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治安師団のほうが扱いがしやすく、兵力が減って戦力が向上した師団であったそうです。藤井非三四さんの「帝国陸軍師団変遷史」に記述があります。
自宅の警備員に1個師団分用意しようと思ったので、助かりました!
自宅警備でしたら、丁編成の治安師団がおすすめです!!
@ホルティミクローシュ ダイジョブダイジョブ、航空部隊(黄色中隊率いるSu-37が10機)も付いてるから
自宅警備員の待遇と業務内容についてkwsk
日本軍と軍用車両よりP294、山下視察団がドイツを訪問し、最新兵器や空軍と、大規模な機械化部隊による電撃戦を視察して6/28に東條首相らを前に陸軍省会議室で二時間にわたり「航空戦力と機甲部隊の飛躍的拡充の必要」などを報告したが、質問はなく終わった。ここらへんは陸軍首脳の機甲部隊に対する無理解と説明されることが多いが実際はそんな単純な話ではなく、独ソ戦の対応に大本営と政府は忙殺されていたためだった。政府や軍部が忙しいのにガン首揃えて報告を聴いたのは報告を重要視していたから。ドイツ軍の快進撃は機械化を進めたい一部将校に強く影響を与えた。ただしグーデリアンの大戦果により陸軍が機甲部隊の威力を知ったというより、陸軍の一部から理論としての可能性が指摘されていたものに論拠を加えることになったという意味でだ。グーデリアンでさえ長らく少数派であり、その彼もフラー大佐の理論から機甲軍と運用を学んでいた。当然日本陸軍でも理論を理解していた将校は賛否はともかく一定数いた。P296、吉田中将(騎兵総監)の全軍の機械化を強くすすめるのは、無闇に人員を戦場に送り出せばその分生産人口が減少して軍需生産や民需の減少に繋がる。少ない戦場要因で戦力を維持するためには軍を徹底して機械化させる必要がある。企業が生産設備投資をして生産性を上げて人員を削除するのと同じである。重要なのは機甲兵団創設が戦争経済と不可分であり、なおかつ戦場要員は国民人口の問題からもむやみに増やせないという認識。彼はWW1の欧米の人口統計を日本に当てはめ、人口と戦争経済の観点から動員可能な人員数に限界があることを割り出している。そうした考察から機甲兵団創設は始まっており、単に「機甲師団という槍の穂先を作る」などという単純な話ではなかったのだ。
陸軍の循環式浴槽の構造とか見たいです。殆ど会話や言葉だけで図面や写真を見たい
この基本編成に独立混成旅団や支隊も加わるからさらにややこしくなりますね。米帝様あドイツの場合、連隊戦闘団も加わりますね。米帝様の第442連隊戦闘団のように戦車大隊が配置されてない連隊戦闘団もあります。
ドイツ軍の装甲師団は戦闘団が正規編成じゃないから各部隊ごとにばらつきが大きいんだよなー
全て師団-旅団-連隊-大隊 という編成かと思っていたら、旅団が無い場合や、連隊が無い場合もあるとは、知りませんでした。。。
うぽつです。お疲れ様です。
並木書房の日本軍と軍用車両(2019年出版)がかなりおすすめです。
初めて立ち寄りました。ちょうどインパール作戦を研究中でしたので参考にさせていただきます。過去のも時間あるときに見ますね。
軍を語る上で、階級と編成は欠かせませんね
第7師団の場合の連隊の遷移はこんな感じです~昭和40年まで第7師団 - 歩兵第13旅団 - 歩兵第25連隊 - 歩兵第26連隊 - 歩兵第14旅団 - 歩兵第27連隊 - 歩兵第28連隊昭和40年10月~第7師団 - 第7歩兵団 - 歩兵第26連隊 - 歩兵第27連隊 - 歩兵第28連隊
「師団」という単位を発明したのはフランス軍・・・だったかな?一本の街道を使って移動し作戦できる最大規模の部隊として考案されました。軍を戦略的に効率よく機動させる上で、あまり多くの部隊が一つの街道に集中すると渋滞を起こして思うように軍勢を機動させることができないため、一つの街道で機動できる上限の人数ごとに部隊を分けるのは戦略規模での作戦を考える上でかなり便利が良かったのです。その「師団」を交代で前線を支えられるように半分に分けたのが「旅団」、更にそれを半分に分けたのが「連隊(当初は半旅団とも呼んだ)」という風に決められました。このシステムは作戦立案にすごく便利が良いので、その後すべての国の陸軍で採用されることになります。しかし、この編成だと一個師団の基幹戦力が四個連隊となるのですが、これだと実際に前面に立たない予備兵力が多くなりすぎる事などから、経費節減等のために旅団という単位を無くして三連隊を基幹とする師団編成が世界の主流となりました。
例外的にイタリア陸軍では2個連隊編成の師団が多数を占めていたようですね。だから、あんなことになってしまったんですかね...
