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このチャンネルを観ていると観ている自分が当時の若く幼かった自分自身に引き戻されるようでとても不思議な気分になります。特に都内のシーンで写っている写真を見るとまるでそこにいるかのような錯覚に陥ります。認知哲学者は時間は未来から過去へ動いているそうです。別の回で秋葉原の情景が年月と共に著しく変化しているのを見るとやはり哲学者曰く未来は過去を創るということになります。あの秋葉原は現在は存在してはいませんが私の頭の中にかならず残っています。
東京人ではないけど、小田急さんの動画は一番落ち着いていて良い動画ですよ
良い写真だなー
この写真のいいところは二人の関係が一目で理解でき、温かい感情ができるところ。誰にでも物語が思い浮かべることができるところかな。いい題材だと思います。
56年の写真、なんだかホッコリするわ。あれから43年。親子は元気にしてるんだろうか。さほど景観が変わっていなくて安心した。
都心部は変わっていないところが多いですね。表通りは拡幅される場合もありますが、一本入ったような場所は昔ながらのところが多い気がします。
写ってい子供が当時4,5歳だと今47,8歳😱
あいにくの雨ロケでしたが、今回の場所では却って風情を色濃く感じました。いつも学びになる風景考証、ありがとうございます。
昭和を生きた者として、あの写真を見た時、なんだか胸がキュンとしました。
現在の写真にお母さんと子どもさんの写真を合成はとても感動しました。よい写真です。
素晴らしい写真ですね♪。写真の女性は今はもう可成りのご高齢か、若しくは・・・。どこか切なさを感じる写真でもあります・・・。ありがとうございました👋🙂。
毎回感慨深く拝見しています。やはり「(変わりすぎていて)該当する現在の正確な場所が分からない」時よりも、「同じ場所は現在こうなっています」の方がホッとしますね。特に、昔の写真に人物が写っている時は、他の方々が仰っているように、いろいろなことを考えさせられます、自分が住んでいる近くではなくてもです、「土地の記憶を大切にしながら再開発する」などとデベロッパーやコンサルは尤もらしく述べ立てますが、やはり元の地形を残しながら街が変わっていくということが、「その土地に愛着を持つ」ために大切なことなのだということを思い知らされます。アップされている内容を本にしても(開発前/開発後の比較)それなりの面白さはあると思いますが、やはり毎回動画で丁寧にアップされることの価値は計り知れません。取材には相当な手間が掛かっていると推測しますが、是非継続してアップしていただくことを期待しています。
文京区はあまり散策したことはありませんが、母と子の写真、とても懐かしさを感じさせる良い写真ですね。
いつも楽しく拝見しています。この鷺坂、本当に趣ありますよね。近くを通ったときこの坂を偶然発見しましたが、見た瞬間吸い込まれるようにこの坂を登ってしまいました。
お二人の様子から 昔聞いたあの話し声、山の手言葉 が脳裏をよぎります。全く同じ世代、月日は 光陰矢の如し でした。お元気でお暮しの事と思います。そして 東京のこの景色が変わらない事を 田舎から切に希望いたします。
一時期江戸川橋の職場に通っていたので、ここらあたりもよく歩きました神楽坂から音羽小石川、茗荷谷周辺まで小さな道と坂がいくつも有る土地なんですよね
なんだか絵画のような、その瞬間を切り取ったような写真ですね。お子さんの笑顔にやわらかい光があたっていて、お母さんも笑顔なのでしょう😊お父さんが後ろから撮ったのかな…含みのある素敵な写真です。
崖上に久世家の下屋敷があったことから、万葉集の「山城の久世の鷺坂」にちなんで、近くの文学者たちが命名したとされる坂です。久世山と呼ばれていたこのあたり、昔は結構寂しい場所だったようで、近所に住んでいた窪田空穂は「久世山の闇を歩けばその闇に吸われて消えぬ先行く人も」と詠っています。写真の頃も今も風情が感じられるのは、こうした土地の雰囲気が残っているからでしょうか。
いつも有難う御座います。昔と変わらない景色。良いですね。
現在おそらく、お母様が70歳ぐらい、お子様が50歳ぐらいかな?その頃自分は、18.19歳で、目黒区に住んで居ました昨日のように思えます。自分は現在、61歳のおじさんです。考え深いです!
