【歴史講座2】日本人はどこから来たのか?〜学校では教えない日本の歴史〜小名木善行

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  • Опубліковано 11 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 228

  • @AK-wh1oq
    @AK-wh1oq Місяць тому +5

    「日本人が日本を思い出す」というような感覚。毎回、小名木先生の力強いお話に聞き入ってしまい、心があたたかくなり、神聖な気持ちになります。
    すべての日本人にみてほしい。
    とても素晴らしい動画をありがとうございました。

  • @素敵な人生
    @素敵な人生 Рік тому +27

    日本が日本である事、日本人が日本人である事が、
    とても大切であることが良く解ります。
    善行先生、いつも本当に素敵なお話をありがとうございます。

  • @イカツ媛
    @イカツ媛 Рік тому +58

    隠されてきたものを知りたい人もいれば、知らないままでいいという人もいる。 でも、時代は変わりました。 隠し事はできなくなりました。 日本が、世界を、地球を 愛で包み込めますように。

  • @macsy1955
    @macsy1955 Рік тому +14

    解明が進むにつれて日本人は元々日本人だという方向になっていますね。もちろん多少の混血があったとしても日本人特有の特徴の幾つかは外国にはありません。
    耳の大きさと形、音の聞き分け、言葉や文章の裏にある意味の理解度、手先の器用さ、、、。

  • @nekocat3999
    @nekocat3999 Рік тому +24

    南の島のような、綺麗な海は世界中にあったんですね。

  • @デンキ髭
    @デンキ髭 Рік тому +7

    確かに、節句とか、農作物とか、伝来で習慣化されたモノって山のように言われますが、宦官制度も、刑法も、タン履き習慣もほぼ伝わったとしても定着はしてない。日本事始めって意外と沢山あるのに、そこ注目する事って無いから不思議ですね。日本をかっこよく!!。この講義大好きです。

  • @北落師門
    @北落師門 Рік тому +9

    歴史とはヒストリーなのです。どんなヒストリーを紡ぐかが大切。それを多くの事績を合理的に肉付けていくものなのですね。そしてそのヒストリーに流れる芯を見出すことが必要です。

  • @neginegi190
    @neginegi190 Рік тому +9

    油壺ってワード、めちゃくちゃ懐かしかったです。

  • @トビウオ-q4e
    @トビウオ-q4e Рік тому +18

    早く続きが見たいです!

  • @ネロは日本へ止まる
    @ネロは日本へ止まる Рік тому +15

    5000年前のエジプトでも、ファラオ(王)は死後に日本に行く事を憧れていた記録が「死者の書」にありますよね。
    「荒魂」はアラーの魂と思われる。

  • @Kuroqchan
    @Kuroqchan Рік тому +7

    青山さんが言っていたなあ、人のために生きるって。

  • @kanaloa.s4233
    @kanaloa.s4233 Рік тому +21

    今夜も先生の動画見れて良かったです いつもありがとうございます😊

  • @峠のおじさん
    @峠のおじさん Рік тому +21

    ーー「探求心が有る・日本人」・良い物の制度を限界まで作り上げる! ・これぞ日本人!

  • @オーケン-i1l
    @オーケン-i1l Рік тому +87

    古代からの日本文化がこれからの理想なんだ

    • @鈴木正子-o4m
      @鈴木正子-o4m Рік тому +22

      そうなんです❗️古来より日本文化があった‼️世界9台文明とも言われている❗️日本文化‼️其れは学校教育では、教えない日本書紀の神々の呼び名から、漢字ではなく本来の大和言葉から意味がある❗️様に日本は、古来より優れた文化が存在してた‼️

    • @きちとら
      @きちとら 10 місяців тому +1

      ❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤😂😂😂😂😂

    • @きちとら
      @きちとら 10 місяців тому +1

      ❤❤❤😂❤❤❤❤❤❤❤❤

  • @ぬーぬー-i2h
    @ぬーぬー-i2h Рік тому +4

    本当に良いところでおわってもうた。

    • @種村秀信
      @種村秀信 Рік тому

      おあとは有料なん?それならそう言えよ。続きも見たいけど、案内がの~て分からん。残念👺。

  • @mijena1425
    @mijena1425 Рік тому +9

    結局、本当に正しい情報はどれなのか?ものすごく考えさせられます・・

  • @yuta8693
    @yuta8693 Рік тому +2

    楼蘭の川底は、NHKのシルクロードで見た記憶があります
    本当に3mくらい水深があったと思われる川底の抉れや、水辺にあった木の根っこがそのまま枯れ果てており取材班に同行していた人民解放軍の若い兵士が興味深そうに自分の背丈と比べていたシーンが印象的でした
    ※かなり昔にマップで確認した時より、かんがい農業と思われる農地が増えていて驚きました

  • @tomiosato1855
    @tomiosato1855 8 місяців тому

    小名木先生 とても尊敬しております。若い日本の青年に、正しい国体を教える事に命を懸けております事尊敬しております。扇子で叩く事やめませんか?講釈師観てきた様に嘘をつくなんて子供の頃親父から聴きました
    ネズさんの益々のご活躍を願っております。

  • @江原けさ美
    @江原けさ美 Рік тому +2

    有難うございました。文化が平和の社会を創るんだ!

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +4

    近年、母系の分析を補完するため、Y染色体による父系の解析も進んできている。一例として、『南米のコロンビア人を調査したところ、mtDNAは、ほぼ全ての人がモンゴロイド系(黄色人種)の特徴を持っていたが、Y染色体はほぼ全てがコーカソイド(白色人種)特にスペイン人に特徴的なタイプのみであった。逆に東ヨーロッパの諸民族のmtDNAはほぼ全てコーカソイド系であったが、Y染色体及び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が少なからず発見された。』(『DNA』J・D・ワトソン/B・アンドリュー著)
    母系の流れと異なるところは何処か侵略の足跡を窺わせる。いずれにしても、単一民族と云われてきた日本人だが、此れほど多様性に富んだmtDNA集団は世界的にも少ない。
    <Mクラスター>(オーシャノイド)
    <D>
    特にチベット~黄河沿岸~日本列島に多いハプログループD(mtDNA)=D(Y染色体)(3万5000年以上前)or Q(Y染色体) (中央アジア~アメリカ大陸)orN(Y染色体)orO3(Y染色体) (北方で約3万年前に誕生)は、D4(mtDNA)(日本人32.61%)、D5(mtDNA)(同4.80%)(以上は東アジア)が一番多い。
    <G>
    特に極東に多いハプログループG(mtDNA)=O2=旧O3系統(Y染色体)(北方で約3万年前に誕生)は日本人6.86%でG1(mtDNA)、G2(mtDNA)、G3(mtDNA)、G4(mtDNA)のサブグループがある。
    <M7>
    ハプログループM7(mtDNA)=K系統→O1b=旧O2系統(Y染色体)=F(mtDNA) (スンダランドで約4万年以上前に誕生)は日本列島・沿海州・朝鮮半島・樺太・ほっと坊領ににいるa(同7.47%)、チベット・長江沿岸・台湾・フィリピン北部にいるb(同4.45%)、台湾・フィリピン・インドシナ半島北部にいるc(同0.76%)のサブグループがある。
    <M8>
    志那大陸にいるM8a(mtDNA)(中国北部)=NO(Y染色体)→N(Y染色体)=Z(mtDNA)は日本人1.22%である。M8b(mtDNA)→中央布アジアにいるC(mtDNA)=Q(Y染色体)(中央アジアからアメリカ大陸まで広がっている)は日本人0.46%である。北アジア一帯にいるZ(mtDNA)=N(Y染色体)(フィンランド先住民、ヨーロッパ地域、ロシアの極北地域、カムチャッカ周辺の先住民、朝鮮半島、日本とヨーロッパから極東アジアにまたがる分布)は日本人1.30%である。
    ハプログループMはM8a、C、Zのサブハプログループからなる。
     サブハプログループM8aは日本人の1.2%に相当する。華南と華北にも一定割合で出現し、周辺部には少ない傾向がある。
    <M10>
    チベット・モンゴルとその周辺・満州・朝鮮半島・日本列島・樺太・北方領土にいるM10(mtDNA)=O2=旧O3系統(Y染色体)(チベットに多い)は日本人1.30%である。
    日本人の1.3%がM10であり、チベットでは8%を占め、ほか華北、ブリヤート、モンゴル、中央アジア、朝鮮半島に存在する。北の回廊を形成している亜型ではないかとも言われている。
    <Rクラスター>(コーカソイド)
    <B>
    次いで、特に志那大陸南部・台湾・東南アジア・南太平洋諸島・中南米東部に多いハプログループB(mtDNA)=O2=旧O3系統(東アジア)又はQ(アメリカ大陸)(Y染色体)(約4万年前)は、B4(mtDNA)(同8.99%、特定部位のDNA配列が9つ欠損)、B5 (mtDNA)(同4.27%)もある。
    <F>
    特に志那大陸南部・台湾・フィリピン・インドシナ半島北部に多いハプログループF(mtDNA)=O1b=旧O2系統(Y染色体)(東南アジアで4万年以上前)は日本人6.62%である。
    <Nクラスター>(ユーラシアン~コーカソイドの前身)
    <A>
    特に極東・北アメリカ・中アメリカに多いA(mtDNA)=C-M217*(バイカル湖畔・アメリカ大陸)又はO1b=旧O2系統(東アジア)(Y染色体)(北東アジア、北アメリカに多い。バイカル湖周辺で約3万年前に誕生)は日本人6.85%である。
    <N9>
    ハプログループN9(mtDNA)(南アジアで4万年以上前)のサブグループは志那大陸中南部・台湾にいるN9a(mtDNA)=C-M8(Y染色体)(4.57%、日本固有)、日本列島・朝鮮半島・沿海州にいるN9b(mtDNA)=C-M8又はC-M86(Y染色体)(同2.13%、中国南部台湾)、日本列島・朝鮮半島・満州・沿海州・極東にいるY(mtDNA)=C-M86(Y染色体)(同0.4%、北東シベリ沿海州)である。
    <その他>
    その他6.62%には、オーシャノイドのM2~6(mtDNA)=H→K系統(Y染色体)(インド集団)、D1(mtDNA)(アメリカ先住民)、D6(mtDNA)(東アジア)、E(M9)(mtDNA)=O1a=旧O1(Y染色体)、
    ユーラシアンのN(mtDNA)→X(mtDNA)= E(西シベリア)→D(バイカル湖畔→日本、アメリカ大陸)=D(mtDNA)、
    コーカソイドのR0(Y染色体)(ヨーロッパ、西アジア、インド、北東アメリカ)= HV(mtDNA)、R(mtDNA)→HV(mtDNA)=R0 (Y染色体) (ヨーロッパ集団)、T(mtDNA) =G(Y染色体)(コーカサス)、U(mtDNA)=I(Y染色体) (バルカン半島・北欧)、J(mtDNA)=J(Y染色体)(西アジア)などがある。HV(mtDNA)=R0(Y染色体)がH(mtDNA)=R1a(Y染色体)とV(mtDNA)=R1b(Y染色体)に分かれた。バルカン半島・北欧はU(mtDNA)=I(Y染色体)である。HV(mtDNA)=R0(Y染色体)は現在の日本の人口に占める割合はごくわずかである。O2=旧O3(Y染色体)は誰彼構わず至る所でレイプしまくった結果、いろいろなmtDNAに入り込んでいる。O1b=旧O2(Y染色体)は東南アジアや極東アジアに逃げ、N(Y染色体)は北アジアに逃げ、N(Y染色体)は北アジアや北欧に逃げ、Q (Y染色体)はアメリカ大陸や北アジアに逃げた。