実際、守勢重視のドクトリンならスクエア(隷下単位がバイナリ)、攻勢重視ならトライアングル編成になるってことは意外と39年以降で着目されて、アメリカも戦間期全部スクエアだったがハワイ守備隊の24師がスクエア(旅団2、隷下連隊2ずつ)、ニューギニア救援時編成されたアメリカル(23師)はもうトライアングルになった
「師団」は、かのナポレオンの発明だそうです。さすが天才ですな。
@原田隆久さんウィキペディアからの受け売りですが、古代中国「周」の時代の軍の単位を表す「師」という言葉を持って来たようです。
@@caviteish 師の文字は、2つに分解すると「集団」と「旗・巾」の意味があるそうですね
師団、通常三個連隊基幹10000人。戦闘師団となると三個連隊+砲兵連隊か砲兵大隊が編入される。連隊、通常三個大隊基幹900人。戦闘連隊となると三個大隊+砲兵中隊編入。大隊、通常三個中隊編成680人だが、戦闘大隊だと、+高射砲中隊、機関銃中隊、迫撃砲小隊、衛生隊、野戦病院、経理部、通信小隊が編入されおよそ1000人となる。
今まで歩兵大隊が5~600人ぐらいのイメージだったので、倍くらいの人員だったっていうのが目から鱗。
基本的には歩兵中隊数によって大きく変わりますね。日本陸軍では4コ中隊編成で定員1000名近くですが、3コ中隊編成であれば700~800名程になると思われます。
機械化、自動車化前だと、意外に大人数になります。陸上自衛隊だと、前のオリンピックの少し前の改編で、普通科連隊から大隊の結節がなくなってます。米軍でも、陸軍と海兵隊では、海兵隊の方が同じ大隊とはいえ、大人数だったと思います。
警備大隊なら580人ですよ。大隊長は少佐ですが、18年以降は大尉もなってます。陸士組が殆どですが、小候組も少しですが17〜19期が就任してます。大隊以上で副官が付きます。砲兵、高射砲、高射機関砲、迫撃砲、工兵、自動車、戦車、野戦重砲、等は歩兵連隊に付けられてた。
輜重(しちょう)兵、バカにされがちだったらしいなぁ。兵站大事なんだけどなぁ。
今のネットでの兵站のイメージは1944年以降のイメージが支配的で、実際は諸外国とあまり変わりはなさそうですよ。経理将校という人たちが重要な肝で、彼らは軍のエリート中のエリートであり、数学力を結集させて緻密な兵站システムを構築していったそうです。出典:彩図社「最新研究でここまでわかった太平洋戦争通説のウソ」より
@@コクヨかパイロットか 教えてくれてありがとう(^∧^)✌️
南方戦線も補給そのものは行われてたしね(途中で沈められただけで)
曽祖父が陸軍大尉だったのですがどの役職にあたるのですか?また陸軍大尉はどのくらいの凄さなのですか??
大尉殿は中隊長クラスかと。
大尉は中隊長クラスで、通常編成では基幹になります。また、連隊直轄で配属された場合は、連隊司令部の連絡将校となって補佐する立場にあります。現場で兵士を率いて直接敵と戦う階級としては最上位の責任者にあたります。一つ上の少佐からはデスクワークが増えて、司令部や現場の部隊本部に詰めますから、戦闘現場には視察で出るぐらいになります。
@@kouhaku-tuukawa-channel 違うアカウントからすみません。詳しい説明ありがとうございます。重ねての質問なのですが、曾祖父は終戦時20代中ばで、師範学校?を卒業したらしいのですが、士官学校を卒業していない若い人でも大尉クラスに就くことはよくあることなのですか?
