Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
電車通学だった小学校時代、毎日この電車で通学していました。この吊り掛けの音色が今でも記憶に強く残っています。当時からすごい吊り掛けファンでしたが、この電車のお陰で更にコアな旧形電車マニアになってしまいました。素敵な動画をありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。小学生で吊り掛けファンとは、なんと早熟な! 私が子供の頃は、吊り掛け(そんな言葉は知りませんでしたが)音の電車イコール、ボロい電車という認識で(笑)、吊り掛けの旧型車が大好きになったのは、二十歳を過ぎてからでした。当チャンネルには、旧形電車,吊り掛け電車の動画が沢山ありますので、もし宜しければ一通り見ていってくださいませ。
小田急名物だった「土曜急行」。4000x5が重連で運用されることが多かったように記憶しています。貴重な動画をありがとうございます。登録させていただきます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形は活躍期間が長きに亘ったので様々な運用がありましたが、「土曜急行」なるものがあったことは知りませんでした。別に、そのように銘打っていたわけではないと思いますので、単に時刻表で気付いていなかっただけかと思われますが。登録ありがとうございます!
幼少の頃、相模大野に住んでいてその当時を思い出しました。当時、当たり前のように走っていた車両を見ることができて懐かしさを感じました。
ご視聴、コメントありがとうございます。特別な車両なら意識しますが、当たり前のように走っている車両は、ある日気付くと既に引退していた、なんてことありますよね。小田急に関しても、もっといろいろ撮っておけば良かったという気持ちがあります。
乗務員室隣のルーバーが懐かしいです。吊り掛け車の音って不思議と郷愁をそそりますね。子供の頃は9000形やSE車それにNSE車ばかりに目がいってましたが、こうして振り返ってみるともっとよく観察しておけば良かったなぁと。大和駅や相模大野駅もそう言えばこんな感じだったと思い出しました。貴重な映像ありがとうございます。これからも貴重な映像、楽しみにしています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形のルーバーは印象的でしたが、考えてみると既に2400形にありましたね。4000形は関東の大手私鉄の中では吊り掛けで長年頑張っていた方だと思います。
自分は中学生の頃に大和で相鉄から乗り換えて藤沢などに行く時に時々4000形に当たりました。新しい感じの車両で吊り掛けとか小学生の頃から見た相鉄2100系や3010系で慣れていましたがいざ乗ってみると違和感があってとても面白い車両でした。小田急4000形や相鉄2100系はVVVF化されずに引退しましたが相鉄3010系だけはVVVF化されて90年代後半まで生き残ったのは驚きました。
これは懐かしいです。私は2000年生まれでこの車両の引退が2004年ですので、2001年~2004年にたくさん乗った記憶と思い出があります。(広島生まれ、2001年より現在まで小田急江ノ島線沿線民です。)2600形やこの旧4000形にはたくさん乗りましたが、2600形は5000形と同型のラインデリアなのに対し、この旧4000形は冷房化後2004年まで扇風機のままだったのを今でもハッキリ覚えています。この動画の2:42に映っているように、運転室仕切りのところにも壁付け型扇風機があったんですね…(中間車の天井型扇風機はハッキリ覚えていますが、壁付け型は記憶にありませんでした)私が乗ったときは冷房を使わない時期も扇風機カバーが取り付けられてないまま停止していましたが、この動画では扇風機カバーが付いているんですね。ちなみに2600形の引退前のリバイバル塗装も1回乗ったことあります。あの当時はかなり印象的でした。あと9000形もですね。今でも独特なチョッパ音だったのが印象的に覚えています。あの当時は3000形がほんの僅かしか走っていなくて、たまに3000形が来ると「お!カッコいい!」とかドアチャイムやIGBT音とかにかなり喜んでいましたが(あの当時は3000形が一番好きでした)、今となっては3000形ばかり来るのが当たり前の光景ですね(今は8000形が一番好きです)。今考えたら、あの当時は2600形/旧4000形/9000形にたくさん乗れていたのはラッキーだったんだなと思っています。そして、今は当たり前のような3000形も、私が50代くらいになった頃には良き思い出となるのでしょうね…。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。晩年の4000形や2600形,9000形に乗車されていたのは、ご幼少の頃のはずなのに、扇風機のことなどいろいろ細部まで記憶されていて感心いたしました。印象に残る電車は、世代によって異なりますので、歳を取って振り返ったとき、きっとその世代ならではの懐かしさの共有ができることでしょう。
初代4000形の貴重な映像とつり掛け駆動音素晴らしいです。自分の思い出は1800形との編成と4000形単独の3両編成の電車に乗った記憶があります。その他懐かしい電車の数々、小田急沿線民にとってお宝映像です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私の子供時代の4000形は登場時のまま3両編成で走っていました。1800形は2両+2両で走っていたと記憶しています。その後、4000形と1800形の混合編成もできましたが、脱線が発生したことで解消されたようですね。
子供の頃吊り掛け駆動の音が怖かった記憶がよみがえる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形が走行していたのは吊り掛け音が既に珍しくなっていた時代ですので、小さい子にとってはあの唸り音が異様に聞こえたとしても無理もありませんね。
@@山本時代-w5m ウン、国鉄旧型電車の見た目と音は怖いイメージありましたし、蒸気機関車や電気機関車に… 未だよく夢に出て来ますし、かつて南武線の西国立駅の脇にあった機関区を初めて見た時は怖かったです😅
85年というと、夏休み、朝の“大秦野”行きがこれで、スイミングの行きの夏季講習で乗ってました!!
貴重な動画をありがとうございます。数日おきに見てしまいます。私は1980年代前半まで生田に住んでおり、2600形と4000形には特にお世話になりました。当時の小田急は車両のバラエティーが素晴らしく(営団6000や1800、荷電もいました)、踏切で飽きることなく電車を眺め続けたものでした。夕暮れの多摩丘陵にこだまする4000形の吊りかけ音が今も耳に沁みついていて、何とも感傷的な気分になります。自分の原点ですね。高性能化したての4000形試運転車を向ヶ丘遊園駅で見たときは「生き延びてよかったな!」と思ったものでした。もちろん吊りかけ時代が最高ですが、初代4000形が2004年頃まで生き延びることができたのは喜ばしい限りです(2400形に感謝ですね)。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。さらに繰り返し見ていただけているとは恐縮です。昭和50年代の小田急車輛は、仰るようにバラエティに富んでましたよね。更に10年ほど昔、私が小学生だった頃はもっと凄くて、1700,1800,1900,2100形の吊り掛け車と、2200~2400各形及び、大型2600,5000,9000形のカルダン車が入り乱れておりました。そんな中、4000形の存在(新しい車体なのに古い電車の音)が気になったため、鉄道に詳しい友達から車体更新なるものを教えてもらったものです。吊り掛け時代の4000形はこの動画の5連以外に3連+3連もおりました。既にご覧になっていると思いますが、もしまだでしたら以下もどうぞ。ua-cam.com/video/SiL4OBAD4FI/v-deo.html
@@昭和電車チャンネル 4000形3連+3連動画のご紹介をありがとうございます。はい、こちらも拝見しておりました。当時の私は、4000形は5連を標準と認識しており、3連+3連は変則的な少数派のイメージを持っておりました(もともと3連が基本だったのはその後知りました)。1980年代初頭の生田で、4000形3連+3連の急行 新松田 行が力走していくのを見た記憶があります。つりかけ末期の80年代後半は3連+3連が残存していたように思います。4000形のつりかけ絶滅は確か1988年、2400形終焉は確か1989年。意図せずして昭和から平成へ切り替わる時期に昭和の小田急の引き立て役がレールを去った形になりました。
とても懐かしいです!この音子供の頃を思い出します!貴重なものをありがとうございます!
