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「陛下から賜った装備を大切にしろ!」と言うクセに、陛下から預かってる下士官兵を雑な作戦や精神論で死なせる上級士官…
陛下の赤子を無駄死にさせた軍上層部の罪は大きい
上級士官の多くは子供のころから軍に近い環境で育った結果一般社会を「俗世」と認識して浮世離れした思考になりやすかったとかその結果下士官を「我々の言う事を理解しないしする必要もない凡俗」みたいに扱ったりもしてた、維新で否定したはずの武士と雑兵の関係みたいになっちゃったのね
メチャクチャ穴だらけでも撃破されなかった蓮コラみたいになってる八九式の写真すき
日本の戦車の歴史が知れて、面白かったです。映画「硫黄島からの手紙」で西竹一中佐が戦車連隊の指揮をしていた事を思い出しました。騎兵出身の軍人が、軍馬から戦車に乗り替えるのも時代的なものなんだと感じますね。
下手に器用な職人が沢山いたから一品物はレベル高いが大量生産には不向きいざ消耗戦になると生産が追いつかない悲しみ
職人技って聞こえはいいけど要は「職人が手を入れなきゃまともな物にならない」てことだしね…
そこはドイツとかイタリアも同じなんだよね。国民数が少ないから市場も限られて、大規模な工場より小回りの効く小規模な工場が大多数を締めたために、大量生産の有効性を知りながらも、手工業から完全脱却出来なかった。アメリカやソ連の様にある程度の性能を発揮できたら後は割り切って、大量生産することで多少の性能差なんて気にしないっていう、軍の大規模化と平均化によって常時数的優勢に戦うって言うのは、実に羨ましい限りだわ。まあ・・・シャーマンに乗ってティーガーやパンターと戦うしかなかった戦車兵にとっては、地獄でしかないんだけどさ。
高レベルの一品物かというと疑問がある。というのは、例えば歩兵が銃を菊の御紋があるから奉じて扱えと言われたのは、同じ種類・型番の銃であるのに、他の銃との部品互換性が乏しいから、やむを得ない事情があった。下手に器用な職人というのは、精度の低い工作機械を使いこなす能力であって、現在の大量生産における品質管理の概念が無かったから。その概念は、後年の被占領期に勃発した朝鮮戦争時に、米軍が日本の産業界に対して、その概念を広めて兵站を担わせたから覚えたという経緯。
日本は航空機と艦船に軍事リソースの大半を振り向けましたからね。機甲部隊は最後の後回しだったと聞きます。またのご解説楽しみにしております
「戦車を相手にするなんて、聞いてないよぉ!」
@@stb-1461 何をどう解釈してこんなコメントしてるかはわからんが、「知ったかぶりしたい!」という熱意だけは伝わったぞw
@@stb-1461 詳しくない事を知ったかぶらないでええのよ。
楽しい歩兵の友💥
他所のコメントで顔真っ赤にして息巻いてるけどその前にこっちのコメントの意味を説明してくんないかなw
ノモンハンの戦いなんか、タイプ97が新型でしたし、サイパン島から日本戦車が帰還して涙もの!ああ、無情(..)
日本戦車はチリとかチハとチヌとかなんかかわいい響きがあると思う。
私も最初わかんなかったが、単に中戦車の頭文字のチで始まり、あとはイロハニホヘトの順番だったかな。
日本軍にもオイ車という重量150tもあるガンダムでいえばビグザムみたいな怪物戦車がある
@@akibanokitune あれはクソデカくて可愛くないから····
@@akibanokitune あれ砲塔無しの試走で足回りの半分が壊れて結局「この大きさの重戦車は我が国の技術的には時期尚早」って言って開発放棄した奴じゃないですか。
うん。89式中戦車は、「ちいちゃん」(萌え)。
「そこの軽戦車!さっさと降りろ!」「軽戦車じゃないですうー中戦車ですぅー」
@鳥海誠
「根性で押せー!」「はいぃ!」
「気持ちはわかるけど意味ないですから!」
「クソ!振り下ろしてやる!このぉ!」
@@texmex_tacosギギギギ「車体ってコーティングで守られてるんじゃ...」「マウスは例外なのかも」
ゲームではアメリカの戦車ばっかり使ってたから日本の戦車に注目薄かったんだけど目から鱗というか関心した!