@@hayate6515士官学校を卒業していないとなると現場での叩き上げか何か特例があった場合になると思うので、あまり若い人はいないと思います
調べてみてもわからなかったので質問です大隊長とかがあるなら階級ってどういう意味があるんですか?興味があっても知識はないので、へんな質問だったらすみません
知識というほどのものではない感覚的な回答で申し訳ないですが、「階級」と「ポスト」の違いかと思います。階級(少尉、中佐など)はその人の能力を示し、ポスト(小隊長、大隊長)にはそれに見合う能力(階級)を持つ者に充てるといった感じです。例えば、新しい部隊を作る時に部隊長を決めるわけですが、対象者の能力を示す指標がなければ一人一人の適性をその都度調べなければなりません。指標があればある程度候補者を絞れますので楽になります。その指標が階級だと考えてもらればと思います。長文ですいません...
@@ふんわりチャンネル ありがとうございます!
アメリカ軍は旅団より兵隊が多いつまり一万人を意味する第一軍団から第10軍団で総数10万で圧倒し援軍で1000人から6000人を意味する三個旅団を投入してるから惨敗してますよ、対する陸海日本軍は四個中隊、500人から1000人を中心にする援軍を四個中隊投入しましたが、数で勝てず惨敗、
連隊って、一つの地区から集められるやったかな?
旧日本陸軍での連隊の場合、担当地域(連隊区)から兵員を徴募することが多いので、郷土連隊とも言われてます。都市部の居住者については、本籍地の部隊に入ってたみたいです。陸上自衛隊だと、もう少し広めの師団や旅団の担当地域での徴募がメインで、災害派遣や地域活動の支援の担当地域を隷下の各部隊(概ね連隊ごと)に割り振ってます。
@@cptsanjo 説明ありがとうございます🤗
あくまでも歩兵の場合、なんなとく学校の感覚でいうと、給食の時や、何か共同作業するときに6人ぐらいでグループ作るけど、それが隊伍。リーダーは伍長。副リーダーが上等兵。それが二つくっついて班。班長さんが軍曹。それが四つくらいでクラスだから、それが小隊。クラスの担任先生が小隊長。少尉ですか。クラス委員が隊附の先任軍曹。クラスが四つくらいで学級。中隊ですか。学級担当の先生が中隊長で大尉。学級委員は中隊附の曹長。それが三つくらいで大隊。中学や高校の校長先生ですね。少佐ですか。教頭先生は補佐する大尉ですね。生徒指導や用務担当の将校、下士官もいます。連隊ともなると小、中、高と三つの学校を束ねる一貫教育校の理事長さん。大佐になりますね。需品や指導、財務担当と将校も多くなります。工業高校もあります。旅団は単科大学、師団は総合大学になります。学長は少将、中将ですね。もはや職員室レベルではありません。参謀を持つようになります。で、基本編成はまぁここまでで、ことに臨むときに師団をまとめて軍、総軍をさらに編制して大将が司令官になります。文科省が陸軍省と参謀本部になるのかな。
獣と田布施の金儲けの為の陸軍。
大日本帝国陸軍を研究するなら最初にその組織が、「軍隊(参謀総長指揮権無し・命令は大命で)」「学校(教育総監)」「官衙(陸軍大臣)」「特務機関」として別れて居た事を理解しないと駄目ですね。後、編制と編成の差、(命令と区処、戦闘序列)等後23師団は新設師団として考えて、常設師団の第五師団と比較した方が分かり易いのでは?23師団を基幹として小松原兵団が編成され、ノモンハンで苦戦している際、確か明治期に編制された歴戦の第五師団(今村中将)が(援軍として)大連まで到達している時に停戦しましたね。3単位の新設と、4単位の常設では圧倒的な兵力(含む練度)差がありました。政治(財政)的に軍縮絡みだった様な・・・
治安師団のほうが扱いがしやすく、兵力が減って戦力が向上した師団であったそうです。藤井非三四さんの「帝国陸軍師団変遷史」に記述があります。
自宅の警備員に1個師団分用意しようと思ったので、助かりました!
