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私は上京時代に偶然ですが、相模線に乗る機会があってキハ30、35系に乗ったこと有りましたよ!🤩👍
キハ66は 「筑豊快速」と言われていました。デビューは新幹線の博多開業と同じ時期。
新幹線博多開業で筑豊地区のアクセス改善が目的だったとの事。急行や特急を設定するより快速でサービス向上を目指したとか。この発想が他地域に行かず、財政難と収益向上で安易に特急に転換したのは残念です。
キハ35は関東鉄道でも活躍していましたね。JR九州からの転属で。
関東鉄道では片運転台のキハ350(元:キハ35・36)と両運転台のキハ300(元:キハ30)が活躍していましたが、この内キハ301だけは一旦筑波鉄道に譲渡されて同線の廃止後に常総線に転入してきました。常総線には関鉄が自社発注したキハ35顔・片開き3ドア・バス窓のキハ900型も在籍していましたが、空気バネ台車装備で本家よりもグレードが高かった(笑)
国鉄清算事業団、JR東日本からの移籍車もあります。
九州の者だけど福岡県内ではキハ35は多く在籍していたけど筑肥線の電化、筑豊地区での廃止のオンパレードでキハ35は活躍の場を失いました。そのキハ35に目をつけたのは関東鉄道だったのでしょうね。私は高校を卒業するまでは茨城県内に住んでいましたけど関東鉄道の取手~水海道は東京への通勤圏ということもあり人口も多く乗車率も高い路線の一つです。ただ、キハ35が活躍している姿はあまり見たことはなかったですね。筑豊地区に在籍していたキハ23一両は高千穂線(宮崎県)に移籍しましたけど高千穂線はキハ20だけの在籍の路線だったらしくキハ23の入線は珍しかったそうです。
電化直前の関西本線は、快速と普通が20分間隔で、1時間に1本王寺から和歌山線乗り入れの(キハ35ではない)高田快速が走っていた記憶があります。気動車快速が爆速していました。
60代でいらっしゃるのですね。同年代で嬉しく思います。これからも頑張ってください。🫡
どの車両も魅力的過ぎるんだよね〜、あと和田岬線の旧客に乗れた時は幸せな気分に浸れたよ
キハ40系列、JR西日本はまだまだ使い続けるでしょうね
国鉄気動車懐かしすぎ鉄道ビジネスカジュアル最高
18きっぷ、自分はまだ使ったことはないのですが、合理化などでみどりの窓口や駅員の配置が少なくなってきていて、購入だけでなく、改札の通過(検札ともいうのかな?)がだんだんと難しくなってきたと感じます。関西本線、確かに冷遇されまくりですが、今考えると気動車の長編成が走っていたのは鉄道好きからするとワクワクもんだったのでは?と感じました。
キハ35はローカル線であたったら完全にハズレでした。
懐かしい
キハ40系は「懐かし」と呼ぶのはまだ早い...
>キハ40系JR東管内だと水郡線や左沢線、飯山線の様に平成初期のキハ100・110系の投入や国鉄型気動車の広域移動で一足早く「懐かし」になった路線も…。😂
「後位側」は普通「あとくらいがわ」ではなく、「こういがわ」と読むのが通常かと思いますがいかがでしょうか。
すみません。AIが勝手に読んだため修正が漏れていました。
キハ35といえば、国鉄筑肥線がキハ35やらはたまた旧客から福岡市地下鉄相互乗り入れになって福岡市1000型や新造国鉄103系1500になった時は隔世の感。開通の日は国鉄から乗った客が国鉄の硬券や非磁気券を自動改札機に投入してトラブルなってました。
小湊鉄道のキハ40に乗りに行ったのですが来た車両はオリジナルのキハ200。しかも夏場なのに2両しか残っていない非冷房車に当たってしまいました。でも久しぶりに窓を大きく開けることができたので懐かしかったです。
関西本線キハ35系[快速]は法隆寺見学の帰途,王寺⇨天王寺まで乗車したが爆走&爆音が凄かった🙉(東海道線は153系[新快速])▼上京後,東武東上線の利用者になったが八高線のキハ38系に乗車する機会があった。車内はリニューアルされ冷房車なので快適でした😂
第二弾、待っていました🎉長野県民の私にとってはキハ35系は「旅先で見かける車輌」のイメージで、高崎駅で見かけた八高線のイメージもありますが、むしろ新潟地区で見かけた寒冷地仕様の500番代のイメージが強いですね。本編中でも紹介された通り、新潟地区でのキハ35系のホームグラウンドは越後線・弥彦線でしたが、運用の都合なのか磐越西線や白新線・羽越本線の普通列車に組込まれるケースも多かった様に感じられます。真冬に磐越西線や羽越本線の運用に入っていたらさぞかし地獄だったのでは…。😅キハ40系では同様に両開きドアのキハ47も長野県内への配置が無かったので、やはり「旅先で御世話になる車輌」のイメージでしたね。地元の飯山線では、両運転台のキハ40は553〜558及び593・594の8輌、片運転台のキハ48はトイレ🚻付きの559とトイレ🚻無しの1550の2輌が長ナノに配置されて運用されていました。キハ40 594だけは向きが反対になっていてトイレ🚻が越後川口方に位置していた記憶が…。民営化後はキハ58やキハ52と共にブルーとホワイトのツートンカラーで腰板部分に「VOITURE AMITIÉ」のロゴが入った「飯山色」に塗装されましたが、1991(平成3)年の気動車の広域移動で中込からのキハ52の追加転入や水戸及び秋田からの4VK発電セット付きキハ28 2300番代の転入に伴ってキハ40・48は全車輌が東北エリアへと転出していきました。第三弾ではキハ45系やキハ55系辺りが紹介されるのかな?と密かに期待しております(笑)
