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あなたは縄文時代と弥生時代どっちが好きですか?
すち
いい質問だなぁ 今度合コンで女の子に聞いてみよう
縄文時代の方が好きです。なんせ平和だし、芸術的で自由な感じ。独創的な感じがします。世界基準の文化としては弥生時代の方が高いのかもしれませんが、社会的に成熟していたのは縄文時代のほうなのでは?と、いつも思います。 三内丸山遺跡から見られるように大勢の人間が集落を作っていたはずなのですが、それでも大きな戦乱が起きなかったのが縄文なんですよね。弥生になってから戦乱が起きるようになったのは、稲作文化のせいというのもあるでしょうが、戦乱文化を持つ人々が入ってきて、人を襲うという発想を持ってしまったからなのでは?とも思います。時期的には中国の春秋戦国時代あたりに該当したかと思うので、中国で戦争から避難してきた人が渡って来た説が説得力あるなと思います。
私も縄文時代の方が、平和そうに思ったので縄文時代がいいかなぁ!!やはり人は富を得ると争いが起きるんだなーと実感しました!
縄文時代一択!
車の運転中に聴いています。学生時代は何の役にも立たないと思ってサボっていたのですが、大人になった今改めて教養として聴くと面白く楽しませて頂いてます。教科書の業間に隠れている、時代背景や事件の意図を解説してくださるのでノンフィクションのストーリーのような楽しみ方ができるのでありがたいです。
学校の授業もっとわかりやすくしてほしいですよね
テルミーさんのコンテンツが好きすぎて、毎日見ないと落ち着かなくなってしまってます。数いる教育系UA-camrの中で圧倒的質の高いコンテンツを発信下さっている。これからも応援しています
ありがとうございます!頑張りますね!
弥生時代、とても勉強になりました。ありがとうございます!
真さん!いつも見てます。荒井さんの動画はとても勉強になります。
@@はなうさ-q6e さんいつもありがとうございます!ここでもお会いできて嬉しいです!こちらのチャンネル、とても勉強になりますね!
戦争のことなど心の痛むテーマが続いてたので、気が楽になりました
別に病まなくね?
弥生時代について、地味なイメージを持つ人がたくさんいると思いますが、興味を持てるように解説されていてとてもおもしろいです✨
良かったです!
18:13 魏と仲良くなってテンション上がる卑弥呼ちゃんかわいすぎる
それよ萌えポイント
とても解りやすく、聞く気になる話し方だ、、、学校の授業もうこれ流すほうが成績上がりそう
日本史をもっとやってほしいです
もっともっとやります!!
日本の農耕の歴史は縄文時代です。東南アジアやインドの湿地帯から野生化した稲や里芋が伝わり栽培されてました。他国で改良された品種や技術が中国経由で日本に伝わったのであって、逆に海洋民族である縄文人が朝鮮や揚子江下流域に農耕を伝えました。中国や朝鮮内陸部は寒く狩猟民族であり肉食民族です。縄文末期の気候変動により西日本が熱帯から温帯になって雨が少なく四季が出来て、水をはって雨期を演出したのが水田稲作の始まりといゅう説があります。更に昔の日本では女性は陸の仕事、男性は海の仕事がおもだそうです。
陸稲と水稲はまた違うよね
弥生時代に北海道に稲作が定着しなかったというのはびっくりしました。今では北海道は日本で1〜2位の米の生産量なのに・・・
それは、時代だと思うよ。小学校の歴史で習ったが、江戸時代は米と小麦は季節を交互にしていたらしい。小麦は寒いから収穫できるが、米はそうはいかなかったとね。今はハウス栽培など技術は発展してるからね。
その時代は北海道や東北地方の平均気温が今より低く育たない環境だったからだと思います。
ありがとうございます!
こちらこそご視聴ありがとうございました
荒井さんチームが調べる卑弥呼や聖徳太子も見てみたいですね!どんな情報をかき集めてくるかが気になります。
神代文字は文字と言えないと言う人もいますが、かなり古いのでおもしろいです。弥生時代の米の貯蔵という便利さが不幸を生み出すっていうのは今も昔も同じなんですね。人間はそういう相反する生き物なんでしょうか。
青森の縄文時代に稲作跡が見つかっていますね。細い硬くできた弥生土器と鉄器具の鋳造には炭を吹いて高熱でできるものですよね。1万数千前は東シナ海はもっと小さく、歩いて日本に来ることが出来た、その時の南九州、沖縄は熱帯地域で稲も自然に東南アジアから伝播したと考えるのが普通ではないでしょうか。青森が温帯で住みやすかった。三国志の時代には倭人が住んでいた南朝鮮で鉄を生産していたと書かれています。その時中国では鉄の武器でなく、青銅武器が中心でしたので日本から輸入したのではないでしょうか。
いろんな説があるよね
弥生時代がお茶目って表現いい♪
縄文や弥生は戦後になって研究が進んだんだよね。というか、研究が許されてなかったっていうのが本当の所。戦前戦中までは「天孫降臨によって日本が生まれた」って言われてたから。だからまだまだ新しい発見や研究が出てくるから、数年で学説がひっくり返る、日本の歴史学で今1番熱い時代なんだよね。あと、弥生時代には文字がなかった。これは間違いです。当時すでに神代文字と呼ばれたピエログリフがあってそれが各地で発掘されてますし、神社や遺物に残っていて分析も進んでます。十数年前の研究だと「文字がなかった」が定説だったけど、上記してる通り目まぐるしく状況が変わってきているので、この時代に関しては常に新しい学説を取り入れるのをおすすめします。
なるほど詳しくありがとうございます!
栗の栽培が始まったのは今から約5千年以上前の縄文時代。青森県の三内丸山遺跡の発見により、当時の人々が栗の木を植林し安定的な食料としていた事が判明。 出土された栗が野生種より大粒である事から、当時の人々はすでに相当な技術を持っていて、肥料を施しながら栽培していた。人類が移動しながら狩猟採集生活を送る中、縄文人は特定の地域で持続可能な社会を実現していたのだ。
私も三内丸山遺跡に行った時知りました。でもそれは栗の話。
面白かったです。古墳時代の動画をリクエストします、宜しくお願いします。
やりますよ!待っててください!
すみませんどっちもあまり知らなかったので「どっちか」って言うより「どっちも好き」ですね。「テルミーさん」のお話が上手な所為もありますほんと。僕もyoutubeで毎日が明け暮れてますが「テルミーさん」にハマってしまいました。いろいろ期待をもって楽しませて頂きますのでよろしくお願いいたします91歳。
凄く面白かったです!!
