【前半無料パート】内田樹 氏出演!「反ユダヤ主義を再考する」

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  • Опубліковано 26 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 43

  • @thelon218
    @thelon218 3 місяці тому +24

    島田雅彦も内田樹も昔から読者だった私にとって、二人がこんなところで交わるとは驚きで、興味深いことでした。

  • @pillowandmore0527
    @pillowandmore0527 3 місяці тому +7

    現世利益なんてものは宗教じゃないというユダヤ的な批評を解説しているところがありましたが、「救ってくれない神をなぜにそこまで信じられるのか?」というお話を聞いていて経済学の埋没コストが思い浮かんで恐ろしくなった。やっぱり現世利益あっての宗教であってほしい。そして信者も時代ごとにアップデートしながら幸せの輪を広げていくよう努力していくべき。

  • @っっ-g6d
    @っっ-g6d 3 місяці тому +19

    イスラエルに在住していましたが、現代のイスラエルでは、母親がユダヤ人だと子もユダヤ人という認識です

  • @Zuzzue
    @Zuzzue 3 місяці тому +14

    ユダヤ人とは女系、つまり母親がユダヤ人だとユダヤ人ということを、ドイツのシナゴーグで説明を受けました。昔は子供の父親が証明できなかったという事情もあったのではないかとのことでした。自分がユダヤ人と関わった経験から、選民思想が嫌われる原因なのではないかと思います。

  • @hinasakura22
    @hinasakura22 2 місяці тому +5

    議論もいいけど、よりリアルを知るのも大切。Bappa Shota さんは、youtubeでユダヤ人を取材してますよ。

  • @市川清久-x9w
    @市川清久-x9w 3 місяці тому +1

    ありがとうございます!

  • @hisui117
    @hisui117 3 місяці тому +2

    スメラ学塾、小池百合子氏の父 勇二郎氏も塾メンバーでしたね。
    日ユ同祖論は国粋思想に軍も活用した歴史との事、深掘り楽しみです。

  • @MrKohAburaya
    @MrKohAburaya 3 місяці тому +2

    ソビエト・ロシアに5年住んでいました。
    サルトルは社会主義革命が起きたら反ユダヤ主義は消滅すると言っていたらしいですが、現地に住んでみて全くその逆ですね。
    ユダヤ教徒に改宗した一部のカザール民族の方々の選民思想が対立の問題と肌で感じました。

  • @1958Hitoshi
    @1958Hitoshi 3 місяці тому

    日本人は契約よりも共感に従って生きているので「ユダヤ人」とは縁がなさそう。

  • @昌和森田
    @昌和森田 3 місяці тому +8

    ユダヤ人それ自体とかユダヤ人本体を措定することで、アポリアがでっちあげられています。
    そうではなく、ユダヤ人というのは関係概念(幻想)であって、人によって定義が違うのです。
    これは日本人でも同じです。
    たとえば日本国籍があっても文脈によっては非国民ということになるわけです。
    コンテキストが抜き取られると意味が離散してしまい収束しなくなります。ユダヤ人の多義性は多様なコンテキストにおける語の使用の痕跡としてあります。
    物自体としてのユダヤ人はない、ということです。
    顕微鏡でユダヤ人を覗いてもユダヤ人という物理的、客体的なラベルは見つからない、ということです。
    ニーチェ、フッサール以後の相関主義では、本体の設定が無効なことを論証しています。
    ポストモダンにおける言語の意味のアポリアと全く同じレトリックに陥ってしまいます。
    ユダヤ人を一義的、客観的に定義して論じるというパラダイムは、論理実証主義の手法であって、人文領域、人種などのアイデンティティ、実存領域では無効です。

  • @RSD7584
    @RSD7584 3 місяці тому +2

    ユダヤ教への改宗は、ただ改宗の意思を示すだけではなく、タルムードやタナハへの深い理解を示す必要があるため、
    相当に敷居が高いと聞いたことがあります。

  • @EnjoyableJazz
    @EnjoyableJazz 2 місяці тому +1

    内田先生の御研究は、反ユダヤ主義=シオニズム批判、という立脚なのでしょうか?
    若しそうだと致しますと、それが絶対の解釈として日本人に啓蒙して是とされる根拠は何でしょうか?
    バビロニアンタルムードのラビでさえ反対したイスラエル建国は、どのように解釈すればよいのでしょうか?

  • @harmonyblue1708
    @harmonyblue1708 3 місяці тому +16

    前置き長すぎ!

