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ありがとうございます!
当時友人の家でプレイして、敵が見えない事がこんなにも怖い物なのだと思い知らされた作品でした。ご存命ならばもっと沢山の名作を残してくれたはずだと思った人物の一人ですね。
太く短くを体現した方でしたね…とはいえ早世が残念動画を流すキーを押したときはめちゃめちゃアドレナリンが出ただろうなぁ本当に熱い時代でしたね
飯野さんはユーザーに対してもフランクな人でTwitterでツッコミ入れるとちゃんとボケや罵倒で返してくれた。飯野さんのアカウントを確認したらまだ残っていて自分へのリプも全部残ってたわ
当時、雑誌で騒動を読んでようやるわ、って思ったサターンでリアルサウンドを販売したときのユーザーの感想の多くが「音が小さい」で飯野氏の「TVのボリュームあげろ」と激怒してるのも雑誌に掲載されたし「リアルサウンドの開発でセガサターン媒体でCDの再生時間を限界まであげる技術を確立した」と、とにかく音でプレイするゲームにこだわりがあった感じ
この人のエピソード聞くたびにNetflixとかでドラマ作ってくれたらめっちゃ面白そうだなぁって思うわ
それ凄い良い案ですね。熱い思いを持った奇抜な男がいたと言うストーリー是非観てみたいです。
Winnieを作った金子勇さんみたいな感じなんですかね?😢
@@大和魂-s4j winnyな、体型も亡くなり方も似てるね…
NIGHT HEAD好きやったわー
@@コケピー-r3kそれって飯田譲治のことでは?
当時高校生の私は熱狂した10万人の内の1人だったのかな。E0のHARDモード(セーブが1回しかできない、敵の動きも早い、ぶっ続けでやってもクリアまで4時間かかる)を1週間失敗し続けてたな。あのヒリヒリするくらいの緊張感のあるゲームは当時は唯一無二だった。学校の同じクラスでHARDをクリアした奴は自分以外いなかった。そりゃ賛否両論だわなw
ハードモードはバッテリー残量が16(ノーマルは64)セーブは4消費、ロードが2消費ロードを複数回することを考えたら実質1回みたいなものですね
私も当時高校生でハードモードクリアしました。友達に超オススメしましたが全く理解されませんでしたわら😂
一次創作者(漫画家)が蔑ろにされていることが問題となっている中でのこの動画、一次創作者(ゲームクリエイター)に対するうぷ主の敬意がよく伝わりました。
まあ、イノケンはイノケンでエイリアンを観たことないとか言う人ではあったが
良くわからん理屈。プラットフォーム作ったのはソニー。それも大企業が傾くかもしれない程莫大な資金とリスクを投じてクリエイターが活躍する場所を与えたんだから文句言うのは筋違い。自分でプラットフォーム作るか、他に行けば良い。そもそもソニーはサードパーティや流通の為に革命を起こしたから任天堂に勝てたんだから。
@@akaidom1 動画投稿主がゲーム制作者をリスペクトしていることを称賛しているコメントなんですが・・・
@@akaidom1 プラットフォーマーのあるべき姿は殿様商売に徹さないことなのですがね。今はDL販売もあるので、出荷枚数調整は意識せずとも売れるモノは売れる時代になりましたが。
@@月友-g9g すみません。確かにそうですね。
あの事件にはこんな裏側があったんですね…28年ごしに知りました。動画にしていただきありがとうございます。😊
大企業相手にここまで自分を通せるの凄いわ。Dの食卓もエネミーゼロも当時はなんとなくでしか遊んでなかったけど、こういった制作者の背景を知った上でプレイしたら、また違った感想が出るんだろうな
飯野さんは後年はゲーム業界から離れてましたが、もっと色んなゲームを見てみたかったなと今でも思います。発売はされなかったけれど霧のオルゴールや300万本RPGも楽しみにしてました。風のリグレットにはハーブの種が付属していたり、パッケージもスリーブ仕様だったり、DCのD2も複数バージョンのパッケージが用意されていたりと、力が入っていたのは飯野さんの強いこだわりがあったんでしょうね。
初めてカリスマ性を感じたクリエーターでした。自分にとってホラーゲームの原点はエネミーゼロです。もっと多くの作品を世に残して欲しかった。
飯野さんを取り上げてくれた事に感謝です。いい動画でした。
もし今もご存命だったら、steamなんかで大企業の顔色を伺うことなく発想力を生かした尖ったゲームを作ってくれてたのかもなぁ…と寂しく思うとにかく去るのが早過ぎた方でしたもっと飯野さんのゲームを遊んでいたかった
@@678kakaka5激太りしちゃったもんなぁ…
ゲーム制作って寿命かなり削ってそうな激務だもんな当時なんか特に
そうだったんですね😢情報ありがとうございます。
90年代、ソニー、セガ、任天堂のハード戦争。家庭用ゲーム機が最も熱かった時代かも。当時のゲーム業界の熱量を象徴するような人だった。
パナソニック…
@@国会新喜劇 プレステ・サターンに先んじて3DO出したのになあ…松下電器は良いハードは作れてもソフトも含めたグランドデザインは描けない感じだったのがアカンかったんだろうな。MSX turboRもSD AudioもSD Videoも、ガワだけ作っても育て方が下手でぽしゃった感じだし…