母と子かな?幼稚園児かな?お元気でこの近くで暮らしてらっしゃるかな?そんなことを思いました。
あれから43年も経過したのですねつい最近だと思ったのに 500円が紙幣で金融機関や官公庁が土曜は12時30分まで営業していた時代
親子でこの場面を撮影したのもなんか趣きがあるし、狙って撮れるもんじゃないよな。
「ママ!、おひさまポッカポカだね!」「そうね、気持ちがいいわね」
文京区小日向、この区画を1つ先に進むと、立派なお屋敷町ですね。この近所に高校の同級生が住んでいて家に遊びに行ったことがあるのですが、一軒家なのにエレベーターが設置されていたり、地下室があったりで、庶民とは違う暮らしをしていました。ちなみにこの坂を上がった先は、あの鳩山会館です。
この 若いお母さん、そして小さい 子供さん🍀若いお母さんは、きっと、幸せな、おばあさま ですね。時の流れは、早い ものですねいつも、なつかしい 写真ありがとうございます。
光と活力と希望の詰まった美しい写真ですね。こういう写真を見ると、日本のピークはもう過ぎてしまったのかとちょっとおセンチになります。そんなことはなく、日本には明るい未来が待っていると信じたいです。
音羽通りから本郷通りへ行こうとすると、どの道もすごい坂で心が折れます。。。
文京区は、文学作品にも名が出てくるような寺と坂の多い所。懐かしく拝見いたしました。
文京区辺りは趣きのある坂道がたくさんありますね😊
カーブミラーの壁は大谷石で造られているのでしょうか?現在は、こんなに多くの大谷石を使う場所は無いと思います。
この頃、私は正社員になって三年目で、20代前半のバリバリの時でしたね❣ !(^^)!懐かしい。 (^^♪
いつも貴重な映像をありがとうございます。探索お疲れさまでした。
冬の朝など、凍ると大変そうな坂ですね...。
鷺坂。。。趣ある坂で良いですね!付近は久世山と呼ばれており、そこに住んでいた堀口大学、三好達治、佐藤春夫らにより、久世の鷺坂(今の京都府城陽市)と結びつけて今の坂の名前が付いたようです。行ってみたい場所がまた増えました笑
私も1981年頃は幼稚園児だったので、写っている子は私と同い年位かなぁ〜
ここって夜になると影がおかしいって場所だったような。。かなりうる覚えなんですが、ここだったのかな。。
時を経た写真を見返すと写真を残す価値を感じます。今年、1970年代に撮った都電荒川線の写真の何箇所かの撮影ポイント探して「この場所だ‼」を体験しました。道路幅、緑地帯などの位置も微妙に変わり、完全に同じ視点、同じ構図の写真を再現するのは困難でした😆
この写真はそれだけで短編小説
鷺坂と言うより久世山の坂と呼んでいました。久世大和のお墓は、巣鴨の本妙寺に。
43年たつと町の雰囲気も変わりますね
写真に写っている女の子も当時4歳としたら現在は50歳近くになっていると思いますとしたら母親も70歳位になっているのかな元気に暮らしていたらそんなふうに思います
石畳?から滑り止め付きのコンクリート敷きに舗装したからスリップ注意の標識は撤去されたのかな?
この先にまたクランクになっていて坂が続いていると思いますが、そちらは鷺坂の続きなのかなと思ったら、違うみたいですね!
ほとんど変わってない😮
この写真を見るだけで短編小説読んだ気分になる不思議な感覚w
スリップ注意の標識を見て「タイヤ痕がクロスするはずがない」と言ったら友に大変ウケました
幼少時代この標識を見て親に「車ってタップダンス踊るの?」と訊いたらハンドル操作が危ないことになってました。。。
タモリさんが「うーんこれはぁ」と唸ってしまいそうな坂ですなあ
そういえばタモリ倶楽部でロケ地になったことがありました。
文京って23区の中で も下町風情と高台のお屋敷町の両方持っていて魅力的。
この場所は今も昔も変わらない風景ですね、家から結構近いので良く通りますそして撮影もしたりしてます。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏
関東平野なのに東京は坂が多い街ですね。
武蔵野台地の端にあたる場所だから、東京湾への谷津になって起伏が激しいんだよ。
雪が降ると、スタッドレスを履いてない車があちこちで大変なことになっています。
都内も場所により地形が違い、文京区内は急な坂がたいへん多いです。文京区が武蔵野台地上の端っこに位置するため、台地の下の低地に下る道は急坂になるのと、台地上を流れる川の刻む谷が深くなるからです。
サムネだけ見たら家の近くかな、と一瞬思いました。神戸市東部から西宮にかけての六甲山沿いには、こういう場所がいくらでもあります。しかし東京の文京区鷺坂というところらしいです。都心部にこんな場所があるなんて。東京は意外と坂が多いんですね。
お二人は今どうしてるのでしょうか。
自動車の性能が上がって滑る車も減ったのでしょうか?
