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カブト虫は人形を使って八百長試合で何度も勝たせてあげると、すれまでは逃げていた大きな相手にも立ち向かうようになったり実際に度胸がついてそのおかげで強くなる。それはエピソード記憶が行動に反映された結果ではないのでしょうか?
そうですね。誰かの説にもありますが、逆に実際に指を曲げずにただ指を見つめて「曲がれ」と心で念じても、指は曲がりませんからね。
そもそも意識と無意識、どちらかがどちらかを包括してないとおかしいという話になってるところまでは納得がいくけど、別に無意識が包括してる必要はないんだよね。別のものがそれらを統括してるとも仮説としては考えられる。
意識が決めるのではなく、逆に脳が処理した情報の結果が意識なのだと思っています。例えるならPCモニターの画面にうつされている情報が意識と同じかと。
自由意志が否定されると、近代社会の前提が掘り崩されて色々やばい。
自分が感じている「自分、俺、私 ..」という感覚と、誰か他の人が感じている「自分、俺、私 ..」とは違うのか?または同じことなのか?もよくわかりません。鏡に映る自分に向かって「お前は誰なんだ?」と問い続けると、やがて自分は何処、其処の誰というID感を失い、自分が誰だか?わからなくなり、自我(自意識?)崩壊に至り、気が狂うそうだ。自分に与えられた物語(名前、家族、祖先、周辺環境、経緯、歴史等)が「自分という意識」の形成に重要かも知れない。
とても納得できて実感としても受け入れられます。そうね、了解って感じです。そうそう、どっちにしても「わたし」の仕業なのだから、特にがっかりすることはないと思う。
スポットライト説だと、意識は並列処理するこびとたちを意識できることになるが、多数決の結果は1つなので、それを連続記憶したものが意識だとすれば、こびとたちを意識できないことを理解でき、単純で分かりやすい。お釈迦様の考えと結びつけたのも納得。脳神経回路は無意識層に意識で作れるので、意識は無意味といういみではない。体育系、芸術系のプロは、無意識で行動している。しかし、そこに到達する努力は意識的に行っている。科学系も同じだろう。夢をヒントにアイデアが生まれたり、数学者が直感的に解を見つけたり、海馬が死滅し記憶できなくなると意識がないように見えるのも理解できる。海馬に意識の回路があるのでは、と思っていたが、そうではない。人生観に多大の影響を与える素晴らしい真実の発見だ。
着目、着想は凄く良いと思いますが、観察や証明の方法論が難し過ぎると思います。今のところ仮説の叩き台で、確かめようがなく、仮定、仮説が延々と続きそう。カブトムシ(他の何でもよい、セミとかウミウシとか)に意識が有るか無いか?も想像の域を出ないでしょう
スポットライト説だと、意識は並列処理するこびとたちを意識できることになるが、多数決の結果は1つなので、それを連続記憶したものが意識だとすれば、こびとたちを意識できないことを理解でき、単純で分かりやすい。お釈迦様の考えと結びつけたのも納得。脳神経回路は無意識層に意識で作れるので、意識は無意味といういみではない。体育系、芸術系のプロは、無意識で行動している。しかし、そこに到達する努力は意識的に行っている。科学系も同じだろう。
小人たちに主体性はないのでは?脳細胞なので、「能動」「主体」という言葉を使いたくなるが、脳細胞も、例えば心臓の神経細胞等と同じで生命維持のために自動的に働いているだけの事だと思われます。ただ単純に、カブトムシ達と同じように神経ネットワークに電気が走って行動しているだけというイメージです。脳細胞は生命維持や種の保存等の目的により、設計された通りに動いているだけで、主体性というのはまさに幻想でしょうね。
素晴らしい講義をありがとうございました。早速仲間にシェアさせていただきました。これから、積極的に多くの方に広めさせていただきたいと存じます。
マイケル・ガッザニガの「分離脳患者の認知実験」を聞いたのですが、行動したことにツジツマを合わせて意味を考えられるなら、なぜ、生きているということにツジツマをあわせられないのでしょうか。「受動意識仮説」が正しいとしたら、生きることに疑問を持たずに生きることを正当化するような意味を考えてしまう気がします。
面白かったですね。釈迦の無我であり、非我であるの論理的な解説に納得できる。とは言え、批判も多いだろうと思う面も分かる。Aと言う思考があり、それに沿って意識つまるところのクオリアが機械的に人間が選択しているならば、人間の心つまり、思考の混濁としてのBというA思考に相反する者の対峙としての葛藤はないとなるが。。。ただ、その葛藤の本質でも無意識(潜在意識でもいい)が、複数のシステム的決定を実は、意識(クオリア)の前に強弱でやっているとすれば、その決定の流れの強弱で行動や発言などの人間の外に出るものが決まっても、表層上で現れる内部で葛藤が起きるのは理屈としては筋が通ります。この相反する意識があるように見えるのが自分が、なかなか無意識下で決められたことなのだというのは、感覚的に理解し難い気がしないでもないですね。しかし、自分の意志と思っているものは、実は潜在意識下の積み上がっている固定観念や思い込みであるとするならば、強い意志で決めているというのは幻想であると言う主張は、理にかなっていると思います。
一理ありそうですね。でも、湧き上がる愛情や悲しみや憎しみの感情のメカニズムが知りたい。
意識は社史編纂者だとしたら、なぜ、自分で選択して行動できるのか?という疑問が起こりますが、おそらく、意識が主体的に考えをおこすことはないにしても、小人から上がってきた考えを採用するか、採用しないかを選択する決裁権は持っているということになるのでしょう。拒否権を持った編纂者でしょうか。
なぜ時計が1秒以上止まっているかのように感じるのか、やっとわかった。Very intriguing !
