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自分の生まれの不幸を笑い、脱出するナウシカを嘲笑う。笑顔から真顔に変わったのは「あの娘と一度ゆっくり話をしたかった」というセリフに繋がっていきますよね~
お互いに、一国の姫、原作では、さらにお互いに国を思う者同士でしたからね。
所詮血塗られた道だ‥‥。このクシャナの言葉に全て詰まってると思う🤔
「助けてくれ」とは言えないから強がりで笑ったんだと思う。
むしろ全部なんじゃないのかな?所詮お前もだろと思いつつこんな死に方をする自分も笑った。ナウシカは後者を読み取ったからハッとした顔をしたし、クシャナは前者が違ったから驚いた。普通の人間同士ならそんなことは実際の所わからないんだけど、創作物には全てのシーンに監督の意図が込められる(そうじゃない事もあるけど宮崎駿はそうだと思う)から、一連の流れで2人の思想の一端を説明したんじゃないかと思った。
素敵なコメントありがとうございます!なんだかとても腑に落ちました。
ナウシカというか、自分自身に対して嘲笑したのかもね。諦めと因果を絡めて。
簡潔で面白い考察動画だと思います。このような短い動画が好きですね。ダラダラ長い動画よりも。
このシーン何回も見ていましたが「笑った」と認識していませんでした。(「チッ(舌打ち)」と思ってた)漫画版を見た後ではクシャナは部下を置いて一人で逃げることは無いと、また王や兄王の復讐の為にだけに生きているので生に執着も無く、行きがかり上、捕虜的に連れてきただけでナウシカが逃げようが興味はないと思いました。バカガラスは操作不能で、生存者や避難手段を探していたところ「こいつは生きていたし逃げることも出来るな(やるな、ニヤッ)」と安堵しかし「来い」と言われ驚き、生存者も居なかったのでつい乗ってしまったのかな。
普通に「是非も無し」の心境だったんだと思う。
…【信長公】ですねェ…"(-""-;)"
私は後者ですね。どれだけ綺麗事を並べても、所詮は私や他の人間とお前も同じだ。と自分が殿下なら思って笑いますねw。
クシャナは自分自身を笑った。そして、ざまあないな、お前もわたしがを見て自業自得と思っただろう?と笑ってしまったのかなと。ナウシカがその瞬間、ただの悪人ではないってことを見た、というところに考えが及ばなかった!ありがとう御座いました
クシャナが自分の人生を「笑った」というのは面白い感想ですね。私見ですがわりと自信家なクシャナより一歩早く船に乗り込むナウシカをみて、「流石だな」という皮肉的な笑いなのかなという印象でした。常人ならあんな状況では取り乱すのが普通でしょうし(ミトのように)、船を奪おうと脅す素振りも見せずただ笑ったクシャナを見て、ある種ナウシカは生きるのを諦めている人に手を貸したくなったのかなとも思いました。それだけクシャナの周りには敵しかおらず手を差し伸べてくれる人というのがほとんどいなくてそんな環境でサバイバルしてきたのかなあという妄想でした。
クシャナの胸中「…平和なる風の谷に生まれしナウシカには、我の凄惨なる戦歴の数々など予想すら出来ぬであろうな」☜「我が夫となる者は、更におぞましきを見るであろう」に語られてます…ナウシカ(平和なる国の王女)に…戦場の修羅場(この場面にては墜落しつつある飛行機)を切り抜けるだけの判断力や行動力があるのか…見せて貰おうか…くらいの笑いかと存じます…ナウシカに無視されても何らおかしくない状況に置かれ、尚ナウシカの反応をじっくり見る余裕を匂わせるクシャナ…ほんの数秒間のやり取りですが、様々な人生模様が交錯する場面です…
挑んでる。どうするか伺う表情。
原作読んでいれば言うまでもないことですが、アニメしか見てないと勘違いされがちなこと。ナウシカもまた業深きものであって、善人というわけじゃないです。
「私がこんな所でくたばるものか!」って笑ったのだと思ってました。それからナウシカに「来い!」と言われて、「なんでタメ口なんだよ!こちらに来てください。だろうが!」ってイラッとしたのだと思いました。子どもの頃に。
クシャナは心の中で『ナウシカと言ったな。風の谷にいたときに子供たちと話していて善人に見えたが、この私『クシャナ』を、お前は見捨てるのか?』という、『ナウシカが、どういう人間なのか?』、と、『自分がここで命尽きるのか?』、という、2つの感情が入り混じって『笑み』をしたのだと思います。
