大坂夏の陣 豊臣の滅亡
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- Опубліковано 7 лют 2025
- #どうする家康 #歴史解説 #ドラマ解説
※概要
大坂冬の陣に続いて、夏の陣が起こったのはどうしてか? 野戦となった大坂夏の陣の様子と、燃え盛る大坂城の山里丸で自刃した、秀頼や茶々たちの最期について、お話しています。例によって真田信繁の活躍多めになっておりますが、ご寛恕くださいw
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
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カッチョはいいんですよ。
すごく好きな言葉です❤️
軍記物が格好良くて楽しいのは、時間が過ぎて、リアルではないから。
確かにその通りだなと思いました。
本当、ためになりました。
ドラマで娘を思う江さんがかわいそうで😢
秀忠さんも江さんに寄り添っておられたシーンが、またかわいそうで。
千姫は、助かると知ってますが、子供を思う親の気持ちにウルウルしてしまいます😢
秀頼の決意に泣けました〜〜
江の気持ちになっても泣けましたー😭
徳川家にとって不吉な妖刀村正の村っていう説が個人的には好きです!
九度村の「村」がたまたま入ってしまった真田丸の描写はおもしろかったですね
茶々の心情の推移に引き込まれた。家康からの書状で、我々で乱世を終わらせよう、自分は乱世の生き残りを引き連れて滅ぶが、秀頼は生き延びさせることが母の役目だと述べる説得力のある内容に、一度は納得した彼女だが、最後に秀頼に決断を問うと彼は決戦と答える。この時の彼女の心情は、ある種達観だと思う。今まで全て自分に従って来た息子が初めて下した決断、たとえその結果豊臣が滅びても良しとする、勝敗を度外視した母としての思い、体面や威信よりはるかに上位にある息子への信頼と、彼と共に最期まで向かうという運命共同体的心構えの境地に達しているように思った。秀頼の言葉を聞き涙にくれる茶々の心中は、滅びの美学的な爽やかな風が吹き抜けているような潔さがあると感じた。
そのような解釈もあるのですね。
これは結局、母である茶々の支配力から逃れられなかった秀頼の幼さでしょうね。
自分で決断したように演じられているけど、私には、茶々からその方向に追い込まれてけしかけられているようにしか見えませんでした。
戦を決意した秀頼を見て、薄ら笑いを浮かべた茶々の表情がそれを物語っているように思います。茶々のラスボス感は、大河ドラマの大詰めまで広がっています。
一方、家康にとっては、秀頼含めて乱世にかぶれている登場人物を全部滅ぼして、江戸幕府を打ち立てたという落としどころで、この大河ドラマも上手くまとめられたと思います。
@@akikawa2540 さん このドラマでは茶々はラスボス的に描写されていますが、私は以前からなぜ茶々はこの戦を最期まで突き進んでいったのかに疑問を持っていました。豊臣むしろ織田、浅井家の意地であっても、最愛の息子まで道連れにしたのが不思議です。自分だけならいざ知らず、将来のある息子をです。自分も息子を持っているので分かりますが、息子の幸せを望まない親はいません。たとえどんな理由があろうとも。だからこそ、今回のようなある意味、秀頼の決断と考えれば途中で降りられなかったわけも納得できます。もちろん史実は不明ですが、一人の母親として今回の解釈はすんなりと腑に落ちました。
素晴らしいコメント!私も同感です👍
北川景子さんの演技が本当に素晴らしかった!実際は手紙を読んでいないのに表情を巧みに変化させる北川景子さんの心情表現に女優としての覚悟も感じた良い回でした!感動しました!