    • @某伊丹某
      @某伊丹某 3 місяці тому +1

      自分も目立ちたいのかも。

  • @クギルオス
    @クギルオス 3 місяці тому +9

    カントの定言命法に触れない宗教論は子供の遊びであるが、今回の動画は
    きちんとその問題を避けることなく語っている。いや、素晴らしい。
    聞きごたえのある内容でした。(押し付けがましくないところが更に良い☺

    • @クギルオス
      @クギルオス 3 місяці тому +4

      この手の話になると必ず同じ勘違いをする人が現れるので ひとつ言って
      おきますとー、神は「信じる・信じない」ではなく、「無」を科学的に
      理解すると定言命法になる、ということです。信じる・信じないは関係が
      ない。「現世利益」ということですが、まず現世利益は仮言命法です。
      (見返りを求める態度ですね。)仮言命法は宗教ではない。現世利益が
      欲しいのであれば、資本主義で良いわけで、もはや、そこに宗教を持ち出
      す必要はない。気が済むまで経済活動の中で金儲けをすればよい。
      哲学の別名を形而上学(メタフィジカル)と言いますが、フィジカルに
      対しメタフィジカル、つまり、物質に還元できない価値を追求する学問
      という意味です。(「魂」とか、「生きる意味」とか、「自由」とかね)
      そして形而上学と神学はほぼ同義です。(つまり、神学に辿り着かない
      哲学も子供の遊びです。半端な気持ちで関わらない方がいい。)
      ユダヤ人は厳しい環境の中、徹底的にその問題を考え抜いた人たちです。
      その思考は極めてロジカルで、変な話、宇宙人に説明する際、日本人の
      宗教観は通じないが、ユダヤ人の宗教観は宇宙人に伝達可能でしょう。
      その差は、そもそもカントの仕事に関わってきます。カントは中世の
      科学ブームによってボロボロにされた宗教(つまり、倫理のこと。この
      場合の倫理とは本当の倫理であって、倫理を語る偽物の宗教団体のこと
      ではない。)その破壊された宗教(倫理)の復権を成し遂げた人です。
      つまり、カントによって宗教は科学的なスコープを通ったものにアップ
      デートされたわけです。そして、なん千年も前に、そもそもユダヤ人は
      科学的に神を捉えていたわけです。カントの仕事は、ただそれを説明した
      だけだ、ともいえるでしょう。ちなみに現世利益の話ですが、日本人は
      倫理と金儲けは相反するものだ、と考えるでしょうが、ユダヤ人を見れば
      分かる通り、仲間同士助け合いながら、莫大なユダヤ資本を生み出してる
      わけで、金儲けと倫理は矛盾しないことを彼ら自身の歴史が証明してい
      ます。ただ、彼らもイスラエルという国家をもってからは、我々と同じ
      必要とあらば暴力を振るう、単なる普通の国家に成り下がってしまった。
      彼ら自身は進歩している、と思っているでしょうが、宗教的には後退し
      ています。国民国家は必ずナショナリズムという引力を発生させます。
      それはとても強力なものです。それが一体何を招くのか、このような
      場所でそれを語るのは控えたいと思います。

    • @クギルオス
      @クギルオス 3 місяці тому

      定言命法を旧日本軍と結びつけたい人がいますが、「何がなんでも
      戦争に勝ちたい」ということは「勝利」という見返りを求めて
      いるわけで、つまり、軍隊や戦争は仮言命法です。カントの定言
      命法ではない。(別に勝利を否定しているわけではない。ただし、
      それは仮言命法である、という事を知るべきです。)
      統一教会も定言命法ではない。資本主義で儲けることを隠して宗教
      と結びつけているからです。このふたつを切り離す必要があります。
      この様にカントの定言命法は世界の構造に対し生半可な理解をして
      いる人間を篩(ふるい)にかける働きをします。
      ちなみに、私は先に「無を科学的に理解するのが定言命法だ」と
      いいましたが、カントは「人間の頭の中には理性では取り除けない
      仮象(幻)がある。(超越論的仮象)」といいます。私の言う科学
      とは超越論的仮象を認める科学という意味です。認めないとどうなる
      のか?宗教や貨幣の信用(信仰)を認めないということになります。
      その結果できた国がソビエト連邦です。それらは当時、科学的社会
      主義と言われ、つまり、「科学」という言葉を使ってはいるものの
      「人間はどうしても幻を見てしまう生物である」という事実を無視
      しているわけで、(これほど非科学的な話はない)つまり、ソ連の
      やっていたことは、科学的というより、機械的に人間を理解した、
      ということになります。令和を生きる日本人の中にも 割と科学的と
      機械的理解のと区別がついていない人が多い様な気がします。
      しかし、こっからが難しいのですが、そうなると、
      「幻が取り除けないなら、俺が見える幻が俺にとって真実だ。
      すべて自分勝手に決められるんだ!」という人が横行することになる。
      今の日本やアメリカがまさにこの状態ですね。(SNSを見てごらん
      なさい)しかし、カントが言いたいのは「だが、その自分勝手や
      『俺』でさえ幻なのだ」という事です。ではどうすればいいのか。
      カントは静かに質素に生きました。ここら辺にカントの定言命法の
      答えがあるような気がします。「俺は貧乏で忙しいんだ!それは
      単なる贅沢だろ!」と言う人がいるかもしれませんが、だったら
      「静かに生きさせろ!」と闘えばいいではないか。闘い方は何も
      暴力とは限らない。静かに穏やかに生きれる信用決済システムを
      世界中に広めるのも ひとつの闘い方です。ちなみにカントは
      「自由」をもっとも重視しました。自由とは「相手の自由を認める
      こと」です。それによって自由と自由の交換が成立する訳です。
      (投資でいえば「約定」ですね)私の見る限り、世間のいう自由は
      自分勝手のことであり、およそ本来の意味からかけ離れたものです。

