Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
こういう落ち着いたアナウンスが好きです
いつの時代も余裕のある保険会社さんがスポンサーの淡々としながらも丁寧に撮られたオリンピックが開催された年の東京の風景。UA-camでこのような非商業映画が多く見られるようになったのは本当に素晴らしいこと。昔からあったのかと思わせるものやもう消えてしまったもの。当時だけのものだと思われるものもある。音楽は誰かなと思ったら高橋悠治氏。こういった記録映像を見るたびに自分の両親が若かりし頃こんな風景の中を歩いていたのかという思い。今でも地下銀行ってあるんでしょうか?ミロはこの頃からあったんですね。
これがあの戦争で完膚なきまでにやられて焦土と化してから僅か20年弱の街なんだぜ、信じられない復興力だよなあ。今の日本にも欲しい活力と逞しさだな。
人口増加と朝鮮戦争の特需が背景にある。安易に「日本スゴイ」と思っちゃいけない。
@@ipucit2008 まあ、正直朝鮮戦争特需が無くても、日本は成長できたと思いますね。何故なら、先ず戦後荒廃後も民生工場が多数残存し、資本主義の土壌があったので原材料があれば復興できる状態であった事。そして、経済成長は民間主導、自由貿易によっていた。民間躍進も技術力だけではなく、固定相場制の為替による高レートの恩恵を受けていたという点を鑑みても独自成長は十分可能だったと考えます。そして、高度経済成長は地方から都市部への労働人口の移動で起こっていた部分が多いので可能と言えますね。とはいえ、やはりあの焦土からの復興力は今の停滞、低熱意の時代からすれば羨ましく感じます。
素晴らしい映像を有り難う御座いました。懐かしいけど田舎だったから信じられない。高度成長期だった。
UP有難うございます。この頃は木場で仕事してました。思いで深いです。
23:53〜のシーンに出てくるプロ野球の試合は、千住にあった「光の球場」こと東京スタジアムの東京オリオンズ対東映フライヤーズ。2塁打を打った背番号10の選手は、東映フライヤーズの張本勲選手です。その次のシーンに出てくるボウリング場は、東京スタジアムのスタンド地下に併設されていたボウリング場かもしれません。
東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)だったんですね。しかも張本さんとは😯情報有難うございます。疑問が解決しました。👍
千住にこんな大きな球場があったんですね。しかし、この短い動画でよくわかりますね、ありがとうございました。
経営が苦しい大映永田から東京スタジアムを買い取ったのはロッキード事件で名を馳せた国際興行小佐野賢治。球団を買い取ったロッテに対し法外な球場使用料を要求します。ロッテは拒否し,川崎球場に移転します。「拒否」は織り込み済みの小佐野は田中角栄の口利きでこの土地を東京都にこれまた法外な金額で売却します。小佐野,田中コンビが得意な錬金術です。東京スタジアムは下町に儚く咲いて,散って行った一夜の夢だったのです
この頃、和歌山市では、自家用車は、稀にしか、走っていませんでした。東京では、既にすごい量の車が走行していたのには、驚き。
カメラワークやカット割が50年以上前とは思えないほどセンスいい
素晴らしいドキュメンタリーですね。俺が九歳の時の東京。地下のドライブスルー銀行や、NHKのリモートテレビカメラなど、実験段階で終わったものもありますが、実に面白かった♪いい意味で、大笑い出来ますので、必見ですね!貴重な映像を保存して頂き、本当に感謝します,GJ!
興亜火災が作っているのに会社の宣伝が少しもないですね。事故のシーンが少しあって、保険会社らしかったけど。
高度経済成長期。素晴らしい貴重な映像ありがとうございます!(東京オリンピックの年ですね)ヒルマンの車やダイハツ ミゼット。漫才のコロンビアトップライト!懐かしい~~!
ごく普通の当時のありふれた日常でしょうが、若大将シリーズ、植木等、社長シリーズ、駅前シリーズ、日活映画、そういった映画でも見られる光景がこの映画にも詰まっていますね。高度経済成長期のエネルギーに満ち溢れた東京が見れます。素晴らしい。持ち家や自家用車、生活家電、携帯電話などを除けば現在の人々とさほど変わらない生活をしていたと思われますね。この頃の東京にタイムスリップできるなら行ってみたい!
8:34 麹町出身だが四谷 上智大学、聖イグナチオ教会の周りが何も無い。馬車に乗って交通整理する警官、番町小学校、雙葉学園小学生、40年代半ばで廃止に成った都電が見られる貴重な映像ですね。丁度此の頃生まれたので(昭和40年1月)、非常に興味深く拝見しました🎥
もう、最初の映像の出方も、タイトルの出方も、続く映像の出方も、それを誘導する音楽も、なにもかもカッコ良いです!監督はもちろん、脚本も、スタッフも「メチャクチャ、カッコ良い映像を作ろうぜ!」という意気込みが判ります!