ピピンアットマークも忘れないで(´・ω・`)
夢のような(コピーにも鷹揚だった)80年代、明暗が分かれだした90年代。ほんとに時代が燃えていましたね
あの当時のゲーム業界の熱はもの凄かったよ
飯野さん生きてたらどんな作品作ってくれたんだろう
飯野さんもスチームのある今の時代に生まれてたらまた変わったんだろうな
ああ本当だ、今の小島監督のように世界的評価を集めたかもしれません
実は繊細で神経質な人が社長業をしていたのは本当に大変だったと思う
話を聞いていると、飯野賢治さんは、まさにプロレスの大仁田厚のような生き様ですね。一緒に歩める人はほんの一握りでしょうが、そこまで能力があれば人生何回分の経験が得られるか。
この時代は、クリエイターへのリスペクトがあり、ユーザーは提示される創造性に食らい付いていく風潮がまだあった。
風のリグレットの、開発経緯が泣かせてくれる目の見えない少年は、どんな大人になったのだろう
高校生の頃めっちゃハマったなぁ見えない敵に追われる恐怖と緊張感も見えない敵を倒した時の爽快感も最高に楽しかったD食もめちゃくちゃ大好きだったよ
この人は一生賛否両論と言う言葉が付き纏ったまま生涯を閉じるしそういう生き様を選んでるんだろと思ってたけどこんなに早くに亡くなるとは思わなかった
エネミーゼロをプレイした時は6歳くらいだった。もちろん、怖かったけど、見えない敵を音だけで把握して倒すというゲームは緊張感があり、画期的だった。そして、作った方がこんなにも魅力的でさすがです。
あの緊張感はすごかった。
セーブどころかロード回数も含めて回数制限があったのはめちゃくちゃ斬新すぎる仕様だった
当時、E0のためにPS買うしかないなと思っていたサターンユーザーでしたから大歓迎でした。ただ、インタビューでいつも経営の厳しさを言っていただけに大丈夫かな?とも。ゲームそのものは楽しくて、僕は大賛成でしたね。ついでに言うと。飯野さんは地元が同じで歳は1つ違い、ビートルズとYMOが大好きな小学生だったという、自分との共通点が多くて当時から不思議と親近感が湧く人でした。音楽が大好きだったからこそ、ゲーム内容だけでなくジャケットアートへの拘りや話題になること、賛否両論になることの重要性を知っていたんでしょうね。クリエイター・アーティスト・プロデューサーを兼ねていた凄い人だった。
飯野さんは小島監督の少し下の世代。もしまだご存命であれば今のゲーム業界の流れにも真向から立ち向かう世界的なクリエイターとしてバリバリ活躍していたに違いない
何年もかかってしまいましたが、誤解が解けたことに感謝します
ファミ通のレビューにぶち切れて、10か0にしろってエピソード有ったよね。鈴木みそさんがマンガで書いたはず。
リグレットの話もあったら聞いてみたい…
飯野さんの情熱には毎回涙腺が緩んでしまう、、、
発売日に購入して攻略本なしでクリアしたけどホントーに最後まで一定以上の恐怖と緊張感でいっぱいいっぱいなゲームだった。お陰様で未だに鮮明に思い出せる特別なゲームになってますわ。飯野さんありがとうでした。
Dの食卓は衝撃だったなぁみんな言ってるように尖ってるとしか言えない人だったw長生きしてたらどんなゲームを作ってくれてたんだろうか
亡くなったと聞いた時は泣いたよ
今年で10回忌です。
そうなのか。しらなかった。
エネミーゼロにそんな話しが有ったとは全く知りませんでした。 とても面白かったです
このゲーム程のドキドキは他のゲームで味わった事がないあの時代にプレイする事が出来て 本当に良かった
エネミーゼロは、あの頃 一番 衝撃を受けた作品でしたね。「見えない敵」という奇抜なアイディアで、最高に面白 過ぎて 何回もプレイしました!
実は今も持ってます。あの緊張感は他のゲームには無かったですよね。
何回もとはすごい。自分には怖さと緊張感が強烈すぎるゲームで、ものすごく楽しんだ一方でもう二度と遊びたくないと思いましたよ
まあぶっちゃけストーリーはエイリアンのパクリでしたけどね
当時クリアした面白いゲームが紹介されて嬉しい。あの緊張感は恐怖しかなく、ドキドキして凄い体験だった
当時、面白さよりも飯野賢治の作家性や魂に触れたくてプレイしていた。本当にこの人は生き様がカッコよかった。そして天才だった。飯野賢治と菅野ひろゆきは当時の二大天才で私の憧れ。エネミーゼロのマーク、男でもない女でもないこのマーク、この秘密が最後に明かされる…たまらない。
あれってタイトルの最初と最後の文字くっつけただけじゃなかったんか…知らんかったわ
言われなきゃ気付かないわ…確かに意図的に繋げてるのね
飯野さんの自伝めっちゃカッコ良くて何冊も買ったなぁ作品を超えてクリエイター個人に憧れた最初の経験だった
殆どの人間が家族や 社長なら社員の顔が嫌でも思い浮かんで言いたいことも言わず愛想笑いを浮かべおべっかを使わざるを得ない中で、信念に基づいて否は否であると自分の道を邁進できることの凄さは本当によくわかる
当時難しすぎてクリアは出来なかったけれど、後になってプレイ動画の形で見ると演出面でも非常に考えられていた事が分かって感心した。文句のつけられない名作とまでは言えないけど、確かに印象に残った作品。
