【冬車窓】1レ 寝台特急北斗星の旅 上野~札幌 2014.1.19~20
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- Опубліковано 9 лют 2025
- 2014.1.19~20 札幌行き寝台特急北斗星の車窓を9号車B個室ソロ2階より撮影。※長編の為、下記の目次をご参照下さい(時刻をクリックするとジャンプします)↓
7:35 上野駅発車(後方展望) 31:43 おやすみ放送
49:50 車内の様子①(8~11号車)
1:01:50 上野行き寝台特急北斗星 離合
1:02:13 車内の様子②(1~7号車) 1:09:50 青森駅(運転停車)
1:17:45 青森行き急行はまなす 離合 1:22:45 おはよう放送
1:29:13 函館駅(機関車交換) 2:24:30 終着放送(ハイケンス付)
2015年?の定期運行終了直前に札幌雪祭りに行くため乗車しました。その時の楽しい思い出が蘇りました。ありがとう。
@user-kr3bk1tf6s 様、いつもコメント有難うございます。
北の大地を目指す寝台列車の車窓は厳冬の季節にこそ大きな魅力があると思いますし、雪祭りが目的であれば尚のこと雪景色の車窓に終着地への期待が高まったのではないでしょうか。ご視聴有難うございました。
懐かしい思い出です!
🌃寝台特急「✡️北斗星」上野 →大宮 → 郡山 → 福島 → 仙台 →福島 → 函館 → 森 → 八雲 → 長万部 → 洞爺 → 東室蘭 → 登別 → 苫小牧 → 南千歳 → 札幌 🌰
走行する列車のジョイント音と流れ去る夜景のコラボが素晴らしい。
劉備玄徳 様、いつもご視聴、またお褒めの言葉を頂き有難うございます。大変励みになりました。弊動画を制作して良かったです。
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窓のきしむ音やメキメキって音もいいよね
山段芳春 様、コメント有難うございます。
客車ならではの独特の音がありますよね。私もそういったノイズが大好きでした。
北斗星懐かしい!修学旅行で1度乗りましたー!夜寝れずずっと明け方まで外見てたなぁ。
nodame:しもかじ。Love 様、コメント有難うございます。
修学旅行で北斗星とは羨ましい!素晴らしい学校ですね。日常では体験出来ない深夜の車窓に魅せられて寝るのが惜しくなり、夜が明け始めると今度は夜明けの美しさから目が離せなくなったり。。寝台列車は寝るタイミングが難しいですよね。楽しくてテンション上がる修学旅行であれば尚更かと思います。ご視聴有難うございました。
戦後、人々は貧乏から始まり
高度経済成長とともに日本は発展し
人々も豊かになり
それとともに鉄道のサービスも
全ての人に行き渡るように
発展し提供していました。
今はその時代を渡り歩いた方々も人生の引退へ近づくとともに鉄道のサービスも
終えようとしているように感じます。
懐かしいです。北斗星毎日三本体制の時は、19時3分発は北海道5号でしたね。自分乗るのは毎回1号でした。笑
坂井誠 様、いつもコメント有難うございます。
3便体制時代の北斗星、懐かしいですね!当時から個室が取り辛い人気列車で、私はなかなか下り列車には乗れませんでした。
寝台特急、一度は乗ってみたかったものです。
+地獄行き特急野比 様、コメント有難うございます。
最後の客レ寝台特急カシオペアも間もなく終焉・・寂しくなりますね。
00p00っp
北斗星は2008年頃に一度家族で乗ったことがあります。しかし、その時は東北地方での大雨で5時間半遅れで函館まで行きましたが函館で運転を打ち切られてしまいました。それ以来乗れなかったので臨時化したら7月か8月頃に一人で乗ってみようと思います。
その時の参考にさせてもらいます。