アナウンスが多すぎず少なすぎず、そして味わい深い。
子どもの頃にアニメなどで、この動画に出てくるようなテープに何か穴が開けられて出てくるのや、四角い箱の中に丸いのが二つ並んでカシャカシャと動いている機械がよく出てきて、大人になったら何なのかわかるようになると思っていたら、大人になったらパソコンになってしまっていて、未だにあれがどういうシステムなのかよくわかりません。
電子計算機磁気テープドラム。自分のいた省庁システムでアレ1巻256MBの容量。今から見れば信じられないですが
東北の震災復興めちゃくちゃ時間かかったのに、戦後20年足らずでここまで復興できるのは何なんだろうね
元々人がそんなに住んでない東北の田舎と、世界に誇る日本の首都かつ最大の都市は比べられん
朝鮮戦争
今より、ずっと楽しそうだ。
直球ストレートなタイトル、様々な視点から日常生活の諸々を描いていて素晴らしかったです。凄く元気のある時代でしたね。フィルムの保管状態も良かったようですね。👍
カラーで観ると、今と大して変わらないんじゃないか、という印象。特に当時建ったビルはまだ現存しているものもあり、今日そこに行けばフィルムのような風景に出会えそうな気になる。それにしても銀行のドライブスルー換金はすごいね。当時最先端の技術で試行的にされたのかもしれないけど、小切手は今日も未だに窓口に行かなければならず、待たされて換金している。
これで戦後19年凄いことですよ!
朝鮮戦争で莫大に大儲けしたでしょ。軍備を米軍に提供して。とんでもなく稼いだよ、日本は。
この頃の建物が未だに現役なものも多いですかね
1964年当時、軍備を米軍に提供なんて出来たんですかね
@@soavo 朝鮮特需なんて今や神話ですがな。教科書にも載ってない。
20歳以上は戦争体験者なんだ驚
今見ると「レトロフューチャー」って感じだけど、当時はこれが本当に最先端技術だったのかぁ。
いや〜いい映像ですね〜写ってる人や物全てが好きです
東京都銘打つからにはさぞ網羅度が高いんだろう構えて見たが非常に素晴らしい編集で驚いた個人的に団地あたりの映像が懐かしさがこみ上げてたまらない
55歳で定年退職で、年金で十分暮らせて「転職など論外」と考えられた高度経済成長期の時代ですね。私など取り残されそうです。今もですけど(笑
1961年東京都区内豊島区で生まれ育ちました。当時は巣鴨プリズンもまだあり、都電も走っていました。銀座には日劇、朝日新聞本社、日比谷映画、有楽座もありました。上智大学に1981年に入学しました。
懐かしいNHKの平光準之助アナウンサーの声。端正で誠実な声。
平光さんのお声ですか。とても落ち着いた話す速度もゆつくりで聞きやすいですね。
高度成長期かあ・・・まあーこの活気じゃあ、田舎で夢見た若者は、東京に出てきちゃうのは仕方ないわな
0:21 実は江戸時代の頃から世界有数の 人口を抱える都市だったりする
BGMがステキ
ナレーションの平光淳之介さんは当時現役NHKアナウンサー。テレビニュース以外でも活躍されていたのですね。
5:38~5:53すごい。プリントスキャナーの原型みたいなものがこんな昔からあったなんて。
今より日本語がきれいですね、、警備員さんが注意するときですら言葉が洗練されている。。日本の美ですね。いつから日本は変わってしまったのでしょうか。。
これは首都圏に近い場所の日本語で、あなたが知っている日本語は田舎の日本語です、今でもこれより綺麗な日本語は山ほどあります日本のメディアは日本語が下手で統一されている理由はBSの中国や韓国ドラマやそれ以外の母国のメディアのために、政治のために日本語の上手な人やそういったものが禁止されているんです
@@616-Rank1 うわー、知りませんでした、、情報ありがとうございます。
例えばDMMゲームズですと声優と絵が福岡!って感じのゲームしかありませんよね、あれは社長が九州の出身なんですね九州の中央から上半分は日本語のうるさい人しかいません、であの勝ち負けしか楽しみが無いので、とりあえず福岡の特色をメディアで統一したいそうすれば有名なような気になって気分が良い、こういう楽しみのために最悪が凝縮されているこういった、勝ち負け、メディアに出る経営者はほとんどがこれなんですとにかく日本は悪いもので統一しなければならないと考えている人が国内外から総立ちで一挙やるかとそれがずーっと続いて日本のメディアは変な人ばかりが映るようになっております
まず福岡の女性というのは日本語をまともに発音することができないんですねで、一般的な声優の真似をしてトーンを上げるんですがそれでも声がうるさいんです、恐らくねあなたはそういう粗悪な作品を連続して知って、それが日本だと認識している日本に住まわれていない方、か福岡辺りに留学か何かされた方ですよね
@@616-Rank1 なわけないやろ。ただの言葉の進化や。今でもてふてふって手紙やメールに書くか?書いてたらやばい!確かに方言は美しい。
This video is an amazing relic! Thank you, from Italy!
WELCOME!
