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ウィリアムズは常にサスペンションのシリンダー内、アクチュエータ内のオイルやガスを前後左右一定値に保つ用システム化されていて、その為一定にする間のタイムラグが有りました、マクラーレンのアクサスはドライバーのスタイルに合わせての姿勢制御的な面が強いので縁石やCPでの僅かな傾きをドライバーが身体で感知しコントロールするサポートシステムとしての要素が有りましたから、セナのドライビングスタイルに合っていたんでしょうね。
コメント第一号ありがとうございます。93年が始まるまでになんとかアクティブサスペンションを完成させたマクラーレンはすごいですね。
@@ogaso-web 様マクラーレン製アクティブサスペンションの制御プログラムはマクラーレンの関連会社TAGエレクトロニクスが担当していたとGPカーストーリーで説明されていましたね‼️TAGエレクトロニクスはマクラーレンが1984年~1987年まで使用していたTAGポルシェターボエンジンの電子制御マネージメントシステム「ボッシュ・モトロニック」を担当していたドイツ🇩🇪ボッシュ社のエンジニアスタッフをマクラーレンがヘッドハンティングして結成した専門集団?とも説明していましたね‼️アクティブサスペンションが禁止されて以降の1994年もTAGエレクトロニクスはマクラーレンが新しく搭載する事になったフランス🇫🇷プジョーV10のエンジンマネージメントシステムを担当する事になりました‼️
マンセルはロータスデアクティブサスをテストした経験があった。パトレーゼや、プロストにはその経験がないんですよね。マクラーレンのプログラミングの作業の多さは、ホンダの影響かもしれませんね。
ピケ、プロスト、マンセル、セナ、パトレーゼなど1980年代に活躍した人達はパッシブサスペンションに慣れた典型的ドライバーと言えますね?マンセルやセナが真っ先にアクティブサスペンションを使った出来事は特別ですね?アクティブサスペンションが本格的に使われた1992年以降にF1デビューした新人ルーキーだと実戦経験が無い代わりに先入観も無いからアクティブサスペンションに対する考え方がベテランドライバーとは一線画すのでは無いでしょうか?ウィリアムズのアクティブサスペンション開発ドライバーを努めたデーモン・ヒルが代表例ですね?プロストがアクティブサスペンション使用にあたり過去のパッシブサスペンションのセットアップ技術テクニックが逆に邪魔したのかも知れ無いですね?全く頭を空っぽにして白紙リセットするのは難しいけれども?
MP4/8のオンボード映像を見るとフロントサスの動きに同調してステアリングが揺れる揺れる。運転しながら常にその入力があるからハンドルは取られないにしても大変だと思う。ちなみに、マクラーレンは開幕戦から数戦はかなりパッシブ寄りのセッティングで走らせていたそうです。本領発揮の状態ではないのにウイリアムズとポール争いをしたのだから凄い。いや、セナが凄いのかも。
脇からすいません。アクティブサスペンションではダイレクトに路面からの振動キックバックが伝わり難いからステアリングに伝わって来る振動キックバックからF1ドライバーはタイヤからのグリップ感覚を掴んでいたのでは無いでしょうか?油圧が振動を吸収してしまう?もしかしたらウィリアムズのマンセルも同じように?マンセルのステアリングは直径が小さくて回転させるのに腕力が必要だった?ウィリアムズFW14Bには油圧パワーステアリングが無かったから?F1ドライバーからの証言感想が手掛かりになりますね?
@@中村佳己-t4r ウイリアムズとベネトンはステアリングの揺れはないように見えるんですよ。フェラーリのオンボード映像はあまり無かったと思いますが、揺れていなかったと思います。マンセルはFW14→FW14Bでステアリングが極端に重くなってベースは同じなのにまったく別のマシンになったと言っていましたね。
@@icwa2800 様有り難うございます‼️ウィリアムズFW14とFW14Bはアクティブサスペンションの有り無し以外には特に違いの無い同一マシン?に見られた‼️モノコックのサイズもマンセルとパトレーゼの体型体格に合わせた専用マシン。ステアリングは各ドライバーの好みオーダーに合わせて造られた仕様?プロストもマンセルよりは大径でしたが小さなサイズのステアリング。最も大きいサイズ口径のステアリングだったのをセナが好んで使っていたのは有名でしたね‼️そのために1994年ウィリアムズFW16に合わせる作業が困難な事に?この時代のF1マシンは空力的にメリット活かせるよう徹底的に絞り込んで細身のモノコックにしたからF1ドライバーにとっては窮屈なポジションだったですね‼️
@@icwa2800 すごい!よく観察してますね!たしかにセナの手がサスの上下とリンクしたような動きをしていますよね。ウイリアムズとなんか違うなあと思って見てました!
@@ogaso-web バンピーな鈴鹿のオンボードを見るとよく分かるんですよ。同じアクティブサス方式のベネトンはステアリングが揺れていないので不思議ですね。ちなみに、MP4/8はスピードが上がると前部のカウルの隙間が開いてきます。テスト不足のツケが回ってきたんでしょうかw
たしか93年に、マクラーレン製のアクティブサス(スペックダウン仕様)を、シーズン後半にフットワーク(FA14)に搭載したら、ハンドリングの問題が一気に解消して、途端に早くなってシングルグリッドの常連になってましたね。
フットワークがこんなに速くなるのか!と驚きましたね。完走率は最低でしたけど。
@@ogaso-web たしか、もう一つの問題のミッショントラブルが深刻で、壊れまくってましたね。
@@MegaTakaki しょせんトップチームじゃないと、ハイテクにあれこれ手を出すと熟成できないんですかね。
@@ogaso-web まぁ、資金の豊富なトップチームと比べて、資金が乏しかったでしょうから、どちらに絞らなければいけなかったんでしょうね。
更に、アクティブサスペンションアーム成るものも考えていたらしいですね。
7:20〜ウィリアムズとマクラーレンを比較するより、提供されたリジェとフットワークを見ればいいと思うのですが。「セナだから」と言われてますが、フットワークの2台は特に予選でのパフォーマンスは上がったと思います。
リジェはウィリアムズからセミオートマの供給はあったけど、アクティブサスはなかったですよ。フットワークのマシンは予選では速いけど決勝で燃料が満タンになると車のバランスがバラバラになるって鈴木亜久里氏は後年にテレビで言ってましたね。
1994年ウィリアムズFW16(FW16B)は再びパッシブサスペンションに戻りましたが、1992年のFW14パッシブサスペンションとは違ってウィリアムズ初のトーションバースプリング(捻り棒シャフト)がフロントのみ使われるようになりましたね‼️リヤサスペンションには従来のコイルスプリングが使われましたが後にリヤ側にもトーションバースプリングが使われる事になりF1マシンは徐々にトーションバースプリングが主流になりつつ有りました‼️コイルスプリングも完全に無くなったわけでは無くてサードエレメントと呼ばれるピッチだけを制御コントロールする部分に使われましたが?
マンセルってアクティブサスやフェラーリ時代からのセミATにしっくり順応出来て、その結果ウィリアムズのハイテクマシンを乗りこなせたって才能
マクラーレンのアクティブサスペンションはベネトンから移籍したパット・フライが主体となって開発されたシステムなんですね?ウィリアムズからマクラーレン移籍してきたパティー・ロウが来た時には既にマクラーレン独自のアクティブサスペンションが完成していたので、パティ・ロウが「自分が一体何の役割目的でマクラーレンに引き抜かれたのか?」と疑問に思ってましたね?ウィリアムズとは全く違うシステムだったとも言ってましたね?因みにマクラーレンのアクティブサスペンションにプログラミング行うエンジニアはフェラーリ時代にベルガー担当していたジョルジオ・アスカネッリだったとか?ロン・デニスがタバコ吸いながらプログラ入力作業するアスカネッリの横に灰皿を用意するのが日課だったとユーモアタップリに説明したのが面白いでした?笑それだけアクティブサスペンションのプログラミング作業に時間が必要だったと言う事ですね?