良かったです!このチャンネルの他の動画も見てみてくださいね!
正直弥生時代について授業で習う以上のこと考えたことなかったけど、コメが日本で最初の長期保存食って言われてすご…そうじゃん…って思った。今の日本食を作ったもとがここにあるんですね。
そうなんですよ!!学校では淡々と教えすぎ
縄文人は紀元前4000年から高度な航海技術を持ち、マグロを獲って食べていた証拠も出ているのですごいよな。何らかの文字は持っていたのではと思う
文字はなさげです
明治維新に次に好きなのが弥生時代、ロマンを感じるんだよね〜今回も楽しく勉強をさせていただきました、テルミーさんありがとう!
最後の一言でレキシさんの狩りから稲作への歌詞を思い浮かべてしまった(笑)
あるよね
北海道は寒すぎて稲作が定着しなかった、というよりは食料が豊富で狩猟採集でも十分食べていけたから定着しなかった説が有力のようで、北東北でも稲作よりも狩猟採集のほうが広く行われていたみたいですそこには民族的な問題があったとも考えられています。
なるほど教えてくださってありがとうございます
私は大学では歴史は学んでいませんが、職務上、機密保持義務のある事項にも触れてきました。正史というものを時の政権が編纂し、公教育で教えますが、日本の歴史教科書は、何年に誰が何をした、とは書いてあるけれど、その背景は書かれていません。織田信長やケネディ大統領が暗殺される直前、何をやろうとしていたか、何を果たせなかったのか5つ以上は説があると思います。経済の歴史については少しやりましたが、経済学の特性なのか、最低でも2つの説があります。歴史解釈は人によって当然異なりますので、ドンテルミーさんの史観に合うように色付けされるのは避けられません。縄文時代、弥生時代についても、数十年前と比較すると、正史も少し変化し、また、自然科学的な分析や、政治的な潮流もあって、確定説にはなりません。個人的な趣味ですが、最近の有力説とか、定説とか、通説・判例ではとか、政府見解ではとか付けないと落ち着きません(笑)
そんな色付けされてるかなぁ…
弥生時代の水稲稲作より前から、縄文時代に乾地農法で古代米を栽培していたと思います。稲作が始まったから文化が変わったのではなく、文化の違う人たちが大量に移住して来て、縄文文化と弥生文化が同時に存在した時代があったのではなかったでしょうか?
もちろんその通りだと思います
自分がタイムスリップするなら弥生時代より争いが少なそうな縄文時代かなぁ
飢え死にはしますよ
ドントさんの動画は事前知識がなくても理解しやすいのがいいです!ちなみにドントテルミーの由来はなんですか?
結果的に邪馬台国はどこに存在していたか、説明してほしい!
だから分からないんだって!
ためになる動画をいつも、ありがとうございます。☺️💕もしかすると、弥生時代、収穫期に他人のお米を狙って強盗だけをしていた集団も居たかも知れませんね。😱
絶対いたでしょうね…
河島英五さんの『人間の祖先』の歌を久しぶりに聴きたくなった。
そんな歌あるの?
@@donttellmearai ありまーす。何故かライブしかない。過激かつ地味だから誰も知らない❗縄文と弥生のしっこくを歌ってる。
勉強になります✨🖋古墳時代へGO!
面白い!分かりやすい!平等に貧しければ争いは起こらない富める者がいれば争いが起こるこの辺りは興味深い現代社会だと、例えばGAFAMやBATHなどの創業者は金持ちだけど、さて、どうなるだろうか
同じ人間の話ですからね
現代でいえば石油や天然ガスの覇権争いみたいな感じスタート時期ってことですかね
たしかにね
稲作が伝わると戦国時代に突入するのはよく聞くね
よく聞くよなマジ
弥生時代は、運命的な共同体意識が、利益優先型に段々変わった時代なのでしょうか。外の文化との接触は、村落の中での権力の正当化、と言う性質に変わった、と言えるのでしょうね。権力構造のマッチョ化と言えるのかな、と思いました。
どーせなら縄文人との混血してゆく過程も話して欲しかった。
ありますよね
こんな事言うのは筋違いですが、河野さんの弟の会社を詳しく知りたいのでお願いします。
なんで会社?
時代の転換点って今ほどわかりやすいものではなかったでしょうね。「なんか隣の集落でこんなことやり出したらしいぜ」「うちもやろうよ」「えー、今のままの方がいいなー」「じゃあ、俺はあれやるから、お前は元の通りやりなー」とか言いながら、新しいやり方の方がいいかもね、って感じでぬるっと変わって行った気がするし。情報は発生源から徐々に広がっただろうから、日本を縦断するまではかなりの年月がかかっただろうなぁ。そんな事を考えていると、歴史に触れている感じがして好きです♪
いや、まさにそこです。教科書に載ってない実際問題ところが一番面白いですよね。人間を科学的に捉えられるというか
魏めっちゃ親切やん
それ
すごいな、、10万人いってからの伸び率が凄すぎる体感としては数本しか出してないように思うのに18万超えたら一気に35万とかになってしまいそうだ
なんだか久しぶりじゃないですか!!コパンダさんが目を離していただけですよ!!たくさん動画出してましたから!!!他界したのかと思いましたよ!!
@@donttellmearai 他界て!でも、本当登録者の伸びすごいですねスタッフさん増やしたりも考えてるかもしれませんね最初のスタッフさんを大事にしてくださいね金が入って人気者になったとしても、オフパコとかしないで性格の良いままでいてほしいなあ
縄文時代が良いと思います。
なぜですか?
おせっかいかも知れませんが、結美大学の小名木先生の古墳の話も、興味のある方は是非視聴してみて下さい、ここでの素朴な疑問の解決に近づくかもしれません、実際に作る所を見に行けないところがロマンもありますよね、
縄文時代と弥生時代、分かりやすかったです!もしよければサラエボ事件の解説して欲しいです
第一次世界大戦の動画は見ました?
@@donttellmearai まだでした(_ _)見てみます!
