【3000人の〇〇】敵軍が戦意を喪失した武田信玄のあまりに悲惨すぎた策略|小田井原の戦い
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- Опубліковано 21 гру 2023
- 小田井原の戦いについて解説します。
■参考資料
小田井原の戦い
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武田信玄
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【武田信玄の領土拡大の軌跡】家督相続から最期までの経緯
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【武田信玄の伊那盆地侵攻】諏訪攻略後の標的となった北伊那攻略戦
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【武田信玄の佐久盆地侵攻】若き武田信玄の信濃侵攻作戦第3段となる佐久郡攻略戦
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戦国時代の悲惨な話10選~人身売買・皆殺し・人食・女性の末路・略奪~
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水がないと5日も生きられない?! 人間に水が必要な理由
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北条に圧迫されてたのもあるけどこの頃の山内上杉のムーブはひどい
相手の心をへし折る意味もあったんだろうけど、この処置が後々武田に降参しても・・・・・・・とかになったり
勝頼の代で木曽が寝返ったのを皮切りに、一気に豪族たちが離反する遠因になったのかもしれない
信玄の置き土産が酷すぎた😭
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勝頼を信玄が残したリソースを活かすどころか自ら手放していったという本を書いてまで勝頼を酷評している人がいましたけど、信玄が勝頼に残したのってリソースどころか負の遺産じゃないかって思いますね。
発言力が強い家臣達、同盟や和睦を結んでも力を落としたりしたらすぐに破棄して相手国に侵攻し、周辺諸国ほぼ全ての信用を地に落とした外交(特に畿内に進出し、熱田や津島、堺などの商業が発達した街を押さえ、圧倒的な経済力を持つ織田家と敵対してしまっている。 しかもそのやり口が信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めたからであり、信長を謙信への手紙に「武田とは金輪際外交しない」と書く程に激怒させているから、外交での織田との関係修復はほぼ不可能)、度重なる戦や金山の枯渇で財政は火の車、そして戦費の調達の為の重税で領民からは恨まれているなど。
勝頼を信玄からの家臣を遠ざけたと言われてますけど、奸臣と言われる跡部や長坂も信玄の時代からの古参側近だし、各地の城主達も信玄時代のままだった。
仮に勝頼が信玄時代の家臣を遠ざけたのが事実だとしても、君主が変われば統治のやり方が変わるのだって自然な事。 そして自分のやりたい統治の為に側近とかを変えるのも当然の事です。
諏訪の姫から産まれた4男がまさか当主代行になるのは晴信からしたら大きな誤算だったよね
信濃平定戦は結構エグいことしてるんよな😅
新田次郎氏の「武田信玄」では、志賀城の残忍な行為は、持病であった労咳から出た熱にうかされて感情が昂った形という風に描かれていた。これを原作にした大河ドラマでは、流石に残忍な場面を映像にするのは難しかったからか、首を並べた…と若尾文子のあのナレーションだけで済まされていた。
大河は、黒田官兵衛の闇も聖人にしてしまうから。
宇喜多直家を主人公にしても、良い人に描くでしょ。
@@ju6522 宇喜多直家は「わしは戦が嫌いじゃ」とか「できるだけ少ない犠牲で済ませる」とかで一応の筋は通るからその気になればむしろやりやすい部類かもしれない。
風林火山の首を並べる描写にリアリティー無さすぎたし、できないものはできないでぼかすのが正解だと思う。