多分まさか敵である自分を助けはしないだろう、私の人生もここまでかって思ったんでしょうね。
個人的には、この時点で既にナウシカのことが気になり始めていて(恐らく船の外に生身を晒してアスベルのガンシップの攻撃を止めに入った辺りがきっかけ)、そんな人物がこんな状況に際し己の身内を殺した人間に対してこの状況でどんな判断を下すのか興味がある、みたいなことなのだと思っています。先述の状況やその前段のナウシカを見て恐らく優しい人物なのだろうと。しかし政情ひしめくトルメキア王族の渦中にあって多くの上辺だけの優しさを垣間見てきたであろうクシャナ様。ナウシカと向き合って「所詮貴様も同じだろう?」と、半ば諦め取り残されることを覚悟しながらも作中見て取れる気概から言い換えれば半分空粋がりのように「さあどうする…?」と無言でナウシカに問いかけたのがあの笑みなのではないかと。ナウシカに「来い!」と言われた時の驚いた表情は「こいつ…身内を殺した者すらも助けるのか?!」という、今まで優しさを見せてきた者には無かった分け隔ての無さにある種の本当の優しさを初めて垣間見たことから来るものだった、とか。目に見えて現れるのはもっと後半に差し掛かってからですが、クシャナ様の変化は既にこの時から起きていたのかもしれませんね。やはり人の本質はそう簡単には変わらないのでそこに至るまではそれ以前のクシャナ様の気質がまだ表立っていましたが。この時はまだ生き残るために利用してやろうくらいに考える方が勝っていたでしょうし。ただ「ダメなら潔く散ろう、通れば利用してやろう」と、本当の意味でのクシャナ様の潔い本質が暗にチラリと垣間見えたシーンだったのではと思っています。あくまで個人的解釈ですが、オウムの巣での遣り取りだけではクシャナ様があそこまで変わっていくには少し薄いなと捉えていましたのでその補完がなされるいい機会になりました。因みにこの見解は風の谷のナウシカを観ていてずっと思っていたのではなく、この動画を今回初めて観させて頂いて初めてこのシーンに注目した視点で浮かんできたものです。いいきっかけをありがとうございます!
私を残して逃げられると思うか? さて銃で脅して奪おうか… 「来い!」 え?うそーん。脅す手間が省けた…的な感覚で観てたなぁ
2:05 【回答】「腐海や人と人の争いが絶えないこのHoplessな世界において、そこまで生にこだわって、そなたはこれ以上いったい全体、何をしたいのだ?」という心境で、笑ったのだと思います。
私には、慌ただしく生き延びようとしているナウシカたちを、クシャナがあざ笑ったように見えた。自嘲というよりは、意地の悪い、悪意を帯びた笑顔に見えた。ナウシカが躊躇したのは、クシャナが父の仇だから。それでも「もう誰も殺したくない」という気持ちが勝って、「来い!」につながったように見えた。
クロトワがいれば二人でガンシップを襲って奪うのだが、一人ではナウシカとユパ相手に勝ち目は無いなと考えたのでは。
これで自分は解放される、あとはナウシカが肩代わりしてくれるだろうと笑ったのかな。どうせ血塗られた道だとこれかもこれからも辛い人生だから。
笑った理由は、私はこう思う。ナウシカの全くの善の魂がそうせざるをえず目の前に現れさせたことに対して皮肉を込めて笑ったのだろう。クシャナは死などはとうに覚悟していたのだと思うよ。呪われた友情です。
???「理屈なんてものはいいんだよ」???「それは映画を楽しむってことにはならない」って言いそう
お互いが根本的にPUREだったんだと思います😃
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」フルカラー絵コンテ文庫本(徳間書店310円。消費税導入前)のコンテ画と違くない?再版版?因みに「天空の城ラピュタ」もあるが、「となりのトトロ」からは無い。何やってんだ徳間。もうおっさんだが「紅の豚」があれば買いたい。
ずっと戦いと裏切りの中で生きてきたクシャナだから、そういう面でナウシカを過小評価していたのかも知れない。(※助けてくれと素直に頼んでも、見捨ててしまうと思っていた)しかし、現実は違い、自分のその愚かな固定概念に思わず笑みを浮かべたのだろう。っと考えたのですが、語彙力不足かな…?頼む、伝わってくれ!