ご視聴、コメントありがとうございます。子供の頃の音や匂いの記憶って、けっこう印象に残りますよね。私が幼少の頃の小田急は吊り掛け車の方が多かったので、吊り掛け音を特別とは感じませんでしたが、4000系が唯一残った頃に子供時代を過ごした方にとっては、この音は特別に印象に残るものなのでしょうね。
すごく貴重な記録ですね冷房化が遅かった小田急ですが、85年でも、まだ非冷房車が居たんですねこの初代4000系って、乗ると「旧型国電」そのものの音なんですよね私は1978年ごろ、この4000系にはよく乗りました、小田急小田原線各停用は4000か2600ばかりでした大抵、東北沢で待避の為に長時間停車するので、夜のガラガラの車内の、あの「寂寥感」は忘れられないです
ご視聴、コメントありがとうございます。濁りが無くて良く伸びる吊り掛け音でした。あと「夜の空いた電車の寂寥感」というのは、たしかに昔は小田急でもありましたね。
主さんの『吊り掛け愛』を感じる(笑)この当時、あまりにも斬新なデザインとともに登場した8000形は衝撃でしたが昭和から平成をまたぎ令和となった現在、次々に廃車になっていってるみたいで時の流れは残酷だなぁ…と思いました。とにかく電車も駅もすべてが平和で懐かしい映像を見る事ができました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに、各動画内の字幕で、事あるごとに「吊り掛け愛」を語っておりますので、ウザがられてるかもしれませんね(笑)。8000形は当時はけっこう新車だったのですがねぇ・・・それが廃車とは、ずいぶん時が経ったものです。
2:49に写っていますが4000系は非冷房の時は運転席後ろのドア窓はガラスではなく通風のため軽合金性の通風口の開いた板でした。そのため雨になると容赦無く雨が吹き込み車内にいてもぐしょ濡れでした。でもこの頃の小田急のスターは9000系であり、本当は小田急の顔としてデザインを受け継いでもらいたかったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形の通風窓?は特徴的でしたね。9000形の顔の造形は登場時、極めて斬新だったと思います。後年、JR含め各社で類似のデザインが拡がりましたので、やはり影響力を持っていたのだと思います。
吊りかけ4000形でトンネルを走行する時の吊りかけサウンドも大好きでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。なるほど、トンネル内での吊り掛けの響きは気になりますが、残念ながら当時撮影はできておりません。
この頃 江ノ島線管内で駅員のアルバイトをしておりました。吊り掛け5両編成は、冬の出庫間際の車両は凄く寒くて手摺につかまるとキンキンに冷たかった(笑)当時ビデオで撮影されてて羨ましいです。そして現在 貴重な映像が見れて感謝です。ありがとうございます_(..)_
ご視聴、コメントありがとうございます。実際に体験された方でないと判らない、このようなお話は貴重ですね。私のビデオ撮影は今から見るといろいろ問題だらけですが、なんとか映像が残せたということで皆さまにはご勘弁を願っております。
子供の頃から吊り掛けサウンドが大好きで吊り掛け時代の4000系は良く乗りに行きました。懐かしい音と懐かしい風景を観れてあの頃の記憶が蘇りました。ありがとうございます。2400系の廃車が開始されて4000系の冷房化と新性能化が開始された時は悲しかったです。最初に改造されたのは4001、4002、4005、4010で運用を離脱して相模大野の電車区に留置されていたのを思い出しました。
ご視聴、コメントありがとうございます。吊り掛け4000形はやはり思い出深いのでしょうか、多くの方にご視聴いただいています。4000形の新性能化によって5000形とほとんど同じになり、個性が失われたのは電車好きとしては私も残念に思いました。それにしても、改造の順序、車番を良く憶えていらっしゃいますね。
この車両、幼稚園・小学校の時によく乗ってました!あの当時は駆動方式による音の違いとか全くににせず乗っていましたが、今聞くと吊り掛け駆動でも良質な音だったんですね!江ノ電とかもっと低速時に車体全体が振動するくらいの振動と音が全くない点驚きました。
ご視聴、コメントありがとうございます。吊り掛け音としては低音から高音まで「濁り」が無い感じで、聴いていてとても心地よいですよね。もっとも、私は低速時に「ビビり音」が酷いような吊り掛け車も大好きです(笑)。
京王民ですが、相模原線での小田急4000系と京王5000系(初代)の鬩ぎ合いは、今や懐かしい思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。永山~センター間の短い区間で、そんなことがあったのですね。どちらも時代を代表する名車ですので動画で見てみたいものです。(撮影映像はありそうですが、誰かアップしないかな。)
私にとって4000形と言えば初代の車両ですよね。私が中3のころ1986年の2月中旬に、高校受験の帰りに下北沢から各停に乗って玉川学園前に帰ったときはまだ吊り掛け音を響かせて降り始めの雪の中を4000形が走っていたのをよく覚えています。貴重な動画を有り難うございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。特定の日のことを鮮明に記憶されていますね!雪の中の吊り掛け音・・・良いですねぇ。4000形や5000形というと、私もやはり初代の方を思い浮かべてしまいますね(笑)。SE車を3000形とは呼んでいなかった為か、2代目3000形にはさすがに慣れましたが。
小田急の4000系吊り掛け式車両は旧型車両の足回りを流用して誕生した車両で、後に冷房化、平行カルダン駆動モーターになりました。吊り掛け式モーター音が懐かしい感じですね。🚃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。大好きな吊り掛け音を記録に残したくて、当時我が家で導入したばかりだった8ミリビデオで撮影したのがこの映像です。東武や東急,名鉄などで一部残っていましたが、この当時、既に大手私鉄からは吊り掛け車がほとんど姿を消しておりました。
初代4000形を動画で残されていたとは流石です。1800形と同様のピンク色の運転室も懐かしいです。行路表も手書きの時代ですね。最初に江ノ島線でこの電車を出迎えた時は、あの2600形の音を期待してわくわくしたのですが、なんと吊り掛け駆動音で子供心に騙された電車として落胆した記憶があります。ともかく、動画での記録の発信ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そういえば淡いピンクでしたね! 映像の色が褪せていたせいか自分で動画編集していたのに気付きませんでした。私の子供の頃は旧型車淘汰の過渡期で、まだ吊り掛け車として1700,1800,1900,2100の各形が走っており、当時の私にとって、これらはボロい電車(笑)という認識、一方2600,4000,5000の各形はカッコいい電車という認識でしたが、4000形の音がなぜボロい電車と同じなのか?疑問でした。非常に詳しい友達が一人いて、旧型車の機械を使っているからだよと教えてもらったのですが、ますます??だった記憶があります(笑)。高性能化とか車体の更新とか、まるで知識が無かったので。
私の記憶する最古の記憶、新宿口で4000系3連+1800系2連の5輛編成ローカル、更に4000系3連を増結した8連の急行運用です。1800系との相性悪く、脱線が連続して混結は解消、その後編成組み替えを行い5輛編成になったと記憶しています(曖昧)。流石に青黄ツートン旧色の記憶はありませんが、小田急車は裾絞りの拡幅車体、押し込みベンチレーター等、関東私鉄では他に類例を見ない優雅なデザインでした。乗務員扉次位の戸袋が窓ではなくフィルター式?のベンチレーターであった事も小田急車の特徴でしたね。あと、スカートが無かった為に足下がスカスカでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は4000形+1800形の運用は残念ながら見たことがありません。(もし見てれば記憶に残ると思うので。)一方、4000形の3+3ははっきり憶えてますし、1800形はたしか2+2+2で急行運用していたような‥‥(間違っているかも)。4000形は当初スカートが無くて、5000形に比べてカッコ悪いなぁと子供の頃に感じたのを思い出しました。あと、車輪が二重みたいで面白い(当時はディスクブレーキと理解しておらず)とも思ってましたね。
当時小田急車両で一番好きな車両が4000系でした!つり掛け駆動音、ディスクブレーキ、最高😃⤴️⤴️
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ディスクブレーキは印象的でしたよね! もちろん、吊り掛け音も最高でした!