@@kiyotoryomasaki さん 共感下さり、嬉しいです。
@@kiyotoryomasaki
私も同感です。
北川景子さんはかつて、民放のドラマ「家売るオンナ」でドライで押しの強い不動産業者を演じていました。
今回の大河ドラマでは、茶々の演技の一つ一つの仕草に、その頃のパワフルさを想起させるラスボス感がありますね。
非常に幅の広い女優さんだと私も思います。
同じご意見のようで、好評価差し上げます。
「どうする家康」当初は軽佻な雰囲気がして見くびっていましたが、蓋を開けてみれば凄い説得力のある脚本。
歴代大河ドラマの秀頼像の中で、このたびの秀頼が一番好きです。素晴らしいダークな滅びへ向かう大団円‼
やはり貴方は、最近のマイルドな大河ドラマがお好きな世代なのでしょうね。
私は、滝田栄主演の大河ドラマ「徳川家康」も視聴したことがあります。
淀殿と秀頼とをどのような人物として描くか、それぞれドラマとしての演出には違いが見て取れ興味深いです。
●「徳川家康」
・淀殿(夏目雅子) 豊臣と徳川の折り合いを図る苦悩や秀頼を思う母の愛に満ち溢れた凛とした健気な女性
・秀頼(利重剛) 大坂冬の陣で砲撃に腰を抜かすものの、当初から関東(徳川)を敵視し、徹頭徹尾不屈のイケイケの武将
●「どうする家康」
・淀殿(北川景子) 当初から家康に対して憎しみや復讐に満ち、登場したときからずっとイケイケのラスボス
・秀頼(作間龍斗) 最初は話す言葉も軽さが見られたが、茶々や大坂のオーラを身に受けそれを自分事として覚悟し後半はイケイケの武将
受け止め方は少し違うかもしれませんが、今回の秀頼は、やはり現代風のドラマとして若者の共感を集めやすいでしょうね。
家康のストーリーもそうですが、最初っからの徹頭徹尾のイケイケや完成品を見せられるよりも、最初は目立たないひ弱な存在から徐々に存在感を増していく演出が一つのポイントですね。そして、家康が砲撃時に涙を流していたように、存在感を出すまでに成長した状況でも涙で情感を表すというのも、現代風のマイルドなドラマで見られる傾向です。一方、大河ドラマ「徳川家康」では大物が感極まって涙を流す場面自体が極めて少ないため、情や共感というよりも冷徹さや条理の恐さの方が前面に出ているような感じでしたね。やはり、大河ドラマも時代時代に応じて変化しうるものだと感じます。
納得できるご意見のようで、好評価差し上げます。
@@akikawa2540氏へ
「マイルド」という表現には「?」なので、あなた様とはたぶんマイルドの意味が違う文化に育ったのでしょう。
また、世代という御指摘にも「?」です。私は1966年生まれで、大河ドラマは「新平家物語」からずっと観ておりました。
私が気に入っている大河ドラマは平将門を主人公とした「風と雲と虹と」や架空の會津武士のアウトローな人生を描いた「獅子の時代」ですね。共通するのは反逆の物語です。
あと「信長」も好きでした。これは大河全般の主人公に言える事ですが、善人になってしまう傾向が強いのに、この緒形直人氏が演じる信長は佳境で世界侵略の野望を見せるあたりが気に入っています。
そういう意味では瀧田栄氏の「徳川家康」は観ていてかなりイライラしました。家康がこんな現実離れした善人のはずないやろ!という憤懣です。
大河の醍醐味は作品によって同じ武将でも描き方が大きく異なる所にあるので、憤懣は抱いても「仕方が無いか」という感想でした。
私自身は幼少の頃から時代劇特有のメイクや演出が大嫌いで、リアルなメイクや脚本を望む少年でして、積極的にNHKに投書をしておりました。なので私からすると、屈折50年かけて動かした!というイメージなんですね。もちろん、私以外にも同様の事を考える人々が大勢いて同様の意見を並べていたのでしょうけど。
@@seiudomichael3828
なるほど、時代劇特有のメイクや演出が大嫌いでリアルなメイクや脚本を望むということは、大河ドラマというよりも信長公記や甲陽軍鑑など正史もの好きということですね。私は演出家がどのような世界観や歴史観を主張するかという点で個性のある演出が好きですね。歴史は楽しく見てこそだから、演出の幅のある大河ドラマは非常に面白いですね。話のネタにもなりますし。
そういう意味で、貴方ほどは、大河ドラマに好き嫌いは無い方だと思います。
@@akikawa2540 氏へ
時代劇の楽しみ方、歴史の楽しみ方は十人十色という事です。
「世代」云々で括るのは見当が違うという点を御理解いただけたのなら、これにて話は終わりです。あなた様の楽しみ方は「醍醐味」であるとは認めてはおりますので、ただ私の性には全く合わず不快というだけの話です。
ではサヨウナラ。
@@seiudomichael3828
貴方の仰る通りですね。貴方の意外な一面を見れて非常に有意義でした。
おまけの軍記物への思いは自分も同感です
そして安定のくぅさんでした
いつもおまけが好き❤️
今回の47話が一番泣きました😢茶々は自分が命懸けで守った千姫を、だいじないか🌿と抱き締めた時、泣いてしまいました。茶々だって戦乱の世で苦しみ、恐怖等なければ、慈悲深い女性だったのかなと思いました。本当、戦、戦争は絶対しては駄目だと改めて学べる回でした🍀🍀
千姫を命懸けで守り気遣った点は、私の中では今一つ解釈の定まらないところです。
・仮説1:貴方のお考えのように、慈悲による行為
これも一つの方向性ですが、本当に慈悲があるなら、関ヶ原で徳川が力を得た後、息子の秀頼を危険に晒してまで徳川と対立、