自宅警備でしたら、丁編成の治安師団がおすすめです!!
@ホルティミクローシュ ダイジョブダイジョブ、航空部隊(黄色中隊率いるSu-37が10機)も付いてるから
自宅警備員の待遇と業務内容についてkwsk
日本軍と軍用車両より
P294、山下視察団がドイツを訪問し、最新兵器や空軍と、大規模な機械化部隊による電撃戦を視察して6/28に東條首相らを前に陸軍省会議室で二時間にわたり「航空戦力と機甲部隊の飛躍的拡充の必要」などを報告したが、質問はなく終わった。ここらへんは陸軍首脳の機甲部隊に対する無理解と説明されることが多いが実際はそんな単純な話ではなく、独ソ戦の対応に大本営と政府は忙殺されていたためだった。政府や軍部が忙しいのにガン首揃えて報告を聴いたのは報告を重要視していたから。ドイツ軍の快進撃は機械化を進めたい一部将校に強く影響を与えた。ただしグーデリアンの大戦果により陸軍が機甲部隊の威力を知ったというより、陸軍の一部から理論としての可能性が指摘されていたものに論拠を加えることになったという意味でだ。グーデリアンでさえ長らく少数派であり、その彼もフラー大佐の理論から機甲軍と運用を学んでいた。当然日本陸軍でも理論を理解していた将校は賛否はともかく一定数いた。
P296、吉田中将(騎兵総監)の全軍の機械化を強くすすめるのは、無闇に人員を戦場に送り出せばその分生産人口が減少して軍需生産や民需の減少に繋がる。少ない戦場要因で戦力を維持するためには軍を徹底して機械化させる必要がある。企業が生産設備投資をして生産性を上げて人員を削除するのと同じである。重要なのは機甲兵団創設が戦争経済と不可分であり、なおかつ戦場要員は国民人口の問題からもむやみに増やせないという認識。彼はWW1の欧米の人口統計を日本に当てはめ、人口と戦争経済の観点から動員可能な人員数に限界があることを割り出している。そうした考察から機甲兵団創設は始まっており、単に「機甲師団という槍の穂先を作る」などという単純な話ではなかったのだ。
陸軍の循環式浴槽の構造とか見たいです。殆ど会話や言葉だけで図面や写真を見たい
この基本編成に独立混成旅団や支隊も加わるからさらにややこしくなりますね。
米帝様あドイツの場合、連隊戦闘団も加わりますね。米帝様の第442連隊戦闘団のように戦車大隊が配置されてない連隊戦闘団もあります。
ドイツ軍の装甲師団は戦闘団が正規編成じゃないから各部隊ごとにばらつきが大きいんだよなー
全て師団-旅団-連隊-大隊 という編成かと思っていたら、旅団が無い場合や、連隊が無い場合もあるとは、知りませんでした。。。
うぽつです。
お疲れ様です。
並木書房の日本軍と軍用車両(2019年出版)がかなりおすすめです。
初めて立ち寄りました。
ちょうどインパール作戦を研究中でしたので参考にさせていただきます。
過去のも時間あるときに見ますね。
軍を語る上で、階級と編成は欠かせませんね
第7師団の場合の連隊の遷移はこんな感じです
~昭和40年まで
第7師団
- 歩兵第13旅団
- 歩兵第25連隊
- 歩兵第26連隊
- 歩兵第14旅団
- 歩兵第27連隊
- 歩兵第28連隊
昭和40年10月~
第7師団
- 第7歩兵団
- 歩兵第26連隊
- 歩兵第27連隊
- 歩兵第28連隊
「師団」という単位を発明したのはフランス軍・・・だったかな?
