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懐かしい。中二の夏休みに乗りました。三段式の寝台の一番上で寝ました。
夜行だいせんには2回乗ったことが有りました。最初は旧型客車時代、ロネ、ロザ、ハネ、ハザのフルコース。自分の大好きな編成で、大阪から大社までスロ54にお世話になりました。背もたれの枕部分がぽっこりともりあがったフルリクライニングシート、座り心地良かったなぁ。窓上の個別照明も便利でした。ほかに、内装の細かい部分の金属調度品のデザインが凝っていた気がします。軽量客車に移行する前の、最後の時代の客車なので、完成度は非常に高かったのではないかと思います。出雲市から大社までの間の、キレイなカーブが思い出深いです。大社に着いた後は、朝の静かな出雲大社にお参りをさせて貰いました。境内がとてもキレイに保たれていて、鳩が沢山いました。2回目は、客車時代末期です。大社線はとうに廃止されて、出雲市駅の高架化まで完成していて、あまりの変わり様にびっくりしました。大阪から島根に向かうお客さん、今はほとんど高速バスなんでしょうね。時代の流れとは言え寂しいです。
だいせん号、オ―ル10系時代に初乗車しました。スロ62のグリーンでした。深夜の福知山で駅弁を購入。リヤカーで販売。いい時代でした。
昔は夜行のだいせんは出雲市~倉吉間は快速扱いでしたね。マニでしたっけ?荷物車もくっついていましたね。
季節臨時もありましたよね。賑やかな時代でした。待合駅で案内表示のフラップ式の「パタパタ」音も懐かしい。
臨時夜行の「白兎」もありましたね。
客車寝台、懐かしい。
ツアータイプでなくとも、全車A個室の寝台特急「あさかぜ」を東京-博多間に復活して欲しいですね。ビジネス客ではなく、団塊世代や女子旅などターゲットに1人3~10万程度に価格設定すれば採算とれそうな・・・。
20系のナロネ21を普通座席車に改造したナハ21形、広い天井の空間が懐かしいです。
ナハ21は「だいせん」「十和田」「おが」「津軽」で使用されましたね。座り心地は12系が一番楽だったように思います。
「♪ブラームスの子守歌」のオルゴールが実際に使われていた車内放送の録音は実に珍しく貴重です。このオルゴールは20系客車特有のようですね。私は全く聴いたことはありませんでした。映像の中に登場するナハ21の座席は3等級制時代の戦前の2等客車・オロ40に似ていると思いますが、私も1度は乗ってみたかった客車です。
「ブラームスの子守唄」は20系だけではなく、若干音色が異なりますが、80系気動車にも採用されています映画「大いなる驀進」では20系寝台特急「さくら」の車掌長役の三国連太郎さんがナロネ20から「ブラームスの子守唄」チャイムを流して車内放送を行うシーンが何度か出てきます。「喜劇急行列車」でも渥美清さんが車内放送するシーンがあり、チャイムも何度か流れていますね。ナハ21は元A寝台の座席ではありますが、1~2人で座るにはいいのですが、4人で座ると狭かったです。4人で座るなら12系がベターです。
今出雲始発はサンライズ出雲しかない
出雲市駅は、2000年代に入って高架駅になりましたね。大山も最後は1往復で途中から快速になってしまったと思います。
20系寝台を使用しながら快速ということで、車掌は下車があった車両を手動閉鎖、施錠をしてまわらなければならず、冬場は雪で大変だったようです。20系の金魚鉢の車掌室は暖房の効きは悪く隙間風で冷蔵庫のような寒さだったそうです。
だいせん号のB寝台に乗ったことがあります。オハネ12系の3段式B寝台車でした。座席車はオハ47、スハ43系の旧型客車で運転されていました。だいせん号には臨時便もあり、こちらは12系車両で運転されておりそのせいか全車指定になっておりました。
幼少時代、実家が山陰の小駅でしたので、夜行鈍行「山陰」の利用が多かったです。小学生時代から一人旅を楽しんでいました。旧型客車時代は、ガラガラの車内で深夜の丹波高原を窓全開で、DD51の甲高いホイッスルやディーゼル音聞きながら、点々と流れ去る街灯などを眺めながらの夜汽車の旅はいい思い出です。末期は12系座席で18きっぷでも何度か乗車しました。「だいせん」は20系時代はよく乗りましたが、最初に乗ったのは、昭和51年頃で、ナハ10系座席で隙間風で寒くて眠れなかったのが印象的です。
+城崎かすみ どの 夜行だいせん号は最晩年キハ28・58の気動車夜行に落ちぶれてしまい2両で運転されておりました。当然寝台車の連結もなくなってしまいました。
キハ65.58改造の「エーデル北近畿」の編成を2本に分けて運用されていました。検査の際は「エーデル鳥取」車が使用されました。「エーデル」シリーズの中でも「アルプスの牧場」オルゴールが残っていたのは「北近畿」の車両のみで、「鳥取」「シュプール」用のエーデルは改造時にマイクが更新されており流れませんでした。座席は夜行用の「シュプール」用がリクライニングも深く快適なのですが、音鉄からすれば「エーデル北近畿」用がベストでした。
やっぱりこの紺色の車両が走らないJRの線路は様にならない。難しいのはわかるが各地で客車列車が復活してほしい。
このオルゴールの曲は、ブラームスの子守唄ではありませんよ。
「ブラームスの子守唄」を検索してみて下さい。このオルゴールのメロディー、どのフレーズにもありませんよ。
