龍樹菩薩(ナーガルジュナ)に聞く「死んだ後は有るのか?無いのか?」
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- Опубліковано 8 лют 2025
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「生きる意味がハッキリ分かる親鸞の教え」
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kikuutan.haten...
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自己紹介
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kikutaniryuta....
(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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kikutaniryuta....
龍樹様は偉大ですね👋😭✨私も惑わされていました!今日のUA-camは大感謝です😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂菊谷先生、ありがとうございました‼️弥勒菩薩🎉
菊谷先生いつもありがとうございます。
嬉しいっす。ありがとうございます
龍樹菩薩が大乗無上法・阿弥陀仏の本願を宣説されたのですね。続きが楽しみです。ありがとうございました。
ありがとうございました。
龍樹の勉強は敷居が高い気がしていて、解説勉強になります。
ありがとうございました。🙇♀️
ありがとうございました
南無龍樹菩薩。合掌。
概要が分かり易いです。ゲーデルの不完全性定理やライプニッツの多元論を思い出しました。理源大師が龍樹菩薩から、
恵印灌頂されて「在家を救う法流」を相承されてますので、密教でも重要な菩薩です。大谷大学(東本願寺)では、大般涅槃経も
授業で教えているそうなんで、さすが親鸞聖人という所ですね。
いろいろ学んでいらっしゃるんですね。涅槃経のアジャセの苦悶を親鸞聖人が教行信証に引用されているので、浄土真宗では学びます。
@@byBuddhism そうですね。『教行信証』の約4割が涅槃経からの引用ですね。
当方、仏教に関してまったくのド素人ですが、評論家の宮崎哲弥さんが中観派を支持するという話をしていたときに「龍樹」という名前が出てきたのを思い出しました。
縁起と空の思想ですね。
先生、いつも有難うございます。
龍樹菩薩の有の見、無の見、興味深く聴かせて頂きました。正信偈が身近に感じました。
ありがとうございました。
正信偈、身近に感じていただくよう、今後も意識して動画でお話しします。
非常に面白く聞かせていただきました。続きも見させていただきます。
観音教とかを聴いていると、それはいかにも観世音菩薩の禍福によって救われるかのような感じがするし、浄土真宗もその救いをただ信じることで救われるといっていたのかと思いましたが、これはここでいう禍福とは違うものなのでしょうね。
大好き
誰もが死ぬという確かなことを信じて生きる人には、覚悟がある。だから不安と向き合える。
あるのかないのかわからない死後の世界は、信じきることが難しく、覚悟がもって生きることも難しい。
仏教の悟りとは、確かなものを信じて生きるということなのでしょうか。
仏教は有るか無いかわからない死後の不安を晴らす教えです。
阿弥陀如来さまの方の願いとは知らなかったわ!本願ある存在に感動したわ!だから、他力でいい訳ね!身を預けてしまう境地が阿弥陀如来さまの願いなのね!
ありがとうございます?菊谷さま!
弥陀の本願、これ一つ知っていただきたく話しを続けています。
勉強させていただきありがとうございます。基本的なことですが、阿弥陀如来の解説を聞かせて
いただけると幸いです。
より専門的に知りたい、学びたいという方向けに阿弥陀仏についての動画を4回シリーズで話をしています。その4回シリーズを視聴いただけるようにしますので、kikutani@waseda.ne.jpまでメッセージいただけますか。返信で動画のリンクを送らせていただきます。
共感できました。ありがとうございます(*^^*)
よかったです!
龍樹は「空」を説き、その空は般若心経では説かれているという認識なのですが、浄土真宗では般若心経は唱えないですよね。それはなぜなのですか?
龍樹といえば空ですね。般若心経ですね…。
因果ゆえに前世・現世・来世があるとしても、前世・現世・来世ともに無我です。
誰もいないのに、だれが救われるのだろう?
無我というのは「いない」ということとは違うのです。
無我というのは、諸法無我です、外界の事物を実体があると考えているが、実は
それは実体がない、一切の事物は陽炎のようなものである、それは自分自身の我見が作り出している蜃気楼である。覚りを得たらそれがわかる。般若波羅蜜時、照見五蘊皆空 自分が認識している事物は空で実体がない無我である。
解説ではこんな感じじゃないですか、一般人はそうは認識できませんが。
自分が考える事が自我なら、客観的に自分が存在しないで考えられるのが無我と考えられる。
無我は個人の感情でなく全体の感情と近くなり、全体に近い感情として存在する。自分として感じる自我は存在するが、個人としての魂より境目のない存在となる。愛と慈しみと感謝に満ちた世界が無我の世界であろう。当然、自我の世界にも生きる為に欲望で入り込むが、無我には涅槃が存在する。そして、その中で心の存在そのものが貴方であり、私であると思う。
動画制作にあたり参考にさせていただきました🙇♂️
南無阿弥陀仏🙏
死後はある。 龍樹菩薩は今日も我が家に遊びに来られた。 遊び人であり大天才。
来世があるのに霊魂がないというのが、よく理解できませんでした。
無我の説明ですね。ここは難しいので、また動画でお話いたします。
今回は、難しい、
はい、ここは難しいところです。
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
阿頼耶識は個人個人に別々に切り離された世界なんですか?
それとも人類に共通に、または生命体に共通した統一世界なんでしょうか?
前世の自分と今生の自分は他人としか思えない。
個人個人にあるのが阿頼耶識です。
コップの水を川に流して、その水を再び見つけられるか?という事ですかね?
因縁和合した時にのみ「コップの水」ですね。
ナガールジュナが阿弥陀仏(アミダバー 無量の光)を本当の仏教だと説いたというのはさすがに無理があるかと思います。
真見内道、つまり結局はどういうことになるのでしょう?