そういう事です。ウィリアムズのリアクティブサスは車高をコーナーブレーキングでのピッチングとロールを制御、ストレートでは抵抗を減らす為に車高を上げる。マクラーレンのアクティブサスはウィリアムズのリアクティブを独自な解釈で開発しました。が一年開発してもウィリアムズには敵わなかったんです。そしてアクティブサスと同じ原理は禁止になった今でも使われています。アクティブサスとECUとTCはコンピューターで繋がっていたんです。
思想としてはマクラーレンのシステムのほうが伸び代はあったようですよウイリアムズの方は実戦に向けて余計なものを削ぎ落としていましたから…93年後半戦のマクラーレンのアクティブシステムはウイリアムズに匹敵かそれ以上という評価もありました
ウィリアムズとマクラーレン以外のアクティブサスペンションの話になるのですが、1992年ロータス107はセミアクティブサスペンションを使っていましたね。しかもロータスのセミアクティブサスペンションはフロント左右の車輪を1本のコイルスプリングとダンパーだけで支えるモノショック式に車高調整の油圧シリンダーを組み合わせた簡易型アクティブ?だから油圧ポンプの作動スイッチを切れば従来のパッシブサスペンションとして走らせる事が可能でした?当時ロータスのレギュラードライバーを努めたハッキネンとジョニー・ハーバートは全てのサーキットでは油圧ポンプのスイッチ切ってパッシブサスペンションだけでドライブしたとコメントしていました?翌1993年のロータス107Bは107と同じモノコック継続して発展改良したマシンですが、セミアクティブサスペンションをフルアクティブサスペンションに変更。フロントもモノショック式から左右独立させた2本のツインショック式にして4輪全てを個別にアクティブ制御に完全移行しました。そのためにパッシブサスペンションに戻して走らせる事は事実上不可能になってしまいました。余談ですが107は更に1994年107Cとして無限ホンダV10エンジン載せたマシンにも使われ続けました。同一モノコックを3シーズンに渡って使い続けた例はマクラーレンMP4/2とティレル020も有りましたが?
@@中村佳己-t4r アクティブの先駆者ロータスチームの意地として93年は導入したんでしょうけど、形として付いてるだけで機能せずということですかね。でも93年はフルアクティブとは意地がすごいですね。その割には遅かったような笑その後同じモノコックを使い続けて、さぞかし剛性が落ちそうな気がしますが大丈夫だったのかな?
ハッキネンはロータス卒業してマクラーレンに移籍しましたが、ロータスに残留したハーバートはフルアクティブサスペンションの107Bには相当手を焼いて苦労させられたとコメントしてましたね?ロータス時代での苦労が報われてF1デビュー果たした古巣ベネトンに戻る事が出来たけれども、既にシューマッハと言う王樣がエースNo.1ドライバーとして君臨していたのでハーバートはセカンドNo.2ドライバーの地位を受け入れるしか仕方無かったでした?ハーバートも一時、フランク・ウィリアムズ卿からウィリアムズドライバーの候補リストアップされた事が有るくらいに速いドライバーとして注目されていました?
1993年ロータス107Bのフルアクティブサスペンションは「ロータスダイナミックサスペンション」と言う名称が付けられたように記憶しています?ウィリアムズの「リアクティブサスペンション」同様に特許出願や商品登録申請のためにオリジナルのネーミング付けたのだろうと思いました?
@@中村佳己-t4r ハーバートは足の怪我のせいか、いいチームに呼んでてもらえませんでしたね。F1ドライバーなのに全日本F3000走ってたのも謎でした。
ティレル020のフロントサスペンションにもアクティブサスペンションの部類に属して良いのか?電気モーターを使って車高調整するライドハイトコントロールシステムが搭載されていましたが電気式アクティブサスペンションと言っても良いのか?余り注目されなかったみたいですね?
1993年ベネトンB193に使われたアクティブサスペンションが油圧式だったのか?ガスシリンダーだったのか?今でも全く知りませんでした。もしご存知の方がおられましたら教えて頂きたいので宜しくお願い致します。ベネトンのアクティブサスペンションはマクラーレンよりもウィリアムズに近いタイプとも思いましたが?
@@中村佳己-t4r 私もよくわからないです、資料があればお伝えします。
@@ogaso-web 様有り難うございます‼️後で気が付いたのですが1993年ベネトンはシーズン最初をパッシブサスペンションのB193A、途中からアクティブサスペンションのB193Bになりましたね‼️B193AもB93Bも外観だけでは全く違い無く区別付きませんでした?それに1992年B192から変化していませんでした‼️リヤタイヤの幅が狭くなって細くなった事を除いて?
@@ogaso-web 様GPカーストーリーは欠かさずチェックしていましたが、まだベネトンの1993年B193AとB193Bは取り上げられていませんね?1992年B192と1994年B194は既に取り上げれた‼️ベネトンが先じんてフロントウイングを2本のステー支柱でノーズ先端を高く持ち上げるスタイルは後に全てのチームマシンに使われて標準装備となりましたが、まだ当時はウィリアムズもマクラーレンもフロントウイングは吊り下げていなかったのでノーズ先端も低く路面に近いローノーズを使っていましたね‼️この2チームが吊り下げウイングのハイノーズにするのは他チームよりも遅かったように思います?
@@ogaso-web 様GPカーストーリーで取り上げられたベネトンのマシンには1990年B190も有りましたが、B192から続く一連の路線マシンとは全く違って別マシンでしたね‼️B190もロリー・バーンが主体となって設計デザインされたマシンでしたがマクラーレンMP4シリーズやフェラーリF640系マシンを手掛けたジョン・バーナードがベネトンに移籍して各部を見直して改良加えられたので、バーンとバーナードとの合作と言える?マシンでした‼️このB190の時はシューマッハもF1デビューしておらずネルソン・ピケがベネトンのエースNo.1ドライバーだった頃でした‼️次のモデルB191でシューマッハが初めてベネトンのマシンをドライブしてピケを上回った事で完全にエース交代となりましたね?ピケがF1引退してシューマッハがベネトンの王様となった?バーナードも再びフェラーリに戻りバーンがベネトンの設計デザイン担当する完全なリーダーに?
@中村佳己-t4r ウイリアムズが95年にハイノーズになったのはクラッシュテストが厳しくなって、クリアする為だったと思います。たしかニューウェイさんが言ってました。
F1って、技術のデパートであるべきで、夢を求めても良いと思う。逆にすっからかんの何もついていないDFRエンジンのキットカーがあってもいい。GT500クラスと300クラス混走にしたらな…と思います!
今ならリアルタイムで路面状況を捉えながら動かせるんだろう究極のマシンを見てみたいけど、人間が操れるものじゃないんだろうな
@@とんじるレーシングちゃんねる 今の技術で作ると車が高性能すぎて、人間が混乱しそうです。
ウィリアムズも将来的に4つの車輪を独立させて動かせる制御のアクティブサスペンションに移行させる方向だったのでは無かったでしょうか?4輪が個別にアクティブサスペンション作動させられる事が出来れば、仮に1つのタイヤがパンクしてしまっても3輪たけのアクロバット走行も可能ですね?笑リタイアせず無事にピットに戻ってニュータイヤ履き換えて再びレース復帰出来る?でも1994年からアクティブサスペンション完全禁止になってしまったので発展熟成は叶いませんでした?