早押しゲームでは0.3秒で押すことができます。測定器は0.3秒を示し、自分の感覚も正に0.3秒と知覚できます。どうして0秒で押したと知覚しないのでしょうか?受動意識仮説ではそれも可能なはず、同時とズレの正確さを振り分けるとすれば、その振り分けに用いる根拠とは何なのでしょうか?
それは補色ですよ。未来と関係無いです。
すごく納得!!しかし、"能動的"という言葉はいったい何に使えばよいのか?
意識や感情とは、情報処理の結果の副産物だと思っています。人間は、一つ一つの細胞がそれぞれ自立していてそれぞれが、それぞれの役割を果たしながら、一つの肉体として、共同体のように暮らしています。その取りまとめ役が、自我なのでしょうね。
心(意識)が中心の時代から宇宙意識中心の時代に入ったんですね。これからの世界はやはり共生なんですね。戦争や差別がなくなって、色々な生物や鉱物までもが仲良く生きる。それが、地球が豊かになるんですよね。そのような時代の門がやっと開き始めてきているような感じがします。結局無意識の子供達とは守護霊様とか指導霊様なのかな?いつも気付きを、ありがとうございます。
赤の反対色は緑ですね
今頭皮に漏れでてる微弱な電流で脳の内部電流もわかっちゃうからズガイコツくり貫く必要はないね…
体が行動したことにツジツマを合わせて意味を後から考えられるなら、なぜ、生きているということにツジツマをあわせた意味を考えられないのでしょうか。「受動意識仮説」が正しいとしたら、生きることに疑問を持たずに生きることを正当化するような意味を考えてしまう気がします。
小人さんたちの雑談結果が人格や継続した活動として安定するのは不思議です。ただ反応して雑談して決めるなら毎回不安定な雑談結果になりそうなものに思えます。意識には小人さんたちを統制する能力があるか、小人さんたちの雑談方法にルールがあるか記憶や経験から雑談方法の統制が決まるのか、ほかにあるのでしょうか?日々継続したり一貫した活動を行うには小人さんたちがエピソード記憶に従うことが必要に思えます、社史編纂の結果を小人さんたちが使うループがあると考えると自然に思えます。
>さくら侍そうだろ、やっぱりな、ウチのカブトムシは目が合うと照れるぞ!w
俺が主役の生放送を配信していると思ってたら、そんなCG映画を観ていただけとは・・・まぁこれが正しいと証明されても俺の過去と未来は変えられない。
マイクちゃんとセットしてくれ
たとえば、内蔵感覚。胃が思いとかの感じかな。意識は時間統覚の高次化かな。内蔵感覚をまた統覚することかな。空間も形、色、によって空間の抽象度も違うね。夢は、統覚の分散と混合だね。
カブトムシに意識がないと仮定する根拠はあるのでしょうか。もしも感覚的におっしゃっているのなら、笑うしかありません。
・・、宗教?「実践的」な話だと、意識が先行する場合のほうがほとんどでは?目標型と展開型、分析型と創造型みたいに学問やスポーツの姿勢なんかでも意識の形態は変えられる。意識と無意識の「実践的」関係は、観察可能な範囲で、無意識的な流動性を止めた分析的思考か、流動性と並行する創造的思考があるとしか・・。どちらが根源かというのは違うと思うな
心(意識)が中心の時代だった、から宇宙意識中心の時代に入ったんですね。これからの世界はやはり共生なんですね。戦争や差別がなくなって、色々な生物や鉱物までもが仲良く生きていく。それが、地球を豊かにするんですよね。そのような時代の門がやっと開き始めてきているような感じがします。結局無意識の子供達とは何?前世で経験した自分?御先祖様?守護霊様?指導霊様?宇宙全体の意識??なんでもいいけど、いつも気付きを、ありがとうございます。
人間は苦痛が多い生き物として作られました。残念でした。
今と言う 今の今なる時はなし 今の時くりゃ 今の時去るm(__)m
面白い〜(=^〜^=)☆♬
無いと 見て 有るは 常なり 水の月(⌒‐⌒)
