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小林秀雄の声。ありがとうございます😊
ありがたいですね 長生きはするもんだUA-cam で 小林秀雄の声が聞けるとは
私は小林氏のなまの講演を10回以上聞きましたが、この声は懐かしいです。ここでのゴッホの話も切ない半面、心が引き締まる内容ですね。個性は身体から発していると思いますが、普遍を指向して自分と闘っていく辛い道のりで、その途中にたとえば芸術という一つの救いの場を見出すこともあるのですね。
いいですね。羨ましい!
自己と戯れてるか、自己と闘っているのか・・・・刺さる言葉ですね。
勉強に、成りました。 ありがとう御座います。
有難うございました。
先生の言葉を20年ぶりに聞かせて頂きました。有り難う御座います。
ずっと普遍的な概念が曖昧なまま小林秀雄の声がこうしていつでも聞きたくなったら聴ける時代になったのはいい。
溜まった汚物を焼却しなければ、そして自分を純化し、燃え立たせなければ、と察知した時、これを聴きます。
小林秀雄先生のお話は、わかりやすく素晴らしいです。かつては入試問題で出会うことが多く、文部科学省推薦のような人なのかと思っていた。ゴッホは気が狂っているとはっきり言い切るところや、三島さんに金閣寺の溝口を殺さなきゃいかんと言ったりする人は、今、先生がお話くださった評論家としての個性だと思います。
これも深い話。聞いていくと、切なくなる。個性とは本来肉体にあると思うが、精神の個性まで求めれば、結局こういう掛け替えがなく、しかも切ない話になるのだよね。
「個性を大事にしろと社会はいうけど、癖(speciality)と本当の意味での個性は違う。癖を克服しないと個性は生まれない。」半世紀ほど前の講演だと思いますが、いまでも気軽に「個性を尊重しろ」だの「多様性が大事」だの言ってしまう。ゴッホの人生を見てると「個性」が生ぬるいものでないことがよくわかる。
志ん生さんに話しぶりが似てるなあ思ったら、実際小林さんは、江戸落語の話し振りが大好きだったと聞いて納得。
個性とは生ぬるいもんじゃない。戦って勝ち取るべきものなんだ。
小林秀雄さんこんな声だったんだ...
真面目で、真剣で、公平無私な 方が、志ん生師匠の様に語るンだから、魅力的にならざるえない❗️😊
政治とは自己と戦わない、敵と戦う者だ。至言です。小林秀雄は自分(自分の個性)と戦うことを価値基準として芸術を見極めた。この基準を政治の世界にあてはめると政争なるものの浅薄さ、それに煽動される党派というものの偽物性が暴露されるのだと思う。
Thanks.
かっこいいな。
なんと、俺という人間、このきちがいは不思議、不可思議なことなんだ、という驚きをしたゴッホが弟にあてた手紙や、彼の絵が、緊張した平衡の糸の観を有って、また私のなかで失われずに輝くのは、ふと目を外へやっても内へやっても、同じように世界というものの内にあるところの自身という存在への、孤独にあって私的な驚きが、実は溢れていて、それに驚いて、またそれと闘ったからこそ、芸術として現に帰結するのかもしれませんね。私という存在は、私が解釈するところにおいてきちがいの面があり、やはり正気の部分へ集中する意識の向きをさえ観測するほどに、意識的に分裂と統合を行うので、小林秀雄がこの講演で解釈しているゴッホに、同質の驚き、その成分や要素を感じ取ってもいる。遠まわしならずとも、要は「自分にはゴッホのような才能があるのだ」と解釈するのことと捉えがちなのだが、これは先に述べた通りに誰にでも個性はあり、それに驚きと不可思議さを感じて気づいたうえで、それと闘ったからこそゴッホはああいった絵を描いたのだろう。即ち、私が、私の個性と闘う、どのようにかして闘うことを決心することはまさに、小林秀雄の云うところの個性の顕れであり、私という実在ないし存在そのものへの、孤独で、また静かなるうちの集中なのでしょう。五月蝿く書いてしまい恐縮に思いつつ。
本当の個性というものは、自分には決して見えないものなのかもしれませんね。