0:47~カナリヤイエローの山手線101系の走行映像はかなり貴重!ウグイスの103系と共存の頃ですね
この年にオリンピックやったんだよね。私が小学4年生!正直、いい時代を過ごさせて頂きました。
こういう映像、今の東京でも作ってほしいな
一番見たい映像がここにある
映像がきれいですね。通勤風景なんかつい最近の様。今は昔の高度成長期か。懐かしいね。
9歳のころ東京五輪を控えた近代日本、再生復活のまだ若い戦後東京の息吹を感じます。 この雰囲気この感覚、あの時代を思い出します。
冒頭の特急電車が新幹線でないですね。新幹線が走り出すのは十月ですから、その直前に作られた映画と言うことでしょうか。
オープニングの曲、すごいな。素晴らしい。
インドから日本への愛
15:44の学校は僕の通った隣の学校で丸善の裏側にあった。その学校も僕の出た学校に編入になってしまい僕が卒業した時が小学校最後の卒業生となり現在学校は撤去され中央区が何処かに売った土地が大きなビルになってます。ここで映った学校とほぼ同じ作りで、現在残っているのは銀座西にある泰明小学校のみです。僕の所は八重洲口に面して教室窓から新幹線が見える所でした。
今となっては懐かしい映像だ。⭐️
23:20~23:51の映像に映る子供たち。本当に楽しかったでしょうね。今はどう過ごしていらっしゃるでしょう。
この靄っている景色が、倫敦のスモッグ以来の進歩の象徴なんだろうな。この映像を見て、子供のころ、東京に行くと自動車の排気ガスの臭さかったことを思い出した。
羽田界隈から京浜工業地帯は、正に毒ガス製造工場だったね!
昔は東京へ行って帰って鼻をかむと鼻水に黒い筋ができた。私が十代くらいまでの話。
ナレーションがNHKアナウンサーだった平光アナウンサーですね、いい声です
むしろハゲが似合うジェントルマンでしたね!
音楽が高橋悠治だけど、ジャズの色が濃いのが面白い。ピアノは高橋本人?映画自体は当時山ほど作られた都市解説スケッチの典型ですが。
11:30 元祖DJポリス20:34 コロムビア・トップ・ライト
映像めちゃめちゃいいな
アタマ良さそうなコメント
ビルの窓を拭いている人が命綱付けていない。
80年代位まではブランコで上から降りて来られないような場所は命綱無しで窓から体を乗り出してやっていました。丁度窓ふきのバイトを始めた時ですが、その会社は二人落ちて入院していて、5年前には落ちて亡くなった人も居て、絶対にやってはいけないと言われました。
そういうのが厳しくなったのは平成に入ってしばらくしてからですよ。労働災害に対する意識が変わるのにも時間がかかります。例えば、車のシートベルトもそうですしね。
窓の内側の左右に「六角ナット」みたいなのがあって、ズボンのベルトの穴に紐を通して結んでただけのは、見た事がありますけどね。
ヤバすぎる‼ 見ているこっちが冷や汗をかく💦
建設作業員も半袖Tシャツ一枚、バイクもノーヘル、船には救命用の浮き輪が無さそう。時代を感じますね。
貴重なマツダクーペ360が・・・凄いなぁ・・・貴重な映像ありがとうございます!!
私は、この時小学校3年生で、父親(20年前に故人)がスバル360という小型乗用車(とても小さくて別名テントウムシと言われた愛称があった)を持っていて、都内から横浜の山下公園周辺にドライブによく連れて行ってもらった。
思った以上に現代的だな。和服を来てる人もほとんどみないし、車も走ってる
Thank you for sharing these videos. They are absolute gems and so inspirational.
高橋悠治のフリージャズなBGMリリースしてくれないかな。ずっと聴いてたい。
この時代のドキュメントはこうした陰鬱な曲調がおおいですね。「社会派」的な雰囲気づくりでしょうか
1964年。DJポリスは既にいる。
凄いスモッグ!!霧のように真っ白で向かいのビルの向こう側が霞んでる!!
皇居と言わず、千代田城と呼ぶのを聞いたのは初めてだ!
俺は知っていたよ📚 つい最近ポイントサイトのクイズで知った😀
私が二歳、あの乳母車に乗って母さんに押してもらってる子と同じやったんやなぁ。父ちゃんと母ちゃんが、エネルギーに溢れとるねぇ。
中学3年生の頃ですね。懐かしい。すでに光化学スモッグもあったようですね。目がいつも痒くて大変でした。
西鉄と東映の試合で張本が2ベース打ってる映像があるね 綺麗だなー
13:28に損害保険会社の垂れ幕。この興亜火災海上がこの映画のスポンサーでした。と最後にわかって感謝。宣伝臭くないのがイイ。
去年の大河ドラマいだてんを見たくなりました!