懐かしい。中二の夏休みに乗りました。三段式の寝台の一番上で寝ました。
夜行だいせんには2回乗ったことが有りました。
最初は旧型客車時代、ロネ、ロザ、ハネ、ハザのフルコース。
自分の大好きな編成で、大阪から大社までスロ54にお世話になりました。
背もたれの枕部分がぽっこりともりあがったフルリクライニングシート、座り心地良かったなぁ。
窓上の個別照明も便利でした。
ほかに、内装の細かい部分の金属調度品のデザインが凝っていた気がします。
軽量客車に移行する前の、最後の時代の客車なので、完成度は非常に高かったのではないかと思います。
出雲市から大社までの間の、キレイなカーブが思い出深いです。
大社に着いた後は、朝の静かな出雲大社にお参りをさせて貰いました。境内がとてもキレイに保たれていて、鳩が沢山いました。
2回目は、客車時代末期です。
大社線はとうに廃止されて、出雲市駅の高架化まで完成していて、あまりの変わり様にびっくりしました。
大阪から島根に向かうお客さん、今はほとんど高速バスなんでしょうね。
時代の流れとは言え寂しいです。
だいせん号、オ―ル10系時代に初乗車しました。スロ62のグリーンでした。深夜の福知山で駅弁を購入。リヤカーで販売。いい時代でした。
昔は夜行のだいせんは出雲市~倉吉間は快速扱いでしたね。
マニでしたっけ?荷物車もくっついていましたね。
季節臨時もありましたよね。賑やかな時代でした。待合駅で案内表示のフラップ式の「パタパタ」音も懐かしい。
臨時夜行の「白兎」もありましたね。
客車寝台、懐かしい。
ツアータイプでなくとも、全車A個室の寝台特急「あさかぜ」を東京-博多間に復活して欲しいですね。ビジネス客ではなく、団塊世代や女子旅などターゲットに1人3~10万程度に価格設定すれば採算とれそうな・・・。
20系のナロネ21を普通座席車に改造したナハ21形、広い天井の空間が懐かしいです。
ナハ21は「だいせん」「十和田」「おが」「津軽」で使用されましたね。座り心地は12系が一番楽だったように思います。
「♪ブラームスの子守歌」のオルゴールが実際に使われていた車内放送の録音は実に珍しく貴重です。このオルゴールは20系客車特有のようですね。私は全く聴いたことはありませんでした。映像の中に登場するナハ21の座席は3等級制時代の戦前の2等客車・オロ40に似ていると思いますが、私も1度は乗ってみたかった客車です。
「ブラームスの子守唄」は20系だけではなく、若干音色が異なりますが、80系気動車にも採用されています映画「大いなる驀進」では20系寝台特急「さくら」の車掌長役の三国連太郎さんがナロネ20から「ブラームスの子守唄」チャイムを流して車内放送を行うシーンが何度か出てきます。「喜劇急行列車」でも渥美清さんが車内放送するシーンがあり、チャイムも何度か流れていますね。ナハ21は元A寝台の座席ではありますが、1~2人で座るにはいいのですが、4人で座ると狭かったです。4人で座るなら12系がベターです。
今出雲始発はサンライズ出雲しかない
出雲市駅は、2000年代に入って高架駅になりましたね。大山も最後は1往復で途中から快速になってしまったと思います。
20系寝台を使用しながら快速ということで、車掌は下車があった車両を手動閉鎖、施錠をしてまわらなければならず、冬場は雪で大変だったようです。20系の金魚鉢の車掌室は暖房の効きは悪く隙間風で冷蔵庫のような寒さだったそうです。
だいせん号のB寝台に乗ったことがあります。オハネ12系の3段式B寝台車でした。座席車はオハ47、スハ43系の旧型客車で運転されていました。だいせん号には臨時便もあり、こちらは12系車両で運転されておりそのせいか全車指定になっておりました。
幼少時代、実家が山陰の小駅でしたので、夜行鈍行「山陰」の利用が多かったです。小学生時代から一人旅を楽しんでいました。旧型客車時代は、ガラガラの車内で深夜の丹波高原を窓全開で、DD51の甲高いホイッスルやディーゼル音聞きながら、点々と流れ去る街灯などを眺めながらの夜汽車の旅はいい思い出です。末期は12系座席で18きっぷでも何度か乗車しました。「だいせん」は20系時代はよく乗りましたが、最初に乗ったのは、昭和51年頃で、ナハ10系座席で隙間風で寒くて眠れなかったのが印象的です。
+城崎かすみ どの 夜行だいせん号は最晩年キハ28・58の気動車夜行に落ちぶれてしまい2両で運転されておりました。当然寝台車の連結もなくなってしまいました。
キハ65.58改造の「エーデル北近畿」の編成を2本に分けて運用されていました。検査の際は「エーデル鳥取」車が使用されました。「エーデル」シリーズの中でも「アルプスの牧場」オルゴールが残っていたのは「北近畿」の車両のみで、「鳥取」「シュプール」用のエーデルは改造時にマイクが更新されており流れませんでした。座席は夜行用の「シュプール」用がリクライニングも深く快適なのですが、音鉄からすれば「エーデル北近畿」用がベストでした。
やっぱりこの紺色の車両が走らないJRの線路は様にならない。
難しいのはわかるが各地で客車列車が復活してほしい。
このオルゴールの曲は、ブラームスの子守唄ではありませんよ。
「ブラームスの子守唄」を検索してみて下さい。このオルゴールのメロディー、どのフレーズにもありませんよ。