地震から2カ月超…故郷・輪島市の自主避難所で暮らす12人「他には行きたくない」全員が仮設住宅待ち望む (2024年3月6日)
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- Опубліковано 5 бер 2024
- 特集です。元日に発生した能登半島地震から2カ月以上経った今もふるさとに残り自主避難生活を続ける人たちがいます。一つ屋根の下に12人が集い共同生活を送る場所を訪ねました。
元日に震度7の地震が襲った輪島市門前町にある谷内和田(やちわだ)地区。
車1台も通れないほど道路は陥没。ほとんどの住宅が全壊しました。
谷内和田地区にある自主避難所。
大地震翌日の1月2日から開かれ2カ月経った今も23歳から91歳までの12人が共に暮らしています。
記者:
「皆さん仲がいいんですね」
高崎覚区長:
「そうそう、それが第一。1つの地区でお祭りも一緒にやっているしほとんどのみんな農家なので稲刈りとかも共同作業で全部やってるから」
高崎きくえさん(91):
「ずっとここにいます。気心は完全に知れているからみんなでここにおろうよねってみんな頑張ってます。(他の避難所に)行きたくないです。」
自主避難所となっているのは1軒の空き家と車庫。2007年の大地震で住宅が全壊した後に新築したもので今回の大地震では倒壊を免れました。寝泊まりする場所は男女で分かれ、空き家が男性たち。車庫を女性たちが使っています。車庫の床は冷たいコンクリート。全壊した家から畳を運び出して並べました。
「お水とかは給水車にもらいに行ってきます。男の人が空いたらもらってきます役割決まってますね。」
1月末に電気が通ったもののいまだ断水が続いています。日中は片付けをするためにそれぞれの家に戻ります。
避難所の隣に自宅がある町田久子さん。
「こんな家でもほしいものがあればここから入って上がって取ってくる。住めんよね。住めんよ。これ」
約2カ月の避難生活で自宅から必要なものはおおむね持ち出し、あとは行政による撤去作業を待っています。
町田さんの自宅のすぐ目の前にあった小屋。地域にとって大切な場所でした。
「本当はここはここら辺の母ちゃんたちの憩いの場だった。普通なら7,8人座ってわいわいコーヒー飲んだり餅焼いたり芋焼いたり。1日でよかった普通の日だったら何人か埋まる。それだけはよかったと思う。」
午後3時、自主避難所にやってきたのは熊本の災害支援チームです。
「ありがとう遠いとこからね」
この日の夕食として皿うどんが届けられました。
「どうもありがとうございます。元気出します。」
避難所では男性たちが力仕事を担い女性たちが食事の用意を担当しています。
「夜も食べていけば」
「ごめんねお世話になります。」
確認しているのは食事の予約票。
「(女性分が)10人だから19人や」
昼と夕方、避難所のメンバーに加えて予約があった人の食事も提供しています。
自宅での片付けを終えた住民が避難所に戻ってきました。
「はいどうぞー」
昔なじみの仲間と囲む食卓。
「地震あってからしょっちゅう変わったもの食べてる。」
(支援が)日本全国からきてるありがたいね。もったいない。みんな気心しれたなかやから特に美味しい。」
毎日のだんらんが避難生活の気晴らしになっているそうです。しかし、自主避難所の生活は日に日に苦しくなっている面もあります。
先月、輪島市は自主避難所への物資の配送を打ち切ると発表。谷内和田地区の避難所への配送も先月19日に終了しました。その後は灯油も自分たちで工面しなくてはいけません。