BGMがなんともいえず、時代を感じさせる。
でもこの時すでに京王プラザホテルのパースは出来上がっていたんだよね。霞が関ビルは起工式。未来に向け全力疾走だったんだよね。熱気が今とは大違い。警視庁のヘリが当時のベストセラーベル47。
11:31~元祖DJポリス👮
DJというより口上だと思う
懐かしい光景ばかり
11:50 日本橋交差点の白木屋デパートでしょうか。横井英樹が買収に失敗して、東急の五島に安く買い叩かれて日本橋東急百貨店になりました。今はコレド日本橋。
60年前でもそこまで大きく変わってないですね~
1964年(昭和39年)は、なんとなく輝ける年だわ…♡東京Olympicが開催された年であり、外國へ自由に行けたんですもの。あと日本🗾には関係ないけど、“坦桑尼亜🇹🇿”という國が誕生した年よ(他にもZambia 🇿🇲とか)!
この頃の東京に住みたい!
この時代にハイテクな乾燥機(コインランドリー?)が、あったんですね!その後(18:30)SSDSのお店とは一体・・( ノД`)
恐らくセルフサービスデパートメントストアの略称では無いでしょうか?
solid state drive のあとのSがなんだかわからんかたな笑
オリンピック前でしょうか?交通整理をする警視庁警察官の防暑帽?も珍しいですね・・・(今は被っていませんが)ニッポン放送のスタジオも外から見られたのですね・・・
この動画を見て、自分自身や親族・友人・知人などが映っていないか探した方々はどれくらいいる事やら... 私自身は誰もみつかりませんでしたけれども...
16:00 銀座線かな、すげえ笑笑
11:04 頃の都電7000形は7059か7069が見てとれます。7059号は荒川線ワンマン化時の車体更新で7005号となり、現在も7700形7708号として現役です。7069号であれば7015号を経て現在の7704号です。
そうそう、首都高速を走ると右に左に遠くや近くに東京タワーが見えて空が広かった。今じゃ東京ドームなんて全く見えなく成った。
この時代でも最先端のコンピュータがすごいと思われていたんだろうな
20:35 コロンビア トップ・ライトさんですね。
日本てすごいや!今だってコロナでコテンパンかも知れないけど必ず元気を取り戻せるさ!未来は明るいと信じて今を頑張りましょうよ!
4:37当時は磁気テープが当たり前だった。1本は2400フィート(720m)1フィートで19,200バイト。1本で46.08Mバイト以下しか記録できなかった。
4:50スパイ映画みたいでカッコいい。
音楽がすげー
56年前だと映ってる大人はもう80~90歳か
渋谷の銀座線の次は、16:08辺りから池袋。百貨店屋上か。16:18~池袋駅を東側上空から見た図。黄色の101系山手線が見える。東武東上線・赤羽線と山手線の分岐部分。16:26~上石神井駅西方。奥(上)が武蔵関、手前(下)が上石神井駅。右に見える白い平地は上石神井小学校の校庭。16:30~ひばりが丘団地を南西から見た図。そのあとの高層団地は違う所。
今の公害中国みたいな街を煤色にしたスモッグは2000年くらいまで続く映像は綺麗なとこしか映してない川はどこも悪臭たちこめるドブ川都市部の水道水なんか飲めたもんじゃなかったそして映像じゃわからない荒れた人々が勝手なルールを押し付けて来る社会で知らない世代には自由そうに見えるだろうが、今とは違う直接的な締め付けで自由とは真逆だった70年代後半から学校が不良少年少女が溢れ荒廃したのでわかるはず
5:27 いい意味での便利な『地下銀行』今は、ネガティブな意味で使ってる
今じゃ、闇のお金を外国へ逃がす目的で・・・。
5:27
この頃の小学生は真冬でもほとんどが半パンでした。
19:00 八百屋の釣り銭カゴだ! ゴムで吊るして伸びるやつ。懐かしい。ところでこの動画のコメント勢、年齢層かなり高くないですか?
ウチの近くの魚屋さんも、釣り銭かご、だったその魚屋のおじちゃん おばちゃん夫婦 すごく声が大きくて威勢がよかったな。
この世界好き
12:00 「交通指導!」 こうやって交通モラルが少しずつアップしいったのでしょうね!
あの、テレビカメラが、左000万ですね。1.2.3カメラ、後方に、4カメラ.5カメラを向けてますね!
音楽含め、なんかお洒落だな。
『コクリコ坂から』の時代ですね。都心が丹下健三の四角い建物ばかりになり、道路は排気ガスでモヤがかかってる。父が出稼ぎに行ってる頃。父の若い頃が見てみたい。
東京のアジア感を垣間見ました。
14:49この時代に立体駐車場!