一本の街道を使って移動し作戦できる最大規模の部隊として考案されました。
軍を戦略的に効率よく機動させる上で、あまり多くの部隊が一つの街道に集中すると渋滞を起こして思うように軍勢を機動させることができないため、一つの街道で機動できる上限の人数ごとに部隊を分けるのは戦略規模での作戦を考える上でかなり便利が良かったのです。
その「師団」を交代で前線を支えられるように半分に分けたのが「旅団」、更にそれを半分に分けたのが「連隊(当初は半旅団とも呼んだ)」という風に決められました。
このシステムは作戦立案にすごく便利が良いので、その後すべての国の陸軍で採用されることになります。
しかし、この編成だと一個師団の基幹戦力が四個連隊となるのですが、これだと実際に前面に立たない予備兵力が多くなりすぎる事などから、経費節減等のために旅団という単位を無くして三連隊を基幹とする師団編成が世界の主流となりました。
例外的にイタリア陸軍では2個連隊編成の師団が多数を占めていたようですね。
だから、あんなことになってしまったんですかね...
実際、守勢重視のドクトリンならスクエア(隷下単位がバイナリ)、攻勢重視ならトライアングル編成になるってことは意外と39年以降で着目されて、アメリカも戦間期全部スクエアだったがハワイ守備隊の24師がスクエア(旅団2、隷下連隊2ずつ)、ニューギニア救援時編成されたアメリカル(23師)はもうトライアングルになった
「師団」は、かのナポレオンの発明だそうです。さすが天才ですな。
@原田隆久さん
ウィキペディアからの受け売りですが、古代中国「周」の時代の軍の単位を表す「師」という言葉を持って来たようです。
@@caviteish
師の文字は、2つに分解すると「集団」と「旗・巾」の意味があるそうですね
師団、通常三個連隊基幹10000人。
戦闘師団となると三個連隊+砲兵連隊か砲兵大隊が編入される。
連隊、通常三個大隊基幹900人。
戦闘連隊となると三個大隊+砲兵中隊編入。
大隊、通常三個中隊編成680人だが、戦闘大隊だと、+高射砲中隊、機関銃中隊、迫撃砲小隊、衛生隊、野戦病院、経理部、通信小隊が編入されおよそ1000人となる。
今まで歩兵大隊が5~600人ぐらいのイメージだったので、倍くらいの人員だったっていうのが目から鱗。
基本的には歩兵中隊数によって大きく変わりますね。
日本陸軍では4コ中隊編成で定員1000名近くですが、3コ中隊編成であれば700~800名程になると思われます。
機械化、自動車化前だと、意外に大人数になります。
陸上自衛隊だと、前のオリンピックの少し前の改編で、普通科連隊から大隊の結節がなくなってます。
米軍でも、陸軍と海兵隊では、海兵隊の方が同じ大隊とはいえ、大人数だったと思います。
警備大隊なら580人ですよ。大隊長は少佐ですが、18年以降は大尉もなってます。陸士組が殆どですが、小候組も少しですが17〜19期が就任してます。大隊以上で副官が付きます。砲兵、高射砲、高射機関砲、迫撃砲、工兵、自動車、戦車、野戦重砲、等は歩兵連隊に付けられてた。
輜重(しちょう)兵、バカにされがちだったらしいなぁ。兵站大事なんだけどなぁ。
今のネットでの兵站のイメージは1944年以降のイメージが支配的で、実際は諸外国とあまり変わりはなさそうですよ。経理将校という人たちが重要な肝で、彼らは軍のエリート中のエリートであり、数学力を結集させて緻密な兵站システムを構築していったそうです。
出典:彩図社「最新研究でここまでわかった太平洋戦争通説のウソ」より
@@コクヨかパイロットか 教えてくれてありがとう(^∧^)✌️
南方戦線も補給そのものは行われてたしね(途中で沈められただけで)
曽祖父が陸軍大尉だったのですがどの役職にあたるのですか?また陸軍大尉はどのくらいの凄さなのですか??
大尉殿は中隊長クラスかと。
大尉は中隊長クラスで、通常編成では基幹になります。
また、連隊直轄で配属された場合は、連隊司令部の連絡将校となって補佐する立場にあります。
現場で兵士を率いて直接敵と戦う階級としては最上位の責任者にあたります。
一つ上の少佐からはデスクワークが増えて、司令部や現場の部隊本部に詰めますから、戦闘現場には視察で出るぐらいになります。
@@kouhaku-tuukawa-channel 違うアカウントからすみません。詳しい説明ありがとうございます。
重ねての質問なのですが、曾祖父は終戦時20代中ばで、師範学校?を卒業したらしいのですが、士官学校を卒業していない若い人でも大尉クラスに就くことはよくあることなのですか?