戦争することを考えるだろうか?という疑問が残ります。幸い、家康からは身柄を安堵するような提案もあったことですし、
本当に慈悲があるなら、それを反故にすることは考えにくいのではと思います。
・仮説2:千姫が死んだら、徳川方の人質がいなくなって交渉のカードを失うという打算的な思いによる行為
乱世のラスボス感が半端ない茶々ならこのくらいのことは想定できるはず。大坂方の将兵を鼓舞することに躊躇していた
千姫を見ていた限りでは、まだこの時点で茶々は千姫を心の底からは信用していない。
これも一つの方向性ですが、ただこのストーリーは、現代受けするマイルドな「どうする家康」の作風とは相容れない要素
であり、現代の若者視聴者に見せると大いに引かれてしまう危険性あり。
上記の2つの仮説とも、決め手に欠けているように思われるのですが、もしご意見が有りましたら、お聞かせいただければ幸いです。
貴方と同様、私も、今回の大河ドラマの中で、茶々の言動は大いに興味や好奇心を掻き立てられます。
面倒臭い!ぐだぐだ。あくまでも大河ドラマ家康の中の、茶々だよ😮💨あなた誰?きりゅうさん?じゃないよね、どうせぐだぐだネチネチ横やり、入れて来るなら、もっと専門家、や有名な人に攻め立てろ、真実なんか誰も会ってないから、知らねえわ😑二度と横やり入れるな。どうせ深く知らねえよ、歴史の楽しみ方は人それぞれ。議論したくてドラマ見てねえわ💥
@@akikawa2540あんたに、たいしての返信コメント書いたからね、二度と横やり入れてくるな。コメ欄見て下さい、迷惑
『真田丸』で「我こそは〜!真田左衛門佐幸村ー!」って、魅せ場としてあえて言った?的な台詞ありましたねー。
今回も解説ありがとうございます。
「戦場の霧」とはよく申しますが、本当に霧で勝敗に影響するほどの支障が出るのも珍しいお話ですね。しかし「真田」と「遅れ」というワードには何か歴史の偶然や皮肉を感じる…のは浪漫が過ぎるでしょうか。
「ものの見方」と言う考え方、とても大事だと思います。基本的に徳川視点の今作ですが、相手方の視点も大事にしているところが良いと思っています。
「歴史の解釈は視点や見方で変わる」はとても興味深かったです😊
講談の「真田三代記」は確かに面白いですね。落語「真田小僧」では信繁は薩摩に逃げ延びたことになってますね。(笑)もしかすると秀頼や茶々も一緒だったかも?ですね(笑)
いつも、楽しく3人の会話を聞いてます。どうする家康の解説もためになりました。歴史(軍記物)はロマンチックな方が好まれるって、気持ちは分かるけど、ある意味怖いですよね、史実はどうか分からないから…。これからも色々教えて下さい。
3:43の秀頼くんの写真はネットニュースにもよく使われていますが、どうしても風見しんごさんに見えてしまうのはわたしだけでしょうね…
牢人たちの中にキリシタンが多かったっていうのは、「真田丸」のときにもミサを行っていたシーンがあったのでなんとなく覚えてましたが、そういう理由があったんですね~ もう今回の大坂の陣は「真田丸」と比べて楽しんでます(まさに豊臣方と徳川方からの視点で見れるので)
17:43 このおまけの解説と本題の大坂の陣に関係すると言えばしますが、徳川方でもある黒田長政が描かせた大坂夏の陣図屏風に、大坂の庶民が京に向かって逃げてるところを襲う徳川方の雑兵らもちゃんと描き込んでて、一応勝った側でもこういうことはあったと記録はしてて興味深いと思いました。
いよいよ最終回ですね。
家康が鯛のてんぷらを食べるシーンはあるのか
天海は誰が演じるのかが気になってしまいます。
それにしても、豊臣滅亡は残念ですね。
私が秀頼なら、大和郡山に入って
金魚の養殖で藩の財政を支えます、(笑)。
伊勢はダメですか?w
伊勢ならば、伊勢エビの養殖をします(笑)
時代に飲まれて、純朴な青年が変わらざるをえず、悲しみを背負いながら果てていく
というのは、昨年の北条義時と重なるものがありますね。
次回予告を見る限り、義時と違って、死後の家臣たちとの再会という救いが用意されてるようにも見えますが
1人の人間の人生を1年かけて見ていくという大河ドラマの醍醐味を感じられるこの2年間でした
へ〜❗️毛利吉政って言うんですね‼️
てっきり毛利勝永だと思い込んでました。
まぁ幸村も含めて、当時の人にとっては諱だから、聴く機会も少ないので、幸村とか勝永とか、名付けやすかったんでしょうね〜。
とは言え「幸村」と名付けた誰かさんは、なかなかなネーミングセンスですね👍
くぅ、今回は最後まで視聴すると最終回のドキドキが減っちゃう気がしたので動画途中まで観て断念しました😂
歴史音痴で戦の詳細知らないので最終回を楽しみに、それが終わってからまた視聴させていただきます✨
あー、来週終わっちゃうー😭
昨日本編前に感謝祭の放送を観てマツケンや松潤のコメントにほんと感慨深くなりました。もしまだ観ておられなければ見逃し配信で観てみてください〜✨
古沢さんの記事の中に、撮影を終えた松潤が家康を可哀想な人ですね、と言っていたとありましたが、昨日の放送を観て本当にそうだなと思いました。予告で悲痛な表情の千姫に胸ぐら掴まれてたし😭家臣団が集結している場面があることがせめてもの救い😭
真田丸の三谷幸喜さんの解釈では本名を隠すために偽名をつくるときに村の字が入ったみたいな感じでしたね。
関ヶ原牢人にキリシタンが多かったのは初めて知りました!