映像当時は1歳でした…(汗)ちなみに江ノ島線の某駅に在住していたため、幼少期よりロマンスカーともども一般型も大変馴染みがありました…なんてったって一般型車輌は当時から車種が豊富でしたからね…😂当時のラインナップは、最新鋭の8000形、千代田線にも出向いていた個性派9000形…そして”小田急顔”と呼ばれていたグループは、当時最大両数を誇っていた(はず)5000形列や映像の旧4000形にN6こと2600形、2400形と片扉2200形の中型車…旧4000形に関しては、旧型車からの機器を頂戴して吊り掛け駆動を唸らせて爆走していたのは、幼い頃なので微かに記憶がありますが、大型車輌でありながらも非冷房、角型ベンチレーターを備え付けて、運転席側のグリル窓等外観の特徴に関してはしっかりと記憶しております…小田急の名物というか特徴とも言える異形式併結に関しては、当時4000形は一切行なわれず、同士で3+3の6連や5+3の8連、5+5の10連などがあった気がします… また改良前の大和や大野の姿も映像で残して下さりありがとうございます…😊これからも楽しみにしています…✋
いつもご視聴、コメントありがとうございます。書いていただいた当時の小田急車両の状況は、思い出深いですね。個人的には9000形が最も好きで、これが登場した頃、子供心にも今までにないカッコよさを感じました。あと4000形は、仰るように様々な編成の変遷があって面白かったですね。
懐かしいです。沿線に住んでいたので良く乗りました。4000形は冷房が無く、夏は地獄のような暑さだった覚えがあります。余談ですが、千代田線直通の営団6000形も冷房が無く、車掌さんが「後から来る急行は冷房が付いていて涼しいです。」と案内した事がありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。冷房が当たり前の今の若い人には想像できないでしょうが、「冷房車」がまだ少なかった頃は、その有り難味が半端なかったですよね。
車体乗せ換え更新といえば 東武鉄道の7800系(ナナハチ)更新の5000系列が活躍してました。 そちらも釣掛け音が大きかったものでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。旧型車の機器流用,車体更新は、この頃は方々でありましたよね。
とても貴重な動画ですね 昔を思い出しました ありがとうございます
いつもご視聴、コメントありがとうございます。懐かしんでいただけたのなら、こちらとしても嬉しいです。
感動モンです、ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この4000系が一番好きでした‼️😆
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私も、4000形は3両(スカート無し、冷房無し)で走っていた頃から好きでした!
東武線5050系も車体は新しいのに吊り掛けだったなぁ。カルダン化されずに廃車になった。吊り掛けの唸り声は幼い時は怖かった。怒ったお爺さんの声やモーターサイレンの音に聞こえた。鉄道マニアになった今は乗り鉄をして、吊り掛け車両を追いかけている。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。吊り掛け音は「唸り」と表現されることからも、幼い子にはたしかに怖く聞こえるのかもしれませんね。
1985(昭和60)年ですと8ミリ規格のビデオレコーダーが登場した頃で、従来品よりかはマシになりましたがまだまだ重くかさばっていました。浅野温子さんのThis is パスポートサイズはおまけ映像の頃でしたね。おまけ映像での1990年ですと既に1000形が登場していましたが、初めて遭遇した時その起動減速音の近未来さに驚きました。
ご視聴、コメントありがとうございます。よくご存知でその通りです。'85~'88年頃までは、8ミリビデオ初代機を使用していました。とにかくデカくて重かった(バッテリーも!)ですが、カメラとレコーダーが一体化されて当時としてはコンパクト(笑)と認識されていたようです。'89年からは、もう少し小さくて軽い機種(パスポートサイズ機よりはだいぶデカい)で撮影しました。
懐かしくて泣きそうです。小学生の頃4000系を僕らの仲間内ではギザって言ってました。正面の横にギザギザがついてたからです。この頃、トランプラリーをやった記憶があります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。旧4000形は、吊り掛けやディスクブレーキ以外にもいろいろと特徴があったと思います。「ギザ」と呼んでいたそうですが、あのベンチレータ、大変目立っていましたよね。
昭和60年当時神奈川県内に住んでいて小田急のこの型の電車によく乗りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時は4000形を含め、似たような車輛(いわゆる小田急顔)がいろいろ走っていました。
吊りかけ駆動音も同じ4,000形でも個体によって違い、音の大きい小さいが合って加速していくと♪「キリキリキリ…」と苦しそうな?共鳴音?が加わる車両もありました。4,000形と1,800形の連結が懐かしいです。まだ新百合がない時代で百合ヶ丘と柿生の間で脱線事故がありました。私が高校生の頃です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形吊り掛け音の個体差までは私は認識できていませんでしたが、まあ種車が複数あったので、それはありそうですよね。4000形と1800形の連結列車は凄かったですが、残念な結果に・・・
急行で運用の場合は単独で新宿から5両編成でした。3両固定は2本つなげて6両各停とかだった、最終的に江ノ島線運用が殆どで、本厚木にはめったに来なくなっていました。60周年パスで最初の1本目が急行小田原行だったのは思い出深いです。1両も残らなかったのは残念です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに江ノ島線での各停運用がメインになっていきましたね。吊り掛け音を唸らせながら飛ばす急行運用に、私はあまり乗る機会がなかったのですが、今となってはそれが悔やまれます。
ここにも旧4000形のつりかけ車の動画があったのは意外でした!多摩線で使うことはまずなかったでしょうね(唐木田開業前の多摩線は3・5両単独がなかったため)。これは各駅停車町田行きで片瀬江ノ島か藤沢発です。江ノ島線でも5・6両で各駅停車(新宿発着を含む)に使用してたようです。ドアステッカもまだ青の「ひらくドアにご注意」じゃないですね。この旧4000形はあばれはっちゃくにも出てきました(音だけのシーンあり)。
ご視聴、コメントありがとうございます。そうですね、初代4000形はこの頃、江ノ島線の各停によく使用されていた記憶があります。ドアステッカーが違うことには気付きませんでした。
@@昭和電車チャンネル 昔は江ノ島線の各駅停車はほとんど町田行きでしたね。大野の引上線がなかったのと、横浜線への乗り換えや小田急百貨店への送客を考慮していたのでしょうね。
小田急の旧型車、実は結構性能が良かったという証拠がメーターの動きで分かります。当時、山手線西側に行く私鉄ほど吊掛車が残っており、特に京王と小田急は西武同様、ニセ高性能車と呼ばれた車両(京王5070系(後の5100系初期車)、西武451系〜571系、そして小田急4000形初代)が存在しました。小田急4000形は逼迫する通勤需要のため、新型車製造では間に合わないということで、旧型車の部品を活用し車体を大型化する目的で製造された形式です。同じく急増する通勤需要を抱えた西武も、製造コスト抑制、機器標準化、車両大型化大量増備の一環から、戦災国電の機器を使い安く製造した西武赤電が登場しています。4000形の製造時期は西武の後ということで、大型化に支障のある台車は使いませんでしたが、ここで新調したパイオニアⅢ台車が原因とされる1800形混結時における度重なる脱線事故から、それまで4000形3両+1800形2両とされていた5両編成運用の代用として出来たのが、実は5両固定時に登場したデハ4200、4300で、これらの機器はそれまで譲渡予定だったABF車の1600形や1900形などのものを採用しています。そのため、この時期に小田急から譲渡された車両は木造国電の機器や譲渡先私鉄の機器を使用した例などがありました。映像では途中、相模大野駅の江ノ島線乗り越し部分から大野検車区に多数停留する2400形が見えますが、実はこの2400形こそ4000形高性能化工事でモーターを提供した車両で、この2形式が後に組み合わさるとは当時は予想出来なかったと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。このような長いコメントも大歓迎です。内容も専門的で読み応えがありました。小田急と西武の当時の背景も、なるほどと思いました。あと、4000形+1800形の脱線事故の余波が、小田急車輛が譲渡された地方私鉄にまで及んでいたというのは興味深いですね。2400形は狭くて混んでいる(特に先頭車は車両長が短いので)印象で、当時は好きではありませんでしたが、今考えると、2600形以降一大勢力となった「小田急顔」を決定付けた車輛だった気がします。
江ノ島線の上り列車が藤沢本町〜善行〜六会と登ってゆくとき高らかに奏でる吊り掛け音、忘れられません運転台直後で観察していましたが、85kphは出していた記憶があります
いつもご視聴、コメントありがとうございます。まさに仰る区間の「吊り掛け前面展望」は下記の別動画にしております。もしまだでしたらご覧ください。ua-cam.com/video/SiL4OBAD4FI/v-deo.html
車両も懐かしいが相模大野駅(改良前)も懐かしい。ビルが少ない😓
ご視聴、コメントありがとうございます。私にとっての相模大野駅のイメージは今でも動画の時代のままなので、ときどきに通る度に「ああ、変わってたんだっけ」と改めて気づく始末です(笑)。
1985年ですと、初代4000形が東急車輛(現・J-TREC横浜)で高性能化更新工事が始まった年でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうです! 高性能化されると、4000形の「特長」(笑)だった吊り掛け音が聴けなくなるので、慌ててビデオ撮影に出かけた次第です。