私と見解が違います。縄文時代と弥生時代は同じです。戦後ghqが作ったものです。ちなみに神代文字はありました。日本の鉄、勾玉は中国や朝鮮半島に輸出していました。中国では鉄は取れていませんでした。東日本と西日本では食生活が違っています。東日本では狩猟。主に動物性たんぱく質を多く食べていました。西日本では稲作。といった感じです。日本人は海洋民族です。大昔に船を作り朝鮮半島や中国へ行きました。日本に渡来人が来た事は私も同じ見解です。ただ日本人が争いをしたのではなく渡来人によって争いがもたらされた感じです。そもそも日本は火山大国なので人骨が残りにくい性質を持つ土地です。ですので日本で見つかった傷がある遺骨は災害による物だと私は考えています。若干ですが貴女は左翼思想な感じがします。
うーん災害で頭に剣ささりますかね…
渡来人によって持たされたものなら考えることができます
GHQとの絡みは初耳ですが、私も弥生人の突然の出現の謎の話を聞いたことがあります。弥生人は実は外来人でちょうど縄文時代と弥生時代の中間のころに伝染病が流行って、弥生人の多くはその伝染病にたいする免疫力が強かったのにたいして、縄文人がその病によってどんどん死んでいき、弥生人とその文化が生き残ったとかなんとか。とにかく縄文人と弥生人は違う人種で実際縄文人と弥生人の骨格を調べたら縄文人のほうがすこし小さいんだとか。いずれDNA検査を含めて科学技術で解明されていくのでしょうが、何しろ今でも日本は例の「神の国」の思想がはびこっているからなかなか真実が明かされないとのこと。皇室の先祖なんて実は外来人だったっていうことになってしまうときわめてまずい、だから奈良とか大阪の馬鹿でかい古墳の調査もまともにさせてくれないらしいんですね。皇室の先祖が外来人だったとしても南北朝時代後にいったん家系は途絶えていて、どこの馬の骨かわからない奴が継いだ家系なんだから、そんなことどうでもいいと思うんですがね。
飛鳥時代からもやってほしいです!
やるよーーーーーまっててね、
神様って存在を認知したのはいつの時代なんですかね?🤔また誰が広めたのかなって気になりました💡
縄文時代の動画とか神道の動画みてほしい!
この頃のヨーロッパは既に水道造れてたと考えると感慨深い
マジ?
いつも勉強させていただき感謝しています。鉄器は中国から伝わったという説は本当なのでしょうか?小名木善行さんが「鉄器文明と弥生時代の不都合な真実」という動画を挙げられていますがどうなのでしょう?ua-cam.com/video/Uac6wleb02Y/v-deo.html卑弥呼の時代に文字はなかった…。文字を持たない国に何故、金印を送るのでしょうか?漢字を使用する前に古代文字はあったと考える方が自然。
マルレについて、解説動画して欲しいです。
リクエストありがとうございます!調べてみますね!
ドントテルミー荒井史はいつやりますか?
don't tell me a lie とかけてるんじゃなかったっけ?
縄文土器は低温で焼かれており割れやすいので手が滑らないように縄目やで凹凸をつけていたのではないか?
ノルマンディー上陸の解説お願いします
やりたいです
太平天国についての解説もできたらお願いします。
調べてみますね!
@@donttellmearai ありがとうございます。お願いします。
銅鐸って未だに何に使われたのか解明されていない楽器なのか…
祭りの時にっていうけどほんとなのかね
縄文がいいね
やっぱそうよな
肉や木の実は長期保存できない❓️肉→乾燥魚→乾燥ドングリ→乾燥栗→乾燥豆→乾燥キビ→乾燥ヒエ→乾燥アワ→乾燥長期保存がきき、生産に米のような長期間の栽培管理が必要ないものを食べていた。
なるほど
卑弥呼って個人名ではなく職業名だったって説もありますね卑弥呼って名前は中国がつけた当て字だから本当は太陽を信仰する村の巫女さんだから日巫女だったとか、占い師って部分からみてもこの方がしっくりくるんだよね今でも首相とかお代官様とか職業名で個人をよんだりするから、この説の方がしっくりくる
縄文土器 弥生土器どっちが好〜き?
ドキドキする
縄文、弥生の境目は土器の推移を考えても、現代でもかなり揺れているので、別の視点から見たほうがいいかもです。ワタシは集落の推移がいちばんの区別かな、と思います。稲作だけでは決定的ではないでしょ。
おおお!研究者のうちの1人だ
清の西太后やって欲しいです。
稲は「命の根」。だから大切にしなさい。稲は、太陽エネルギーを保存して、食べる人、動物などの命を支えている。と昔、教わりました。
食べてるのは実です
光州5.18事件が気になります。よろしくお願い致します。
農業、軍隊、セレブと庶民との差、金属器ができたのも弥生時代が初めてだったんですね。稲作技術や青銅器加工技術が中国から伝わったのに、文字が伝わったのがそれよりも後になって、縄文から弥生に移り変わるときに文字ができなかったから文字の使い始めは遅い方だった。 歴史の流れ方を間違えれば日本は中国に侵略されかねなかったが、日清戦争で勝つどころか、古代から一度も中国に侵略されずに来られた。
その点本当稀有な国です。
さまざまな偉人の生涯の解説動画を見たいです。
例えば誰ですか?ナポレオン?
@@donttellmearai ナポレオンに関してめちゃ興味あります。解説してほしいです。
アイヌ民族の動画ありますか?
頑張っていま作ってます!待っててください
卑弥呼は日本の書物には一切出て来ない為、本当に居たか未だにわからない。が正解みたいですよ。
原始人ではありません。問題は、用語が無いために「縄文Jomon」ばかり語られることです。その前の「祖代Sodai]を語れば誤解は解けるのです。出アフリカの現生人類が南方から北上して、約4万年前に北部九州に家族渡海して日本史が始まり(学界定説)、「祖人Sojin」は沖縄へ南下し、北海道に拡がったのです。そして2代目の縄文と呼ばれる(16,500年前から)だけの事です。江戸人が明治人と呼ばれるようなもの。「縄文人はどこから?」は愚問、2代目は日本列島からに決まっています。今、道東ゲートウェイから昆布ハイウェイをアメリカ新大陸に入った可能性で北海道が注目、縄文前の始まりを語れる用語である祖代Sodai、祖人Sojinで議論されてます。それは「旧石器時代」名称問題であり、英語にすれば世界で誤解され、「後期」旧石器時代としても国によって時期が違うし、対の新石器時代は日本では縄文に溶けて出て来ない。そもそも世界語の旧石器時代という名と、平安、室町、江戸などの大和言葉時代は木に竹繋なぎで違和感の不適切であり、祖代・祖人にすべき。また、「後期」旧石器時代・人は、長過ぎて生徒が舌噛み教室での議論になじまないです。歴史期間は、・・祖代58.8%の日本史の基層、祖代と縄文で92.6%の日本史の基盤です。大侵略による民族入れ替わりの無かった(マンモス・ハンターも騎馬民族も来なかった)島国で育まれた人と生活文化・信仰に与えた影響は大で、それが隣国と違う理由です。因みに、日本語とアイヌ語の接触はそれほど古くありません、語の貸し借りも少なく(千葉大 中川裕教授)、アイヌは先住ではありません。ー日本祖代研究会(RGaPJ)
邪馬台国はどこにあったのか気になる🤔
それね
荒井さんはこどもに「学校の勉強なんて将来の役に立たない、因数分解も歴史も生活に使わない」って言われたらどうしますか?私は、学校の勉強は直接それを使うことはないけれど、色んな方面から思考する力をつけたり、集中力を高めたり、勉強をする方法を知る訓練だと思っているのですがいまいち説得力がない気がして…ちなみに私は全く勉強してこなかったことを後悔しています!笑荒井さんの動画などを拝見して、大人になってからの勉強の方が楽しいです!