  • @中島巳和-w7j
    @中島巳和-w7j Рік тому +10

    歴史 = 考古学(遺跡発掘物考察)× 歴史学(古文書研究)× 推理
    日本の場合
    歴史 = 歴史学(東京裁判史観=戦勝国側の妄想)

    • @AAA-o1v9m
      @AAA-o1v9m 8 місяців тому

      それもねぇ。
      NHK・「英雄たちの選択」でおなじみの磯田道史さんは、
      文献側で歴史やっている人だけど、
      「どれだけやっても発掘一発でひっくり返る」
      って言っていたよ。
      いまは、何を言っても発掘の真実が最優先の時代。
      ファンタジー(日本神話)がやりたいなら歴史学以外の別の所でどうぞ。
      戦前の皇国史観は、縄文時代を否定していたって話も小名木氏が言っている。
      結局、皇国史観にしろ唯物史観にしろ、結論(思想=史観)に事実を合わせようとするのはだめってこと。
      史観(たとえば、古事記日本書紀)を研究することは、当時の人がそれを
      正しいと思ったということだから「研究」には値する。
      けど、文献に書かれたこと=真実として受け入れるのは違う。
      あと、東京裁判史観は、「東京裁判の正当性に対するものの考え方」と
      「東京裁判後の歴史教育」という、二つの別の物事を指すあいまいな表現なので
      この言葉を安易に使うと、使った人の教養レベルを疑われます。
      あまり使わないように。

  • @フォーチュン帝国
    @フォーチュン帝国 Рік тому +15

    いいところで終わった・・・

  • @bluegrand9514
    @bluegrand9514 Рік тому +3

    これはぜひ多くの日本人に観て気づいてほしい。いかに我々が歪められた教育を受けてきているか。これを正さねば。

  • @hiroshihamamoto6573
    @hiroshihamamoto6573 Рік тому +9

    先生、今回の内容は奥が深いです。
    私も法による支配というのは一段または二段以上低い社会だと子供の頃けら思っていました。ありがとうございます。

    • @アイキング-y5h
      @アイキング-y5h Рік тому +3

      僕もそう思っています。
      いちいち明文化してルールを決めないと、やっちゃいけない事もわからないのは幼稚だと思っています。
      とくに道交法などは、いちいち言わなくたって守るべき事です。

  • @awahenomiti
    @awahenomiti Рік тому +46

    日本から世界に散らばって、世界から日本に帰ってきたのが日本

  • @美味いもんチャンネル-k2h

    素晴らしい‼️‼️

  • @yn5039
    @yn5039 Рік тому +2

    動画の最後に出てきたお話は、記紀の時の語り部の話と一致します。「アワヤマの麓に太鼓の昔から先祖(日本人)は住んでいた。2600年ほど前に大指導者が現れた。~云々」と口伝が伝わってきている方の話です。因みに大指導者とは危機で「天御中主命」とされています。

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +3

    岩宿時代(約4万年前~約1万4000年前)から日本に住む3割程度の先住日本人の色白金髪碧眼(青い瞳)高身長は劣性遺伝であるため、隠れて発現しないことが多い。縄文時代(約1万4000年前~約3000年前)、先住日本人と地中海沿岸日本人が混血したのが縄文人である。ヨーロッパ人に青い瞳が現われるのは1万年前であるため、日本全体では4割程度(東日本と九州は半分程度、アイヌは9割、沖縄は5割以上)いる地中海沿岸から来たコーカソイド(ラテン系の天然パーマは優性遺伝であるため、日本人の7~8割は天然パーマ・癖毛)は色白金髪碧眼(青い瞳)高身長ではなかった。縄文時代に徐々に入って来た長江沿岸系は1割程度。稲作は2万年前にスンダランドで始まったが、1満9000年前から海面上昇が始まり、1万2000年前には稲作は長江沿岸と西日本で行われるようになりました。弥生時代(3000年前~)に渡来した2割程度の中国人は黒い瞳で、直毛・黒髪であった。南九州で生まれた神武天皇は瀬戸内海沿岸に住む黄河沿岸系(下戸、畑作)に稲作の指導をしながら、東征し、奈良県で天皇に即位し、初代天皇となった。
                                              (以上)
     日本語は旧石器時代からの生き残りの言語だった。『孤立言語』と呼ばれる言語の中には、日本海を取り囲むように緑色で塗られた言語群(古代タタール人が住んでいたアムール川沿岸も入っています)がある。これらの朝鮮語、日本語、アイヌ語、ギリヤーク語という言語は、「環日本海諸語」と名付けられているが、これらはユーラシア内陸型孤立言語の「点在型」とは対照的に、「塊」となって現存している。ユーラシア内陸型孤立言語とは成立過程が違うが、太平洋沿岸型孤立言語とも言うべき環日本海諸語も、後期旧石器時代に世界を覆っていた古代の言語のうちの“生き残り”である。
                                           (以上)
    ハプログループO2等(Y染色体)
     ハプログループNO→N、Oはスンダランド大陸から北東亜平野(黄海、東シナ海などの大陸棚は海面が140m低かった氷河期には陸地だった)に移動し、縄文文明(紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b系)と長江文明(紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2a系O-SRY465*・7.7%、ベトナム系言語)となったが、海面上昇によって分かれたものの、黄河文明人に侵略された長江文明人は東南アジアや東アジアに逃げ、その一部は日本列島にも逃げ込んだ。日本列島がステップ気候から森林に変わると、太平洋の島々(最南端はパラオ、グアム)の人々(旧O2a系O-M95*・1.9%or0.8%)も日本列島に移り住み、その言語(オーストロアジア語族)も取り込まれた。計9.6%。これに日本列島先住日本人、北から来た者を合わせると計80.0%。
     世界最古の土器を作った人々が稲作を開始した。現在は海底となっているスンダランド大陸低地で2万年前頃から稲作が始まった。約1万9000年前から海面上昇が始まり、原住民はスンダランド大陸低地を放棄し、北東亜平野に移動した。稲作はスンダランド大陸低地で2万年前頃から始まったが、約1万9000年前から海面上昇が始まったことから、移動したスンダランド人によって、長江沿岸に1万2000年前、鹿児島に1万2000年前に伝わった。また、岡山県岡山市にある朝寝鼻貝塚からプラントオパールが発見され、8000年前に稲が生育していたことが分かった。佐賀県唐津市教育委員の中島直幸が菜畑(なばたけ)遺跡を発掘調査した結果、7000年前の水田区画跡が発見された。このことから、長江文明人が縄文時代から頻繁に日本に往来していたがわかる。縄文時代早期の1万2000年前、この頃本州と四国はまだ陸続きで、ナウマンゾウが生息していた。ナウマンゾウが住んでいた瀬戸内海は約1万年前に海水が入り込み、陸地から内海に変わった。
     7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。熱帯植物である稲は黄河沿岸以北や朝鮮北半分以北では栽培できない。日本では、暖流である黒潮のおかげで関東まで稲作ができる。朝鮮南半分でも稲作ができる。稲作は朝鮮を経由していない。稲作のための水路を作る過程で大量の土が余り、その土で古墳(匈奴由来)を作った。1万2000前に朝鮮半島の先住民は朝鮮半島の木を燃やし尽くし、朝鮮半島が禿山になり、彼らは移動した。朝鮮半島では草が生え始めてから5000年経ってやっと森林が復活した。この間、人間は住んでいなかった。神武東征(紀元前667年)後、稲作・古墳は2500年前に南朝鮮に伝った。
                                           (以上)
    ハプログループO3(Y染色体)
     志那大陸は3000年前から春秋戦国時代となり、大勢の華北人(旧O3系)が周辺国に逃げ、そのうち東シナ海を渡って日本に逃げ込んだ華北人(黄河文明系の旧O3系O-LINE1・3.1%、O-M122*・6.6%、O-M134・10.4%、シナ・チベット語族)は日本人の20.1%or19.1% or16.7%を占めた。下戸の華北人(旧O3系)が東シナ海を渡って北九州から侵入し、主に瀬戸内海沿岸に住み、在来の日本人と混血した。その結果、酒豪だった縄文人に下戸の者が現れるようになりました。
    日本と北部中国に多い下戸
     アルコールに強い弱いで、他人種との混血度がわかる。酒に弱い下戸遺伝子(アセトアルデヒド脱水素酸素)をもつ人種はモンゴロイド(黄色人)のみで、コーカソイド(白人)とアフリカ系に見られない。下戸遺伝子が存在する率は日本人に40%(全く呑めない5%、多少呑める35%)、北部中国人に40%、韓国人に28%、フィリピン人に13%、インド人に5%。この結果、日本人の大半は純血モンゴロイドで、インド人は白人の血を大いに受け継いでいる。下戸は黄河沿岸に限られ、モンゴル、満州、朝鮮は酒に強い。黄河沿岸系は瀬戸内海沿岸に住んだため、瀬戸内海沿岸は下戸が多い。
     原田勝二元・筑波大学教授によると、酒に強い日本人は全体の60%。酒に強い人が最も多い県は秋田の76.7%、岩手(71.4%)、鹿児島(同)、福島(70.4%)。逆に酒に強い人が最も少ない県は三重の39.7%。愛知(41.4%)、石川(45.7%)、岐阜(47.6%)。これによって秋田、岩手、鹿児島、福島には恐らくロシア人(スラブ系)かアイヌ人(南欧ラテン系や北コーカサス系)の血が混じり、三重や愛知などは純血モンゴロイドのまま今に至った。 
     近畿地方・中部地方・中国地方は下戸が多い。渡来人由来のゲノム成分が高かったのは近畿・北陸・四国だった。特に四国は島全体で渡来人由来の比率が高い。瀬戸内海沿岸は酒に弱い黄河沿岸系だが、高知県は酒に強い長江沿岸系である。山陽地方は渡来人由来に近いが、山陰地方は縄文人由来に近い。瀬戸内海・山陽地方は酒に弱いことから、黄河沿岸系と分かる。

