【戦争証言】大阪大空襲を乗り越えて

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 31 лип 2024
  • 太平洋戦争末期、大阪は50回をこえる空襲によって、約15,000人が犠牲になり、街は焼け野原になった。
    大阪では、爆撃機B29が100機以上飛来した空襲を「大空襲」と呼び、1945(昭和20)年3月13日から
    終戦前日の8月14日までに、8回の大空襲があった。
    明珍昭さんは、1933(昭和8)年生まれ。大阪市生野区に住む、国民学校6年生の男の子だった。
    八尾の親せきのところへ疎開していたが、卒業を前に戻ってきたところ、町の雰囲気はずいぶんと変わっていた。
    (ピースおおさか証言映像2022より)
     ※証言映像の団体向けDVD貸出について
     www.peace-osaka.or.jp/educati...
    ■大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム「ピースおおさか」
     OSAKA INTERNATIONAL PEACE CENTER (Peace Osaka)
    大阪城公園内にある資料館。大阪空襲の犠牲者を追悼し、平和を祈念するとともに、空襲を中心に
    大阪の人々の戦争体験に関する資料を展示している。
    公式ホームページ www.peace-osaka.or.jp
    公式X     / oipc0917
    公式Facebook / oipc0917

КОМЕНТАРІ • 1