日本戦車はいいぞぉ…!チハたんの「俺来たぜ!」なクソデカエンジン音とか、チヌの75mm砲の全能感とか、チリの重戦車ばりの図体とか、12cm砲をポン付け(文字通り)した日本戦車のスーパースター「キングチーハー」とか
軽油は安全性とコスパに優れてるけど寒冷地での始動性に難があるんだよね、
陸軍「数も土地も大きい厄介な相手だが装備は旧式。贅沢言わずに数を揃えるぞ」海軍「南方作戦始めますね」陸軍「?!」
陸軍「補給が海で沈められて全然届かないんですけれどぉぉぉぉぉ!?」
海軍「たとえタイガー戦車が100台有っても、手を引いてやる海軍が無ければ海は渡れん❗」陸軍「うるさい❗大和や武蔵に鉄を取られて、我が陸軍は89式に甘んじて闘ったのじゃ‼️」海軍「やかましい‼️10トン余りしか吊れんクレーンしかないのじゃ❗我が国は💢」陸軍「海軍が、制空権と制海権を失ったせいで、陸兵等が、どれだけ絶海の小島で苦しんだか❗」海軍「だいたい、この戦争は陸軍が始めたんじゃ❗」陸軍「パールハーバーで爆弾落としたのは海軍じゃい‼️」海軍「陸軍がムチャクチャ進撃するからだ❗装備も旧式な癖に‼️」陸軍「艦は山程在ったのに、海軍がヘマしたからじゃ‼️」二人の言い争いは、『無限に続く』ので在った。
完成が1929で名前が八九式って事は、皇暦(すめらこよみ、こうれき)を基本とした名前の付け方だったんだね。(皇暦660が西暦0年)
大正時代が短い年号だったから昭和の年号で兵器開発した年と大正時代に開発した兵器の年号と被るから皇紀にした。
@@73moto おー、そういう事情があったのですね。皇紀2600年♪(そういう歌があったらしい)、が昭和15年で、西暦1940年ですね。
@@smakocchann起源二千六百年祝歌と言う歌です。ちなみに私は歌えたりします。
まだトヨタが自動織機を作ってた時代に戦車製造とは困難過ぎるのに、これほど高性能の戦車作れるとは本当に凄い。村田銃といいいゼロから作って高性能な兵器つくれるのだから日本人の物作りスキルは最高ですわ。
なお基礎的な技術を飛び越して先進的な技術を人力で達成してしまう傾向があるので量産は不得意だった模様。すごい一品ものは作れても、安定した品質の量産品と言うものには基礎技術が必須なのです。その反省を生かしたのが現代日本の基礎技術研究なのです。
チハは中戦車というより歩兵戦車ですわな。前線を突破し敵のトーチカや機関銃陣地を後方若しくは側面から攻撃するのが目的だったからね
英国式で言えばそうなりますね
そもそも戦車戦という概念がなかったしな
そもそもリベット留めだから対戦車戦に向かない。97式までの戦車はリベット留めで、重砲の榴弾の至近弾ですら危うい耐久性。15cm榴弾の至近弾で97式中戦車はバラバラになったそうだ。1式中戦車以降から溶接になり、1式戦車は榴弾の至近弾に耐えたと記録にある。
そもそも対戦車を想定した戦車を作る技術がない模様。
@@90jgsdftype15cm程の大口径の至近弾で吹っ飛ばない同規模の戦車があるなら教えて欲しいんだが…