23:53は今は無き東京スタヂアムですかね。東京オリオンズと東映フライヤーズ。セカンドに駆け込むのは、喝!の張本氏。
一年後に、警備会社 東京パトロールが誕生した東京の街の時代背景が垣間見えます。
18:38 ネッスル日本が日本で売り出す前の輸入ミロ
当時地方都市の小学生だったけど、東京でも街の作りが現在と比べると荒削りな感じですね。
このチャンネルにはまっちゃったよー😊
こういう落ち着いたアナウンスが好きです
いつの時代も余裕のある保険会社さんがスポンサーの淡々としながらも丁寧に撮られたオリンピックが開催された年の東京の風景。UA-camでこのような非商業映画が多く見られるようになったのは本当に素晴らしいこと。昔からあったのかと思わせるものやもう消えてしまったもの。当時だけのものだと思われるものもある。音楽は誰かなと思ったら高橋悠治氏。
こういった記録映像を見るたびに自分の両親が若かりし頃こんな風景の中を歩いていたのかという思い。今でも地下銀行ってあるんでしょうか?ミロはこの頃からあったんですね。
これがあの戦争で完膚なきまでにやられて焦土と化してから僅か20年弱の街なんだぜ、信じられない復興力だよなあ。
今の日本にも欲しい活力と逞しさだな。
人口増加と朝鮮戦争の特需が背景にある。安易に「日本スゴイ」と思っちゃいけない。
@@ipucit2008 まあ、正直朝鮮戦争特需が無くても、日本は成長できたと思いますね。
何故なら、先ず戦後荒廃後も民生工場が多数残存し、資本主義の土壌があったので原材料があれば復興できる状態であった事。そして、経済成長は民間主導、自由貿易によっていた。民間躍進も技術力だけではなく、固定相場制の為替による高レートの恩恵を受けていたという点を鑑みても独自成長は十分可能だったと考えます。
そして、高度経済成長は地方から都市部への労働人口の移動で起こっていた部分が多いので可能と言えますね。とはいえ、やはりあの焦土からの復興力は今の停滞、低熱意の時代からすれば羨ましく感じます。
素晴らしい映像を有り難う御座いました。懐かしいけど田舎だったから信じられない。高度成長期だった。
UP有難うございます。この頃は木場で仕事してました。思いで深いです。
23:53〜のシーンに出てくるプロ野球の試合は、千住にあった「光の球場」こと東京スタジアムの東京オリオンズ対東映フライヤーズ。
2塁打を打った背番号10の選手は、東映フライヤーズの張本勲選手です。
その次のシーンに出てくるボウリング場は、東京スタジアムのスタンド地下に併設されていたボウリング場かもしれません。
東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)だったんですね。
しかも張本さんとは😯
情報有難うございます。疑問が解決しました。👍
千住にこんな大きな球場があったんですね。しかし、この短い動画でよくわかりますね、ありがとうございました。
経営が苦しい大映永田から東京スタジアムを買い取ったのはロッキード事件で名を馳せた国際興行小佐野賢治。球団を買い取ったロッテに対し法外な球場使用料を要求します。ロッテは拒否し,川崎球場に移転します。「拒否」は織り込み済みの小佐野は田中角栄の口利きでこの土地を東京都にこれまた法外な金額で売却します。小佐野,田中コンビが得意な錬金術です。東京スタジアムは下町に儚く咲いて,散って行った一夜の夢だったのです
この頃、和歌山市では、自家用車は、稀にしか、走っていませんでした。東京では、既にすごい量の車が走行していたのには、驚き。
カメラワークやカット割が50年以上前とは思えないほどセンスいい
素晴らしいドキュメンタリーですね。俺が九歳の時の東京。地下のドライブスルー銀行や、NHKのリモートテレビカメラなど、実験段階で終わったものもありますが、実に面白かった♪いい意味で、大笑い出来ますので、必見ですね!貴重な映像を保存して頂き、本当に感謝します,GJ!
興亜火災が作っているのに会社の宣伝が少しもないですね。事故のシーンが少しあって、保険会社らしかったけど。
高度経済成長期。素晴らしい貴重な映像ありがとうございます!(東京オリンピックの年ですね)ヒルマンの車やダイハツ ミゼット。漫才のコロンビアトップライト!懐かしい~~!
ごく普通の当時のありふれた日常でしょうが、若大将シリーズ、植木等、社長シリーズ、駅前シリーズ、日活映画、そういった映画でも見られる光景がこの映画にも詰まっていますね。
高度経済成長期のエネルギーに満ち溢れた東京が見れます。素晴らしい。持ち家や自家用車、生活家電、携帯電話などを除けば現在の人々とさほど変わらない生活をしていたと思われますね。この頃の東京にタイムスリップできるなら行ってみたい!
8:34 麹町出身だが四谷 上智大学、聖イグナチオ教会の周りが何も無い。馬車に乗って交通整理する警官、番町小学校、雙葉学園小学生、40年代半ばで廃止に成った都電が見られる貴重な映像ですね。丁度此の頃生まれたので(昭和40年1月)、非常に興味深く拝見しました🎥
もう、最初の映像の出方も、タイトルの出方も、続く映像の出方も、それを誘導する音楽も、なにもかもカッコ良いです!
監督はもちろん、脚本も、スタッフも「メチャクチャ、カッコ良い映像を作ろうぜ!」という意気込みが判ります!
