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著者の加藤夢三と申します。この度は、拙著『合理的なものの詩学』を取り上げていただきありがとうございます。大変丁寧に紹介いただき恐縮の限りです、また後半の『天の夕顔』の解釈についても、なるほどと思わされました。動画内でも部分的に言及があったように、『天の夕顔』の「わたくし」は、学生時代に「天体物理」を学んでいるわけで、何か偶然文学論からの思想的継承がありそうですよね。なかなかうまく言葉にできず、本に書くことはできなかったのですが、ご指摘のあった語りの不信という観点から、もう少し読み解けそうな気がしました。中河與一という作家については、その後もささやかながらマイペースに研究を続けていて、最近だと衛生理念をめぐる初期の論説・小説について論文を出しました。こちらはオンライン公開されているものなので、もし関心が向きましたらご笑覧ください。とにかく面白く拝聴いたしました、今後も楽しみにしています。www.jstage.jst.go.jp/article/showabungaku/84/0/84_21/_pdf/-char/ja
御視聴並びに大変丁寧なコメントを頂きまして誠にありがとうございます。著者の方に直接コメントしていただくのは初めてなので感動しております。リンク先の論文も拝読させていただきます(リンクの貼られたコメントは保留扱いになる設定にしておりますので対応がやや遅れました、すみません)。荒木さんが伝染恐怖に関する初期作品について論じてましたが、これはカミュの「ペスト」読解と面白い繋がり方をしているのではないかと思いました。稲垣足穂や横光利一も読んでいくつもりでいまして、『合理的なものの詩学』は今後も参照させていただく予定です。研究活動、頑張ってください。改めまして、お忙しい中、ありがとうございました。
up主様、とてもわかりやすい、動画を配信して頂きまして、ありがとうございます。加藤夢三先生、今、卒論を書いております。『合理的なものの詩学』はその中で、何度も参考にさせて頂きます。"「物質」の境域"ありがとうございました。大変参考になりました。
コメント失礼ました。文学院の修士入試の準備として、最近色々と調べているうちにこのチャンネルを発見しました。内容は必ずしも自分の調べたい目標とは一致するとは言えないものの、すっごく参考になりました。視野が広げたと気がします。本当に勉強になりました。さっきまでロラン・バルトのエクリチュールに関する解説の動画を見終わったばかりなんです。なんと新しい動画が出てきた。嬉しいです。順番で見ようと思います。いつも素晴らしい動画をシェアしてくださってありがたく思います。これからも新動画を期待し続けます。外国人なので、もし日本語が不自然でしたら、お許しください。
御視聴ならびにコメント、誠にありがとうございます。留学されているんですね。間接的にでも、このチャンネルが何かの役に立てていたら嬉しいです。修士課程の入学試験、大変だと思いますが、頑張ってください。応援しています。
動画投稿いつもありがとうございます!
偶然性を伝統や文化で乗り越えようとするくだりで、三島由紀夫の『潮騒』を思い出しました。今まで、どうしてああも倫理的、機能的な小説が、彼に可能だったのか疑問だったのですが、それをあからさまにする事で(安夫と蜂の挿話など)完成されていたのだな、と納得しました。また、筆者による必然が、ただ必然として提示されている事も、やはり納得出来なかったからこそ、『金閣寺』や『豊穣の海』のラストもあるのでしょうし。三島由紀夫の運命的なものへの考察は、諦念やアイロニーと何処かで力強く結びつきながら、どうしてもロマンティックで、どこまで「科学的」であるかは疑問ですが、その結果究極的にはザインにもゾルレンにも依拠しない態度を、創作の上では可能にしていたのかもしれないと、いささか飛躍しながらも思いました。
いつも楽しく拝見しています。寝なきゃいけないんですけど,うっかり見てます...人間はやはり必然性を求めるのではないでしょうか?物事が絶えず生々しく偶然に起りながらも心の底では必然性による芸術的完璧を求めるという欲望の為に。眠い...
新感覚派が最新科学を受容していたというのが衝撃で、興味深く聞いておりました!川端康成が好きで、詩的で感覚的な表現や川端に関しては古典とも繋がりがあり、科学とは遠いものとばかり思っていました。新しい知見を得られてありがたいです!天の夕顔に関してはまだ読み切っていないので、終わり次第また考えたいと思います。
ありがとうございます。動画では引用していませんが、川端自身も科学を重視する旨、文章にしているようです。横光・中河・足穂ほどではないでしょうが、そういう時代でもあったのでしょうね。思えば物理学と社会科学がこんなにも盛り上がったのは、60年代を除いてはこの時代だけだったかも知れません。
@@read- 心霊科学なるものとの関係を読む論文を見つけました社会科学的な側面を重視していたのかなと思いますプロレタリア文学も含め、この時期の文学の動きは本当に面白いなと思います!