私の住む横浜と比べて、東京(23区)って関東平野らしい平坦なイメージだけど結構坂多いよ。ただ、標高が一番高い愛宕山見ると、高さは大した事ないようだ。
このチャンネルを観ていると観ている自分が当時の若く幼かった自分自身に引き戻されるようでとても不思議な気分になります。特に都内のシーンで写っている写真を見るとまるでそこにいるかのような錯覚に陥ります。認知哲学者は時間は未来から過去へ動いているそうです。別の回で秋葉原の情景が年月と共に著しく変化しているのを見るとやはり哲学者曰く未来は過去を創るということになります。あの秋葉原は現在は存在してはいませんが私の頭の中にかならず残っています。
東京人ではないけど、小田急さんの動画は一番落ち着いていて良い動画ですよ
良い写真だなー
この写真のいいところは二人の関係が一目で理解でき、温かい感情ができるところ。誰にでも物語が思い浮かべることができるところかな。いい題材だと思います。
56年の写真、なんだかホッコリするわ。
あれから43年。
親子は元気にしてるんだろうか。
さほど景観が変わっていなくて安心した。
都心部は変わっていないところが多いですね。表通りは拡幅される場合もありますが、一本入ったような場所は昔ながらのところが多い気がします。
写ってい子供が当時4,5歳だと今47,8歳😱
あいにくの雨ロケでしたが、今回の場所では却って風情を色濃く感じました。いつも学びになる風景考証、ありがとうございます。
昭和を生きた者として、
あの写真を見た時、なんだか胸がキュンとしました。
現在の写真にお母さんと子どもさんの写真を合成はとても感動しました。よい写真です。
素晴らしい写真ですね♪。写真の女性は今はもう可成りのご高齢か、若しくは・・・。どこか切なさを感じる写真でもあります・・・。ありがとうございました👋🙂。
毎回感慨深く拝見しています。やはり「(変わりすぎていて)該当する現在の正確な場所が分からない」時よりも、「同じ場所は現在こうなっています」の方がホッとしますね。
特に、昔の写真に人物が写っている時は、他の方々が仰っているように、いろいろなことを考えさせられます、自分が住んでいる近くではなくてもです、
「土地の記憶を大切にしながら再開発する」などとデベロッパーやコンサルは尤もらしく述べ立てますが、やはり元の地形を残しながら街が変わっていくということが、「その土地に愛着を持つ」ために大切なことなのだということを思い知らされます。
アップされている内容を本にしても(開発前/開発後の比較)それなりの面白さはあると思いますが、やはり毎回動画で丁寧にアップされることの価値は計り知れません。
取材には相当な手間が掛かっていると推測しますが、是非継続してアップしていただくことを期待しています。
文京区はあまり散策したことはありませんが、母と子の写真、とても懐かしさを感じさせる良い写真ですね。
いつも楽しく拝見しています。この鷺坂、本当に趣ありますよね。近くを通ったときこの坂を偶然発見しましたが、見た瞬間吸い込まれるようにこの坂を登ってしまいました。
お二人の様子から 昔聞いたあの話し声、山の手言葉 が脳裏をよぎります。
全く同じ世代、月日は 光陰矢の如し でした。お元気でお暮しの事と思います。
そして 東京のこの景色が変わらない事を 田舎から切に希望いたします。
一時期江戸川橋の職場に通っていたので、ここらあたりもよく歩きました
神楽坂から音羽小石川、茗荷谷周辺まで小さな道と坂がいくつも有る土地なんですよね
なんだか絵画のような、その瞬間を切り取ったような写真ですね。お子さんの笑顔にやわらかい光があたっていて、お母さんも笑顔なのでしょう😊
お父さんが後ろから撮ったのかな…含みのある素敵な写真です。
崖上に久世家の下屋敷があったことから、万葉集の「山城の久世の鷺坂」にちなんで、
近くの文学者たちが命名したとされる坂です。久世山と呼ばれていたこのあたり、昔
は結構寂しい場所だったようで、近所に住んでいた窪田空穂は「久世山の闇を歩けば
その闇に吸われて消えぬ先行く人も」と詠っています。写真の頃も今も風情が感じら
れるのは、こうした土地の雰囲気が残っているからでしょうか。
いつも有難う御座います。昔と変わらない景色。良いですね。
現在おそらく、お母様が70歳ぐらい、お子様が50歳ぐらいかな?
その頃自分は、18.19歳で、目黒区に住んで居ました
昨日のように思えます。自分は現在、61歳のおじさんです。
考え深いです!
母と子かな?
幼稚園児かな?