信長の比叡山焼き討ちが、ギリギリ描写できる限界だろうな。伊勢・長島一向一揆への苛烈極まる報復(弟を殺された上に、攻略に大苦戦)がマトモに描写された事は無いし。
信長の野望を武田家でやる時は、オリジナル武将で義信と勝頼の間にいた信親(竜宝)を幼少期に失明しなかった体で作って信玄の後継ぎにしてる
強制労働・オブ・ザ・リングという夢も希望ないパワーワード(笑)
後の砥石崩れが起きた原因の一つに砥石城にこの志賀城の敗残兵が合流しており「降伏してもどのみち碌な目に遭わない」と砥石城兵が半ば死兵化していたことで予想以上の抵抗を受け攻略が難航したことで村上に付け入る隙を与えてしまったというのがあるみたいですね。
勝頼の代になっても、有力な家来が残っていたはずなのに、あっけなく崩壊したのも、こういうところに遠因があるのか。
そんな戦場でも今は割と人気の移住先(長野県御代田町)
どの様な非情で狡猾な手を使ってでも勝たなければ生き残れない。それが乱世の地獄😢
統治面からすれば悪手でしかない
それでもやりすぎ
信濃勢の中でも武田を苦しめたが、毎回スルーされる福与城。
人身売買は一般的ではあったが、割と大名それぞれの価値観によるんよな
武田・上杉や、九州の島津・大友らは虐殺・人売りが大好きだった
東北勢や中国勢、東国でも北条・今川はあんまりそういう話がなくて温厚
甘利虎泰、板垣信方、横田高松、小山田信有といえば、信玄初期の名将揃い踏みじゃねーか。そんな連中と河越夜戦以降の落ち目な上杉じゃ相手にならないよ。
それにしても生首3000個を見せつける信玄‥‥。さすがの武田贔屓の俺っちも引くわな😅
そら武田に味方するやつおらんわな
武田相手に降伏してもろくなことにならないって感じですね。
信玄の圧倒的恐怖と力で国がまとまっていた山賊の親玉感がすごい。
必要以上に抵抗されるだけ
次は上田原の戦いをおなしゃす
駿河への侵攻もちょっと卑怯な感じがする。今川氏真は織田よりも遥かに武田を恨んでたようだし
織田を恨んでるぞ
武田信玄は比叡山で僧侶を大量に殺戮した織田信長は有名ですが、信長と比べても生涯で殺戮した僧侶の数は圧倒的に多いと聞いています。
信玄らしいエピソードだなと思いました。
っぱ信玄公なんよな
まあここから村上さんが立ち塞がるわけなんだが
何気に武田信玄に2度も手痛いダメージ与えた村上義清ってかなり強者。
9:38 綾鷹みたいな言い方やめーい
14:43 女将はん
大河ドラマ「風林火山」でこの志賀城攻めの話はやってましたね。妾になった笠原清繁の妻が小山田信有を暗殺して自殺するっていうのはフィクションなんだと思うけど。若い頃の挫折をしらない戦国武将って残酷なことしがちですね、伊達政宗の小手森城撫で斬りとか。一方いつまでも残酷な信長さん・・・。まあちゃんと暗黒面を流してくれて綺麗事ですまさない大河はよい大河だと思っている。
笠原清繁はダンカンでした
風林火山は名作でしたね
結局のところ、武田が滅んだのも必然よな
北条との同盟が切れたのが武田滅亡の原因だったはずです
@@user-ym1bb1jy4k 案外、武田滅亡の下地は信玄時代で決まっていたかと思ってます。勝頼公は信玄の負の遺産を全部引き受けなければならなかったですからね
織田や豊臣の末路も必然だよな
生首をならべた・・・つまりゆっくり動画配信者だった可能性
(あの世で)ゆっくりしていってねッ!
武田はなんか好きになれないんよ
特に晴信
@@sugisinfkk
私も晴信よりは勝頼の方が好きですね。
領民からの訴えが出た時、一方が当時の武田家の重鎮で、自分の従兄弟の武田信豊の身内でも信豊の身内じゃない方を勝訴にしたなどしてますし、訴えを取り上げない、あるいは一方的に身内に有利な判決にするであろう現代の政治屋達よりよほど民の事を大切にしていると言えますから。
武田家滅亡は勝頼のミスも多々あったんでしょうけど、根本的な原因は甲斐の貧しさとそれを打開する為の晴信の行動が、その時点では最善あるいは最良であっても禍根を残し、勝頼の代に負の遺産として噴出したからだと思ってます。
当時の価値観は知らんけど、現代の自分は信玄ほんとに嫌い。巷間では織田信長に残酷なイメージがあるようだけど、信玄の方がよほど残酷だと思ってるわ。
嘘か本当か、武田信虎も相当残忍な性格だったそう。そんな性格をしっかり受け継いだからこそ勢力を拡大できたんだろうね。
勝頼はここまで苛烈になれなかったから武田家を守れなかったのかもね。