@@中村佳己-t4r おそらく4チャンネルに移行して、タイヤの接地が安定するような、 4輪が油圧で繋がってるのと同じような効果が出るプログラミングを模索したんじゃないでしょうか。たしかに何かのアクシデントの時も、プログラムの幅は広がりますよね。
@@ogaso-web 様一見平坦フラットに見えても路面は凸凹うねりも有って4つの車輪が均等に接地出来ているか?それも静止状態なら何とかバランス取れても実際に高速で動くF1マシンですから尚更ですね‼️あらゆる路面コンディション、車体コンディションの状況変化に対応するにはアクティブサスペンションの助けが必要ですね‼️後はドライバーの感性にマッチングさせるよう味付けさせる事ですね?
1993年を最後にアクティブサスペンションを代表とするハイテクデバイスが全面禁止になったのもFIAによる独断と言うよりフェラーリから政治的圧力受けての決行決断だと思われますね‼️フェラーリはウィリアムズやマクラーレンよりもアクティブサスペンション開発において遅れを取っており費用と時間を掛けたとしても成功完成させられる見通し目処が立てられなかったからだと考えられますね?フェラーリ開発ドライバーのニコラ・ラリーニによってアクティブサスペンション仕様のマシンテストが続けられていましたが結果良くない?フェラーリにF1界から去られてしまうとFIAにとっても大打撃を受ける?フェラーリの影響力は本当大きいですね‼️せっかく時間と費用を掛けて完成したのにも関わらず2年間の寿命で放棄しなければならなかったウィリアムズとマクラーレンには正直気の毒としか言い様無いですね?確かに一部特定のチームだけが技術的アドバンテージを持って勝利を独占するような状況も良くないですが、それもF1の凄さ魅力でも有り弱みでも有る?アクティブサスペンションが全てのチームに行き渡って標準装備導入する手段も無かったのか?と思いましたが余りに綺麗事過ぎて理想ですね‼️個人的には完全自動オートプログラミングしたアクティブサスペンションよりも手動操作によってドライバーが自由自在に扱える簡易アクティブサスペンション導入が良かったのでは無いかと?後に電子制御を一切使わない機械式アクティブと呼ばれるトリックサスペンションやフリックサスペンションが登場した時にもFIAは都度使用禁止の方向に持って行きました。FIAは車体姿勢制御に関する技術には常に環視の目を光らせて発見しては開発の芽を摘み取って封じ込める‼️同じチームばかりが毎回勝ってしまうF1にならないようにするため?
@@中村佳己-t4r フェラーリの圧力は絶大ですよね、給油再開もフェラーリからの注文でしたね。アクティブサス禁止は完全に失敗で、一部の機能を制限するとかにすれば、あんな事故も起きなかったかと思います。一部のチームだけが勝たれては困るという理屈なんでしょうけど、他にもやりようはあったと思います。
@@ogaso-web 様FIAは商業ビジネス主義に走り過ぎる姿勢が露骨に表れていますね?各チームには様々な面で負担負わせながら?それでいてフェラーリに対しては特別扱いする?まるで国連が大国(常任理事国クラス?)にだけ気を使っているみたいで?規模の大きさに関係無く全てのチームに公平なF1は「絵に書いた餅?」実現出来ない理想でしょうか?すいません❗庶民的感情になってしまいました‼️
@@ogaso-web死んだ人は戻ってきませんからね⋯。30年経っても悔恨の日々が続いています。
アクティブサスペンションが禁止されて最も恩恵受けたのはベネトンでしたね‼️アクティブサスペンションを剥ぎ取られてしまったウィリアムズやマクラーレンは共に大幅戦力ダウン↓それに乗じて新興ベネトンが初タイトル獲得狙ってきました‼️ベネトンもウィリアムズやマクラーレンには劣りましたが、ある程度完成されたアクティブサスペンション持っていました‼️それでも新しいレギュレーションに早く対応してアクティブ開発は直ぐに切り上げてパッシブサスペンション対応マシンに切り替えた?新しく導入された燃料給油に合わせたマシン開発にも成功したようですね‼️究極のV8エンジン「フォードゼテックR」の助けも有りました?
@@中村佳己-t4r アクティブのベネトンはレース終盤、ガソリンが減ってくると速くなりました、そのアドバンテージを追求してB194を作ったのでしょう。狙いどおり、少ない給油量ですごく速かったですね。
@ogaso-web 様1994年B194もカラーリングがマイルドセブンから一新された以外は1992年B192や1993年B193AとB193Bと外観変わらない?ロリーバーン設計の空力スタイルが安定している証拠ですね‼️
@@中村佳己-t4r B193Aはまだマニュアルシフトの逃がしで出っ張りがあって、それが消えたくらいでしたかね。たしかに普通に見たら同じデザインです。
@@中村佳己-t4r 空力は完成してたんでしょうね。微調整という感じでしょうか。
@@ogaso-web 様確かに‼️B193Aには膨らみバルジが片側に有りましたね‼️まだマニュアルシフトだからですね?
MP4/8の方がアクティブサスペンションの出来が良さそうな気がします、3ヶ月で投入出来たのはビルシュタイン製のダンパーが余り注目されて居ない点だと思います。
@@SUPRAGT-5 最終戦はマクラーレンの方がコーナリング速度速いように見えました。完全に使いこなせばマクラーレン方式の方が優秀なんでしょうね。
@@ogaso-webマクラーレン式+ビルシュタイン+セナでしょうか?、FW15Cが空力とエンジンパワーが勝ってMP4/8が後出しのハイテクデバイスが勝っていると思います。
マクラーレンMP4/8のアクティブサスペンションはリヤ側だけで無くフロントにも蓄圧アキュームレータと呼ばれた小さな丸いタンクが装着されてました?シッカリ油圧を確保して確実に作動させられるよう気を使っている様子が感じられましたね?ウィリアムズも油圧系統には神経使ってレースが終わる度に配管の洗浄ブラッシング行いシステム安全信頼確保に力を入れてましたね?油圧オイルに空気や異物が咬み込んでも性能に影響してしまう本当にデリケートな代物なんですね?
@@中村佳己-t4r マクラーレンは油圧のレスポンス遅延を発生させないよう、気を付けて設計したんですね。ウイリアムズは配管が長いのも助長したのか、当初は気泡の混入に苦労したようですね。
有難うございます。油圧配管が長ければ長いほど気泡発生や異物混入のリスクも多くなる?1987年ロータス99Tでアクティブサスペンション経験済みのセナは作動の応答遅れに対しては厳しかったかも知れ無いですね?セナはマクラーレンで2度目のアクティブサスペンション使用になりますね?
@中村佳己-tロータスでの経験から注文を出していたかもですね。93年に何度か勝てたのはセナのアクティブサスの理解度が高かったからですよね。
セナがドライブしたロータス99Tが市街地コースと言う状況だったでしたが、モナコとデトロイトで2勝したのは凄い事でしたね。高速サーキットではウィリアムズに太刀打ち出来無かったでしたが?マクラーレンMP4/8でも雨と言う状況のレース有りましたが優勝重ねましたね?セナはアクティブサスペンションを理解して使いこなしてましね。プロストはアクティブサスペンション初体験の初心者だったので相当苦戦苦労をしましたね?
@@中村佳己-t4r プロストは大変だったでしょうね。レース人生の最後にドライビングスタイルを変えないといけないのは、心理的な負担が強かったと想像します。
ウィリアムズのアクティブサスは一点物で、マクラーレンのアクティブサスは他チームに対して販売する目的があったのか?汎用性に特化したアクティブサスだった印象です。特にフットワークアロウズがマクラーレン製のアクティブサスを搭載されてから‥マシン性能が向上していたので。関係はないですが、マイケルアンドレッティに関しては、マクラーレンのマシン開発が遅れたことやセナの契約問題に振り回されたこと、ルノーエンジンが搭載されなかったことがマイナス要因になりましたね。スペインGP以後はよく頑張ったと思います。
コメントありがとうございます。フットワークに搭載して性能を発揮できるということは、すごい汎用性ですよね。マイケル・アンドレッティは最悪なタイミングでマクラーレンに入ってしまったということですかね?本人の責任ではなくタイミングが彼に逆風だったかもしれないです。
マクラーレンのアクティブサスペンションシステムの値段高い方がマクラーレンが使って値段が安い簡易型をフットワークアローズに販売して使ってもらった?と専門雑誌に書いて有りましたね?ウィリアムズの「リアクティブサスペンション」は他チームには販売せずに独占していましね?同じルノーV10エンジンを使える事になったリジェにウィリアムズはギヤボックスは供給したけれども、アクティブサスペンションシステムは有償でも供給しませんでしたね?
