【合戦図解】賤ヶ岳の戦い〜秀吉の天下取りの分岐点!激突必至の後継者争い〜

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  • Опубліковано 1 бер 2024
  • 天正11年(1583)4月に行われた賤ヶ岳の戦いについて図解しました。
    楽しんでもらえると嬉しいです!
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КОМЕНТАРІ • 7

  • @Seaza_Sr1
    @Seaza_Sr1 28 днів тому +2

    2:46賤ヶ岳の戦いのときに徳川がどさくさに紛れてここまで巨大化しててビックリ!

  • @user-gk2vl3do5w
    @user-gk2vl3do5w 2 місяці тому +2

    土地勘が無くても立体的な図解で理解が深まります。

  • @aamm11111
    @aamm11111 5 місяців тому +4

    利家とまつでにあった、上様演じる柴田勝家がが敗戦と老いを自覚して利家に秀吉を助けよ、学べ、と別れを告げるシーンが良かったけど、どうも史実で似た出来事があったと知ってほろっと来ました。
    しかし、あれから何年も経ちますが上様は相変わらず元気で良かった

  • @user-pg7iu9he8l
    @user-pg7iu9he8l 5 місяців тому +3

    秀吉がどこまでを計算して動いていたのか?
    勝家が動けない冬に全てが動き出すようにしていたのなら、凄い。

  • @user-zh3nb4ng1m
    @user-zh3nb4ng1m 3 місяці тому +2

    秀吉は家臣が優秀すぎた

  • @user-qu6nf3pm6l
    @user-qu6nf3pm6l 5 місяців тому +3

    前田利家の裏切りが勝敗を決定付けた戦い。不遇時代に唯一手を差し伸べてくれて「親父殿」と慕っていた恩人を土壇場で裏切る行為が血も涙もない戦国時代の醜さを象徴している。

    • @gionsyouji5831
      @gionsyouji5831 Місяць тому +2

      この布陣が正解であるかどうか定かではないが、正解であると仮定するなら利家は戦局にほとんど影響を与えてない。
      利家が率いる兵は2〜3000と言われていて、丹羽長秀が率いる兵は8000ほどと言われている。
      あの布陣で長秀が押し出せば、利家はひとたまりもないだろう。
      中立であるかどうかはわかりませんが、長秀が出てきた時点で退却するしかない。
      むしろ茂山に残っていることが不思議。