
日付印下段に、「下 二」
と刻印されてました、懐かしいです。
日附印っですかね?
おおっ、そうでした。“日附印”です。
【本務者の方(かた)でしょうか。】
昭和の時代、郵政で数年アルバイトしていて、その流れで鉄道郵便に興味を持ち、夜行列車メインの乗り鉄になったのに、お恥ずかしい…。
ご教示いただき、ありがとうございます。🙇
身延線のなつかしい車両を載せていただきありがとうございます。
高校生の時にアルバイトで駅に郵袋を取りに行ったのが懐かしいです。
母親の姉が市川大門に住んでいて、甲府から身延線に乗っていきました。
この車両は運行当初は非冷房(というか、身延線自体、115系も非冷房で順次、
冷房化されたけど。)だった覚えがあります。
載ってないけど…😁
昔は、鉄道郵便局というのがありました。夜行列車内に郵便差し出し口があったのを覚えてます。
鉄道便という言葉もありましたね。駅のホームには荷物を計るハカリが置いてました。
@@藤原鎌足の子孫
鉄道小荷物ですね、宅配便が出来て、廃止になりました。
私の従兄弟が鉄道郵便局の仕訳をやっていましたね。
リクエストを聞いてくださって
ありがとうございます!
非常に分かりやすかったです。
特に今でも鉄道と郵便局が協力していることにとても驚きました!
これからも応援してます!
郵便車の歴史もおもしろいし素晴しいものだし価値あるものだと思うけど、この動画自体が本当にすばらしい価値あるものだとおもう。学校の教材にしてもいいくらいだとおもう。あまりに素晴しいのでお金はらいます
郵便車両の時代懐かしいですね。私が小中学生の頃です。鉄道郵便車の時代は長距離普通列車に連結されて多数運転されていました。1984年2月改正の貨物輸送の大幅整理が郵便車にとっても大きな転機だったようですね。その2年半後の国鉄最後の改正の時点では全滅に至っています。
ちげ~よ!国鉄では郵便📮は「貨物」ではなく「旅客」輸送の一部😉
なんかこういうのって時代を感じるなァ…
今なんて郵便自体がメールに負けそうになってるけど…
郵便車の説明、とても分かりやすかったです
動画ありがとうございます😊元々は鉄道が好きですが、最近は郵便局巡りに行ったりします🏣まだ500局ぐらいしか巡っていませんが😂全国に約2万4000局はあると言われています😍郵便局の建物も個性豊かだし、社員さんの対応も好きです😊
駅内で簡易局が入っているのは見た事がありますが、駅に特定局が入ってるのは初めて観ました😳👍
郵便車が停車中、郵便入れがあるのも初めて知りました😊
宮崎県延岡市で日向永井駅は🚉目の前に永井郵便局🏣と言う局がありかつては、郵便物の取り扱いをしてたと社員さんがお話ししておりました。
北海道に昆布郵便局や東京の小笠原郵便局も行って観たいです。やっぱり宮内庁内郵便局は入って観たいです。過去に知人の紹介で入った方も居るそうです👍
個人的に長くなりましたが🙏ありがとうございました。
2019年3月16日から明知鉄道で客貨混載輸送(日本郵便)始めてます。
近い将来 2024問題(トラック運転手不足問題)があったりするから、さすがに郵便・荷物専用車両の製造は無いとしても回送車を使った郵便・荷物輸送はあり得そうだなー
新幹線やJRバスを使う、貨物輸送もありますしね。
来年4月からだから今慌てる会社は手遅れ😅
最近だと新幹線を使った荷物輸送の実証実験もしていますね
郵便車は青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸にも保存されてますよ。
それは「郵便・荷物車」(スユニ50)😉
鉄郵か、なつかしいなぁ。大学時代の同級生で、バイトしてたのがいたなぁ。
東浜(とうはま)、浜阪(はまはん)、阪糸(はんいと)、糸門(いともん)なんて、乗務区間を表す用語もなぜか知ってたり(笑)
東新(上野~新潟), 東松(新宿~松本), 敦金,金直…。
以前、鉄道郵便局に勤務していました。
クモユ141・143に乗車して、直江津から信越本線、高崎線、東北貨物線に入り、隅田川貨物駅までのルートでした。
途中の高崎まで115系と併結して、高崎から先は、新潟方面から来た郵便車を併結して隅田川貨物駅へ向かいました。
すでに護送便でしたが、積み卸しはあるので、冷房は必要でした。
現金書留があるので、緊張しながら乗務していました。
かつてはこちら土讃線にも郵便車が荷物車と共に活躍していました。客車と気動車両方が。国鉄時代の名物車両でした。気動車は昼間と夜行で時間を問わず走っていました。昔を懐かしんで涙が出たのぜ。😢
郵便車って昔あったんだ!今は見ることが出来ないなら貴重だ
郵政がブラックになるのは民営化後なんだよなぁ
利益にならん業種やもんなぁ
トラック輸送が時給換算やと学生のバイト並みやし
貯金のV90は闇が深い
何で?