小田急で4000系懐かしい何と言ってもモーターの音が懐かしい形式わからないけれどよく通勤で小田急利用していた時たまたま小田急の4000系乗り合わせする時偶然だったそれからしばらくたって4000系が入線して来たまずモーターの音が昔の様な音ではなくごく普通のモーターに変わっていた。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。戦前,戦後の吊り掛け駆動車輛が淘汰されていき、そのモータを流用し車体を新造したのが4000形だったわけですが、時代が下ると、5000形など他の車輛と同様な性能に改造されました。その際に吊り掛けモータからカルダンに変更され、仰るように吊り掛け独特の音がなくなってしまいました。
この音は微かに覚えています。幼少ながら不思議な音だな~と。江ノ電に沢山走ってましたが、吊り掛け駆動とは知ったのは相当先です。(笑)当時小田急60周年??で発売された記念乗車券??とテープに、4000形の吊り掛けサウンドが収録されていて、よく聴いてました。こちらの印象の方が強いです。ながーい私事を失礼しました。
ご視聴、コメントありがとうございます。小田急では4000形が最後の吊り掛けでしたが、音の違いに気付けるのは少数派でしょうね。私も子供の頃に似た経験があり、東海道線で80系に乗る際、スピードと共にピッチが上がる不思議な音が面白くて「ウモモ」電車と勝手に呼んでいました(笑)。テープ付きの記念乗車券?なるものがあったのですね。知りませんでした。
こういうアコモ改造車両?は国鉄を始め私鉄で各社にもありましたが最強は相鉄2100系ですかね。昭和53年まで残っていて当時自分は小学生低学年で家の近くを相鉄線が通っていて学校が終わるとよく電車を見に行ってました。ガンダムのザクみたいな色の新旧6000系より新しくて冷房、パワーウィンドー付きで銀色に輝く最新鋭のアルミ車両から昔の古い吊り掛け音が聞こえるのは今思うと物凄く違和感がありましたね。近所に相鉄で通勤する叔父が住んでいますが話を聞いたら新しい電車でボロい電車の音がするとか何だあれはと言ってたのを覚えています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。相鉄2100系の波乱の経歴は「臨時快速準特急」チャンネルさんの動画で超詳しく解説されていますね。
@@昭和電車チャンネル それは面白そうですね。後で探して見てみます。
その後4000系はカルダン駆動への足回り更新改造を受けて、冷改され吊り掛け車は姿を消した…と、このような歴史的経緯があったと記憶してますが、違っていればご指摘をお願い致します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。経緯はその通りです。最終的に当時の5000形とほぼ同じになりました。
小田急旧4000形は生まれる前に引退したので覚えはないけど、8~9歳(2010年~旧5000形引退直前)の時に乗った旧5000形+3000形の10両急行は加速がガクガクしてましたね。性能差かな~平成の小田急と言ったら旧5000形と平成後期~末期にVVVF化で変わった8000形でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画の時期以降、吊り掛けだった初代4000形は近代化により初代5000形とほぼ同じようになり、これらの車輛群で一大勢力となりましたが、それも過去の話ですね。
THE吊り掛け駆動って感じの音ですね🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本当によく唸りますよね!
良くこの音を録っていてくださいました!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時、小田急最後の吊り掛けだった4000形の更新(カルダン化、冷房化等)が始まっており、焦ってビデオ撮影した次第です。ただ、今にして思うと、もっといろいろな区間で記録に残しておけばよかった・・・と後悔しております。
1985年頃の大野車庫は2400形の巣窟でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。2400形って、ギュウ詰めの「後4両急行江ノ島行き」のイメージが強過ぎて、正直当時はあまり好きではなかったのですが、今思うと大型車が全盛となる前の、最後の小田急顔の車輛でしたね。
小田急が吊り掛け電車の処分が今難しいからと苦肉の策で吊り掛け車置き換え用として作った電車。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。小田急で1600形以前の旧型車が一斉に淘汰された時期のようですね。
「ザ昭和の車両」、小田急4000形といったら、ライバルは、京王5100形でしょうかね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうですね、小田急は2600形,4000形で「小田急顔」の大型車を確立しましたし、ほぼ同じ時期の京王の初代5000系はパノラミックウィンドウがカッコいいと子供の頃感じました。
平成中期以降の車両だとVVVF化で大きく変わった小田急8000形(1983年~今も現役、VVVF車は2003年~)ですね。ライバルは直角カルダンが当たり前だった相鉄の常識を大きく変えた10000系(2002年~現役)かな~
吊り掛け時代は運転室の色が薄い茶系でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに、あの薄い茶色(私はピンク色だと思っていました)は個性的でしたね。
はい、ピンクにも見えましたね。運転士に吊り掛けである事を明示し、『カルダン車とは運転方法が異なるのだぞ』と注意喚起していたのかもしれません。
懐かしく感じました。小田急というと、他の私鉄に比べると音が静かなイメージがあったので吊り掛けモーターを聞いて小さい時の頃を思い出しました。吊り掛け電車は路面電車をイメージするような、なんと言いますかローカルな雰囲気が醸し出していいと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。吊り掛け音は、仰るようにローカルな雰囲気、或いはノスタルジーを感じさせてくれて本当に癒されました。VVVFが出立ての頃は別の個性的な音を楽しめましたが、そのうち「静かになってしまい」残念です(笑)。
吊り掛け車がパイオニア台車はいてるという違和感もこの車両の魅力だった。
ご視聴、コメントありがとうございます。ディスクブレーキが、文字通り輝いてましたよね。
・・・井の頭線1800系みたいですね。 あ、当時は小田急系列でした!
自分はこの車両好きでなかったです。理由は車体は新しいのに何故か吊り掛け式で、そのサウンドも元国鉄63系改造1800形のような重厚でなく中途半端だったからです😅 ちなみに自分が好きだったのは2600形でフワフワのエアサスと特徴的な高周波カルダンサウンドで国鉄101、103系とは違う趣きありましたです🥰
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は子供の頃に、小田急初めての「大型車」である2600形は素直にカッコイイと思いましたが、姿が似ている4000形の方はそれほどでもありませんでした。4000形が好きになったのは大人になってからのことです。
小田急顔がいっぱいで懐かしい
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「小田急顔」は消えて久しいですが、8000形が全て引退すると「小田急色」もなくなってしまうのですよね・・・
現行の4000が地下鉄ヤ常磐線デ乗車世代交代の時期二なってしまったやっぱりこれのほうがイー
いつもご視聴、コメントありがとうございます。4000形や5000形と聞くと、私は今でもまず初代の方が頭に浮かびますね。
4M1Tは速いよね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。5両固定編成では小田原側のクハ以外は全て電動車で、たしかに加速に結構勢いがありましたね。
ステスクもボーノもない!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ほんと様変わりしましたね。ただ、私の脳内で再生される相模大野駅は、今でも動画の光景です。
8000系の寿命長すぎ、さらに10年程度使うとなると50年以上使うことに
いつもご視聴、コメントありがとうございます。長寿だった8000形も、さすがに廃車が進んでいますね。あと西武への移籍もあるようで。
1980年代の車体構造を甘く見過ぎ。1980年代の鋼製車の大半は、60年ぐらい使うことを見込んで作ってんだよ。これの理由は1950~1960の車両の短寿命だったことに由来して、これからの電車は半世紀使えるように設計しようと躍起になって開発されたのが8000形や国鉄201系、キハ183系とかの世代だよ。あの時代各社焦っていて、とにかく頑丈にしようと躍起になり過ぎて減価償却が難しいぐらいにまで頑丈になったから今困ってるという訳。
ワイ、関東の私鉄、知らんでまんねん、ワイは、関西の私鉄、してまんねん、阪急、阪神、近鉄、京阪。南海しか、知りまへん、関西は私鉄も、ええで、以上
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は阪急、近鉄、京阪は乗ったことありますが、そういえば阪神、南海はなかった気がします。ちなみに、京急は関東にありながら、関西の私鉄のような良さがありますよ。
電車通学だった小学校時代、毎日この電車で通学していました。この吊り掛けの音色が今でも記憶に強く残っています。当時からすごい吊り掛けファンでしたが、この電車のお陰で更にコアな旧形電車マニアになってしまいました。素敵な動画をありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
小学生で吊り掛けファンとは、なんと早熟な! 私が子供の頃は、吊り掛け(そんな言葉は知りませんでしたが)音の電車イコール、ボロい電車という認識で(笑)、吊り掛けの旧型車が大好きになったのは、二十歳を過ぎてからでした。
当チャンネルには、旧形電車,吊り掛け電車の動画が沢山ありますので、もし宜しければ一通り見ていってくださいませ。
小田急名物だった「土曜急行」。
4000x5が重連で運用されることが多かったように記憶しています。
貴重な動画をありがとうございます。
登録させていただきます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形は活躍期間が長きに亘ったので様々な運用がありましたが、「土曜急行」なるものがあったことは知りませんでした。別に、そのように銘打っていたわけではないと思いますので、単に時刻表で気付いていなかっただけかと思われますが。登録ありがとうございます!
