「メサイア」より 如何なれば諸国の民は~ハレルヤ Why do the nations so furiously rage together~Hallelujah from"Massiah”
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- Опубліковано 31 гру 2024
- 動画引用~制作:LIGHT HOUSE
メサイアコラールソサイエティ合唱団&管弦楽団
指揮:小田彰 バリトン:稲垣俊也
如何なれば諸国の民は、虚しきことを図るや~詩編2編
ある霊操家が、地獄のことを「地獄という良い知らせ」と表現しました。
私は初めて此の文言に接したとき、大変驚き入ったものです。
地獄は本当に存在するのでしょうか?
多くの人は、「神がそんなに人を愛しているのに、何故地獄を造ったのか」と疑問に思い、神の愛を信じられなくなります。
そこには当然誤解があります。地獄は場所ではありません。地獄は心の状態です。“神”も“愛”も“平安”も“美”も“調和”もない世界です。
天国は神が見え、神の愛が感じられるので、すべてを愛することができ、すべてが美しく見え、すべてが調和をしている世界です。
逆に地獄は正反対の状態です。神が見えなく感じられませんから、人々は互いに怒り、憎しみ、攻撃し合い、孤独と疎外に陥り、自分のおろかさと人の意地悪さだけを実感することになります。人が神の不在を選んで、自分と人の“恨み”を選ぶときに、そのような状態が地獄となります。「神が地獄をつくった」というよりも、人が自分自身で地獄をつくっているのです。
そしてこれは全く神秘としか言いようがありませんが・・・神は此の地獄の状態を決してお望みではありませんが、認めてはおられるのではないでしょうか?
神は私たちをあまりにも愛しておられるので、私たちに心から愛されることを待っておられます。
其れゆえに、神の愛に「はい」と答えることと、「いいえ」ともいえる選択肢をお与えくださっています。
愛の授受は強制や命令によって為されるものではありません。それは自由に与り、自由に与えるものでありましょう。
人は神の意のままに動くロボットでもなければ、ベルトコンベアーに乗って自動的に天に運ばれるものでもありません。
其れゆえに大変奇異な表現になりますが、「地獄もまたよき知らせ」ということになろうかと想います。
実に神は、人の自由を保障する究極の自由!!
動画:ヘンデル「メサイア」より、「如何なれば諸国の民は」から、著名な「ハレルヤ」に続きます。
心からなる愛の授受をお望みの神は、人に対して選択の自由をお与えくださっています。
ヘンデルもそのことを直観的に感じ(あるいは神学的考察による?)、このような曲順配列としたのではないでしょうか(実際はバスのアリアとハレルヤの間に二曲、此の選択を示し、迫る楽曲があります)
文責:稲垣俊也