幼少時に、EF58に牽引されてきたマニ・オユ等の列車が到着し、袋入りのを中から取り出してホームに投げていた光景を思い出します。
このほか、踏切の近くでカンカンと鳴る中、EF58が高速で通過していくさまを近くで眺めて痺れたこともありました。
蛍光灯は帝国海軍潜水艦で標準化していたり、病院でクル病治療に使われたりと戦前からあった技術です
普及しなかったのは当時は高すぎた価格のせいですね
法隆寺金堂の修復の際に東芝が提供した国産蛍光灯が使用された様です。昭和15(1940)年の事。
@@takana4381そも法隆寺の壁画が焼けたのは修復作業の際に灯りに使っていた蝋燭の火が燃え移ったからだと聞いたことがありますが実際は戦前から蛍光灯を使っていたのですね。ウィキペディアを見ても不審火とだけあって火災の詳しい原因は分からないようですし。
鉄道郵便の名残りで、JR駅に隣接している郵便局が現在もあります。ゆうちょ銀行があるのでよく利用してます。(例 山陰本線 宍道(しんじ)駅)
そう言えば東北新幹線で新鮮な魚とかを載せて運ぶとか始めたよね。時代は繰り返す…なのかな?
キハ58の郵便車は四国だけに存在していたな。
四国以外で存在していなかったのが今では不思議。
四国は、気動車列車が多かったから併結を考えて多数の気動車郵便荷物車が存在したのをリアルに覚えています。よそは、客車列車が多かったから客車の郵便荷物車が多数派でしたね。
キハ58の形式があったこと覚えてますよ。土讃線後免駅至近に暮らす鉄オタです。
キユ25ですね。四国内の急行(キハ58系)に連結されて、予讃線、土讃線を走っていましたね。
確か4両あったと思います。
そのうちの一両が、松山→今治の国道317号線沿いで「でんぷん」という列車レストランとして営業してます。
かなり植物に覆われていて、改造もされていますが、足回りそのままでちゃんとレールに乗ってます。
キユ25は40年以上前の子供の頃に買って貰ったトミックスのNゲージしか知らず、実車を見る事もなく全車廃車されてしまいました。郵政省の予算で製造されたので、新製時から冷房付きだった様ですね。素人目で見ても非冷房郵便車の労働環境は劣悪だったのが想像できます。真夏の昼間の区分けで流れ出る汗で郵便物が汚れたり、窓全開にすることで郵便物が車外へ吹き飛ばされたら大変なことですので。
昭和時代の四国の道路事情も悪かった。その点ではキユ25の存在は大きかったな。
北海道の夜行客車列車には郵便車や荷物車が1〜2両併結されていて、カゴ台車から郵便物を積み込む様子を何度か見たことがあります。
郵便車を送り込むほどではない地域は、郵便局員が列車に乗り込んで配達して折り返しの列車で帰ってくるという方式もあったらしい。十勝三股の例を見たことがある。あと、郵便局との複合型であれば、道南いさりび鉄道の渡島当別もそれのはず。
今でも飯田線沿線地域ではそういう方式だそうですね。例えば大嵐駅には配達用のバイクが常時駐輪してあって配達員は駅についたら郵便物をバイクに積んで配達に出かけるとか。
小さい頃郵便荷物列車が大好きで、よく駅に見に行った事を思い出します。
先頭に立つEF58がカッコ良かったです。
郵便車は広島運転区にも残り昔はプラレール製品にもなってた。