心こそ 心迷わす心なれ 心に心、心許すなm(__)m
システム・デザイン・マネジメントはメゾ・スコピック神経回路の制御の進展(ナノを含めて)検証から丹田出息長呼吸法で潜在、深層意識下の感情制御・習慣改善は主体的能動体として意識向上出来ます。「白馬 芦花に入る」の心象でm(__)m
心から 使う我が身の手足さえ 思うようにはならぬ浮き世m(__)m
我が こころ 深き底あり 憂いも悲しみも とどかず ただ四無量心の響きありm(__)m
体内光子を丹田出息長呼吸によりコーヒレント・量子ドットを作動・メゾスコピック神経回路の修復改善、健康増進のデータがありますがこのデターを元に深層意識の改善過程の検証が心の研究に貢献されると考えますm(__)m
意識(クオリア)を知るには 丹田出息長呼吸法で サーチ・ライト瞑想を、、、、m(__)m
心こそ 心迷わす心なれ 心に心、心許すなm(__)m 丹田出息長呼吸をしながら(^o^)v
心(意識)が中心の時代だった、から宇宙意識中心の時代に入ったんですね。これからの世界はやはり共生なんですね。戦争や差別がなくなって、色々な生物や鉱物までもが仲良く生きていく。それが、地球を豊かにするんですよね。そのような時代の門がやっと開き始めてきているような感じがします。結局、無意識の子供達とは何?前世で経験した自分?御先祖様?守護霊様?指導霊様?宇宙全体の意識??なんでもいいけど、いつも気付きを、ありがとうございます。
カブト虫は人形を使って八百長試合で何度も勝たせてあげると、すれまでは逃げていた大きな相手にも立ち向かうようになったり実際に度胸がついてそのおかげで強くなる。それはエピソード記憶が行動に反映された結果ではないのでしょうか?
そうですね。誰かの説にもありますが、逆に実際に指を曲げずにただ指を見つめて「曲がれ」と心で念じても、指は曲がりませんからね。
そもそも意識と無意識、どちらかがどちらかを包括してないとおかしいという話になってるところまでは納得がいくけど、別に無意識が包括してる必要はないんだよね。
別のものがそれらを統括してるとも仮説としては考えられる。
意識が決めるのではなく、逆に脳が処理した情報の結果が意識なのだと思っています。例えるならPCモニターの画面にうつされている情報が意識と同じかと。
自由意志が否定されると、近代社会の前提が掘り崩されて色々やばい。
自分が感じている「自分、俺、私 ..」という感覚と、誰か他の人が感じている「自分、俺、私 ..」とは違うのか?または同じことなのか?もよくわかりません。
鏡に映る自分に向かって「お前は誰なんだ?」と問い続けると、やがて自分は何処、其処の誰というID感を失い、自分が誰だか?わからなくなり、自我(自意識?)崩壊に至り、気が狂うそうだ。自分に与えられた物語(名前、家族、祖先、周辺環境、経緯、歴史等)が「自分という意識」の形成に重要かも知れない。
とても納得できて実感としても受け入れられます。そうね、了解って感じです。
そうそう、どっちにしても「わたし」の仕業なのだから、特にがっかりすることはないと思う。
スポットライト説だと、意識は並列処理するこびとたちを意識できることになるが、多数決の結果は1つなので、それを連続記憶したものが意識だとすれば、こびとたちを意識できないことを理解でき、単純で分かりやすい。お釈迦様の考えと結びつけたのも納得。脳神経回路は無意識層に意識で作れるので、意識は無意味といういみではない。体育系、芸術系のプロは、無意識で行動している。しかし、そこに到達する努力は意識的に行っている。科学系も同じだろう。夢をヒントにアイデアが生まれたり、数学者が直感的に解を見つけたり、海馬が死滅し記憶できなくなると意識がないように見えるのも理解できる。海馬に意識の回路があるのでは、と思っていたが、そうではない。人生観に多大の影響を与える素晴らしい真実の発見だ。
