Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
ラーメン橋と聞いて橋梁の話かと思いましたが、まさかこういうものだったとは。(笑)室蘭線沿いには、線路の付け替えとかで残ってしまった旧トンネルがちょくちょくあるようで、なかなか面白いですね。
豊浦町と言えば、真っ先に小幌駅が思い浮かびますが(笑)、ん?ラーメン橋ってゆーのもあるんですか😯旨そうな名前じゃないですかぁ!😆アンダーパスの人間様用バージョンにも見えました☺️尚、SL、チラッと見えた貨物列車など、程よく鉄分が含まれてるのがまたいいんですわ!🤭(笑)
いらっしゃいませ😊うちの前通過とラーメン橋は職場近くで笑🤣
そりゃ奇遇😂
豊浦町は元プロボクサーの内藤大助さんの出身地であり、秘境駅の小幌駅を観光地化して到達証明書を発行していますね。温泉施設の「天然豊浦温泉しおさい」で証明書もらいました。ラーメン橋とは全く関係ないですね、すみません。
昨日に道南の帰り道に、礼文華とラーメン橋の前を走って来ました。色々な歴史があるんだなーとゾヌさんの動画を見て改めて実感。これからもお気を付けてご活躍下さい♪
礼文華の辺りは、太平洋側なのに日本海側によく見る奇岩の様な雰囲気があります。
そこにどこか本州の景色の要素がプラスされているように感じます
お疲れ様です、ラーメン!橋、コメント見ると意味ある名称らしらしいですね。見る地図により名称が違うのかな?目の付け所が良き!ですね。
2:54このトンネルの銘板が左壁面に映っているけど、それを正面から撮ってほしかった~銘板に(ラーメン橋)と表記されていることから、完成当時からそう呼ばれてたみたいですね。建設中のトンネルを、橋げたと橋脚が剛結されたラーメン橋に見立てたのかもなぁと思いました。
肝心の豊浦町史でもその由来がラーメンみたいだから?なんて書いてあるんでようわからんですな。建築に明るくない方が書いたのか
豊浦のホタテは本当においしいです!大岸には何度か釣りに行きましたが、こんな魅力的な道があるとは知らなかったです!
ゾヌさん、こんにちわ🌼先週明けに母が亡くなりずっとバタバタしてましたゆえ、やっと全てが終わりましたので今観れなかった配信を見始めたいます😂 ですので諸々の感想は省かせて下さいね(^^)v何も考えずにゾヌさんの動画観ていると何だか気持ちが 落ち着きます!!またこれからも北海道の私達の知らない沢山の場所の探索よろしくお願いします🤗 今日はゆっくりたまってる映像配信を観て過ごします!私事ですみません!次回からはまたコメントさせて頂きます!!よろしくです☘️ありがとうございました。
大変でしたね…あれこれ言う事は出来ませんが私の動画がちょっとした平穏をもたらすのであれば…
豊浦の歴史も知ることが出来て感謝します✨ラーメン橋まで見つけるとは感心します👍建設時の写真も嬉しい資料です😊次回作も楽しみにしております🎵
ありがとうございます。
ラーメン橋、地下横断歩道ですが、国道管理上の正式名称は、「東雲跨道橋」と呼びます。国道を跨がずに地下を潜っているのですが、跨道橋となっています。これまた、面白い命名です。ありがとうございました。
なんでそれを銘板にも扁額にも表記しないんでしょうね😅
ラーメンは、ドイツ語で額縁や枠という意味があるらしいです。構造が箱型になっているから、そういう名前になったんじゃないでしょうか?
そういうことなのかなあなんさ豊浦町史にも曖昧なことしか書いてないんで
あの香ばしい狭隘区間、廃道になっちゃうのか~ 豊浦といえば先日道道97の旧ルートらしき区間を探索してきました。桜神社付近で分岐して高速をまたぎR37に至る廃道です。
初コメ失礼します。ゾヌさんの探索は、見ても楽しめ耳でも楽しめ、毎日永遠と見てます🤩また、時折出る面白ワードがクスっとなってしまいます😂これからも楽しみにしていますので、安全第一で探索頑張ってください!
ありがとうございます。これからも頑張ります!