幼少の頃、相模大野に住んでいてその当時を思い出しました。当時、当たり前のように走っていた車両を見ることができて懐かしさを感じました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
特別な車両なら意識しますが、当たり前のように走っている車両は、ある日気付くと既に引退していた、なんてことありますよね。小田急に関しても、もっといろいろ撮っておけば良かったという気持ちがあります。
乗務員室隣のルーバーが懐かしいです。吊り掛け車の音って不思議と郷愁をそそりますね。子供の頃は9000形やSE車それにNSE車ばかりに目がいってましたが、こうして振り返ってみるともっとよく観察しておけば良かったなぁと。大和駅や相模大野駅もそう言えばこんな感じだったと思い出しました。貴重な映像ありがとうございます。これからも貴重な映像、楽しみにしています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形のルーバーは印象的でしたが、考えてみると既に2400形にありましたね。4000形は関東の大手私鉄の中では吊り掛けで長年頑張っていた方だと思います。
自分は中学生の頃に大和で相鉄から乗り換えて藤沢などに行く時に時々4000形に当たりました。
新しい感じの車両で吊り掛けとか小学生の頃から見た相鉄2100系や3010系で慣れていましたが
いざ乗ってみると違和感があってとても面白い車両でした。
小田急4000形や相鉄2100系はVVVF化されずに引退しましたが相鉄3010系だけはVVVF化されて90年代後半まで生き残ったのは驚きました。
これは懐かしいです。
私は2000年生まれでこの車両の引退が2004年ですので、2001年~2004年にたくさん乗った記憶と思い出があります。
(広島生まれ、2001年より現在まで小田急江ノ島線沿線民です。)
2600形やこの旧4000形にはたくさん乗りましたが、2600形は5000形と同型のラインデリアなのに対し、この旧4000形は冷房化後2004年まで扇風機のままだったのを今でもハッキリ覚えています。
この動画の2:42に映っているように、運転室仕切りのところにも壁付け型扇風機があったんですね…(中間車の天井型扇風機はハッキリ覚えていますが、壁付け型は記憶にありませんでした)
私が乗ったときは冷房を使わない時期も扇風機カバーが取り付けられてないまま停止していましたが、この動画では扇風機カバーが付いているんですね。
ちなみに2600形の引退前のリバイバル塗装も1回乗ったことあります。あの当時はかなり印象的でした。
あと9000形もですね。今でも独特なチョッパ音だったのが印象的に覚えています。
あの当時は3000形がほんの僅かしか走っていなくて、たまに3000形が来ると「お!カッコいい!」とかドアチャイムやIGBT音とかにかなり喜んでいましたが(あの当時は3000形が一番好きでした)、今となっては3000形ばかり来るのが当たり前の光景ですね(今は8000形が一番好きです)。今考えたら、あの当時は2600形/旧4000形/9000形にたくさん乗れていたのはラッキーだったんだなと思っています。
そして、今は当たり前のような3000形も、私が50代くらいになった頃には良き思い出となるのでしょうね…。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
晩年の4000形や2600形,9000形に乗車されていたのは、ご幼少の頃のはずなのに、扇風機のことなどいろいろ細部まで記憶されていて感心いたしました。印象に残る電車は、世代によって異なりますので、歳を取って振り返ったとき、きっとその世代ならではの懐かしさの共有ができることでしょう。
初代4000形の貴重な映像とつり掛け駆動音素晴らしいです。自分の思い出は1800形との編成と4000形単独の3両編成の電車に乗った記憶があります。その他懐かしい電車の数々、小田急沿線民にとってお宝映像です!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私の子供時代の4000形は登場時のまま3両編成で走っていました。1800形は2両+2両で走っていたと記憶しています。その後、4000形と1800形の混合編成もできましたが、脱線が発生したことで解消されたようですね。
子供の頃吊り掛け駆動の音が怖かった記憶がよみがえる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形が走行していたのは吊り掛け音が既に珍しくなっていた時代ですので、小さい子にとってはあの唸り音が異様に聞こえたとしても無理もありませんね。
@@山本時代-w5m ウン、国鉄旧型電車の見た目と音は怖いイメージありましたし、蒸気機関車や電気機関車に… 未だよく夢に出て来ますし、かつて南武線の西国立駅の脇にあった機関区を初めて見た時は怖かったです😅
85年というと、夏休み、朝の“大秦野”行きがこれで、スイミングの行きの夏季講習で乗ってました!!
貴重な動画をありがとうございます。数日おきに見てしまいます。私は1980年代前半まで生田に住んでおり、2600形と4000形には特にお世話になりました。当時の小田急は車両のバラエティーが素晴らしく(営団6000や1800、荷電もいました)、踏切で飽きることなく電車を眺め続けたものでした。夕暮れの多摩丘陵にこだまする4000形の吊りかけ音が今も耳に沁みついていて、何とも感傷的な気分になります。自分の原点ですね。高性能化したての4000形試運転車を向ヶ丘遊園駅で見たときは「生き延びてよかったな!」と思ったものでした。もちろん吊りかけ時代が最高ですが、初代4000形が2004年頃まで生き延びることができたのは喜ばしい限りです(2400形に感謝ですね)。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
さらに繰り返し見ていただけているとは恐縮です。昭和50年代の小田急車輛は、仰るようにバラエティに富んでましたよね。更に10年ほど昔、私が小学生だった頃はもっと凄くて、1700,1800,1900,2100形の吊り掛け車と、2200~2400各形及び、大型2600,5000,9000形のカルダン車が入り乱れておりました。そんな中、4000形の存在(新しい車体なのに古い電車の音)が気になったため、鉄道に詳しい友達から車体更新なるものを教えてもらったものです。吊り掛け時代の4000形はこの動画の5連以外に3連+3連もおりました。既にご覧になっていると思いますが、もしまだでしたら以下もどうぞ。
ua-cam.com/video/SiL4OBAD4FI/v-deo.html
@@昭和電車チャンネル 4000形3連+3連動画のご紹介をありがとうございます。はい、こちらも拝見しておりました。当時の私は、4000形は5連を標準と認識しており、3連+3連は変則的な少数派のイメージを持っておりました(もともと3連が基本だったのはその後知りました)。1980年代初頭の生田で、4000形3連+3連の急行 新松田 行が力走していくのを見た記憶があります。つりかけ末期の80年代後半は3連+3連が残存していたように思います。4000形のつりかけ絶滅は確か1988年、2400形終焉は確か1989年。意図せずして昭和から平成へ切り替わる時期に昭和の小田急の引き立て役がレールを去った形になりました。
とても懐かしいです!この音子供の頃を思い出します!貴重なものをありがとうございます!