アナウンスが多すぎず少なすぎず、そして味わい深い。
子どもの頃にアニメなどで、この動画に出てくるようなテープに何か穴が開けられて出てくるのや、四角い箱の中に丸いのが二つ並んでカシャカシャと動いている機械がよく出てきて、大人になったら何なのかわかるようになると思っていたら、大人になったらパソコンになってしまっていて、未だにあれがどういうシステムなのかよくわかりません。
電子計算機磁気テープドラム。自分のいた省庁システムでアレ1巻256MBの容量。今から見れば信じられないですが
東北の震災復興めちゃくちゃ時間かかったのに、戦後20年足らずでここまで復興できるのは何なんだろうね
元々人がそんなに住んでない東北の田舎と、世界に誇る日本の首都かつ最大の都市は比べられん
朝鮮戦争
今より、ずっと楽しそうだ。
直球ストレートなタイトル、様々な視点から日常生活の諸々を描いていて素晴らしかったです。
凄く元気のある時代でしたね。フィルムの保管状態も良かったようですね。👍
カラーで観ると、今と大して変わらないんじゃないか、という印象。
特に当時建ったビルはまだ現存しているものもあり、今日そこに行けばフィルムのような風景に出会えそうな気になる。
それにしても銀行のドライブスルー換金はすごいね。当時最先端の技術で試行的にされたのかもしれないけど、小切手は今日も未だに窓口に行かなければならず、待たされて換金している。
これで戦後19年凄いことですよ!
朝鮮戦争で莫大に大儲けしたでしょ。軍備を米軍に提供して。とんでもなく稼いだよ、日本は。
この頃の建物が未だに現役なものも多いですかね
1964年当時、軍備を米軍に提供なんて出来たんですかね
@@soavo 朝鮮特需なんて今や神話ですがな。教科書にも載ってない。
20歳以上は戦争体験者なんだ驚
今見ると「レトロフューチャー」って感じだけど、当時はこれが本当に最先端技術だったのかぁ。
いや〜いい映像ですね〜
写ってる人や物全てが好きです
東京都銘打つからにはさぞ網羅度が高いんだろう構えて見たが
非常に素晴らしい編集で驚いた
個人的に団地あたりの映像が懐かしさがこみ上げてたまらない
55歳で定年退職で、年金で十分暮らせて「転職など論外」と考えられた高度経済成長期の時代ですね。私など取り残されそうです。今もですけど(笑
1961年東京都区内豊島区で生まれ育ちました。
当時は巣鴨プリズンもまだあり、
都電も走っていました。
銀座には日劇、朝日新聞本社、日比谷映画、有楽座もありました。
上智大学に1981年に入学しました。
懐かしいNHKの平光準之助アナウンサーの声。端正で誠実な声。
平光さんのお声ですか。とても落ち着いた話す速度もゆつくりで聞きやすいですね。
高度成長期かあ・・・まあーこの活気じゃあ、田舎で夢見た若者は、東京に出てきちゃうのは仕方ないわな
0:21 実は江戸時代の頃から世界有数の
人口を抱える都市だったりする
BGMがステキ
ナレーションの平光淳之介さんは当時現役NHKアナウンサー。テレビニュース以外でも活躍されていたのですね。
5:38~5:53
すごい。
プリントスキャナーの原型みたいなものが
こんな昔からあったなんて。
今より日本語がきれいですね、、警備員さんが注意するときですら言葉が洗練されている。。
日本の美ですね。いつから日本は変わってしまったのでしょうか。。
これは首都圏に近い場所の日本語で、あなたが知っている日本語は田舎の日本語です、今でもこれより綺麗な日本語は山ほどあります
日本のメディアは日本語が下手で統一されている理由はBSの中国や韓国ドラマやそれ以外の母国のメディアのために、政治のために日本語の上手な人やそういったものが禁止されているんです
@@616-Rank1 うわー、知りませんでした、、情報ありがとうございます。
例えばDMMゲームズですと声優と絵が福岡!って感じのゲームしかありませんよね、あれは社長が九州の出身なんですね
九州の中央から上半分は日本語のうるさい人しかいません、であの勝ち負けしか楽しみが無いので、とりあえず福岡の特色をメディアで統一したいそうすれば有名なような気になって気分が良い、こういう楽しみのために最悪が凝縮されている
こういった、勝ち負け、メディアに出る経営者はほとんどがこれなんです
とにかく日本は悪いもので統一しなければならないと考えている人が国内外から総立ちで一挙やるかとそれがずーっと続いて日本のメディアは変な人ばかりが映るようになっております
まず福岡の女性というのは日本語をまともに発音することができないんですね
で、一般的な声優の真似をしてトーンを上げるんですがそれでも声がうるさいんです、恐らくねあなたはそういう粗悪な作品を連続して知って、それが日本だと認識している日本に住まわれていない方、か福岡辺りに留学か何かされた方ですよね
@@616-Rank1 なわけないやろ。ただの言葉の進化や。今でもてふてふって手紙やメールに書くか?書いてたらやばい!確かに方言は美しい。
This video is an amazing relic! Thank you, from Italy!
WELCOME!
0:47~
カナリヤイエローの山手線101系の走行映像はかなり貴重!