海岸の岩山にはトンネルの歴史がたくさん埋まってて面白いですね。海岸から見える室蘭本線を通る列車が見えるのも風情があります。大岸~礼文華間ドライブしたくなりました!
こんばんは、最初ラーメン橋?豊浦に有ったけなと思いましたが、国道をくぐる地下道の事なんですね、大岸~礼文間の道道は何度行ってもいいです、国鉄時代から特急の車窓から見えいて気になっていました、路線バスも国鉄バスが豊浦町内を走っていて伊達紋別から洞爺村や大岸駅まで運行していました、今は豊浦町営バスと道南バスが走ってます。
ラーメン橋は祖母がよく私に自慢をしてくれました。祖父が子供達が安全に国道を横断できるようにと尽力した事や、駅前で煮干しラーメンをメインに食堂を営んでいた事から、ラーメン橋と名付けられた事など、よく聞かされました。私自身その真偽はわかりませんが、子供ながらに誇りに思った事を懐かしく思い出させて頂きました。
なんと・・・!お爺様の生業が由来だったのですね!謎が解けました!!今でも立派に役に立っていますね!
@@user-di9tv2kf8t まさか自分の身の回りの事がゾヌさんの動画になってるとは思いませんで、驚きつつもコメントさせて頂きました。ちなみに、豊浦周辺のトンネルには蝙蝠が住んでいた事も父から聞かされていましたので、今回の廃線探索を見てもしや?とは思いましたが、さすがに現在はいないようですね。今後の活躍を楽しみにさせて頂くのと同時に、怪我などされ無いようお祈りさせて頂きます。
7:47~の風景が🥋を着た千葉真一がいそう。
通学路が国道を跨ぐためトンネルにした場所は他にもありました。記憶が不明瞭ですが、私が子供の頃釧路・帯広間で数ヶ所ありました。最後まで残ってたのは豊頃だったかな?時代の流れなのか今は一つも残ってないですが。
地方都市に結構地下歩道ありますが、利用があるのやら
少ないですがガソリン代🚙
はらへった様いつもありがとうございます…連休の遠征では道東を攻めますのでお楽しみに
先日、この付近を通過いたしました 旧虻田町の方が ほたて養殖には 豊浦町より早いと思っておりました ラーメン橋なるほどですね 毎回、調査がすごいです 楽しく拝見しております 豊浦町には 有名なお菓子屋さんが ありました だ〇べまんじゅう 懐かしいです ありがとうございました。
ありがとうございます。次に豊浦行ったら買ってみますネ
@@user-di9tv2kf8t さま もしかしたら 廃業かも です ありがとうございました。
ラーメン橋、橋の構造の方では無かったのですね😅
豊浜町史には構造には触れていませんでしたね
まさに今日 豊浦を通って ニセコの家に帰って来ました(笑) 明日も豊浦の道の駅に買い物に行くので 行って見ますね
ぜひ行ってみて下さい。
ここでもホタテが盛んでしたか。北海道でホタテと言うと、さるふつ町や厚岸町を思い浮かべてしまいますが養殖なら北海道中で出来そうですね。中でもサロマ湖にある北勝水産のホタテバーガーはB級グルメと思っていましたが、中々のお味で又食べたいと思っています。ここの近くにホタテ養殖発祥の地という碑があって、白い道と併せて北海道とホタテは切り離せない特産品だと感じます。
湧別の道の駅で食べたホタテフライはなまらうまかったなあ
ゾヌさん、こんにちは☺たしかにどこか北海道らしくない感じの海岸線ですね。自分もこういう廃道探索好きですが、現在は北海道在住ではないので、毎回ゾヌさんの動画で自分も行った気分になってます😊
こんにちは。なんか好きなんですよね。この辺。いずれあの狭隘区間も廃道になると思うとちょっと寂しい。