一度は乗ってみたいとずっと思っていたのですが、仕事と時間の都合が取れず・・・ 時間を気にせずゆったりとした旅というのは、人にとって大事なことだと個人的には思います。 夏あたりまで臨時運行があったら、時間の都合を取って乗れたらいいなと思います。
サムネがホラー映画みあって好きです
ーゆ 様、コメント有難うございます。
函館打ち切りとなると未練も残るかとお察ししますが、5時間半の大幅遅延乗車というのも貴重な体験をされたのではないかと思います。私も臨時化後の北斗星に乗車予定です。この動画がいつかご乗車される時の参考となれば光栄です。
ご視聴有難うございました。
寝台特急北斗星号には、何度も乗りましたねぇ…。まだ、定期列車として、3往復も運転していた頃から、よく乗っていました。
最初の頃は、北海道の観光旅行が目的でした。道東方面に行くのに、行きは南千歳まで乗り、スーパーおおぞら号かスーパーとかち号に乗り換えて、帯広または釧路へ…。そこからは、旭川または札幌までレンタカー…。帰りは、札幌が始発駅となっていることを利用して、多少余裕をもって札幌駅の構内へ…。そこから宇都宮まで北斗星号の中…。当時住んでいた、埼玉県北部の、自身の家に帰るのが、お決まりのパターンでした。東日本大震災の翌年の1月から、京都に住んでいます。精神的な病気にかかっている弟の将来を考え、廃止数年前に、浦河町にある、べてるの家に行くため、京都から北海道へ…。行きはトワイライトエクスプレス・帰りは北斗星で行きました。
行きは京都から南千歳・帯広を経由して、浦河町の中心部に入るまでに、延べ30時間かかりました。
翌日は、べてるの家のご厚意で、内部を見学させていただき、夜に支笏湖へ…。その翌朝、車で札幌入りし、(日)の夜、北斗星号で上野に出て、東京からのぞみ号に乗ってきました。帰りは札幌駅から19時間くらいだったかと…。
寝台特急があればこそ、なし得る遠出だったわけです。
やはり、何よりのメリットは、寝台特急の特性たる、「横になれること」。
それがなければ、かなりしんどい旅だったと思います。
そんな思い出の詰まった寝台特急も、北陸・あけぼの・鳥海・はやぶさ・富士・みずほ・明星・あかつき・彗星・なは・さくらなどなど、次々に消えていき、北斗星・カシオペアも廃止になりましたね。今や、サンライズ瀬戸・出雲だけですよ。寂しくなったものです。
竹田勤 様、コメント有難うございます。
九州方面最後の寝台特急「富士はやぶさ」の廃止が決まった時にNHKで放映されたドキュメンタリー番組では九州に住む祖母が孫に会うため定期的に寝台列車を使い上京する姿が描かれ、その方は腰が悪く新幹線や飛行機等の座席車では長時間の移動が不可能なので横になれる寝台車は上京のためには不可欠であったそうです。その祖母にとって九州ブルートレインの廃止は二度と上京出来なくなる事を意味するものだと、九州へ帰る祖母を見送りながらお孫さんである女性の方は涙ながらに語っておられました。スピード・利益率史上主義の現代にあっては寝台特急はもはや生き残る術を失い過去の遺物となってしまいましたが、一方で廃止によって旅行スタイルのみならず日常生活を犠牲にせざるをえなくなった方々も少なからずおられる事実も忘れないで欲しいと切に願います。
消えて行った星の寝台特急達、私は決して忘れません。もはや定期列車はサンライズのみとなってしまいましたが、今後も可能な限り記録として残していきたいと思っています。貴重な思い出をお話頂き有難うございました。
はぁ、思わずため息が出るくらいです。ブルートレインに乗りたかったですよ。もっと早く生まれてたら乗れたのにな。馬鹿馬鹿しいですよ、新幹線の為に廃止になったり改造すればまだまだ現役で走れるのを無理矢理廃止にしたり。今やサンライズエクスプレスだけですやん。しかもブルートレインじゃなくて普通のモーター車。ホント、JRは訳分かりません。
ブルートレインに乗ったあんたらが羨ましいし、申し訳ないが腹が立ちますよ
収入がない