    • @17naoki50
      @17naoki50 12 днів тому

      ​@@クギルオス
      クギルオスさんのお考えを非常に面白く読ませていただきました。もしお時間があれば、宗教は無を科学的に理解することが定言命法である、ということについてもう少し教えていただけないでしょうか。
      また科学的という言葉の意味ですが、もちろん自然科学のことを指しているのではなく、考察の対象と考察の方法を定め、考察すること、と理解しているのですが、間違っていますでしょうか。

    • @クギルオス
      @クギルオス 12 днів тому

      @@17naoki50 さんへ
      私の駄文に興味を持って頂きありがとうございます。まず、この言葉遣いは私なりにあれこれ本を読み、実人生の経験の中で紡ぎ出されたもので、実際に存在するキリスト教一般のイメージ・理解とは異なるものであるということは なんとなく察している事と思います。
      なぜ自分は「科学」という言葉を使い、ひとの信じるこころの動きを否定するのか?ということですが、まず宗教の理解は放っておくとすぐに神秘主義へ傾倒します。お化けとか精霊だとか占いだとか心霊写真だとか、(私自身、エンタメとして嫌いじゃないですが)まずそのような言説を否定するためです。神秘主義は呪術であって世界宗教ではないということ。(テレビの責任は重いと思います)
      そして科学についてですが、例えば物理学は「物質が存在するとは一体どういうことなのか」を徹底的に突き詰める学問であるが、逆にいうと「物が存在しないとはどういうことなのか」を突き詰めてるとも言えるわけです。つまり、神学とは物理学を逆さまに説明している学問とも言えるわけです。そして話はカントへ戻るわけですが、カントの生涯の仕事は乱暴に単純化すると、世の中には価値が2つあると、「1:物質的な価値と、2:無から来る価値」です。しかし、カントは神という言葉を避けました。そうしてしまうと旧来の宗教へ戻ってしまうからです。神秘主義へ戻ってしまうからです。西洋近代哲学の歴史は神という言葉を使わずにどうやって神を信じない連中に倫理を伝道するかの闘いの歴史でもあるわけです。ただ、先のコメントにも書いた通り人間は「信じるという行為」から逃げられない。私はよく「神は無なのだから己で己を縛れ」と言うのですが、
      「そもそも確固たる自己などというものがあるのか?その自己こそ幻ではないのか?」この問いこそ哲学の基本であるならば、この「己で己を縛れ」という言葉もだいぶ変わって響いてくるかと思います。世界宗教の仕事は「人間を責任から解放してやること」です。しかし、神を信じることができない昨今、如何にしてそれを伝えるのか、私なりに神秘主義へ戻ることを避けながら他者性を回復する手段としてたどり着いたのがそのような言葉遣いです。私自身、とてもひねくれもので うたぐり深い人間なので相手も同じようにひねくれていた場合、どうしたら伝わるだろうか、と考えた末生まれた、私自身の哲学です☺