昭和54年に短期間でしたけど金沢鉄郵で北陸本線の敦直間(敦賀⇔直江津)と七尾線の金輪間(金沢⇔輪島)を乗務していました。阪青(大阪⇔青森)上り下りは急行きたぐにに連結されていて、昭和47年の北陸トンネル列車火災事故の話を乗務されていた先輩から聞かされたことがありました。
そう言えば「荷札」を見なくなりましたね…
「荷札」はネットワーク業界で生き残っています。NTTへ工事指定する際に「MDF荷札」や「〇〇階IDF荷札」などと使います
郵便車も荷物車もなくなるんだったら、
鉄してた頃に撮っとけばよかったとは思って昔の引っ張り出したら撮ってたw
その写真で荷物車けん引してたのがDD13だったのにさらに驚いたw
今は去る事40数年前の話だなw
郵便車がなくなっても、郵便物はコンテナで運ぶことを初めて知りました。
鉄道郵便車や荷物車も無いですからね。小学生の頃に御殿場線で、車掌室の前に新聞紙の束が、普通車に載ってましたよ。
昔、郵便局で592(ごーきゅーに)という呼び方の合理化を聞いた事があったんだけど、昭和59年2月の国鉄合理化に関する鉄道→トラック輸送への切り替えのことだったみたいですね。
この国鉄合理化の改正ではローカル線の小荷物輸送も鉄道から鉄道代行便と表示された運送会社のトラック輸送に民間委託されました。
その前に5310 ごーさんとー
があり、鉄郵の組合員が合理化反対の署名活動をやっていましたね。
南海にも私鉄では珍しく郵便車がありましたね。
ポストや仕分け室も備わっていたようです。
大きな駅のホームには郵便ポストがあって、街中のポストと同様に郵便物を出せましたっけ。
ポストに書かれた取集局名は「○○鉄道郵便局」で、消印もその局名のものが捺されて宛先に届けられました。
因みに京都駅には今でもホーム上にポストがあります。
16:35
霊夢「なんかくたびれてるね」で草w
モーターサイクルとトラックが輸送で有利だからな。
常磐線沿線から東海道本線沿線へ引っ越して一番最初に目についたのが、下り電車の先頭の郵便車、荷物車ですね。それとEF58が引っ張る郵便列車でした。冬場になると車両の下回りから暖房用?のスチームをたなびかせて結構な勢いで走っていった姿を思い出します。
暖房用で合ってます😉
以前、通常郵便物の配達日数が延びたことで
鉄道コンテナを使いやすくなったな。
人身事故とかで遅延した場合、
その影響を吸収しやすくなったから。
大阪環状線は環状線だけど行き先はユニバーサルシティ、奈良、関空、和歌山と様々ある。
そのユニバーサルシティの1個前の安治川口に大阪の拠点になる新大阪郵便局という巨大な局というよりターミナルがあるんだけど、名前が名前だけに新大阪駅にあるとよく間違えられてる
一番可愛そうな郵便者はクモユ143 。 3年くらいしか使わなかったし。しかも国鉄所有じゃないから改造できず廃車、のちに鉄コレ20弾シクレで人気になった形式。
荷物電車と言えば
佐川急便貸し切りの
貨物電車
「スーパーレイルカーゴ」が
東京貨物ターミナルから
大阪の安治川口までを
M250系で
6時間11分
表定速度91キロ
曲線通過速度は
本則+20キロ
最速度130キロで走り
東海道本線のうち東京都〜大阪府間を走破した全ての列車の中で
歴代最速❗
所変わってフランスでは、あの高速列車のTGVの郵便専用車両のTGV La Poste という列車が走ってたけど、こちらも2015年限りで廃止済み…。
そのTGVって黄色のTGVですか?