クシャナって意見悪い奴に思えるかもしれないけど、実のことを言えば根は悪い奴でないんだよね。トルメキア軍の(確か骨付き肉?をムシャムシャと食べていた)おデブちゃん幹部はクズだけどね。ただ、仮にクシャナが『ウォーキング・デッド』のニーガンみたいな感じだったら案外面白かったかもしれない(笑)。
実は生き別れの姉妹だった!クシャナは妹だと知っていたがナウシカは知らず、姉だとハッと気付いて来いとね。テキトーですw
崖登り中、頑張りゲージが尽きて、手を離して、そのまま落っこちて、地面にドガッと叩きつけられて、落下ダメージでハートが尽きてそのまま即死するクシャナ殿下様。教訓:己の能力以上の無茶なことはしない。 頑張りゲージが少ない状態で無理な崖登りをするのは自殺行為だ。頑張りゲージが少ないうちは、急がば回れだ。
なんか音入れぇやwwpc壊れたか!思たわ!ww。
BGM入れたつもりでしたw指摘ありがとうございます!修正します!!
自分の生まれの不幸を笑い、脱出するナウシカを嘲笑う。
笑顔から真顔に変わったのは「あの娘と一度ゆっくり話をしたかった」
というセリフに繋がっていきますよね~
お互いに、一国の姫、原作では、さらにお互いに国を思う者同士でしたからね。
所詮血塗られた道だ‥‥。このクシャナの言葉に全て詰まってると思う🤔
「助けてくれ」とは言えないから強がりで笑ったんだと思う。
むしろ全部なんじゃないのかな?
所詮お前もだろと思いつつこんな死に方をする自分も笑った。
ナウシカは後者を読み取ったからハッとした顔をしたし、クシャナは前者が違ったから驚いた。
普通の人間同士ならそんなことは実際の所わからないんだけど、創作物には全てのシーンに監督の意図が込められる(そうじゃない事もあるけど宮崎駿はそうだと思う)から、一連の流れで2人の思想の一端を説明したんじゃないかと思った。
素敵なコメントありがとうございます!