戦はリアルだったら嫌なもの、軍着物はリアルじゃないから楽しめる、今起こっている戦争も何百年かしたらドラマチックにされているかも…確かになあと思ってうなづきながら聞いてました。
歴史に楽しく関わっていくためのきりゅうさんの考え方、毎回とても好きです。最終回後、生配信なんかしますでしょうか?もし、もし!あるのでしたらオンデマンドの配信勢なので22時からやっていただきたいです〜!何卒〜!!😂
ドラマの真田丸の時は、夏の陣は無謀としか思えなかったけど
今回の家康さんの言った、戦国武士を全員連れていくってセリフは
豊臣側の牢人も、この先、居場所ねえな~と感じて、なら最後に一花咲かせて消えるかって感じで家康さんに全乗っかりに見えて
解釈次第で、見え方が全然違いますな
家康さんからすると夏の陣はある種の儀式で、豊臣側からすると結果がどうであり殺りあわないと気が済まない、みたいな
・・・おい!徳川四天王!さっさとくたばりやがって!今こそ主の傍にいなきゃいけなかったじゃなかったのかい!
ドラマの茶々は戦国の世において運命に翻弄されるのではなく、自分で選択して天下人の女になったのに、最後は息子の「戦いたい」という意思に抗えない様が人間らしくて良かったです!幸村の村は、姉の村松殿から取ったという説が好きですねー。
『花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたる鹿児島へ〜♪』
とかいう歌が後に民衆の中で流行ったとか…
鹿児島?に『左衛門』と彫られた石碑があって幸村の墓だとする伝承があると聞いた事があります。
『真田幸村』という名前は各字の形や画数とかバランスが良くて見た目も響きも美しく、それでいて大坂の陣での華々しい大活躍、その後、敵方の武将に妻や子供たちが匿われて大事にされたり、人柄もきっと良かったこともうかがえるので、やっぱり私はこの時代の真田ファミリーや真田幸村(信繁)は大好きです😃
面白かったです。講談聴いているみたいで。
牢人を城から追い出さなかった秀頼は愚かにも思えますが、下剋上による身分上昇という過去100年の乱世の夢に最後まで掛けてみたかった牢人たちと、そんな彼らに秀頼も思いを致してみたかったなかもなと先日の大河を見て感じました。
現代で言えば、いきなり受験競争や資格取得による立身出世が封じられて大量の受験浪人就職浪人が溢れかえるような状況みたいなものだったのかも。
城内に牢人がめちゃいる状況で今更「そなたの思うとおりに生きよ」っていわれてもさぁ。いままで散々豊臣がまことの天下人なのじゃってそだてられて。「戦って滅ぶ」しか選択肢ないよなぁって思いました。
秀頼君役の作間君推しなんですけど、なんか今回ゴリラに見えた。父さんはサルで息子はゴリラか?
いや作間君かっこよくて押しなんだけど。作間君素敵なんだけど。なんでゴリラにみえたんだろ。
豊臣秀頼、生存説からの天草四郎時貞が秀頼の子供と言われている説につながるのか
冬の陣・夏の陣は当時の暦によって江戸時代につけられましたよ
誰が言ったか忘れましたが江戸時代に講談で凄く流行ってて徳川を苦しめた真田信繁の名を出すとお上に目を付けられるからフィクションの人物として真田幸村にしたと聞いた様な気がします。
「村」というのは、多分ですが、“ムラがる ”を語源にしていると思われ、「幸いがムラがる 」→「幸村」だったんじゃないでしょうか。苦労続きだった真田家代々の「幸」の総決算で挑んだ夏の陣だったのかも。
真田丸では大介にくじ引きさせてましたけど😂😂😂
真田の戦った茶臼山ってじゃりん子チエのイメージが強い地名だなぁ。
アントニオ出て来そう。
茶臼山でドンコ釣り~w
夏の陣❗最近の説まで、歴史の見方の話も面白く聞かせてもらいました❗今年の大河は結構地元の信濃ゆかりの武将が真田信繁とか、沢山活躍していたので、地元の歴史って知らないこと多いなぁと自分でも『戦国 小笠原三代』て本を借りて読んでみましたよ❗そしたら信玄と塩尻峠で戦って信濃守護から終われた長時、その子の貞慶は、家康から秀吉に主家乗りかえたりして、石川数正の出奔にかかわってるし、波乱万丈で本領松本に戻ろうとした執念すごいなと読んでたら、松本城に石川二代で改易された後に入った孫の秀政さんは、信康と五徳姫の娘さん登久姫と結婚してるし、挙げ句の果てに、秀政、大阪夏の陣で討死してました😢長男さんも。松本城城主夏の陣でお討死😅、信濃の民として全く知りませんでした。こんなに地元の歴史と中央の歴史結びつくとはビックリです。真田も本田も伝説すごいけど、大河には描ききれない、まだまだ無名の武将の苦労話もありそうですね。