飯野氏自身がエネミー0を制作前に実体験してたのかな巨大すぎる相手にギリギリまでボタンを押さない緊張感
元旦にエネニーゼロを遊んだらロード画面が元旦モードだった思い出があります。
自分はエネミーゼロに熱狂した一人です。見えない敵の位置を音で判断するのはなかなか難しかったものの、他では味わったことのない緊張感のあるゲームでした。前後横の音が全て鳴っている時の絶望感と、それを切り抜けることができた時の安堵感がやばかったです。ゲームやめた後でもあの音がずっと耳に残ってて常に鳴っているような感覚さえあったなあw
エネミーゼロに紆余曲折があったとは…自分でプレイしたことは無く、近所のお兄ちゃんがプレイしていたのを横で見ていて、すごいゲームだ!って思っていただけだったので…今はコンテンツが飽和状態な為、売り上げれるが求められている時代熱い時代の話は胸に刺さりますね
少ない予算で開発、DL販売出来る今の時代ならなぁ…
詳しいまとめありがとうございます!当時とは違う見えた所もそのまま動画になさっていて見習いたいです。飯野さんの奥様が引き継いだフロムトゥーイエロー主催の飯野賢治没10周年記念企画が昨年あったのですが、Memories of Kenji Enoという動画がUA-camにあるので是非。10年経って飯野さんと関わった色んなクリエイターの方々(小島監督とか飯田和敏さんとか)が当時を振り返ったお話をしてくれています。
エネミーゼロの恐怖感は衝撃的だった。その後にプレイした多くの人が絶賛したバイオハザードの恐怖感では物足りなさを感じるほどに。だから当時プレイした数々のゲームの中でも一番脳裏に焼き付いている。
この人は割と吹かすところがあるんであまりいい印象が無いDの食卓も最初は3DOのローンチタイトルとして猛プッシュされてたのに一年延期した上に全ハード同年以内のマルチプラットホームになったしこの人のいう事が本当ならコンシューマーの1.5倍以上PC版が売れてるはずなのに据え置きにしがみついてたしどのまでが本当なのやら
音で敵を見つけて倒す、すごいアイデアだよね。面白かったなあサイレントデバッガーズ。
皮肉たっぷりワロタ
当時中学生でしたが買いました!かなり難しいゲームでしたが、今までにない斬新なつくりでした。
飯野さんが今の時代にゲームを作ったら、どんなゲームを作っただろうか。
この時、25歳ぐらいだからねスゴイよね
まじか!すごいですね。その若さでこの行動力。尊敬できますね
好き嫌いはたぶんあるだろうけど飯野氏はゲーム業界に必要だった人だったと思うゲームが面白いか面白くないかの個人的な感想は置いといても
最後の部分が無ければ、良いコメントだった。そういう部分を入れなければ、自分の考えも言えないのか。そういう人が、長いものにまかれるしか無い人生を送ってるのだろう
@@BC-vl4rn飯野さんのゲーム、正直めちゃくちゃ肌に合わなくて面白いと思った事なかったけど(EOとリアルサウンドプレイ済み)これだけ尖りまくった信念貫き通すクリエイターの作品なのだから、むしろ必然的じゃないかなぁとスタンスや人物像は評価するけど作品は評価しないってだけでしょ
評価と好みは別ですよね。それが同じなんてミーハーと同じようなもんだし。評価と好みをきちんと分けられる人は長いものには巻かれてません。
いや自分は、この方の書き方で正しいと思う。
当時、衝撃的なゲーム内容だなあと雑誌を見て思いました。敵の姿が見えない!なんて。そしたらその後の「風のリグレット」ではグラフィックが見えないという斬新さでさらに驚きました。
ハーブの種や触れて読む点字のメッセージも入ってましたリアルサウンドの名前通り音質も音の位置にも拘った眼を閉じたままプレイできる心地良いゲームでした
今のsteamでゲームがダウンロード販売ができるような世の中だったらどうなっただろうか。マンガのドラマ化の事件が昨今話題になっているけど、クリエイターが魂をかけて作ったものの扱いは慎重にならないといけないね。
プレステのロゴがモーフィングしながらサターンに切り替わる当時の映像はどうやって見つけたんですか?最近 飯野さんのドキュメンタリーを出したArchipelさんがトークショーで「めちゃめちゃ探したんだけど見つけられなかった」と語っていました
最終日にその質問した当人です。超絶興奮してます。
エキスポのモーフィング映像は1997年1月21日放送のトゥナイト2で唯一流されました。動画主さんの映像と同一ですのでそこから切り抜いてると思われます。なので映像ソースがもし現存するならばテレビ朝日にアーカイブに残ってるのかもしれません。
この数年後にゲームはコンビニで買う時代になったよなコンビニのカウンターの後ろに最新ゲームソフトがズラッと並んでたね、懐かしいな…
42歳だったのか...若すぎるな
いつもいつも高クオリティーな動画をありがとうございます。最後の締めの言葉、ゲーム夜話さんの熱量を感じました。これからも応援しています。
ナイトワープ毎週聴いてました。懐かしいなあ。
昔プレイしたけどエネミーゼロは怖いと言うより緊張感との戦いだった記憶があるこまめなセーブで慎重なプレイを許してくれない難しいゲームだったイヤホンでやると臨場感が凄く伝わってきたよ
9:36これは当時の映像でしょうか?初めて見れたのでとても興味深いです!