@@中村佳己-t4r フットワークが買ったシステムは一部機能が省かれていたそうですね。それでもすごく速くなったので、すごいものです。
フットワーク買った簡易型と違ってマクラーレンが使ったグレード高い方のアクティブサスペンションは油圧シリンダーのストローク自体も長さ自由に可変させられる仕様だったそうですね?
お久しぶりです。アクティブサスペンションは奥深いですね?ウィリアムズ方式とマクラーレン方式との違い比較は面白いですね。どちらもメリット、デメリット有るので甲乙付け難い?1992年マクラーレンがイタリアGP予選で走らせたMP4/7Bのアクティブサスペンションは実戦向きでは無かったので決勝では使われる事無く引っ込められてしまいましたね?その時の反省問題点を考えて開発されたのが1993年MP4/8でしたね。ウィリアムズ「リアクティブサスペンション」の方が最初から実戦向きで長い開発時間掛けた事も有って1992年FW14Bで即デビュー出来ましたね?FW14Bの金色油圧シリンダーは見た目インパクト迫力有りました?外側には螺旋状コイルスプリングが全く無くスッキリした外観?マクラーレンの油圧シリンダーにはコイルスプリング付いていて対照的でした。コイルスプリングはアクティブサスペンションの油圧低下によるシステムタウンで車高が下がり切って車体底が路面に接触してボトムダウンしないようにバックアップするための1つですね?ウィリアムズも金色油圧シリンダー外側にはコイルスプリング無いですが内部に小さな皿バネが装着されて油圧下がっても最低限車高維持出来るようになっているようです?
@@中村佳己-t4r コメントありがとうございます。前年にホンダ製?のアクティブサスは油圧で車体を支えるシステムで、デメリットが多かったのか採用しませんでしたね。マクラーレンの93年のシステムは作るのも割と簡単で安全性も確保できて、最適解だったようですね。93年の終盤まではウイリアムズが速さではリードしてましたから、残した偉業という点ではウイリアムズのアクティブが最優秀ということになりますかね。
ホンダが独自に開発したアクティブサスペンションは1987年ロータス99Tを御手本にしたフルアクティブサスペンションだったとGPカーストーリーでも説明されてましね?でも直線ストレート区間でも油圧使うのでエネルギーロスの無駄が発生してしまう?まず簡易セミアクティブサスペンションで実績作ってからフルアクティブサスペンションに移行した方が良かった?ホンダは難しいフルアクティブサスペンションに挑戦したのですね?
@@中村佳己-t4r ホンダ製のはパワーをかなり食ったようですから、デメリットが勝ってしまいそうな気がします。完全に制御できれば、ウイリアムズより速いというイメージなんでしょうね。
@@ogaso-web 様ウィリアムズの「リアクティブサスペンション」を上回る最高のモノを出そうとする意気込み感じられましたね?今でも考えたりしますがホンダが、もう1年だけ撤退遅らせてマクラーレンMP4/8にホンダV12エンジン搭載してくれたら?試作テストでMP4/8を改良してランボルギーニV12エンジン載せましたから?笑でもホンダエンジンを失ったからマクラーレンに危機感が生まれて実戦で使えるアクティブサスペンション開発出来たかも知れないですね?ホンダに依存するのマクラーレンが目を覚ました?セナはエンジンパワー欲しくて欲しくてホンダに戻って来てとサイン送り続けてましたね?笑
少し下品な表現になってしまいますが、せっかくホンダV12エンジンで稼いだ最高のパワー出力をフルアクティブサスペンションの動力に使われてしまう「共喰い」陥る状態だったかと?後に続くアクティブサスペンションは出来る限りエンジンパワーのロスを少なくする省エネルギー型を目指しましたね。従来型パッシブサスペンションにアクティブサスペンションの良さを加えたハイブリッドサスペンションと読んでも良いですね?
プロストがウィリアムズFW15Cで1993年4回目ドライバータイトル獲得する事が出来ましたが、チームメイトがデーモン・ヒルでは無くマンセルであればマンセルが2年連続ドライバータイトル獲得してプロストは負けていたかも知れ無いですね?アクティブカーに関してはマンセルの方が明らかに扱い上手くプロストは苦戦しましたから?プロストは口ではマンセルとコンビ組んでも全く問題無いと言っていましたがフェラーリ時代にマンセルとは少し気マズイ関係?になった事でマンセルは自分からウィリアムズを出て行くだろうと計算していたかも知れ無いです?プロストはパトレーゼとなら何とかウィリアムズでタイトル獲得出来たとも思っていたかも知れ無いですがパトレーゼも出て行った。結局F1ルーキー新人のヒルがチームメイトになりましたが、シーズン後半辺りからヒルがプロストに挑むようになって来ましたね。プロストにとっては予想外だったと思いますが、ヒルの事が大好きなのでプロストはF1での経験、特に世界王者になるための秘訣テクニックを愛弟子ヒルに伝授したでしょうね。引退を目前にして?
@@中村佳己-t4r プロストはマンセルと戦えば、この年に限って言えば負けたと思います。ウイリアムズは片方に依怙贔屓するチームではないですからね。たしかに政治的なゴタゴタに巻き込まれればマンセルが残るはずはないと予測はしていたかもですね。
私もウィリアムズと言うチームは決して片方のドライバーに肩入れするようなチームでは無いと思います?例え世界王者経験のプロストやピケで有ってもフランク・ ウィリアムズ卿は妥協しない?ただプロストはルノーのバックアップ受けていたから難点でしたが?マンセルはプロストとは一緒に走りたくない事をフランク・ウィリアムズ卿も見抜いていましたね?そのプロストも今度はセナがウィリアムズにやって来ると分かっていたから1994年の契約延長を断って引退しましたね?
