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1985年2月末までは、八王子〜高麗川間の各駅でもタブレット閉塞をしていたようです当時住んでいた家の最寄駅が箱根ヶ崎でしたが、当時小1の私にはその記憶が残念ながらありません…
ご視聴並びに情報をお寄せいただきありがとうございました。
貴重な映像は言うに及ばず、BGMがないので、ジョイント音とか響くホイッスルとか野鳥の囀りとか、いい音を楽しめるんですよね。風の音も上州のからっ風を感じます。
コメントありがとうございます。お楽しみいただけたようで何よりです。
今のキハ110もいいんだけどやはりキハ35が走ってた時代が一番好きだったよ、そして高麗川で系統分離されてしまったのが悲しいよ
馬鹿なUA-camrが、「なぜ八高線は全線直通ないのか?」なんて馬鹿動画作ってたな😵
『高尾臨』をメインに撮りに行かれたんですね。高崎から西多摩へは 八高線経由が最短である証でもあります。居住地とは縁もゆかりも無いから乗る機会は無かったけど 乗れたお客さんが羨ましかった。
個人的に思い入れのある路線です。八王子−高崎を気動車が2時間半かけて走っていたあの頃が懐かしいです。それもセミクロス車が来てくれれば楽しい旅路も ロングシートのキハ35系だと苦痛でしかありませんでした。石灰石やセメント貨車を牽くDD51重連は八高線名物でもあり これがあったから ローカル線ながら路盤も頑丈で 今でもそうですが 気動車列車も85km/hで快走していました。
コメントありがとうございます。通勤型車両キハ35系に採用された外吊り扉は、冬は隙間風の侵入で寒いようですね。厳冬期に最高速付近で走行し、満員でドア付近に張り付いていたら堪えるでしょうね。
基本的にキハ35だからね。たまにキハ40入ったらしいけど、逆に足尾線でキハ35もあったらしい…(私はキハ40だった)😁
八高線の地元の高麗川に住んでいますが、懐かしいです。学生の頃キハ35に乗りました。連結部にトイレがありました。キハ30.キハ40は両側運転室でした。キハ30.35は向き合いシートですが、キハ40は4人向き合いのボックスシートでした。いずれも天井に扇風機がぶら下がり夏は回っていました。DD51は日本セメントがありホキ5700、タキ1900を牽引していました。12系客車は現在では群馬で休日に牽引されますね。
ご視聴ありがとうございます。情報をお寄せいただきありがとうございました。
横田に、降りるF4らしき、ジェットサウンドも、いいですね😊
国鉄時代の八高線、懐かしいですね。私が小学6年生の頃です。実家が東松山なので寄居から帰って来る際に東上線1本だと面白くないからと寄居駅から小川町駅までは八高線、小川町駅から東松山駅までは東上線と言う奇妙な帰り方をしていました(笑)確かこの当時は切符がまだ硬券だった記憶が有ります。
ご視聴並びにコメントありがとうございました。
一時期キハ40系もいたんですね。
当時の八高線は今はわたらせ渓谷鉄道になった足尾線と共通で車両運用していたのでキハ30キハ35と共にキハ40とキハ20も走ってましたよ
この頃の気動車はキハ30系に、たまに混じるキハ40、キハ20はまだ在ったかな。このあとに登場した、キハ30系更新のキハ38が登場した時は、冷房付きで、夏は快適でした。2輛編成の列車もありましたが、4輛や5輛編成の列車もありましたね。今は単行運転もあるとか。DD51、よく秩父セメントのホッパー車を牽いていました。重連運転が多かったように思います。動画中の重連回送は、後ろの機関車にも機関士が乗っている。技術的なことは、アマチャンファンゆえ、不明ですが、総括制御(機関士一人)運転が出来ないのかな?3:44~牽かれる客車の先頭のみ、14系のような?こんな編成もあったのですね。時は移ろい、東飯能駅も、垢抜けた駅へと変貌しました。八高線は高麗川で系統分離してしまいましたが、電化区間は、川越線共々、便利になったと思います。非電化の高崎方は、児玉行きが来るとがっかりします。
車両運用の都合で12系緩急車が不足して同じシステムの14系緩急車を使ったのだと思います
コメントありがとうございます。この当時は東京近郊にも拘らず、DD51重連が割と頻繁に見られました。私も何回か撮影に出かけたので、そのシーンを動画で収めましたが、今や遠い昔のことなんですよね。
足尾線と共通運用だったキハ40は後に冷房化され 好評だったものの 後にキハ38に置き換えられました。そのキハ38は バス用の冷房装置を使い始めの頃だったからか 冷房の故障も多かったそうですが セミクロス車が居なくなってからは トイレ向かいのクロスシートは『特等席』でした。
全部12系では?高タカには14系いないし…😁しかし、この12系が今はSLに牽かれてるとは…😁
@@psychedelicraspberry51740年も前のこと、当時の高崎は第一・第二機関区のみ。客車の配置など無いと思いと思いますが。
8:40 首都圏にも 「ハエたたき」を発見。
コメントありがとうございます。首都圏といっても40年前の非電化路線。古い鉄道施設もまだまだ残っていたんですね。
3:23 スハフ12系の座席車を八高線に使用されたのは知らなかった😮多分臨時列車かな?