現在豊浦小学校のある位置に昭和47年に現在シュタイナー学園が再利用している校舎に新築移転するまで豊浦中学校があり、平成18年までは豊浦高校もありましたから竣工直後あたりは凄い数の青少年が通学のために潜り抜けていった事でしょう。
あの通路で救われたであろう子供達は多いでしょうね
ドイツ語でrahmenと書きます柱と梁で構成する構造で、建築では「架構式構造」といいます。建築構造から呼ばれていると思います
ぞぬさん、毎回楽しみにしております。今回10:32 分ごろにの水道管の末端部分 これがどのように地中に埋設されているのか気になりました。滑り止めポストの右下部分です、左側のトンネル内部から伸びてきた端っこが、画面で見ると手前に埋没しているのかそのまま右の水平部分に埋没しているのか気になっています。(まぁ、だからどうでもいいんですけどただ二期なっただけです) (笑)(笑)
遅くなりました。手前に埋没してますね。
@@user-di9tv2kf8t スッキリしました。これでゆっくり寝られます。ありがとうございました。
いつも楽しく拝見させていただいております。ラーメン橋、こちらの名称は工法からの由来と聞いたことがあります。
そうなのですか!ありがとうございます。
階段が多く縮れたラーメンのようであることから呼ばれるようになったというのは、実際に歩いた感じでもそう思うものでしょうか。実際に歩けば上り下りが気になるはずなので、段々になってるから段々橋とかそんな感じになりそうなものです。動画の感じでも縮れていると言うのはどうなのかな?やっぱりラーメン構造の事じゃないでしょうか。この写真だと開削トンネルみたいだし、たぶん箱形のラーメン構造のトンネルのような気がするんですが、どうなってるのかな。道道608号のキャンプ場の向こう側のロックシェッドはグーグルストリートビューですとまだ見られますね。鉄骨むき出しで面白かったのでウキウキで写真を撮った記憶があります。
誤解を与えたかもしれませんが私の感想ではなく豊浦町史にそう書いてあっただけです。私はあれがラーメンだとは感じませんね。
@@user-di9tv2kf8t いえ、こちらこそすみません。その点については理解しています、私も他でその様に書いているものを見ていますから。やはり縮れ麺ってのはちょっとねぇ。
探索お疲れ様です。大岸の岩見トンネルは、昨年のGW開けに山菜採りの帰りに寄った時はまだ中に入れたんですけどね。小学生の時に岩見トンネルがまだ現役だった時、坑口手前に今では殆ど見られなくなった警笛鳴らせの道路標識があったのを覚えてます😁
扉のピンクテープの風情の無いこと😅
礼文漁港に噴火湾ほたて貝発祥之地碑という石碑がありますよ
3:37の画像を見る限り,土被り(路面から上床版までの距離)が2m以下である事から,橋梁扱い。地下道の側壁と上床版の接合部にハンチ(斜めの出っ張り)がある事から,この部分は剛結合(ラーメン構造)。下床板も剛結合していたらボックスカルバート,床が独立構造だったらラーメン橋構造であることから,階段の段々が語源ではなく,ラーメン構造が語源のような気がします。
豊浦の道の駅にほたてフライ級(バジルマヨ)を買いに行く季節になりましたww長万部にカナヤのかに飯買いに行く時に通る街としか認識してなかったので見所満載な街なんだと学びました(*^^*)
そんなのあるんですね。今度寄ってみよう。
礼文華👍
トンネルなのに橋梁…国道から見れば跨道橋ということでしょうか
跨ぐというか潜ってるんですけどね
ソコ通り抜けれる道路が有るんだ!気に成ってた。
ナンジャコレな名称を見つける力はさすがです。行ってみると更にナンジャコレ。この名称が付いた当時、ラーメンってそんなに一般的なものだったのでしょうか。ちょっと疑ってしまいました。
どうなんでしょう?