@@ogaso-web 様フランク・ウィリアムズ卿と言う人物はチーム第一主義の方針取る方なのでドライバー同士の戦いバトルは黙認すると言うのか?わりと自由を与える様に思いますが、その代わり両者相討ちでもして共にリタイアでもしてしまったら2人同時に契約解雇クビにするくらいに厳しいと言われてる?ウィリアムズがホンダとジョイントしていた時のピケとマンセルが典型的例でした‼️そのフランク・ウィリアムズ卿が、セナとプロストを同時にコンビ組ませて囲い込みたい気持ち有ったみたいですね?セナとプロストの2枚看板ドライバーをウィリアムズで実現させてマクラーレンのロン・デニスに最大の屈辱を与えたかったとも言われている?過去にホンダエンジンをマクラーレンに奪われた報復仕返しとして?ウィリアムズとマクラーレンはドライバー同士の戦いだけで無くチーム代表同士の戦いでも有りますね‼️幸いプロストがフランク・ウィリアムズ卿の心中を察してか?自ら契約延長を辞退して丁寧に断ったと記事では伝えられました‼️プロストにしてみればマクラーレン時代に味わった苦い出来事を再現したくはなかったでしょうから‼️
ウィリアムズは常にサスペンションのシリンダー内、アクチュエータ内のオイルやガスを前後左右一定値に保つ用システム化されていて、その為一定にする間のタイムラグが有りました、マクラーレンのアクサスはドライバーのスタイルに合わせての姿勢制御的な面が強いので縁石やCPでの僅かな傾きをドライバーが身体で感知しコントロールするサポートシステムとしての要素が有りましたから、セナのドライビングスタイルに合っていたんでしょうね。
コメント第一号ありがとうございます。93年が始まるまでになんとかアクティブサスペンションを完成させたマクラーレンはすごいですね。
@@ogaso-web 様
マクラーレン製アクティブサスペンションの制御プログラムはマクラーレンの関連会社TAGエレクトロニクスが担当していたとGPカーストーリーで説明されていましたね‼️
TAGエレクトロニクスはマクラーレンが1984年~1987年まで使用していたTAGポルシェターボエンジンの電子制御マネージメントシステム「ボッシュ・モトロニック」を担当していたドイツ🇩🇪ボッシュ社のエンジニアスタッフをマクラーレンがヘッドハンティングして結成した専門集団?とも説明していましたね‼️
アクティブサスペンションが禁止されて以降の1994年もTAGエレクトロニクスはマクラーレンが新しく搭載する事になったフランス🇫🇷プジョーV10のエンジンマネージメントシステムを担当する事になりました‼️
マンセルはロータスデアクティブサスをテストした経験があった。パトレーゼや、プロストにはその経験がないんですよね。マクラーレンのプログラミングの作業の多さは、ホンダの影響かもしれませんね。
ピケ、プロスト、マンセル、セナ、パトレーゼなど1980年代に活躍した人達はパッシブサスペンションに慣れた典型的ドライバーと言えますね?
マンセルやセナが真っ先にアクティブサスペンションを使った出来事は特別ですね?
アクティブサスペンションが本格的に使われた1992年以降にF1デビューした新人ルーキーだと実戦経験が無い代わりに先入観も無いからアクティブサスペンションに対する考え方がベテランドライバーとは一線画すのでは無いでしょうか?
ウィリアムズのアクティブサスペンション開発ドライバーを努めたデーモン・ヒルが代表例ですね?
プロストがアクティブサスペンション使用にあたり過去のパッシブサスペンションのセットアップ技術テクニックが逆に邪魔したのかも知れ無いですね?
全く頭を空っぽにして白紙リセットするのは難しいけれども?
MP4/8のオンボード映像を見るとフロントサスの動きに同調してステアリングが揺れる揺れる。
運転しながら常にその入力があるからハンドルは取られないにしても大変だと思う。
ちなみに、マクラーレンは開幕戦から数戦はかなりパッシブ寄りのセッティングで走らせていたそうです。
本領発揮の状態ではないのにウイリアムズとポール争いをしたのだから凄い。いや、セナが凄いのかも。
脇からすいません。
アクティブサスペンションではダイレクトに路面からの振動キックバックが伝わり難いからステアリングに伝わって来る振動キックバックからF1ドライバーはタイヤからのグリップ感覚を掴んでいたのでは無いでしょうか?
油圧が振動を吸収してしまう?
もしかしたらウィリアムズのマンセルも同じように?
マンセルのステアリングは直径が小さくて回転させるのに腕力が必要だった?
ウィリアムズFW14Bには油圧パワーステアリングが無かったから?
F1ドライバーからの証言感想が手掛かりになりますね?
@@中村佳己-t4r ウイリアムズとベネトンはステアリングの揺れはないように見えるんですよ。フェラーリのオンボード映像はあまり無かったと思いますが、揺れていなかったと思います。
マンセルはFW14→FW14Bでステアリングが極端に重くなってベースは同じなのにまったく別のマシンになったと言っていましたね。
@@icwa2800 様
有り難うございます‼️
ウィリアムズFW14とFW14Bはアクティブサスペンションの有り無し以外には特に違いの無い同一マシン?に見られた‼️
モノコックのサイズもマンセルとパトレーゼの体型体格に合わせた専用マシン。
ステアリングは各ドライバーの好みオーダーに合わせて造られた仕様?
プロストもマンセルよりは大径でしたが小さなサイズのステアリング。
最も大きいサイズ口径のステアリングだったのをセナが好んで使っていたのは有名でしたね‼️
そのために1994年ウィリアムズFW16に合わせる作業が困難な事に?
この時代のF1マシンは空力的にメリット活かせるよう徹底的に絞り込んで細身のモノコックにしたからF1ドライバーにとっては窮屈なポジションだったですね‼️
@@icwa2800 すごい!よく観察してますね!たしかにセナの手がサスの上下とリンクしたような動きをしていますよね。ウイリアムズとなんか違うなあと思って見てました!
@@ogaso-web バンピーな鈴鹿のオンボードを見るとよく分かるんですよ。同じアクティブサス方式のベネトンはステアリングが揺れていないので不思議ですね。
ちなみに、MP4/8はスピードが上がると前部のカウルの隙間が開いてきます。テスト不足のツケが回ってきたんでしょうかw
たしか93年に、マクラーレン製のアクティブサス(スペックダウン仕様)を、
シーズン後半にフットワーク(FA14)に搭載したら、ハンドリングの問題が一気に解消して、
途端に早くなってシングルグリッドの常連になってましたね。
フットワークがこんなに速くなるのか!と驚きましたね。完走率は最低でしたけど。
@@ogaso-web
たしか、もう一つの問題のミッショントラブルが深刻で、壊れまくってましたね。
@@MegaTakaki しょせんトップチームじゃないと、ハイテクにあれこれ手を出すと熟成できないんですかね。
@@ogaso-web
まぁ、資金の豊富なトップチームと比べて、資金が乏しかったでしょうから、どちらに絞らなければいけなかったんでしょうね。
更に、アクティブサスペンションアーム成るものも考えていたらしいですね。
7:20〜
ウィリアムズとマクラーレンを比較するより、提供されたリジェとフットワークを見ればいいと思うのですが。
「セナだから」と言われてますが、フットワークの2台は特に予選でのパフォーマンスは上がったと思います。
リジェはウィリアムズからセミオートマの供給はあったけど、アクティブサスはなかったですよ。
フットワークのマシンは予選では速いけど決勝で燃料が満タンになると車のバランスがバラバラになるって鈴木亜久里氏は後年にテレビで言ってましたね。
1994年ウィリアムズFW16(FW16B)は再びパッシブサスペンションに戻りましたが、1992年のFW14パッシブサスペンションとは違って
ウィリアムズ初のトーションバースプリング(捻り棒シャフト)がフロントのみ使われるようになりましたね‼️
リヤサスペンションには従来のコイルスプリングが使われましたが
後にリヤ側にもトーションバースプリングが使われる事になり
F1マシンは徐々にトーションバースプリングが主流になりつつ有りました‼️
コイルスプリングも完全に無くなったわけでは無くてサードエレメントと呼ばれるピッチだけを制御コントロールする部分に使われましたが?
マンセルってアクティブサスやフェラーリ時代からのセミATにしっくり順応出来て、その結果ウィリアムズのハイテクマシンを乗りこなせた
って才能
マクラーレンのアクティブサスペンションは
ベネトンから移籍したパット・フライが主体となって開発されたシステムなんですね?
ウィリアムズからマクラーレン移籍してきたパティー・ロウが来た時には既にマクラーレン独自のアクティブサスペンションが完成していたので、
パティ・ロウが「自分が一体何の役割目的でマクラーレンに引き抜かれたのか?」と疑問に思ってましたね?
ウィリアムズとは全く違うシステムだったとも言ってましたね?
因みにマクラーレンのアクティブサスペンションにプログラミング行うエンジニアは
フェラーリ時代にベルガー担当していたジョルジオ・アスカネッリだったとか?
ロン・デニスがタバコ吸いながらプログラ入力作業するアスカネッリの横に灰皿を用意するのが日課だったとユーモアタップリに説明したのが面白いでした?笑
それだけアクティブサスペンションのプログラミング作業に時間が必要だったと言う事ですね?