@@hayate6515士官学校を卒業していないとなると現場での叩き上げか何か特例があった場合になると思うので、あまり若い人はいないと思います
調べてみてもわからなかったので質問です
大隊長とかがあるなら階級ってどういう意味があるんですか?
興味があっても知識はないので、へんな質問だったらすみません
知識というほどのものではない感覚的な回答で申し訳ないですが、「階級」と「ポスト」の違いかと思います。
階級(少尉、中佐など)はその人の能力を示し、ポスト(小隊長、大隊長)にはそれに見合う能力(階級)を持つ者に充てるといった感じです。
例えば、新しい部隊を作る時に部隊長を決めるわけですが、対象者の能力を示す指標がなければ一人一人の適性をその都度調べなければなりません。指標があればある程度候補者を絞れますので楽になります。その指標が階級だと考えてもらればと思います。
長文ですいません...
@@ふんわりチャンネル ありがとうございます!
アメリカ軍は旅団より兵隊が多いつまり一万人を意味する第一軍団から第10軍団で総数10万で圧倒し援軍で1000人から6000人を意味する三個旅団を投入してるから惨敗してますよ、対する陸海日本軍は四個中隊、500人から1000人を中心にする援軍を四個中隊投入しましたが、数で勝てず惨敗、
連隊って、一つの地区から集められるやったかな?
旧日本陸軍での連隊の場合、担当地域(連隊区)から兵員を徴募することが多いので、郷土連隊とも言われてます。
都市部の居住者については、本籍地の部隊に入ってたみたいです。
陸上自衛隊だと、もう少し広めの師団や旅団の担当地域での徴募がメインで、災害派遣や地域活動の支援の担当地域を隷下の各部隊(概ね連隊ごと)に割り振ってます。
@@cptsanjo 説明ありがとうございます🤗
あくまでも歩兵の場合、なんなとく学校の感覚でいうと、給食の時や、何か共同作業するときに6人ぐらいでグループ作るけど、それが隊伍。リーダーは伍長。副リーダーが上等兵。それが二つくっついて班。班長さんが軍曹。それが四つくらいでクラスだから、それが小隊。クラスの担任先生が小隊長。少尉ですか。クラス委員が隊附の先任軍曹。クラスが四つくらいで学級。中隊ですか。学級担当の先生が中隊長で大尉。学級委員は中隊附の曹長。
それが三つくらいで大隊。中学や高校の校長先生ですね。少佐ですか。教頭先生は補佐する大尉ですね。生徒指導や用務担当の将校、下士官もいます。
連隊ともなると小、中、高と三つの学校を束ねる一貫教育校の理事長さん。大佐になりますね。需品や指導、財務担当と将校も多くなります。工業高校もあります。
旅団は単科大学、師団は総合大学になります。学長は少将、中将ですね。もはや職員室レベルではありません。参謀を持つようになります。
で、基本編成はまぁここまでで、ことに臨むときに師団をまとめて軍、総軍をさらに編制して大将が司令官になります。文科省が陸軍省と参謀本部になるのかな。
獣と田布施の金儲けの為の陸軍。
大日本帝国陸軍を研究するなら最初にその組織が、「軍隊(参謀総長指揮権無し・命令は大命で)」「学校(教育総監)」「官衙(陸軍大臣)」「特務機関」として別れて居た事を理解しないと駄目ですね。
後、編制と編成の差、(命令と区処、戦闘序列)等
後23師団は新設師団として考えて、常設師団の第五師団と比較した方が分かり易いのでは?23師団を基幹として小松原兵団が編成され、ノモンハンで苦戦している際、確か明治期に編制された歴戦の第五師団(今村中将)が(援軍として)大連まで到達している時に停戦しましたね。3単位の新設と、4単位の常設では圧倒的な兵力(含む練度)差がありました。政治(財政)的に軍縮絡みだった様な・・・