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シンジ君役は、俳優声優の羽佐間道夫さんですよね。ウィキペディアで見ましたら、2022年4月では御歳88歳になられるとのこと。私としては、「コンバット」のカービーと「巨人の星」の速水選手が印象に強く残っています。
65年前くらいか映像に出てくる20代以上の人々は、もう殆どこの世にいないんだよなとても切ない
充分生きたろ‼️
何れ死ぬから切なくない
団塊の世代だね
@@mumu4215やっぱり物欲が満たされる時代だと こういうのが沸いてくる
企業の記録映像はテレビで放映されるわけでもなく、目にする機会は滅多にありません、大変貴重な資料だと思います
息子に部長さんを紹介された時のお母さんのお辞儀の深さよ
部長さん年取って見えますね。
母:いつもしんじがお世話様になっております。部長:いやーしんじ君は優秀で頑張ってくれています。....次の日部長:おいしんじ。ばっきゃろう、お前会社に母親なんか連れて来るな。休んだ分の仕事、残業してでも今夜中に片付けておけ。
年老いた母が「息子をどうかよろしくお願いします」と…こみ上げるものがある…
@@nikkorifantasy 僕の祖父は大正生まれですが極めて長生きしたので,何と21世紀になってから僕の職場に挨拶に来ました。それ以来「お祖父さんにも安心して頂けるよう,一生懸命仕事しろ」としょっちゅう言われるようになりましたっけ(◍•ᴗ•◍)
@@midnightrambler6227 平成初め頃までは,親が職場に来て「息子がお世話になっています」と上司に挨拶するのはごく普通のことでしたよ。
こういう美しい日本語の言い回しができるようになりたい。そして街が活気にあふれていてなんかすごく見ていて楽しそうだなとおもった。
私の青春時代まさかこんな高画質で蘇るとは
貴重な映像に感動しました。昔の東京の様子を拝見し、涙が溢れて来ました。 小生が上京したのは、1976(昭和51)年2月末でした。働きながら夜間大学で学ぶためでした。 1981(昭和56)年3月末まで東京で暮らしました。私は、貧乏で忙しい生活を送りました。そのため東京の名所を見る余裕も、ほとんどありませんでした。 しかし、全く悔いはありません。なぜなら、お陰様で私は24歳の春、夢に描いた数学教師の端くれになりました。感謝しています。 世の中が落ち着いたら、東京の名所をじっくり味わってみたいです。 64歳の年金生活者より 2021.4.4
平成に入ってしばらくしても 会社に入って二部に通っていた人いましたね取引先だけど いつもほとんど定時で替える 食事誘っても来ない 変だと思ったら二部に行ってた当時勤務してた会社ではもうそういう人はいなかったけど 先輩方は 高校~大学を定時制・二部で卒業した人がいましたそういう人は押しなべて真面目で 役員になる人はいなかったが 関連会社の社長・役員で上がりという人が多かったね社員番号が年齢の割に若いのでわかるんですよね 高度成長期は人材確保のため会社に行きながら高校・大学に行けるというのが売りでしたからね ただし8年も頑張れる人がそういなかった、高校までは多かったけど 都会は誘惑が多いからね
素晴らしいですね✨
小生とかいうほどお爺さんでもなくて草
@@ninte253使い方間違ってないぞ馬鹿がばれるからコメントはしない方がいいよ
@@asaichban9842 その頃は夜間大学は短大卒の扱いだったので本社役員までなれないことが多かったですね。
このバスガイドさん、美しいし、声が、バスの揺れでもブレていない。明るいいいお声。
日本語が綺麗
@Minno Masa ですよね(`・ω・´)
@@SP-nt2od お前反日じゃないの?毎回毎回慰安婦が~とかコメントして。恥ずかしくないの?
この時は意味のない横文字も乱用してなかっただろうしねアウフヘーベンおばさんもいなかった
@A K Back うーんどちらも正しい。言葉は常に変化する(特に単純化、簡易化)するから、昔の言葉を綺麗に感じるのは言語に限らず自然。ただどこを基準にするかによるし、客観的には伝え難いわな
@@SP-nt2od お、ド変態野郎じゃん 更生したか?
こういうフィルムを黙々とデジタル化する団体があるのは本当にありがたい。動画解説文章に何年の製作なのかが書かれているともっと良いなぁ…
恐らく1959年かと思われます。東京タワーが1958年開業、ソ連国立モイセーエフ民族舞踏団の来日が1959年なので
@@HayakitaP さん3:22 頃の国際劇場の垂れ幕ですね!1回目では気がつきませんでした。
1960年ですNPO法人科学映像館で調べてみてくださいまあ確かに書かれていた方が良かったですが調べれば出てくるので問題ないですね
私の母が4、5歳の時の作品ですね。途中の火事にあった家が本当の火事のシーンでびっくりだし、どう見ても全焼なのにナレーションの「損害が少ないと良いですね」がなんともシュール。PRカーの女性の声がやけに綺麗だったり、屋上で社員がお昼休みにスポーツするのがこの時代すでに当たり前?だったのだなあと楽しくお勉強させていただきました。
この時代の喋り方?声が凄く上品で好き。
この時代は、年寄りが明治、大人が大正、若者が昭和でしたね。明治や大正の方々の厳しさが思い出されました。
シンジ君現代の若手リーマンだとしても違和感無い。ルックスも立ち振る舞いも。でも今は80代の老人で見てもきっと若い頃の姿と結びつかない。歳取るってこういう事なんだなって実感する
健在なら85歳位?
若いんだから当たり前だろ
別に当たり前じゃないだろ
@@スッキリ-s4p 若いんだから当たり前だろ。人間ってそんな短期間で変わるの?
ご存命で今でも面影は残ってらっしゃいますね。
昭和30年代中頃でしょうか?私の子供時代です!。日本が高度成長を始めた時代ですネ!。黒電話・都電・和文タイプライター・・・懐かしい!!。
2:44東京タワー竣工(1958年12月23日) 3:17『ゲームセンター』 3:22『新二等兵物語~吹けよ神風の巻~』(1959) 3:25『ソ連国立モイセーエフ民族舞踏団'59』 4:18辰野金吾設計:帝国製麻本社ビル 5:06『TEIKOKU SEIMA CO. LTD.』 5:23『地階:理髪室』
美しい日本語のナレーション昔の映画とか観てもだいたいこういう話し方貴重な感じがする
自分も二十歳の時、母を連れて東京見物した思い出が蘇りました。 親孝行しといて良かったです。
素晴らしいです。😭😭
まさかシンジくん?