トンネル工事した年代が明治なのに、昭和になってるのは起工:竣工に関係してるのかも知れません…実は、愛媛県に「春賀駅」近くに、「春賀トンネル(旧名-和田隧道:愛媛鉄道時代)」が在りまして、竣工年代を見ると起工-昭和61年、竣工・昭和62年ですが…実際には、大正7年には鉄道開通してるトンネルなので、再工事における竣工:起工が関係していると睨んでおります。何気に通過してるトンネル、もしかすると大正時代の再工事されたトンネルかも知れませんよ〜
なるほどなあ
北海道くさくない景観…今日同じ場所を見に行ってきました!動画を撮ったりはしてませんが、ゾヌさん映像より新トンネルの工事は少し進んでいる様に見えました。いやぁ、同じ所に行けて、勝手に嬉しかったです‼︎
オッ、良いですね〜
こんばんにちは、建造物でラーメンだと構造名の方をやっぱり聞いたことあると思いましたがどうなんでしょう・・もしかすると1944年の「44」は西暦ではなく昭和44年の間違いかもしれません、現にMorigenさんによるトンネルwikiではどちらも1969年(昭和44年)竣工と載ってます、しかしウィキペディアの方にも和暦(昭和19年)が書かれてるのでもう少し詳しく調べる必要がありますねぇ 新トンネル(仮称「礼文華」とのこと)がカムイチャシ・チャスと同じように元鉄道トンネルを改修というのが面白いですし、どのように完成するのか楽しみですね、ありがとうございます^ω^
北海道道路史にも載ってないトンネルですが、改良時の資料とか閲覧出来れば何かわかるかもしれません。まあ突き止めてもあまり興味ある人はいないでしょうけど😅
@@user-di9tv2kf8t そういえばこことは関係ないですが、岩内の郷土館で、雷電国道の成り立ちや歴史について企画展示が6月11日までやってるとのことですよ、時間と余裕があればぜひ行ってみてはどうでしょう!
行きたいとは思ってるんですよね。
一昨日通ったけど頭の中は温泉だったので全然気にしなかった。失敗
土被り1m未満のボックスカルバート(函渠)は橋梁に分類するので、橋と言うのも強ち変じゃないんですが・・・(橋梁として管理する)ラーメンはラーメン構造を言うのではなくて、ラーメンの麺からなんですね。(門型カルバートならラーメン構造=土被りの条件が合えば、ラーメン橋)
なるほど、それは知りませんでした。なら橋梁で良いんですね。
今日(2023.6.6)見てきました。電灯のところに数か所、つばめの巣がありましたね。
最後の狭隘区間ですが、道南バスの路線になってます。礼文駅と大岸駅を結ぶにはここを通るしかないためです。
道南バスはなかなか酷な場所行きますよね
@@user-di9tv2kf8t 道がそこしかないというのもありますねちなみにこの道でバスとすれ違うのすごい怖かったです
外人の植民地状態のニセコ町の南隣。
鉄道から見れば道を跨ぐ橋なのでおk
跨ぐというか潜ってますけどね
3:36の写真の瞬間では鉄道橋、跨道橋だね仕上がり的には埋め戻してあるけど子供たちの往来に際し軌道敷からの落下物がないようにわざわざ埋めたのかもね 不思議な場所
読み方についてなんですが、ラーメン橋の橋は「はし」ではなくて「きょう」ではないでしょうか?
構造的な意味でのラーメン橋だとしたらそうなのでしょうが、わからないので「はし」と読みました。一応動画内でも触れてます。
内藤さんも通ったのかな?
内藤さん は 豊浦高校なので 利用したと思います おそらく
チャンピオン実家は鉄道より山側なので通(とお)っていないと思われます。(※「かよって」とも読めたので編集…40年ずっと使ってるのに日本語難しい
ああ、出身なのか
ミスターわかさいも
1番❤
"鉄道鉄橋ヲタ" や "橋梁マニア界" では「ラーメン構造橋」という用語は一般的で、橋台部分と橋脚が一帯化した、門のような形状をした骨組みのことをドイツ語で(Rahmen=ラーメン)と呼ぶところが由来になっています。耐震性を含めた自然災害に強いので、日本では山間部の谷あいを渡る鉄道橋などによく使われています。『ウホッ。いい橋梁!』とか言ってんのかな?< 橋ヲタ
それはなんとなく知ってるんですが、豊浦町史には動画内で話した内容しか書いてないんですよね。