    • @クギルオス
      @クギルオス 12 днів тому

      質問の答えから少々脱線してしまいました、失礼。つまり、宗教などは、その他も同じことであるがー、人間の信じるという行為、つまり、それは頭の中にしか存在しないものです。物理学では宇宙の外側は存在しないことになっていますが、「つまり、無など存在しない」(おかしな言葉ですが)といったことになっているようですが、どちらにせよ同じことです。なぜなら いくら否定しようと人間の頭の中に存在する限り「無が概念上、存在する」わけですから。例えば数字の「0」ゼロ記号などがそうです。この概念なくして世界は回りません。倫理も同じです。先ほどから何度も言っている通り「自己」などもそうです。脳内に概念上のみ存在するものです。(このテーマは「AIは人間たりえるか」までいくわけですが)
      しかし、困ったことにこの概念上存在する方が現実に物が存在するより我々の世界では強いわけです。例えばカネです。カネの価値も概念です。そもそもキリスト教は2000年前、商人の力が強くなってきた時代に破壊された共同体をまさに概念上回復させるために国家に利用される形で発展・深化したものであるが、なぜそのような運動に繋がっていくのか科学的に説明すると、カネを信じる行為が概念の劣化(仮言命法)であるのに対し、神はそもそも無なのだからその信じる行為はまた無に向かうため、矛盾しない。純粋にゼロです。周りを動かす力を持たない、つまり、100%物理的に無力なゆえに価値があるわけです。それ故に真に世界と向き合うことができるわけです。そこでは座標がゼロ軸になり、信じることと信じないことが意味を持たない。仏教にも似たような考え方があります。カントのいう2つ目の価値です。逆説的でおかしな言い方ですが、信じるという行為が現実に働きかけないようにするために宗教があるといっても過言ではありません。(逆に信じる行為が野放しになるとフェイクニュースや推し活などになります)当たり前ですが人間の存在は物質です。では思考は物質か?信じる脳内の働きは物質か?思考が脳内の電流(電子)であるならば神はいないことになります。なぜならば神は無であるから。しかし、先ほど申し上げた通り無は概念上存在し続けます。まさに脳内の電流によって。そうである限り人間は宗教的問題から逃れることはできません。さらにそうである限り人間は信じる行為を預ける場所として神(無)を必要とし続ける世界が続くということです。そのエビデンスはどこにあるのか?。2000年以上続いているということがエビデンスとなるでしょう。そしてアップデートしながらこれからも続いていくと思います。ちなみに資本主義を完全に否定するようなものではないということです。ただし、それらは仮言命法であるということを知るべきです☺

  • @gdyxsXarkmWr5wfpgdyxsXarkmWr5
    @gdyxsXarkmWr5wfpgdyxsXarkmWr5 3 місяці тому

    Egashira is also from Saga Prefecture . The fact must not be made known to the public .

  • @yibayashifumi3386
    @yibayashifumi3386 3 місяці тому

    津田大介さん炎上の件に関しては、途中で彼を裏切って逃げ出したあずまんは
    決して許せません😡

  • @イクミナ
    @イクミナ 3 місяці тому +2

    キリスト教徒のユダヤ人に対する差別がユダヤ人の結束を強めたのかしら?
    人があいつはユダヤ人だと言えばユダヤ人と本で読んだことがある。

  • @菊地篤-d2v
    @菊地篤-d2v 3 місяці тому +1

    沖縄の「世界うちなんちゅ大会」とか面白いよね。全然政治性は帯びないけど。

  • @kiyotakasaito3130
    @kiyotakasaito3130 3 місяці тому +7

    僕は、サルトルに近いんですけど、ユダヤ人というのは、自分をユダヤ人だと考えている人のことなのではないですか。そういう人たちの集団がユダヤ民族なんだと思いますよ。
    それはユダヤ人に限らないとも思うんですよ。

    • @MrKohAburaya
      @MrKohAburaya 3 місяці тому +1

      ソビエト・ロシアにいましたが、正しくおっしゃる通りかと思います。宗教団体に近いと思います。

  • @azuma_joe
    @azuma_joe 2 місяці тому

    先生って呼び方はやめてほしいです

  • @ukkieMFCelenElf
    @ukkieMFCelenElf 3 місяці тому +3

    リアルに「日本沈没」が実現した場合、果たして「日本人は200年もしないうちにアイデンティティーを失う」という現状をそのまま引き写した想定が実現するのでしょうか。「日本」は紆余曲折はあるものの、ここまでのところは世界でも有数の「幸運な集団」であり、その事実は現状に少なからず影響している気がします。

  • @sこおろぎ
    @sこおろぎ 3 місяці тому +2

    面白くなかった

  • @山田風太郎-w3l
    @山田風太郎-w3l 3 місяці тому +2

    イスラエルって、現代の十字軍なんじゃないかね

  • @yokogreenberg
    @yokogreenberg 3 місяці тому +3

    「ユダヤ人が憎まれている」との事ですが何を根拠としているのでしょう。   ユダヤ人が「差別を受けた」事はわかりますが、「憎まれている」と聞いた事がありません。 ザイオニズム(シオニズム)への批判は最近多く見られますが、「反ユダヤ主義」も聞いた事がありません。本当に勉強されたのでしょうか? 論理的で構築的な話をしてください。

  • @gdyxsXarkmWr5wfpgdyxsXarkmWr5
    @gdyxsXarkmWr5wfpgdyxsXarkmWr5 3 місяці тому

    Egashira is also from Saga Prefecture . The fact must not be made known to the public .