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学生時代に日本史が嫌いで勉強して来なかったので、今、高齢者になり大河を見る為にUA-cam見て知識を得ようとしています。面白い解説だと頭に入って来易いし自然と覚えています。いつも楽しみに勉強させて貰っています!ありがとうございます!
lーー😢
今日も面白かったです。大河ドラマと並行して解説してもらえるので、より興味を持って聞けます。平安時代のドラマはあまり無いので新鮮な気持ちで見ているのですが、あんな柱だけの吹き抜けの家では寒いだろうなあ、とか家の中でも烏帽子被って柱にぶつけて邪魔だろうなあとか十二単衣でトイレはどうしてたんだろうとか、文化的な面も気になるので機会があったら解説して下さい。
いつも拝聴させてもらってます!セピア先生の分かり易い動画のおかげで歴史が更に大好きになりましたよ!イスラーム、インドの歴史も分かり易い動画待ってます!いつもありがとう!
今回も楽しく勉強させて頂きました藤原だけでなく代々 1番にならなかったのは すごい事ですね次回も楽しみに待ってます😄
No.2が実質のNo.1という体制が、我が国の風土に合ってたんでしょうね。天皇と幕府の関係だけでなく、鎌倉・室町幕府内体制もそうだし。このやり方がゆえ、永きにわたって皇統が続いたと思うと感慨深いですね。
No. 2 No.1 はともかく実権を握ってる人間の正統性を保証してるのが天皇や朝廷ということですかね 官位とかもそうじゃないですか そのことによって実権を持つものが政をやり易くなるんじゃないですか?逆に実権を持つ者に対抗する勢力が天皇や朝廷を味方につけるとヤバくなりそうですね
鎌倉以後の新政の時代(後醍醐天皇、明治から昭和)は尽く失敗しているんですよね。現代は三頭体制が案外上手くいくのかもしれません。
@@aegialina 明治から昭和の時代が失敗とはどういうことですかね?親政というほどではないでしょ少なくとも明治 大正は成功じゃないですか?
@@yuriel-w3t 軍部が暴走して他国に侵略戦争を仕掛けた挙句敗戦するような明治憲法が公布されてましたから(昭和憲法は明治憲法よりも日本で長く保てている)。天皇が一定程度の影響力を持って政治をするという意義では親政体制でしょう。戦争は勝つことよりも負けないことのほうが何千倍も重要なのです。
No.1とNo.2というより、権威と権力の分離システムって考えるのは古いですか?で、このシステムの始まりは、宋書倭国伝とか邪馬台国とか倭奴国とかまでさかのぼるの。つまりは中国王朝の権威を後ろ楯に国内で政権を維持するシステム。7~8世紀の天皇の政権のスゴいところは、国内に中国王朝バリの権威をつくりあげちゃったところだなぁと思うのですが、どうでしょう?頼朝も、朝廷のシステムの中に自分の政権をうまいこと入れ込んで政権を維持している。例えば従二位にしょせられ政所を開設し、下文を出す。御家人が官位をもらえるよう朝廷に働きかけて、自分の配下のものたちをランクづけして統制する。これなんかは倭王武とおんなじ手法ですよね。平安時代の藤原氏のことはよく分からないので残念です😅色々教えてください❗
私の先祖がなんと藤原鎌足に繋がっていると父から家系図を見ながら言われてました。江戸時代は素晴らしく名門加賀藩の御典医だったそうす。祖父は次男だったので九州帝国大学医学部出て福岡県で開業医をしてました。そこの一人孫として生まれました!自分の遠い先祖の事を言われてると藤原鎌足と不比等は立派な人だったと思いますが、その後の子孫達は権力闘争に明け暮れた一族だったのですね😅
今回もわかりやすい解説でとても面白かったですまさに、正義が勝つのではなく、勝った者が正義を名乗れるんですよね
面白いです
解説ありがとうございました。摂関家とはいえあくまで天皇との関係で保持できる地位であり血筋によって将軍を世襲した武家と比べると儚い印象です。
日本では神話と皇室が一続きになっているためか武力などで皇位を奪ったり王朝を交代させる動きはほぼ見られず藤原氏のように外戚関係を強化して権力を極めたり○○幕府のように軍事政権を皇室と別枠で作るのが関の山だったようです(継体天皇の代などで王朝は3回変わったという説もありますが・・・)中国など他の国でも国の始まりになる神話は結構あるのですが日本のように王室や皇室と結びついて正統性をもたせているケースは見られませんなぜなのでしょうね・・・?