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +2

    父系ハプログループ(Y染色体)の移動経路
    日本人に多いのがC6グループで5万年前あたりでの分岐、次いで多いのがC2グループで15万年前あたりの最古の分岐の人々。ヨーロッパ人は7万年前あたりに分岐したC5グループがほとんどを占めている。分岐年代からみると三島の分岐図のグループⅠが本図のC2、グループⅡがC4、C6などに相応する。日本人には現在のヨーロッパ人が登場する以前の人々を祖にする人々が多数含まれている。
    日本人には最古の分岐が含まれ、右側の新しい分岐の人々も多数含まれている。アジア人もばらついている。各地で複雑な混血(流入混合)があった。ヨーロッパ人は狭いグループに集中している。ヨーロッパ人が近縁の人々だけで構成されている。
                                             (以上)
    日本人の父系ハプログループ(Y染色体)の分類
     最近の分類では、日本固有種はC-M86(5.4%)、D-P37.1*(3.9%)、D-M116.1*(16.6%)、D-M125*(12.0%)、D-P42(2.3%)、O-47z(22.0%)で合計62.1%。
     K-M214→NO2.3%=288万2820人、N1.6%=200万5440人、O(日本固有種を含む)51.8%=6492万6120人を合わせると計55.8%=東アジア系6993万9720人。うちO系統=51.9%=6500万9940人
     地中海沿岸系(ラテン語) D-P37.1*(日本固有種3.9%)、D-M116.1*(日本固有種16.6%)、D-M125*(日本固有種12.0%)、D-P42(日本固有種2.3%)、計34.7%=4349万2980人……天然パーマでラテン系ヨーロッパ人、縄文時代(約1万4000年前~)
     アルタイ諸語・チュルク系C-M217(1.9%)と北方ツングース系C-M8(1.2%)、C-M86(日本固有種5.4%色白金髪碧眼(青い瞳)高身長)を合わせるとCは計8.5%=1065万3900人。……中央アジア系、岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
     遼河沿岸系(ウラル語族)N-LLY22g*(1.2%)、N-M178(0.4%)でNは計1.6%=200万4160人。NO-M214*がNO=2.3%=288万0980人。……色白金髪碧眼(青い瞳)高身長で匈奴系フィンランド人、岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
     P27から分化したアメリカ先住民系Q-P36(0.4%=50万1360人)、アーリア系R-M207(0.4%=50万1360人)。バルカン半島・北欧系I-P19(0.4%=50万1360人)で、合計1.2%。……縄文時代(約1万4000年前~)
    以下は東アジア系
     長江沿岸・日本列島系O-P317(旧O2)→O-M95 (旧O2a)、O-SRY465P49(旧O2b)。旧O2系統の計31.7%、
      長江沿岸系(ベトナム系言語)O-M95(旧O2a)→O-M95*(1.9%)……弥生時代(約3000前~)
      日本列島系O-SRY465P49(旧O2b) →O-SRY465*(7.7%)、O-47z(日本固有種22.0%色白金髪碧眼(青い瞳)高身長)……岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
     黄河沿岸系(志那チベット語族)O-M175-M122系統(旧O3)の計が20.1%、
      黄河沿岸系O-LINE1(3.1%)、O-M122*(6.6%)、O-M134(10.4%)。……下戸、弥生時代(約3000前~)
    日本人の父系ハプログループ(Y染色体)の地域分布
     地中海沿岸・ラテン語系のD(YAP+)はすべて日本固有種で計34.7%であり、D(YAP+)に蒙古斑がない。D1b(Y染色体)は日本本土36%、沖縄45%、アイヌ88.9%。D(Y染色体)はアイヌ89.5%、北海道42.3%、東北35.6%、関東48.2%、沖縄45.1%、西日本26.2%、日本人46.6%、日本人40.8%で、チベット人42.9%、チベット人51.6%、チベット人(チベット自治区ラサ)41.3%、チベット人(青海省貴徳県)48.7%、チベット人(雲南省シャングリラ)36.2%、アンダマン諸島73%である。なお、E(YAP-)から分かれたD(YAP+)には蒙古斑がない。また、血液型の割合はアンダマン諸島(A60%、O9%、B23%、AB9%)、ブータン(A46%、O28%、B17%、AB9%)、チベット(A42%、O24%、B24%、AB10%)、日本(A型38.1%、O型30.7%、B型21.8%、AB型9.4%)とA型が多い。
     地中海沿岸・ラテン語系のハプログループD(Y染色体)を都道県別にみると、標本数は少ないものの、北海道42.3%、東北35.6%、宮城県100%、山形県33.3%、埼玉県66.6%、東京都50%、神奈川県50%、静岡県50%、群馬県50%、新潟県50%、富山県100%、石川県33.3%、大坂府40%、島根県100%、岡山16.3%、広島県14.3%、山口県16.6%、高知県20%、徳島県33.3%、愛媛県38.5%、福岡県25.8%、長崎県33.3%、大分県35.1%、佐賀県45.5%、熊本県46.8%、宮崎県36.6%、鹿児島県38.4%、沖縄50%である。関東地方とその周辺で多い。山陰地方では多いが、山口県を含む山陽地方では少ない。九州地方の西部と南部と沖縄県に多い。北海道と東北地方は結構多い。もちろん、北海道のアイヌは9割近い。
     地中海沿岸・ラテン語系のハプログループD1b(Y染色体)をブロック別にみると、北海道42.3%、東北35.6%、関東37.2%、東海甲信32.9%、北陸(越)32.4%、関西31.5%、中国30.0%、四国28.5%、九州30.8%、沖縄45.1%である。
     地中海沿岸・ラテン語系のD*(Y染色体)は都道県別で東京都1.0%、岡山県のみ。D1b(Y染色体)、D1b1a(Y染色体)について都道県別では、北海道8.0%、16.0%、青森県15.8%、14.7%、宮城県20.0%、7.5%、群馬県15.1%、26.0%、千葉県16.2%、18.9%、東京16.5%、17.5%、山梨県21.4%、19.0%、静岡県19.4%、16.0%、富山県14.3%、11.9%、三重県15.6%、20.0%、奈良県16.7%、20.0%、和歌山県10.3%、16.7%、兵庫県4.1%、21.6%、岡山県15.8%、14.5%、山口県9.4%、24.5%、愛媛県13.6%、13.6%、福岡県17.0%、17.0%、長崎県15.0%、25.0%、沖縄県12.8%、23.6%である。
     アルタイ諸語系のハプログループC1a1(Y染色体)、C2(Y染色体)をブロック別にみると、北海道2.9%、5.6%、東北6.7%、0.0%、関東4.4%、5.5%、東海甲信5.0%、1.7%、北陸(越)3.9%、6.3%、関西6.2%、6.9%、中国3.3%、5.0%、四国6.4%、6.9%、九州3.4%、6.2%、沖縄6.8%、1.50%である。蒙古斑はC1a1(Y染色体)由来。
     アルタイ諸語系のハプログループC1a1(Y染色体)、C2(Y染色体)は地中海沿岸・ラテン語系のD*(Y染色体)、D1b(Y染色体)、D1b1a(Y染色体)と一緒に来た。
     ウラル語族系のハプログループN-M231(Y染色体)をブロック別にみると、北海道0.6%、東北6.7%、関東1.1%、東海甲信0.7%、北陸(越)1.7%、関西1.9%、中国0.0%、四国2.3%、九州1.5%、沖縄0.0%である。都道県別では、北海道4.0%、青森県2.1%、群馬県2.7%、東京1.0%、三重県2.2%、和歌山県3.8%、兵庫県1.4%、岡山県1.3%、山口県1.9%、愛媛県1.0%、長崎県1.7%、沖縄県1.4%、宮城県・千葉県・山梨県・静岡県・富山県・奈良県・福岡県はいずれも0.0%である。ハプログループN-M231(Y染色体)が多い東北に青い瞳が多い。ハプログループNO-M214*(Y染色体)は平均2.3%で、NO(Y染色体)は福岡県5.7%、徳島県ウラル語族系の3.8%のみ。
     遼河文明系・ハプログループN-M231(Y染色体)、NO-M214*(Y染色体)、NO(Y染色体)は黄河文明系・志那チベット語系のO-M122(旧O3) (Y染色体)と一緒に来た。
     台湾~東南アジア島嶼部・オーストロネシア語族系のハプログループO-M119(旧O1) (Y染色体)系統は、北海道:1.0%、東北:4.4%、関東:1.2%、東海甲信:2.3%、北陸(越):1.3%、関西1.2%、中国:6.7%、四国:1.3%、九州:0.4%、沖縄0.8%、全体:1.3%である。
    東南アジア半島・オーストロアジア語族系及び長江沿岸・ベトナム系言語のハプログループO-P31(旧O2) (Y染色体)系統は、北海道:27.0%、東北:33.4%、関東:33.4%、東海甲信:33.9%、北陸(越):32.8%、関西30.0%、中国:25.0%、四国:34.3%、九州:35.1%、沖縄24.1%、全体:31.8である。
     黄河沿岸・志那チベット語族系のハプログループO-M122(旧O3) (Y染色体)系統は、北海道:17.6%、東北:11.1%、関東:16.6%、東海甲信:21.9%、北陸(越):20.1%、関西20.8%、中国:30.0%、四国:19.3%、九州:20.9%、沖縄18.8%、全体:19.3である。