「灯油の支援がなくなったりとか食べ物も毎日中学校の避難所に取りに行ってたんですけどそれもなくなってなんで今頃そんなこと言うのか」
自主避難所のメンバーは高齢者が多くこの先、物資を遠くまで取りに行き続けるのは限界があるといいます。
高崎区長:
「仮設住宅ができるまでもうちょっとの辛抱。」
町田さん:
「仮設住宅ができるまでもうしばらくと思って1日1日過ごしてそれ(仮設住宅)を待ってる春が来るのを待ってる」
自主避難所のメンバー全員が希望している仮設住宅への入居。その時がくるまで助け合いの生活は続きます。
今は二次避難でこの避難所とは離れて居ますが、週末に帰る度に皆さん暖かく迎えて下さり、嬉しく感謝で一杯になります。
避難所のリーダーとして、精神的にも辛い事が沢山有ったと思いますが、骨身を惜しまず日夜一生懸命動いて下さった女性の方には本当に頭が下がります。
この避難所も現在では地区の集会所に移りましたが、間もなく次々に仮設住宅への入居が始まり、避難所の閉鎖の日も近いと思われ
ます。3ヵ月ほど、プライバシーもない中で何とか今まで続けて来れたのも地区の絆の強さは勿論の事、リーダーの方への絶対的な信頼によるものです。
仮設住宅に入ったら、今まで頑張って下さった分どうぞゆっくり身体を休めて下さいますように…。本当にありがとうございました。
仮設住宅をお願いします❗️
打ち切りにした理由が知りたい
これぞ共助ですね。
仮設も用意せんうちに配給打ち切りとはどういう了見だ
半島ですし、仮設住宅の建設地があまり確保出来ないとか。。。珠洲市の仮設住宅は、津波のリスクもあるとか。
他府県で支援住宅を用意しているのに、水や電気の無い地で、ひたすら仮設住宅が出来るのを待ってる心理が、ちょっと私には理解出来ないかなぁ~😣支援住宅も、無料なのは1年(大阪府だけ2年かな?🤔)だけですが、水や電気の無い生活よりマシかと。
東日本大震災後を見ても、ある程度、復興するまで10年は掛かるでしょうし、高齢者が多いので、建替えの見込みも少ないハズ😵💫
ちょっと冷たいコメになりますが、気の利く人は、金沢や他府県に移動しているようなので、支援が減っていくのは致し方無いかと。。。
いまだに炊き出しを行なって下さる方々が居られるコトが凄いな❢と感じるのですが。。。
石川県が民間賃貸住宅を借り上げた「みなし仮設住宅」も県内で4500戸、県外で3700戸を確保されてる。家賃(上限額有り)、共益費、礼金、仲介手数料、火災保険料などを国や自治体が負担してくれる。期間は仮設住宅同様2年間。高齢者含めすでにみなし仮設住宅や仮設住宅で生活を始めた方々は自分たちで食べ物も灯油も買っている。
ここの地区も残っている12名以外は二次避難などしている訳です。
行政がここだけ手厚くはできないでしょう。
自治体により支援の仕方に差が有るのは、首長の力量の差ですか?
県(知事)との連携が上手く行かないからですか?
僅かな差での半壊と準半壊の天と地ほどの支援の差が人々を苦しめて居ます。
強い不公平感、理不尽さに輪島の地に産まれ育った事がうらめしくてなりません。
杓子定規な行政の支援の仕方に、苦しく辛く悲惨な未来しか見えない…。
ご老人が多いようですし、市の支援が再開あるいは何らかの方法で物資や食料の支援が継続されることを祈ります。
自分も被災して今は魚津のホテルに2次避難してます。仮設住宅いつになれば入られるのか不安です
抽選らしいですね。。
仮設住宅に早く入れたらいいですね。
仮設に入るまできちんと支援して貰える事祈ります。
輪島市はなぜ支援を打ち切りにしたの?