「妥協できない」という事実は、当然自分を巻き込む。自分すら傷つける可能性のある探求が他人を傷つけないはずがない。小林はこれを「宿命」と言ったりする。政治的性質を持った「利害」とは相容れない。
「あの人にはキチガイという所がありましたから」で笑ってしまった
天才の病気は辛いなぁ 思い通りにいかないことばかりだ
日本の間違いは戦後政治が自己批判できると思い込んだ事だ。だから敵と戦えないし、また、小林さんが明言したように、政治に自己批判などできるはずもないから、なにもできない。未だ、個人と公を混同している。意図的かも。勇気がなくなって、公でないと心細いからかもね。
このゴッホの絵は他の人にない真似のできない人間性が・・・現れて・・・
8:45
芸術家の個性とゆうのは普通言われる個性(外から与えられた特殊性偶然性)ではなくオリジナリティー(無私公平)とは自己を常に否定する(戦う)苦しい作業でありそれが芸術家とゆう存在。西洋の経済学の巨人と言われた人の言説と図らずも同じことを言っている。驚きです。
これが小林秀雄か……
小 林 秀 雄 のゴッホの事についての考察である。小 林 秀 雄 は、ゴッホと同様、自己と戦う人である。小 林 秀 雄 の先人に、志賀直哉と芥川龍之介がいるが、師の志賀直哉よりも芥川龍之介の方に近いのである。特に気をつけなければならないのは、芥川龍之介が、若き時に「ジャン・クリストフ」を愛読していたからである。この小説は、モデルがベートーヴェンである。小 林 秀 雄 はこの小説を知らない筈かないのである。従って、音楽、絵画については、ロマン・ロランから吸収したのである。ミレーも同様である。そのような眼を持ってゴッホを見たとしたら、小 林 秀 雄 は、底の底まで知っているのである。だからこそ、ゴッホを語る小 林 秀 雄 こそ、信用に足る人なのである。擱 筆
04:47で「××派芸術」と言っているのがなんだかわかる人いますか?
浪漫派芸術?ですかね。個性を尊重する、という意味なら当てはまると思います。
ルネッサンスの事ではないかしら。メディチ家ってのがいたのはローマだし。でも実際に個性が間違えられ始めたのはターナーなどが出てきた印象派くらいからです。ロマンティズムってのもあり、ひどい芸術ですよ。まやかし階級の芸術。
芸術を語る時に、心の事や魂の事を何も言わない事の、低劣である事を真剣に考えなければならないと思うのである。
I think ローマン派芸術 (Romanticism)😊
小林先生は「キチガイ、キチガイ」と連呼しているが、今にしてみれば差別語で禁句だな小林先生がこんなに饒舌で弁舌家であるとは知らなかったな
うん、俺も個性的である^ ^平凡人です。
ようは個性の先に普遍性を見いだせるかどうか、個性の超克によってそれを成しえるかどうかということか。例えていうならアンガールズみたいな笑いは個性と戯れているけど、北野武なんかは個性と戦っているのかしら。
アメリカの小学校では自己を自己を出すことを強いられてますよね。小学校くらいですとそれも個性といえるんでしょうかね。
Koichiro Yamamoto 違うでしょうね
政治とは決して自己とは戦わないものだ、敵と戦うものです。あ~立民批判。
今の日本は何なんや
どんなバカだって「個性」ぐらいはある。
バカも個性です。
ローランド「才能がないのも一つの才能」
死人に口無し
補償みたいなもんかな
孫社長が画家ならゴッホになりたかった、という理由が分かった気がした。
泣いちまった…俺が闘ってきた理由が今わかったよ。
小林秀雄の若い時、小林秀雄の妹が、「口ばかりで偉そうな事ばかり言って…お母さんや私を困らせている」と言う話を読んだ事がある。
@@哲朗高橋-x6u 私も全く同じことを言われました笑笑
小林秀雄の声。ありがとうございます😊
ありがたいですね 長生きはするもんだUA-cam で 小林秀雄の声が聞けるとは
私は小林氏のなまの講演を10回以上聞きましたが、この声は懐かしいです。ここでのゴッホの話も切ない半面、心が引き締まる内容ですね。個性は身体から発していると思いますが、普遍を指向して自分と闘っていく辛い道のりで、その途中にたとえば芸術という一つの救いの場を見出すこともあるのですね。
いいですね。羨ましい!