なんだかとても腑に落ちました。
ナウシカというか、自分自身に対して嘲笑したのかもね。諦めと因果を絡めて。
簡潔で面白い考察動画だと思います。このような短い動画が好きですね。ダラダラ長い動画よりも。
このシーン何回も見ていましたが「笑った」と認識していませんでした。(「チッ(舌打ち)」と思ってた)
漫画版を見た後ではクシャナは部下を置いて一人で逃げることは無いと、また王や兄王の復讐の為にだけに生きているので生に執着も無く、
行きがかり上、捕虜的に連れてきただけでナウシカが逃げようが興味はないと思いました。
バカガラスは操作不能で、生存者や避難手段を探していたところ「こいつは生きていたし逃げることも出来るな(やるな、ニヤッ)」と安堵
しかし「来い」と言われ驚き、生存者も居なかったのでつい乗ってしまったのかな。
普通に「是非も無し」の心境だったんだと思う。
…【信長公】ですねェ…"(-""-;)"
私は後者ですね。どれだけ綺麗事を並べても、所詮は私や他の人間とお前も同じだ。と自分が殿下なら思って笑いますねw。
クシャナは自分自身を笑った。そして、ざまあないな、お前もわたしがを見て自業自得と思っただろう?と笑ってしまったのかなと。
ナウシカがその瞬間、ただの悪人ではないってことを見た、というところに考えが及ばなかった!ありがとう御座いました
クシャナが自分の人生を「笑った」というのは面白い感想ですね。
私見ですがわりと自信家なクシャナより一歩早く船に乗り込むナウシカをみて、「流石だな」という皮肉的な笑いなのかなという印象でした。常人ならあんな状況では取り乱すのが普通でしょうし(ミトのように)、船を奪おうと脅す素振りも見せずただ笑ったクシャナを見て、ある種ナウシカは生きるのを諦めている人に手を貸したくなったのかなとも思いました。
それだけクシャナの周りには敵しかおらず手を差し伸べてくれる人というのがほとんどいなくてそんな環境でサバイバルしてきたのかなあという妄想でした。
クシャナの胸中「…平和なる風の谷に生まれしナウシカには、我の凄惨なる戦歴の数々など予想すら出来ぬであろうな」☜「我が夫となる者は、更におぞましきを見るであろう」に語られてます…
ナウシカ(平和なる国の王女)に…戦場の修羅場(この場面にては墜落しつつある飛行機)を切り抜けるだけの判断力や行動力があるのか…見せて貰おうか…くらいの笑いかと存じます…ナウシカに無視されても何らおかしくない状況に置かれ、尚ナウシカの反応をじっくり見る余裕を匂わせるクシャナ…
ほんの数秒間のやり取りですが、様々な人生模様が交錯する場面です…
挑んでる。どうするか伺う表情。
原作読んでいれば言うまでもないことですが、アニメしか見てないと勘違いされがちなこと。
ナウシカもまた業深きものであって、善人というわけじゃないです。
「私がこんな所でくたばるものか!」って笑ったのだと思ってました。
それからナウシカに「来い!」と言われて、「なんでタメ口なんだよ!こちらに来てください。だろうが!」ってイラッとしたのだと思いました。子どもの頃に。
クシャナは心の中で『ナウシカと言ったな。風の谷にいたときに子供たちと話していて善人に見えたが、この私『クシャナ』を、お前は見捨てるのか?』という、『ナウシカが、どういう人間なのか?』、と、『自分がここで命尽きるのか?』、という、2つの感情が入り混じって『笑み』をしたのだと思います。
多分まさか敵である自分を助けはしないだろう、私の人生もここまでかって思ったんでしょうね。
個人的には、この時点で既にナウシカのことが気になり始めていて(恐らく船の外に生身を晒してアスベルのガンシップの攻撃を止めに入った辺りがきっかけ)、そんな人物がこんな状況に際し己の身内を殺した人間に対してこの状況でどんな判断を下すのか興味がある、みたいなことなのだと思っています。先述の状況やその前段のナウシカを見て恐らく優しい人物なのだろうと。しかし政情ひしめくトルメキア王族の渦中にあって多くの上辺だけの優しさを垣間見てきたであろうクシャナ様。ナウシカと向き合って「所詮貴様も同じだろう?」と、半ば諦め取り残されることを覚悟しながらも作中見て取れる気概から言い換えれば半分空粋がりのように「さあどうする…?」と無言でナウシカに問いかけたのがあの笑みなのではないかと。
ナウシカに「来い!」と言われた時の驚いた表情は「こいつ…身内を殺した者すらも助けるのか?!」という、今まで優しさを見せてきた者には無かった分け隔ての無さにある種の本当の優しさを初めて垣間見たことから来るものだった、とか。
目に見えて現れるのはもっと後半に差し掛かってからですが、クシャナ様の変化は既にこの時から起きていたのかもしれませんね。やはり人の本質はそう簡単には変わらないのでそこに至るまではそれ以前のクシャナ様の気質がまだ表立っていましたが。
この時はまだ生き残るために利用してやろうくらいに考える方が勝っていたでしょうし。ただ「ダメなら潔く散ろう、通れば利用してやろう」と、本当の意味でのクシャナ様の潔い本質が暗にチラリと垣間見えたシーンだったのではと思っています。
あくまで個人的解釈ですが、オウムの巣での遣り取りだけではクシャナ様があそこまで変わっていくには少し薄いなと捉えていましたのでその補完がなされるいい機会になりました。
因みにこの見解は風の谷のナウシカを観ていてずっと思っていたのではなく、この動画を今回初めて観させて頂いて初めてこのシーンに注目した視点で浮かんできたものです。
いいきっかけをありがとうございます!