その後ソニーに移った上田がICO作るのが皮肉な
ぼる塾田辺さん見るたびに飯野賢治を連想する。
色んなホラーゲーム、アクションゲームをプレイしましたがこのエネミー・ゼロに勝る恐怖や緊張感は無く、本当に手に汗を握りながらプレイしました。実際にプレデターと対峙したらこうなるのか…と。
飯野の最大のヒット作は付録についてた親父ハンター麻雀のミニゲーム
プレステエキスポ行きましたねー。それから渋谷のPARCOでエネミーゼロ展。飯野さんのCD買いました。有楽町の東京国際フォーラムでDの食卓2のイベント。ゲストに西城秀樹で傷だらけのローラを1曲だけ歌ってくれました。全てが懐かしいです。
リアルに今人生の決断を迫られてる所でしたが、めっちゃ勇気出ましたありがとう飯野さん、ありがとうゲーム夜話
個人的にエネミーゼロの評価は低いんですけど、それはこの動画で詳しく説明されている部分と異なる仕様(ゲーム性)で作られていたからです。音が重要なのに何故ひとつ隣の通路の固定敵キャラ(倒せない)にだけ過敏反応するのか…コレの存在だけで当初目指した緊張感やらバランスが全て台無しになる事を理解出来なかったのか、と今でも思いマス
E0難しくて苦労しました。ローラのシャワーシーン見るために頑張ってクリアしたな。エロは偉大
当時プレステで楽しみにしてた作品で、友人のサターンを借りて楽しんだのを思い出しました。とても緊張感があり凄く楽しかったです。あのゲーム性は今でも記憶に残っていて名作だと思っています。
ロゴが変わる当時の映像初めて見た。
これ当時、唯一本気で怖いと思えるゲームでしたねほんとに緊張感が半端ない
当時まだゲームのプラットフォーム事業に参入したばかりの新参者であったSONYの巨人・任天堂に対抗というか切り込む戦略が生産するソフトの全量買い取りで流通経費もSONYが持つというものだったはずで初回生産数を絞ったのもその為ですが、小売りに対する影響力もまだ弱くどうしても大手優遇になった余波で中小が割りを食った感はありますね。ただしサード寄りであったセガの顛末を見るにあくまでもビジネスに徹したSONYを責める気には余りなりませんが。まあこの事件や中古取り扱いや値下げ拒否騒動で旧来の商習慣に戻ったわけで時代の節目を象徴する様な出来事でした。
飯野賢治サン彼が存命なら斬新なアイデアで斬新なゲームを作られただろう。残念です。
いつの時代も尖ったクリエイターが居ないとCS機は厳しいね
確かにアイディアは凄かったけど、ヒットしたかと言えば数字的には微妙なんだよね
D2以降ゲーム業界から足を洗ったってイメージしかないリアルサウンド2とか300万本RPGとか来世辺りに作ってくれるんだろうか
エネミー・ゼロ!懐かしい!クリアできなかったけど、すごく面白かった!こんな経緯があったのは知らなかった。
エネミー0、発売直後は難しすぎて大人になってからクリアして感無量だったなぁ。この人のゲームをもっと遊びたかった。
涙がでてくるなぁ失敗できないし命がけだもんな。。。事実を知れて本当によかった
この動画をきっかけに風のリグレットクリア→ドキュメンタリー視聴→奥さんのインタビュー記事など読み漁りました
2ちゃんねるに度々降臨してくれた飯野さんです。
なにも分からずエネミーゼロ買って難しくて挫折したのが懐かしい
晩年はだいぶ痩せていて、イケメンになったな~とか呑気に思ってたらご病気のせいだったんですよね。
違うよ、もともと肥満でこのままだと高血圧その他生活習慣病でやばいと悟ってダイエットしたけど間に合わず高血圧性の心不全で亡くなりました…20代(多分10代?)の頃から20年以上あの体型でしたから40歳過ぎて急いでダイエットしても時すでに遅しだったんだと思います、ご存命ならゲーム業界にどんな影響を与えてくれたんだろうと思わずにはいられないですね
95年度のThe...スーパーファミコン自身のコラムで下請け時代に手掛けたゲームをカップ麺に例えていましたねキャラゲーは○ンちゃんラーメン監修に著名人の名前が入るゲームは有名シェフ監修と記載されたラーメン
E0発売日に店何件も回って買ったなぁ😂ホログラムのパッケージのエピソードは知りませんでした。風のリグレットでのファミ通のクロスレビューの評価で浜村さんと対談してたから、その辺りも踏まえたエピソードも見てみたいです😊
イノケン視点だと言い分も分かるんだけど当時の流通を考えると仕方がないところもある当時は任天堂の在庫圧迫が小売店で問題になってたからソニーがCD屋のノウハウを駆使し在庫を抱えないように調整してたんだよな中小企業かつ移植が2回されたゲームにリソースを割きたくないというソニー側の視点も当然っちゃ当然なんだよねイノケン自体が勢いだけで行動してた人だしこのほかにも過激な発言を色々目にしているとあまり同情も出来ない
やったことの是非はともかく、凄い話だった…
エネミーゼロの恐怖と緊張感は好きだったな。ミニゲーム感覚で、よく練習モードを遊んだっけ。
漫画の東京トイボックスを思い出した飯野さんの尖ったゲーム好きでした
UP主様の、しめくくりの言葉…私も世あたりが下手で、"こうして生きていくんだ"な側なので、心に染み入りました。ありがとうございます…
エネミーゼロの当時緊張感のすごさと言ってらないよ!クリア後は拍手喝さい!達成感すごかった...!飯野さんすごかったなあ!
懐かしい🥺
エネミーゼロ、ラスト前で力尽きた。難しかったけど面白かった。その世界にはその世界の理がある。高い難易度には確かな意味があるから納得できた。作品性を貶めてまで沢山の人に迎合する必要はない。商売と作品性の均衡は難しい。飯野さんの考え方が好きなのよね。Steamで参入障壁が小さくなったり、色々できるようになった今の時代を見せてあげたかったなぁ。この動画を機に再挑戦しようかな…
プレステエキスポで実際にロゴが変わるのを目の当たりにした。ブース内に客を入れてカーテンで仕切られて外から見られないようになってて、なにか大変なことが起こっているんじゃないかと思ってみてた。
この動画内のPSからサターンロゴへのモーフィング映像って本物ですか? この間飯野氏のドキュメンタリーの公開イベントでワープの面々に質問した際、徹底的な対策の元記録に残さないことを徹底していたとのことで、ドキュメンタリー内の収録も断念したという話があり、本物であればかなり貴重なものに思えます。私自身も10代の頃から観たかったものの一つでした。
エキスポのモーフィング映像は1997年1月21日放送のトゥナイト2で唯一流されまして、動画主さんの映像と同一ですのでそこからの切り抜きと思われます。同じ質問をされてた方への重複回答で失礼します。
いつも楽しく拝見しています。A C6ネタにニヤリでした。
今回はゲーム夜話さんの動画の中でも傑作だと思う。胸を打つストーリーに懐かしさを感じる音楽。本当に夜話さんの動画を観ると、ああゲームってほんと素晴らしいものなんだなってつくづく思う。
飯野さん本人が届けにくる+モデルガン付きってのは覚えてる。
ありがとうございます!
