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実はこっちのアップテンポverのが好き
私が昭和歌謡に魅せられるのは、私が老いたからか、老いて価値が理解できる為か。
今年25ですが、中学生の頃から昭和歌謡好きです。人々の活気が溢れていて、知らないのに懐かしさが込み上げてきてなんともいえない気持ちになるんですよね。
コロムビア盤の東京ラプソディーは本当に珍しいから、こうして綺麗な音源が残っていることを有り難く思います🙏🏻
戦前の日本の活気は楽しそうだし夢があったようでいいなぁ
今も楽しい東京の街歩いてるとこの歌が頭の中で流れるちと人が多いが良き街です
間奏がとても綺麗に聴こえる、録音技術なんてそんなに高いわけでもないのに、演奏している方々の心がこもっているような気がする。
藤山先生の歌声は今でも映える
藤山一郎の正統的歌唱に唯、ひたすら感動しかありません!
何て豊かな曲の展開…
バリバリの平成生まれだけど和洋が混じった戦前独特のモダン文化たまらん
仲見世の陸軍さん、ポケットハンドで歩くとはなかなかつわもの。古兵なんだろうね。
東京はいつの時代もいいですなぁ
昭和11年といえば、226事件があり、翌年12年には盧溝橋事件がおこり、戦争の軍靴の音が聞こえ始めた時代なのである。この歌を歌っていた当時の若者達が、東京に焼夷弾の雨がふる日が来るなんて想像できただろうか?原爆がふたつも落ちるなんて想像できただろうか?この歌は今の若者と変わらぬ、明るい未来を信じて恋と青春を謳歌していて、『もしも、戦争がなかったら』…という、もうひとつの日本が存在していたかもしれない…を伝える貴重な『証言者』でもある。
ずっと連合国なら良かったな
結局、敗戦の昭和20年までに徴兵が回ってきたのは、戦争中の徴兵年齢繰り下げで19歳とされた「大正生まれ」まで。「昭和生まれ」には徴兵は回ってこなかった。それでも自発的か半強制的か関わらず軍隊に行かされて戦死・戦病死させられた昭和生まれも大勢いるけれどね。ここに映っている大正生まれの「モボ」の皆さんの中には上手に(合法的に)徴兵を逃れていても(あるいは徴兵を終わっても)、結局赤紙で徴集されて戦争に行かされた人も多いんだろうな。
これは戦後の1952(昭和27)年にコロムビアから改めて発売されたレコードで、編曲は仁木他喜雄ですね。オリジナルは1936(昭和11)年のテイチク盤で、4番と5番が入れ替わっています。
My grandma was high school student's song.She went to Women's High School. Ichiro Fujiyama is legend.
今と言葉が変わらんもんだな、すごいわ
良き時代の東京でしたね🎉😊。
二・二六事件があった年ですよ。翌年には日中戦争勃発です。
@@jirohkaiohmata5801政治的にはね、
地方の困窮する家族を持つ兵士を見兼ねた将校による革命とされているけど、この歌を聞けば実は東京と地方の貧富の格差が理由だと思う。これから起こるであろうテロも同じ原因。
そもそも映像は大正モガのもので映像がずれてます
戦災から復興していく東京の姿だね
今は亡き父がよくこの曲を家事をしながら歌っていました父は昭和一桁生まれでしたが、苦労したせいか母ひとりに家事をさせまいとバブルで多忙だった頃も必ず夜中や日曜には家事をしていましたそんな父が洗濯物を干しながら楽しそうに歌っている姿が鮮明に思い出されました
ゆめまぼろし、戦前の東京ですよね〜タイムスリップした気分です。親や祖父母がいっていた都電がたくさん走っていた頃・・・
20世紀の東京は、二度に渡って焼き払われました。この映像に映っている東京は、失われました。しかし、21世紀初頭の東京は、世界最大の都市となりました。先人の努力に感謝します。
世界28位です。
@@hon6492 何をもってそう言うのかは知らんけど、他の国の都市の成り立ち(アメリカの州とか中国の省の範囲エグいでしょ)とは違って街が途中でぶっちぎられた行政区画だから、都市が続いてる区間を一つの東京都市圏としてカウントするのは別に間違いではないと思う。
こんばんわ、たまたまこの映像見ましたが、戦争敗戦して空襲されてコテンパンにされた東京が、今の様な姿に変わったのは、私達の先輩達の賜物だと思います。
一度目は天災 ニ度目は人災。
1位だったのは30年前の話なんだよな
この有名な曲をフルで聴いたの初めてです。なるほど大阪ラプソディーのイントロの元歌なのですね😂
この曲の他バージョンを幾つか聴いたが、本動画のは音質が非常にクリアで間奏も当時としてはスタイリッシュ。藤山一郎さんの歌唱も高らかに溌溂として聴こえます。