その通りだ!よく気がついた!さすが俺の息子だ!って言います
現在の中さんの信用無さに比べ魏志倭人伝を重く用いますね?
インスタのリンクをクリックしましたがアクセス出来ませんでしたのでコメントさせて頂きます!!
チャンネルページに飛べませんか???
@@donttellmearai はい。
弥生時代には、宗教は無かったのでしょうか?
0:24登録者100万人…
シー
地元の公園に弥生時代の遺跡ある
すげえ地元
魏志倭人伝にどこまで信憑性があるのか疑問。他に手がかりがないからといって、振り回されすぎてるんじゃないの。中国のお役人が、断片的な資料から適当に書いたフィクションだとしても不思議はないのでは。
空白の歴史の一つと思いました。というのも、稲作は九州に伝わったと言うのは初めて知りました。地元滋賀県が稲作が初めて伝わったと聞いていたので、曖昧なんだな…まぁ、九州の説の一つに金印が見つかったのが九州と言う話も聞きました。しかしなぜ、「大和」や「平城京」は奈良県、「平安京」は京都になったんでしょうね。個人的に大国主命が奉られてる出雲大社も気になりました。(行ってみたいです。)そして弥生時代の歴史が見つかったのが思ったよりも最近と言うのも初めて知りました。米は寒い地域では収穫が難しいとも習ってはいましたし、食の保存性などでも知ってはいます。まぁ、現代はハウス栽培などがよくできてるので、社会面で東北の米が日本の米の収穫量を大きく占めてますね。それに小学生レベルの江戸時代で習いましたが、米と小麦の農作時期を交互にしていたそうですね。本当にミステリアスな時代なんだと感じました。邪馬台国や卑弥呼も、字からしてあり得ないとも習いました。ただ、協力して社会を動かそうとなったのが弥生時代なんですね。古い文化が成り立ち、新しく変化する文化は大好きです。新卒20歳の顔付きがショタな人がいます。僕は28ですが、立場的にも彼は正社員で僕は契約社員ですし、調理師学校卒業してから8年はフラついていたので実力共に彼の方が上だと思ってます。彼は自分の生まれたことや親に感謝して、自分の名前も好んでます。僕は、自分のケジメを復讐に売ったことは悪いとは思っていてもそのまま前を向いてるので、自分を嫌ってます。弥生の弥は本名です。(ワタルではありません。小言で「デスノート」がヒントとは言います。)弥生時代に本業の日本料理には必ずつく米が広まったのは、どういった「縁」でしょうね。それでも弥生時代は嫌います。
色々お話ありがとうございます!
メソポタミア文明は最古の文明なのに、なぜ崩壊し、今現在もイマイチなんでしょう?文明についてのトピックをあつかってほしいです。
うおーきたきた
お待たせしました。今日も塾さぼって見てください
@@donttellmearai 最近成績悪くなったのに教養だけ良くなったな〜
草
卑弥呼は2人いたんですよ。
そゆこと
今の新興宗教も教祖が私には神や仏の声が聞こえるって言うのを信じるんだから?その効果は絶大だな!
いつの時代もおなじよね
どうして、もっと早く稲作が伝わらなかったのだろう?
教科書よりわかりやすいや
当時すでに交易は広範囲に行われていて、多くの日数が交易に使われていた。米を作らなくとも十分に生きていけたし、交易時間を減らしてまで何ヵ月も管理に縛り付けられる米作の必要性がどこのあったのか?その後、人口が増えて人手が十分に増えた時米作が増えただけの話ではないのか?
え、食べ物の保存すごくないですか?
卑弥呼 邪馬台国は九州だろ
そうなの?
だいたい間違っている
なんか卑弥呼って天理教と似てね?
確かに
鉄も朝鮮からだったよ。歴史を正視してよ。
はっきりしない?
日本人は1万年前からずっと農耕民だよ、縄文人の子孫ではないしね日本語は縄文人の言葉ではありません。 縄文語はアイヌ語だというのが定説です。考古学的観点からの日本語とcyousen語の起源 考古学的観点から日本語とcyousen語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語とcyousen語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語とcyousen語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、cyousen半島にはcyousen語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後でcyousen半島に流入したcyousen語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。言語学的研究では、日本語祖語とcyousen語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています日本語祖語はまずマンチュリア南部からcyousen半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。cyousen語祖語はその後でマンチュリア南部からcyousen半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。 偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃にcyousen半島北部のゴングウィリ式土器を介してcyousen半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。 日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀~紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀~紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。 紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経てcyousen半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部からcyousen半島南部への粘土帯土器の広がりは、cyousen語祖語の経路を示唆します(図5-2)。 日本語祖語とcyousen語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語とcyousen語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語とcyousen語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.htmlBrown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」KyushuUniv2023/01/24ua-cam.com/video/a4hLPynYKug/v-deo.html
卑弥呼が2人いた説は?
盲点だった
すみませんがこれは学校レベルです
何か、聞き齧った程度の知識で随分といい加減な事言うな…💧🔔〜🙏。
たとえばどの辺?
久しぶりのハズレ回やな革命以前の歴史って趣味の世界なんだよな
面白いと思えないのかわいそう
この時代、船はあったのかな
あなたは縄文時代と弥生時代どっちが好きですか?
すち
いい質問だなぁ 今度合コンで女の子に聞いてみよう
縄文時代の方が好きです。なんせ平和だし、芸術的で自由な感じ。独創的な感じがします。
世界基準の文化としては弥生時代の方が高いのかもしれませんが、社会的に成熟していたのは縄文時代のほうなのでは?