皇位を奪ったりして自分たちの政権が倒されたら一族皆殺しにされるんじゃないですか?中国なんかそうですよねそして後世の人間から簒奪者のレッテルを貼られる可能性がありますね
ずっと、日本に王朝交代がなかったのが不思議でした。犯し難い神の子孫だからですかね。繁栄をものにした藤原氏がなぜ力を失っていったのか、についても、ぜひまた解説お願いします。院政と武士の登場ですね。
再び 光る素材の シャツを 見ました。 ホストに 見えてしまいます。 Profile 紹介の 動画は あるので しょうか ?
自身が一番手、ナンバー1の地位につかないのは、藤原氏に限らず後の信長、秀吉などの武家政権でも同じですね。常に天皇を最高権力者として立てながら自身が政治を司る、こういう形態を各時代の為政者が好んだことは日本史の不思議であり、第2次世界大戦後のGHQもだからこそ、天皇に戦争責任を取らせ死罪とはしなかったのでしょう。謀反というのは、都合よくでっち上げられるものであり、多くの場合政敵を追い落とすために用いられる最上の作戦ですね。
現在と違い科学的な証拠てものがないから陥れるのも簡単だったんでしょうか逆にいつ自分も引きずり下ろされるか分からない一瞬も気を許せない時代ですね
どこかで聞いたことあるなぁ…。ど、思ったらカノッサの屈辱って言われて納得しました。全く同じとは言いませんが、世界で似たような事ってあるんだと…。
No.1よりNo.2❗❗
飛鳥の時代 みんな町内のご近所だったようなそんな時代だったのかも?
セピア先生の講義を観る事で何とか今年の大河も楽しく乗り切れそうです👍有り難うございます!3つのフェーズに安倍晴明がベタに機能してる「第9回遠くの国」🫣腹黒晴明が「ハルアキラ」と呼ばれてる事でファンタジーと受け止めてつつ物語は進んでますネ😂本来の安倍晴明は人間っぽくて俗物だったのか?と😵💫戸惑ってます…
家系図にされるとあらためて血濃くなるなって思いますね。天皇と外戚になるためとはいえ。昔はそうゆう概念なかったんでしたっけ。
蘇我、橘、大伴、菅原、源、がライバルだった一方で、その後平家に天下を取られるのですね。平家を下に見て油断してたのでしょうか?
摂関政治の後で院政期になると上皇や法皇が政ごとをするので藤原氏が油断したわけではないのでは?藤原氏が入り込めなかったのでは?大河ドラマ 平清盛のなかで鳥羽院の治世で四条(藤原)隆季や平 忠盛が鳥羽法皇に寵愛を受けているのを苦々しく思ってるシーンがありましたね四条家も同じ藤原北家だけど摂関家からみたら四条家はかなり傍流なわけで…そして平家が財力と武力でのしあがり鳥羽院から気に入られているので嫉妬心はあったでしょうね ドラマのなかで伊勢平氏風情が~ って陰口叩いてたシーンがありましたね
@@yuriel-w3t 有り難うございます。なるほど。因みに、四条という家はその後あまり出てこないですね。摂関家でなくても三条はよく出てくるのに。
@@noritakaakamatsu9713 まあ家格は三条家は清華家四条家は羽林家なので家格は三条家のほうがだいぶ上ですねいずれにせよこのような人物を取り立てたのは摂関家の力を削ぐ 牽制する意味もあったと思われます
@@yuriel-w3t なるほど。勉強になります。有り難うございます。
扶余豊璋の存在を追いかければ藤原氏の正体は分かりますよ。
桓武天皇の時代、藤原種継や藤原緒嗣が重用されていたので、必ずしも危うくなっていたとは言い切れないのでは?
良が付く件でいったい天王の血が入っている人は何万人も現代に入るのではないか。と思いました。むしろ全員親戚レベル?