右から読む横書きとか旧字体とかがなければ、昭和30年代と言われても信じてしまいそうです…。
日本橋の今は亡き父が勤めていた会社が写っていて懐かしいです。そのビルも今は取り壊されて有りません。時の流れを感じます。
藤山一郎さんの歌声は好き♥️最高の歌い方ですね😆
50年前親父の車のカセットテープから流れてきた曲小学生ながら大好きになった歌
この頃のわしは着物を着ていたな冬にはインバネスコートを着物の上に着ていたのう
戦後コロムビアから1952年7月27日収録 10月10日発売の分ですね。
凄い!学校の歴史の授業で流すべき動画ですね
流れる映像は大正時代曲は昭和11年発表。「べき」ではありません
@@akita1934 戦前の帝都の様子を映像と音楽で体験できるので、教育的に有意義だと思います。この動画に限らず歴史教育に映像コンテンツや体験(縄文土器づくり体験)みたいなものを多く取り入れれば歴史が好きな子が増えると思います。
東京は、路面電車がよく合いますね‼️今は、荒川線だけになりましたが他の路線もあって欲しかったです。北九州市生まれ愛知県在住62歳会社員です。
うちのじいちゃんが朝ごはん作りながら聞いてたな
これが数年後には、空襲でほとんど廃墟と化してしまうんだからな。戦争がなかったらどれほど発展していたんだろう。
殆ど廃墟になってしまったから復興が早まったと考えよう
数年後は昭和16~17年、真珠湾攻撃とミッドウェー海戦。日本はまだ米国の空襲に襲われていません。
日本は戦争に負けて目覚めたから発展したんだよ
戦後の映像も交じってますが。
@@nuko_nyantaは?
Die Alte Tokio ! Vielendanke fûr die Vidéo und Musik !❤❤❤
226事件は、学校の教科書で知りました、その時私はまだ生まれていませんが、亡き父が6歳のときのことですね、父も多分?だったでしょう
こうした懐かしい映像が鑑賞出来ることは、幸せを感じます。
テンポが速い、映像もはや~
運動会向きのクィックテンポですね。
この時代には、まだ生まれていないけど、いやに懐かしい。
モボとモガがちらほらと。
今でもFC東京でバリバリ現役の応援歌でサポーターに歌われてるし、永遠の名曲に神の歌唱力ですよ。
テレビでご老人が「昔の日本は独裁国家だから閉鎖的で自由なんてなかった」って言ってたのに…めっちゃ活気があって生き生きしてるやん…昔の人の証言ってやっぱり鵜呑みにするのは良くないな
「独裁国家だから閉鎖的で自由なんてない」のと「活気があって生き生きしてる」のは必ずしも両立しないわけではないと思うけどね。
小学生時代良く祖母👵は、レコードを掛けてあげていたので、昔のまだ生まれる前の曲なのに、覚えているョ❗
化粧している女性、現代でも違和感ないですね。ご健在ですかね?
We don't know.Many people die by Tokyo bombs when World War 2.
懐かしい
映像が貴重過ぎて驚いた。化粧をする女性も今はあり得ない軍服を着たまま歩く軍人さんも、何かこう、生き生きとしている気がする。今の世の中、今を生きる私達はこの映像に残った方々からはどう見えるのだろうか?
大正時代,「大正モダン」あるいは「大正モガ」の映像です
NHK放送の世紀の映像プレミアム カラー映像で蘇る日本の100年だったかな また再放送やらないかな
@@akita1934え?ってことは東京って大正時代からあんなに華やかでピカピカしてたの?凄すぎ…
わしが若い頃を思い出すのう
この歌、本当は5番まであって中おう線に乗って国立駅前のモダンな開けて行く街並みを歌った歌詞があるらしいのですが、尺の関係でレコードに入れられず幻の歌とされています。
米軍が本気で焼き払っても失われなかった日本の断片
東洋大学の陸上競技部名誉顧問、『箱根駅伝で優勝させる会』初代会長、相撲部後援会長と真面目なことをしてた人だよ。その人がこの歌を歌うから面白い。
家のひいおばあさんの先夫は東京でチンチン電車の運転士でした。関東大震災で電車ごと電車の下敷きで亡くなりましたひいおばあさんが長野に帰ったから私も生まれました。
字も右からだったらもっと最高
悲しいのはこの映像に写っていっる人物達は皆亡くなってるということだな
空襲でこんな綺麗な街が火の海😭
ここでふんばってアメリカのイチャモンをガマンして戦争を回避しておけば今ごろも台湾、朝鮮、南樺太、南洋はまだ日本領だったかも。そういう意味でも負け戦はしてはならんのですよ。
日本當年意氣風發,不知道大限將至!