と、いつも思います。 三内丸山遺跡から見られるように大勢の人間が集落を作っていたはずなのですが、
それでも大きな戦乱が起きなかったのが縄文なんですよね。
弥生になってから戦乱が起きるようになったのは、稲作文化のせいというのもあるでしょうが、
戦乱文化を持つ人々が入ってきて、人を襲うという発想を持ってしまったからなのでは?とも思います。
時期的には中国の春秋戦国時代あたりに該当したかと思うので、中国で戦争から避難してきた人が渡って来た説が説得力あるなと思います。
私も縄文時代の方が、平和そうに思ったので縄文時代がいいかなぁ!!
やはり人は富を得ると争いが起きるんだなーと実感しました!
縄文時代一択!
車の運転中に聴いています。学生時代は何の役にも立たないと思ってサボっていたのですが、大人になった今改めて教養として聴くと面白く楽しませて頂いてます。教科書の業間に隠れている、時代背景や事件の意図を解説してくださるのでノンフィクションのストーリーのような楽しみ方ができるのでありがたいです。
学校の授業もっとわかりやすくしてほしいですよね
テルミーさんのコンテンツが好きすぎて、毎日見ないと落ち着かなくなってしまってます。
数いる教育系UA-camrの中で圧倒的質の高いコンテンツを発信下さっている。これからも応援しています
ありがとうございます!頑張りますね!
弥生時代、とても勉強になりました。ありがとうございます!
真さん!いつも見てます。
荒井さんの動画はとても勉強になります。
@@はなうさ-q6e さん
いつもありがとうございます!ここでもお会いできて嬉しいです!
こちらのチャンネル、とても勉強になりますね!
戦争のことなど心の痛むテーマが続いてたので、気が楽になりました
別に病まなくね?
弥生時代について、地味なイメージを持つ人がたくさんいると思いますが、興味を持てるように解説されていてとてもおもしろいです✨
良かったです!
18:13 魏と仲良くなってテンション上がる卑弥呼ちゃんかわいすぎる
それよ
萌えポイント
とても解りやすく、聞く気になる話し方だ、、、
学校の授業もうこれ流すほうが成績上がりそう
日本史をもっとやってほしいです
もっともっとやります!!
日本の農耕の歴史は縄文時代です。東南アジアやインドの湿地帯から野生化した稲や里芋が伝わり栽培されてました。他国で改良された品種や技術が中国経由で日本に伝わったのであって、逆に海洋民族である縄文人が朝鮮や揚子江下流域に農耕を伝えました。中国や朝鮮内陸部は寒く狩猟民族であり肉食民族です。縄文末期の気候変動により西日本が熱帯から温帯になって雨が少なく四季が出来て、水をはって雨期を演出したのが水田稲作の始まりといゅう説があります。更に昔の日本では女性は陸の仕事、男性は海の仕事がおもだそうです。
陸稲と水稲はまた違うよね
弥生時代に北海道に稲作が定着しなかったというのはびっくりしました。
今では北海道は日本で1〜2位の米の生産量なのに・・・
それは、時代だと思うよ。小学校の歴史で習ったが、江戸時代は米と小麦は季節を交互にしていたらしい。小麦は寒いから収穫できるが、米はそうはいかなかったとね。
今はハウス栽培など技術は発展してるからね。
その時代は北海道や東北地方の平均気温が今より低く育たない環境だったからだと思います。
ありがとうございます!
こちらこそご視聴ありがとうございました
荒井さんチームが調べる卑弥呼や聖徳太子も見てみたいですね!
どんな情報をかき集めてくるかが気になります。
神代文字は文字と言えないと言う人もいますが、かなり古いのでおもしろいです。
弥生時代の米の貯蔵という便利さが不幸を生み出すっていうのは今も昔も同じなんですね。
人間はそういう相反する生き物なんでしょうか。
青森の縄文時代に稲作跡が見つかっていますね。細い硬くできた弥生土器と鉄器具の鋳造には炭を吹いて高熱でできるものですよね。1万数千前は東シナ海はもっと小さく、歩いて日本に来ることが出来た、その時の南九州、沖縄は熱帯地域で稲も自然に東南アジアから伝播したと考えるのが普通ではないでしょうか。青森が温帯で住みやすかった。三国志の時代には倭人が住んでいた南朝鮮で鉄を生産していたと書かれています。その時中国では鉄の武器でなく、青銅武器が中心でしたので日本から輸入したのではないでしょうか。
いろんな説があるよね
弥生時代がお茶目って表現いい♪
ありがとうございます!
縄文や弥生は戦後になって研究が進んだんだよね。
というか、研究が許されてなかったっていうのが本当の所。
戦前戦中までは「天孫降臨によって日本が生まれた」って言われてたから。
だからまだまだ新しい発見や研究が出てくるから、数年で学説がひっくり返る、日本の歴史学で今1番熱い時代なんだよね。
あと、弥生時代には文字がなかった。これは間違いです。
当時すでに神代文字と呼ばれたピエログリフがあってそれが各地で発掘されてますし、神社や遺物に残っていて分析も進んでます。
十数年前の研究だと「文字がなかった」が定説だったけど、上記してる通り目まぐるしく状況が変わってきているので、この時代に関しては常に新しい学説を取り入れるのをおすすめします。
なるほど詳しくありがとうございます!
栗の栽培が始まったのは今から約5千年以上前の縄文時代。青森県の三内丸山遺跡の発見により、当時の人々が栗の木を植林し安定的な食料としていた事が判明。 出土された栗が野生種より大粒である事から、当時の人々はすでに相当な技術を持っていて、肥料を施しながら栽培していた。人類が移動しながら狩猟採集生活を送る中、縄文人は特定の地域で持続可能な社会を実現していたのだ。
私も三内丸山遺跡に行った時知りました。でもそれは栗の話。
面白かったです。古墳時代の動画をリクエストします、宜しくお願いします。
やりますよ!待っててください!
すみませんどっちもあまり知らなかったので「どっちか」って言うより「どっちも好き」ですね。「テルミーさん」のお話が上手な所為もありますほんと。僕もyoutubeで毎日が明け暮れてますが「テルミーさん」にハマってしまいました。いろいろ期待をもって楽しませて頂きますのでよろしくお願いいたします91歳。
凄く面白かったです!!
良かったです!このチャンネルの他の動画も見てみてくださいね!
