【ルックバック】違和感の正体について

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  • Опубліковано 17 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 5

  • @easyandnice
    @easyandnice Місяць тому +3

    原作しか読んでませんが、あのとき自分がどうしても乗り切れなかった理由が少しわかったような気がしました。「悪は徹底的に理不尽なもので自分の外からやってくるもの」というのはチェンソーマンにも表れていますよね。

  • @ぷにぷにたろう-t1c
    @ぷにぷにたろう-t1c Місяць тому +2

    おっしゃる通り、せっかくいい部分がある話なんだから、さらにもっといい話にできた気がします。

  • @moonriverspector
    @moonriverspector Місяць тому +1

    的確に思えました。

  • @19770324L
    @19770324L Місяць тому +3

    京本を部屋から出す=不条理な人間社会に引き込む

  • @ohmorimu
    @ohmorimu Місяць тому +4

    仲違いというよりかは二人は別々の道に分かれ無ければいけなかったから・・・。何となくだけどお二人ともこうあるべきという物語の型をそれぞれ持ってるのかなと感じた。その目線で見ると、「まんが道」的な青春サクセスストーリーの結末に理不尽な暴力という現実がいきなり登場することに違和感を感じるのかもしれない。だからこの映画の感想としては須く感動よりも、恐怖が勝るべきだろうとは思う。
     よくよくストーリーを検証してみると京本は藤野と出会おうが出会わまいが、本屋で背景美術の本を立ち読みして美大を志すという人生の転換点は不動で変わらない。そしてリアルに想像すれば、どんな世界線であっても結局は京本を救うことは出来ないだろうと思う現実的には。そこで創作として藤野がシャークキックをする事で一矢報いるのだが、それも漫画家にならなかった藤野が何故かシャークキックをしているというのは皮肉にも見える。藤野がシャークキックをして悪漢を倒すという4コマを京本が偶然描いていて、それを見つけた藤野の頭で広がった妄想という見方が一番現実的だと思う。だからドライにこの物語を分析すれば、京本はどうやっても救う手立てはない以上「京本は藤野と出会うべきでは無かった」のではなく「藤野は京本と出会うべきだった」が正解であるように思う。そのおかげで漫画家になれたのだから。
     最後にもう一つ。結局この物語が言いたかった事は、一つは理不尽な暴力への恐怖と怒り、もう一つは自分の才能を自分で決めてかかってはいけないという事。作者から夢を追う人たち全員へのエールなのかな・・・。