ご視聴、コメントありがとうございます。
子供の頃の音や匂いの記憶って、けっこう印象に残りますよね。私が幼少の頃の小田急は吊り掛け車の方が多かったので、吊り掛け音を特別とは感じませんでしたが、4000系が唯一残った頃に子供時代を過ごした方にとっては、この音は特別に印象に残るものなのでしょうね。
すごく貴重な記録ですね
冷房化が遅かった小田急ですが、85年でも、まだ非冷房車が居たんですね
この初代4000系って、乗ると「旧型国電」そのものの音なんですよね
私は1978年ごろ、この4000系にはよく乗りました、小田急小田原線各停用は4000か2600ばかりでした
大抵、東北沢で待避の為に長時間停車するので、夜のガラガラの車内の、あの「寂寥感」は忘れられないです
ご視聴、コメントありがとうございます。
濁りが無くて良く伸びる吊り掛け音でした。あと「夜の空いた電車の寂寥感」というのは、たしかに昔は小田急でもありましたね。
主さんの『吊り掛け愛』を感じる(笑)
この当時、あまりにも斬新なデザインとともに登場した8000形は衝撃でしたが昭和から平成をまたぎ令和となった現在、次々に廃車になっていってるみたいで時の流れは残酷だなぁ…と思いました。
とにかく電車も駅もすべてが平和で懐かしい映像を見る事ができました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに、各動画内の字幕で、事あるごとに「吊り掛け愛」を語っておりますので、ウザがられてるかもしれませんね(笑)。8000形は当時はけっこう新車だったのですがねぇ・・・それが廃車とは、ずいぶん時が経ったものです。
2:49に写っていますが4000系は非冷房の時は運転席後ろのドア窓はガラスではなく通風のため軽合金性の通風口の開いた板でした。そのため雨になると容赦無く雨が吹き込み車内にいてもぐしょ濡れでした。でもこの頃の小田急のスターは9000系であり、本当は小田急の顔としてデザインを受け継いでもらいたかったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形の通風窓?は特徴的でしたね。9000形の顔の造形は登場時、極めて斬新だったと思います。後年、JR含め各社で類似のデザインが拡がりましたので、やはり影響力を持っていたのだと思います。
吊りかけ4000形でトンネルを走行する時の吊りかけサウンドも大好きでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
なるほど、トンネル内での吊り掛けの響きは気になりますが、残念ながら当時撮影はできておりません。
この頃 江ノ島線管内で駅員のアルバイトをしておりました。
吊り掛け5両編成は、冬の出庫間際の車両は凄く寒くて手摺につかまるとキンキンに冷たかった(笑)
当時ビデオで撮影されてて羨ましいです。
そして現在 貴重な映像が見れて感謝です。
ありがとうございます_(..)_
ご視聴、コメントありがとうございます。
実際に体験された方でないと判らない、このようなお話は貴重ですね。私のビデオ撮影は今から見るといろいろ問題だらけですが、なんとか映像が残せたということで皆さまにはご勘弁を願っております。
子供の頃から吊り掛けサウンドが大好きで吊り掛け時代の4000系は良く乗りに行きました。懐かしい音と懐かしい風景を観れてあの頃の記憶が蘇りました。ありがとうございます。
2400系の廃車が開始されて4000系の冷房化と新性能化が開始された時は悲しかったです。
最初に改造されたのは4001、4002、4005、4010で運用を離脱して相模大野の電車区に留置されていたのを思い出しました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け4000形はやはり思い出深いのでしょうか、多くの方にご視聴いただいています。4000形の新性能化によって5000形とほとんど同じになり、個性が失われたのは電車好きとしては私も残念に思いました。それにしても、改造の順序、車番を良く憶えていらっしゃいますね。
この車両、幼稚園・小学校の時によく乗ってました!
あの当時は駆動方式による音の違いとか全くににせず乗っていましたが、今聞くと吊り掛け駆動でも良質な音だったんですね!
江ノ電とかもっと低速時に車体全体が振動するくらいの振動と音が全くない点驚きました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け音としては低音から高音まで「濁り」が無い感じで、聴いていてとても心地よいですよね。もっとも、私は低速時に「ビビり音」が酷いような吊り掛け車も大好きです(笑)。
京王民ですが、相模原線での小田急4000系と京王5000系(初代)の鬩ぎ合いは、今や懐かしい思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
永山~センター間の短い区間で、そんなことがあったのですね。どちらも時代を代表する名車ですので動画で見てみたいものです。(撮影映像はありそうですが、誰かアップしないかな。)
私にとって4000形と言えば初代の車両ですよね。私が中3のころ1986年の2月中旬に、高校受験の帰りに下北沢から各停に乗って玉川学園前に帰ったときはまだ吊り掛け音を響かせて降り始めの雪の中を4000形が走っていたのをよく覚えています。貴重な動画を有り難うございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
特定の日のことを鮮明に記憶されていますね!雪の中の吊り掛け音・・・良いですねぇ。4000形や5000形というと、私もやはり初代の方を思い浮かべてしまいますね(笑)。SE車を3000形とは呼んでいなかった為か、2代目3000形にはさすがに慣れましたが。
小田急の4000系吊り掛け式車両は旧型車両の足回りを流用して誕生した車両で、後に冷房化、平行カルダン駆動モーターになりました。吊り掛け式モーター音が懐かしい感じですね。🚃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大好きな吊り掛け音を記録に残したくて、当時我が家で導入したばかりだった8ミリビデオで撮影したのがこの映像です。東武や東急,名鉄などで一部残っていましたが、この当時、既に大手私鉄からは吊り掛け車がほとんど姿を消しておりました。
初代4000形を動画で残されていたとは流石です。1800形と同様のピンク色の運転室も懐かしいです。行路表も手書きの時代ですね。
最初に江ノ島線でこの電車を出迎えた時は、あの2600形の音を期待してわくわくしたのですが、なんと吊り掛け駆動音で子供心に騙された電車として落胆した記憶があります。
ともかく、動画での記録の発信ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そういえば淡いピンクでしたね! 映像の色が褪せていたせいか自分で動画編集していたのに気付きませんでした。私の子供の頃は旧型車淘汰の過渡期で、まだ吊り掛け車として1700,1800,1900,2100の各形が走っており、当時の私にとって、これらはボロい電車(笑)という認識、一方2600,4000,5000の各形はカッコいい電車という認識でしたが、4000形の音がなぜボロい電車と同じなのか?疑問でした。非常に詳しい友達が一人いて、旧型車の機械を使っているからだよと教えてもらったのですが、ますます??だった記憶があります(笑)。高性能化とか車体の更新とか、まるで知識が無かったので。
私の記憶する最古の記憶、新宿口で4000系3連+1800系2連の5輛編成ローカル、更に4000系3連を増結した8連の急行運用です。1800系との相性悪く、脱線が連続して混結は解消、その後編成組み替えを行い5輛編成になったと記憶しています(曖昧)。
流石に青黄ツートン旧色の記憶はありませんが、小田急車は裾絞りの拡幅車体、押し込みベンチレーター等、関東私鉄では他に類例を見ない優雅なデザインでした。乗務員扉次位の戸袋が窓ではなくフィルター式?のベンチレーターであった事も小田急車の特徴でしたね。
あと、スカートが無かった為に足下がスカスカでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は4000形+1800形の運用は残念ながら見たことがありません。(もし見てれば記憶に残ると思うので。)一方、4000形の3+3ははっきり憶えてますし、1800形はたしか2+2+2で急行運用していたような‥‥(間違っているかも)。4000形は当初スカートが無くて、5000形に比べてカッコ悪いなぁと子供の頃に感じたのを思い出しました。あと、車輪が二重みたいで面白い(当時はディスクブレーキと理解しておらず)とも思ってましたね。
当時小田急車両で一番好きな車両が4000系でした!
つり掛け駆動音、ディスクブレーキ、最高😃⤴️⤴️
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ディスクブレーキは印象的でしたよね! もちろん、吊り掛け音も最高でした!