そういう事です。ウィリアムズのリアクティブサスは車高をコーナーブレーキングでのピッチングとロールを制御、ストレートでは抵抗を減らす為に車高を上げる。
マクラーレンのアクティブサスは
ウィリアムズのリアクティブを独自な解釈で開発しました。
が一年開発してもウィリアムズには敵わなかったんです。
そしてアクティブサスと同じ原理は禁止になった今でも使われています。
アクティブサスとECUとTCはコンピューターで繋がっていたんです。
思想としてはマクラーレンのシステムのほうが伸び代はあったようですよ
ウイリアムズの方は実戦に向けて余計なものを削ぎ落としていましたから…
93年後半戦のマクラーレンのアクティブシステムはウイリアムズに匹敵かそれ以上という評価もありました
ウィリアムズとマクラーレン以外のアクティブサスペンションの話になるのですが、
1992年ロータス107はセミアクティブサスペンションを使っていましたね。
しかもロータスのセミアクティブサスペンションはフロント左右の車輪を1本のコイルスプリングとダンパーだけで支えるモノショック式に車高調整の油圧シリンダーを組み合わせた簡易型アクティブ?
だから油圧ポンプの作動スイッチを切れば従来のパッシブサスペンションとして走らせる事が可能でした?
当時ロータスのレギュラードライバーを努めたハッキネンとジョニー・ハーバートは全てのサーキットでは油圧ポンプのスイッチ切ってパッシブサスペンションだけでドライブしたとコメントしていました?
翌1993年のロータス107Bは107と同じモノコック継続して発展改良したマシンですが、セミアクティブサスペンションをフルアクティブサスペンションに変更。
フロントもモノショック式から左右独立させた2本のツインショック式にして4輪全てを個別にアクティブ制御に完全移行しました。
そのためにパッシブサスペンションに戻して走らせる事は事実上不可能になってしまいました。
余談ですが107は
更に1994年107Cとして無限ホンダV10エンジン載せたマシンにも使われ続けました。
同一モノコックを3シーズンに渡って使い続けた例は
マクラーレンMP4/2とティレル020も有りましたが?
@@中村佳己-t4r アクティブの先駆者ロータスチームの意地として93年は導入したんでしょうけど、形として付いてるだけで機能せずということですかね。
でも93年はフルアクティブとは意地がすごいですね。その割には遅かったような笑
その後同じモノコックを使い続けて、さぞかし剛性が落ちそうな気がしますが大丈夫だったのかな?
ハッキネンはロータス卒業してマクラーレンに移籍しましたが、ロータスに残留したハーバートはフルアクティブサスペンションの107Bには相当手を焼いて苦労させられたとコメントしてましたね?
ロータス時代での苦労が報われてF1デビュー果たした古巣ベネトンに戻る事が出来たけれども、既にシューマッハと言う王樣がエースNo.1ドライバーとして君臨していたのでハーバートはセカンドNo.2ドライバーの地位を受け入れるしか仕方無かったでした?
ハーバートも一時、フランク・ウィリアムズ卿からウィリアムズドライバーの候補リストアップされた事が有るくらいに速いドライバーとして注目されていました?
1993年ロータス107Bのフルアクティブサスペンションは「ロータスダイナミックサスペンション」と言う名称が付けられたように記憶しています?
ウィリアムズの「リアクティブサスペンション」同様に特許出願や商品登録申請のためにオリジナルのネーミング付けたのだろうと思いました?
@@中村佳己-t4r ハーバートは足の怪我のせいか、いいチームに呼んでてもらえませんでしたね。F1ドライバーなのに全日本F3000走ってたのも謎でした。
ティレル020のフロントサスペンションにもアクティブサスペンションの部類に属して良いのか?
電気モーターを使って車高調整するライドハイトコントロールシステムが搭載されていましたが電気式アクティブサスペンションと言っても良いのか?
余り注目されなかったみたいですね?
1993年ベネトンB193に使われたアクティブサスペンションが油圧式だったのか?ガスシリンダーだったのか?今でも全く知りませんでした。
もしご存知の方がおられましたら教えて頂きたいので宜しくお願い致します。
ベネトンのアクティブサスペンションはマクラーレンよりもウィリアムズに近いタイプとも思いましたが?
@@中村佳己-t4r 私もよくわからないです、資料があればお伝えします。
@@ogaso-web 様
有り難うございます‼️
後で気が付いたのですが
1993年ベネトンはシーズン最初をパッシブサスペンションのB193A、途中からアクティブサスペンションのB193Bになりましたね‼️
B193AもB93Bも外観だけでは全く違い無く区別付きませんでした?
それに1992年B192から変化していませんでした‼️
リヤタイヤの幅が狭くなって細くなった事を除いて?
@@ogaso-web 様
GPカーストーリーは欠かさずチェックしていましたが、
まだベネトンの1993年B193AとB193Bは取り上げられていませんね?
1992年B192と1994年B194は既に取り上げれた‼️
ベネトンが先じんてフロントウイングを2本のステー支柱でノーズ先端を高く持ち上げるスタイルは後に全てのチームマシンに使われて標準装備となりましたが、
まだ当時はウィリアムズもマクラーレンもフロントウイングは吊り下げていなかったのでノーズ先端も低く路面に近いローノーズを使っていましたね‼️
この2チームが吊り下げウイングのハイノーズにするのは他チームよりも遅かったように思います?
@@ogaso-web 様
GPカーストーリーで取り上げられたベネトンのマシンには1990年B190も有りましたが、B192から続く一連の路線マシンとは全く違って別マシンでしたね‼️
B190もロリー・バーンが主体となって設計デザインされたマシンでしたが
マクラーレンMP4シリーズやフェラーリF640系マシンを手掛けたジョン・バーナードがベネトンに移籍して各部を見直して改良加えられたので、
バーンとバーナードとの合作と言える?マシンでした‼️
このB190の時はシューマッハもF1デビューしておらずネルソン・ピケがベネトンのエースNo.1ドライバーだった頃でした‼️
次のモデルB191でシューマッハが初めてベネトンのマシンをドライブしてピケを上回った事で完全にエース交代となりましたね?
ピケがF1引退してシューマッハがベネトンの王様となった?
バーナードも再びフェラーリに戻りバーンがベネトンの設計デザイン担当する完全なリーダーに?
@中村佳己-t4r ウイリアムズが95年にハイノーズになったのはクラッシュテストが厳しくなって、クリアする為だったと思います。たしかニューウェイさんが言ってました。
F1って、技術のデパートであるべきで、夢を求めても良いと思う。逆にすっからかんの何もついていないDFRエンジンのキットカーがあってもいい。GT500クラスと300クラス混走にしたらな…と思います!
今ならリアルタイムで路面状況を捉えながら動かせるんだろう
究極のマシンを見てみたいけど、人間が操れるものじゃないんだろうな
@@とんじるレーシングちゃんねる 今の技術で作ると車が高性能すぎて、人間が混乱しそうです。
ウィリアムズも将来的に4つの車輪を独立させて動かせる制御のアクティブサスペンションに移行させる方向だったのでは無かったでしょうか?
4輪が個別にアクティブサスペンション作動させられる事が出来れば、
仮に1つのタイヤがパンクしてしまっても3輪たけのアクロバット走行も可能ですね?笑
リタイアせず無事にピットに戻ってニュータイヤ履き換えて再びレース復帰出来る?
でも1994年からアクティブサスペンション完全禁止になってしまったので発展熟成は叶いませんでした?
@@中村佳己-t4r おそらく4チャンネルに移行して、タイヤの接地が安定するような、 4輪が油圧で繋がってるのと同じような効果が出るプログラミングを模索したんじゃないでしょうか。
たしかに何かのアクシデントの時も、プログラムの幅は広がりますよね。
@@ogaso-web 様
一見平坦フラットに見えても路面は凸凹うねりも有って4つの車輪が均等に接地出来ているか?