正直弥生時代について授業で習う以上のこと考えたことなかったけど、コメが日本で最初の長期保存食って言われてすご…そうじゃん…って思った。
今の日本食を作ったもとがここにあるんですね。
そうなんですよ!!学校では淡々と教えすぎ
縄文人は紀元前4000年から高度な航海技術を持ち、マグロを獲って食べていた証拠も出ているのですごいよな。何らかの文字は持っていたのではと思う
文字はなさげです
明治維新に次に好きなのが弥生時代、ロマンを感じるんだよね〜
今回も楽しく勉強をさせていただきました、テルミーさんありがとう!
こちらこそご視聴ありがとうございました
最後の一言でレキシさんの
狩りから稲作へ
の歌詞を思い浮かべてしまった(笑)
あるよね
北海道は寒すぎて稲作が定着しなかった、というよりは
食料が豊富で狩猟採集でも十分食べていけたから定着しなかった説が有力のようで、
北東北でも稲作よりも狩猟採集のほうが広く行われていたみたいです
そこには民族的な問題があったとも考えられています。
なるほど教えてくださってありがとうございます
私は大学では歴史は学んでいませんが、職務上、機密保持義務のある事項にも触れてきました。正史というものを時の政権が編纂し、公教育で教えますが、日本の歴史教科書は、何年に誰が何をした、とは書いてあるけれど、その背景は書かれていません。
織田信長やケネディ大統領が暗殺される直前、何をやろうとしていたか、何を果たせなかったのか5つ以上は説があると思います。
経済の歴史については少しやりましたが、経済学の特性なのか、最低でも2つの説があります。
歴史解釈は人によって当然異なりますので、ドンテルミーさんの史観に合うように色付けされるのは避けられません。
縄文時代、弥生時代についても、数十年前と比較すると、正史も少し変化し、また、自然科学的な分析や、政治的な潮流もあって、
確定説にはなりません。
個人的な趣味ですが、最近の有力説とか、定説とか、通説・判例ではとか、政府見解ではとか付けないと落ち着きません(笑)
そんな色付けされてるかなぁ…
弥生時代の水稲稲作より前から、縄文時代に乾地農法で古代米を栽培していたと思います。
稲作が始まったから文化が変わったのではなく、文化の違う人たちが大量に移住して来て、縄文文化と弥生文化が同時に存在した時代があったのではなかったでしょうか?
もちろんその通りだと思います
自分がタイムスリップするなら弥生時代より争いが少なそうな縄文時代かなぁ
飢え死にはしますよ
ドントさんの動画は事前知識がなくても理解しやすいのがいいです!ちなみにドントテルミーの由来はなんですか?
結果的に邪馬台国はどこに存在していたか、説明してほしい!
だから分からないんだって!
ためになる動画をいつも、ありがとうございます。☺️💕
もしかすると、弥生時代、収穫期に他人のお米を狙って強盗だけをしていた集団も居たかも知れませんね。😱
絶対いたでしょうね…
河島英五さんの『人間の祖先』の歌を久しぶりに聴きたくなった。
そんな歌あるの?
@@donttellmearai
ありまーす。
何故かライブしかない。
過激かつ地味だから誰も知らない❗
縄文と弥生のしっこくを歌ってる。
勉強になります✨🖋古墳時代へGO!
面白い!分かりやすい!
平等に貧しければ争いは起こらない
富める者がいれば争いが起こる
この辺りは興味深い
現代社会だと、例えばGAFAMやBATHなどの創業者は金持ちだけど、さて、どうなるだろうか
同じ人間の話ですからね
現代でいえば石油や天然ガスの覇権争いみたいな感じスタート時期ってことですかね
たしかにね
稲作が伝わると戦国時代に突入するのはよく聞くね
よく聞くよなマジ
弥生時代は、運命的な共同体意識が、利益優先型に段々変わった時代なのでしょうか。外の文化との接触は、村落の中での権力の正当化、と言う性質に変わった、と言えるのでしょうね。権力構造のマッチョ化と言えるのかな、と思いました。
どーせなら縄文人との混血してゆく過程も話して欲しかった。
ありますよね
こんな事言うのは筋違いですが、河野さんの弟の会社を詳しく知りたいのでお願いします。
なんで会社?
時代の転換点って今ほどわかりやすいものではなかったでしょうね。
「なんか隣の集落でこんなことやり出したらしいぜ」
「うちもやろうよ」
「えー、今のままの方がいいなー」
「じゃあ、俺はあれやるから、お前は元の通りやりなー」
とか言いながら、新しいやり方の方がいいかもね、って感じでぬるっと変わって行った気がするし。
情報は発生源から徐々に広がっただろうから、日本を縦断するまではかなりの年月がかかっただろうなぁ。
そんな事を考えていると、歴史に触れている感じがして好きです♪
いや、まさにそこです。教科書に載ってない実際問題ところが一番面白いですよね。人間を科学的に捉えられるというか
魏めっちゃ親切やん
それ
すごいな、、10万人いってからの伸び率が凄すぎる
体感としては数本しか出してないように思うのに
18万超えたら一気に35万とかになってしまいそうだ
なんだか久しぶりじゃないですか!!コパンダさんが目を離していただけですよ!!たくさん動画出してましたから!!!他界したのかと思いましたよ!!
@@donttellmearai
他界て!
でも、本当登録者の伸びすごいですね
スタッフさん増やしたりも考えてるかもしれませんね
最初のスタッフさんを大事にしてくださいね
金が入って人気者になったとしても、オフパコとかしないで性格の良いままでいてほしいなあ
縄文時代が良いと思います。
なぜですか?
おせっかいかも知れませんが、結美大学の小名木先生の古墳の話も、興味のある方は是非視聴してみて下さい、ここでの素朴な疑問の解決に近づくかもしれません、実際に作る所を見に行けないところがロマンもありますよね、
縄文時代と弥生時代、分かりやすかったです!もしよければサラエボ事件の解説して欲しいです
第一次世界大戦の動画は見ました?
@@donttellmearai まだでした(_ _)見てみます!