なるほど。同じような地下通路は全国にごまんとありますが、あの形状を見て初見で「ラーメン」を想像する人はまず皆無のような…。たしかに北海道独自のの味噌ラーメン(西山製麺)は太めのちぢれ面で、ぐにゃぐにゃになってはいますけど…。どうも行き当たりのコジツケで命名したような臭いもします。今度、しおさい周辺を歩いている地元の年配者に伺ってみてはどうでしょうね。
ラーメン橋と聞いて橋梁の話かと思いましたが、まさかこういうものだったとは。(笑)室蘭線沿いには、線路の付け替えとかで残ってしまった旧トンネルがちょくちょくあるようで、なかなか面白いですね。
豊浦町と言えば、真っ先に小幌駅が思い浮かびますが(笑)、ん?ラーメン橋ってゆーのもあるんですか😯
旨そうな名前じゃないですかぁ!😆
アンダーパスの人間様用バージョンにも見えました☺️
尚、SL、チラッと見えた貨物列車など、程よく鉄分が含まれてるのがまたいいんですわ!🤭(笑)
いらっしゃいませ😊うちの前通過とラーメン橋は職場近くで笑🤣
そりゃ奇遇😂
豊浦町は元プロボクサーの内藤大助さんの出身地であり、秘境駅の小幌駅を観光地化して到達証明書を発行していますね。温泉施設の「天然豊浦温泉しおさい」で証明書もらいました。ラーメン橋とは全く関係ないですね、すみません。
昨日に道南の帰り道に、礼文華とラーメン橋の前を走って来ました。色々な歴史があるんだなーとゾヌさんの動画を見て改めて実感。これからもお気を付けてご活躍下さい♪
礼文華の辺りは、太平洋側なのに日本海側によく見る奇岩の様な雰囲気があります。
そこにどこか本州の景色の要素がプラスされているように感じます
お疲れ様です、ラーメン!橋、コメント見ると意味ある名称らしらしいですね。
見る地図により名称が違うのかな?
目の付け所が良き!ですね。
2:54
このトンネルの銘板が左壁面に映っているけど、それを正面から撮ってほしかった~
銘板に(ラーメン橋)と表記されていることから、完成当時からそう呼ばれてたみたいですね。
建設中のトンネルを、橋げたと橋脚が剛結されたラーメン橋に見立てたのかもなぁと思いました。
肝心の豊浦町史でもその由来がラーメンみたいだから?なんて書いてあるんでようわからんですな。建築に明るくない方が書いたのか
豊浦のホタテは本当においしいです!大岸には何度か釣りに行きましたが、こんな魅力的な道があるとは知らなかったです!
ゾヌさん、こんにちわ🌼
先週明けに母が亡くなりずっとバタバタしてましたゆえ、やっと全てが終わりましたので今観れなかった配信を見始めたいます😂 ですので諸々の感想は省かせて下さいね(^^)v
何も考えずにゾヌさんの動画観ていると何だか気持ちが 落ち着きます!!またこれからも北海道の私達の知らない沢山の場所の探索よろしくお願いします🤗 今日はゆっくりたまってる映像配信を観て過ごします!私事ですみません!
次回からはまたコメントさせて頂きます!!よろしくです☘️ありがとうございました。
大変でしたね…
あれこれ言う事は出来ませんが
私の動画がちょっとした平穏をもたらすのであれば…
豊浦の歴史も知ることが出来て感謝します✨
ラーメン橋まで見つけるとは感心します👍
建設時の写真も嬉しい資料です😊
次回作も楽しみにしております🎵
ありがとうございます。
ラーメン橋、地下横断歩道ですが、国道管理上の正式名称は、「東雲跨道橋」と呼びます。
国道を跨がずに地下を潜っているのですが、跨道橋となっています。これまた、面白い命名です。
ありがとうございました。
なんでそれを銘板にも扁額にも表記しないんでしょうね😅
ラーメンは、ドイツ語で額縁や枠という意味があるらしいです。構造が箱型になっているから、そういう名前になったんじゃないでしょうか?
そういうことなのかなあ
なんさ豊浦町史にも曖昧なことしか書いてないんで
あの香ばしい狭隘区間、廃道になっちゃうのか~ 豊浦といえば先日道道97の旧ルートらしき区間を探索してきました。桜神社付近で分岐して高速をまたぎR37に至る廃道です。
初コメ失礼します。
ゾヌさんの探索は、見ても楽しめ耳でも楽しめ、毎日永遠と見てます🤩また、時折出る面白ワードがクスっとなってしまいます😂
これからも楽しみにしていますので、安全第一で探索頑張ってください!
ありがとうございます。
これからも頑張ります!