@@ルイージ-g4c 確かそうです。
2024年問題もあるし一部の鉄道輸送振り替えはありうるはなし。大手中堅運送会社は将来見据えて一部鉄道輸送シフト傾向にある。東京大阪郵便ライナーが佐川さんや福山さんみたいにできる可能性はある
郵政内では鉄道部門を「鉄郵」と言ってました。駅に隣接した「中央郵便局」内に普通の郵便関係とは別組織で「鉄郵」が併存する形。局の地下から台車を使い、レールの下を通るトンネルがあり、エレベータもあった。普通の職員とは組合も含め、別組織だった。なお、車両内の区分けや積卸が英国の動画に、記録されています。
昭和50年代の時刻表見ると各地の幹線に長距離鈍行が必ずといっていいほど運転されていました。当時すでに長距離移動は急行や特急を利用するのが一般的になっており、長距離鈍行を全区間通しで乗る人など少数派でしたが、どうしてそんな列車が残っていたのか、といえば荷物輸送、郵便輸送のためなんですよね。
これら長距離鈍行も優良"顧客"である郵便、荷物輸送廃止とともに存在価値を失い、どんどん廃止されてしまいました。
昔、地元のローカル線に郵便荷客車が走っていて、乗客数が多い時間帯は郵便車にも乗せてくれていたな(当然立ち席のみで吊革とか無い)。
昔、鉄道郵便の消印を集めておりました。
懐かしく拝見させていただきました。
郵便は昔から身近な存在で、常磐線を走ってた郵便車を見るのが好きでした。今じゃ利用頻度も減りましたがそれでも「郵便の話」は大好きです。
近い将来、トラックドライバー問題があるので鉄郵が復活するかもしれませんね。ドライバーも長距離かつ家族に会えないブラック業界だし、改革が必要。
かつての東京駅丸の内駅舎に隣接していた東京中央郵便局(いまのKITTE)
東京駅構内に停車した郵便車から直接郵便物を搬入できる地下ベルトコンベアがあったそうだけど、見てみたかったなあ。
クモユ143は新造後数年で廃車となり解体されたんだよね。
旧郵政省所有車両だったからかもしれないがもったいない・・・
郵便物を運ぶのは自動車と二輪車が一般的ですけど、鉄道で運んでいた時期があったなんて初めて知りました。
路線バスで運んでいた事例もありましたよ。最前列の席に郵袋をひとつかふたつ載せていました。
郵便車は国立市の郵政研修センターの敷地内にも保存車があります。公開はされていませんが、道路から見えます。
学生時代 まだ郵便車があって
冬休みのバイトで
キユ キユニに乗ってました。
行った先には宿舎があり
翌日の便で帰るパターンでしたよ。
郵便局員ですが先輩に鉄郵出身の方いました。○○中央郵便局ってかなりの確率で駅前にあります。いまでは集中局の役目終えてるところ多いです。地下道ある東京中央も窓口業務のみです。
列車で荷物を運ぶというと、「新聞電車」もあるよね。
通常列車をシートで区切ってやる場合と専用列車で運ぶ場合があって、国鉄を始め、小田急なんかもあったな。
いずれも、今はトラックで運ぶんだろうけど、昔は駅で見かけたね。
国鉄の荷物輸送の廃止が大きいですね、当時の旅客列車には無い冷房が郵政省所有の郵便車(電車・気動車・客車)には付いてましたね、
郵便車にいち早く冷房が設置された事で国鉄に「客は冷房無しで乗せるのに郵便や荷物は冷やすのか」ってクレームが沢山あったそうで。そんなこと言われてもユやユニは郵政省の管轄で国鉄とは財布が違うからなんとも言い返せず…
関西から北陸まで貨物は乗り換えなしに行けるのに、
人間様は敦賀で乗り換えさせられるのか?
