昭和館オーラルヒストリー「崑ちゃんが語る少年時代」

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  • Опубліковано 23 сер 2022
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    #大村崑 #空襲 #闇市
    【資料情報】V1R0300201900
    喜劇役者の大村崑さんは昭和6年(1931)に兵庫県神戸市で生まれた。にぎやかな家庭で幼少期を過ごしたが、父の死をきっかけに生活が変わる。食糧不足や空襲、闇市での体験などを語る。
    ※ 映像を使用される場合は、昭和館図書情報部情報検索係(03-3222-2574)へご連絡下さい。

КОМЕНТАРІ • 13

  • @user-ll2my7lw6o
    @user-ll2my7lw6o 10 місяців тому +3

    大村こんさんがこのような波乱万丈の経験をしてきたとは知りませんでした。結果、心身共に元気でいられるものと思います。
    どうぞお元気でお過ごしください。オロナミンCは毎日飲んでいます。80歳の男性です。

  • @ishirene
    @ishirene 7 місяців тому +4

    産みのお母さんも辛かっただろうな、、、それしか子供達もお母さんも生きていく術がなかったとはいえ。胸が痛いな

  • @kenichiokochi1233
    @kenichiokochi1233 Місяць тому

    素晴らしいエピソード。本当に貴重な動画となりましたね。人それぞれ一生懸命に生きてきた道程をふと振り返ってみたくなることがある。せめて子供達にだけは、飾り気のない自分の生き様を知らせておきたい、という気持ちになる。私の二人の子供はニューヨークうまれで週末だけに日本語学校に通って、一応高校卒業ということにはなっているが、日本語の読み書きとなると小学校4年生くらいであろうか。こちらの大学院は医科に進み、二人とも医者になった。兄は小児外科医、娘は精神科医。日本が大好きで年に1〜2度は日本にゆく機会を作り始めたが、やはり、観光客でしかありえないようだ。私の兄弟やその子供たちも全て日本にいるのであるが、話が噛み合っていかない様で、私が思う様な郷愁の念などはやはり、理解できない様だ。産みの親より育ての親、というか、彼らは日系アメリカ人となってしまっている様だ。私の思いとは明らかに違ってしまっていることに後悔の念があることは確かであるが、私が、子供が小さいうちに日本へ帰国しなかったのであるから、これは致し方ない、と女房は言う。昨年秋には、順天堂大学病院の医者に招待されたと言っていたし、一月前は京都見物をしてきたといっていた。手打ちうどんの実演に参加した思いを熱く語っていた。大村崑さんのエピソードは劇的であり、およそ想像をぜっするものばかりであった。南方の戦地に赴き終戦を迎え、生きて帰国した父親は厳格な人で気まずささえも感じるほどであったが、戦争の話は一歳しようとはしなかった。風呂で軍歌を歌ってきかせるぐらいであった。ただ、私が子供の頃、両親ともども朝6時から夜9時過ぎまで働き詰めに働き、少しの合間を縫って、母は子供たちのズボンや靴下の繕いをし、そんな格好が悪いものは履けない、などと駄々をこねる私に、” きちっと繕って、洗濯もしてあります。何を恥ずかしいと言うのですか!” と厳しい言葉で諌めたことを覚えています。私は26歳で日本を飛び出しニューヨークに来て今に至っていますが、厳しい生活というものが何かをわかっていたので、ニューヨークの過酷な生活も問題なく耐え忍ぶ事ができました。
    戦争はこの世から無くならないでしょう。核兵器の絶廃など、戦勝国がこぞって日本が絶対に再びかつての様に立ち上がらせない様にと策略した結果でしょう。上川外相がチャイナからあれほど日本が侮辱を受けても遺憾砲だけしかあげられないのは、単に彼女に能力がないのではなく、返す返事に対して喧嘩をふっかけてきたらどうするか?どうしようもなく相手にこっぴどく引っ叩かれるままになるであろうことを100も承知しているからだとおもいます。彼女の後ろ盾になる日本の勢力が十分でないからですね。田母神さんと言われる今回都知事せんに立候補される方のインタヴューをお聞きになることです。日本は非常に危険な状況に置かれていると思いますね。それまで支持してきた自民党が岸田の保身のために崩壊しかけており、この様な政局の大事な時に候補者を推薦できない様な体たらくと成り下がってしまっている。であれば人生経験のある保守で人望があり、しっかりとした政策を述べる事ができる保守の人間、日本国を愛する人間といえば、やはり田母神さんということになる、と思っています。

  • @user-gl5ih1ei6i
    @user-gl5ih1ei6i 2 місяці тому +1

    とてもためになりました。ありがとうございます😢

  • @miumiu-bn7lu
    @miumiu-bn7lu Рік тому +2

    貴重なお話ありがとうございました。昭和レトロの看板から大村さんを知りました。まさに昭和の生き字引。ライザップも見ました!いつまでもお元気でいてほしいです😆😆

  • @user-sr9pw4eg1w
    @user-sr9pw4eg1w 2 місяці тому

    私は1941年生まれ。 当時、私は貧しくとも、さほどのことはなかったですが、私より5年10年先に生まれた人は、それこそ死と隣り合わせでした。 一つ一つ貴重な証言と、心にしみました。ありがとうございました。

  • @user-zh1df7gl8u
    @user-zh1df7gl8u Рік тому +1

    又このCMやらないのでしょうか?オロナミンCドリンクも未だにひそかに人気ですネ。トンマ天狗が好きだから
    私も毎日飲んでます。
    このCM大村崑さんにまたやって欲しい~。子供の頃にタイムトラベル出来そう~です。

  • @user-gl5ih1ei6i
    @user-gl5ih1ei6i 2 місяці тому +1

    戦後は皆こうして生き残っていくしかなかったんです。父は、戦地行き生き残って帰りましたから、もっと凄い話してくれました。

  • @thomasota4429
    @thomasota4429 8 місяців тому

    長く生きたからと言ってそれがどう、人生は質ですね。たとえ30歳で亡くなろうが自身として充足していればそれも人生です。際限なく生きられるものでもないのです。

  • @amenikamisama
    @amenikamisama Рік тому +2

    私の父は産みの母から捨てられて、育ての母とも折り合い悪くて、難儀したんやろなあ と改めて感じました
    まさかのノックちゃんと戦後すぐ知り合ってたてのもびっくりやわ

  • @user-mh1wz9rd3r
    @user-mh1wz9rd3r Місяць тому

    長生きですな。酒もタバコも、やらんのんやろな!

  • @Mr-bh6qb
    @Mr-bh6qb Рік тому

    今だけカネだけ自分だけ臭がするな