映像当時は1歳でした…(汗)
ちなみに江ノ島線の某駅に在住していたため、幼少期よりロマンスカーともども一般型も大変馴染みがありました…
なんてったって一般型車輌は当時から車種が豊富でしたからね…😂
当時のラインナップは、最新鋭の8000形、千代田線にも出向いていた個性派9000形…
そして”小田急顔”と呼ばれていたグループは、当時最大両数を誇っていた(はず)5000形列や映像の旧4000形にN6こと2600形、2400形と片扉2200形の中型車…
旧4000形に関しては、旧型車からの機器を頂戴して吊り掛け駆動を唸らせて爆走していたのは、幼い頃なので微かに記憶がありますが、大型車輌でありながらも非冷房、角型ベンチレーターを備え付けて、運転席側のグリル窓等外観の特徴に関してはしっかりと記憶しております…
小田急の名物というか特徴とも言える異形式併結に関しては、当時4000形は一切行なわれず、同士で3+3の6連や5+3の8連、5+5の10連などがあった気がします…
また改良前の大和や大野の姿も映像で残して下さりありがとうございます…😊
これからも楽しみにしています…✋
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
書いていただいた当時の小田急車両の状況は、思い出深いですね。個人的には9000形が最も好きで、これが登場した頃、子供心にも今までにないカッコよさを感じました。あと4000形は、仰るように様々な編成の変遷があって面白かったですね。
懐かしいです。
沿線に住んでいたので良く乗りました。
4000形は冷房が無く、夏は地獄のような暑さだった覚えがあります。
余談ですが、千代田線直通の営団6000形も冷房が無く、車掌さんが「後から来る急行は冷房が付いていて涼しいです。」と案内した事がありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
冷房が当たり前の今の若い人には想像できないでしょうが、「冷房車」がまだ少なかった頃は、その有り難味が半端なかったですよね。
車体乗せ換え更新といえば 東武鉄道の7800系(ナナハチ)更新の5000系列が活躍してました。 そちらも釣掛け音が大きかったものでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
旧型車の機器流用,車体更新は、この頃は方々でありましたよね。
とても貴重な動画ですね 昔を思い出しました ありがとうございます
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたのなら、こちらとしても嬉しいです。
感動モンです、ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この4000系が一番好きでした‼️😆
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私も、4000形は3両(スカート無し、冷房無し)で走っていた頃から好きでした!
東武線5050系も車体は新しいのに吊り掛けだったなぁ。カルダン化されずに廃車になった。
吊り掛けの唸り声は幼い時は怖かった。怒ったお爺さんの声やモーターサイレンの音に聞こえた。
鉄道マニアになった今は乗り鉄をして、吊り掛け車両を追いかけている。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け音は「唸り」と表現されることからも、幼い子にはたしかに怖く聞こえるのかもしれませんね。
1985(昭和60)年ですと8ミリ規格のビデオレコーダーが登場した頃で、従来品よりかはマシになりましたがまだまだ重くかさばっていました。浅野温子さんのThis is パスポートサイズはおまけ映像の頃でしたね。おまけ映像での1990年ですと既に1000形が登場していましたが、初めて遭遇した時その起動減速音の近未来さに驚きました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
よくご存知でその通りです。'85~'88年頃までは、8ミリビデオ初代機を使用していました。とにかくデカくて重かった(バッテリーも!)ですが、カメラとレコーダーが一体化されて当時としてはコンパクト(笑)と認識されていたようです。'89年からは、もう少し小さくて軽い機種(パスポートサイズ機よりはだいぶデカい)で撮影しました。
懐かしくて泣きそうです。
小学生の頃4000系を僕らの仲間内ではギザって言ってました。正面の横にギザギザがついてたからです。
この頃、トランプラリーをやった記憶があります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
旧4000形は、吊り掛けやディスクブレーキ以外にもいろいろと特徴があったと思います。「ギザ」と呼んでいたそうですが、あのベンチレータ、大変目立っていましたよね。
昭和60年当時神奈川県内に住んでいて小田急のこの型の電車によく乗りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時は4000形を含め、似たような車輛(いわゆる小田急顔)がいろいろ走っていました。
吊りかけ駆動音も同じ4,000形でも個体によって違い、音の大きい小さいが合って加速していくと♪「キリキリキリ…」と苦しそうな?共鳴音?が加わる車両もありました。
4,000形と1,800形の連結が懐かしいです。まだ新百合がない時代で百合ヶ丘と柿生の間で脱線事故がありました。私が高校生の頃です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形吊り掛け音の個体差までは私は認識できていませんでしたが、まあ種車が複数あったので、それはありそうですよね。4000形と1800形の連結列車は凄かったですが、残念な結果に・・・
急行で運用の場合は単独で新宿から5両編成でした。3両固定は2本つなげて6両各停とかだった、最終的に江ノ島線運用が殆どで、本厚木にはめったに来なくなっていました。60周年パスで最初の1本目が急行小田原行だったのは思い出深いです。1両も残らなかったのは残念です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに江ノ島線での各停運用がメインになっていきましたね。吊り掛け音を唸らせながら飛ばす急行運用に、私はあまり乗る機会がなかったのですが、今となってはそれが悔やまれます。
ここにも旧4000形のつりかけ車の動画があったのは意外でした!多摩線で使うことはまずなかったでしょうね(唐木田開業前の多摩線は3・5両単独がなかったため)。これは各駅停車町田行きで片瀬江ノ島か藤沢発です。江ノ島線でも5・6両で各駅停車(新宿発着を含む)に使用してたようです。ドアステッカもまだ青の「ひらくドアにご注意」じゃないですね。この旧4000形はあばれはっちゃくにも出てきました(音だけのシーンあり)。
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね、初代4000形はこの頃、江ノ島線の各停によく使用されていた記憶があります。ドアステッカーが違うことには気付きませんでした。
@@昭和電車チャンネル
昔は江ノ島線の各駅停車はほとんど町田行きでしたね。
大野の引上線がなかったのと、横浜線への乗り換えや小田急百貨店への送客を考慮していたのでしょうね。
小田急の旧型車、実は結構性能が良かったという証拠がメーターの動きで分かります。
当時、山手線西側に行く私鉄ほど吊掛車が残っており、特に京王と小田急は西武同様、ニセ高性能車と呼ばれた車両(京王5070系(後の5100系初期車)、西武451系〜571系、そして小田急4000形初代)が存在しました。
小田急4000形は逼迫する通勤需要のため、新型車製造では間に合わないということで、旧型車の部品を活用し車体を大型化する目的で製造された形式です。同じく急増する通勤需要を抱えた西武も、製造コスト抑制、機器標準化、車両大型化大量増備の一環から、戦災国電の機器を使い安く製造した西武赤電が登場しています。
4000形の製造時期は西武の後ということで、大型化に支障のある台車は使いませんでしたが、ここで新調したパイオニアⅢ台車が原因とされる1800形混結時における度重なる脱線事故から、それまで4000形3両+1800形2両とされていた5両編成運用の代用として出来たのが、実は5両固定時に登場したデハ4200、4300で、これらの機器はそれまで譲渡予定だったABF車の1600形や1900形などのものを採用しています。そのため、この時期に小田急から譲渡された車両は木造国電の機器や譲渡先私鉄の機器を使用した例などがありました。
映像では途中、相模大野駅の江ノ島線乗り越し部分から大野検車区に多数停留する2400形が見えますが、実はこの2400形こそ4000形高性能化工事でモーターを提供した車両で、この2形式が後に組み合わさるとは当時は予想出来なかったと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
このような長いコメントも大歓迎です。内容も専門的で読み応えがありました。小田急と西武の当時の背景も、なるほどと思いました。あと、4000形+1800形の脱線事故の余波が、小田急車輛が譲渡された地方私鉄にまで及んでいたというのは興味深いですね。2400形は狭くて混んでいる(特に先頭車は車両長が短いので)印象で、当時は好きではありませんでしたが、今考えると、2600形以降一大勢力となった「小田急顔」を決定付けた車輛だった気がします。
江ノ島線の上り列車が藤沢本町〜善行〜六会と登ってゆくとき高らかに奏でる吊り掛け音、忘れられません
運転台直後で観察していましたが、85kphは出していた記憶があります
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
まさに仰る区間の「吊り掛け前面展望」は下記の別動画にしております。もしまだでしたらご覧ください。
ua-cam.com/video/SiL4OBAD4FI/v-deo.html
車両も懐かしいが相模大野駅(改良前)も懐かしい。ビルが少ない😓
ご視聴、コメントありがとうございます。
私にとっての相模大野駅のイメージは今でも動画の時代のままなので、ときどきに通る度に「ああ、変わってたんだっけ」と改めて気づく始末です(笑)。