蘇我馬子👍👍🫶かっこいい
学生時代に日本史が嫌いで勉強して来なかったので、今、高齢者になり大河を見る為にUA-cam見て知識を得ようとしています。
面白い解説だと頭に入って来易いし自然と覚えています。
いつも楽しみに勉強させて貰っています!
ありがとうございます!
lーー😢
今日も面白かったです。大河ドラマと並行して解説してもらえるので、より興味を持って聞けます。平安時代のドラマはあまり無いので新鮮な気持ちで見ているのですが、あんな柱だけの吹き抜けの家では寒いだろうなあ、とか家の中でも烏帽子被って柱にぶつけて邪魔だろうなあとか十二単衣でトイレはどうしてたんだろうとか、文化的な面も気になるので機会があったら解説して下さい。
いつも拝聴させてもらってます!セピア先生の分かり易い動画のおかげで歴史が更に大好きになりましたよ!イスラーム、インドの歴史も分かり易い動画待ってます!いつもありがとう!
今回も楽しく勉強させて頂きました
藤原だけでなく代々 1番にならなかったのは すごい事ですね
次回も楽しみに待ってます😄
No.2が実質のNo.1という体制が、我が国の風土に合ってたんでしょうね。天皇と幕府の関係だけでなく、鎌倉・室町幕府内体制もそうだし。このやり方がゆえ、永きにわたって皇統が続いたと思うと感慨深いですね。
No. 2 No.1 はともかく
実権を握ってる人間の正統性を
保証してるのが天皇や朝廷ということですかね 官位とかもそうじゃないですか そのことによって実権を持つものが政をやり易くなるんじゃないですか?
逆に実権を持つ者に対抗する勢力が天皇や朝廷を味方につけるとヤバくなりそうですね
鎌倉以後の新政の時代(後醍醐天皇、明治から昭和)は尽く失敗しているんですよね。現代は三頭体制が案外上手くいくのかもしれません。
@@aegialina
明治から昭和の時代が失敗とは
どういうことですかね?
親政というほどではないでしょ
少なくとも明治 大正は成功じゃないですか?
@@yuriel-w3t 軍部が暴走して他国に侵略戦争を仕掛けた挙句敗戦するような明治憲法が公布されてましたから(昭和憲法は明治憲法よりも日本で長く保てている)。天皇が一定程度の影響力を持って政治をするという意義では親政体制でしょう。戦争は勝つことよりも負けないことのほうが何千倍も重要なのです。
No.1とNo.2というより、権威と権力の分離システムって考えるのは古いですか?
で、このシステムの始まりは、宋書倭国伝とか邪馬台国とか倭奴国とかまでさかのぼるの。つまりは中国王朝の権威を後ろ楯に国内で政権を維持するシステム。
7~8世紀の天皇の政権のスゴいところは、国内に中国王朝バリの権威をつくりあげちゃったところだなぁと思うのですが、どうでしょう?
頼朝も、朝廷のシステムの中に自分の政権をうまいこと入れ込んで政権を維持している。例えば従二位にしょせられ政所を開設し、下文を出す。御家人が官位をもらえるよう朝廷に働きかけて、自分の配下のものたちをランクづけして統制する。これなんかは倭王武とおんなじ手法ですよね。
平安時代の藤原氏のことはよく分からないので残念です😅色々教えてください❗
私の先祖がなんと藤原鎌足に繋がっていると父から家系図を見ながら言われてました。江戸時代は素晴らしく名門加賀藩の御典医だったそうす。祖父は次男だったので九州帝国大学医学部出て福岡県で開業医をしてました。そこの一人孫として生まれました!自分の遠い先祖の事を言われてると藤原鎌足と不比等は立派な人だったと思いますが、その後の子孫達は権力闘争に明け暮れた一族だったのですね😅
今回もわかりやすい解説でとても面白かったです
まさに、正義が勝つのではなく、勝った者が正義を名乗れるんですよね
面白いです
解説ありがとうございました。
摂関家とはいえあくまで天皇との関係で保持できる地位であり血筋によって将軍を世襲した武家と比べると儚い印象です。
日本では神話と皇室が一続きになっているためか武力などで皇位を奪ったり王朝を交代させる動きはほぼ見られず
藤原氏のように外戚関係を強化して権力を極めたり○○幕府のように軍事政権を皇室と別枠で作るのが関の山だったようです
(継体天皇の代などで王朝は3回変わったという説もありますが・・・)
中国など他の国でも国の始まりになる神話は結構あるのですが日本のように王室や皇室と結びついて正統性をもたせているケースは見られません
なぜなのでしょうね・・・?