日本橋の上に首都高速ないのが素敵。
電話連絡受けて照会は紙ファイル、計算はそろばん、数十年前まで普通だった光景だけど、別次元に感じるなあ。ほんとデジタル化、IT化で劇的に変わった事が分るね。
ナレーションの言葉遣いがお上品でございます!
今の時代の方の言葉はやたら語尾を伸ばしあまったれた喋り方…いつからそうゆう喋り方になったんだろう…プロのアナウンサー…司会者…今の呼び方ではMC?!…からしてそうだ…!!残念…以上
@@tukikagehyougoful近頃は、「そういう」を「そうゆう」などと書く方もおられますからね。誠に遺憾です。
鳥肌たった。それにしても、東京観光ということで行く場所が、今とさほど変わらないな思うと凄いなぁと思いました。
私、日本橋の生まれなんですが首都高の無い日本橋、父が撮った写真は見たことあったんですが、映像で見たのは初めて感動致しました。貴重な映像ありがとうございました🙇♂️
数年後、遅くとも20年後までに再び映像のよぅな空が見える日本橋に戻るのか、注目です。
@@八玉子あお さんそうですね。いつかこの目で見てみたいです。
日本橋のご出身とは... 超都会っ子なのですね。
「日本橋の生まれ」という表現、田舎者から見れば洒落てますね。ちなみに私は山奥の生まれです。
重役さんのセリフが棒読みなのもいい味だしてると思います。
外国人が日本は綺麗、整っているとよく言っているがこの時代でも既に綺麗で整っているじゃないか。日本人に生まれてきて良かったとともに先人に感謝。
本当カラーがつくだけで親近感がぐっと湧くよな
そうですね、白黒では遥か昔に感じるけれどこうしてカラーで観ると何故か最近のように思えてしまいますね。
時間の流れがゆっくりでいいな、今はギスギスで早すぎる
今よりもぶらっくだけどね週休1日、違法残業、セクハラ当たり前
思い出補正乙ですな
何か心が洗われる気分ですUPありがとうございます
バスが全部おしゃれでかっこいい
重ステにダブルクラッチ、タイミングが合わないとギヤ鳴りで運転士は大変です💦
私の生まれた年に制作されたものですか。皆さん温和で良い顔をしていらっしゃる。古き良き日本を感じますね。
会社の幹部の人が、人のため、社会のため、国民のためを思って働いていることは、少なくともこれはCMだけど多く学ばなきゃいけないことだと思った。それにしても日本語がきれいなんじゃ
この時代の時間の流れがたまらなく好き
今と同じだろ
@@あかとんぼ読書薄情で草
早期的台灣和日本太像了,能看到這些影片,心中有好多回憶.現2021年快跨年了,好想在快點從台灣到日本去旅遊.
成長期の日本、街も空も広々として清々しさを感じますね
空がきれいに見えるのは同意だけど川はそんなきれいじゃないし、街も今ほどきれいじゃないよ
@@たんたん-n8j 「 広々として清々しい」と言ってるので「きれい」とは言ってない。このコメントにケチをつける人間がいるとは想像もしなかった。黙ろうな。それとも迷惑をかけるのが趣味?
しんじくんカッコよすぎる!
見たことがある、景色や自動車、子供の頃の懐かしい記憶そのまま。感激です。
3:50うわっ、このバスガイドさんメッチャかわいい!!今もし御存命ならば80代半ばですよね。
同感
バスガール想定のナレーション懐かしさと品の良さを感ず。
CAみたいに、バスガイドから帽子と白手袋は無くして欲しくないね。😊
言葉使いが素晴らしい!
この頃は海外出張の父の様子を部下の方が丁寧なお手紙で知らせて下さって嬉しかったと母がよく言っていました。働き手の父親が亡くなると母親をその会社で働かせてくれたり家族的な雰囲気がありましたね。
このような映像作品は、時代背景や製作年度などを標記して欲しいですね。被写体を検証して、1959年昭和34年の秋と特定できました。浅草国際劇場(5千人劇場)の公演種目SKD秋の踊り、そして最たる決め手が国際劇場での1959年のソ連モイセーエフ民族舞踏団来日公演です。
貴重なサポート情報をありがとうございました。
ありがとうございます。
高速自動車専用道路=東京高速道路(KK線)が完成したばかりとガイドさんが言っていますから納得ですね‼️
シンジ君もう死んでるのかな?
この時代に、自分は生まれてもいないのに、何故か懐かしさに心打たれます。不思議です。
高層ビルが全くなくて低い家々の中を東京タワーだけが聳え立ってる景色すごく新鮮
古い映像なのに新鮮とはこれ如何に
シンジ「(時代が進むごとに)ビルが生えていくよ!」
UP有難うございます。私が上京する少し前の時代です。上野駅に三輪とトヨエースが停まっている東京に居た時の想い出一杯です本当に懐かしい良いことばかり思い出します
シンジくん普通に2021年に居ても不自然じゃないね男前ー!
現代基準でも普通にモデルや俳優になれそうなくらいイケメン。
人間オーパーツやな
最初ただの東京見物かと思いきや、火災保険の仕組みがこと細かく紹介されているのが秀逸(^-^)これは自動車保険もまた然り。なぜ『興和火災海上保険株式会社』が企画したというのも納得できる(^-^)
戦後まだ十数年でここまで復活したのって、まさに先人達に感謝致します。
十数年ですね^^
戦争でボロボロになり、戦争で復活したな。
スクラップアンドビルドの世界
@@kamassyu4164 さんありがとうございます。訂正致しました。
戦後8年で戦争前の経済規模に戻ってます
私が生まれるずっと前の映像。カラーで拝見できるのは本当に貴重でありがたいです。
最後の合唱が素晴らしい
非常に貴重な映像ですね!カラーで観れるなんて。本当にありがとうございます!
これは後からデジタル処理した画像ですね。
昔のナレーションて言葉遣いがお上品ですわね
こういう喋り方のお嫁さんと結婚すればよかった。
今は皇族でもいないよね。何でもすごい、ヤバイしか言えない女たち、馬鹿ばかり!
なにかと言えば めちゃくちゃ めっちゃ タメ口等よりずっーっといいですね
フワちゃんも見習ってほしいわ。
皆さま方のおっしゃるとおりですわ🎵
まさか会社のPR映像が、誰もが見ることのできる歴史的資料になるとは思ってもなかったでしょうね。
保険は大事だぞ っと。 すごく真面目に作ってるんですね。
社長室での会話が棒読み。
戦後15年とは思えない程、東京は整然としている。東京大空襲だろうと物ともせず。
社長室の後、再び外に出るシーン。風船カットの乗り込むマイクロバスの向こうに停まっている車は「メーサー殺獣光線車?」と思ってしまいましたがな。
昔、新日鉄が作った自社向けビデオが日本文化を紹介するビデオとして好評を博した!