『逃げ上手の若君』登場人物、小笠原ギョロ眼の貞宗さんから自分は小笠原氏ブームですが、子孫も有職故実を武器に繁栄してました。
が、自分で調べても中々有職故実が具体的にわからずなんですが、武士のマナー講師って事ですかね?!きりゅうさん、機会があったら教えて下さい。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁子供ながらに大きな堀を埋められてるのを黙って見てるのはおかしいなと思ってました😅😅😅
どうする家康では秀頼さんと茶々さんが自害して豊臣家滅亡ということになると思いますが国松さんはいなかったことになってしまうのかな😨ナレーションぐらいは入るのでしょうか😰
最後のくーさんの”じゃ~ね~”よかったです😄😄😄
呉座先生はお堀を全部埋めを決断した時点で秀頼、茶々は国替えも辞さない、徳川家に臣従する気持ちだったと
どうする家康時代考証の平山先生は、二の丸三の丸や矢倉などを破棄した時点で
もう、豊臣は戦えませんから牢人の人達は城からでてくださいっていうことだろうと書かれてる
結局夏の陣は
牢人が豊臣家と無理心中したようなもんですよね。
豊臣は徳川に臣従するつもりが、牢人を制御できなかったのにすぎないってのが本当なんでしょうね
最近主流の説では、そうなってます。
きりゅうさん本当に詳しいですねぇ〜
自分は好きなだけで詳しくはないのですが一緒に呑みながらでも話したら面白そうだなぁと😊
チャンネル説明文では川合となってますが…ハンドル名なのかな?
天草四郎は逃げた秀頼の息子説もありますよね。
きりゅうさんの島原の乱の解説聞きたいです!
農耕民族で山谷に囲まれた多神教の日本人に、一神教のキリスト教が戦国末期から徳川幕府初期にこれほど広がり続けたのはどうしてなんでしょう 風土や政治体制にもそぐわないようなのに不思議です。
今回は、淀君の迷いなどによる表情の変化の描写がピックアップされてて、北川景子さんの演技が良かったです。次回、いよいよ最終回ですね。 最初は、鎌倉殿の後でつまらなかったら、っと思っていましたが、最近の大河は、人間らしい描写があって結構良いと思います。昔は主人公が完全無欠の性格で全く共感できなかったです。来年も面白いといいんだけど。平安時代は、勢力争いと恋バナのイメージなので陰湿で嫌いですが、好きにさせてくれることを期待します。
このリアルタイムのネット時代ですら、イスラエル側からとパレスチナ側からの情報が違うわけですから、昔なら尚更立ち位置で見方が変わりますよね。
真田信繁(幸村)の子のうち数人が伊達家に仕えたり、伊達家家臣片倉氏に嫁いだりといったことも誉田の戦いの縁があったのかもしれませんね。(例によって詳しいことは分からず、異説もあるようですが。)
余談ですけど、実は徳川は豊臣を完全に滅ぼしてはいません。
おねの兄の木下家定の子供たちに「豊臣」を名乗らせて小藩、旗本として三家を存続させてます。
いつも解説をありがとうございます。楽しく見ております。なんとぎこちなかった家康くんが最近は貫禄が出てきました。特に沈黙の演技が光るようになってきましたね。さて、なんとなくですが、小栗旬君は家光のような気がします。
最終話で涙流しそうなポイントの一つに千姫による秀頼と茶々の除名嘆願の失敗でしょうか。どっちが断るのかは興味があります。江姫たちの戦国では秀忠さんが断っていますね。どうする家康は家康が断るのかな?あと歴代の大河ドラマで大阪の陣は真田や大阪方の活躍を多く取り上げますが、大野直房の猛攻を凌げた秀忠さんや立花宗茂、討死した本多忠朝についても取り上げてほしいものです。
楽しく詳しい解説、今回もありがとうございました🙏❣️
豊臣側に集結していた浪人たちの行き場をどうにか出来てたら‥でも、それでも秀頼は戦いたかったのでしょうかね。 もう、家康様ともお別れ‥😢寂しい😔
「滅びたものは美しいが、滅びるものは無惨でしょう」。 −前田慶次郎−
隆慶一郎『一夢庵風流記』
大阪城が攻められた戦も、自分が住んでいる地域ではお城も無いし戦ったりしてないんだろうと思っておりましたが、自分の居住地域の名称が上がって驚きました。
戦争や戦など無い方が良いと思っておりますが、大坂夏の陣にめちゃくちゃ興味が沸いたので、市内に史跡や遺跡があるのか調べてみようと思います。
最近大阪では、秀吉時代の大坂城の発掘調査が行われているので、その見学などをされるのも面白いかと思いますよ~(実は見に行きたいw)