0:41 の橋は、なんの橋?数寄屋橋?日本橋?淀橋?新橋?よく見たら、これは日本橋だね。右上の片流れ屋根の4軒の中の1軒が、八木政で今でもあるよ。1:08 が新橋の虎の門からくる道のガードっぽい。
今の曲よりよっぽど好きです。感情を揺さぶる歌は素敵です。今の歌は口上ばかりでつまらないです。
東京大空襲で焼かれた
作為的か不明なれど映像はこの曲(昭和11年)大分以前の物で大正時代のものです
0:07 東京地下鉄道(現銀座線)の1000系車両が新橋行となっているので、昭和9年(1934年)以降の映像です。大正時代じゃないです。
@@kagonaka電車は気付きませんでした。前半分の女性は明らかに大正モガファッションです。複合映像かもしれませんね
@@kagonakaさん交通信号機があると言う点でも昭和って事がわかりますね
@@スーパーおおとり 0:10 銀座和光の時計台で有名なビルは昭和5年竣工だそうです。0:24 The Girl of the Golden West(邦題:ポルカの歌姫)という映画は1938年(昭和13年)公開だそうです。
30年後 花の東京は ごみの東京
大して進歩してないな💧
概要欄失礼すぎるだろ
前チャンネル時代に作成(動画の編集)、投稿していたものをこちらの移行先チャンネルで再投稿したという意味合いなのですが、はてどこが失礼に当たるのでしょうか??
概要欄を作る上で今、私は少し勘違いをしました。ですが「昔作ったやつ」とだけ表記するのは私の心が小さいだけかもしれませんが「昔作った奴」と思ってしまいました申し訳ございません。ですが、とても人によっては勘違いしてしまう内容だと思います。
※編集の感じが特に好きではある
大東京❤世界一の街🎉
実はこっちのアップテンポverのが好き
私が昭和歌謡に魅せられるのは、私が老いたからか、老いて価値が理解できる為か。
今年25ですが、中学生の頃から昭和歌謡好きです。
人々の活気が溢れていて、知らないのに懐かしさが込み上げてきてなんともいえない気持ちになるんですよね。
コロムビア盤の東京ラプソディーは本当に珍しいから、こうして綺麗な音源が残っていることを有り難く思います🙏🏻
戦前の日本の活気は
楽しそうだし
夢があったようで
いいなぁ
今も楽しい
東京の街歩いてるとこの歌が頭の中で流れる
ちと人が多いが良き街です
間奏がとても綺麗に聴こえる、録音技術なんてそんなに高いわけでもないのに、演奏している方々の心がこもっているような気がする。
藤山先生の歌声は今でも映える
藤山一郎の正統的歌唱に唯、ひたすら感動しかありません!
何て豊かな曲の展開…
バリバリの平成生まれだけど和洋が混じった戦前独特のモダン文化たまらん
仲見世の陸軍さん、ポケットハンドで歩くとはなかなかつわもの。古兵なんだろうね。
東京はいつの時代もいいですなぁ
昭和11年といえば、226事件があり、翌年12年には盧溝橋事件がおこり、戦争の軍靴の音が聞こえ始めた時代なのである。
この歌を歌っていた当時の若者達が、東京に焼夷弾の雨がふる日が来るなんて想像できただろうか?
原爆がふたつも落ちるなんて
想像できただろうか?
この歌は今の若者と変わらぬ、明るい未来を信じて恋と青春を謳歌していて、
『もしも、戦争がなかったら』
…という、
もうひとつの日本が存在していたかもしれない
…を伝える貴重な『証言者』でもある。
ずっと連合国なら良かったな
結局、敗戦の昭和20年までに徴兵が回ってきたのは、戦争中の徴兵年齢繰り下げで19歳とされた「大正生まれ」まで。
「昭和生まれ」には徴兵は回ってこなかった。それでも自発的か半強制的か関わらず軍隊に行かされて戦死・戦病死させられた昭和生まれも大勢いるけれどね。
ここに映っている大正生まれの「モボ」の皆さんの中には上手に(合法的に)徴兵を逃れていても(あるいは徴兵を終わっても)、結局赤紙で徴集されて戦争に行かされた人も多いんだろうな。
これは戦後の1952(昭和27)年にコロムビアから改めて発売されたレコードで、編曲は仁木他喜雄ですね。オリジナルは1936(昭和11)年のテイチク盤で、4番と5番が入れ替わっています。
My grandma was high school student's song.She went to Women's High School.