支援っていうより援助
灯油支援打ち切り食物も取りに行ってたけどそれも無くなったって仮設住宅出来るまで
支援してあげたらいいのに。
なんか助けるような助けないような変な感じする。
中学生達避難させ急に騙すような事親に言って突然返すとかしたりテレビに写らないとこで住民達騙すような事したらいけないですよ。
馳知事。
この地域こそ自宅を取り壊してから同じその場所に仮設住宅を建てるべきです。3年間後に①買い取り ②賃貸払い ③撤去 を選べたらほぼ完璧だと感じます。
④壊れるまで住み続ける。
土地は私有地ですから、権利問題など、そう簡単にはいかないかと。
仮設住宅は解体後に組み立てできるものがあるから、当面は市内の仮設、自宅を壊してから移設という方法もありますね。早く落ち着きますように…
土地はね…先祖代々というわけで、お年寄りほど固執する人が多いと思われ…
@@moffdoll
はい、日本人は農耕民族なので、土地に執着する・・・というのは、かなり以前に何かの本で読みました。
何も無ければいいですが、これだけ頻繁に地震が起きている地に執着するのであれば、あまり国の支援に依存するのも、いかがなものかと思います。歴史上、先祖代々の土地を失っても生きて来た方々も沢山いたでしょうし、戦争末期の沖縄の方々は自決を選ばさるを得ない方々も多かった。生きながらえた命に感謝の意があるなら、別の地から出直しも出来ます。
石川県が人口流出を懸念しているニュースも観ましたが、元々、高齢者が多く税収も少ない為に、復旧作業が遅れている面もあるそうです。
一旦、退いて先の見込みが出来て戻る・・・という手段もあるかと思います。
政府にも自治体(石川県)にも見捨てられるんだろうな・・・
岸田は冷酷だからね😢
指定避難所はコロナなど危険な感染症の温床なので自主避難は正解だと思います。
しかし物資が来ないのはキツイなあ…物資を届けるボランティアの受け入れも現状では難しい情勢です。せめてインフラが復旧すれば…
全くシンキロウときたら、被災地で同じくらいお年寄りが大変な中、あなたは都内高級ホームでぬくぬく生活中…
政治家を引退しても尚、派閥議員へ隠然の影響を与えている事を鑑み、地元のために経済界へ復興お願いするとか…
歴代の元総理や重鎮だった方々だったら、被災地の復興へ、目立たぬ所で関係各所へお願い、お力を発揮された…。
そんな事が少しも感じ片鱗ないのは、つくづく残念な人に投票せざる得なかった…今の能登の姿でしょうか!?〜。
まあ、あのジイは加賀人ですからね。
能登は元々は瓦力さんや稲村佐近四郎さんの基盤。
立憲民主党の近藤議員は頑張ってますけど、与党があの状況じゃねぇ。
支援物資打ち切りとは何故ゆえに?野垂れしぬか自分たちで調達しろと?
日本めちゃくちゃだね、、、
被災者すら見捨てるような仕打ち、、、、
馳知事は人でなしだな.....
仮設住宅と公営住宅建設を
神戸 福島 北海道 秋田 青森 千葉
能登半島 富山 日向 沖縄
中国人が欲しがりそうな土地です。
とても立派な方々だと思います
自衛隊とか県は自首避難の人達には手を中々出せない😢
あぁ門前も修正で志賀町と同じく震度7になったんやったっけ。断水解消までは皆で指定避難所に移りましょう。集まった方が支援物資も食事も充実するハズ
震災は大変だと思います
1日も早く復興して欲しいです。
でも現実
東日本大震災の方達も未だに空地だらけ
復興住宅は巨大なマンションだらけ😢
毎年行きますが何も変わらない😢
悪いけど仲良しなのは分かるけど、区切りつけないと復興は終わらないよ。若い人の事が心配。彼?彼女の人生もあるし。
出た出た口だけの能無し
気色悪い電車野郎が喋んな
仮設住宅が出来るのを区切りにしたらよいのでは?
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〉5:35
輪島市の避難所に取りに行っていたって話しているじゃん。
私は思うのね。土地の権利を全部市に譲って一旦全市民が市を出る。そして市が責任持って再開発する。そして譲った市民中心に格安で住んで貰うのが1番早い手段ではないだろうかと…。権利関係が煩雑で復興は進まないと思うのよ。
AK.69日本人の為に。
仮設住宅=高齢者住宅やな、自主避難所生活は自己責任ということ、缶ビールが飲めるようだし・・・。
輪島市人手無し、