  • @紅色-l9n
    @紅色-l9n Рік тому +4

    皆さんに聞きたい、今の時代は紀元3500年前の縄文時代とどちらが良い時代なのか!?これは難しいと思っていますが 、 ⁉️私は縄文時代かと⁉️

  • @橋本哲夫-n6k
    @橋本哲夫-n6k Рік тому +2

    今住んでる人たち、というのは大陸の人たちだと思います。大陸では民俗大移動があって、お互い文化を破壊しあって歴史が浅く、お金とか権力がすべてなのだと思います。日本で大切なのは思いやり、、誠実、一人一人が普通の人であること。自然の中の自由人であることなのだと思います。農村の川は農薬で淀れてると思います。ヨーロッパの歴史学?は全然ダメだったんですね。

  • @植草繁
    @植草繁 Рік тому +30

    敗戦と同時に、洗脳された。実に巧妙に

  • @yamasakuranokiki
    @yamasakuranokiki Рік тому +4

    最近、砂漠化のことを考えてました。
    都市化によるヒートアイランド…。

  • @サア-j4z
    @サア-j4z Рік тому +25

    こういうのを正史にすべき。

  • @kharada999
    @kharada999 Рік тому +5

    砂漠化には大きく2種類あって、1つは小名木さんのいうものですが、もうひとつは、地球の歳差運動による環境変化があります。およそ2万5800年周期で発生する地球の歳差運動によって地球の自転軸が回転し、降雨地帯が移動することことです。サハラの砂漠化の始まり(約5000年前)は、この歳差運動により、降雨地帯が南に移動したことによるものです。
    混同されているようなので、指摘しておきたいと思います。

  • @user-ok8jc3xn4u
    @user-ok8jc3xn4u Рік тому +40

    大事な部分の後半は有料で!そんな動画ばっかりになりましたね

    • @junimoto4231
      @junimoto4231 Рік тому +7

      それが残念です

    • @種村秀信
      @種村秀信 Рік тому

      ゆにわ塾なんて、どうやれば視聴出来るのか分からん仕組みになっとる。有料なら有料と表示さらせ。いつから、こんなケチ臭いチャンネルになったんど。怒りしかない。

  • @isaotatewaki1492
    @isaotatewaki1492 Рік тому +1

    確かに無計画に森林を切り倒していった結果が砂漠になるというのは昔から言われていることですが、それがすべてでしょうか?僕はポールシフトが過去に起こってそのために、それまで緑豊かだったところが、突然に砂漠化したり、氷に包まれることが起こったのではないかと思っています。今から、1万2000年から3000年前のことですが、この時点であらゆることが突然変わっている気がするのですが、むすび大学としてはどのように解釈されるでしょうか?むすび大学チャンネルはとても共感を持てるチャンネルなのでいつも視聴しています。これからも本当の日本の覚醒を目指して頑張ってください。

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +1

    ハプログループN(Y染色体)の遼河文明と縄文土器の関係
     新石器時代の中国東北部(満州地域)や東海岸の遺跡から縄文土器が出土している。
     「遼河文明」が黄河文明や長江文明に影響を及ぼした。中国東北(満州地域)の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つで、紀元前6200年ごろから存在した。1908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化を発見した。大規模な竪穴式住居が出土しており、特に遼寧省凌源市から建平県で発見された紅山文化の遺跡の一つ牛河梁遺跡は広範囲にわたって墳墓や祭壇などの神殿が発見され、先史時代の「国」があったのではないか。紅山文化の遺跡からは風水の原型と見られるものも出土している。 興隆窪文化の遺跡からは中国最古の龍を刻んだヒスイなどの玉製品が発見されている。また最古の遼寧式銅剣(琵琶形銅剣)や櫛目文土器などが出土している。このように黄河文明や長江文明と異質でありながら、古代の中華文明に大きな影響を与えた。従来は過去100万年にわたって砂漠であった遼河沿岸は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した。このために約4000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化へと発達した可能性がある。中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃~紀元前2900年頃に存在した新石器時代の文化。万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性がある。出土品を見ると、確かにのちの中国文明とも共通するものを感じさせる。
     遼河文明遺跡における6500年前から3600年前にかけての古人骨のY染色体ハプログループ分析ではウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループN(Y染色体)が60%以上の高頻度で認められることから、遼河文明を担った集団はウラル語族を話していた可能性がある。遼河文明を担った人々と、北欧のフィンランドやノルウェー、ロシア北西部などに住むウラル系民族は、同じルーツである。実際にウラル系民族が住んでいるところから櫛目文土器が出土している。当初は東南アジアにいた祖先型であるNO*(Y染色体)がN(Y染色体)祖型とO(Y染色体)祖型に分岐した後、そのN(Y染色体)祖型が北上して遼河流域にやってきて遼河文明を発展させた。O(Y染色体)祖型はO2(Y染色体)系統【長江沿岸・日本列島系】やO3(Y染色体)系統【黄河沿岸系】に分岐して長江文明や黄河文明を開化させた。遼河文明を担った人々は気候の変動や他民族から追われて、北(1万2000年前頃)又は西(4200年前頃)へ移動した。その根拠は櫛目文土器の出土である。最古のものは遼河文明・興隆窪文化(紀元前6200年頃~紀元前5400年頃)の遺跡から発見されており、フィンランドでは紀元前4200年以降、朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れる。日本の縄文土器にも類する土器(曽畑式土器)があり、弥生土器にも似た文様を持つ物がある。土器は東アジア発祥であり、西へと伝播した。曾畑式土器との類似が指摘され、縄文文化にも影響を及ぼした。遼河流域に紀元前6200年頃から繁栄した文明が北欧に伝播するとともに、朝鮮半島、日本列島にも伝播し、影響を及ぼした。
     縄文文明【紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語】や長江文明【紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語】に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明【紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と黄河文明【紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族】が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。
     日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と呼ばれていた。中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。温暖化(縄文海進は約1万年前~6000年前)に伴い、関東まで熱帯であり、ハプログループN(Y染色体)は適温な青森県に移り住み、三内丸山縄文遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わって海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。7000年前から太平洋沿岸の寒冷化が進み、3500年前、東日本縄文人【東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体)】が南下し、西日本にも広がった。遼河文明と縄文文明は関係が深く、頻繁な往来があった。
     現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特徴が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人【+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人】、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。
     3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人【Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体)】がいる。