@@kashimashi_rekishi_ch
ありがとうございます
発掘調査の見学もできるのですね‼️調べて行ってみたいと思います‼️
どうする家康から大河を見るようになり、名古屋に住んでいながら家康が岡崎城主だった事を初めて知った歴史音痴です
ひかる君へでかしまし歴史チャンネルを知り楽しく拝見しており、どうする家康の動画も遡ってみていています
3人の関係ですが、きりょうさんとくーさんは同級生か若い頃の職場の同期で、ラットちゃんとくーさんは絵を通して知り合った仲と想像しましたがいかがでしょうか
かつての民主党政権と照らし合わせると、豊臣家滅亡の真実が何となく見えてきます。まとまりのない組織だったことは確かなんだと思います。
真田信繁の名の由来は真田昌幸が武田典厩信繁公に感銘を受けたという説がありますね。
兄を支える優秀な弟。理想的でしたからね。他には豊臣秀長、北条幻庵、吉川元春と小早川隆景かな。
現在であれば労働契約によって労使関係がありますが、戦国時代は何を根拠に家臣と牢人を分けていたのでしょうか。起請文なのでしょうか。
「大坂城から退去しない牢人たち~」とお聞きしましたが、そのような状況ならもう豊臣家臣といってよいのではないでしょうか。
戦国時代なら契約書のような文書はあまり効力がなく、状況から判断していたような気がしますが、そうでもないのかな。
冬の陣、夏の陣が後付けの言い方というお話で、そういえばバブルの時にバブルとは誰も言ってなかったよなあと思いました。
「第一次世界大戦」、「第二次世界大戦」の名づけと同じですね。
「第一次世界大戦」は、その戦争直後には「ヨーロッパ戦争」と呼ばれていたみたいです。
不思議なのは、「関東大震災」という言葉。
その後「阪神大震災」「東日本大震災」という言葉が出ますが、阪神大震災まえから「関東大震災」と呼ばれていますね。
どのような違いが有るのか、深掘りしたくなりますね。
着眼点が面白く、好評価差し上げます。
毛利吉政も、今日の今日まで勝永だと思ってました…
夏の陣開戦の原因はやはり牢人かな。徳川が本気で和睦するつもりなら、牢人の就職先を斡旋したと思う。
質問なのですが、当時の国替えのルール?についてお伺いしたいです。
現代のお引越しでは当然荷物全部持って行きますが、当時はどうだったんでしょう?
上杉が会津に国替えになったときに収穫物を根こそぎ持ってったんであとから越後に入った堀さんが文句言ったとかなんとかありましたよね?
幕府が大坂方に執拗に国替えを迫ったのは大坂城の防御力もあるけど蓄えられた金銀をなんとかしたかったからかしら?とも思うのですが?
真田丸のくじにして幸村を決めた話、
おいおいくじ引きかよ!と思うけど、
ちゃんと見てると昌幸もいざという時にくじで決める描写があって、
そこのフラグ回収にもなってるのに気づいたら鳥肌止まらなかった
徳川のライバルという意味で、村正の村を取ったとか?
北川景子さんを母娘の二役で配した意図。
「何故だろう」
ずっと頭にありました。
「ウサギ」の頃の家康にお市の方が(築山殿と同じように)感じた好感が、茶々に引き継がれ、最後の二度の大坂の陣での、各々の歴史的決断に結びつく。
今回を拝見して、そういう歴史のダイナミズムを描きたかったのかな、と思いました。
どうする家康でも毛利勝永が毛利吉政に変わってるし新しい資料かなんか見つかった?
徳川幕府がキリスト教に厳しくなったのは、イギリスが日本海側でスペイン商船を襲撃してるのを日本海を管理している幕府が止めろと言っても命令を聞かなかったので、こりゃあかんと思ったという話を聞きましたが、どうなんでしょうね?
いつも楽しく拝見しています。😊
真田丸のドラマの中で
真田信繁が九度山で
小さく切ったたくさんの紙の中から、1枚を取ったのが「村」で真田幸村となったとやってましたが、
あれはドラマのフイクションなんでしょうか?
インドや東南アジアの歴史と南米の歴史を見ると日本はなんという50000000000億倍幸せな歴史だなと
でもこれから日本も次の世代はあの悲惨な歴史を食らうレールが敷かれてるけど我々世代は無視でいいのかと
大坂の陣でも城下で乱暴狼藉があったと記録されてるから戦さ最中は庶民は悲惨だったのでしようね
8:50 あ!本多忠朝って、どうする家康の中で、本多忠真ののんべえキャラのモデルじゃないかと最初の方の動画でできりゅうさんが話していた人ですよね!?
ドラマでは家康から茶々に宛てた書状がありましたが、そのような書状はあったと思いますか?