着目、着想は凄く良いと思いますが、観察や証明の方法論が難し過ぎると思います。今のところ仮説の叩き台で、確かめようがなく、仮定、仮説が延々と続きそう。カブトムシ(他の何でもよい、セミとかウミウシとか)に意識が有るか無いか?も想像の域を出ないでしょう
スポットライト説だと、意識は並列処理するこびとたちを意識できることになるが、多数決の結果は1つなので、それを連続記憶したものが意識だとすれば、こびとたちを意識できないことを理解でき、単純で分かりやすい。お釈迦様の考えと結びつけたのも納得。脳神経回路は無意識層に意識で作れるので、意識は無意味といういみではない。体育系、芸術系のプロは、無意識で行動している。しかし、そこに到達する努力は意識的に行っている。科学系も同じだろう。
小人たちに主体性はないのでは?脳細胞なので、「能動」「主体」という言葉を使いたくなるが、脳細胞も、例えば心臓の神経細胞等と同じで生命維持のために自動的に
働いているだけの事だと思われます。ただ単純に、カブトムシ達と同じように神経ネットワークに電気が走って行動しているだけというイメージです。
脳細胞は生命維持や種の保存等の目的により、設計された通りに動いているだけで、主体性というのはまさに幻想でしょうね。
素晴らしい講義をありがとうございました。
早速仲間にシェアさせていただきました。
これから、積極的に多くの方に広めさせていただきたいと存じます。
マイケル・ガッザニガの「分離脳患者の認知実験」を聞いたのですが、
行動したことにツジツマを合わせて意味を考えられるなら、
なぜ、生きているということにツジツマをあわせられないのでしょうか。
「受動意識仮説」が正しいとしたら、生きることに疑問を持たずに
生きることを正当化するような意味を考えてしまう気がします。
面白かったですね。
釈迦の無我であり、非我であるの論理的な解説に納得できる。
とは言え、批判も多いだろうと思う面も分かる。
Aと言う思考があり、それに沿って意識つまるところのクオリアが機械的に人間が選択しているならば、人間の心つまり、思考の混濁としてのBというA思考に相反する者の対峙としての葛藤はないとなるが。。。
ただ、その葛藤の本質でも無意識(潜在意識でもいい)が、複数のシステム的決定を実は、意識(クオリア)の前に強弱でやっているとすれば、その決定の流れの強弱で行動や発言などの人間の外に出るものが決まっても、表層上で現れる内部で葛藤が起きるのは理屈としては筋が通ります。
この相反する意識があるように見えるのが自分が、なかなか無意識下で決められたことなのだというのは、感覚的に理解し難い気がしないでもないですね。
しかし、自分の意志と思っているものは、実は潜在意識下の積み上がっている固定観念や思い込みであるとするならば、強い意志で決めているというのは幻想であると言う主張は、理にかなっていると思います。
一理ありそうですね。でも、湧き上がる愛情や悲しみや憎しみの感情のメカニズムが知りたい。
意識は社史編纂者だとしたら、なぜ、自分で選択して行動できるのか?という疑問が起こりますが、
おそらく、意識が主体的に考えをおこすことはないにしても、
小人から上がってきた考えを採用するか、採用しないかを選択する決裁権は持っているということになるのでしょう。
拒否権を持った編纂者でしょうか。
なぜ時計が1秒以上止まっているかのように感じるのか、やっとわかった。Very intriguing !
早押しゲームでは0.3秒で押すことができます。測定器は0.3秒を示し、自分の感覚も
正に0.3秒と知覚できます。どうして0秒で押したと知覚しないのでしょうか?
受動意識仮説ではそれも可能なはず、同時とズレの正確さを振り分けるとすれば、
その振り分けに用いる根拠とは何なのでしょうか?
それは補色ですよ。未来と関係無いです。
すごく納得!!
しかし、"能動的"という言葉はいったい何に使えばよいのか?