BGMがなんとも風情を醸し出してる。
入館カードも無くふらりと会社に入れた時代は懐かしい。
最初の部分見て昔の特撮映画を彷彿させたと感じたのは自分だけかいい資料を拝見して眼福でした
シンジもこの時は60年後に全世界に見られるとは思ってなかっただろうな
なお30年後にもアニメで全世界に見られた模様
@@みなのべ ネルフが日本橋にあったらなんて世界観を想像してしまった(笑)
役者だろうし、なくもないのでは
@@illiliiliiliIliiIiiilili 1959
そんなシンジ君ももう80歳かそこらか。孫に囲まれてるといいなぁ
4:14 技術的には今よりもずっとローテクなんだろうけど、バスのデザイン作りが現代もずっと手間とコストがかかっているように見える。
生まれるはるか前の映像だけど、とても懐かしい気がする
すげえありがたいこんな貴重な動画見られるなんて
みんな身だしなみを整えていて清潔感が凄いね。
元損保マンですが、昔はこうやって業務やってたのか、と大変勉強になりました
もう戻れない。大変良かった時代
映像で見てる分には良いけど、実際はモーレツ社員の全盛期だから労働環境は地獄だったと思う。WiFiがある自室のベッドでぬくぬくしながらこういう映像を見るのが至高。
@@tanaka0228 明るい未来とオワコン未来じゃ全く違うよじじばばばかりで外国人だらけの未来
でた…昔は良かったマン…
@@dumbsquid6370 別に良いだろ、現代を楽しめない可哀想な人なんだからこれくらい許してやれよ
未来へ夢を見続けられる晴れ晴れとした時代ですねしかし誰が、どうして、今をこんな世の中にしてしまったんでしょうかね…
当時20代半ばだったシンジくんも今となってはもう80代のお爺さんか。当たり前なんだけど、何か不思議だなー。
こういう映像好きな人は1953年の映画「東京物語」とか見てみてほしい生活は今と大きく変わらないし、変に美化されてる過去にも現代と同じような問題はあったことが分かる
すごいな、高層ビルが全然無い。 空が広い。
現代は損保ジャパンビルとかある
東京タワーがあって首都高速がないので昭和30年代後半とわかりますね。ある意味現代日本の黎明期。素晴らしい映像です。
逆に昭和35まででしょう。
確か東京タワーの完成が昭和33年だったので、この映像は昭和33~35年のものと思われます
@@rsnsgm46 さん銀座コリドー街上の通称高速会社線を通行しているのでもう少し絞り込めるかも?
@@市川しずか 実はもう答えは出ていて1960年(S35)です。(KK線は1959年開通)ソースはここwww.kagakueizo.org/久米川さんって昔からこういうのちゃんと書かないんだよねWWW 漢字も結構間違い多いしWWW
@@rsnsgm46 さん説明有り難うございます。自分は昭和34年生まれなので正確なところは解らなかったです。
60年前の貴重な映像ですね。母親に自分の会社を案内したり、部長さんに紹介したり女性社員がタイプライターを打ち、手でDMを折り封筒に詰めたり。今ではちょっとした罰ゲームみたいな。60年後今スマホを弄る我々もこんな感じに滑稽に見えると思うと感慨です。
現代の洒落た物見るより昔の洒落た街を見る方が楽しい
懐古厨
@@ヴィオ-w3c まずこの時代には生まれてないので懐古も出来ませんわw
でも明治大正に出来た建造物は文句なしの洒落た物
わかる!洒落てなくてもウルトラマンとかに出てくる下町の風景を見るのも楽しい
@@blackbear6306 それをどんどん壊して味気ない真四角なビルに置き換わってしまって・・・原宿駅の駅舎も、新興開発地のような量産型駅舎のつまらない物になってしまいました。
この時代の映像を見ると服装や話し方がキチンとしていてきれい✨素敵だなと思いました。丸っこいバスの形は可愛いらしいですね^ ^
言葉遣いがとても丁寧な時代。
はい??
現代より建物や乗り物の造形が洒落ているように見える自分が生まれる前の馴染みのないデザインに憧憬を覚えているだけなのだろうけどこの時代を知らない人間からすると殆ど異国情緒に近いものがある
理路整然とした話し方憧れる
平成にこの会社に入り数多くの合併なかこの会社の魂を大切に今日まで来ました。積立興亜懐かしいなあ。
まさかのっために興亜っ火災~♪ というCMがありましたね。
Fascinating. Thank you for sharing. Happy New Year NPO.Stay safe.
今のテレビとか新聞は日本をよく見せるんじゃなくて炎上商法を楽しんでる感じがあるから、汚いところをほぼ見せない、憧れの町として綺麗に描くこの時代の映像に惹かれてしまうんだろうなって思う
小津安二郎の映画を思い起こすのは私だけだろうか。
シンジくんこの頃の正社員なら終身雇用で家も家族も持てて幸せな人生だったろうな。今では夢のまた夢!