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +4

    世界の旧石器時代は2万年前だが、日本の旧石器時代は4万年前。
     12万7千年前ごろにできた地層と、約11万年前の三瓶木次火山灰でできた地層に挟まれた地層から石器が出土した。島根県出雲市の砂原遺跡で約12万年前の旧石器が出土した。
     ヨーロッパから広がったネアンデルタール人は日本にも旧石器時代中期の12万年前から住んでいた。ネアンデルタール人は旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。3万8000年前から日本に住んでいたホモ・サピエンスは新石器(磨製石器)を使用していた。ヨーロッパのホモ・サピエンスはネアンデルタール人を絶滅させたが、日本ではネアンデルタール人と共生していた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していた。ヨーロッパの白人にはネアンデルタール人の遺伝子が少ないが、日本人にはネアンデルタール人の遺伝子が多い。つまり、日本では緩やかに混血して共生していた。ネアンデルタール人は、北方の気候に適応して、①現在のヨーロッパ人以上に白い肌、②金色や赤い色の毛、③青い目や灰色の目、となる。
     複数あるTLRのうちTLR1とTLR6、TLR10は染色体上に隣接している。ネンデルタール人やデニソワ人の3つのTLRを含む領域を現代人と比較する。ヨーロッパ人と東アジア人、アフリカ人など現代人の14集団のこの領域を調べると7つのタイプに分類された。このうち2つがネンデルタール人由来、ひとつがデニソワ人由来だと判明する。理論的にはヒトより数十万年先にアフリカを出て、中東を経由してヨーロッパに広がったネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカに残った祖先由来のアフリカ人には存在しない。調べると、確かにアフリカ人にはネンデルタール人由来のTLRを含む領域がほとんどみられなかった。このように、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較してネンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めた。そして、機能が非常に重要性なので、数万年という自然選択を受けてもほとんど変わらずに高頻度で残っていたと考えた。
     実はこのネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。どの集団よりも高く、約51%が持っていた。花粉症の最大の要因にTLR1とTLR6、TLR10が直接関与するわけではないが、免疫システムを通して人類の壮大な進化を想像し、内なるネアンデルタール人を思うことで少しは症状が軽くなるかもしれない。 
     ネアンデルタール人は欧州などに20~30万年前に住み始め、狩猟などで生活していた。イギリスのオックスフォード大のチームが遺跡の出土品などを分析した結果によると、ネアンデルタール人が欧州で絶滅したのは4万1000年前~3万9000年前だった。4万5000年前には欧州の広い地域に生活の痕跡があったが、約4万年前にいなくなった。ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器を作製し、火を積極的に使用していた。遠目には現生人類とあまり大きく変わらない外見をしていた。シベリアのアルタイ地方で発見されたデニソワ人、インドネシアのフローレス島で発見されたフローレス人は、ネアンデルタール人の兄弟種である。
     約4万年前にネアンデルタール人が絶滅した時期には、欧州に現生人類(ホモ・サピエンス)が既に現れており、ネアンデルタール人と現生人類が数千年の間共存していたので、両者の混血や技術の交流があった。人類とネアンデルタール人の混血については、かなりの交わりがあった。化石人類の発見、分子遺伝学の研究、解剖学的研究などによって、ネアンデルタール人と現生人類の間に混血があったことが分かる。 
     4万5000年前のスロベニアの遺跡から見つかった出土品の中に、ネアンデルタール人が熊の大腿骨で作った笛もある。ネアンデルタール人からヨーロッパ人へ引き継がれた遺伝子は、皮膚、爪、髪などの遺伝子部分に細分化されて多く残っており、白い肌、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人由来。東洋人の直毛もネアンデルタール人由来。また、ネアンデルタール人は丈夫ながっしりした体格で、顔は大きく、鼻も大きく、手足は短かった。人類がネアンデルタール人から受け継いだDNAは免疫力を高めた。デニソワ人由来のDNAにより、チベット人は標高4,500mを超えるチベット高原の薄い酸素の中でも生活できる。このように混血は我々人類に有益だったようで、生存に有利に働く遺伝子をネアンデルタール人などから獲得できた。しかし、逆に、ハーバード大学医学部の論文によると、ラテンアメリカの人々の糖尿病を引き起こすDNAはネアンデルタール人由来と結論付けている。また、オックスフォード大学とプリマス大学が、癌はネアンデルタール人のDNAに原因があると発表している。ミトコンドリアDNAは母親から子に引き継がれるが、人類とネアンデルタール人はミトコンドリアDNAが一致しない。
                                              (以上)
    新石器時代・岩宿時代(約4万年前~1万4000年前)
     オーシャノイド系のホモ・サピエンスは、海岸伝いを移動し、少なくとも4万年前には既に日本列島に最初に到達していた。志那大陸に到達する前にかなり早く日本に到達した。岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山の小さな丘陵が接する部分に位置する。昭和21年、切通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋氏は切通しで露出した赤土(関東ローム層)から石器を発見した。相沢氏はその後も何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけたが、土器は伴わなかった。当時は1.5万年以上前の火山灰からなる関東ローム層の時代には人が住めなかったと思われてきたが、自分が確かめた事実を信じ、昭和24年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見した。この発見はいち早く東京の学者に知らされ、相沢氏と明治大学が岩宿遺跡を発掘調査することになった。昭和24年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊はそれまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土した。その後、その年の10月、翌昭和25年4月にも発掘調査が行われ、こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなった。その当時は最も古いと考えられていた縄文時代の土器がやや離れたC地点から発見されたが、それらは関東ローム層より上の黒土に含まれていたので、ローム層から発見された岩宿遺跡(A・B地点)の石器は明らかに古いことがわかり、土器を伴わず石器だけが発見され、縄文時代より古いものであった。発掘調査によって関東ローム層中に層を違えて2つの石器群が発見され、少なくとも約3.5万年前(岩宿I石器文化)と約2.5万年前(岩宿II石器文化)の時期があることが判明し、早くもこの時点で岩宿遺跡の時代に異なる文化の段階があり、その岩宿時代が長い時期にわたっていたと考えられるに至った。2万年前までの世界では打製石器が使われ、旧石器時代と呼ばれたが、日本では世界よりも2万年早く磨製石器が作られ、4万年前から既に新石器時代に突入していた。また、「土器」というこの時代に無いものを用いて時代の呼び方にすることも問題である。岩宿博物館では土器を持たず、狩猟・採集の生活を営んでいたと推定される日本最古の時代をその研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで「岩宿時代」と呼ぶことが何人かの研究者により提唱されている。
     岩宿人は4万年前(世界より2万年早い)に磨製石器を発明した。逆に、現在同様に日本から志那大陸に文明が世界に広がったが、嘘つきの志那朝鮮人が歴史を改竄した。

  • @smallp3249
    @smallp3249 Рік тому +7

    日本人は日本で生まれ続けている。例え民族が入れ替わったとしても、短期的には混乱しても、長期的には日本の風土が日本化を促し日本人をつくりあげて行く。
    その典型的例証が、外圧の選択的受容をを実現した江戸時代ではなかったか?
    混乱の渦流の中で日本って何?を考える時、最終的な拠り所のような気がします。

  • @sangakodomoen
    @sangakodomoen 7 місяців тому +1

    日本人の定義をしましょう。

  • @youtsubanokuroba
    @youtsubanokuroba Рік тому +3

    「世界の古代文明があった場所は砂漠化してる」なるほど!本当ですね!そもそもSDGsは日本文化そのもの。しかし海外にはない。油壺。昔、釣りしに行ってました。先日、関東で海に行ったら、めっちゃくちゃ臭かった。あの臭さで遊ぶ人たち。自分らの子供の頃は臭い海はあまりなかったんですけどね。30年前とか。今は海水温の上昇で腐敗してるんですね。
    日本人は根本的に世界中の民族とは異質すぎる。4万年以上の歴史を持つ日本は、まず日本人がそれを自覚しなければならない。

  • @ribbonrose1347
    @ribbonrose1347 Рік тому +8

    10万年前、、、😒😒😒人類歴史は未だ「6,000年前後」という説が、一番信憑性が高いと思われます

    • @AAA-o1v9m
      @AAA-o1v9m 8 місяців тому

      日本の縄文だけで1万5千年前から5千年前の1万年間だからねぇ。

  • @音楽-s7b
    @音楽-s7b Рік тому +5

    そもそもアダムとイブという考え方自体、西洋の宗教的発想で人類を一原的な視点に縛っているように感じます。もしかしたらもっと多原的発生も考えられると思います。日本人も西洋人もアフリカ系にしても全部別系統的視点があってもいいのではないかと思います。DNAによる系統もいろいろ、あるところで無理やり繋げている部分があるように感じます。それは必ずつながっているという強い思考が無意識に偏向している可能性もあるかもしれません。