それも静止状態なら何とかバランス取れても実際に高速で動くF1マシンですから尚更ですね‼️
あらゆる路面コンディション、車体コンディションの状況変化に対応するにはアクティブサスペンションの助けが必要ですね‼️
後はドライバーの感性にマッチングさせるよう味付けさせる事ですね?
1993年を最後にアクティブサスペンションを代表とするハイテクデバイスが全面禁止になったのもFIAによる独断と言うより
フェラーリから政治的圧力受けての決行決断だと思われますね‼️
フェラーリはウィリアムズやマクラーレンよりもアクティブサスペンション開発において遅れを取っており費用と時間を掛けたとしても成功完成させられる見通し目処が立てられなかったからだと考えられますね?
フェラーリ開発ドライバーのニコラ・ラリーニによってアクティブサスペンション仕様のマシンテストが続けられていましたが結果良くない?
フェラーリにF1界から去られてしまうとFIAにとっても大打撃を受ける?
フェラーリの影響力は本当大きいですね‼️
せっかく時間と費用を掛けて完成したのにも関わらず2年間の寿命で放棄しなければならなかったウィリアムズとマクラーレンには正直気の毒としか言い様無いですね?
確かに一部特定のチームだけが技術的アドバンテージを持って勝利を独占するような状況も良くないですが、それもF1の凄さ魅力でも有り弱みでも有る?
アクティブサスペンションが全てのチームに行き渡って標準装備導入する手段も無かったのか?と思いましたが余りに綺麗事過ぎて理想ですね‼️
個人的には完全自動オートプログラミングしたアクティブサスペンションよりも手動操作によってドライバーが自由自在に扱える簡易アクティブサスペンション導入が良かったのでは無いかと?
後に電子制御を一切使わない機械式アクティブと呼ばれるトリックサスペンションやフリックサスペンションが登場した時にもFIAは都度使用禁止の方向に持って行きました。
FIAは車体姿勢制御に関する技術には常に環視の目を光らせて発見しては開発の芽を摘み取って封じ込める‼️
同じチームばかりが毎回勝ってしまうF1にならないようにするため?
@@中村佳己-t4r フェラーリの圧力は絶大ですよね、給油再開もフェラーリからの注文でしたね。
アクティブサス禁止は完全に失敗で、一部の機能を制限するとかにすれば、あんな事故も起きなかったかと思います。
一部のチームだけが勝たれては困るという理屈なんでしょうけど、他にもやりようはあったと思います。
@@ogaso-web 様
FIAは商業ビジネス主義に走り過ぎる姿勢が露骨に表れていますね?
各チームには様々な面で負担負わせながら?
それでいてフェラーリに対しては特別扱いする?
まるで国連が大国(常任理事国クラス?)にだけ気を使っているみたいで?
規模の大きさに関係無く全てのチームに公平なF1は「絵に書いた餅?」
実現出来ない理想でしょうか?
すいません❗庶民的感情になってしまいました‼️
@@ogaso-web死んだ人は戻ってきませんからね⋯。30年経っても悔恨の日々が続いています。
アクティブサスペンションが禁止されて最も恩恵受けたのはベネトンでしたね‼️
アクティブサスペンションを剥ぎ取られてしまったウィリアムズやマクラーレンは共に大幅戦力ダウン↓
それに乗じて新興ベネトンが初タイトル獲得狙ってきました‼️
ベネトンもウィリアムズやマクラーレンには劣りましたが、ある程度完成されたアクティブサスペンション持っていました‼️
それでも新しいレギュレーションに早く対応してアクティブ開発は直ぐに切り上げてパッシブサスペンション対応マシンに切り替えた?
新しく導入された燃料給油に合わせたマシン開発にも成功したようですね‼️
究極のV8エンジン「フォードゼテックR」の助けも有りました?
@@中村佳己-t4r アクティブのベネトンはレース終盤、ガソリンが減ってくると速くなりました、そのアドバンテージを追求してB194を作ったのでしょう。狙いどおり、少ない給油量ですごく速かったですね。
@ogaso-web 様
1994年B194もカラーリングがマイルドセブンから一新された以外は
1992年B192や1993年B193AとB193Bと外観変わらない?
ロリーバーン設計の空力スタイルが安定している証拠ですね‼️
@@中村佳己-t4r B193Aはまだマニュアルシフトの逃がしで出っ張りがあって、それが消えたくらいでしたかね。たしかに普通に見たら同じデザインです。
@@中村佳己-t4r 空力は完成してたんでしょうね。微調整という感じでしょうか。
@@ogaso-web 様
確かに‼️
B193Aには膨らみバルジが片側に有りましたね‼️
まだマニュアルシフトだからですね?
MP4/8の方がアクティブサスペンションの出来が良さそうな気がします、3ヶ月で投入出来たのはビルシュタイン製のダンパーが余り注目されて居ない点だと思います。
@@SUPRAGT-5 最終戦はマクラーレンの方がコーナリング速度速いように見えました。完全に使いこなせばマクラーレン方式の方が優秀なんでしょうね。
@@ogaso-webマクラーレン式+ビルシュタイン+セナでしょうか?、FW15Cが空力とエンジンパワーが勝ってMP4/8が後出しのハイテクデバイスが勝っていると思います。
マクラーレンMP4/8のアクティブサスペンションは
リヤ側だけで無くフロントにも蓄圧アキュームレータと呼ばれた小さな丸いタンクが装着されてました?
シッカリ油圧を確保して確実に作動させられるよう気を使っている様子が感じられましたね?
ウィリアムズも油圧系統には神経使ってレースが終わる度に配管の洗浄ブラッシング行いシステム安全信頼確保に力を入れてましたね?
油圧オイルに空気や異物が咬み込んでも性能に影響してしまう本当にデリケートな代物なんですね?
@@中村佳己-t4r マクラーレンは油圧のレスポンス遅延を発生させないよう、気を付けて設計したんですね。
ウイリアムズは配管が長いのも助長したのか、当初は気泡の混入に苦労したようですね。
有難うございます。
油圧配管が長ければ長いほど気泡発生や異物混入のリスクも多くなる?
1987年ロータス99Tでアクティブサスペンション経験済みのセナは作動の応答遅れに対しては厳しかったかも知れ無いですね?
セナはマクラーレンで2度目のアクティブサスペンション使用になりますね?
@中村佳己-tロータスでの経験から注文を出していたかもですね。
93年に何度か勝てたのはセナのアクティブサスの理解度が高かったからですよね。
セナがドライブしたロータス99Tが市街地コースと言う状況だったでしたが、
モナコとデトロイトで2勝したのは凄い事でしたね。
高速サーキットではウィリアムズに太刀打ち出来無かったでしたが?
マクラーレンMP4/8でも雨と言う状況のレース有りましたが優勝重ねましたね?
セナはアクティブサスペンションを理解して使いこなしてましね。
プロストはアクティブサスペンション初体験の初心者だったので相当苦戦苦労をしましたね?
@@中村佳己-t4r プロストは大変だったでしょうね。レース人生の最後にドライビングスタイルを変えないといけないのは、心理的な負担が強かったと想像します。
ウィリアムズのアクティブサスは一点物で、
マクラーレンのアクティブサスは他チームに
対して販売する目的があったのか?汎用性に
特化したアクティブサスだった印象です。
特にフットワークアロウズがマクラーレン製
のアクティブサスを搭載されてから‥マシン
性能が向上していたので。
関係はないですが、マイケルアンドレッティ
に関しては、マクラーレンのマシン開発が
遅れたことやセナの契約問題に振り回された
こと、ルノーエンジンが搭載されなかった
ことがマイナス要因になりましたね。
スペインGP以後はよく頑張ったと思います。
コメントありがとうございます。フットワークに搭載して性能を発揮できるということは、すごい汎用性ですよね。マイケル・アンドレッティは最悪なタイミングでマクラーレンに入ってしまったということですかね?本人の責任ではなくタイミングが彼に逆風だったかもしれないです。
マクラーレンのアクティブサスペンションシステムの値段高い方がマクラーレンが使って値段が安い簡易型をフットワークアローズに販売して使ってもらった?