@@DoReMiLight悔しかったら貨物と同じように文句言わずに運ばれやがれください
確かに昔は、大都市の駅の至近に「中央郵便局」ありましたね。
東京、川崎、横浜、今は窓口だけに格下げされた。
名古屋,京都も。
京都なんかは、1番線ホームに直結の出入口があったりして。
ターミナル駅前の一等地に店を構えていた中央郵便局。小泉竹中を始めとしたハゲタカ共が狙わぬ訳は無い。
郵政は民営化攻撃でやられ、特に大阪中央局は桜橋から辺鄙な地下街へと追いやられた。あまつさえ歴史的建造物の局舎も破壊されて。
今も京都や福岡はあるんじゃない?😋
大阪中央局も現在は北局に統合されたみたいですね。@@N--jv3go
なんか客車鈍行が走っていたとき、旅客列車の脇に郵便か高速貨物も連結する列車の時刻表も載ってました。パレット荷物と郵便を運ぶのがあって、駅の郵便局に集配されたのが列車で運ばれたんだもんね。あと急行列車の先頭か最後尾に郵便車がくっついてたし、電車の郵便車2両旅客車2両と旅客&郵便合造車とかもあったから、高速道路網出来上がるまでは鉄道が大事だったんだね
ああっ!飯田線郵便車!懐かしい!
鉄道ファンの友達が、郵政民営化前鉄道郵便車に乗っていました。青森に行ったり九州にもいいっていたといってました。
その郵便後荷物列車の廃止で地域の郵便配達係になりさらに郵政民営化で契約社員になってしまったのですが、責任だけは変わらず
ダラダラしている正社員のトラブル対処までやらされて精神を病んでしまい退職。
今彼は、携帯電話もつながらない。住所もわからないで完全に行方不明になっています。元気にしてるんやろか。
へぇーそうだったの?、地元では名残りと言う訳では無かろうが、代表駅の直ぐ近くに、規模の大きな郵便局が存在してるんだねぇ。
たしか航空機も、黎明期は郵便も多かったはず
子供のころは普通に見ました。懐かしいです。
昔名寄線がまだあったころ、遠軽駅で18時頃発車の興部行きの列車に郵便車が付いていたのを覚えています。
郵便鉄道車輛は見れたらプレミア感ありました😊東海道本線と横須賀線で見たことあります、大半先頭で走ってましたね😅
儂も列車での郵便仕分けの仕事をやりたかったが、儂が社会人なった時にはもう既(すで)に廃止されたので、今、考えると、あの社会主義の日本が懐かしい……車なんてと思うけど、時制だねぇ~
福知山線で旧型客車の普通列車に必ず郵便荷物車が連結されてましたね。
旧型客車全廃でなくなりましたが。
鉄道貨物輸送を増やしたほうが良いと思うんだけどなー
トラックの運転手とかの問題も解決すると思う。
1977年、気仙沼線の全線開業に行った時の帰りに乗った大船渡線(多分、キハ ユニ)。
隣の車輛に行ってみようと思って扉を開けたら、郵便の仕分け作業を行っていた。
子供心に「ヤバイ !!!」と思ってすぐに扉を閉めたけど、郵便局員さん(?)とはバッチリ目が合った。
移動中も仕分け作業を行っていた事を知れたのは、貴重な体験だったと思う。
「照度」については、けっこう暗かったと記憶しています。
鉄道で郵便輸送する必要無くなると地方に関してはそれだけで鉄道の存在価値の一つを失うことになる。ローカル線が廃止される要因にもなるよ。
今も郵便や荷物を鉄道で運んでいたら、クモハユニE233系なんて車両があったかも。
昔は郵便車にポスト付いてて旅のハガキをその場で送れたらしいですね。なんか今よりロマンがありますね。
45年前加古川線でキハユニ15って流線形の電気気動車(エンジンで発電してモーターを回す)に乗ったことがあります
小野田線で走っているクモハ123が、現存する最後の荷物車改造車ということになりますか😗
上野などの大きな駅では、人混みを掻き分けるようにターレが荷物トレーラを繋いで走り。