Ichiro Fujiyama is legend.
今と言葉が変わらんもんだな、すごいわ
良き時代の東京でしたね🎉😊。
二・二六事件があった年ですよ。翌年には日中戦争勃発です。
@@jirohkaiohmata5801政治的にはね、
地方の困窮する家族を持つ兵士を見兼ねた将校による革命とされているけど、この歌を聞けば実は東京と地方の貧富の格差が理由だと思う。これから起こるであろうテロも同じ原因。
そもそも映像は大正モガのもので映像がずれてます
戦災から復興していく東京の姿だね
今は亡き父がよくこの曲を家事をしながら歌っていました
父は昭和一桁生まれでしたが、苦労したせいか母ひとりに家事をさせまいとバブルで多忙だった頃も必ず夜中や日曜には家事をしていました
そんな父が洗濯物を干しながら楽しそうに歌っている姿が鮮明に思い出されました
ゆめまぼろし、戦前の東京ですよね〜タイムスリップした気分です。親や祖父母がいっていた都電がたくさん走っていた頃・・・
20世紀の東京は、二度に渡って焼き払われました。この映像に映っている東京は、失われました。しかし、21世紀初頭の東京は、世界最大の都市となりました。先人の努力に感謝します。
世界28位です。
@@hon6492 何をもってそう言うのかは知らんけど、他の国の都市の成り立ち(アメリカの州とか中国の省の範囲エグいでしょ)とは違って街が途中でぶっちぎられた行政区画だから、都市が続いてる区間を一つの東京都市圏としてカウントするのは別に間違いではないと思う。
こんばんわ、たまたまこの映像見ましたが、戦争敗戦して空襲されてコテンパンにされた東京が、今の様な姿に変わったのは、私達の先輩達の賜物だと思います。
一度目は天災 ニ度目は人災。
1位だったのは30年前の話なんだよな
この有名な曲をフルで聴いたの初めてです。なるほど大阪ラプソディーのイントロの元歌なのですね😂
この曲の他バージョンを幾つか聴いたが、本動画のは音質が非常にクリアで間奏も当時としてはスタイリッシュ。藤山一郎さんの歌唱も高らかに溌溂として聴こえます。
右から読む横書きとか旧字体とかがなければ、昭和30年代と言われても信じてしまいそうです…。
日本橋の今は亡き父が勤めていた会社が写っていて懐かしいです。
そのビルも今は取り壊されて有りません。
時の流れを感じます。
藤山一郎さんの歌声は好き♥️最高の歌い方ですね😆
50年前親父の車のカセットテープから流れてきた曲
小学生ながら大好きになった歌
この頃のわしは着物を
着ていたな冬には
インバネスコートを
着物の上に着ていたのう
戦後コロムビアから1952年7月27日収録 10月10日発売の分ですね。
凄い!学校の歴史の授業で流すべき動画ですね
流れる映像は大正時代曲は昭和11年発表。「べき」ではありません
@@akita1934 戦前の帝都の様子を映像と音楽で体験できるので、教育的に有意義だと思います。
この動画に限らず歴史教育に映像コンテンツや体験(縄文土器づくり体験)みたいなものを多く取り入れれば
歴史が好きな子が増えると思います。
東京は、路面電車がよく合いますね‼️今は、荒川線だけになりましたが他の路線もあって欲しかったです。北九州市生まれ愛知県在住62歳会社員です。
うちのじいちゃんが朝ごはん作りながら聞いてたな
これが数年後には、空襲でほとんど廃墟と化してしまうんだからな。戦争がなかったらどれほど発展していたんだろう。
殆ど廃墟になってしまったから復興が早まったと考えよう
数年後は昭和16~17年、真珠湾攻撃とミッドウェー海戦。日本はまだ米国の空襲に襲われていません。
日本は戦争に負けて目覚めたから発展したんだよ
戦後の映像も交じってますが。
@@nuko_nyantaは?