海岸の岩山にはトンネルの歴史がたくさん埋まってて面白いですね。海岸から見える室蘭本線を通る列車が見えるのも風情があります。大岸~礼文華間ドライブしたくなりました!
こんばんは、最初ラーメン橋?豊浦に有ったけなと思いましたが、国道をくぐる地下道の事なんですね、大岸~礼文間の道道は何度行ってもいいです、国鉄時代から特急の車窓から見えいて気になっていました、路線バスも国鉄バスが豊浦町内を走っていて伊達紋別から洞爺村や大岸駅まで運行していました、今は豊浦町営バスと道南バスが走ってます。
ラーメン橋は祖母がよく私に自慢をしてくれました。
祖父が子供達が安全に国道を横断できるようにと尽力した事や、駅前で煮干しラーメンをメインに食堂を営んでいた事から、ラーメン橋と名付けられた事など、よく聞かされました。
私自身その真偽はわかりませんが、子供ながらに誇りに思った事を懐かしく思い出させて頂きました。
なんと・・・!
お爺様の生業が由来だったのですね!謎が解けました!!
今でも立派に役に立っていますね!
@@user-di9tv2kf8t
まさか自分の身の回りの事がゾヌさんの動画になってるとは思いませんで、驚きつつもコメントさせて頂きました。
ちなみに、豊浦周辺のトンネルには蝙蝠が住んでいた事も父から聞かされていましたので、今回の廃線探索を見てもしや?とは思いましたが、さすがに現在はいないようですね。
今後の活躍を楽しみにさせて頂くのと同時に、怪我などされ無いようお祈りさせて頂きます。
7:47~の風景が🥋を着た千葉真一がいそう。
通学路が国道を跨ぐためトンネルにした場所は他にもありました。
記憶が不明瞭ですが、私が子供の頃釧路・帯広間で数ヶ所ありました。
最後まで残ってたのは豊頃だったかな?
時代の流れなのか今は一つも残ってないですが。
地方都市に結構地下歩道ありますが、利用があるのやら
少ないですがガソリン代🚙
はらへった様いつもありがとうございます…
連休の遠征では道東を攻めますのでお楽しみに
先日、この付近を通過いたしました 旧虻田町の方が ほたて養殖には 豊浦町より早いと思っておりました ラーメン橋なるほどですね 毎回、調査がすごいです 楽しく拝見しております 豊浦町には 有名なお菓子屋さんが ありました だ〇べまんじゅう 懐かしいです ありがとうございました。
ありがとうございます。
次に豊浦行ったら買ってみますネ
@@user-di9tv2kf8t さま もしかしたら 廃業かも です ありがとうございました。
ラーメン橋、橋の構造の方では無かったのですね😅
豊浜町史には構造には触れていませんでしたね
まさに今日 豊浦を通って ニセコの家に帰って来ました(笑) 明日も豊浦の道の駅に買い物に行くので 行って見ますね
ぜひ行ってみて下さい。
ここでもホタテが盛んでしたか。
北海道でホタテと言うと、さるふつ町や厚岸町を思い浮かべてしまいますが養殖なら北海道中で出来そうですね。
中でもサロマ湖にある北勝水産のホタテバーガーはB級グルメと思っていましたが、中々のお味で又食べたいと思っています。
ここの近くにホタテ養殖発祥の地という碑があって、白い道と併せて北海道とホタテは切り離せない特産品だと感じます。
湧別の道の駅で食べたホタテフライはなまらうまかったなあ
ゾヌさん、こんにちは☺
たしかにどこか北海道らしくない感じの海岸線ですね。自分もこういう廃道探索好きですが、現在は北海道在住ではないので、毎回ゾヌさんの動画で自分も行った気分になってます😊
こんにちは。
なんか好きなんですよね。この辺。いずれあの狭隘区間も廃道になると思うとちょっと寂しい。
現在豊浦小学校のある位置に昭和47年に現在シュタイナー学園が再利用している校舎に新築移転するまで豊浦中学校があり、平成18年までは豊浦高校もありましたから竣工直後あたりは凄い数の青少年が通学のために潜り抜けていった事でしょう。
あの通路で救われたであろう子供達は多いでしょうね
ドイツ語でrahmenと書きます
柱と梁で構成する構造で、建築では「架構式構造」といいます。
建築構造から呼ばれていると思います
ぞぬさん、毎回楽しみにしております。
今回10:32 分ごろにの水道管の末端部分
これがどのように地中に埋設されているのか気になりました。
滑り止めポストの右下部分です、左側のトンネル内部から伸びてきた端っこが、画面で見ると手前に埋没しているのか
そのまま右の水平部分に埋没しているのか気になっています。
(まぁ、だからどうでもいいんですけどただ二期なっただけです) (笑)(笑)
遅くなりました。
手前に埋没してますね。
@@user-di9tv2kf8t スッキリしました。これでゆっくり寝られます。ありがとうございました。
いつも楽しく拝見させていただいております。
ラーメン橋、こちらの名称は工法からの由来と聞いたことがあります。
そうなのですか!