お元気でこの近くで暮らしてらっしゃるかな?そんなことを思いました。
あれから43年も経過したのですね
つい最近だと思ったのに 500円が紙幣で金融機関や官公庁が土曜は12時30分まで営業していた時代
親子でこの場面を撮影したのも
なんか趣きがあるし、狙って撮れるもんじゃないよな。
「ママ!、おひさまポッカポカだね!」
「そうね、気持ちがいいわね」
文京区小日向、この区画を1つ先に進むと、立派なお屋敷町ですね。
この近所に高校の同級生が住んでいて家に遊びに行ったことがあるのですが、一軒家なのにエレベーターが設置されていたり、
地下室があったりで、庶民とは違う暮らしをしていました。
ちなみにこの坂を上がった先は、あの鳩山会館です。
この 若いお母さん、そして
小さい 子供さん🍀
若いお母さんは、きっと、
幸せな、おばあさま ですね。
時の流れは、早い ものですね
いつも、なつかしい 写真
ありがとうございます。
光と活力と希望の詰まった美しい写真ですね。
こういう写真を見ると、日本のピークはもう過ぎてしまったのかとちょっとおセンチになります。
そんなことはなく、日本には明るい未来が待っていると信じたいです。
音羽通りから本郷通りへ行こうとすると、どの道もすごい坂で心が折れます。。。
文京区は、文学作品にも名が出てくるような寺と坂の多い所。
懐かしく拝見いたしました。
文京区辺りは趣きのある坂道がたくさんありますね😊
カーブミラーの壁は大谷石で造られているのでしょうか?
現在は、こんなに多くの大谷石を使う場所は無いと思います。
この頃、私は正社員になって三年目で、20代前半の
バリバリの時でしたね❣ !(^^)!
懐かしい。 (^^♪
いつも貴重な映像をありがとうございます。
探索お疲れさまでした。
冬の朝など、凍ると大変そうな坂ですね...。
鷺坂。。。趣ある坂で良いですね!
付近は久世山と呼ばれており、そこに住んでいた堀口大学、三好達治、佐藤春夫らにより、
久世の鷺坂(今の京都府城陽市)と結びつけて今の坂の名前が付いたようです。
行ってみたい場所がまた増えました笑
私も1981年頃は幼稚園児だったので、
写っている子は私と同い年位かなぁ〜
ここって夜になると影がおかしいって場所だったような。。
かなりうる覚えなんですが、ここだったのかな。。
時を経た写真を見返すと写真を残す価値を感じます。今年、1970年代に撮った都電荒川線の写真の何箇所かの撮影ポイント探して「この場所だ‼」を体験しました。道路幅、緑地帯などの位置も微妙に変わり、完全に同じ視点、同じ構図の写真を再現するのは困難でした😆
この写真はそれだけで短編小説
鷺坂と言うより久世山の坂と呼んでいました。久世大和のお墓は、巣鴨の本妙寺に。
43年たつと町の雰囲気も変わりますね
写真に写っている女の子も当時4歳としたら現在は50歳近くになっていると思いますとしたら母親も70歳位になっているのかな元気に暮らしていたらそんなふうに思います
石畳?から滑り止め付きのコンクリート敷きに舗装したからスリップ注意の標識は撤去されたのかな?
この先にまたクランクになっていて坂が続いていると思いますが、そちらは鷺坂の続きなのかなと思ったら、違うみたいですね!
ほとんど変わってない😮
この写真を見るだけで短編小説読んだ気分になる不思議な感覚w
スリップ注意の標識を見て「タイヤ痕がクロスするはずがない」と言ったら友に大変ウケました
幼少時代この標識を見て親に「車ってタップダンス踊るの?」と訊いたらハンドル操作が危ないことになってました。。。
タモリさんが「うーんこれはぁ」と唸ってしまいそうな坂ですなあ
そういえばタモリ倶楽部でロケ地になったことがありました。
文京って23区の中で も下町風情と高台のお屋敷町の両方持っていて魅力的。
この場所は今も昔も変わらない風景ですね、家から結構近いので良く通りますそして撮影もしたりしてます。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏
関東平野なのに東京は坂が多い街ですね。
武蔵野台地の端にあたる場所だから、東京湾への谷津になって起伏が激しいんだよ。
雪が降ると、スタッドレスを履いてない車があちこちで大変なことになっています。
都内も場所により地形が違い、文京区内は急な坂がたいへん多いです。文京区が武蔵野台地上の端っこに位置するため、台地の下の低地に下る道は急坂になるのと、台地上を流れる川の刻む谷が深くなるからです。
サムネだけ見たら家の近くかな、と一瞬思いました。神戸市東部から西宮にかけての
六甲山沿いには、こういう場所がいくらでもあります。しかし東京の文京区鷺坂とい
うところらしいです。都心部にこんな場所があるなんて。東京は意外と坂が多いんで
すね。
お二人は今どうしてるのでしょうか。
自動車の性能が上がって滑る車も減ったのでしょうか?
私の住む横浜と比べて、東京(23区)って関東平野らしい平坦なイメージだけど結構坂多いよ。
ただ、標高が一番高い愛宕山見ると、高さは大した事ないようだ。