自己と戯れてるか、自己と闘っているのか・・・・刺さる言葉ですね。
勉強に、成りました。 ありがとう御座います。
有難うございました。
先生の言葉を20年ぶりに聞かせて頂きました。有り難う御座います。
ずっと普遍的な概念が曖昧なまま
小林秀雄の声がこうしていつでも聞きたくなったら聴ける時代になったのはいい。
溜まった汚物を焼却しなければ、そして自分を純化し、燃え立たせなければ、と察知した時、これを聴きます。
小林秀雄先生のお話は、わかりやすく素晴らしいです。かつては入試問題で出会うことが多く、文部科学省推薦のような人なのかと思っていた。ゴッホは気が狂っているとはっきり言い切るところや、三島さんに金閣寺の溝口を殺さなきゃいかんと言ったりする人は、今、先生がお話くださった評論家としての個性だと思います。
これも深い話。聞いていくと、切なくなる。個性とは本来肉体にあると思うが、精神の個性まで求めれば、結局こういう掛け替えがなく、しかも切ない話になるのだよね。
「個性を大事にしろと社会はいうけど、癖(speciality)と本当の意味での個性は違う。癖を克服しないと個性は生まれない。」
半世紀ほど前の講演だと思いますが、いまでも気軽に「個性を尊重しろ」だの「多様性が大事」だの言ってしまう。ゴッホの人生を見てると「個性」が生ぬるいものでないことがよくわかる。
志ん生さんに話しぶりが似てるなあ思ったら、実際小林さんは、江戸落語の話し振りが大好きだったと聞いて納得。
個性とは生ぬるいもんじゃない。戦って勝ち取るべきものなんだ。
小林秀雄さんこんな声だったんだ...
真面目で、真剣で、公平無私な 方が、志ん生師匠の様に語るンだから、魅力的にならざるえない❗️😊
政治とは自己と戦わない、敵と戦う者だ。至言です。小林秀雄は自分(自分の個性)と戦うことを価値基準として芸術を見極めた。
この基準を政治の世界にあてはめると政争なるものの浅薄さ、それに煽動される党派というものの偽物性が暴露されるのだと思う。
Thanks.
かっこいいな。
なんと、俺という人間、このきちがいは不思議、不可思議なことなんだ、という驚きをしたゴッホが弟にあてた手紙や、彼の絵が、緊張した平衡の糸の観を有って、また私のなかで失われずに輝くのは、ふと目を外へやっても内へやっても、同じように世界というものの内にあるところの自身という存在への、孤独にあって私的な驚きが、実は溢れていて、それに驚いて、またそれと闘ったからこそ、芸術として現に帰結するのかもしれませんね。
私という存在は、私が解釈するところにおいてきちがいの面があり、やはり正気の部分へ集中する意識の向きをさえ観測するほどに、意識的に分裂と統合を行うので、小林秀雄がこの講演で解釈しているゴッホに、同質の驚き、その成分や要素を感じ取ってもいる。
遠まわしならずとも、要は「自分にはゴッホのような才能があるのだ」と解釈するのことと捉えがちなのだが、これは先に述べた通りに誰にでも個性はあり、それに驚きと不可思議さを感じて気づいたうえで、それと闘ったからこそゴッホはああいった絵を描いたのだろう。
即ち、私が、私の個性と闘う、どのようにかして闘うことを決心することはまさに、小林秀雄の云うところの個性の顕れであり、私という実在ないし存在そのものへの、孤独で、また静かなるうちの集中なのでしょう。
五月蝿く書いてしまい恐縮に思いつつ。
本当の個性というものは、自分には決して見えないものなのかもしれませんね。
「妥協できない」という事実は、当然自分を巻き込む。自分すら傷つける可能性のある探求が他人を傷つけないはずがない。小林はこれを「宿命」と言ったりする。政治的性質を持った「利害」とは相容れない。