当時友人の家でプレイして、敵が見えない事がこんなにも怖い物なのだと思い知らされた作品でした。ご存命ならばもっと沢山の名作を残してくれたはずだと思った人物の一人ですね。
太く短くを体現した方でしたね…とはいえ早世が残念
動画を流すキーを押したときはめちゃめちゃアドレナリンが出ただろうなぁ
本当に熱い時代でしたね
飯野さんはユーザーに対してもフランクな人で
Twitterでツッコミ入れるとちゃんとボケや罵倒で返してくれた。
飯野さんのアカウントを確認したらまだ残っていて自分へのリプも全部残ってたわ
当時、雑誌で騒動を読んで
ようやるわ、って思った
サターンでリアルサウンドを販売したときのユーザーの感想の多くが「音が小さい」で
飯野氏の「TVのボリュームあげろ」と激怒してるのも雑誌に掲載されたし
「リアルサウンドの開発でセガサターン媒体でCDの再生時間を限界まであげる技術を確立した」
と、とにかく音でプレイするゲームにこだわりがあった感じ
この人のエピソード聞くたびに
Netflixとかでドラマ作ってくれたらめっちゃ面白そうだなぁって思うわ
それ凄い良い案ですね。
熱い思いを持った奇抜な男がいたと言うストーリー是非観てみたいです。
Winnieを作った金子勇さんみたいな感じなんですかね?😢
@@大和魂-s4j winnyな、体型も亡くなり方も似てるね…
NIGHT HEAD好きやったわー
@@コケピー-r3kそれって飯田譲治のことでは?
当時高校生の私は熱狂した10万人の内の1人だったのかな。
E0のHARDモード(セーブが1回しかできない、敵の動きも早い、ぶっ続けでやってもクリアまで4時間かかる)を1週間失敗し続けてたな。
あのヒリヒリするくらいの緊張感のあるゲームは当時は唯一無二だった。
学校の同じクラスでHARDをクリアした奴は自分以外いなかった。
そりゃ賛否両論だわなw
ハードモードはバッテリー残量が16
(ノーマルは64)
セーブは4消費、ロードが2消費
ロードを複数回することを考えたら実質1回みたいなものですね
私も当時高校生でハードモードクリアしました。
友達に超オススメしましたが全く理解されませんでしたわら😂
一次創作者(漫画家)が蔑ろにされていることが問題となっている中でのこの動画、
一次創作者(ゲームクリエイター)に対するうぷ主の敬意がよく伝わりました。
まあ、イノケンはイノケンで
エイリアンを観たことないとか言う人ではあったが
良くわからん理屈。プラットフォーム作ったのはソニー。それも大企業が傾くかもしれない程莫大な資金とリスクを投じてクリエイターが活躍する場所を与えたんだから文句言うのは筋違い。自分でプラットフォーム作るか、他に行けば良い。そもそもソニーはサードパーティや流通の為に革命を起こしたから任天堂に勝てたんだから。
@@akaidom1 動画投稿主がゲーム制作者をリスペクトしていることを称賛しているコメントなんですが・・・
@@akaidom1 プラットフォーマーのあるべき姿は殿様商売に徹さないことなのですがね。
今はDL販売もあるので、出荷枚数調整は意識せずとも売れるモノは売れる時代になりましたが。
@@月友-g9g
すみません。確かにそうですね。
あの事件にはこんな裏側があったんですね…28年ごしに知りました。
動画にしていただきありがとうございます。😊
大企業相手にここまで自分を通せるの凄いわ。
Dの食卓もエネミーゼロも当時はなんとなくでしか遊んでなかったけど、こういった制作者の背景を知った上でプレイしたら、また違った感想が出るんだろうな
飯野さんは後年はゲーム業界から離れてましたが、もっと色んなゲームを見てみたかったなと今でも思います。
発売はされなかったけれど霧のオルゴールや300万本RPGも楽しみにしてました。
風のリグレットにはハーブの種が付属していたり、パッケージもスリーブ仕様だったり、DCのD2も複数バージョンのパッケージが用意されていたりと、力が入っていたのは飯野さんの強いこだわりがあったんでしょうね。
初めてカリスマ性を感じたクリエーターでした。自分にとってホラーゲームの原点はエネミーゼロです。
もっと多くの作品を世に残して欲しかった。
飯野さんを取り上げてくれた事に感謝です。いい動画でした。
もし今もご存命だったら、steamなんかで大企業の顔色を伺うことなく発想力を生かした尖ったゲームを作ってくれてたのかもなぁ…と寂しく思う
とにかく去るのが早過ぎた方でした
もっと飯野さんのゲームを遊んでいたかった
@@678kakaka5
激太りしちゃったもんなぁ…
ゲーム制作って寿命かなり削ってそうな激務だもんな
当時なんか特に
そうだったんですね😢情報ありがとうございます。
90年代、ソニー、セガ、任天堂のハード戦争。
家庭用ゲーム機が最も熱かった時代かも。
当時のゲーム業界の熱量を象徴するような人だった。
パナソニック…
@@国会新喜劇
プレステ・サターンに先んじて3DO出したのになあ…
松下電器は良いハードは作れてもソフトも含めたグランドデザインは描けない感じだったのがアカンかったんだろうな。
MSX turboRもSD AudioもSD Videoも、ガワだけ作っても育て方が下手でぽしゃった感じだし…
ピピンアットマークも忘れないで(´・ω・`)
夢のような(コピーにも鷹揚だった)80年代、明暗が分かれだした90年代。
ほんとに時代が燃えていましたね
あの当時のゲーム業界の熱はもの凄かったよ
飯野さん生きてたらどんな作品作ってくれたんだろう
飯野さんもスチームのある今の時代に生まれてたらまた変わったんだろうな
ああ本当だ、今の小島監督のように世界的評価を集めたかもしれません
実は繊細で神経質な人が社長業をしていたのは本当に大変だったと思う