大概最後尾に繋いであったクモニやカニにドッカンドッカン荷物を積み込み。
時は流れ、ブルトレの最後尾のカニ24はいつの間にかカヤ24と名を変え、今や歴史の彼方。
昭和って、猥雑な時代だったんだなあとつくづく思います🤔
日本郵便の父・前島密氏、1円切手の人物ですね
動画興味深く拝見させて頂きました。郵便車について知ることができ良かったです。私は今こそ郵便も宅配便も新幹線からローカル線まで貨客混載列車させ更なるモーダルシフトをより強化すべきと考えます。人口減の中、トラックドライバー含めた大型車の運転手不足のみならず、危機的状況にある日本の旅客列車を貨物混載を進めることにより乗客の運賃以外に貨物からの収入を得ないと都心部でも廃線、廃線にならずとも更なる減便か、大幅な値上げになります。乗客の待ち時間が貨物の積み下ろしのために増えることについては私はそれで良いし、集荷と受取を柔軟に対応してもらえるなら大きな荷物なら最寄り駅まで荷物取りに行く、出すという仕組みも良いと思います。
未だ、郵便番号の無い頃、郵便車の中で、細かい行き先の仕分け作業をしていましたし、跨線橋に並行して、小荷物や郵便物の移動のリフトがありました。
昭和40年代までの長距離の夜行客車急行には必ずと言っていいほど郵便車と荷物車が連結されていて、現在の鉄道模型で再現するとアクセントを添えている。ただその時期からストライキが過激になり輸送が本当に確保出来るのかという風潮になり、トラック便、やがては宅配便という流れに敵わなかったのも事実。スーパーレイルカーゴの様なスタイルをもう少し活用出来れば、2024年問題にも取り組めるのでは無いか。
背景画像に台風で流された別所線の鉄橋が使われているのが芸が細かいと感心してしまった。
18:44に出てくる千葉県鴨川市の江見駅にある郵便ポスト。地方に行くとよくある角形の小型タイプなんだけど、よーく見たら113系スカ色のカラーに加えて全面を模しているという芸の細かさ😄
ググったら郵便車のクモユニ74012を模した物だそうです。しかも両サイドのカラーが微妙に違うという力の入れよう😅
@@Lancee259 ずっとクモユニ143だと思ってたわ、確かにそうだわ
郵便車に投函された郵便が、逆方向だったらムッとするだろうなぁ
郵便列車懐かしいです。JRになる前になくなってしまい残念だと私は思います。寂しい。当時の日本郵政公社がJP日本郵便になっても続けて欲しかった。もし、道路が渋滞又は船と飛行機が欠航したら、必要だったと私は思います。現在は佐川急便のスーパーレールカーゴや佐川急便以外のロングパスなどが活躍中です。
新越谷郵便局での鉄道コンテナ扱い、過去にはあったけど、今はほぼ皆無ですね。
至近の越谷貨物ターミナル駅発着の郵便物コンテナは、ほぼ新岩槻郵便局発着です。
ちなみに、新越谷郵便局開局前は、新岩槻局もまだ無く、越谷貨物ターミナル発着の郵便物は、越谷郵便局や、さいたま新都心郵便局扱いがメインでしたね。
郵便車に郵袋を載せる下ろすをよく見たけど、重いしあまり丁寧に扱って無かったような記憶です。荷物車には「チッキ」で客が駅から荷物を出し、送り届けた駅で「チッキ」の附票を見せて、荷主が渡した荷物を貰う。何とも手間がかかる時代でしたねー。
コンビニや郵便局で手軽に配送が出来る時代には、鉄道を介して運搬するというのは、人手がかかり過ぎて非効率だと思います。大都市間だけでも郵便車、貨物車を復活させ、そこでトラック便に仕分けする事は可能ですが、積み下ろし、集配に余計なコストがかかるでしょう。今は大型のトラックターミナルを配送大手は各地に持ってます。鉄道輸送は、まあ、過酷な労働なんでブラック職種に挙げられます(笑)。