NHKの「神の数式」は面白かったね。あれはいっぺんは見るべき。是非お子さんに見せてあげてください、って感じ。ところで科学をありがたがるのも悪くないですが、あまりに理系コンプレックスが強すぎるのもどうかなと思います。僕なんかは20歳くらいの頃に浅田彰が「構造と力」で華々しく登場したことによる理系と文系が一つの大きな「知」という高いところで融合した人物に出逢ったことが大きかったですね。
いつもながらクオリティ高いです。ありがとうございます。
今回も面白かったです。いつかウィトゲンシュタインの論理哲学論考も紹介して下さい!
恋愛は(特にうまくいかない場合)、必然性というかストーリーを必要としてしまうだけなのかもしれない。少なくとも自分はそうですね。因果律はあったとしても分かりようがないので、起きている(と思われる)現実を受け入れるしかないのかな?
湯川博士は、物理学における偶然性が人間の生活や社会にただちに反映されるかどうかも判ってないとおっしゃっています(p57)。「神」なんかは最たるものですが、本質ないし実存、超現実などなど、本来なら言葉にできないものも言葉に落とし込んだ時点で――各々のフィルターに通した時点で、各々にとって都合のよい「現実」や「世界」の構成要素になっているというのは確かでしょうね。
中河与一(1897~1994)の生い立ちについて調べてみました。香川県坂出市の医師家庭出身で、幼少期はとても病弱であった…早稲田大学文学部英文科に属するも中退…川端康成や横光利一、堀辰雄なども虚弱体質であったと聞くので、彼らのロマネスク的な表現には、やはり病弱であることとの因果関係は強いものなんでしょうか?私にはそういう風に思えてくるのですが…
虚弱体質との因果関係は判りませんが。荒木さんによると、中河与一は鏡花と同じく、極度の潔癖症だったそうで、初期には伝染恐怖に関する小説をいくつかものしているとのことです。伝染と偶然性はめちゃくちゃ相性がいいですが、しかし作者のコントロールが効かなすぎるので、次第にこのテーマでは書かれなくなったのだとか。面白そうなんで読みたいんですけど、残念ながら新学社の文庫にも収録されておりません。初期評論と併せて、どこかで出して欲しいです。
秒速5センチメートルという作品は幼馴染という必然性よりも出会いの偶然性を優先した点で、偶然文学に分類しても良いのでしょうか。
ジッドの狭き門に似ていますね
言われてみれば、似ているかも知れませんね。遥か昔に一読したきりですが、あれはキリスト教が絡んでいたので、ストイックになりすぎる理由もまだ分かったような気がします。
そういうときって、体中熱くなりそうだけど……単衣の着物は暗くて寒そう……
体温……。めっちゃ、鋭いですね。以下、引用部の続きをちょっとだけ。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※「寒くはありませんか」 わたくしは、あの人の手を包むように取ると、それを自分の胸にあてました。動悸が冷たくなった彼女の手を、衝きあげるように強くうちました。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ここから人の気配を察知して立ち上がり、衣服の乱れなどを気にしつつ再びいちゃつく、という流れです。彼女の手を自分の胸に当てたとありますが、これは素肌に直接当てたのでしょうね。流れで半裸に近い状態になったのではないか、と私は想像しています。
着物を着たままなら……なおさら体が熱くて仕方がないですから……海からくる風が二人の身体にはちょうど心地よく感じられるはずじゃないのかしら……
無論、そう捉えて何もなかったと解釈するのも可能です。国内国外関わらず「なかった」とされてきているわけですから、そのように読み進める方が自然でしょう。ただ、「あった」説も不可能ではないという点は強調されて良いと思うんですね。なかったとして、じゃあ、その服や髪の乱れは何だ、座って風に当たっていただけでそうなったのかという話になってくる。この問いただしたくなる隙と申しますか、濁し方が諸々の不自然さや矛盾点と絡んで因果関係(必然性)をぐらつかせるわけです。今回の疑問に真正面からお応えすると、「わたくし」の一人称視点なので彼女が実際にどう思っていたかは判りません。彼女も明らかに火照っているけれど敢えて気遣ったのか、それとも暗くて判らなかったのでそう気遣ったのか。私としては呆然としていたらすっかり暗くなって寒気を感じた、「わたくし」はなお動悸していたと捉えたいところです。
貴方文句メンサ会員ですか?