Die Alte Tokio ! Vielendanke fûr die Vidéo und Musik !❤❤❤
226事件は、学校の教科書で知りました、その時私はまだ生まれていませんが、亡き父が6歳のときのことですね、父も多分?だったでしょう
こうした懐かしい映像が鑑賞出来ることは、幸せを感じます。
テンポが速い、映像もはや~
運動会向きのクィックテンポですね。
この時代には、まだ生まれていないけど、いやに懐かしい。
モボとモガがちらほらと。
今でもFC東京でバリバリ現役の応援歌でサポーターに歌われてるし、永遠の名曲に神の歌唱力ですよ。
テレビでご老人が「昔の日本は独裁国家だから閉鎖的で自由なんてなかった」って言ってたのに…めっちゃ活気があって生き生きしてるやん…
昔の人の証言ってやっぱり鵜呑みにするのは良くないな
「独裁国家だから閉鎖的で自由なんてない」のと「活気があって生き生きしてる」のは必ずしも両立しないわけではないと思うけどね。
小学生時代良く祖母👵は、レコードを掛けてあげていたので、昔のまだ生まれる前の曲なのに、覚えているョ❗
化粧している女性、現代でも違和感ないですね。ご健在ですかね?
We don't know.Many people die by Tokyo bombs when World War 2.
懐かしい
映像が貴重過ぎて驚いた。
化粧をする女性も今はあり得ない軍服を着たまま歩く軍人さんも、何かこう、生き生きとしている気がする。
今の世の中、今を生きる私達はこの映像に残った方々からはどう見えるのだろうか?
大正時代,「大正モダン」あるいは「大正モガ」の映像です
NHK放送の世紀の映像プレミアム カラー映像で蘇る日本の100年だったかな また再放送やらないかな
@@akita1934
え?ってことは東京って大正時代からあんなに華やかでピカピカしてたの?凄すぎ…
わしが若い頃を思い出すのう
この歌、本当は5番まであって中おう線に乗って国立駅前のモダンな開けて行く街並みを歌った歌詞があるらしいのですが、尺の関係でレコードに入れられず幻の歌とされています。
米軍が本気で焼き払っても失われなかった日本の断片
東洋大学の陸上競技部名誉顧問、『箱根駅伝で優勝させる会』初代会長、相撲部後援会長と真面目なことをしてた人だよ。その人がこの歌を歌うから面白い。
家のひいおばあさんの先夫は東京でチンチン電車の運転士でした。
関東大震災で電車ごと電車の下敷きで亡くなりましたひいおばあさんが長野に帰ったから私も生まれました。
字も右からだったらもっと最高
悲しいのはこの映像に写っていっる人物達は皆亡くなってるということだな
空襲でこんな綺麗な街が火の海
😭
ここでふんばってアメリカのイチャモンをガマンして戦争を回避しておけば
今ごろも台湾、朝鮮、南樺太、南洋はまだ日本領だったかも。
そういう意味でも負け戦はしてはならんのですよ。
日本當年意氣風發,不知道大限將至!
0:41 の橋は、なんの橋?数寄屋橋?日本橋?淀橋?新橋?
よく見たら、これは日本橋だね。右上の片流れ屋根の4軒の中の1軒が、八木政で今でもあるよ。
1:08 が新橋の虎の門からくる道のガードっぽい。
今の曲よりよっぽど好きです。感情を揺さぶる歌は素敵です。今の歌は口上ばかりでつまらないです。
東京大空襲で焼かれた
作為的か不明なれど映像はこの曲(昭和11年)大分以前の物で大正時代のものです
0:07 東京地下鉄道(現銀座線)の1000系車両が新橋行となっているので、昭和9年(1934年)以降の映像です。大正時代じゃないです。
@@kagonaka電車は気付きませんでした。前半分の女性は明らかに大正モガファッションです。複合映像かもしれませんね
@@kagonakaさん
交通信号機があると言う点でも
昭和って事がわかりますね
@@スーパーおおとり 0:10 銀座和光の時計台で有名なビルは昭和5年竣工だそうです。
0:24 The Girl of the Golden West(邦題:ポルカの歌姫)という映画は1938年(昭和13年)公開だそうです。
30年後 花の東京は ごみの東京
大して進歩してないな💧
概要欄失礼すぎるだろ
前チャンネル時代に作成(動画の編集)、投稿していたものをこちらの移行先チャンネルで再投稿したという意味合いなのですが、はてどこが失礼に当たるのでしょうか??
概要欄を作る上で今、私は少し勘違いをしました。ですが「昔作ったやつ」とだけ表記するのは私の心が小さいだけかもしれませんが「昔作った奴」と思ってしまいました申し訳ございません。ですが、とても人によっては勘違いしてしまう内容だと思います。
※編集の感じが特に好きではある
大東京❤世界一の街🎉