私と見解が違います。縄文時代と弥生時代は同じです。戦後ghqが作ったものです。ちなみに神代文字はありました。日本の鉄、勾玉は中国や朝鮮半島に輸出していました。中国では鉄は取れていませんでした。
東日本と西日本では食生活が違っています。東日本では狩猟。主に動物性たんぱく質を多く食べていました。西日本では稲作。といった感じです。日本人は海洋民族です。大昔に船を作り朝鮮半島や中国へ行きました。
日本に渡来人が来た事は私も同じ見解です。ただ日本人が争いをしたのではなく渡来人によって争いがもたらされた感じです。そもそも日本は火山大国なので人骨が残りにくい性質を持つ土地です。ですので日本で見つかった傷がある遺骨は災害による物だと私は考えています。
若干ですが貴女は左翼思想な感じがします。
うーん災害で頭に剣ささりますかね…
渡来人によって持たされたものなら考えることができます
GHQとの絡みは初耳ですが、私も弥生人の突然の出現の謎の話を聞いたことがあります。弥生人は実は外来人でちょうど縄文時代と弥生時代の中間のころに伝染病が流行って、弥生人の多くはその伝染病にたいする免疫力が強かったのにたいして、縄文人がその病によってどんどん死んでいき、弥生人とその文化が生き残ったとかなんとか。とにかく縄文人と弥生人は違う人種で実際縄文人と弥生人の骨格を調べたら縄文人のほうがすこし小さいんだとか。いずれDNA検査を含めて科学技術で解明されていくのでしょうが、何しろ今でも日本は例の「神の国」の思想がはびこっているからなかなか真実が明かされないとのこと。皇室の先祖なんて実は外来人だったっていうことになってしまうときわめてまずい、だから奈良とか大阪の馬鹿でかい古墳の調査もまともにさせてくれないらしいんですね。皇室の先祖が外来人だったとしても南北朝時代後にいったん家系は途絶えていて、どこの馬の骨かわからない奴が継いだ家系なんだから、そんなことどうでもいいと思うんですがね。
飛鳥時代からもやってほしいです!
やるよーーーーーまっててね、
神様って存在を認知したのはいつの時代なんですかね?🤔また誰が広めたのかなって気になりました💡
縄文時代の動画とか神道の動画みてほしい!
この頃のヨーロッパは既に水道造れてたと考えると感慨深い
マジ?
いつも勉強させていただき感謝しています。鉄器は中国から伝わったという説は本当なのでしょうか?
小名木善行さんが「鉄器文明と弥生時代の不都合な真実」という動画を挙げられていますがどうなのでしょう?
ua-cam.com/video/Uac6wleb02Y/v-deo.html
卑弥呼の時代に文字はなかった…。文字を持たない国に何故、金印を送るのでしょうか?漢字を使用する前に古代文字はあったと考える方が自然。
マルレについて、
解説動画して欲しいです。
リクエストありがとうございます!調べてみますね!
ドントテルミー荒井史はいつやりますか?
don't tell me a lie とかけてるんじゃなかったっけ?
縄文土器は低温で焼かれており割れやすいので手が滑らないように縄目やで凹凸をつけていたのではないか?
ノルマンディー上陸の解説お願いします
やりたいです
太平天国についての解説もできたらお願いします。
調べてみますね!
@@donttellmearai ありがとうございます。お願いします。
銅鐸って未だに何に使われたのか解明されていない
楽器なのか…
祭りの時にっていうけどほんとなのかね
縄文がいいね
やっぱそうよな
肉や木の実は長期保存できない❓️
肉→乾燥
魚→乾燥
ドングリ→乾燥
栗→乾燥
豆→乾燥
キビ→乾燥
ヒエ→乾燥
アワ→乾燥
長期保存がきき、生産に米のような長期間の栽培管理が必要ないものを食べていた。
なるほど
卑弥呼って個人名ではなく職業名だったって説もありますね
卑弥呼って名前は中国がつけた当て字だから本当は太陽を信仰する村の巫女さんだから日巫女だったとか、占い師って部分からみてもこの方がしっくりくるんだよね
今でも首相とかお代官様とか職業名で個人をよんだりするから、この説の方がしっくりくる
なるほど
縄文土器 弥生土器
どっちが好〜き?
ドキドキする
縄文、弥生の境目は土器の推移を考えても、現代でもかなり揺れているので、別の視点から見たほうがいいかもです。ワタシは集落の推移がいちばんの区別かな、と思います。稲作だけでは決定的ではないでしょ。
おおお!研究者のうちの1人だ
清の西太后やって欲しいです。
リクエストありがとうございます!調べてみますね!
稲は「命の根」。だから大切にしなさい。稲は、太陽エネルギーを保存して、食べる人、動物などの命を支えている。と昔、教わりました。
食べてるのは実です
光州5.18事件が気になります。よろしくお願い致します。
調べてみますね!
農業、軍隊、セレブと庶民との差、金属器ができたのも弥生時代が初めてだったんですね。稲作技術や青銅器加工技術が中国から伝わったのに、文字が伝わったのがそれよりも後になって、縄文から弥生に移り変わるときに文字ができなかったから文字の使い始めは遅い方だった。 歴史の流れ方を間違えれば日本は中国に侵略されかねなかったが、日清戦争で勝つどころか、古代から一度も中国に侵略されずに来られた。
その点本当稀有な国です。
さまざまな偉人の生涯の解説動画を見たいです。
例えば誰ですか?ナポレオン?
@@donttellmearai ナポレオンに関してめちゃ興味あります。解説してほしいです。
アイヌ民族の動画ありますか?
頑張っていま作ってます!待っててください
卑弥呼は日本の書物には一切出て来ない為、本当に居たか未だにわからない。が正解みたいですよ。
原始人ではありません。問題は、用語が無いために「縄文Jomon」ばかり語られることです。その前の「祖代Sodai]を語れば誤解は解けるのです。出アフリカの現生人類が南方から北上して、約4万年前に北部九州に家族渡海して日本史が始まり(学界定説)、「祖人Sojin」は沖縄へ南下し、北海道に拡がったのです。そして2代目の縄文と呼ばれる(16,500年前から)だけの事です。江戸人が明治人と呼ばれるようなもの。「縄文人はどこから?」は愚問、2代目は日本列島からに決まっています。今、道東ゲートウェイから昆布ハイウェイをアメリカ新大陸に入った可能性で北海道が注目、縄文前の始まりを語れる用語である祖代Sodai、祖人Sojinで議論されてます。それは「旧石器時代」名称問題であり、英語にすれば世界で誤解され、「後期」旧石器時代としても国によって時期が違うし、対の新石器時代は日本では縄文に溶けて出て来ない。そもそも世界語の旧石器時代という名と、平安、室町、江戸などの大和言葉時代は木に竹繋なぎで違和感の不適切であり、祖代・祖人にすべき。また、「後期」旧石器時代・人は、長過ぎて生徒が舌噛み教室での議論になじまないです。歴史期間は、・・祖代58.8%の日本史の基層、祖代と縄文で92.6%の日本史の基盤です。大侵略による民族入れ替わりの無かった(マンモス・ハンターも騎馬民族も来なかった)島国で育まれた人と生活文化・信仰に与えた影響は大で、それが隣国と違う理由です。因みに、日本語とアイヌ語の接触はそれほど古くありません、語の貸し借りも少なく(千葉大 中川裕教授)、アイヌは先住ではありません。ー日本祖代研究会(RGaPJ)
邪馬台国はどこにあったのか気になる🤔
それね
荒井さんはこどもに「学校の勉強なんて将来の役に立たない、因数分解も歴史も生活に使わない」って言われたらどうしますか?