んー、なんか色々と分析しすぎだなぁ、純粋に『天の夕顔』の素晴らしさを味わったら良いと思う。『天の夕顔』は本当に人間の愛について考えさせられる素晴らしい作品だよ。
著者の加藤夢三と申します。この度は、拙著『合理的なものの詩学』を取り上げていただきありがとうございます。
大変丁寧に紹介いただき恐縮の限りです、また後半の『天の夕顔』の解釈についても、なるほどと思わされました。
動画内でも部分的に言及があったように、『天の夕顔』の「わたくし」は、学生時代に「天体物理」を学んでいるわけで、何か偶然文学論からの思想的継承がありそうですよね。なかなかうまく言葉にできず、本に書くことはできなかったのですが、ご指摘のあった語りの不信という観点から、もう少し読み解けそうな気がしました。
中河與一という作家については、その後もささやかながらマイペースに研究を続けていて、最近だと衛生理念をめぐる初期の論説・小説について論文を出しました。
こちらはオンライン公開されているものなので、もし関心が向きましたらご笑覧ください。
とにかく面白く拝聴いたしました、今後も楽しみにしています。
www.jstage.jst.go.jp/article/showabungaku/84/0/84_21/_pdf/-char/ja
御視聴並びに大変丁寧なコメントを頂きまして誠にありがとうございます。著者の方に直接コメントしていただくのは初めてなので感動しております。
リンク先の論文も拝読させていただきます(リンクの貼られたコメントは保留扱いになる設定にしておりますので対応がやや遅れました、すみません)。荒木さんが伝染恐怖に関する初期作品について論じてましたが、これはカミュの「ペスト」読解と面白い繋がり方をしているのではないかと思いました。
稲垣足穂や横光利一も読んでいくつもりでいまして、『合理的なものの詩学』は今後も参照させていただく予定です。研究活動、頑張ってください。改めまして、お忙しい中、ありがとうございました。
up主様、とてもわかりやすい、動画を配信して頂きまして、ありがとうございます。加藤夢三先生、今、卒論を書いております。『合理的なものの詩学』はその中で、何度も参考にさせて頂きます。"「物質」の境域"ありがとうございました。大変参考になりました。
コメント失礼ました。文学院の修士入試の準備として、最近色々と調べているうちにこのチャンネルを発見しました。内容は必ずしも自分の調べたい目標とは一致するとは言えないものの、すっごく参考になりました。視野が広げたと気がします。本当に勉強になりました。さっきまでロラン・バルトのエクリチュールに関する解説の動画を見終わったばかりなんです。なんと新しい動画が出てきた。嬉しいです。順番で見ようと思います。いつも素晴らしい動画をシェアしてくださってありがたく思います。これからも新動画を期待し続けます。外国人なので、もし日本語が不自然でしたら、お許しください。
御視聴ならびにコメント、誠にありがとうございます。留学されているんですね。間接的にでも、このチャンネルが何かの役に立てていたら嬉しいです。
修士課程の入学試験、大変だと思いますが、頑張ってください。応援しています。
動画投稿いつもありがとうございます!
偶然性を伝統や文化で乗り越えようとするくだりで、三島由紀夫の『潮騒』を思い出しました。今まで、どうしてああも倫理的、機能的な小説が、彼に可能だったのか疑問だったのですが、それをあからさまにする事で(安夫と蜂の挿話など)完成されていたのだな、と納得しました。また、筆者による必然が、ただ必然として提示されている事も、やはり納得出来なかったからこそ、『金閣寺』や『豊穣の海』のラストもあるのでしょうし。
三島由紀夫の運命的なものへの考察は、諦念やアイロニーと何処かで力強く結びつきながら、どうしてもロマンティックで、どこまで「科学的」であるかは疑問ですが、その結果究極的にはザインにもゾルレンにも依拠しない態度を、創作の上では可能にしていたのかもしれないと、いささか飛躍しながらも思いました。
いつも楽しく拝見しています。寝なきゃいけないんですけど,うっかり見てます...人間はやはり必然性を求めるのではないでしょうか?物事が絶えず生々しく偶然に起りながらも心の底では必然性による芸術的完璧を求めるという欲望の為に。眠い...
新感覚派が最新科学を受容していたというのが衝撃で、興味深く聞いておりました!
川端康成が好きで、詩的で感覚的な表現や川端に関しては古典とも繋がりがあり、科学とは遠いものとばかり思っていました。
新しい知見を得られてありがたいです!
天の夕顔に関してはまだ読み切っていないので、終わり次第また考えたいと思います。
ありがとうございます。動画では引用していませんが、川端自身も科学を重視する旨、文章にしているようです。横光・中河・足穂ほどではないでしょうが、そういう時代でもあったのでしょうね。思えば物理学と社会科学がこんなにも盛り上がったのは、60年代を除いてはこの時代だけだったかも知れません。
@@read- 心霊科学なるものとの関係を読む論文を見つけました
社会科学的な側面を重視していたのかなと思います
プロレタリア文学も含め、この時期の文学の動きは本当に面白いなと思います!