動画解説文をご覧ください。
団体ですね。有り難うございます
この頃の八王子は、私の好きなEF64とDD51が同時に見れて、私の好きな駅の上位でした(一番は旧国と旧客が同時に見れた富山)😉
4:50同業者が線路内歩行
1985年2月末までは、八王子〜高麗川間の各駅でもタブレット閉塞をしていたようです
当時住んでいた家の最寄駅が箱根ヶ崎でしたが、当時小1の私にはその記憶が残念ながらありません…
ご視聴並びに情報をお寄せいただきありがとうございました。
貴重な映像は言うに及ばず、BGMがないので、ジョイント音とか響くホイッスルとか野鳥の囀りとか、いい音を楽しめるんですよね。風の音も上州のからっ風を感じます。
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
今のキハ110もいいんだけどやはりキハ35が走ってた時代が一番好きだったよ、そして高麗川で系統分離されてしまったのが悲しいよ
馬鹿なUA-camrが、「なぜ八高線は全線直通ないのか?」なんて馬鹿動画作ってたな😵
『高尾臨』をメインに撮りに行かれたんですね。
高崎から西多摩へは 八高線経由が最短である証でもあります。
居住地とは縁もゆかりも無いから乗る機会は無かったけど 乗れたお客さんが羨ましかった。
個人的に思い入れのある路線です。八王子−高崎を気動車が2時間半かけて走っていたあの頃が懐かしいです。
それもセミクロス車が来てくれれば楽しい旅路も ロングシートのキハ35系だと苦痛でしかありませんでした。
石灰石やセメント貨車を牽くDD51重連は八高線名物でもあり これがあったから ローカル線ながら路盤も頑丈で 今でもそうですが 気動車列車も85km/hで快走していました。
コメントありがとうございます。
通勤型車両キハ35系に採用された外吊り扉は、冬は隙間風の侵入で寒いようですね。
厳冬期に最高速付近で走行し、満員でドア付近に張り付いていたら堪えるでしょうね。
基本的にキハ35だからね。たまにキハ40入ったらしいけど、逆に足尾線でキハ35もあったらしい…(私はキハ40だった)😁
八高線の地元の高麗川に住んでいますが、懐かしいです。学生の頃キハ35に乗りました。連結部にトイレがありました。キハ30.キハ40は両側運転室でした。キハ30.35は向き合いシートですが、キハ40は4人向き合いのボックスシートでした。いずれも天井に扇風機がぶら下がり夏は回っていました。DD51は日本セメントがありホキ5700、タキ1900を牽引していました。12系客車は現在では群馬で休日に牽引されますね。
ご視聴ありがとうございます。
情報をお寄せいただきありがとうございました。
横田に、降りるF4らしき、ジェットサウンドも、いいですね😊
国鉄時代の八高線、懐かしいですね。私が小学6年生の頃です。実家が東松山なので寄居から帰って来る際に東上線1本だと面白くないからと寄居駅から小川町駅までは八高線、小川町駅から東松山駅までは東上線と言う奇妙な帰り方をしていました(笑)確かこの当時は切符がまだ硬券だった記憶が有ります。
ご視聴並びにコメントありがとうございました。
一時期キハ40系もいたんですね。
当時の八高線は今はわたらせ渓谷鉄道になった足尾線と共通で車両運用していたのでキハ30キハ35と共にキハ40とキハ20も走ってましたよ
この頃の気動車はキハ30系に、たまに混じるキハ40、キハ20はまだ在ったかな。このあとに登場した、キハ30系更新のキハ38が登場した時は、冷房付きで、夏は快適でした。2輛編成の列車もありましたが、4輛や5輛編成の列車もありましたね。今は単行運転もあるとか。
DD51、よく秩父セメントのホッパー車を牽いていました。重連運転が多かったように思います。
動画中の重連回送は、後ろの機関車にも機関士が乗っている。技術的なことは、アマチャンファンゆえ、不明ですが、総括制御(機関士一人)運転が出来ないのかな?
3:44~
牽かれる客車の先頭のみ、14系のような?こんな編成もあったのですね。
時は移ろい、東飯能駅も、垢抜けた駅へと変貌しました。八高線は高麗川で系統分離してしまいましたが、電化区間は、川越線共々、便利になったと思います。
非電化の高崎方は、児玉行きが来るとがっかりします。
車両運用の都合で12系緩急車が不足して同じシステムの14系緩急車を使ったのだと思います
コメントありがとうございます。
この当時は東京近郊にも拘らず、DD51重連が割と頻繁に見られました。
私も何回か撮影に出かけたので、そのシーンを動画で収めましたが、今や遠い昔のことなんですよね。
足尾線と共通運用だったキハ40は後に冷房化され 好評だったものの 後にキハ38に置き換えられました。
そのキハ38は バス用の冷房装置を使い始めの頃だったからか 冷房の故障も多かったそうですが セミクロス車が居なくなってからは トイレ向かいのクロスシートは『特等席』でした。
全部12系では?高タカには14系いないし…😁
しかし、この12系が今はSLに牽かれてるとは…😁
@@psychedelicraspberry517
40年も前のこと、当時の高崎は第一・第二機関区のみ。客車の配置など無いと思いと思いますが。
8:40 首都圏にも 「ハエたたき」を発見。
コメントありがとうございます。
首都圏といっても40年前の非電化路線。古い鉄道施設もまだまだ残っていたんですね。
3:23 スハフ12系の座席車を八高線に使用されたのは知らなかった😮多分臨時列車かな?
動画解説文をご覧ください。
団体ですね。有り難うございます
この頃の八王子は、私の好きなEF64とDD51が同時に見れて、私の好きな駅の上位でした(一番は旧国と旧客が同時に見れた富山)😉
4:50同業者が線路内歩行