八九式やら三式やらの写真、30年間も過ごした懐かしい場所ですね・・・。さて、なかなか新しい戦車技術を開発できない旧陸軍の機甲部隊の心情はいかほどだったでしょうか?旧陸軍も、関東軍の中に機甲部隊を編成しようとした時期があったと聞いています。戦車のみならす、十糎半や七糎半自走砲、歩兵輸送用半装軌輸送車、さらにシベリアの森林地帯や泥濘地を進撃するための特殊機動車両等を相当数揃える予定だったようです。しかしながら、そもそも根本的に経済力が無かった当時の日本ではどう足掻いても無理な話ですね、まして海軍などは無限とも言うほど大量に鉄を使っていましたから。考えてもみれば、戦艦大和1隻で、現代の九〇式戦車に換算しても1400両分の資材を使っていたのですから・・・。現在でも、日本は島国だから海空の装備さえあれば防衛できる・・・などという方も一部におりますが、やはりそこはバランスが重要、旧軍の失敗を繰り返さないようにして欲しいところですね。
動画内ではニセコ鋼につひて「北海道のニセコとは関係なひ(14:08)」と云って居りますが、実は命名は、北海道のニセコアンヌプリに引っ掛けた語呂合せとなっております。それもその筈、ニセコ鋼を開発した日本製鋼所の所在地は、北海道胆振地方の室蘭市、ニセコアンヌプリからそんなに離れていないのです(地図上では)。それだけニセコアンヌプリが有名な所だと云へる訳ですね。このニセコ鋼は、所謂表面浸炭処理を施して居る鋼材でして、戦車の装甲以外に、船のプロペラシャフト等にも用いられ、これの性能は戦後にアメリカ軍に絶賛された経緯もあるのです。
初めて知った。
登場当時最強だった、というとチハたんのイメージでしたがこっちも革新的でしたかとはいえ、日本であっちもこっちもはできず…量産も出来んしアップデートも30年代後半ですらきついのに、40年代も一部使われるとか老骨にムチ打ち過ぎ状態とはいえ当時、しっかりした戦車を生み出せたこと自体は本当誇らしいものです
王様「ゆうちゃん、八九式戦車をやろう。これに乗り魔王城を陥落させるのだ!!」ゆうちゃん「王様、砲手と操縦士も下さい😡」
こち亀でもたまに部長が戦車に乗って派出所に殴り込みかけてるが、一人じゃ砲は撃てないから突撃しか出来ない
@@113g8 両津のバカはどこだー!!
@@蜀パン ドカーン!!
そういや両津と中川が、89式(恐らく)に乗った隣の派出所のメンバーから追っかけられてたな~。確か『4巻』に載ってた。
上原謙氏出演の松竹映画西住戦車長伝の劇中での登場頻度は高かったです89式や西住みほに関する元ネタの奥深さに改めて感服した次第であります!
日本は、兵器製造のノウハウを自前の技術力でごり押すパターンが多いなぁ。火縄銃もそういうところがあったし。
輸入品は高額だったので、当時の日本は国産の方が安かった
戦車の動画いつも楽しみにしてます。もしまだ陸上巡洋艦ラーテを解説していなかったら是非お願いします!