ウグイスの103系と共存の頃ですね
この年にオリンピックやったんだよね。私が小学4年生!正直、いい時代を過ごさせて頂きました。
こういう映像、今の東京でも作ってほしいな
一番見たい映像がここにある
映像がきれいですね。通勤風景なんかつい最近の様。今は昔の高度成長期か。懐かしいね。
9歳のころ東京五輪を控えた近代日本、再生復活のまだ若い戦後東京の息吹を感じます。
この雰囲気この感覚、あの時代を思い出します。
冒頭の特急電車が新幹線でないですね。新幹線が走り出すのは十月ですから、その直前に作られた映画と言うことでしょうか。
オープニングの曲、すごいな。素晴らしい。
インドから日本への愛
15:44の学校は僕の通った隣の学校で丸善の裏側にあった。その学校も僕の出た学校に編入になってしまい僕が卒業した時が小学校最後の卒業生となり現在学校は撤去され中央区が何処かに売った土地が大きなビルになってます。ここで映った学校とほぼ同じ作りで、現在残っているのは銀座西にある泰明小学校のみです。僕の所は八重洲口に面して教室窓から新幹線が見える所でした。
今となっては懐かしい映像だ。⭐️
23:20~23:51の映像に映る子供たち。
本当に楽しかったでしょうね。今はどう
過ごしていらっしゃるでしょう。
この靄っている景色が、倫敦のスモッグ以来の進歩の象徴なんだろうな。この映像を見て、子供のころ、東京に行くと自動車の排気ガスの臭さかったことを思い出した。
羽田界隈から京浜工業地帯は、正に毒ガス製造工場だったね!
昔は東京へ行って帰って鼻をかむと鼻水に黒い筋ができた。私が十代くらいまでの話。
ナレーションがNHKアナウンサーだった平光アナウンサーですね、いい声です
むしろハゲが似合うジェントルマンでしたね!
音楽が高橋悠治だけど、ジャズの色が濃いのが面白い。ピアノは高橋本人?映画自体は当時山ほど作られた都市解説スケッチの典型ですが。
11:30 元祖DJポリス
20:34 コロムビア・トップ・ライト
映像めちゃめちゃいいな
アタマ良さそうなコメント
ビルの窓を拭いている人が命綱付けていない。
80年代位まではブランコで上から降りて来られないような場所は命綱無しで窓から体を乗り出してやっていました。丁度窓ふきのバイトを始めた時ですが、その会社は二人落ちて入院していて、5年前には落ちて亡くなった人も居て、絶対にやってはいけないと言われました。
そういうのが厳しくなったのは平成に入ってしばらくしてからですよ。
労働災害に対する意識が変わるのにも時間がかかります。
例えば、車のシートベルトもそうですしね。
窓の内側の左右に「六角ナット」みたいなのがあって、ズボンのベルトの穴に紐を通して結んでただけのは、見た事がありますけどね。
ヤバすぎる‼ 見ているこっちが冷や汗をかく💦
建設作業員も半袖Tシャツ一枚、バイクもノーヘル、船には救命用の浮き輪が無さそう。時代を感じますね。
貴重なマツダクーペ360が・・・凄いなぁ・・・貴重な映像ありがとうございます!!
私は、この時小学校3年生で、父親(20年前に故人)がスバル360という小型乗用車(とても小さくて別名テントウムシと言われた愛称があった)を持っていて、都内から横浜の山下公園周辺にドライブによく連れて行ってもらった。
思った以上に現代的だな。和服を来てる人もほとんどみないし、車も走ってる
Thank you for sharing these videos. They are absolute gems and so inspirational.
高橋悠治のフリージャズなBGMリリースしてくれないかな。ずっと聴いてたい。
この時代のドキュメントはこうした陰鬱な曲調がおおいですね。「社会派」的な雰囲気づくりでしょうか
1964年。DJポリスは既にいる。
凄いスモッグ!!霧のように真っ白で向かいのビルの向こう側が霞んでる!!
皇居と言わず、千代田城と呼ぶのを聞いたのは初めてだ!
俺は知っていたよ📚 つい最近ポイントサイトのクイズで知った😀
私が二歳、あの乳母車に乗って母さんに押してもらってる子と同じやったんやなぁ。父ちゃんと母ちゃんが、エネルギーに溢れとるねぇ。
中学3年生の頃ですね。懐かしい。すでに光化学スモッグもあったようですね。目がいつも痒くて大変でした。
西鉄と東映の試合で張本が2ベース打ってる映像があるね 綺麗だなー
13:28に損害保険会社の垂れ幕。この興亜火災海上がこの映画のスポンサーでした。と最後にわかって感謝。宣伝臭くないのがイイ。
去年の大河ドラマいだてんを見たくなりました!