私を残して逃げられると思うか? さて銃で脅して奪おうか… 「来い!」 え?うそーん。脅す手間が省けた…
的な感覚で観てたなぁ
2:05 【回答】「腐海や人と人の争いが絶えないこのHoplessな世界において、そこまで生にこだわって、そなたはこれ以上いったい全体、何をしたいのだ?」という心境で、笑ったのだと思います。
私には、慌ただしく生き延びようとしているナウシカたちを、クシャナがあざ笑ったように見えた。
自嘲というよりは、意地の悪い、悪意を帯びた笑顔に見えた。
ナウシカが躊躇したのは、クシャナが父の仇だから。それでも「もう誰も殺したくない」という気持ちが勝って、「来い!」につながったように見えた。
クロトワがいれば二人でガンシップを襲って奪うのだが、一人ではナウシカとユパ相手に勝ち目は無いなと考えたのでは。
これで自分は解放される、あとはナウシカが肩代わりしてくれるだろうと笑ったのかな。どうせ血塗られた道だとこれかもこれからも辛い人生だから。
笑った理由は、私はこう思う。
ナウシカの全くの善の魂がそうせざるをえず目の前に現れさせたことに対して皮肉を込めて笑ったのだろう。クシャナは死などはとうに覚悟していたのだと思うよ。呪われた友情です。
???「理屈なんてものはいいんだよ」
???「それは映画を楽しむってことにはならない」
って言いそう
お互いが根本的にPUREだったんだと思います😃
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」フルカラー絵コンテ文庫本(徳間書店310円。消費税導入前)のコンテ画と違くない?再版版?
因みに「天空の城ラピュタ」もあるが、「となりのトトロ」からは無い。何やってんだ徳間。もうおっさんだが「紅の豚」があれば買いたい。
ずっと戦いと裏切りの中で生きてきたクシャナだから、そういう面でナウシカを過小評価していたのかも知れない。
(※助けてくれと素直に頼んでも、見捨ててしまうと思っていた)
しかし、現実は違い、自分のその愚かな固定概念に思わず笑みを浮かべたのだろう。
っと考えたのですが、語彙力不足かな…?頼む、伝わってくれ!
クシャナって意見悪い奴に思えるかもしれないけど、実のことを言えば根は悪い奴でないんだよね。トルメキア軍の(確か骨付き肉?をムシャムシャと食べていた)おデブちゃん幹部はクズだけどね。
ただ、仮にクシャナが『ウォーキング・デッド』のニーガンみたいな感じだったら案外面白かったかもしれない(笑)。
実は生き別れの姉妹だった!
クシャナは妹だと知っていたがナウシカは知らず、姉だとハッと気付いて来いとね。
テキトーですw
崖登り中、頑張りゲージが尽きて、手を離して、そのまま落っこちて、
地面にドガッと叩きつけられて、落下ダメージでハートが尽きてそのまま即死するクシャナ殿下様。
教訓:己の能力以上の無茶なことはしない。 頑張りゲージが少ない状態で無理な崖登りをするのは自殺行為だ。
頑張りゲージが少ないうちは、急がば回れだ。
なんか音入れぇやwwpc壊れたか!思たわ!ww。
BGM入れたつもりでしたw
指摘ありがとうございます!修正します!!