ありがとうございます。
階段が多く縮れたラーメンのようであることから呼ばれるようになったというのは、実際に歩いた感じでもそう思うものでしょうか。実際に歩けば上り下りが気になるはずなので、段々になってるから段々橋とかそんな感じになりそうなものです。動画の感じでも縮れていると言うのはどうなのかな?
やっぱりラーメン構造の事じゃないでしょうか。この写真だと開削トンネルみたいだし、たぶん箱形のラーメン構造のトンネルのような気がするんですが、どうなってるのかな。
道道608号のキャンプ場の向こう側のロックシェッドはグーグルストリートビューですとまだ見られますね。鉄骨むき出しで面白かったのでウキウキで写真を撮った記憶があります。
誤解を与えたかもしれませんが私の感想ではなく豊浦町史にそう書いてあっただけです。
私はあれがラーメンだとは感じませんね。
@@user-di9tv2kf8t いえ、こちらこそすみません。その点については理解しています、私も他でその様に書いているものを見ていますから。
やはり縮れ麺ってのはちょっとねぇ。
探索お疲れ様です。大岸の岩見トンネルは、昨年のGW開けに山菜採りの帰りに寄った時はまだ中に入れたんですけどね。小学生の時に岩見トンネルがまだ現役だった時、坑口手前に今では殆ど見られなくなった警笛鳴らせの道路標識があったのを覚えてます😁
扉のピンクテープの風情の無いこと😅
礼文漁港に噴火湾ほたて貝発祥之地碑という石碑がありますよ
3:37の画像を見る限り,土被り(路面から上床版までの距離)が2m以下である事から,橋梁扱い。地下道の側壁と上床版の接合部にハンチ(斜めの出っ張り)がある事から,この部分は剛結合(ラーメン構造)。下床板も剛結合していたらボックスカルバート,床が独立構造だったらラーメン橋構造であることから,階段の段々が語源ではなく,ラーメン構造が語源のような気がします。
ありがとうございます。
豊浦の道の駅にほたてフライ級(バジルマヨ)を買いに行く季節になりましたww
長万部にカナヤのかに飯買いに行く時に通る街としか認識してなかったので見所満載な街なんだと学びました(*^^*)
そんなのあるんですね。今度寄ってみよう。
礼文華👍
トンネルなのに橋梁…
国道から見れば跨道橋ということでしょうか
跨ぐというか潜ってるんですけどね
ソコ通り抜けれる道路が有るんだ!気に成ってた。
ナンジャコレな名称を見つける力はさすがです。
行ってみると更にナンジャコレ。
この名称が付いた当時、ラーメンってそんなに一般的なものだったのでしょうか。ちょっと疑ってしまいました。
どうなんでしょう?
トンネル工事した年代が明治なのに、昭和になってるのは起工:竣工に関係してるのかも知れません…
実は、愛媛県に「春賀駅」近くに、「春賀トンネル(旧名-和田隧道:愛媛鉄道時代)」が在りまして、竣工年代を見ると
起工-昭和61年、竣工・昭和62年ですが…
実際には、大正7年には鉄道開通してるトンネルなので、再工事における竣工:起工が関係していると睨んでおります。
何気に通過してるトンネル、もしかすると大正時代の再工事されたトンネルかも知れませんよ〜
なるほどなあ
北海道くさくない景観…今日同じ場所を見に行ってきました!