私は、学校の勉強は直接それを使うことはないけれど、色んな方面から思考する力をつけたり、集中力を高めたり、勉強をする方法を知る訓練だと思っているのですがいまいち説得力がない気がして…
ちなみに私は全く勉強してこなかったことを後悔しています!笑
荒井さんの動画などを拝見して、大人になってからの勉強の方が楽しいです!
その通りだ!よく気がついた!さすが俺の息子だ!って言います
現在の中さんの信用無さに比べ魏志倭人伝を重く用いますね?
インスタのリンクをクリックしましたがアクセス出来ませんでしたのでコメントさせて頂きます!!
チャンネルページに飛べませんか???
@@donttellmearai
はい。
弥生時代には、宗教は無かったのでしょうか?
0:24登録者100万人…
シー
地元の公園に弥生時代の遺跡ある
すげえ地元
魏志倭人伝にどこまで信憑性があるのか疑問。他に手がかりがないからといって、振り回されすぎてるんじゃないの。中国のお役人が、断片的な資料から適当に書いたフィクションだとしても不思議はないのでは。
空白の歴史の一つと思いました。というのも、稲作は九州に伝わったと言うのは初めて知りました。地元滋賀県が稲作が初めて伝わったと聞いていたので、曖昧なんだな…まぁ、九州の説の一つに金印が見つかったのが九州と言う話も聞きました。しかしなぜ、「大和」や「平城京」は奈良県、「平安京」は京都になったんでしょうね。個人的に大国主命が奉られてる出雲大社も気になりました。(行ってみたいです。)
そして弥生時代の歴史が見つかったのが思ったよりも最近と言うのも初めて知りました。米は寒い地域では収穫が難しいとも習ってはいましたし、食の保存性などでも知ってはいます。まぁ、現代はハウス栽培などがよくできてるので、社会面で東北の米が日本の米の収穫量を大きく占めてますね。それに小学生レベルの江戸時代で習いましたが、米と小麦の農作時期を交互にしていたそうですね。
本当にミステリアスな時代なんだと感じました。邪馬台国や卑弥呼も、字からしてあり得ないとも習いました。ただ、協力して社会を動かそうとなったのが弥生時代なんですね。
古い文化が成り立ち、新しく変化する文化は大好きです。新卒20歳の顔付きがショタな人がいます。僕は28ですが、立場的にも彼は正社員で僕は契約社員ですし、調理師学校卒業してから8年はフラついていたので実力共に彼の方が上だと思ってます。彼は自分の生まれたことや親に感謝して、自分の名前も好んでます。僕は、自分のケジメを復讐に売ったことは悪いとは思っていてもそのまま前を向いてるので、自分を嫌ってます。弥生の弥は本名です。(ワタルではありません。小言で「デスノート」がヒントとは言います。)弥生時代に本業の日本料理には必ずつく米が広まったのは、どういった「縁」でしょうね。それでも弥生時代は嫌います。
色々お話ありがとうございます!
メソポタミア文明は最古の文明なのに、なぜ崩壊し、今現在もイマイチなんでしょう?
文明についてのトピックをあつかってほしいです。
リクエストありがとうございます!調べてみますね!
うおーきたきた
お待たせしました。今日も塾さぼって見てください
@@donttellmearai 最近成績悪くなったのに教養だけ良くなったな〜
草
卑弥呼は2人いたんですよ。
そゆこと
今の新興宗教も教祖が私には神や仏の声が聞こえるって言うのを信じるんだから?その効果は絶大だな!
いつの時代もおなじよね
どうして、もっと早く稲作が伝わらなかったのだろう?
教科書よりわかりやすいや
それね
当時すでに交易は広範囲に行われていて、多くの日数が交易に使われていた。
米を作らなくとも十分に生きていけたし、交易時間を減らしてまで何ヵ月も管理に縛り付けられる米作の必要性がどこのあったのか?
その後、人口が増えて人手が十分に増えた時米作が増えただけの話ではないのか?
え、食べ物の保存すごくないですか?
卑弥呼 邪馬台国は九州だろ
そうなの?
だいたい間違っている
草
なんか卑弥呼って天理教と似てね?
確かに
鉄も朝鮮からだったよ。
歴史を正視してよ。
はっきりしない?
日本人は1万年前からずっと農耕民だよ、縄文人の子孫ではないしね
日本語は縄文人の言葉ではありません。 縄文語はアイヌ語だというのが定説です。
考古学的観点からの日本語とcyousen語の起源
考古学的観点から日本語とcyousen語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語とcyousen語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語とcyousen語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、cyousen半島にはcyousen語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後でcyousen半島に流入したcyousen語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。
言語学的研究では、日本語祖語とcyousen語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています
日本語祖語はまずマンチュリア南部からcyousen半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。cyousen語祖語はその後でマンチュリア南部からcyousen半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。
偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃にcyousen半島北部のゴングウィリ式土器を介してcyousen半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。
日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀~紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀~紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。
紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経てcyousen半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部からcyousen半島南部への粘土帯土器の広がりは、cyousen語祖語の経路を示唆します(図5-2)。
日本語祖語とcyousen語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語とcyousen語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語とcyousen語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。
sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.html
Brown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」
KyushuUniv
2023/01/24
ua-cam.com/video/a4hLPynYKug/v-deo.html
卑弥呼が2人いた説は?
盲点だった
すみませんがこれは学校レベルです
何か、聞き齧った程度の知識で随分といい加減な事言うな…💧🔔〜🙏。
たとえばどの辺?
久しぶりのハズレ回やな
革命以前の歴史って趣味の世界なんだよな
面白いと思えないのかわいそう
この時代、船はあったのかな