んなわけあるか
@@Jjwhg あるかないかお前が決める訳では無い
大企業だし働けば儲かる時代だから楽しいと思うよ
@@q2136君ごときが決めるものでもない。
しんじ君は戦中派というのが凄い。疎開や墨塗り教科書、青空教室、米軍機からの機銃掃射を経験しているかもしれない。
この映像が昭和35年でしんじ君が22歳だとしたら、しんじ君は昭和13年生まれで終戦時は7歳くらいだったってことですか。間違いなく戦争経験者ですね。
@@sunso5 じゃあ今は83歳くらいだろうか、きっとお孫さん達に囲まれ幸せに暮らしていることだろう
@321 123 映像は綺麗だけど、昭和30年代半ばぐらいだろう。
@321 123 タイプライターと言うより、車の型を見たら分かりますよ。どう見ても40年代ではない。
@@hide2996 おまけに日本橋の上に高速がないですしね。
02:45 東京タワー周辺に高層ビルが全然ないのが凄い
2:13~でトヨエースとミゼットが並走する場面が好き
過去のように美しいビデオ私は感銘を受けました 😮
バスガイドさん今でも通用するぐらい可愛くない?(^_-)-☆
今は80歳越えたくらいだね、生きていれば。
3:55でご尊顔を拝し奉れます。
このレトロな車、セットじゃなくて本当の景色なんだもんね。カッコいいなあ。
戦後15年でこんなに綺麗な街をつくるなんて日本はすごいと思いました。
15年かぁ、、、お母様もシンジくんも戦争を生き抜いたんですね。
戦前からちゃんとした都市だったからねえ
全てはアメリカの匙加減ですよ
@@tircan でたー
@@紅の豚部屋 まぁあながち嘘ではないその気になれば日本を徹底的に破壊することもできたからなぁ
高速道路ができる前の日本橋の風景を見られてよかったです。外出の時に女性が和服を着る時代をカラーで見られてよかったです。バスの天井に通風孔があり、ばね付きの蓋を跳ね上げている有様は自分でも忘れていた仕組みで、とても懐かしかったです。上野駅前に停車している三輪トラックも懐かしかったです。この頃の興亜火災に勤務していた方々には大手保険会社が合併に次ぐ合併で、保険業界が今のようになってしまうとはとても想像できなかったと思います。余談ですが、三輪トラックは中古品が1993年でも北京の中心部を走っていました。深夜でも車の通行が途絶えることはなく、使い古されたトラックが道路を夜通し走っていました。当時はまだ北京五輪の前で、北京空港の建物は、窓枠が木枠の3階建て程の低層建築で、就航便数も1日5便程の長閑な空港でした。西欧諸国への就航はローマとメルボルンだけだったと記憶しています。北京市街も大気汚染とは無縁で、地平線に至るまで晴れ渡り夕方5時ともなれば雲一つない空にオレンジ色の夕焼けがビルとビルの間からも見られました。二両連結のトロリーバスは白とピンクのツートンカラーで、色褪せていました。
インドから日本への愛 🇯🇵🇮🇳
のどかな雰囲気がいいですね。この頃はネットはなかったからすべて電話対応で忙しい毎日でしたね。こうした時の映像は楽しみです。建物、人、乗り物など興味深い思いでも感じてきます。映像は事実なので見るのが楽しみです。ありがとう。感謝です。
涙が出てきた。なぜだろう。
この頃は色々苦しい事や足りない事も多々あっただろうけど貧しい思いをしても構わない、この時代に人生を過ごしてみたかった。
この頃の東京は行きたいと思える
今の東京も大好きです
@ああ え?明治になってからずっと流入し続けてるわけでこの頃すでに半分以上他所から来た人でしょ?
@ああ 国土交通省、総務省統計局のデータによれば、上京者が最も増えたのは1960年代で、ピーク時は62年で39万人。それ以降は減少していって1980年代には5万人。今はコロナ禍だから3万人までに減少している。(なおコロナ禍前の2019年でも8万人)「田舎者」は昔の方が圧倒的に多いという認識だけど、「今の東京は〜上京する地方民がめちゃくちゃ増えた」っていう主張の根拠やソースは何かありますか?
@@ガチカミチャンネル祝登録者50 データでボコボコにするの好き
@@ガチカミチャンネル祝登録者50 60年代とか高校卒業後に集団で就職とかありそうだし39万人も納得いく数字よなぁ。
こういう映像エモくて好き
4:42 映画用に作られたただの設定なのかもしれないですが息子の職場を親が見学ってすごいですね(笑)。あと火災保険のPRカーが走ってたのも(9:18)。
出てくる車がみんな魅力的だこの頃の車はなんて素晴らしい
ウキウキムードのBGMで自画自賛のナレーションの微笑ましいムービー。この手のものをもっと見ていたい。たいへんよい会社に入ったと、お母さんもひと安心です。
PRカー懐かしいな。それにヘリコプターや飛行船も有ったなぁ。TV CMより多かった覚えがある。
重役は「明治生まれ」部課長は「大正生まれ」しんじくんは「昭和生まれ」高度成長期真っ只中!
今の重役は「昭和生まれ」部課長も「昭和生まれ」しんじくんは「平成生まれ」経済縮小期真っ最中!😞😞😞
@@MrEjidorie 令和生まれはお腹の中!
@@MrEjidorie 誰が上手いこと言えと笑笑
日本は衰退の道まっしぐら
@@山田かおる-h9s だから、みんな死に物狂いで経済をV字回復させなあかんのちゃうん?あと、ちゃんと政治に興味もって支持政党を決めて選挙に行くことやな。空気に流されたり、投票しないという事が日本をダメにしている。
昔、この付近、日本橋室町に住んでいました。トミーシューズの映像が懐かしい。日本橋上空に掛かっている高速道路は撤去されることが決まっているので、何年後がわからないけど、この映像の様な上空がスッキリした日本橋がまた見られることでしょう。興亜火災は既に無く、現在は三越の新館が建っています。興亜火災前の道路は箱根駅伝の走行ルートになっています。
東京タワーと周辺の建物のギャップがすごい
シンジ君、大卒で入社3年目、この時25歳位かな。フィルムが1960年(昭和35年) 製作ですと、令和6年現在89歳位になっていると思います。シンジおじいちゃんがご健在なのをお祈りいたします。🎵
シンジ役は羽佐間道夫さんですねスタローンなどの吹き替えで有名です現在91歳で現役を続けられてます
部長さんにあんなに深々とお辞儀をするお母さんの姿に涙が出そうになりました。興亜火災の昼休み、屋上でコーラスの練習をする傍らでバドミントン!歌ってるのが「箱根八里」・・・歌詞の日本語が難しくて、令和の日本人には理解不能。息子が良い会社に入って、お母さんとしてはあとはシンジ君が嫁を貰って孫を抱かせてもらう日を心待ちにするんだろうな。
今より物がなく、不便で娯楽も少ないのに何やら優雅な空気が漂っているのはなんでだろう。
このころってまだ戦争を身を持って知ってるシトが多いから、戦時中に比べたらこれでもまるで天国みたいな生活だったと思うよ。その気持ちが人々の表情にもあらわれてるよね。いまのシトは幸福なんだか不幸なんだかわからないね(←シッタカブリ
戦前から東京の会社はなかなか優雅だったようです。私の祖母は戦前に銀座で事務員をしていましたが、昼休みは二時間。本当は一時間だけれど、外で昼食をとって一時間、その後、橋の向こうの喫茶店に皆でコーヒーを飲みに行く。ここでお喋りしてもう一時間。で、その二時間も過ぎそうになって、『さすがにまずい!』と、走って戻ると、所長さんが一人でお仕事をなさっていたそうです(笑)所長さんは優しく、怒らなかったと…wこの映像は戦後ですが、そんな古き良き時代の雰囲気が、まだ残っている頃かもしれませんね。
@@ぺんたまる-o8v とても素敵なお話ですね!本来の日本の良さってそうゆう所なんじゃないかと思います。GDP第3位の国なのに現代の効率・成果主義は国の空気を貧しくしてますし、優雅さなど望むべくも無いですものね。
@@MarioMizune 調査以来自殺者が2万人切ったことがない日本ですから
シンジ君役は、俳優声優の羽佐間道夫さんですよね。ウィキペディアで見ましたら、2022年4月では御歳88歳になられるとのこと。私としては、「コンバット」のカービーと「巨人の星」の速水選手が印象に強く残っています。
65年前くらいか
映像に出てくる20代以上の人々は、もう殆どこの世にいないんだよな
とても切ない
充分生きたろ‼️
何れ死ぬから切なくない
団塊の世代だね
@@mumu4215やっぱり物欲が満たされる時代だと こういうのが沸いてくる
企業の記録映像はテレビで放映されるわけでもなく、目にする機会は滅多にありません、大変貴重な資料だと思います
息子に部長さんを紹介された時のお母さんのお辞儀の深さよ
部長さん年取って見えますね。
母:いつもしんじがお世話様になっております。
部長:いやーしんじ君は優秀で頑張ってくれています。
.