動画を撮ったりはしてませんが、ゾヌさん映像より新トンネルの工事は少し進んでいる様に見えました。
いやぁ、同じ所に行けて、勝手に嬉しかったです‼︎
オッ、良いですね〜
こんばんにちは、建造物でラーメンだと構造名の方をやっぱり聞いたことあると思いましたがどうなんでしょう・・
もしかすると1944年の「44」は西暦ではなく昭和44年の間違いかもしれません、現にMorigenさんによるトンネルwikiではどちらも1969年(昭和44年)竣工と載ってます、しかしウィキペディアの方にも和暦(昭和19年)が書かれてるのでもう少し詳しく調べる必要がありますねぇ 新トンネル(仮称「礼文華」とのこと)がカムイチャシ・チャスと同じように元鉄道トンネルを改修というのが面白いですし、どのように完成するのか楽しみですね、ありがとうございます^ω^
北海道道路史にも載ってないトンネルですが、改良時の資料とか閲覧出来れば何かわかるかもしれません。
まあ突き止めてもあまり興味ある人はいないでしょうけど😅
@@user-di9tv2kf8t そういえばこことは関係ないですが、岩内の郷土館で、雷電国道の成り立ちや歴史について企画展示が6月11日までやってるとのことですよ、時間と余裕があればぜひ行ってみてはどうでしょう!
行きたいとは思ってるんですよね。
一昨日通ったけど頭の中は温泉だったので
全然気にしなかった。失敗
土被り1m未満のボックスカルバート(函渠)は橋梁に分類するので、橋と言うのも強ち変じゃないんですが・・・
(橋梁として管理する)
ラーメンはラーメン構造を言うのではなくて、ラーメンの麺からなんですね。
(門型カルバートならラーメン構造=土被りの条件が合えば、ラーメン橋)
なるほど、それは知りませんでした。
なら橋梁で良いんですね。
今日(2023.6.6)見てきました。
電灯のところに数か所、つばめの巣がありましたね。
最後の狭隘区間ですが、道南バスの路線になってます。
礼文駅と大岸駅を結ぶにはここを通るしかないためです。
道南バスはなかなか酷な場所行きますよね
@@user-di9tv2kf8t 道がそこしかないというのもありますね
ちなみにこの道でバスとすれ違うのすごい怖かったです
外人の植民地状態のニセコ町の南隣。
鉄道から見れば道を跨ぐ橋なのでおk
跨ぐというか潜ってますけどね
3:36の写真の瞬間では鉄道橋、跨道橋だね
仕上がり的には埋め戻してあるけど
子供たちの往来に際し軌道敷からの落下物がないようにわざわざ埋めたのかもね 不思議な場所
読み方についてなんですが、ラーメン橋の橋は「はし」ではなくて「きょう」ではないでしょうか?
構造的な意味でのラーメン橋だとしたらそうなのでしょうが、わからないので「はし」と読みました。一応動画内でも触れてます。
内藤さんも通ったのかな?
内藤さん は 豊浦高校なので 利用したと思います おそらく
チャンピオン実家は鉄道より山側なので通(とお)っていないと思われます。(※「かよって」とも読めたので編集…40年ずっと使ってるのに日本語難しい
ああ、出身なのか
ミスターわかさいも
1番❤
"鉄道鉄橋ヲタ" や "橋梁マニア界" では「ラーメン構造橋」という用語は一般的で、橋台部分と橋脚が一帯化した、門のような形状をした骨組みのことをドイツ語で(Rahmen=ラーメン)と呼ぶところが由来になっています。耐震性を含めた自然災害に強いので、日本では山間部の谷あいを渡る鉄道橋などによく使われています。『ウホッ。いい橋梁!』とか言ってんのかな?< 橋ヲタ
それはなんとなく知ってるんですが、豊浦町史には動画内で話した内容しか書いてないんですよね。
なるほど。同じような地下通路は全国にごまんとありますが、あの形状を見て初見で「ラーメン」を想像する人はまず皆無のような…。
たしかに北海道独自のの味噌ラーメン(西山製麺)は太めのちぢれ面で、ぐにゃぐにゃになってはいますけど…。どうも行き当たりのコジツケで命名したような臭いもします。今度、しおさい周辺を歩いている地元の年配者に伺ってみてはどうでしょうね。