NHKの「神の数式」は面白かったね。あれはいっぺんは見るべき。是非お子さんに見せてあげてください、って感じ。
ところで科学をありがたがるのも悪くないですが、あまりに理系コンプレックスが強すぎるのもどうかなと思います。僕なんかは20歳くらいの頃に浅田彰が「構造と力」で華々しく登場したことによる理系と文系が一つの大きな「知」という高いところで融合した人物に出逢ったことが大きかったですね。
いつもながらクオリティ高いです。ありがとうございます。
今回も面白かったです。
いつかウィトゲンシュタインの論理哲学論考も紹介して下さい!
恋愛は(特にうまくいかない場合)、必然性というかストーリーを必要としてしまうだけなのかもしれない。少なくとも自分はそうですね。因果律はあったとしても分かりようがないので、起きている(と思われる)現実を受け入れるしかないのかな?
湯川博士は、物理学における偶然性が人間の生活や社会にただちに反映されるかどうかも判ってないとおっしゃっています(p57)。「神」なんかは最たるものですが、本質ないし実存、超現実などなど、本来なら言葉にできないものも言葉に落とし込んだ時点で――各々のフィルターに通した時点で、各々にとって都合のよい「現実」や「世界」の構成要素になっているというのは確かでしょうね。
中河与一(1897~1994)の生い立ちについて調べてみました。香川県坂出市の医師家庭出身で、幼少期はとても病弱であった…早稲田大学文学部英文科に属するも中退…
川端康成や横光利一、堀辰雄なども虚弱体質であったと聞くので、彼らのロマネスク的な表現には、やはり病弱であることとの因果関係は強いものなんでしょうか?私にはそういう風に思えてくるのですが…
虚弱体質との因果関係は判りませんが。
荒木さんによると、中河与一は鏡花と同じく、極度の潔癖症だったそうで、初期には伝染恐怖に関する小説をいくつかものしているとのことです。伝染と偶然性はめちゃくちゃ相性がいいですが、しかし作者のコントロールが効かなすぎるので、次第にこのテーマでは書かれなくなったのだとか。
面白そうなんで読みたいんですけど、残念ながら新学社の文庫にも収録されておりません。初期評論と併せて、どこかで出して欲しいです。
秒速5センチメートルという作品は幼馴染という必然性よりも出会いの偶然性を優先した点で、偶然文学に分類しても良いのでしょうか。
ジッドの狭き門に似ていますね
言われてみれば、似ているかも知れませんね。遥か昔に一読したきりですが、あれはキリスト教が絡んでいたので、ストイックになりすぎる理由もまだ分かったような気がします。
そういうときって、体中熱くなりそうだけど……単衣の着物は暗くて寒そう……
体温……。めっちゃ、鋭いですね。以下、引用部の続きをちょっとだけ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「寒くはありませんか」
わたくしは、あの人の手を包むように取ると、それを自分の胸にあてました。動悸が冷たくなった彼女の手を、衝きあげるように強くうちました。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ここから人の気配を察知して立ち上がり、衣服の乱れなどを気にしつつ再びいちゃつく、という流れです。彼女の手を自分の胸に当てたとありますが、これは素肌に直接当てたのでしょうね。流れで半裸に近い状態になったのではないか、と私は想像しています。
着物を着たままなら……なおさら体が熱くて仕方がないですから……海からくる風が二人の身体にはちょうど心地よく感じられるはずじゃないのかしら……
無論、そう捉えて何もなかったと解釈するのも可能です。国内国外関わらず「なかった」とされてきているわけですから、そのように読み進める方が自然でしょう。
ただ、「あった」説も不可能ではないという点は強調されて良いと思うんですね。なかったとして、じゃあ、その服や髪の乱れは何だ、座って風に当たっていただけでそうなったのかという話になってくる。この問いただしたくなる隙と申しますか、濁し方が諸々の不自然さや矛盾点と絡んで因果関係(必然性)をぐらつかせるわけです。
今回の疑問に真正面からお応えすると、「わたくし」の一人称視点なので彼女が実際にどう思っていたかは判りません。彼女も明らかに火照っているけれど敢えて気遣ったのか、それとも暗くて判らなかったのでそう気遣ったのか。私としては呆然としていたらすっかり暗くなって寒気を感じた、「わたくし」はなお動悸していたと捉えたいところです。
貴方文句メンサ会員ですか?
んー、なんか色々と分析しすぎだなぁ、純粋に『天の夕顔』の素晴らしさを味わったら良いと思う。『天の夕顔』は本当に人間の愛について考えさせられる素晴らしい作品だよ。