.
.
.
次の日
部長:おいしんじ。ばっきゃろう、お前会社に母親なんか連れて来るな。休んだ分の仕事、残業してでも今夜中に片付けておけ。
年老いた母が「息子をどうかよろしくお願いします」と…
こみ上げるものがある…
@@nikkorifantasy 僕の祖父は大正生まれですが極めて長生きしたので,何と21世紀になってから僕の職場に挨拶に来ました。それ以来「お祖父さんにも安心して頂けるよう,一生懸命仕事しろ」としょっちゅう言われるようになりましたっけ(◍•ᴗ•◍)
@@midnightrambler6227 平成初め頃までは,親が職場に来て「息子がお世話になっています」と上司に挨拶するのはごく普通のことでしたよ。
こういう美しい日本語の言い回しができるようになりたい。そして街が活気にあふれていてなんかすごく見ていて楽しそうだなとおもった。
私の青春時代
まさかこんな高画質で蘇るとは
貴重な映像に感動しました。昔の東京の様子を拝見し、涙が溢れて来ました。
小生が上京したのは、1976(昭和51)年2月末でした。働きながら夜間大学で学ぶためでした。
1981(昭和56)年3月末まで東京で暮らしました。私は、貧乏で忙しい生活を送りました。そのため東京の名所を見る余裕も、ほとんどありませんでした。
しかし、全く悔いはありません。なぜなら、お陰様で私は24歳の春、夢に描いた数学教師の端くれになりました。感謝しています。
世の中が落ち着いたら、東京の名所をじっくり味わってみたいです。
64歳の年金生活者より 2021.4.4
平成に入ってしばらくしても 会社に入って二部に通っていた人いましたね
取引先だけど いつもほとんど定時で替える 食事誘っても来ない 変だと思ったら二部に行ってた
当時勤務してた会社ではもうそういう人はいなかったけど 先輩方は 高校~大学を定時制・二部で卒業した人がいました
そういう人は押しなべて真面目で 役員になる人はいなかったが 関連会社の社長・役員で上がりという人が多かったね
社員番号が年齢の割に若いのでわかるんですよね 高度成長期は人材確保のため会社に行きながら高校・大学に行けると
いうのが売りでしたからね ただし8年も頑張れる人がそういなかった、高校までは多かったけど 都会は誘惑が多いからね
素晴らしいですね✨
小生とかいうほどお爺さんでもなくて草
@@ninte253
使い方間違ってないぞ
馬鹿がばれるからコメントはしない方がいいよ
@@asaichban9842 その頃は夜間大学は短大卒の扱いだったので本社役員までなれないことが多かったですね。
このバスガイドさん、美しいし、声が、バスの揺れでもブレていない。明るいいいお声。
日本語が綺麗
@Minno Masa ですよね(`・ω・´)
@@SP-nt2od お前反日じゃないの?毎回毎回慰安婦が~とかコメントして。恥ずかしくないの?
この時は意味のない横文字も乱用してなかっただろうしね
アウフヘーベンおばさんもいなかった
@A K Back うーんどちらも正しい。言葉は常に変化する(特に単純化、簡易化)するから、昔の言葉を綺麗に感じるのは言語に限らず自然。ただどこを基準にするかによるし、客観的には伝え難いわな
@@SP-nt2od お、ド変態野郎じゃん 更生したか?
こういうフィルムを黙々とデジタル化する団体があるのは本当にありがたい。動画解説文章に何年の製作なのかが書かれているともっと良いなぁ…
恐らく1959年かと思われます。
東京タワーが1958年開業、ソ連国立モイセーエフ民族舞踏団の来日が1959年なので
@@HayakitaP さん
3:22 頃の国際劇場の垂れ幕ですね!1回目では気がつきませんでした。
1960年です
NPO法人科学映像館で調べてみてください
まあ確かに書かれていた方が良かったですが
調べれば出てくるので問題ないですね
私の母が4、5歳の時の作品ですね。
途中の火事にあった家が本当の火事のシーンでびっくりだし、どう見ても全焼なのにナレーションの「損害が少ないと良いですね」がなんともシュール。
PRカーの女性の声がやけに綺麗だったり、屋上で社員がお昼休みにスポーツするのがこの時代すでに当たり前?だったのだなあと楽しくお勉強させていただきました。
この時代の喋り方?声が凄く上品で好き。
この時代は、年寄りが明治、大人が大正、若者が昭和でしたね。
明治や大正の方々の厳しさが思い出されました。
シンジ君現代の若手リーマンだとしても違和感無い。ルックスも立ち振る舞いも。でも今は80代の老人で見てもきっと若い頃の姿と結びつかない。歳取るってこういう事なんだなって実感する
健在なら85歳位?
若いんだから当たり前だろ
別に当たり前じゃないだろ
@@スッキリ-s4p
若いんだから当たり前だろ。
人間ってそんな短期間で変わるの?
ご存命で今でも面影は残ってらっしゃいますね。
昭和30年代中頃でしょうか?私の子供時代です!。
日本が高度成長を始めた時代ですネ!。
黒電話・都電・和文タイプライター・・・懐かしい!!。
2:44東京タワー竣工(1958年12月23日) 3:17『ゲームセンター』 3:22『新二等兵物語~吹けよ神風の巻~』(1959) 3:25『ソ連国立モイセーエフ民族舞踏団'59』 4:18辰野金吾設計:帝国製麻本社ビル 5:06『TEIKOKU SEIMA CO. LTD.』 5:23『地階:理髪室』
美しい日本語のナレーション
昔の映画とか観てもだいたいこういう話し方
貴重な感じがする
自分も二十歳の時、母を連れて東京見物した思い出が蘇りました。 親孝行しといて良かったです。
素晴らしいです。😭😭
まさかシンジくん?
日本橋の上に首都高速ないのが素敵。
電話連絡受けて照会は紙ファイル、計算はそろばん、数十年前まで普通だった光景だけど、別次元に感じるなあ。
ほんとデジタル化、IT化で劇的に変わった事が分るね。
ナレーションの言葉遣いがお上品でございます!