燃やしてしまったので、これはフィクションかなぁ?と思いましたが、とても具体的な内容だったので元になった資料があるのでしょうか。
「ブラタモリ」の秋芳洞の回で大阪の陣の落ち武者の集落が出ていましたね。
他の方も言っていますが、真田信繫の次男大八が仙台藩の重臣である片倉小十郎重長の庇護のもと叔父の家系であるかのように偽装し、現代まで子孫は絶えず13代目の真田徹氏が近年になって経緯を著していますね。きりゅうさんはその著作を読まれましたか?どう思われますか。
いよいよ次回最終回😭
最近は毛利勝永じゃなくて吉政なのね。幸村と信繁みたいなもんか。
※大坂の陣の呼び方について。
大坂冬の陣が起きたのは10月だから、大坂秋の陣じゃないの?大坂夏の陣が起きたのは5月だから大坂春の陣じゃないの?って思ってしまいますが、当時は1月〜3月までが春、4月〜6月までが夏、7月〜9月までが秋、10月〜12月までが冬と呼んでいたので、間違いではないようです。
いつも楽しく動画を拝見しています。
ありがとうございます☺︎
質問なのですが、今回のどうする家康で茶々、初、江の三姉妹が大坂城で会見をしていましたが、将軍御台所であるお江の方が、実際茶々に会い話をしたというのは史実として残っているのでしょうか??
あれはドラマの演出でしょうねw
お返事頂き嬉しいです☺︎!
ありがとうございます☺︎☺︎
秀頼と茶々の自害によって大阪城が滅んだ日なんですが、実は私の誕生日なんですよ〜‼︎😭😭😭💀💀💀
流された間、その集落が 昌幸の村・・昌幸村となり・・昌幸村の長・信繁・・・・で 幸村、っと‼︎ どうでしょう😅。
今回の茶々「憧れの君」設定は、正直「少女マンガ大河」のネガティブ要素になる…要はやって欲しくありませんでした。史実でないし、エンタメとしてというのは分かりますが、人物の描き方として…。北川さんの、市が家康好きなのに対して茶々は憎んでいたという正反対の感情好演が台無しな気がしました。この「憧れの君」なしでもすんなり成り立つしこれさえなければ、神回だったのに😭「自分の理想を誰かに乗っけて、その理想と本人が少しでも違っていたら好きだったのと同じ絶対値で恨む+息子にその理想押し付けて育てる」って、女として1番やったらいかんやつ。幼い茶々ならまだしも、もういい加減戦国生き抜いてきた茶々がずっとそんな痛い女だったとしたら、織田豊臣に対する嘲りがすごい。今回の、アラフォー女性の描き方(含瀬名ちゃん)が、同じ女として残念でした。今回は千姫もお母さんに多少冷たくてもあそこまではしないと思います。この後、徳川に帰るわけですし。去年の大河と違って、時間を見越した整合性に無理のある感情設定が多いように思われます。ドラマとしても。お三人さんいかが思われますか?
(ここから妄想)幸村は、軍記と家系図のどっちが先かにもよりますが、家系図が先と仮定して、お兄さんが内緒で付けたのではないかと思います。徳川の時代になって長生きした人ですが、真田家は家族の絆が強いイメージなので、お兄さんが晩年に父親と弟を思って幸村の名前を付けてこっそり家系図に、軍記もそれに乗った、とか😅
それにしてもく~さん、きりゅうさんの話をたっぷり聞けるお立場なのに「早く終わらせたい」なんて…
長コメ失礼しました。
信繁だと武田典厩信繁と区別が面倒なんで、別の名前が必要だったんでしょうねえ。
茶々、秀頼生存
あの抜け目のない秀吉が造った大阪城です、秘密の脱出路ぐらい有ったでしょう🤔
大蔵卿局の生涯を特集していただきたいです❤
ボンクラ秀頼は、ぼうっとしているうちに、家康と牢人の戦いに巻き込まれた
キリシタン=外国人という意識なんか
少ないとはいえ日本人でもキリシタン居ますよ。長崎でなくても
歴史好きからすると ここで牢人問題を解決しなかったから島原の乱とか由比正雪の乱とか あるいは赤穂事件とかを招いてしまったのではと感じる 改易したら、ちゃんと再就職のあっせんをしないと
税の計算とか工事の現場監督とかで武士の需要自体はあったんだけど、牢人の多くはそういう地味なのより合戦を求めて斡旋に応じなかったというのもあるから。
体制側としてもやれることはやってたんではないかな。
大阪の陣が終わったら大勢いた牢人たちはどこへ行ったんですか?どこかの藩に召し仕えたんですか?
クーさんの言うように 幸村なんでなんかなぁ?