霊魂の実在については無我を引き合いに否定し、霊魂の不在については因果を引き合いに否定しているように見受けられますが、それだけの説明だと単なるダブルスタンダードに陥る危険性を憂慮します。
後ほどこの事に触れるた動画を上げるのでしょうから老婆心と笑い飛ばしていただければ幸いです。
有の見か無の見の二つにしかならないのです。
ナーガールジュナは中論のよって空観を理論的に基礎づけた事がその最大の功績と思いますが、ありきたりの「常見と断見の両方を否定した」の如き説明ではかえって誤解を招くと思います。
返信をありがとうございます、私が聞きたかったのは簡単に言えば阿弥陀如来が漏らさずすくい取って極楽に往生させるものは魂ですか?それではないものですか?という事です。
万有引力の法則も、
熱力学の諸法則も、
慣性の法則も、
「証明」のなされていない
経験則に過ぎません。
であれば、全世界に経験則的に認知されている霊魂の存在を、死後の実存を疑うのは、上記諸法則を疑うのと同じです。
生きて肉体があるから五感があり、見たり聞いたり歩いたり出来ますが、肉体が無い状態を正確に説明する事は難しく、まして五感が無くなった人が死後の世界をどの様にして見るのか説明するのは困難だと思います。
3分で説明できませんか?
この内容、3分で、というのはなかなか。。。
長々と前提を述べた後、結局、「死んだ後は有るのか?無いのか?」の結論の説明がなかった。タイトルに興味を覚えた人に対して時間の無駄だった。
「死人に口なし」ということばは、真実を端的に表しています。死んだ人が「あの約束はほんとうだったよ」と言うこともなければ「だまされたよ」という人もいません。ネットショップのレビュー風に言えば、「阿弥陀如来の本願」についての体験者は何十億何百億人も居るはずなのに、ほぼ皆無です。レビューを書いている人は、生きていて、体験してない人ばかり。さてさて、みなさんは、どう判断されますか?まあ、自由ですが。
龍樹菩薩様だったのですね。
道の真ん中で見えない、全く見えないと霊魂を否定されてる方は…。
仏陀の教えてでは否定ではなかったような~確か…うろ覚えですが。
しかしながら、霊魂が宿ったとされてる石を拝んだとしても一部を除き万人は幸福にはなれませんわね。
龍樹は、どちら(肯定、否定)も論破した、と解説されてますよ。
@@kom1822 肯定の過程は勉強不足でしたので。
じゃ、何故、肯定と否定なのでしょうか?
仏陀なら肯定も否定もされますわよね
@@姫様いた 10:38「有の見の人は、無の見じゃないし、無の見の人は、有の見じゃない。人類の思想はどっちかですから、どっちも破られたってことは、世の中じゅうの全ての人間の思いを破られた方が龍樹菩薩であった」
と解説されてますね。
@@kom1822 なるほど。勉強なりましたわ。ありがとう存じます。
😃💙🌸🤔🌱
龍樹は宮殿に乗り込んだ生き残った方でしょ、また不真面目に、松任谷由実が、りゅうじゅの伝言を伝えていますが、噓でしょ
死後の世界とか、霊魂とか、そんなのわかんない。 というのが釈迦の本音ですよね?
いえ、わからない、とは言われていません。仏の死後について語られなかった、という仏典はありますが。
じゃあ何と言ったのですか?
@@井田晴久-p6k この世を創った神なるものが居るのかどうか解らんけど、
解らん事を考えても仕方ないので、考えても仕方ない事は考えるな ...とかそんな感じだった様な。
基本的に龍樹こそが、原始仏教と言うか、 本来の釈迦の教えが、極めて個人的な認知の歪みを正す「認知行動療法」的なものなのに、
大衆的な救済を目的とする「宗教」へ改変してしまったA級戦犯だと思う。
大乗仏教はこの時点でもうすっかり「釈迦の教え」では無くなってしまってるよね。
@@eversoars さん
大衆的救済は、まあ肯定されるべきなので、そーゆー嘘も方便もアリかと。
日本の仏教もほぼ丸く収まってるし。
釈迦の悟りは、社会にとっては ホントは機能しないものだなんていうことは
大衆は知らないほうがいいのかもしれないし。
@@井田晴久-p6k 逆じゃ無いかな?
日本の仏教は権力と結びついて発展して、
仏壇仏具とかお墓とか、儒教や道教の要素を林羅山が意図的に政治システムとして取り込んで、もう「仏教」とは全く関係無いものになってしまったけど、
結局、宗教は何も救済しない。
ところが最近ヴィパッサナー瞑想を元にしたマインドフルネスや座禅とかが見直されたり、
物理学者が釈迦の教えに物理学的に関心を抱いたりして、
宗教としての仏教は釈迦の教えとも全然違うし全く意味が無く、
鬱の改善など、本当に機能する(救済する)のは、本来の釈迦の教えの方で、
大衆の救済なんてのはそもそも幻想で、
本来の救済とは、あくまで個人の主観世界の中において、苦と言う認知の改善にしか無いって事が科学的にも臨床的にも証明されてきたって事だと思う。
(アドラー心理学や脳機能科学、認知科学とか、他の分野から見ても整合性が有って)
だから、一時は圧倒的に信者の多かったキリスト教的な要素の強い浄土系の仏教や、オカルト色の強い真言、密教系よりも、
ここ最近では原始仏教や、禅、テーラワーダ系の方が日本のみならず世界的に見ても圧倒的に関心が高まってるんだと思うし。
今更まだ言ってるの?これだけ幽霊を誰でも見られる時代だよ。この世が死後の世界だよ。死んだら、この世をうろうろするんだよ。
中有界ですね