意識や感情とは、情報処理の結果の副産物だと思っています。
人間は、一つ一つの細胞がそれぞれ自立していて
それぞれが、それぞれの役割を果たしながら、
一つの肉体として、共同体のように暮らしています。
その取りまとめ役が、自我なのでしょうね。
心(意識)が中心の時代から宇宙意識中心の時代に入ったんですね。これからの世界はやはり共生なんですね。戦争や差別がなくなって、色々な生物や鉱物までもが仲良く生きる。それが、地球が豊かになるんですよね。そのような時代の門がやっと開き始めてきているような感じがします。結局無意識の子供達とは守護霊様とか指導霊様なのかな?いつも気付きを、ありがとうございます。
赤の反対色は緑ですね
今頭皮に漏れでてる微弱な電流で脳の内部電流もわかっちゃうからズガイコツくり貫く必要はないね…
体が行動したことにツジツマを合わせて意味を後から考えられるなら、
なぜ、生きているということにツジツマをあわせた意味を考えられないのでしょうか。
「受動意識仮説」が正しいとしたら、生きることに疑問を持たずに
生きることを正当化するような意味を考えてしまう気がします。
小人さんたちの雑談結果が人格や継続した活動として安定するのは不思議です。
ただ反応して雑談して決めるなら毎回不安定な雑談結果になりそうなものに思えます。
意識には小人さんたちを統制する能力があるか、小人さんたちの雑談方法にルールがあるか記憶や経験から雑談方法の統制が決まるのか、ほかにあるのでしょうか?
日々継続したり一貫した活動を行うには小人さんたちがエピソード記憶に従うことが必要に思えます、社史編纂の結果を小人さんたちが使うループがあると考えると自然に思えます。
>さくら侍
そうだろ、やっぱりな、ウチのカブトムシは目が合うと照れるぞ!w
俺が主役の生放送を配信していると思ってたら、そんなCG映画を観ていただけとは・・・まぁこれが正しいと証明されても俺の過去と未来は変えられない。
マイクちゃんとセットしてくれ
たとえば、内蔵感覚。胃が思いとかの感じかな。意識は時間統覚の高次化かな。
内蔵感覚をまた統覚することかな。空間も形、色、によって空間の抽象度も違うね。夢は、統覚の分散と混合だね。
カブトムシに意識がないと仮定する根拠はあるのでしょうか。もしも感覚的におっしゃっているのなら、笑うしかありません。
・・、宗教?
「実践的」な話だと、意識が先行する場合のほうがほとんどでは?
目標型と展開型、分析型と創造型みたいに学問やスポーツの姿勢なんかでも意識の形態は変えられる。
意識と無意識の「実践的」関係は、観察可能な範囲で、無意識的な流動性を止めた分析的思考か、流動性と並行する創造的思考があるとしか・・。どちらが根源かというのは違うと思うな
心(意識)が中心の時代だった、から宇宙意識中心の時代に入ったんですね。これからの世界はやはり共生なんですね。戦争や差別がなくなって、色々な生物や鉱物までもが仲良く生きていく。それが、地球を豊かにするんですよね。そのような時代の門がやっと開き始めてきているような感じがします。結局無意識の子供達とは何?前世で経験した自分?御先祖様?守護霊様?指導霊様?宇宙全体の意識??なんでもいいけど、いつも気付きを、ありがとうございます。
人間は苦痛が多い生き物として作られました。残念でした。
今と言う 今の今なる時はなし
今の時くりゃ 今の時去るm(__)m
面白い〜(=^〜^=)☆♬
無いと 見て 有るは 常なり 水の月(⌒‐⌒)
心こそ 心迷わす心なれ 心に心、心許すなm(__)m
システム・デザイン・マネジメントはメゾ・スコピック神経回路の制御の進展(ナノを含めて)検証から丹田出息長呼吸法で潜在、深層意識下の感情制御・習慣改善は主体的能動体として意識向上出来ます。「白馬 芦花に入る」の心象でm(__)m
心から 使う我が身の手足さえ
思うようにはならぬ浮き世m(__)m
我が こころ 深き底あり 憂いも悲しみも とどかず ただ四無量心の響きありm(__)m
体内光子を丹田出息長呼吸によりコーヒレント・量子ドットを作動・メゾスコピック神経回路の修復改善、健康増進のデータがありますがこのデターを元に深層意識の改善過程の検証が心の研究に貢献されると考えますm(__)m
意識(クオリア)を知るには 丹田出息長呼吸法で
サーチ・ライト瞑想を、、、、m(__)m
心こそ 心迷わす心なれ 心に心、心許すなm(__)m
丹田出息長呼吸をしながら(^o^)v
心(意識)が中心の時代だった、から宇宙意識中心の時代に入ったんですね。これからの世界はやはり共生なんですね。戦争や差別がなくなって、色々な生物や鉱物までもが仲良く生きていく。それが、地球を豊かにするんですよね。そのような時代の門がやっと開き始めてきているような感じがします。結局、無意識の子供達とは何?前世で経験した自分?御先祖様?守護霊様?指導霊様?宇宙全体の意識??なんでもいいけど、いつも気付きを、ありがとうございます。