キハ66、財政事情等で量産されなかったのは残念ですが、今思うと筑豊地区以外で適した路線が思いつかないですね……強いて言えば電化前の越後線とか新潟地区だろうか。
wikipediaで調査して初めて知ったのですが、キハ66・67は装備も多かった為に重量も増大して軸重に起因する入線制限があった様ですね。💦(旧国鉄の線路規格で「乙線」以上でないと入線出来なかった。)筑豊地区は昔は石炭輸送で栄えていたので線路規格が強化されていた為に運用が可能だったと推測されますが、後年に長崎地区へ転用されたのも大村線が元々の長崎本線ルートだったのもあるのでしょうね。他に運用出来そうな路線…。パッと思い付くところでは電化前の山陰本線の京都口とか四国の高松近郊でしょうか…。🤔(関西本線の名古屋口とかも考えたのですが、キハ181系にも搭載されていたDML30系エンジンの保守に手を焼いていた当時の名古屋局が音を上げていたのではと推察されます。😅)
@@kiha110oykotさん高松近郊とかありえそうですね。ただ、急行運用にも就きそう。関西本線名古屋口もキハ90系のトラブルなかったら今の快速「みえ」に似た列車に投入されたのだろうか。たらればですが、快速サービス向上で近鉄と少しは張り合えたのかもしれないし、伊勢線も廃止対象にはならなかったのかも。
試作モデルを意味するのはプロト、プロットはplotで全く意味が異なります。せっかくの力作なので残念です。
電車より「汽車」旅には必須です。白馬〜金沢や名古屋〜奈良が好きでした。
私は上京時代に偶然ですが、相模線に乗る機会があってキハ30、35系に乗ったこと有りましたよ!🤩👍
キハ66は 「筑豊快速」と言われていました。
デビューは新幹線の博多開業と同じ時期。
新幹線博多開業で筑豊地区のアクセス改善が目的だったとの事。
急行や特急を設定するより快速でサービス向上を目指したとか。
この発想が他地域に行かず、
財政難と収益向上で安易に特急に転換したのは残念です。
キハ35は関東鉄道でも活躍していましたね。
JR九州からの転属で。
関東鉄道では片運転台のキハ350(元:キハ35・36)と両運転台のキハ300(元:キハ30)が活躍していましたが、この内キハ301だけは一旦筑波鉄道に譲渡されて同線の廃止後に常総線に転入してきました。
常総線には関鉄が自社発注したキハ35顔・片開き3ドア・バス窓のキハ900型も在籍していましたが、空気バネ台車装備で本家よりもグレードが高かった(笑)
国鉄清算事業団、JR東日本からの移籍車もあります。
九州の者だけど福岡県内ではキハ35は多く在籍していたけど筑肥線の電化、筑豊地区での廃止のオンパレードでキハ35は活躍の場を失いました。そのキハ35に目をつけたのは関東鉄道だったのでしょうね。
私は高校を卒業するまでは茨城県内に住んでいましたけど関東鉄道の取手~水海道は東京への通勤圏ということもあり人口も多く乗車率も高い路線の一つです。
ただ、キハ35が活躍している姿はあまり見たことはなかったですね。
筑豊地区に在籍していたキハ23一両は高千穂線(宮崎県)に移籍しましたけど高千穂線はキハ20だけの在籍の路線だったらしくキハ23の入線は珍しかったそうです。
電化直前の関西本線は、快速と普通が20分間隔で、1時間に1本王寺から和歌山線乗り入れの(キハ35ではない)高田快速が走っていた記憶があります。気動車快速が爆速していました。
60代でいらっしゃるのですね。同年代で嬉しく思います。これからも頑張ってください。🫡
どの車両も魅力的過ぎるんだよね〜、あと和田岬線の旧客に乗れた時は幸せな気分に浸れたよ
キハ40系列、JR西日本はまだまだ使い続けるでしょうね
国鉄気動車懐かしすぎ
鉄道ビジネスカジュアル最高
18きっぷ、自分はまだ使ったことはないのですが、合理化などでみどりの窓口や駅員の配置が少なくなってきていて、
購入だけでなく、改札の通過(検札ともいうのかな?)がだんだんと難しくなってきたと感じます。
関西本線、確かに冷遇されまくりですが、今考えると気動車の長編成が走っていたのは鉄道好きからするとワクワクもんだったのでは?と感じました。
キハ35はローカル線であたったら完全にハズレでした。
懐かしい
キハ40系は「懐かし」と呼ぶのはまだ早い...