話を聞いていると、飯野賢治さんは、まさにプロレスの大仁田厚のような生き様ですね。一緒に歩める人はほんの一握りでしょうが、そこまで能力があれば人生何回分の経験が得られるか。
この時代は、クリエイターへのリスペクトがあり、ユーザーは提示される創造性に食らい付いていく風潮がまだあった。
風のリグレットの、開発経緯が泣かせてくれる
目の見えない少年は、どんな大人になったのだろう
高校生の頃めっちゃハマったなぁ
見えない敵に追われる恐怖と緊張感も見えない敵を倒した時の爽快感も最高に楽しかった
D食もめちゃくちゃ大好きだったよ
この人は一生賛否両論と言う言葉が付き纏ったまま生涯を閉じるしそういう生き様を選んでるんだろと思ってたけど
こんなに早くに亡くなるとは思わなかった
エネミーゼロをプレイした時は
6歳くらいだった。もちろん、
怖かったけど、見えない敵を音だけで
把握して倒すというゲームは
緊張感があり、画期的だった。
そして、作った方がこんなにも
魅力的でさすがです。
あの緊張感はすごかった。
セーブどころかロード回数も含めて回数制限があったのはめちゃくちゃ斬新すぎる仕様だった
当時、E0のためにPS買うしかないなと思っていたサターンユーザーでしたから大歓迎でした。
ただ、インタビューでいつも経営の厳しさを言っていただけに大丈夫かな?とも。
ゲームそのものは楽しくて、僕は大賛成でしたね。
ついでに言うと。
飯野さんは地元が同じで歳は1つ違い、ビートルズとYMOが大好きな小学生だったという、自分との共通点が多くて当時から不思議と親近感が湧く人でした。
音楽が大好きだったからこそ、ゲーム内容だけでなくジャケットアートへの拘りや話題になること、賛否両論になることの重要性を知っていたんでしょうね。
クリエイター・アーティスト・プロデューサーを兼ねていた凄い人だった。
飯野さんは小島監督の少し下の世代。もしまだご存命であれば今のゲーム業界の流れにも真向から立ち向かう世界的なクリエイターとしてバリバリ活躍していたに違いない
何年もかかってしまいましたが、誤解が解けたことに感謝します
ファミ通のレビューにぶち切れて、10か0にしろってエピソード有ったよね。
鈴木みそさんがマンガで書いたはず。
リグレットの話もあったら聞いてみたい…
飯野さんの情熱には毎回涙腺が緩んでしまう、、、
発売日に購入して攻略本なしでクリアしたけどホントーに最後まで一定以上の恐怖と緊張感でいっぱいいっぱいなゲームだった。
お陰様で未だに鮮明に思い出せる特別なゲームになってますわ。
飯野さんありがとうでした。
Dの食卓は衝撃だったなぁ
みんな言ってるように尖ってるとしか言えない人だったw
長生きしてたらどんなゲームを作ってくれてたんだろうか
亡くなったと聞いた時は泣いたよ
今年で10回忌です。
そうなのか。しらなかった。
エネミーゼロにそんな話しが有ったとは全く知りませんでした。 とても面白かったです
このゲーム程のドキドキは他のゲームで味わった事がない
あの時代にプレイする事が出来て 本当に良かった
エネミーゼロは、あの頃 一番 衝撃を受けた作品でしたね。
「見えない敵」という奇抜なアイディアで、最高に面白 過ぎて 何回もプレイしました!
実は今も持ってます。
あの緊張感は他のゲームには無かったですよね。
何回もとはすごい。自分には怖さと緊張感が強烈すぎるゲームで、ものすごく楽しんだ一方でもう二度と遊びたくないと思いましたよ
まあぶっちゃけストーリーはエイリアンのパクリでしたけどね
当時クリアした面白いゲームが紹介されて嬉しい。
あの緊張感は恐怖しかなく、ドキドキして凄い体験だった
当時、面白さよりも飯野賢治の作家性や魂に触れたくてプレイしていた。本当にこの人は生き様がカッコよかった。そして天才だった。
飯野賢治と菅野ひろゆきは当時の二大天才で私の憧れ。
エネミーゼロのマーク、男でもない女でもないこのマーク、この秘密が最後に明かされる…たまらない。
あれってタイトルの最初と最後の文字くっつけただけじゃなかったんか…
知らんかったわ
言われなきゃ気付かないわ…
確かに意図的に繋げてるのね
飯野さんの自伝めっちゃカッコ良くて何冊も買ったなぁ
作品を超えてクリエイター個人に憧れた最初の経験だった
殆どの人間が家族や 社長なら社員の顔が嫌でも思い浮かんで言いたいことも言わず愛想笑いを浮かべおべっかを使わざるを得ない中で、信念に基づいて否は否であると自分の道を邁進できることの凄さは本当によくわかる
当時難しすぎてクリアは出来なかったけれど、後になってプレイ動画の形で見ると演出面でも非常に考えられていた事が分かって感心した。
文句のつけられない名作とまでは言えないけど、確かに印象に残った作品。
飯野氏自身がエネミー0を制作前に実体験してたのかな巨大すぎる相手にギリギリまでボタンを押さない緊張感
元旦にエネニーゼロを遊んだらロード画面が元旦モードだった思い出があります。
自分はエネミーゼロに熱狂した一人です。
見えない敵の位置を音で判断するのはなかなか難しかったものの、他では味わったことのない緊張感のあるゲームでした。
前後横の音が全て鳴っている時の絶望感と、それを切り抜けることができた時の安堵感がやばかったです。
ゲームやめた後でもあの音がずっと耳に残ってて常に鳴っているような感覚さえあったなあw
エネミーゼロに紆余曲折があったとは…
自分でプレイしたことは無く、
近所のお兄ちゃんがプレイしていたのを横で見ていて、
すごいゲームだ!って思っていただけだったので…
今はコンテンツが飽和状態な為、売り上げれるが求められている時代
熱い時代の話は胸に刺さりますね
少ない予算で開発、DL販売出来る今の時代ならなぁ…
詳しいまとめありがとうございます!