  • @masato.i9825
    @masato.i9825 Рік тому +6

    人間発祥日本→世界→日本。すでに宗教で言われていることに、歴史科学が近づいている。

    • @仁乃46
      @仁乃46 Рік тому +1

      起源主張とか韓国人みたいな事言うなよ

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +4

    4万年前から日本に住む先住日本人はウラル語族、アルタイ諸語を使っていたが、地中海沿岸から来た地中海沿岸系日本人はラテン語、ヘブライ語を使っていた。これが混ざったのが縄文語です。その後、いろいろな言語が入り込みました。 
     古代ラテン語、古代トルコ語などのアルタイ諸語、インディアン語族、タミル語を出発点として、遼河文明と関係するフィンランド語などのウラル語族、スコットランドやアイルランドなどの古代ケルト語、ブリティシュ英語に加え、シナ・チベット語族、ベトナム系言語、オーストロアジア語族、オーストロネシア語族、ヘブライ語・シュメール語などいろいろな言語が混合して縄文語ができ、日本語のルーツとなった。神代・古代文字、広東語漢字、ヘブライ文字等が記録に使われた。漢字の音読みは概ね広東語読みで、訓読みは概ね大和言葉 (タミル語)である。日本国=大和(yamato)はタミル語で「日の登る東の国」の意味である。日本においては膠着語の中に孤立語(漢語)が練り込まれた。なお、ナバホ語は膠着語の中に屈折語が練り込まれた。
     方言が多いのも、もともとの言語が地域によって違ったためです。実は日本語は世界一難解な言語です。
    遼河文明が始まる前と始まった後、大きく変わりはじめた東アジア
     日本の「ズーズー弁」について、「ズーズー弁」とは一般的にはハプログループN(Y染色体)の蝦夷(えみし)が平安時代まで多かった東北地方の方言で、「し」対「す」、「ち」対「つ」およびその濁音「じ」対「ず」(「ぢ」対「づ」)の区別がない。たとえば「寿司(すし)」を「すす」と発音する。東北・北海道地方の他、富山県・島根県・鳥取県など日本海沿岸にみられる。何故このように発音するのかと言えば、諸説あるが、「寒い地方であり、少ないエネルギーで発音しやすくするため」との説が強い。確かに、極寒の冬に外で話すときは、唇がかじかんで話しにくくなるので、「ズーズー弁」の方が話やすい。ズーズー弁の音を中舌母音の[ɨ]と呼ぶが、その起源はウラル語族(およびアルタイ語族)だという。となると、「ズーズー弁」はN系統の人々が遼河文明とともに日本にもってきた可能性がある。そう考えると、東北・北海道のみならず、日本海側の島根、鳥取、富山で、「ズーズー弁」が話されているのも頷ける。古代世界の文明が東アジアの日本列島から西の北欧まで繋がっている。
     2万数千年前に最終氷期最盛期が始まり、厳しいシベリアは人間が住めないほど厳しくなった。最終氷期最盛期によってシベリア東部にいた人々の一部はベーリング地方に閉じ込められたが、シベリア東部にいた残りの人々はどこに行ったのか。位置的に考えて、シベリアに住めなくなったのであれば、人間集団はベーリング地方の側とアムール川(古代タタール人の居住地域)・遼河(匈奴系フィンランド人などの居住地域)周辺の側に分断されそうである。
     北京郊外の田園洞遺跡から約4万年前に生きていたと推定される男性の骨が見つかっている。この男性が生きていた4万年前頃と遼河文明が始まる8200年前頃では、とてつもなく大きな時間差がある。これだけの年数があれば、同一の起源を持つ言語同士あるいは単語同士でもかなり異なってしまう。例えば、古代北ユーラシアに水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-(jは日本語のヤ行の子音)のように言う巨大な言語群が広がっていたが、実際のところ、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-程度のバリエーションでは済まず、多様な形が存在していたと見られる。
     世界で日本のことが「ジャパン」と呼ばれたり、「ヤパン」と呼ばれたりしているように、jとdӡ/ӡ(ヂャ、ヂュ、ヂョ、ジャ、ジュ、ジョの類)の間は変化しやすい。dӡ/ӡとtʃ/ʃ(チャ、チュ、チョ、シャ、シュ、ショの類)の間も緊密である。古代北ユーラシアで水を意味していたjak-、jik-、juk-、jek-、jok-などは、フィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクのようになったりしているが、ニヴフ語tʃaχ(水)チャフ、モンゴル系言語*tʃaksu(n)(雪)チャクス(ン)(現代ではモンゴル語tsas(雪)ツァス、ブリヤート語sahan(雪)サハン)、エヴェンキ語djuke(氷)デュク、ナナイ語dӡuke(氷)ヂュク、満州語tʃuxe(氷)チュフのようになったりもしている。日本語ではyuki(雪)である。ちなみに、テュルク系言語ではトルコ語yağmur(雨)ヤームル、yağmak(降る)ヤーマク(語幹yağ-)のような形で残っている。jak-、jik-、juk-、jek-、jok-の先頭の子音jがそのまま残っている場合もあれば、変化している場合もある。
     上に挙げたのはほんの一例であり、古代北ユーラシアの巨大な言語群が与えた影響はこんなものではない。昔の日本語では、jak-のような語に出会えば、頭子音を変えずに取り入れることができるが、dӡak-、ӡak-、tʃak-、ʃak-のような語に出会うと、頭子音を変えなければならない。昔の日本語にはヂャ、ジャ、チャ、シャのような音がなく、語頭で濁音も使えないので、選択肢はtak-とsak-に限られる。古代北ユーラシアの巨大な言語群で「水」を意味していた語がtak-とsak-という形でも入ってきそうである。
    印欧比較言語学の大きな問題点の補説で、古代北ユーラシアの巨大な言語群で「水」を意味していた語(先頭の子音がjであるとは限らない)が日本語のsaka(酒)にもなった。水を意味していた語が水以外の液体を意味するようになるケースである。「石(いし)」の語源はとても難解だったように、水・水域を意味していた語が、隣接する陸の部分を意味するようになることがよくある。隣接部分に石がごろごろしていれば石を意味するようになるし、隣接部分が盛り上がっていれば盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになる(人類は昔から水害等を防ぐために水域の隣接部分を盛り上げてきた。今でいう土手や堤防である。水と海の関係は密接であるが、実は水と山の関係も密接である)。saka(酒)だけでなくsaka(坂)も「水」から来ている。このsaka(坂)から日本語の多彩な語彙が生まれたことは、人間の幸せと繁栄-「栄ゆ(さかゆ)」と「栄ゆ(はゆ)」から考える。
     水・水域を意味していた語が隣接部分を意味するようになることがよくあるが、ここからさらに抽象的な意味が生じることもよくある。よくあるのは、水際を意味していた語が一般になにかの端の部分や境界の部分を意味するようになるケースです。奈良時代の日本語のsaka(境)がこれに該当する。saka(境)からsakaɸuという動詞が作られ、sakaɸuからsakaɸiという名詞が作られ、現代ではsakai(境)と言う。saku(割く)、saku(裂く)、zakuʔ(ざくっ)、zakkuri(ざっくり)も同源でしょう。sakuʔ(さくっ)、sakusakuʔ(さくさくっ)も同源かもしれない。境界を意味する語から、区切ること、切ることを意味する語が生まれる。
     水・水域を意味することができず、その隣接部分、特に盛り上がった隣接部分を意味するようになったのがsaka(坂)であり、taka(高)であった。インド・ヨーロッパ語族の古英語berg/beorg(山)、ロシア語bereg(岸)、ヒッタイト語parkuš(高い)のようなケースである。taka(高)は、saka(坂)、woka(丘)、yama(山)などと衝突するうちに、地理的な意味が薄れて、一般的な性質を表す語になり、マイナーながらtake(岳)という形を残した。taka(高)だけでなくtaki(滝)も「水」から来ていると見られる。taki(滝)は、奈良時代の時点では急流を意味していたが、その前は一般に川を意味していた。古代中国語の「江」がkaɸa(川)という形で日本語に入ってきて(古代中国語の「交」がkaɸu(交ふ)やkaɸasu(交はす)になったような変化である)、taki(滝)は意味の変化を迫られた。taki(滝)とともにtagiru(たぎる)も急流を意味していた。
     人間の言語の意味変化がつかめれば、このように次々と語源が明らかになっていきますが、日本語(大和言葉)にはインディアン系の語彙が多い。ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語(シナ・チベット語族)との共通語彙、長江文明の言語(ベトナム系言語)との共通語彙も多いが、それらを上回るくらい多い。遼河文明が栄えた遼河流域で何があったのか。

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    書き込み慣れてきたー

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +3

    中国遼河文明と縄文土器との関係
     中国の古代文明というと黄河文明、長江文明などが思い浮かびますが、その文明に影響を及ぼしたと考えられる文明があります。「遼河文明」です。
     ”中国東北の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。
     1908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化を発見したことから始まる。
     大規模な竪穴式住居が出土しており、特に遼寧省凌源市から建平県で発見された紅山文化の遺跡の一つ牛河梁遺跡は広範囲にわたって墳墓や祭壇などの神殿が発見され、先史時代の「国」があったのではないかと考えられている。紅山文化の遺跡からは風水の原型と見られるものも出土している。 興隆窪文化の遺跡からは中国最古の龍を刻んだヒスイなどの玉製品が発見されている。また最古の遼寧式銅剣(琵琶形銅剣)や櫛目文土器などが出土している。
     このように黄河文明や長江文明と異質でありながら、古代の中華文明に大きな影響を与えたと考えられ、現代でも大きく注目され盛んに研究されている。”(Wikipediaより) 
     それは、発見、発掘が新しかったこともさることながら、われわれの固定観念として、遼河流域は、砂漠地帯であり、とても文明が発展したような地域には思えなかったこともあるでしょう。
     ところが実際には、”従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した。このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、のちの中国文化へと発達した可能性が指摘されている。”(Wikipediaより)
    というわけです。
     有名な紅山文化をみていきましょう。
     ”中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃~紀元前2900年頃に存在した新石器時代の文化。万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性が考えられている。”(Wikipediaより)
    出土品を見ると、確かにのちの中国文明とも共通するものを、感じさせますね。
     ”遼河文明遺跡における6500年前から3600年前にかけての古人骨のY染色体ハプログループ分析では、ウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループNが60%以上の高頻度で認められることから、遼河文明を担った集団はウラル語族を話していた可能性も考えられる。”
     なんと、遼河文明を担った人々と、北欧のフィンランドやノルウェー、ロシア北西部などに住むウラル系民族は、同じルーツだというのです。実際に、ウラル系民族住んでいるところからは、櫛目文土器が出土してます。
    では、北欧の人々と、遼河文明の人々は、どのような関係なのでしょうか?
    シベリア(ロシア北部)から北欧にかけて、濃く分布しています。一方、遼河文明の地は、薄い分布です。これは、どのように理解したらよいのでしょうか?
     N系統の人々の移動を、あらためて見てみましょう。
     崎谷満氏(CCC研究所所長)は、”祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達したようである。ここでNO*祖型からN祖型、O祖型が分化したと推定される(N系統の分化は8800年前か6900年前)。”と述べてます。(「DNAでたどる日本人10万年の旅」より)
     このことから、当初東南アジアにいた祖先型であるNO*が,N祖型とO祖型に分岐したのち、そのN祖型が北上して遼河流域にやってきて、遼河文明を発展させたと推定されます。
     ちなみにもうひとつのO祖型は、その後O2系統やO3系統に分岐して、黄河文明や長江文明を開化させたと考えられます。
    その後、遼河文明を担った人々は、気候の変動や、他民族から追われて北上したのち、さらに西へ、西へと移動して、最終的に、北欧の地にたどりついたと、考えられます。
     一部の人々は、朝鮮半島さらには日本列島にもやってきたと推定されます。実際、現代日本人のなかにも、少ないながらもN系統の人がいます。
     ではその根拠は最もわかりやすいのが、櫛目文土器の出土です。
     ”最古のものは遼河文明・興隆窪文化(紀元前6200年頃-紀元前5400年頃)の遺跡から発見されており、フィンランドでは紀元前4200年以降、朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れる。
     日本の縄文土器にも類する土器(曽畑式土器)があり、また、弥生土器にも似た文様をもつものがある。”
     そして注目すべきは、日本との関係です。曾畑式土器との類似が指摘されているように、縄文文化にも影響を及ぼした、との説があります。確かに、Y染色体N系統の人々は、日本にもやってきたと考えられてますから、その可能性も充分にあります。
    このように、中国遼河流域に紀元前6200年頃から繁栄した文明が、北欧に伝播し、さらには朝鮮半島、日本列島にも伝播し影響を及ぼしたことが、考古学のみならず、遺伝子工学的にも言えることは、興味深いですね。
     最後にもうひとつ、興味深い話を紹介します。
     突然ですが、皆さんは日本の「ズーズー弁」についてご存じでしょうか?。「ズーズー弁」とは、一般的には東北地方の方言で、「し」対「す」、「ち」対「つ」およびその濁音「じ」対「ず」(「ぢ」対「づ」)の区別がありません。たとえば「寿司(すし)」を、「すす」と発音します。東北・北海道地方のほか、富山県・島根県・鳥取県など日本海沿岸にみられます。なぜこのように発音するのかと言えば、諸説ありますが、「寒い地方であり、少ないエネルギーで発音しやすくするため」との説が強いようです。確かに、極寒の冬に外で話すときは、唇がかじかんで話しにくくなるので、「ズーズー弁」の方が話やすい、とも思えます。
     ところが、とても興味深い説がある。ズーズー弁の音を中舌母音の[ɨ]と呼びますが、その起源は、ウラル語族(およびアルタイ語族)だ、という。となると、「ズーズー弁」は、N系統の人々が、遼河文明とともに日本にもってきた可能性があります。そう考えると、東北・北海道のみならず、日本海側の島根、鳥取、富山で、「ズーズー弁」が話されているのも、うなずけます。古代世界の文明が、東アジアの日本列島から西の北欧までつながっている、とは何とも壮大な話ですね。

