昭和館オーラルヒストリー「東京大空襲を生き抜いて~濱田嘉一さんの体験談~」
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- Опубліковано 3 лип 2023
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#B-29 #焼夷弾 #清澄庭園 #深川
【資料情報】V1R0400202167
濱田嘉一さんは、昭和12年(1937)現在の東京都江東区深川に生まれた。出征した父は2歳の時に戦死、母は区役所や町会事務所の仕事で生計を立てた。昭和20年3月9日の深夜、東京大空襲が始まる。焼夷弾が降り注ぐ中、清澄公園を目指し避難するが、途中で目にした地獄絵のような光景、空襲翌朝の焼け野原の様子、戦後の厳しい食糧難を生き抜いた体験を語る。
※ 映像を使用される場合は、昭和館図書情報部情報検索係(03-3222-2574)へご連絡下さい。
大変貴重なインタビューを拝見できました、ありがとうございました。
お話がお上手なのもあり、あっという間の22分でした。
また機会がありましたら濱田さんのお話が伺いたいです。
この方のお話に深く感動しました。貴重な動画に感謝します🙏
貴重なお話ありがとうございました。
「セミを食べれたらいいのに」「ノミになりたい」の言葉に、当時の子供たちの状況を少しではありますが想像することができました。
夜間超低空・直線飛行の敵大型爆撃機、軍艦舷側にある低空しんにゅう雷撃・戦闘機撃墜用機関砲で邀撃はできなかったのか?探照灯(サーチライト)と同軸・連動さすれば命中精度は上がったと思います。
んなもん、数%精度が改善されても意味ない。
東京大空襲や原爆投下を、被害者意識で捉えてもだめだ。
それは単にあなたの願望では?
こんなところまでわざわざ書き込んでみっともない生き様ですね