今の時代の方の言葉はやたら語尾を伸ばしあまったれた喋り方…いつからそうゆう喋り方になったんだろう…プロのアナウンサー…司会者…今の呼び方ではMC?!…からしてそうだ…!!残念…以上
@@tukikagehyougoful
近頃は、「そういう」を「そうゆう」などと書く方もおられますからね。
誠に遺憾です。
鳥肌たった。それにしても、東京観光ということで行く場所が、今とさほど変わらないな思うと凄いなぁと思いました。
私、日本橋の生まれなんですが首都高の無い日本橋、父が撮った写真は見たことあったんですが、映像で見たのは初めて感動致しました。貴重な映像ありがとうございました🙇♂️
数年後、遅くとも20年後までに再び映像のよぅな空が見える日本橋に戻るのか、注目です。
@@八玉子あお さん
そうですね。いつかこの目で見てみたいです。
日本橋のご出身とは... 超都会っ子なのですね。
「日本橋の生まれ」という表現、田舎者から見れば洒落てますね。ちなみに私は山奥の生まれです。
重役さんのセリフが棒読みなのもいい味だしてると思います。
外国人が日本は綺麗、整っているとよく言っているがこの時代でも既に綺麗で整っているじゃないか。日本人に生まれてきて良かったとともに先人に感謝。
本当カラーがつくだけで親近感がぐっと湧くよな
そうですね、白黒では遥か昔に感じるけれどこうしてカラーで観ると何故か最近のように思えてしまいますね。
時間の流れがゆっくりでいいな、今はギスギスで早すぎる
今よりもぶらっくだけどね
週休1日、違法残業、セクハラ当たり前
思い出補正乙ですな
何か心が洗われる気分です
UPありがとうございます
バスが全部おしゃれでかっこいい
重ステにダブルクラッチ、タイミングが合わないとギヤ鳴りで運転士は大変です💦
私の生まれた年に制作されたものですか。皆さん温和で良い顔をしていらっしゃる。古き良き日本を感じますね。
会社の幹部の人が、人のため、社会のため、国民のためを思って働いていることは、少なくともこれはCMだけど多く学ばなきゃいけないことだと思った。それにしても日本語がきれいなんじゃ
この時代の時間の流れがたまらなく好き
今と同じだろ
@@あかとんぼ読書
薄情で草
早期的台灣和日本太像了,能看到這些影片,心中有好多回憶.現2021年快跨年了,好想在快點從台灣到日本去旅遊.
成長期の日本、街も空も広々として清々しさを感じますね
空がきれいに見えるのは同意だけど川はそんなきれいじゃないし、街も今ほどきれいじゃないよ
@@たんたん-n8j 「 広々として清々しい」と言ってるので「きれい」とは言ってない。
このコメントにケチをつける人間がいるとは想像もしなかった。黙ろうな。それとも迷惑をかけるのが趣味?
しんじくんカッコよすぎる!
見たことがある、景色や自動車、子供の頃の懐かしい記憶そのまま。感激です。
3:50うわっ、このバスガイドさんメッチャかわいい!!
今もし御存命ならば80代半ばですよね。
同感
バスガール想定のナレーション
懐かしさと品の良さを感ず。
CAみたいに、バスガイドから帽子と白手袋は無くして欲しくないね。😊
言葉使いが素晴らしい!
この頃は海外出張の父の様子を部下の方が丁寧なお手紙で知らせて下さって嬉しかったと母がよく言っていました。
働き手の父親が亡くなると母親をその会社で働かせてくれたり家族的な雰囲気がありましたね。
このような映像作品は、時代背景や製作年度などを標記して欲しいですね。
被写体を検証して、1959年昭和34年の秋と特定できました。
浅草国際劇場(5千人劇場)の公演種目SKD秋の踊り、そして最たる決め手が国際劇場での1959年のソ連モイセーエフ民族舞踏団来日公演です。
貴重なサポート情報をありがとうございました。
ありがとうございます。
高速自動車専用道路=東京高速道路(KK線)が完成したばかりとガイドさんが言っていますから納得ですね‼️
シンジ君もう死んでるのかな?
この時代に、自分は生まれてもいないのに、何故か懐かしさに心打たれます。
不思議です。
高層ビルが全くなくて低い家々の中を東京タワーだけが聳え立ってる景色
すごく新鮮
古い映像なのに新鮮とはこれ如何に
シンジ「(時代が進むごとに)ビルが生えていくよ!」
UP有難うございます。私が上京する少し前の時代です。
上野駅に三輪とトヨエースが停まっている
東京に居た時の想い出一杯です
本当に懐かしい
良いことばかり思い出します
シンジくん普通に2021年に居ても不自然じゃないね
男前ー!
現代基準でも普通にモデルや俳優になれそうなくらいイケメン。
人間オーパーツやな
最初ただの東京見物かと思いきや、火災保険の仕組みがこと細かく紹介されているのが秀逸(^-^)
これは自動車保険もまた然り。
なぜ『興和火災海上保険株式会社』が企画したというのも納得できる(^-^)
戦後まだ十数年でここまで復活したのって、まさに先人達に感謝致します。
十数年ですね^^
戦争でボロボロになり、戦争で復活したな。
スクラップアンドビルドの世界
@@kamassyu4164 さん
ありがとうございます。訂正致しました。
戦後8年で戦争前の経済規模に戻ってます
私が生まれるずっと前の映像。カラーで拝見できるのは本当に貴重でありがたいです。
最後の合唱が素晴らしい
非常に貴重な映像ですね!カラーで観れるなんて。本当にありがとうございます!
これは後からデジタル処理した画像ですね。
昔のナレーションて言葉遣いがお上品ですわね
こういう喋り方のお嫁さんと結婚すればよかった。
今は皇族でもいないよね。何でもすごい、ヤバイしか言えない女たち、馬鹿ばかり!
なにかと言えば
めちゃくちゃ めっちゃ
タメ口等よりずっーっといいですね
フワちゃんも見習ってほしいわ。
皆さま方のおっしゃるとおりですわ🎵
まさか会社のPR映像が、誰もが見ることのできる歴史的資料になるとは思ってもなかったでしょうね。
保険は大事だぞ っと。 すごく真面目に作ってるんですね。
社長室での会話が棒読み。
戦後15年とは思えない程、東京は整然としている。
東京大空襲だろうと物ともせず。
社長室の後、再び外に出るシーン。
風船カットの乗り込むマイクロバスの向こうに停まっている車は「メーサー殺獣光線車?」と思ってしまいましたがな。
昔、新日鉄が作った自社向けビデオが日本文化を紹介するビデオとして好評を博した!