私の地元を走っていた夜行列車に郵便マークのついた車両が連結されていたのを覚えています。
早朝の地元駅で積み降ろしもされていた?のかもです。
【鉄郵一家】という言葉が残っていることをご存知の方もいまだ多いと思います。明治後期(明治38年ごろ?)鉄道と郵便は【逓信省】という組織の中にあったように記憶しています。
昭和40年代後半から昭和50年代のこと、なんとなく覚えています。
基本的には今のような郵便配達事情が確立されてゆくんだけど、田舎の方はこんな感じでしたね。ハガキや手紙は、全国津々浦々ポストがあったので普通に集配局に集められてトラック輸送だったんだけど、特に田舎なら、郵便小包は駅に持っていく感じでした。だからローカル線でも有人駅が多くて、有人駅なら窓口では、切符の販売より郵便小包の受付の方がメインという印象でしたよw
そういえば覚えているのは高山本線で、全ての駅に駅員さんがいました。もちろん貨物列車も多く走っていましたが、普通列車に必ず郵便車が1両あって、列車が駅につく度に郵便物~主に郵便小包~の袋を積み込んだり降ろしたり。小包は、発送だけでなく、受け取りも駅だった記憶ですよw 到着列車が分かるので、それにあわせて駅に行く感じでした。
でもまぁ、それも昭和50年代半ばまで。昭和50年代になると、ヤマト運輸など小口の運送事業者が出現してきたので、わざわざ駅まで発送・受け取りに行かなくてもよくなったからでした。
諸外国、特にフランスでは郵便と鉄道の連結は重要視されていて、TGV開業後すぐに郵便専用編成が配備されていた。急行列車が「~メイル」と郵便急配便の名称を持つことも英仏では伝統的に多かった。新幹線に郵便車両が用意されなかったのは大阪駅側の無配慮によるだろう。国鉄末期に航路連絡便が現金入り郵袋を紛失し、現業者間でトラブルになった事件があり、国鉄側の補償額の低さに郵便事業者たる郵政省は驚いていた。タイミングとしてはその後大規模に郵便は鉄道利用から退出するのである。因果関係は知らない。
環境の為に鉄道郵便を復活してほしい
そう言っても大半の連中は運賃が安いほうを選ぶ
トラック運転手も鉄道の運転士も人手不足って言われてますよね。日本人になり手がいないならばまたも困ったときの外国人頼みになるのか、それとも自動運転車を使ってでも走らせるのか?
そういえば、80年代以降鉄道貨物はほとんどがコンテナに置き換わりましたね。貨車だと上げ下ろしに手間がかかります。そのため多くの人手が必要ですが、コンテナに移行してからそれだけの人員が余剰になったわけです。後、貨車自体も余剰になりました。
昔は鉄道の郵便に終始、今は国内の安保等全てにアメリカが注文を付けてたとは……。
私も考えさせられました。
2024.1.20
ならちうごく🇨🇳の犬になるか?😜
タカラトミー(当時はトミー)社のプラレールも初期バージョンは「郵便車」も販売してました(遠い目
…もし、今あればプレミア物だったなぁ(汗
大阪の中央郵便局の横に鉄道郵便局が在りましたね、その前にあったポストは取扱い郵便局が鉄道郵便局になっていました
安治川口駅に隣接して新大阪郵便局も在りますね
郵便のトラック輸送ってそれこそ2024年問題って言って来年には長距離輸送が破綻するって言われてるのですから問題解決のためにも鉄道輸送の活用って急務だと思いますけどね。
そう言えば、今から50数年ほど前、母が長崎から実家の藤枝に帰る際、荷物をチッキとして、佐々駅(当時の国鉄松浦線)に預けていました。佐世保から静岡まで、特急さくら号で行っていましたが、荷物は先に着いていました。
鮮魚新幹線を連想しました。(´・ω・`)
荷物の扱いが雑(荷物を投げる、蹴る)で、、、一般客が見ているホームでもムチャクチャな扱いで、、物が潰れる等々で信頼を失い、、、民間宅配が台頭。