BGMがなんともいえず、時代を感じさせる。
でもこの時すでに京王プラザホテルのパースは出来上がっていたんだよね。
霞が関ビルは起工式。未来に向け全力疾走だったんだよね。熱気が今とは大違い。
警視庁のヘリが当時のベストセラーベル47。
11:31~元祖DJポリス👮
DJというより口上だと思う
懐かしい光景ばかり
11:50 日本橋交差点の白木屋デパートでしょうか。横井英樹が買収に失敗して、東急の五島に安く買い叩かれて日本橋東急百貨店になりました。今はコレド日本橋。
60年前でもそこまで大きく変わってないですね~
1964年(昭和39年)は、なんとなく輝ける年だわ…♡
東京Olympicが開催された年であり、外國へ自由に行けたんですもの。
あと日本🗾には関係ないけど、
“坦桑尼亜🇹🇿”という國が誕生した年よ(他にもZambia 🇿🇲とか)!
この頃の東京に住みたい!
この時代にハイテクな乾燥機(コインランドリー?)が、あったんですね!
その後(18:30)SSDSのお店とは一体・・( ノД`)
恐らく
セルフサービスデパートメントストアの略称では無いでしょうか?
solid state drive のあとのSがなんだかわからんかたな笑
オリンピック前でしょうか?
交通整理をする警視庁警察官の防暑帽?も珍しいですね・・・(今は被っていませんが)
ニッポン放送のスタジオも外から見られたのですね・・・
この動画を見て、自分自身や親族・友人・知人などが映っていないか探した方々はどれくらいいる事やら... 私自身は誰もみつかりませんでしたけれども...
16:00 銀座線かな、すげえ笑笑
11:04 頃の都電7000形は7059か7069が見てとれます。7059号は荒川線ワンマン化時の車体更新で7005号となり、現在も7700形7708号として現役です。7069号であれば7015号を経て現在の7704号です。
そうそう、首都高速を走ると右に左に遠くや近くに東京タワーが見えて空が広かった。今じゃ東京ドームなんて全く見えなく成った。
この時代でも最先端のコンピュータがすごいと思われていたんだろうな
20:35 コロンビア トップ・ライトさんですね。
日本てすごいや!今だってコロナでコテンパンかも知れないけど必ず元気を取り戻せるさ!未来は明るいと信じて今を頑張りましょうよ!
4:37当時は磁気テープが当たり前だった。
1本は2400フィート(720m)
1フィートで19,200バイト。1本で46.08Mバイト以下しか記録できなかった。
4:50
スパイ映画みたいでカッコいい。
音楽がすげー
56年前だと映ってる大人はもう80~90歳か
渋谷の銀座線の次は、16:08辺りから池袋。百貨店屋上か。
16:18~池袋駅を東側上空から見た図。黄色の101系山手線が見える。東武東上線・赤羽線と山手線の分岐部分。
16:26~上石神井駅西方。奥(上)が武蔵関、手前(下)が上石神井駅。右に見える白い平地は上石神井小学校の校庭。
16:30~ひばりが丘団地を南西から見た図。そのあとの高層団地は違う所。
今の公害中国みたいな街を煤色にしたスモッグは2000年くらいまで続く
映像は綺麗なとこしか映してない
川はどこも悪臭たちこめるドブ川
都市部の水道水なんか飲めたもんじゃなかった
そして映像じゃわからない荒れた人々が勝手なルールを押し付けて来る社会で
知らない世代には自由そうに見えるだろうが、今とは違う直接的な締め付けで自由とは真逆だった
70年代後半から学校が不良少年少女が溢れ荒廃したのでわかるはず
5:27 いい意味での便利な『地下銀行』
今は、ネガティブな意味で使ってる
今じゃ、闇のお金を外国へ逃がす目的で・・・。
5:27
この頃の小学生は真冬でもほとんどが半パンでした。
19:00 八百屋の釣り銭カゴだ! ゴムで吊るして伸びるやつ。懐かしい。
ところでこの動画のコメント勢、年齢層かなり高くないですか?
ウチの近くの魚屋さんも、釣り銭かご、だったその魚屋のおじちゃん おばちゃん夫婦 すごく声が大きくて威勢がよかったな。
この世界好き
12:00 「交通指導!」 こうやって交通モラルが少しずつアップしいったのでしょうね!
あの、テレビカメラが、左000万ですね。1.2.3カメラ、後方に、4カメラ.5カメラを向けてますね!
音楽含め、なんかお洒落だな。
『コクリコ坂から』の時代ですね。
都心が丹下健三の四角い建物ばかりになり、道路は排気ガスでモヤがかかってる。
父が出稼ぎに行ってる頃。父の若い頃が見てみたい。
東京のアジア感を垣間見ました。
14:49
この時代に立体駐車場!
23:53は今は無き東京スタヂアムですかね。東京オリオンズと東映フライヤーズ。セカンドに駆け込むのは、喝!の張本氏。
一年後に、警備会社 東京パトロールが誕生した
東京の街の時代背景が垣間見えます。
18:38 ネッスル日本が日本で売り出す前の輸入ミロ
当時地方都市の小学生だったけど、東京でも街の作りが現在と比べると荒削りな感じですね。
このチャンネルにはまっちゃったよー😊