「あの人にはキチガイという所がありましたから」で笑ってしまった
天才の病気は辛いなぁ 思い通りにいかないことばかりだ
日本の間違いは戦後政治が自己批判できると思い込んだ事だ。だから敵と戦えないし、また、小林さんが明言したように、政治に自己批判などできるはずもないから、なにもできない。未だ、個人と公を混同している。意図的かも。勇気がなくなって、公でないと心細いからかもね。
このゴッホの絵は他の人にない真似のできない人間性が・・・現れて・・・
8:45
芸術家の個性とゆうのは普通言われる個性(外から与えられた特殊性偶然性)ではなくオリジナリティー(無私公平)とは自己を常に否定する(戦う)苦しい作業でありそれが芸術家とゆう存在。西洋の経済学の巨人と言われた人の言説と図らずも同じことを言っている。驚きです。
これが小林秀雄か……
小 林 秀 雄 のゴッホの事についての考察である。小 林 秀 雄 は、ゴッホと同様、自己と戦う人である。小 林 秀 雄 の先人に、志賀直哉と芥川龍之介がいるが、師の志賀直哉よりも芥川龍之介の方に近いのである。特に気をつけなければならないのは、芥川龍之介が、若き時に「ジャン・クリストフ」を愛読していたからである。この小説は、モデルがベートーヴェンである。小 林 秀 雄 はこの小説を知らない筈かないのである。従って、音楽、絵画については、ロマン・ロランから吸収したのである。ミレーも同様である。そのような眼を持ってゴッホを見たとしたら、小 林 秀 雄 は、底の底まで知っているのである。だからこそ、ゴッホを語る小 林 秀 雄 こそ、信用に足る人なのである。
擱 筆
04:47で「××派芸術」と言っているのがなんだかわかる人いますか?
浪漫派芸術?ですかね。個性を尊重する、という意味なら当てはまると思います。
ルネッサンスの事ではないかしら。メディチ家ってのがいたのはローマだし。でも実際に個性が間違えられ始めたのはターナーなどが出てきた印象派くらいからです。ロマンティズムってのもあり、ひどい芸術ですよ。まやかし階級の芸術。
芸術を語る時に、心の事や魂の事を何も言わない事の、低劣である事を真剣に考えなければならないと思うのである。
I think ローマン派芸術 (Romanticism)😊
小林先生は「キチガイ、キチガイ」と連呼しているが、今にしてみれば差別語で禁句だな
小林先生がこんなに饒舌で弁舌家であるとは知らなかったな
うん、俺も個性的である^ ^平凡人です。
ようは個性の先に普遍性を見いだせるかどうか、個性の超克によってそれを成しえるかどうかということか。
例えていうならアンガールズみたいな笑いは個性と戯れているけど、北野武なんかは個性と戦っているのかしら。
アメリカの小学校では自己を自己を出すことを強いられてますよね。小学校くらいですとそれも個性といえるんでしょうかね。
Koichiro Yamamoto
違うでしょうね
政治とは決して自己とは戦わないものだ、敵と戦うものです。あ~立民批判。
今の日本は何なんや
どんなバカだって「個性」ぐらいはある。
バカも個性です。
ローランド「才能がないのも一つの才能」
死人に口無し
補償みたいなもんかな
孫社長が画家ならゴッホになりたかった、という理由が分かった気がした。
泣いちまった…
俺が闘ってきた理由が今わかったよ。
小林秀雄の若い時、小林秀雄の妹が、「口ばかりで偉そうな事ばかり言って…お母さんや私を困らせている」と言う話を読んだ事がある。
@@哲朗高橋-x6u 私も全く同じことを言われました笑笑