浪人と牢人って何か違うんでしょうか。きりゅうさんの解説聞き逃しちゃったのかな。。。
私は以下のように習いましたけど。
・浪人:郷里を離れて諸国をさすらう武士
・牢人:主を戦争で失った食い扶持のない武士
今回豊臣に集った武士を表現するのは、「牢人」の方がふさわしいと思うんだけど。
歴史に疎いので全然気にしなかったけど、なんで「大阪冬の乱(変)」にならなかったんだろ?歴史の先生方たちもかっこいい方を選んだのかな?笑
豊臣家が浪人達を抑えきれなかったのが…
せっかくなので 信繁では無い 真田幸村とその家臣の話をしてほしいです。 完全なフィクションの人物たちのお話しですけど
五奉行の一人・徳善院玄以が薬物関係で逮捕されちゃったんだけど。
Blu-ray発売?動画配信の封印? どうするNHK。
やはり、家康公には徹底して豊臣を殲滅する意思は無かったと私は思います。関ヶ原以降も豊臣のブランドに対して相当に気を遣っていた形跡があるし、大阪の陣に至るまでも攻める口実は探していたとしても、冬の陣が始まって早々に和議交渉を始めているし、和議の条件もかなり寛大に見える。ただし豊臣には完全に軍門に降り一従属大名になることを認めさせる一点のみ。家康公自身の寿命も当然ある訳なので、相当に焦ってもオカシクないはず。つまり秀忠さんの代まで掛かっても構わないと思っていたのでは?大坂城の本丸以外は破却も「もう戦えないだろ?わかっているよね?」だし、それを認めた豊臣も実際には理解していたはずです。しかし、何と言っても牢人衆の存在がネックでした😰家康公は自身も今川との主従関係を解消しているし、秀吉の織田家からの天下乗っ取りの過程をつぶさに見てきている。早期に降伏して従属するならば、滅ぼさないのが当時のまぁまぁ不文律かと思います。単純に戦いをするのではなく大義名分を相当に重んじながら、やむを得ない場合は戦をする!勿論例外はあるけれど、徳川は〜かつての名門名家は結構、残していますからね…
少なくとも、10~20年以上前は、大河ドラマでも真田幸村だったよね。真田幸村の方がかっちょいいーーー🐧(笑
毛利勝永も最近では毛利吉政が一般的なんでしょうかね?
今回の大河では武将名は発給文書での署名等の1次史料として確認できる正式な名前でやってるようですね。
ドラマ自体かなり破天荒の内容でもあるので、個人的には講談物とかのポピュラーな名前でもいいのではと思ってしまいます(真田幸村とか毛利勝永とか)だってそっちのほうが思い入れがあるからwww
すみません、自分は歴史上で有名なエピソードの出どころがいちいち気になる出典バカですので、ちょっと言わせてください。
10:28あたりで、きりゅうさんは「講談でもてはやされて、幸村が日本一の兵と呼ばれるようになった」とおっしゃっていますが、この「日本一の兵」という評は、大坂の陣には不参加だった薩摩の島津忠恒が、伝聞で真田勢の奮戦ぶりを知って、国許に書き送った書状にしたためた一文だったように思います。
まことに細かいことで申し訳ありませんが…。
おっしゃる通り、出どころは島津忠恒ですが、世の人々に広まったのは軍記物や講談の方かな~と思います。
ありがとうございます、拙コメントに返信がいただけるとは思っておりませんでした。
確かに軍記物や講談、大坂の陣の場合には『難波戦記』が世に与えた影響は絶大なものだったに違いありませんね。
これは出典バカである自分の個人的感想なのですが、真田「幸村」なる名前について『難波戦記』の記述を見るに、どうも「皆様もよーくご存知の真田左衛門佐幸村が…」というニュアンスで書かれているようにしか読み取れないんです。
確かに「幸村」の名は『難波戦記』が初出とされますが、これは単に文献に遺っている最古のものというだけであって、必ずしも『難波戦記』で創作された名前とは限らないような気がします。
要するに「幸村」とは作者がネーミングしたのではなく、すでに『難波戦記』が書かれた頃(大坂の陣から50年後くらい)には「幸村」の名が広く世間に定着しており、その名前をそのまんま使っただけ…といった可能性は考えられないでしょうか?
…大した根拠もない長文かつ駄文、失礼いたしました。
きりゅうさん
らっとさん
くぅさん
まだ間に合いますか?
どうしても聞きたいことがあります
家康と瀬名さんが
こいが…魚のこいが…
とだけ言い
それがなんなのか
回収もなく?
私が見落としたのでしょうか?
お3人様
どうか教えてください🙏
兵農分離しないでいたら、牢人は農業に戻れていたのかな?農業に戻れない、戦をすることそのものを職業にしてしまったから秀吉は朝鮮出兵したのかもしれない、夏の陣では牢人問題が片付かないことになったのでしょうか…。
高山右近は秀吉のバテレン追放令で改易されたはず
幸村の村は姉の村松から取られたって説があります。
某作家さんの説で、お市の方は信長の妹ではなく
妾の一人で、茶々だけは信長の娘というものがある。
初と江は浅井長政の娘で、だから茶々とは異父姉妹
となる。
秀吉もそのことを知っていて、余計に信長の娘である
茶々を側室にしたいと思ったのかな?
茶々のあの気丈な性格というのも本当の信長の娘ならでは
ものかもしれない。