異邦人が受ける報酬は何か。聖書のたとえ話の解釈で重要なポイント<マタイの福音書20章前半>【聖書の話127】クラウドチャーチ牧仕・小林拓馬

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  • Опубліковано 9 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 15

  • @はぐれ羊
    @はぐれ羊 5 днів тому +6

    今晩は、拓馬さん この度も大切な事をかみ砕いて語って下さり感謝致します。寒くなります ご自愛下さい。感謝!

  • @ラグドール-r4w
    @ラグドール-r4w 4 дні тому

    ありがとうございます!

  • @徳丸賢治-y7m
    @徳丸賢治-y7m 5 днів тому +3

    私も代々ユダヤ教でもなく、キリスト教でもなかったので、一番遅くに来た僕に過ぎないのですね✨
    詳しく分かり易いように教えて下さってありがとう😉👍️🎶ございます✨神と小林拓馬さんに感謝致します☀️

  • @sn29mt28bp20xax
    @sn29mt28bp20xax 5 днів тому +3

    最近クラウドチャーチに参加し始めた者です。すごくわかりやすい考察をありがとうございます。
    CCのオンラインミーティングに出るのはまだ2度目ですが、毎度、まとめ考察を楽しみしています。
    CCで皆さんとの分かち合いのあと、毎回、部分的に「結局ここはどういうことなんだろう~」ってもやもやしている箇所があったりしたのですが、後の動画を聞いてそのもやもやがクリアになるものが多くて、このプロセスってすごく理解が深まるなと思っています。
    はじめからたくまさんの意見を聞くのではなく、まず皆さんと意見を分かち合って、しばらく自分のなかで考察しきったあとに、それでもまだもやもやが残っていた部分を、たくまさんの考察動画を観てクリアにするみたいな、いいタイミング感があります。笑
    ほんと多忙だと思うのですが、皆さん全体へ配慮のある言葉と丁寧な解説・考察をまとめてくださっていて感謝です。
    小林ファミリーへ、主からさらに深くてひろい祝福と守りがありますよう、お祈りしています。

    • @sn29mt28bp20xax
      @sn29mt28bp20xax 5 днів тому

      @豚さん小林拓馬-z4u 私のコメントを読んでそう思わせてしまったとしたら、それはかなりの誤解です。
      なぜなら、カルトの一つの特徴として、信者の意見を顧みないというものがあるからです。
      小林さんの考察は配慮もありつつ、皆さんの意見も汲み取りながら、説明が的確だと感じるものが多いだけです。私個人も別にそれを絶対視してるわけでもありませんし。
      またカルトは個人の見解というものをできるだけ排除するような傾向が強いですが、クラウドチャーチでは逆にまず皆さんのいろんな自由な意見を聞くスタイルなので、カルトとは真逆な印象ですよ。

  • @grand-k7n
    @grand-k7n 5 днів тому +3

    罪の目盛りが満ちる時、という表現に、とても痛みを覚えました。きっといちばん痛いのは神ご自身ですよね。

  • @minorikimura9356
    @minorikimura9356 5 днів тому +1

    アーメン!
    使徒パウロの旧約聖書解釈と、イエス様の例え話と、完全に調和が測れています。
    ますますの働きをお祈りします。

  • @logicalinspace
    @logicalinspace 5 днів тому +2

    時間26:47 のヘブライ語のトーブ(良い)には、テロップを付けた方が、親切だと思います。
    キリスト教のクリスチャンでも、原語(ヘブライ語、ギリシャ語)の勉強をしている方は、ほとんどいません。
    クリスチャンでも原語を学んでいる方は、稀です。ほとんどいないと思います。
    確かに、1回目は時間16:18の時にトーブをお話をしています。
    ※新改訳2017:創世記 1章31b節 それは非常に良かった(トーブ)。夕があり、朝があった。第六日。
    時間26:47では、2回目なので、意図的かもしれませんが、原語を学んでいる方は稀なので、テロップを付けた方が親切だと思います。
    私は独学で、原語の勉強をしているので、発音を聞いて分かりますが、他のクリスチャンだと聞き逃す可能性があります。

  • @フィッシュマンショー
    @フィッシュマンショー 5 днів тому +2

    私のこの聖句の解釈は違うのでそれをコメントしたいと思います。
     これは私の解釈なので、私は個人の意見として聞いて頂きたいと思います。「葡萄園の主人」は「神」としての解釈で変わりませんが、「朝から来た労働者」は堕天使「ヘビ」と解釈しています。「黎明の子」「明けの明星」であるルシファーが天地創造時に神と支持に従って働いたのですが、その天地創造の最後に現れたアダムとエバにその全てを与えるとしたことに嫉妬した「ルシファー」のことをさしているのではないかと思います。
     そして、後から来た労働者は人類始祖とその後の人々を表しているのではないかと思います。

    • @フィッシュマンショー
      @フィッシュマンショー 5 днів тому

      @user-ds1eg7uu2y さんへ、あなたのそのアカウント名は小林拓馬牧師さんに極めて失礼ではないでしょうか。

    • @フィッシュマンショー
      @フィッシュマンショー 5 днів тому

      ​@user-ds1eg7uu2yさんへ、そこまで称号にこだわわるのに、そのアカウント名は失礼だと思わないのですか?福音派ではないキリスト教徒の方だと思われますが…

    • @sn29mt28bp20xax
      @sn29mt28bp20xax 5 днів тому +1

      なるほど、おもしろい視点ですね!この箇所の第一義的な解釈としては多少飛躍しているように思われますが、暗喩としてそこの関係性を示唆している可能性もあるかもしれないですよね。たしかに、先に来ていた者が嫉妬している姿ってルシファーのそれと連想できる部分はあるなぁと思いました。

    • @フィッシュマンショー
      @フィッシュマンショー 4 дні тому +1

      @sn29mt28bp20xax さん、ありがとうございます。あくまでも個人的解釈として捉えて下されば助かります。そして、親愛なる小林牧師様へ。