BGMがなんとも風情を醸し出してる。
入館カードも無くふらりと会社に入れた時代は懐かしい。
最初の部分見て昔の特撮映画を彷彿させたと感じたのは自分だけか
いい資料を拝見して眼福でした
シンジもこの時は60年後に全世界に見られるとは思ってなかっただろうな
なお30年後にもアニメで全世界に見られた模様
@@みなのべ ネルフが日本橋にあったらなんて世界観を想像してしまった(笑)
役者だろうし、なくもないのでは
@@illiliiliiliIliiIiiilili 1959
そんなシンジ君ももう80歳かそこらか。孫に囲まれてるといいなぁ
4:14 技術的には今よりもずっとローテクなんだろうけど、バスのデザイン作りが現代もずっと手間とコストがかかっているように見える。
生まれるはるか前の映像だけど、とても懐かしい気がする
すげえありがたいこんな貴重な動画見られるなんて
みんな身だしなみを整えていて清潔感が凄いね。
元損保マンですが、昔はこうやって業務やってたのか、と大変勉強になりました
もう戻れない。大変良かった時代
映像で見てる分には良いけど、実際はモーレツ社員の全盛期だから労働環境は地獄だったと思う。
WiFiがある自室のベッドでぬくぬくしながらこういう映像を見るのが至高。
@@tanaka0228 明るい未来とオワコン未来じゃ全く違うよ
じじばばばかりで外国人だらけの未来
でた…昔は良かったマン…
@@dumbsquid6370 別に良いだろ、現代を楽しめない可哀想な人なんだからこれくらい許してやれよ
未来へ夢を見続けられる晴れ晴れとした時代ですね
しかし誰が、どうして、今をこんな世の中にしてしまったんでしょうかね…
当時20代半ばだったシンジくんも今となってはもう80代のお爺さんか。当たり前なんだけど、何か不思議だなー。
こういう映像好きな人は1953年の映画「東京物語」とか見てみてほしい
生活は今と大きく変わらないし、変に美化されてる過去にも現代と同じような問題はあったことが分かる
すごいな、高層ビルが全然無い。 空が広い。
現代は損保ジャパンビルとかある
東京タワーがあって首都高速がないので昭和30年代後半とわかりますね。ある意味現代日本の黎明期。素晴らしい映像です。
逆に昭和35まででしょう。
確か東京タワーの完成が昭和33年だったので、この映像は昭和33~35年のものと思われます
@@rsnsgm46 さん
銀座コリドー街上の通称高速会社線を通行しているのでもう少し絞り込めるかも?
@@市川しずか
実はもう答えは出ていて1960年(S35)です。(KK線は1959年開通)ソースはここ
www.kagakueizo.org/
久米川さんって昔からこういうのちゃんと書かないんだよねWWW 漢字も結構間違い多いしWWW
@@rsnsgm46 さん
説明有り難うございます。
自分は昭和34年生まれなので正確なところは解らなかったです。
60年前の貴重な映像ですね。母親に自分の会社を案内したり、部長さんに紹介したり女性社員がタイプライターを打ち、手でDMを折り封筒に詰めたり。今ではちょっとした罰ゲームみたいな。60年後今スマホを弄る我々もこんな感じに滑稽に見えると思うと感慨です。
現代の洒落た物見るより
昔の洒落た街を見る方が楽しい
懐古厨
@@ヴィオ-w3c
まずこの時代には生まれてないので
懐古も出来ませんわw
でも明治大正に出来た建造物は文句なしの洒落た物
わかる!洒落てなくてもウルトラマンとかに出てくる下町の風景を見るのも楽しい
@@blackbear6306 それをどんどん壊して味気ない真四角なビルに置き換わってしまって・・・
原宿駅の駅舎も、新興開発地のような量産型駅舎のつまらない物になってしまいました。
この時代の映像を見ると服装や話し方がキチンとしていてきれい✨素敵だなと思いました。丸っこいバスの形は可愛いらしいですね^ ^
言葉遣いがとても丁寧な時代。
はい??
現代より建物や乗り物の造形が洒落ているように見える
自分が生まれる前の馴染みのないデザインに憧憬を覚えているだけなのだろうけど
この時代を知らない人間からすると殆ど異国情緒に近いものがある
理路整然とした話し方憧れる
平成にこの会社に入り数多くの合併なかこの会社の魂を大切に今日まで来ました。積立興亜懐かしいなあ。
まさかのっために興亜っ火災~♪ というCMがありましたね。
Fascinating.
Thank you for sharing.
Happy New Year NPO.
Stay safe.
今のテレビとか新聞は日本をよく見せるんじゃなくて炎上商法を楽しんでる感じがあるから、汚いところをほぼ見せない、憧れの町として綺麗に描くこの時代の映像に惹かれてしまうんだろうなって思う
小津安二郎の映画を思い起こすのは私だけだろうか。
シンジくんこの頃の正社員なら終身雇用で家も家族も持てて幸せな人生だったろうな。今では夢のまた夢!