当時とは違う見えた所もそのまま動画になさっていて見習いたいです。
飯野さんの奥様が引き継いだフロムトゥーイエロー主催の飯野賢治没10周年記念企画が昨年あったのですが、
Memories of Kenji Enoという動画がUA-camにあるので是非。
10年経って飯野さんと関わった色んなクリエイターの方々(小島監督とか飯田和敏さんとか)が当時を振り返ったお話をしてくれています。
エネミーゼロの恐怖感は衝撃的だった。その後にプレイした多くの人が絶賛したバイオハザードの恐怖感では物足りなさを感じるほどに。
だから当時プレイした数々のゲームの中でも一番脳裏に焼き付いている。
この人は割と吹かすところがあるんであまりいい印象が無い
Dの食卓も最初は3DOのローンチタイトルとして猛プッシュされてたのに一年延期した上に全ハード同年以内のマルチプラットホームになったし
この人のいう事が本当ならコンシューマーの1.5倍以上PC版が売れてるはずなのに据え置きにしがみついてたしどのまでが本当なのやら
音で敵を見つけて倒す、すごいアイデアだよね。面白かったなあサイレントデバッガーズ。
皮肉たっぷりワロタ
当時中学生でしたが買いました!
かなり難しいゲームでしたが、今までにない斬新なつくりでした。
飯野さんが今の時代にゲームを作ったら、どんなゲームを作っただろうか。
この時、25歳ぐらいだからね
スゴイよね
まじか!すごいですね。その若さでこの行動力。尊敬できますね
好き嫌いはたぶんあるだろうけど
飯野氏はゲーム業界に必要だった人だったと思う
ゲームが面白いか面白くないかの個人的な感想は置いといても
最後の部分が無ければ、良いコメントだった。
そういう部分を入れなければ、自分の考えも言えないのか。
そういう人が、長いものにまかれるしか無い人生を送ってるのだろう
@@BC-vl4rn
飯野さんのゲーム、正直めちゃくちゃ肌に合わなくて面白いと思った事なかったけど(EOとリアルサウンドプレイ済み)これだけ尖りまくった信念貫き通すクリエイターの作品なのだから、むしろ必然的じゃないかなぁと
スタンスや人物像は評価するけど作品は評価しないってだけでしょ
評価と好みは別ですよね。
それが同じなんてミーハーと同じようなもんだし。
評価と好みをきちんと分けられる人は長いものには巻かれてません。
いや自分は、この方の書き方で正しいと思う。
当時、衝撃的なゲーム内容だなあと雑誌を見て思いました。
敵の姿が見えない!なんて。
そしたらその後の「風のリグレット」ではグラフィックが見えないという斬新さでさらに驚きました。
ハーブの種や触れて読む点字のメッセージも入ってました
リアルサウンドの名前通り音質も音の位置にも拘った眼を閉じたままプレイできる心地良いゲームでした
今のsteamでゲームがダウンロード販売ができるような世の中だったらどうなっただろうか。
マンガのドラマ化の事件が昨今話題になっているけど、クリエイターが魂をかけて作ったものの扱いは慎重にならないといけないね。
プレステのロゴがモーフィングしながらサターンに切り替わる当時の映像はどうやって見つけたんですか?最近 飯野さんのドキュメンタリーを出したArchipelさんがトークショーで「めちゃめちゃ探したんだけど見つけられなかった」と語っていました
最終日にその質問した当人です。超絶興奮してます。
エキスポのモーフィング映像は1997年1月21日放送のトゥナイト2で唯一流されました。動画主さんの映像と同一ですのでそこから切り抜いてると思われます。なので映像ソースがもし現存するならばテレビ朝日にアーカイブに残ってるのかもしれません。
この数年後にゲームはコンビニで買う時代になったよな
コンビニのカウンターの後ろに最新ゲームソフトがズラッと並んでたね、懐かしいな…
42歳だったのか...若すぎるな
いつもいつも高クオリティーな動画をありがとうございます。最後の締めの言葉、ゲーム夜話さんの熱量を感じました。これからも応援しています。
ナイトワープ毎週聴いてました。懐かしいなあ。
昔プレイしたけどエネミーゼロは怖いと言うより緊張感との戦いだった記憶がある
こまめなセーブで慎重なプレイを許してくれない難しいゲームだった
イヤホンでやると臨場感が凄く伝わってきたよ
9:36これは当時の映像でしょうか?
初めて見れたのでとても興味深いです!