  • @chanyama3979
    @chanyama3979 7 місяців тому +1

    油壺は50年前から今に至るまで地元の人は泳いでますよ。石原伸晃もちょっとまえにシュノーケリングしてたし

  • @勝久加納
    @勝久加納 Рік тому +2

    本題から外れますが、最近外国人旅行者が増え、平気で路上アルコール飲みをしてゴミを散らかしてゆくのを見ます。TV インタビューでも平気で当たり前のように言っています。私(60代)年代は「歩き食べ、飲みは行儀が悪い(祭りや公園は除く)」と育てられました。仕事帰りの人が缶を口にするとか、アル中とかはしょうがないと思いますが、迷惑千万です。外人だって「アル中とかマナー違反、迷惑人」などと思われたくないと思います。日本は法令で決めなくとも行儀というマナーで治安を保っていると思います。これでは日本の治安が将来寂しいものになります。チャンネルを通してそのような動画を出して頂けないだろうか。

  • @反日滅亡
    @反日滅亡 9 місяців тому +1

    20万年以上前から日本列島で生きてきた我々の先祖が《🌾日本列島先住民🌾》
    2700年前にアノカタが日本国ヲ作ってからが
    《🇯🇵日本人の始まり🇯🇵》
    《🚩縄文人や弥生人など存在しない🚩》

  • @上野武彦-o8t
    @上野武彦-o8t Рік тому +5

    日本は、農耕が基本だよ

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    手先が器用

  • @mytube8438
    @mytube8438 Рік тому

    小名木先生、もしかして、月水金の”あの方”のニュースを聴いていらっしゃるのでしょうか?😉👍

  • @和久早田
    @和久早田 8 місяців тому +1

    日本人だから
    日本好きは当たり前で
    歴史は歴史として
    日本人らしく静かに語ろう

  • @ハリマオ-z3b
    @ハリマオ-z3b Рік тому +10

    権力によって権威づけされたダボス会議や日本学術会議なる物は信用出来ませんが?何れにしても我々庶民は情報に操られています。

  • @channel_5388
    @channel_5388 Рік тому +1

    アフリカから来ました

  • @angelblue4849
    @angelblue4849 9 місяців тому +1

    こういう先生が東京大学の教授になればいいのに?

  • @hadachix8010
    @hadachix8010 Рік тому +5

    祖から始まっている

  • @nesta6197
    @nesta6197 Рік тому

    13:40

  • @さく担
    @さく担 8 місяців тому

    元々。ここにいた。
    一番辻褄が合う

  • @古巣九太郎
    @古巣九太郎 Рік тому +2

    アメリカは日本の歴史学の発展を遅らせましたね。欧米の自己先進史観は修正されますね。これはキリスト教優越感に基づいています。だから修正はゆっくりでしょう。

  • @山田敦-e5h
    @山田敦-e5h 7 місяців тому

    茂木氏と対談した時に何か確信があったんだろな

  • @新垣克則-j7k
    @新垣克則-j7k Рік тому +4

    ニトリの社長が日本人の祖先
    は中国人と言っていたな。金と女でトラップか、知らんけど。

  • @sakura_song_rhythm
    @sakura_song_rhythm Рік тому +3

    大和魂🔥

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    そりゃそうだ

  • @佐々木宏-s6l
    @佐々木宏-s6l 5 місяців тому

    小麦の食べ方として、パンと、うどんを比べると、うどんが、原始的な感じを受けます、ヨーロッパより、日本が、古い感じを、受けます、この点の、考察を是非お願いします。

  • @高橋亜子-l3r
    @高橋亜子-l3r Рік тому +19

    いつもありがとうございます!⸜( * ॑꒳ ॑* )⸝🍀✨

  • @saym6884
    @saym6884 Рік тому +3

    いつも有難く拝見しています。
    一度華頂さんとコラボして頂けたらと思います。

  • @あい-q4r4n
    @あい-q4r4n Рік тому +3

    古代のメソポタミア文明とかは灌漑農業を行う進んだ文明だったけど後に塩害で砂漠化した説がある

  • @sakura-rq3wv
    @sakura-rq3wv 10 місяців тому

    りんごが赤い→火を使うようになったってどうつながるんでしょうか。
    ちなみにアダムとエバのりんごって?アダムとエバが食べたのはりんごではないですよ。

  • @toshiya389
    @toshiya389 11 місяців тому +1

    自分のDNA検査だと、ロシアのバイカル湖周辺の民族が原点らしいです。

  • @00470
    @00470 8 місяців тому

    どうも太平洋側から来たんじゃないかな、日本列島が大陸から分離した後、という気がしてきた。
    千葉茨城福島から太平洋側がわ。沈み行く大陸から移動してきたんじゃない?😮😮😮ゆっくり。
    そんな感じ。

  • @甲斐二三男
    @甲斐二三男 Рік тому +1

    最近のDNA鑑定の進化で縄文人が渡来人ではない事が明らかに為りその後に生まれた弥生人が大陸や半島経由の渡来人だと言う事判明した。

  • @英博木村
    @英博木村 Рік тому +2

    サハ共和国のヤクート人の方々はどうなんだろ・・・

  • @68ootani
    @68ootani 3 місяці тому +1

    人間が世界中に広がって行ったという、アフリカ起源説という物は、本質的に間違いである。第一にもっと古く原人がアジアに居た。

  • @kazuominakao7165
    @kazuominakao7165 Рік тому +4

    啓蒙家として小名木先生は素晴らしいです。
    が、扇子で大きな音を立てるとかの、不意に音や前提を理解させないまま事実らしきものを突きつけるという芸人や詐○師の常套手段を常用する表現感覚は信用できない。

  • @オーデンス
    @オーデンス 10 місяців тому

    邪馬台国よりも、縄文時代からの「ナ国」こそが重要ですよ。
    「ナ国」とは、南西諸島から日本列島までの、「島嶼系海洋民族国家群」のことです。
    「〇〇ナ国」で呼ばれた島々とか、沿岸部中洲を拠点とした国々の帰属先が「ナ国」です。
    因みに漢代金印の「委ナ国」の頃は、朝鮮半島を介さずに、中国東南部とは直接交流がありました。織物の歴史は全て沖縄奄美を通して本土に伝わっています。朝鮮半島は関係ないです。
    金印の委ナ国、朝鮮半島南部の任ナ国、今も日本最南端に残る与那国など、ナ国群は古代ギリシャの都市国家群のような独立性の強いつながりでした。
    ナ国団の中でも、最も古いのが、巨大な淡路島の制海権を握ったイザ「ナ」国の、イザナギ・イザナミの二柱です。😮

  • @wouldhrough
    @wouldhrough 11 місяців тому +1

    ムー大陸やレムリア大陸が沈んだ際に、生き残った人達が日本に逃げてきたんですかね?

  • @kizukuridogu
    @kizukuridogu 10 місяців тому

    縄文時代以前に進化して人間になった…

  • @青木誠一-c7k
    @青木誠一-c7k 2 місяці тому

    そりゃ学校で教えられないわけだ。
    おっしゃることが神話の域ですもん。
    小名木神話。

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    信頼関係

  • @yuichan6667
    @yuichan6667 Рік тому +4

    ねずさんへ
    この続き見るのに月がく5千円は高いです
    もう少し所得格差別の料金にしてもらえませんか?
    お金稼いでる人からは取ればいいけど
    私5千円も余剰資金がないです
    そりゃあ稼いでる人からは100万でも200万でも取ればいいけど
    もう食費が1.5倍ですよ
    エンゲル係数が高い人は払えないですよ
    寺子屋を思い出してください!!
    日本を語るなら!!
    無料で貧乏人も勉強できたんだよ

    • @junimoto4231
      @junimoto4231 Рік тому +2

      有料セミナーは15000円とかだったですしね…
      聞きたくても大奮発して1回くらいならなんとか出せるかもしらないけど、何回もありますしね。

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    私カトリック
    ローマから遠いや!