皇位を奪ったりして自分たちの政権が
倒されたら一族皆殺しにされるんじゃないですか?中国なんかそうですよね
そして後世の人間から簒奪者のレッテルを貼られる可能性がありますね
ずっと、日本に王朝交代がなかったのが不思議でした。犯し難い神の子孫だからですかね。
繁栄をものにした藤原氏がなぜ力を失っていったのか、についても、ぜひまた解説お願いします。院政と武士の登場ですね。
再び 光る素材の シャツを 見ました。 ホストに 見えてしまいます。 Profile 紹介の 動画は あるので しょうか ?
自身が一番手、ナンバー1の地位につかないのは、藤原氏に限らず後の信長、秀吉などの武家政権でも同じですね。常に天皇を最高権力者として立てながら自身が政治を司る、こういう形態を各時代の為政者が好んだことは日本史の不思議であり、第2次世界大戦後のGHQもだからこそ、天皇に戦争責任を取らせ死罪とはしなかったのでしょう。
謀反というのは、都合よくでっち上げられるものであり、多くの場合政敵を追い落とすために用いられる最上の作戦ですね。
現在と違い科学的な証拠てものがないから陥れるのも簡単だったんでしょうか
逆にいつ自分も引きずり下ろされるか分からない
一瞬も気を許せない時代ですね
どこかで聞いたことあるなぁ…。ど、思ったらカノッサの屈辱って言われて納得しました。
全く同じとは言いませんが、世界で似たような事ってあるんだと…。
No.1よりNo.2❗❗
飛鳥の時代 みんな町内のご近所だったような
そんな時代だったのかも?
セピア先生の講義を観る事で何とか今年の大河も楽しく乗り切れそうです👍有り難うございます!3つのフェーズに安倍晴明がベタに機能してる「第9回遠くの国」🫣腹黒晴明が「ハルアキラ」と呼ばれてる事でファンタジーと受け止めてつつ物語は進んでますネ😂本来の安倍晴明は人間っぽくて俗物だったのか?と😵💫戸惑ってます…
家系図にされるとあらためて血濃くなるなって思いますね。天皇と外戚になるためとはいえ。昔はそうゆう概念なかったんでしたっけ。
蘇我、橘、大伴、菅原、源、がライバルだった一方で、その後平家に天下を取られるのですね。平家を下に見て油断してたのでしょうか?
摂関政治の後で院政期になると
上皇や法皇が政ごとをするので
藤原氏が油断したわけではないのでは?藤原氏が入り込めなかったのでは?
大河ドラマ 平清盛のなかで
鳥羽院の治世で四条(藤原)
隆季や平 忠盛が鳥羽法皇に寵愛
を受けているのを苦々しく思ってるシーンがありましたね
四条家も同じ藤原北家だけど
摂関家からみたら四条家はかなり傍流なわけで…
そして平家が財力と武力でのしあがり鳥羽院から気に入られているので嫉妬心はあったでしょうね ドラマのなかで
伊勢平氏風情が~ って陰口叩いてたシーンがありましたね
@@yuriel-w3t 有り難うございます。なるほど。
因みに、四条という家はその後あまり出てこないですね。摂関家でなくても三条はよく出てくるのに。
@@noritakaakamatsu9713
まあ家格は三条家は清華家
四条家は羽林家なので家格は三条家のほうがだいぶ上ですね
いずれにせよこのような人物を取り立てたのは摂関家の力を削ぐ 牽制する
意味もあったと思われます
@@yuriel-w3t なるほど。勉強になります。有り難うございます。
扶余豊璋の存在を追いかければ藤原氏の正体は分かりますよ。
桓武天皇の時代、藤原種継や藤原緒嗣が重用されていたので、必ずしも危うくなっていたとは言い切れないのでは?
良が付く件でいったい天王の血が入っている人は何万人も現代に入るのではないか。と思いました。
むしろ全員親戚レベル?
蘇我馬子👍👍🫶かっこいい