1985年ですと、初代4000形が東急車輛(現・J-TREC横浜)で高性能化更新工事が始まった年でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうです! 高性能化されると、4000形の「特長」(笑)だった吊り掛け音が聴けなくなるので、慌ててビデオ撮影に出かけた次第です。
小田急で4000系懐かしい何と言ってもモーターの音が懐かしい形式わからないけれどよく通勤で小田急利用していた時たまたま小田急の4000系乗り合わせする時偶然だったそれからしばらくたって4000系が入線して来たまずモーターの音が昔の様な音ではなくごく普通のモーターに変わっていた。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
戦前,戦後の吊り掛け駆動車輛が淘汰されていき、そのモータを流用し車体を新造したのが4000形だったわけですが、時代が下ると、5000形など他の車輛と同様な性能に改造されました。その際に吊り掛けモータからカルダンに変更され、仰るように吊り掛け独特の音がなくなってしまいました。
この音は微かに覚えています。幼少ながら不思議な音だな~と。
江ノ電に沢山走ってましたが、吊り掛け駆動とは知ったのは相当先です。(笑)
当時小田急60周年??で発売された記念乗車券??とテープに、4000形の吊り掛けサウンドが収録されていて、よく聴いてました。
こちらの印象の方が強いです。
ながーい私事を失礼しました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
小田急では4000形が最後の吊り掛けでしたが、音の違いに気付けるのは少数派でしょうね。私も子供の頃に似た経験があり、東海道線で80系に乗る際、スピードと共にピッチが上がる不思議な音が面白くて「ウモモ」電車と勝手に呼んでいました(笑)。テープ付きの記念乗車券?なるものがあったのですね。知りませんでした。
こういうアコモ改造車両?は国鉄を始め私鉄で各社にもありましたが最強は相鉄2100系ですかね。
昭和53年まで残っていて当時自分は小学生低学年で家の近くを相鉄線が通っていて学校が終わるとよく電車を見に行ってました。
ガンダムのザクみたいな色の新旧6000系より新しくて冷房、パワーウィンドー付きで銀色に輝く最新鋭のアルミ車両から
昔の古い吊り掛け音が聞こえるのは今思うと物凄く違和感がありましたね。
近所に相鉄で通勤する叔父が住んでいますが話を聞いたら新しい電車でボロい電車の音がするとか何だあれはと言ってたのを覚えています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
相鉄2100系の波乱の経歴は「臨時快速準特急」チャンネルさんの動画で超詳しく解説されていますね。
@@昭和電車チャンネル それは面白そうですね。後で探して見てみます。
その後4000系はカルダン駆動への足回り更新改造を受けて、冷改され吊り掛け車は姿を消した…
と、このような歴史的経緯があったと記憶してますが、違っていればご指摘をお願い致します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
経緯はその通りです。最終的に当時の5000形とほぼ同じになりました。
小田急旧4000形は生まれる前に引退したので覚えはないけど、8~9歳(2010年~旧5000形引退直前)の時に乗った旧5000形+3000形の10両急行は加速がガクガクしてましたね。
性能差かな~
平成の小田急と言ったら旧5000形と平成後期~末期にVVVF化で変わった8000形でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画の時期以降、吊り掛けだった初代4000形は近代化により初代5000形とほぼ同じようになり、これらの車輛群で一大勢力となりましたが、それも過去の話ですね。
THE吊り掛け駆動って感じの音ですね🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本当によく唸りますよね!
良くこの音を録っていてくださいました!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時、小田急最後の吊り掛けだった4000形の更新(カルダン化、冷房化等)が始まっており、焦ってビデオ撮影した次第です。ただ、今にして思うと、もっといろいろな区間で記録に残しておけばよかった・・・と後悔しております。
1985年頃の大野車庫は2400形の巣窟でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
2400形って、ギュウ詰めの「後4両急行江ノ島行き」のイメージが強過ぎて、正直当時はあまり好きではなかったのですが、今思うと大型車が全盛となる前の、最後の小田急顔の車輛でしたね。
小田急が吊り掛け電車の処分が今難しいからと苦肉の策で吊り掛け車置き換え用として作った電車。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
小田急で1600形以前の旧型車が一斉に淘汰された時期のようですね。
「ザ昭和の車両」、小田急4000形といったら、ライバルは、京王5100形でしょうかね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね、小田急は2600形,4000形で「小田急顔」の大型車を確立しましたし、ほぼ同じ時期の京王の初代5000系はパノラミックウィンドウがカッコいいと子供の頃感じました。
平成中期以降の車両だとVVVF化で大きく変わった小田急8000形(1983年~今も現役、VVVF車は2003年~)ですね。
ライバルは直角カルダンが当たり前だった相鉄の常識を大きく変えた10000系(2002年~現役)かな~
吊り掛け時代は運転室の色が薄い茶系でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに、あの薄い茶色(私はピンク色だと思っていました)は個性的でしたね。
はい、ピンクにも見えましたね。
運転士に吊り掛けである事を明示し、『カルダン車とは運転方法が異なるのだぞ』と注意喚起していたのかもしれません。
懐かしく感じました。小田急というと、他の私鉄に比べると音が静かなイメージがあったので吊り掛けモーターを聞いて小さい時の頃を思い出しました。
吊り掛け電車は路面電車をイメージするような、なんと言いますかローカルな雰囲気が醸し出していいと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
吊り掛け音は、仰るようにローカルな雰囲気、或いはノスタルジーを感じさせてくれて本当に癒されました。VVVFが出立ての頃は別の個性的な音を楽しめましたが、そのうち「静かになってしまい」残念です(笑)。
吊り掛け車がパイオニア台車はいてるという違和感もこの車両の魅力だった。
ご視聴、コメントありがとうございます。
ディスクブレーキが、文字通り輝いてましたよね。
・・・井の頭線1800系みたいですね。 あ、当時は小田急系列でした!
自分はこの車両好きでなかったです。理由は車体は新しいのに何故か吊り掛け式で、そのサウンドも元国鉄63系改造1800形のような重厚でなく中途半端だったからです😅 ちなみに自分が好きだったのは2600形でフワフワのエアサスと特徴的な高周波カルダンサウンドで国鉄101、103系とは違う趣きありましたです🥰
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は子供の頃に、小田急初めての「大型車」である2600形は素直にカッコイイと思いましたが、姿が似ている4000形の方はそれほどでもありませんでした。4000形が好きになったのは大人になってからのことです。
小田急顔がいっぱいで懐かしい
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「小田急顔」は消えて久しいですが、8000形が全て引退すると「小田急色」もなくなってしまうのですよね・・・
現行の4000が地下鉄ヤ常磐線デ乗車
世代交代の時期二なってしまった
やっぱりこれのほうがイー
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
4000形や5000形と聞くと、私は今でもまず初代の方が頭に浮かびますね。
4M1Tは速いよね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
5両固定編成では小田原側のクハ以外は全て電動車で、たしかに加速に結構勢いがありましたね。
ステスクもボーノもない!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ほんと様変わりしましたね。ただ、私の脳内で再生される相模大野駅は、今でも動画の光景です。
8000系の寿命長すぎ、さらに10年程度使うとなると50年以上使うことに
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
長寿だった8000形も、さすがに廃車が進んでいますね。あと西武への移籍もあるようで。
1980年代の車体構造を甘く見過ぎ。1980年代の鋼製車の大半は、60年ぐらい使うことを見込んで作ってんだよ。これの理由は1950~1960の車両の短寿命だったことに由来して、これからの電車は半世紀使えるように設計しようと躍起になって開発されたのが8000形や国鉄201系、キハ183系とかの世代だよ。あの時代各社焦っていて、とにかく頑丈にしようと躍起になり過ぎて減価償却が難しいぐらいにまで頑丈になったから今困ってるという訳。
ワイ、関東の私鉄、知らんでまんねん、ワイは、関西の私鉄、してまんねん、阪急、阪神、近鉄、京阪。南海しか、知りまへん、関西は私鉄も、ええで、以上
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は阪急、近鉄、京阪は乗ったことありますが、そういえば阪神、南海はなかった気がします。ちなみに、京急は関東にありながら、関西の私鉄のような良さがありますよ。