  • @hogohogehage
    @hogohogehage Рік тому +11

    欧米「ぁ~あ~聞こえなぁ~い

  • @user-pc4Qq3kW7j
    @user-pc4Qq3kW7j Рік тому +1

    小名木さんはロシアのスロビキン将軍に似ています。北方から来たと思われます。小名木さんの説は間違っています。
     岩宿時代(4万年前)からの先住日本人は、ユーラシアステップからヨーロッパと日本に移った血液型B型が多いツングース系日本固有種・ハプログループC(Y染色体)~最初のヨーロッパ人と遺伝的に近縁~、遼河沿岸から来た血液型A型が多いハプログループN(Y染色体)(一部は4200年前にフィンランドなどに移動した)~フィンランド人、サーミ人と同じ遺伝子~、スンダランドから来た倭人の一部である血液型O型が多い日本列島系・日本固有種ハプログループO2b(Y染色体)~長江沿岸沿岸系のO2a(Y染色体)と遺伝的に近縁~です。日本列島系・日本固有種ハプログループO2b(Y染色体)太平洋沿岸に多い。春秋戦国時代に黄河沿岸系の下戸のO3(Y染色体)が北九州から日本に侵入し、瀬戸内海沿岸~中部に住むようになり、在来の日本人と混血した。
     地中海沿岸系日本人はバルカン半島(6万年前、ハプログループD(Y染色体)がハプログループE(Y染色体)から別れた)→黒海北岸→北コーカサス→西シベリア南部→バイカル湖畔(2万年前)→アムール川沿岸(2万年前)→樺太(サハリン)(2万年前)→北海道(2万年前)→東北・関東(1万4000年前)→北陸(3500年前)→山陰→九州→沖縄へと移動した。樺太、北海道、東北、関東、北陸、山陰、九州、沖縄にはインド・ヨーロッパ語族のアイヌ語の地名があります。アイヌはハプログループD(Y染色体)が9割です。血液型A型が多いハプログループD(Y染色体)は日本人、チベット人、ブータン人、インドのアンダマン諸島に多く、それ以外の地域では5%程度しかいない。血液型O型が多いハプログループE(Y染色体)はエジプト人、イスラエル人、フェニキア人などです。 
    日本人の父系ハプログループ(Y染色体)の分類
     最近の分類では、日本固有種はC-M86(5.4%)、D-P37.1*(3.9%)、D-M116.1*(16.6%)、D-M125*(12.0%)、D-P42(2.3%)、O-47z(22.0%)で合計62.1%。
     K-M214→NO2.3%=288万2820人、N1.6%=200万5440人、O(日本固有種を含む)51.8%=6492万6120人を合わせると計55.8%=東アジア系6993万9720人。うちO系統=51.9%=6500万9940人
     地中海沿岸系(ラテン語) D-P37.1*(日本固有種3.9%)、D-M116.1*(日本固有種16.6%)、D-M125*(日本固有種12.0%)、D-P42(日本固有種2.3%)、計34.7%=4349万2980人……天然パーマでラテン系ヨーロッパ人、縄文時代(約1万4000年前~)
     アルタイ諸語・チュルク系C-M217(1.9%)と北方ツングース系C-M8(1.2%)、C-M86(日本固有種5.4%色白金髪碧眼(青い瞳)高身長)を合わせるとCは計8.5%=1065万3900人。……中央アジア系、岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
     遼河沿岸系(ウラル語族)N-LLY22g*(1.2%)、N-M178(0.4%)でNは計1.6%=200万4160人。NO-M214*がNO=2.3%=288万0980人。……色白金髪碧眼(青い瞳)高身長で匈奴系フィンランド人、岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
     P27から分化したアメリカ先住民系Q-P36(0.4%=50万1360人)、アーリア系R-M207(0.4%=50万1360人)。バルカン半島・北欧系I-P19(0.4%=50万1360人)で、合計1.2%。……縄文時代(約1万4000年前~)
    以下は東アジア系
     倭人=長江沿岸・日本列島系O-P317(旧O2)→O-M95 (旧O2a)、O-SRY465P49(旧O2b)。旧O2系統の計31.7%、
      長江沿岸系(ベトナム系言語)O-M95(旧O2a)→O-M95*(1.9%)……弥生時代(約3000前~)
      日本列島系O-SRY465P49(旧O2b) →O-SRY465*(7.7%)、O-47z(日本固有種22.0%色白金髪碧眼(青い瞳)高身長)……岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
     黄河沿岸系(志那チベット語族)O-M175-M122系統(旧O3)の計が20.1%、
      黄河沿岸系O-LINE1(3.1%)、O-M122*(6.6%)、O-M134(10.4%)。……下戸、弥生時代(約3000前~)
    韓国人の血液型B型は男系華北人(O2=旧O3)やモンゴル人(C2)の遺伝子に由来しており、A型はレイプした縄文人女性の女系遺伝子に伴い、若干多くなっている。
    ツングース系(B型が多い)・チュルク系 (A型・O型が多い) 民族(ハプログループC)
    カルムイク(西モンゴル)(A型23%、O型26%、B型41%、AB型11%)、
    プリヤ―ト人     (A型21%、O型33%、B型38%、AB型8%)、
    タジキスタン     (A型43%、O型43%、B型11%、AB型3%)、
    カザフスタン     (A型43%、O型45%、B型9%、AB型3%)、
    コーカソイド(A型)が寒冷地適応すると新モンゴロイド(B型)になる。
    地中海沿岸系民族(ハプログループD~蒙古斑がない、A型が多い)
    アンダマン諸島    (A60%、O9%、B23%、AB9%)、
    ブータン       (A46%、O28%、B17%、AB9%)、
    チベット       (A42%、O24%、B24%、AB10%)、
    日本         (A型38.1%、O型30.7%、B型21.8%、AB型9.4%)、
    A型はハプログループD等、O型はハプログループO2等、B型は寒冷地適応。
    ツングース系の蒙古斑が周囲に広がった。韓国人はほぼ100%に蒙古斑がある。日本人の蒙古斑の割合は東南アジア人と同じ80%。ゲルマン系やスラブ系のヨーロッパ人には蒙古斑がないが、ラテン系のヨーロッパ人には蒙古斑がある。
    黄河沿岸系・朝鮮系 (各血液型が拮抗している) 民族(ハプログループO3)
    韓国         (A型32%、O型28%、B型31%、AB型10%)、
    中国・北京      (A型27%、O型29%、B型32%、AB型13%)、
    長江沿岸系・台湾系・東南アジア系 (O型が多い) 民族(ハプログループO1、O2)
    タイ         (A型22%、O型37%、B型33%、AB型8%)、
    ベトナム       (A型22%、O型42%、B型30%、AB型5%)、
    台湾         (A型27%、O型43%、B型24%、AB型6%)、
    フィリピン      (A型22%、O型45%、B型27%、AB型6%)、
    中国・広東      (A型23%、O型46%、B型25%、AB型6%)、
    マレーシア      (A型18%、O型62%、B型20%、AB型0%)

  • @塙右京-t8c
    @塙右京-t8c 9 місяців тому

    活動家の時代になってきてないか?時代はどう対応していくのだろう

  • @中西正稔
    @中西正稔 Рік тому +4

    この先生の講義なんて、眉唾物ですね。

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    目次

  • @fkfm34r
    @fkfm34r Рік тому +1

    なんだよそれ。なんで肝心のアフリカより古いって話は入会しないと聞けないんだよ

  • @ご夫婦のやり取りがめちゃおもしろく

    前置き長いなあ!タイトル通りささっと進めて欲しいなあ。

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    ロシアのドストエフスキー

  • @恙恙
    @恙恙 Рік тому +1

    天孫族≠半島系の事実を認めないと直らないですね。天照大神は南方から入った神です😊

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    この国で自由発言できるの少ないよ

  • @倭国王
    @倭国王 3 місяці тому

    文化って文が化けると書きますよね?文化の根底に「文字」つまり漢字などを用いた社会という意味だと思います。「縄文文化」って言われると縄文時代に文字があったのですかって突っ込みたくなる。文化や文明っていう言葉を使うのはどうかと思います。

  • @かっちゃん-j5r
    @かっちゃん-j5r 6 місяців тому

    コラー!

  • @刀地から-d8x
    @刀地から-d8x Рік тому

    ミトコンドリアイブ?それって骨かなんか発見されてそう言われてるの?しらん❤毛ど骨が発見されてるなら人類学変わるだろうな?

  • @ERENA771
    @ERENA771 Рік тому +2

    十人十色 何を信じるかは
    その人の自由です
    日本人はどこから来たのか そのように考えてはいけないというのもへんです
    進化論を信じる人も自由です
    創造論を信じる人も自由です

    • @lovelove-j9i
      @lovelove-j9i Рік тому +3

      真実は進化論か創造論かどちらかですね。
      どっちで考えるかは自由ですがどちらかが間違ってます。
      間違った考えは間違った方に人間が向かうでしょう。

  • @norichanguitar7488
    @norichanguitar7488 Рік тому +1

    レーザーで島を焼き尽くし、学校の子供だけ誘拐、オバマのお膝元にスマートシティ建設、酷いね

  • @sedelw.j7118
    @sedelw.j7118 Рік тому

    日本人に一重が多い理由
    北方から来たから