その後ソニーに移った上田がICO作るのが皮肉な
ぼる塾田辺さん見るたびに飯野賢治を連想する。
色んなホラーゲーム、アクションゲームをプレイしましたがこのエネミー・ゼロに勝る恐怖や緊張感は無く、本当に手に汗を握りながらプレイしました。
実際にプレデターと対峙したらこうなるのか…と。
飯野の最大のヒット作は付録についてた親父ハンター麻雀のミニゲーム
プレステエキスポ行きましたねー。それから渋谷のPARCOでエネミーゼロ展。飯野さんのCD買いました。有楽町の東京国際フォーラムでDの食卓2のイベント。ゲストに西城秀樹で傷だらけのローラを1曲だけ歌ってくれました。全てが懐かしいです。
リアルに今人生の決断を迫られてる所でしたが、めっちゃ勇気出ました
ありがとう飯野さん、ありがとうゲーム夜話
個人的にエネミーゼロの評価は低いんですけど、それはこの動画で詳しく説明されている部分と異なる仕様(ゲーム性)で作られていたからです。
音が重要なのに何故ひとつ隣の通路の固定敵キャラ(倒せない)にだけ過敏反応するのか…コレの存在だけで当初目指した緊張感やらバランスが全て台無しになる事を理解出来なかったのか、と今でも思いマス
E0難しくて苦労しました。ローラのシャワーシーン見るために頑張ってクリアしたな。エロは偉大
当時プレステで楽しみにしてた作品で、友人のサターンを借りて楽しんだのを思い出しました。
とても緊張感があり凄く楽しかったです。
あのゲーム性は今でも記憶に残っていて名作だと思っています。
ロゴが変わる当時の映像初めて見た。
これ当時、唯一本気で怖いと思えるゲームでしたね
ほんとに緊張感が半端ない
当時まだゲームのプラットフォーム事業に参入したばかりの新参者であったSONYの巨人・任天堂に対抗というか切り込む戦略が生産するソフトの全量買い取りで流通経費もSONYが持つというものだったはずで初回生産数を絞ったのもその為ですが、小売りに対する影響力もまだ弱くどうしても大手優遇になった余波で中小が割りを食った感はありますね。ただしサード寄りであったセガの顛末を見るにあくまでもビジネスに徹したSONYを責める気には余りなりませんが。まあこの事件や中古取り扱いや値下げ拒否騒動で旧来の商習慣に戻ったわけで時代の節目を象徴する様な出来事でした。
飯野賢治サン彼が存命なら斬新なアイデアで斬新なゲームを作られただろう。残念です。
いつの時代も尖ったクリエイターが居ないとCS機は厳しいね
確かにアイディアは凄かったけど、ヒットしたかと言えば数字的には微妙なんだよね
D2以降ゲーム業界から足を洗ったってイメージしかない
リアルサウンド2とか300万本RPGとか来世辺りに作ってくれるんだろうか
エネミー・ゼロ!懐かしい!クリアできなかったけど、すごく面白かった!
こんな経緯があったのは知らなかった。
エネミー0、発売直後は難しすぎて大人になってからクリアして感無量だったなぁ。この人のゲームをもっと遊びたかった。
涙がでてくるなぁ
失敗できないし命がけだもんな。。。
事実を知れて本当によかった
この動画をきっかけに風のリグレットクリア→ドキュメンタリー視聴→奥さんのインタビュー記事など読み漁りました
2ちゃんねるに度々降臨してくれた飯野さんです。
なにも分からずエネミーゼロ買って難しくて挫折したのが懐かしい
晩年はだいぶ痩せていて、
イケメンになったな~とか呑気に思ってたら
ご病気のせいだったんですよね。
違うよ、もともと肥満でこのままだと高血圧その他生活習慣病でやばいと悟ってダイエットしたけど間に合わず高血圧性の心不全で亡くなりました…
20代(多分10代?)の頃から20年以上あの体型でしたから40歳過ぎて急いでダイエットしても時すでに遅しだったんだと思います、ご存命ならゲーム業界にどんな影響を与えてくれたんだろうと思わずにはいられないですね
95年度のThe...スーパーファミコン自身のコラムで下請け時代に手掛けたゲームをカップ麺に例えていましたね
キャラゲーは○ンちゃんラーメン
監修に著名人の名前が入るゲームは有名シェフ監修と記載されたラーメン
E0発売日に店何件も回って買ったなぁ😂ホログラムのパッケージのエピソードは知りませんでした。
風のリグレットでのファミ通のクロスレビューの評価で浜村さんと対談してたから、その辺りも踏まえたエピソードも見てみたいです😊
イノケン視点だと言い分も分かるんだけど当時の流通を考えると仕方がないところもある
当時は任天堂の在庫圧迫が小売店で問題になってたからソニーがCD屋のノウハウを駆使し在庫を抱えないように調整してたんだよな
中小企業かつ移植が2回されたゲームにリソースを割きたくないというソニー側の視点も当然っちゃ当然なんだよね
イノケン自体が勢いだけで行動してた人だしこのほかにも過激な発言を色々目にしているとあまり同情も出来ない
やったことの是非はともかく、凄い話だった…
エネミーゼロの恐怖と緊張感は好きだったな。ミニゲーム感覚で、よく練習モードを遊んだっけ。
漫画の東京トイボックスを思い出した
飯野さんの尖ったゲーム好きでした
UP主様の、しめくくりの言葉…
私も世あたりが下手で、"こうして生きていくんだ"な側なので、心に染み入りました。
ありがとうございます…
エネミーゼロの当時緊張感のすごさと言ってらないよ!クリア後は拍手喝さい!達成感すごかった...!
飯野さんすごかったなあ!
懐かしい🥺
エネミーゼロ、ラスト前で力尽きた。
難しかったけど面白かった。
その世界にはその世界の理がある。
高い難易度には確かな意味があるから納得できた。
作品性を貶めてまで沢山の人に迎合する必要はない。
商売と作品性の均衡は難しい。
飯野さんの考え方が好きなのよね。
Steamで参入障壁が小さくなったり、色々できるようになった今の時代を見せてあげたかったなぁ。
この動画を機に再挑戦しようかな…
プレステエキスポで実際にロゴが変わるのを目の当たりにした。
ブース内に客を入れてカーテンで仕切られて外から見られないようになってて、
なにか大変なことが起こっているんじゃないかと思ってみてた。
この動画内のPSからサターンロゴへのモーフィング映像って本物ですか? この間飯野氏のドキュメンタリーの公開イベントでワープの面々に質問した際、徹底的な対策の元記録に残さないことを徹底していたとのことで、ドキュメンタリー内の収録も断念したという話があり、本物であればかなり貴重なものに思えます。
私自身も10代の頃から観たかったものの一つでした。
エキスポのモーフィング映像は1997年1月21日放送のトゥナイト2で唯一流されまして、動画主さんの映像と同一ですのでそこからの切り抜きと思われます。同じ質問をされてた方への重複回答で失礼します。
いつも楽しく拝見しています。
A C6ネタにニヤリでした。
今回はゲーム夜話さんの動画の中でも傑作だと思う。
胸を打つストーリーに懐かしさを感じる音楽。
本当に夜話さんの動画を観ると、ああゲームってほんと素晴らしいものなんだなってつくづく思う。
飯野さん本人が届けにくる+モデルガン付きってのは覚えてる。