んなわけあるか
@@Jjwhg あるかないかお前が決める訳では無い
大企業だし働けば儲かる時代だから楽しいと思うよ
@@q2136君ごときが決めるものでもない。
しんじ君は戦中派というのが凄い。
疎開や墨塗り教科書、青空教室、米軍機からの機銃掃射を経験しているかもしれない。
この映像が昭和35年でしんじ君が22歳だとしたら、しんじ君は昭和13年生まれで終戦時は7歳くらいだったってことですか。間違いなく戦争経験者ですね。
@@sunso5 じゃあ今は83歳くらいだろうか、きっとお孫さん達に囲まれ幸せに暮らしていることだろう
@321 123 映像は綺麗だけど、昭和30年代半ばぐらいだろう。
@321 123 タイプライターと言うより、車の型を見たら分かりますよ。どう見ても40年代ではない。
@@hide2996 おまけに日本橋の上に高速がないですしね。
02:45 東京タワー周辺に高層ビルが全然ないのが凄い
2:13~でトヨエースとミゼットが並走する場面が好き
過去のように美しいビデオ私は感銘を受けました 😮
バスガイドさん今でも通用するぐらい可愛くない?(^_-)-☆
今は80歳越えたくらいだね、生きていれば。
3:55でご尊顔を拝し奉れます。
このレトロな車、セットじゃなくて本当の景色なんだもんね。カッコいいなあ。
戦後15年でこんなに綺麗な街をつくるなんて日本はすごいと思いました。
15年かぁ、、、
お母様もシンジくんも戦争を生き抜いたんですね。
戦前からちゃんとした都市だったからねえ
全てはアメリカの匙加減ですよ
@@tircan でたー
@@紅の豚部屋
まぁあながち嘘ではない
その気になれば日本を徹底的に
破壊することもできたからなぁ
高速道路ができる前の日本橋の風景を見られてよかったです。
外出の時に女性が和服を着る時代をカラーで見られてよかったです。
バスの天井に通風孔があり、ばね付きの蓋を跳ね上げている有様は
自分でも忘れていた仕組みで、とても懐かしかったです。
上野駅前に停車している三輪トラックも懐かしかったです。
この頃の興亜火災に勤務していた方々には
大手保険会社が合併に次ぐ合併で、保険業界が今のようになってしまうとは
とても想像できなかったと思います。
余談ですが、
三輪トラックは中古品が1993年でも北京の中心部を走っていました。
深夜でも車の通行が途絶えることはなく、
使い古されたトラックが道路を夜通し走っていました。
当時はまだ北京五輪の前で、
北京空港の建物は、窓枠が木枠の3階建て程の低層建築で、
就航便数も1日5便程の長閑な空港でした。
西欧諸国への就航はローマとメルボルンだけだったと記憶しています。
北京市街も大気汚染とは無縁で、地平線に至るまで晴れ渡り
夕方5時ともなれば雲一つない空にオレンジ色の夕焼けが
ビルとビルの間からも見られました。
二両連結のトロリーバスは白とピンクのツートンカラーで、色褪せていました。
インドから日本への愛 🇯🇵🇮🇳
のどかな雰囲気がいいですね。この頃はネットはなかったからすべて電話対応で忙しい毎日でしたね。こうした時の映像は楽しみです。建物、人、乗り物など興味深い思いでも感じてきます。映像は事実なので見るのが楽しみです。ありがとう。感謝です。
涙が出てきた。なぜだろう。
この頃は色々苦しい事や足りない事も多々あっただろうけど
貧しい思いをしても構わない、この時代に人生を過ごしてみたかった。
この頃の東京は行きたいと思える
今の東京も大好きです
@ああ え?明治になってからずっと流入し続けてるわけでこの頃すでに半分以上他所から来た人でしょ?
@ああ 国土交通省、総務省統計局のデータによれば、上京者が最も増えたのは1960年代で、ピーク時は62年で39万人。それ以降は減少していって1980年代には5万人。今はコロナ禍だから3万人までに減少している。(なおコロナ禍前の2019年でも8万人)
「田舎者」は昔の方が圧倒的に多いという認識だけど、「今の東京は〜上京する地方民がめちゃくちゃ増えた」っていう主張の根拠やソースは何かありますか?
@@ガチカミチャンネル祝登録者50
データでボコボコにするの好き
@@ガチカミチャンネル祝登録者50 60年代とか高校卒業後に集団で就職とかありそうだし39万人も納得いく数字よなぁ。
こういう映像エモくて好き
4:42 映画用に作られたただの設定なのかもしれないですが息子の職場を親が見学ってすごいですね(笑)。あと火災保険のPRカーが走ってたのも(9:18)。
出てくる車がみんな魅力的だ
この頃の車はなんて素晴らしい
ウキウキムードのBGMで自画自賛のナレーションの微笑ましいムービー。この手のものをもっと見ていたい。たいへんよい会社に入ったと、お母さんもひと安心です。
PRカー懐かしいな。それにヘリコプターや飛行船も有ったなぁ。
TV CMより多かった覚えがある。
重役は「明治生まれ」部課長は「大正生まれ」しんじくんは「昭和生まれ」高度成長期真っ只中!
今の重役は「昭和生まれ」部課長も「昭和生まれ」しんじくんは「平成生まれ」経済縮小期真っ最中!😞😞😞
@@MrEjidorie 令和生まれはお腹の中!
@@MrEjidorie 誰が上手いこと言えと笑笑
日本は衰退の道まっしぐら
@@山田かおる-h9s だから、みんな死に物狂いで経済をV字回復させなあかんのちゃうん?あと、ちゃんと政治に興味もって支持政党を決めて選挙に行くことやな。空気に流されたり、投票しないという事が日本をダメにしている。
昔、この付近、日本橋室町に住んでいました。
トミーシューズの映像が懐かしい。
日本橋上空に掛かっている高速道路は撤去されることが
決まっているので、何年後がわからないけど、この映像の様な
上空がスッキリした日本橋がまた見られることでしょう。
興亜火災は既に無く、現在は三越の新館が建っています。
興亜火災前の道路は箱根駅伝の走行ルートになっています。
東京タワーと周辺の建物のギャップがすごい
シンジ君、大卒で入社3年目、この時25歳位かな。フィルムが1960年(昭和35年) 製作ですと、令和6年現在89歳位になっていると思います。シンジおじいちゃんがご健在なのをお祈りいたします。🎵
シンジ役は羽佐間道夫さんですね
スタローンなどの吹き替えで有名です
現在91歳で現役を続けられてます
部長さんにあんなに深々とお辞儀をするお母さんの姿に涙が出そうになりました。
興亜火災の昼休み、屋上でコーラスの練習をする傍らでバドミントン!
歌ってるのが「箱根八里」・・・歌詞の日本語が難しくて、令和の日本人には理解不能。
息子が良い会社に入って、お母さんとしてはあとはシンジ君が嫁を貰って孫を抱かせてもらう日を心待ちにするんだろうな。
今より物がなく、不便で娯楽も少ないのに何やら優雅な空気が漂っているのはなんでだろう。
このころってまだ戦争を身を持って知ってるシトが多いから、戦時中に比べたらこれでもまるで天国みたいな生活だったと思うよ。その気持ちが人々の表情にもあらわれてるよね。いまのシトは幸福なんだか不幸なんだかわからないね(←シッタカブリ
戦前から東京の会社はなかなか優雅だったようです。
私の祖母は戦前に銀座で事務員をしていましたが、昼休みは二時間。本当は一時間だけれど、外で昼食をとって一時間、その後、橋の向こうの喫茶店に皆でコーヒーを飲みに行く。ここでお喋りしてもう一時間。
で、その二時間も過ぎそうになって、『さすがにまずい!』と、走って戻ると、所長さんが一人でお仕事をなさっていたそうです(笑)
所長さんは優しく、怒らなかったと…w
この映像は戦後ですが、そんな古き良き時代の雰囲気が、まだ残っている頃かもしれませんね。
@@ぺんたまる-o8v とても素敵なお話ですね!本来の日本の良さってそうゆう所なんじゃないかと思います。GDP第3位の国なのに現代の効率・成果主義は国の空気を貧しくしてますし、優雅さなど望むべくも無いですものね。
@@MarioMizune 調査以来自殺者が2万人切ったことがない日本ですから