>キハ40系
JR東管内だと水郡線や左沢線、飯山線の様に平成初期のキハ100・110系の投入や国鉄型気動車の広域移動で一足早く「懐かし」になった路線も…。😂
「後位側」は普通「あとくらいがわ」ではなく、「こういがわ」と読むのが通常かと思いますがいかがでしょうか。
すみません。AIが勝手に読んだため修正が漏れていました。
キハ35といえば、国鉄筑肥線がキハ35やらはたまた旧客から福岡市地下鉄相互乗り入れになって福岡市1000型や新造国鉄103系1500になった時は隔世の感。開通の日は国鉄から乗った客が国鉄の硬券や非磁気券を自動改札機に投入してトラブルなってました。
小湊鉄道のキハ40に乗りに行ったのですが来た車両はオリジナルのキハ200。しかも夏場なのに2両しか残っていない非冷房車に当たってしまいました。でも久しぶりに窓を大きく開ける
ことができたので懐かしかったです。
関西本線キハ35系[快速]は法隆寺見学の帰途,王寺⇨天王寺まで乗車したが爆走&爆音が凄かった🙉(東海道線は153系[新快速])▼上京後,東武東上線の利用者になったが八高線のキハ38系に乗車する機会があった。車内はリニューアルされ冷房車なので快適でした😂
第二弾、待っていました🎉
長野県民の私にとってはキハ35系は「旅先で見かける車輌」のイメージで、高崎駅で見かけた八高線のイメージもありますが、むしろ新潟地区で見かけた寒冷地仕様の500番代のイメージが強いですね。
本編中でも紹介された通り、新潟地区でのキハ35系のホームグラウンドは越後線・弥彦線でしたが、運用の都合なのか磐越西線や白新線・羽越本線の普通列車に組込まれるケースも多かった様に感じられます。
真冬に磐越西線や羽越本線の運用に入っていたらさぞかし地獄だったのでは…。😅
キハ40系では同様に両開きドアのキハ47も長野県内への配置が無かったので、やはり「旅先で御世話になる車輌」のイメージでしたね。
地元の飯山線では、両運転台のキハ40は553〜558及び593・594の8輌、片運転台のキハ48はトイレ🚻付きの559とトイレ🚻無しの1550の2輌が長ナノに配置されて運用されていました。
キハ40 594だけは向きが反対になっていてトイレ🚻が越後川口方に位置していた記憶が…。
民営化後はキハ58やキハ52と共にブルーとホワイトのツートンカラーで腰板部分に「VOITURE AMITIÉ」のロゴが入った「飯山色」に塗装されましたが、1991(平成3)年の気動車の広域移動で中込からのキハ52の追加転入や水戸及び秋田からの4VK発電セット付きキハ28 2300番代の転入に伴ってキハ40・48は全車輌が東北エリアへと転出していきました。
第三弾ではキハ45系やキハ55系辺りが紹介されるのかな?と密かに期待しております(笑)
キハ66、財政事情等で量産されなかったのは残念ですが、
今思うと筑豊地区以外で適した路線が思いつかないですね……
強いて言えば電化前の越後線とか新潟地区だろうか。
wikipediaで調査して初めて知ったのですが、キハ66・67は装備も多かった為に重量も増大して軸重に起因する入線制限があった様ですね。💦
(旧国鉄の線路規格で「乙線」以上でないと入線出来なかった。)
筑豊地区は昔は石炭輸送で栄えていたので線路規格が強化されていた為に運用が可能だったと推測されますが、後年に長崎地区へ転用されたのも大村線が元々の長崎本線ルートだったのもあるのでしょうね。
他に運用出来そうな路線…。
パッと思い付くところでは電化前の山陰本線の京都口とか四国の高松近郊でしょうか…。🤔
(関西本線の名古屋口とかも考えたのですが、キハ181系にも搭載されていたDML30系エンジンの保守に手を焼いていた当時の名古屋局が音を上げていたのではと推察されます。😅)
@@kiha110oykotさん
高松近郊とかありえそうですね。
ただ、急行運用にも就きそう。
関西本線名古屋口も
キハ90系のトラブルなかったら
今の快速「みえ」に似た列車に投入されたのだろうか。
たらればですが、快速サービス向上で近鉄と少しは張り合えたのかもしれないし、伊勢線も廃止対象にはならなかったのかも。
試作モデルを意味するのはプロト、プロットはplotで全く意味が異なります。せっかくの力作なので残念です。
電車より「汽車」旅には必須です。白馬〜金沢や名古屋〜奈良が好きでした。