と専門雑誌に書いて有りましたね?
ウィリアムズの「リアクティブサスペンション」は他チームには販売せずに独占していましね?
同じルノーV10エンジンを使える事になったリジェにウィリアムズはギヤボックスは供給したけれども、
アクティブサスペンションシステムは有償でも供給しませんでしたね?
@@中村佳己-t4r フットワークが買ったシステムは一部機能が省かれていたそうですね。それでもすごく速くなったので、すごいものです。
フットワーク買った簡易型と違ってマクラーレンが使ったグレード高い方のアクティブサスペンションは
油圧シリンダーのストローク自体も長さ自由に可変させられる仕様だったそうですね?
お久しぶりです。
アクティブサスペンションは奥深いですね?
ウィリアムズ方式とマクラーレン方式との違い比較は面白いですね。
どちらもメリット、デメリット有るので甲乙付け難い?
1992年マクラーレンがイタリアGP予選で走らせたMP4/7Bのアクティブサスペンションは実戦向きでは無かったので決勝では使われる事無く引っ込められてしまいましたね?
その時の反省問題点を考えて開発されたのが1993年MP4/8でしたね。
ウィリアムズ「リアクティブサスペンション」の方が最初から実戦向きで長い開発時間掛けた事も有って1992年FW14Bで即デビュー出来ましたね?
FW14Bの金色油圧シリンダーは見た目インパクト迫力有りました?
外側には螺旋状コイルスプリングが全く無くスッキリした外観?
マクラーレンの油圧シリンダーにはコイルスプリング付いていて対照的でした。
コイルスプリングはアクティブサスペンションの油圧低下によるシステムタウンで車高が下がり切って車体底が路面に接触してボトムダウンしないようにバックアップするための1つですね?
ウィリアムズも金色油圧シリンダー外側にはコイルスプリング無いですが内部に小さな皿バネが装着されて油圧下がっても最低限車高維持出来るようになっているようです?
@@中村佳己-t4r コメントありがとうございます。
前年にホンダ製?のアクティブサスは油圧で車体を支えるシステムで、
デメリットが多かったのか採用しませんでしたね。
マクラーレンの93年のシステムは作るのも割と簡単で安全性も確保できて、最適解だったようですね。
93年の終盤まではウイリアムズが速さではリードしてましたから、残した偉業という点ではウイリアムズのアクティブが最優秀ということになりますかね。
ホンダが独自に開発したアクティブサスペンションは1987年ロータス99Tを御手本にしたフルアクティブサスペンションだったとGPカーストーリーでも説明されてましね?
でも直線ストレート区間でも油圧使うのでエネルギーロスの無駄が発生してしまう?
まず簡易セミアクティブサスペンションで実績作ってからフルアクティブサスペンションに移行した方が良かった?
ホンダは難しいフルアクティブサスペンションに挑戦したのですね?
@@中村佳己-t4r ホンダ製のはパワーをかなり食ったようですから、デメリットが勝ってしまいそうな気がします。
完全に制御できれば、ウイリアムズより速いというイメージなんでしょうね。
@@ogaso-web 様
ウィリアムズの「リアクティブサスペンション」を上回る最高のモノを出そうとする意気込み感じられましたね?
今でも考えたりしますがホンダが、もう1年だけ撤退遅らせてマクラーレンMP4/8にホンダV12エンジン搭載してくれたら?
試作テストでMP4/8を改良してランボルギーニV12エンジン載せましたから?笑
でもホンダエンジンを失ったからマクラーレンに危機感が生まれて実戦で使えるアクティブサスペンション開発出来たかも知れないですね?
ホンダに依存するのマクラーレンが目を覚ました?
セナはエンジンパワー欲しくて欲しくてホンダに戻って来てとサイン送り続けてましたね?笑
少し下品な表現になってしまいますが、せっかくホンダV12エンジンで稼いだ最高のパワー出力をフルアクティブサスペンションの動力に使われてしまう「共喰い」陥る状態だったかと?
後に続くアクティブサスペンションは出来る限りエンジンパワーのロスを少なくする省エネルギー型を目指しましたね。
従来型パッシブサスペンションにアクティブサスペンションの良さを加えたハイブリッドサスペンションと読んでも良いですね?
プロストがウィリアムズFW15Cで1993年4回目ドライバータイトル獲得する事が出来ましたが、
チームメイトがデーモン・ヒルでは無くマンセルであればマンセルが2年連続ドライバータイトル獲得してプロストは負けていたかも知れ無いですね?
アクティブカーに関してはマンセルの方が明らかに扱い上手くプロストは苦戦しましたから?
プロストは口ではマンセルとコンビ組んでも全く問題無いと言っていましたがフェラーリ時代にマンセルとは少し気マズイ関係?になった事でマンセルは自分からウィリアムズを出て行くだろうと計算していたかも知れ無いです?
プロストはパトレーゼとなら何とかウィリアムズでタイトル獲得出来たとも思っていたかも知れ無いですがパトレーゼも出て行った。
結局F1ルーキー新人のヒルがチームメイトになりましたが、シーズン後半辺りからヒルがプロストに挑むようになって来ましたね。
プロストにとっては予想外だったと思いますが、ヒルの事が大好きなのでプロストはF1での経験、特に世界王者になるための秘訣テクニックを愛弟子ヒルに伝授したでしょうね。
引退を目前にして?
@@中村佳己-t4r プロストはマンセルと戦えば、この年に限って言えば負けたと思います。ウイリアムズは片方に依怙贔屓するチームではないですからね。
たしかに政治的なゴタゴタに巻き込まれればマンセルが残るはずはないと予測はしていたかもですね。
私もウィリアムズと言うチームは決して片方のドライバーに肩入れするようなチームでは無いと思います?
例え世界王者経験のプロストやピケで有ってもフランク・ ウィリアムズ卿は妥協しない?
ただプロストはルノーのバックアップ受けていたから難点でしたが?
マンセルはプロストとは一緒に走りたくない事をフランク・ウィリアムズ卿も見抜いていましたね?
そのプロストも今度はセナがウィリアムズにやって来ると分かっていたから1994年の契約延長を断って引退しましたね?
@@ogaso-web 様
フランク・ウィリアムズ卿と言う人物はチーム第一主義の方針取る方なのでドライバー同士の戦いバトルは黙認すると言うのか?わりと自由を与える様に思いますが、その代わり両者相討ちでもして共にリタイアでもしてしまったら2人同時に契約解雇クビにするくらいに厳しいと言われてる?
ウィリアムズがホンダとジョイントしていた時のピケとマンセルが典型的例でした‼️
そのフランク・ウィリアムズ卿が、セナとプロストを同時にコンビ組ませて囲い込みたい気持ち有ったみたいですね?
セナとプロストの2枚看板ドライバーをウィリアムズで実現させてマクラーレンのロン・デニスに最大の屈辱を与えたかったとも言われている?
過去にホンダエンジンをマクラーレンに奪われた報復仕返しとして?
ウィリアムズとマクラーレンはドライバー同士の戦いだけで無くチーム代表同士の戦いでも有りますね‼️
幸いプロストがフランク・ウィリアムズ卿の心中を察してか?
自ら契約延長を辞退して丁寧に断ったと記事では伝えられました‼️
プロストにしてみればマクラーレン時代に味わった苦い出来事を再現したくはなかったでしょうから‼️