【ぶらり廃線跡の旅】下津井電鉄1/2(茶屋町~児島)@岡山
Вставка
- Опубліковано 31 жов 2022
- 廃線・未成線のスライドショーでご案内しています。当面の間、毎週金曜の16時にアップします(ネタが尽きるまで)。チャンネル登録用お願いします↓
/ @haisentetsudouryou
#廃止線 #未成線 #倉敷市 #瀬戸大橋線 #鷲羽山
路線の詳細な沿革と各駅の営業キロは↓サイトをご参照ください。
haisentetsudouryou.travel.cooc... - Авто та транспорт
下津井鉄道が走っていたのは、資料で見ました。そのh\沿線を取材していただきありがとうございます。走っていたことがわかりますよね。チャンエル登録しておきました。私は、妹尾駅近くに住んでいますので一度訪れてみたいと思います。私は、瀬戸大橋線尾列車のチャンエルを用意しています。時間があれば見てくださいね。チャンネル登録いただけると嬉しいです。続きを見たいです。ありがとう!
ご視聴ありがとうございます。
児島~下津井は是非歩いてみてください。岡山は色々な鉄道、車輛があるのでいいですね。チャンネル登録しました。
下津井電鉄。 ここの廃止、つい最近の様に思えてきました。
自社とのバスとの競合でとは、何とも言えないです。
ココの場所の保存は、初めて知りました。 ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます。
戦後にガソリンやゴム(タイヤ)の統制が解除され、道路が立派になってしまうと、どうしてもバスの方が優位になってしまう、よくあります。
さて待望路線のひとつ(笑)、下津井電鉄登場ですね。
私は児島~下津井間廃止直後の1991年から数回全線踏破をしています。
ただここ数年はご無沙汰で再訪をいつの日にか、と思っております。
とりあえず今回分について触れていきますと、まず茶屋町駅は鉄道代替バスがまだ残っており、旧駅跡から発着していました。一部の建屋は存在していました。
現在郵便局のある辺りが旧駅跡の敷地です。レプリカ駅名標の位置はだいぶズレています。
ちなみにこの駅名標は「吉備の児島の陸続き400年瀬戸大橋開通30周年記念事業実行委員会」なる長ったらしい団体が建てたものです。
主さまご訪問の直前ぐらいだと思います。
またこの廃止区間はほぼ全体を倉敷市が管理していることも忘れてはなりません。
藤戸駅には私の訪問時にはオリジナルの駅名標が残存していました。
林駅は貨物取り扱いもあった交換可能駅でした。今の駐車場スペースも駅構内だったようです。
さて私の驚きは福南山駅…廃線巡りでは無視されている史料もあります。
項を改め、この駅のお話を少々。
廃線を探して、児島まで来たけど、地理がわからず、道案内で訪ねた場所は警察署。バスの車庫と併設していたこと、あの頃から時間が止まっているのではと思った。初めて行くとまず迷う。あの距離では乗り換える人は皆無だったと思います。
ご視聴ありがとうございます
児島駅は保存度の高い駅でした。
児島駅の閉塞機は部分廃止後に交換設備を復活させた琴海駅で使用されていたものではないかと思います。
あまり述べますと続編のネタバレにもなってしまいますので簡単に触れておきますと、1968年に閉塞を廃止していますが部分廃止後の観光路線化で増発を図った際に交換設備を復活させています。
また児島駅の向かって右側の仕切りは下電トラベルの撤退後の現在では撤去されたそうです。
今回も長々失礼しました。
いつもご視聴ありがとうございます
廃線跡は倉敷市が管理していたんですね。福南山駅は確かに位置が特定できませんでした。
瀬戸大橋線の開業で観光路線化の投資をしましたが短命で残念でした。児島駅が離れているのもネックです。琴海辺りは見晴がいいのですが、
下津井港の車庫に行こうと児島駅からタクシー乗ったら、なんと運転手さんが元電鉄の方。ちょっと値段は張ったけど、廃線跡案内してもらって写真撮りました。帰りは節約で、電鉄バスでした。^^;
ご視聴ありがとうございました。
元鉄道関係者の方に会えるのはラッキーですね。
別の路線ですが廃線跡や駅舎跡に家を建てていた方々もいました。
@@haisentetsudouryou 紀州鉄道もそうですね。^^;
高校の修学旅行(昭和44年秋)で宇野線を利用した際、電車の窓から下津井鉄道が見えたのが唯一の想い出です。
6:50 辺りの両側のサクラ(?)の木の間を走る列車をもう一度見てみたいです。
BGMも明るくアップテンポで気持ち良いですね。
ご視聴ありがとうございます
BGMは「魔王魂」さん作曲でダウンロード無料です。ちょっと選曲が弾けすぎたかも
さてこの福南山駅は「待避線のある停留場」的な姿だったようです。
稗田~福田間の駅間距離が約4㎞だったことから、列車増発を視野に入れてだったという見方もあります。
史料が乏しく、〈幻の駅〉扱いにされている向きもありますけど1950年の開設から程なく休止になっていたらしく1971年までの下電公式資料にも記載が無いようです。
その1971年のダイヤ改正から再び記載されていますが、停車列車は朝夕の計5本でした。
こういった経緯から、福南山駅跡にはレプリカ駅名標が建てられなかったのだと推定されます。
児島駅の閉塞機のナゾはあくまでも私の推察ですが項を改めて少々。