🦆アヒルさんっぽくてすこ元々の地力が高いで思ったのですが、江戸時代から寺子屋で読み書きそろばんやってた(教育されてた)のがでかいんやろか。ヨーロッパが教育に気が付く前から日常で教育が行われてたのって面白いですよね。
やっぱり日本の兵器は強い弱いは別にして、味があるから好きw。
そんな事ないで日本軍にもオイ車という150tもある怪物戦車がある
かわる
戦車は現代で言えばスマホみたいな速度で進化していったから3年経ったら陳腐化するような世界観
当時の日本は鉄が足りなかったのです。アメリカから鉄スクラップを輸入して賄っていたくらいなので、開戦してからはさらに足りなくなります。さらに、海軍と陸軍で予算の段階で割り振っていて、海軍の方が優先されていたため陸軍が使える鉄はかなり限られている状況でした。そりゃ、戦車は後回しです。
資源が足りないのは航空機も同じでしたね。零戦に代表されるように軽装甲の機体でようやく数を揃えられる位ですからここら辺の事情は例の風立ちぬの映画でも言及されてます重装甲の航空機にしたら数を揃えられない悲しき状態。
吶喊!自分は実際にヒトマル式を乗り回して遊んでる。
脆弱な戦車の改良に熱心でない理由がてっきり根性とかの精神論かと思ってしまった。酸素魚雷も射程を伸ばす事禁止されたから
開発戦車の防御の薄さに抗議した軍人に対して「ではこの性能では任務達成はできないのか?」というクソみたいな論法で反論を封じて開発を強行したとか(軍人としては不足ではあっても「無理です」とは言えんからなぁ)。なお根本的な原因は「予算の都合」だったらしい。装甲を強化するにもエンジン出力とインフラ整備が足りず、強力な砲を積むにもエンジン出力と基礎的な冶金技術が足りず、エンジン回りを強化するにも予算的に開発費が足りず、数をそろえるのにも予算が足りず、結局は何もかにも足りないので精神論で頑張ってと言うしかなかった。みんな足りていないのはわかっていて仕方なく精神論を持ち出しただけで、それだけじゃどうにもならないのはみんな分かっていたのが陸軍の悲劇ですな。なおわかっていない者も一部にはいた模様。
@@居眠り犬 「足りん足りんは、工夫が足りん」と。
八九式中戦車と言えば、ガルパンのバレー部アヒルさんチーム!余談ですが、御殿場市のNPO法人「防衛技術博物館(仮)」にイギリス人愛好家より、1943年製九五式軽戦車が18年ぶりに日本へ里帰りしてます。
確かに某惑星だと他国戦車には無双できる。ただし50口径積んだ自走対空砲に蜂の巣かつ消し炭にされる方が圧倒的に多い。
対空砲の水平射撃楽しいね
椅子は操縦者だけにしか無く、あとの乗員は立ちっぱ。ロートルだったけど、第2次大戦ではフィリピン攻略戦に投入される(悲しきかな戦車不足)
試製一号戦車で気を良くしても多砲塔戦車(僕の考えた最強戦車)に向かわず、しっかりとした戦術をもって軽戦車を求め成功したのがすごい。この発想が現在の一〇式に通ずるというのは考え過ぎだろうか。
多砲塔に向かわなかったのが賢いだけで軽戦車に向かったのはアホの一言では?ドイツ然りソ連然り戦車で大成功した国を見ると軽戦車なんぞより重戦車か中戦車。イギリスも結局防御と火力を優先した戦車が一番強いと自分たちの戦車開発で証明していますし軽装甲戦車が流行ったのもミサイル万能論とか核兵器万能論が広がった時位ですぐに装甲の硬い戦車の方がやっぱり強いって扱いになりましたからね。
@@チャリオティア 動画内でも言われていましたが、当時は中戦車という分類はなく上のコメントでおっしゃっている軽戦車というのは中戦車の先祖となります。つまり、日本はドイツやソ連と同様に中戦車を選んだということになるのです。実際、その後に作られた主力戦車はほとんど中戦車ですからね。
@@チャリオティア陸続きのヨーロッパ諸国ならクソ重い車両の輸送もなんとかなるけど、どこ行くにも船で海を渡って港で荷下ろししないといけない日本が重戦車一辺倒になってもなぁ。
@@チャリオティア 数万両のT34やKV、ISを陸で相手するのであれば強力な対戦車兵器が進化したかもしれませんが、主戦場は太平洋で陸戦も島しょ部となれば艦船、航空機にリソースを振らざるを得ないのは仕方ないかと。実際、中戦車の開発もされてはいましたが採用、生産数はわずかで、展開が容易で数が揃えられる九五式軽戦車を後継機開発後も生産し続け歩兵支援に充てるくらいしかできなかったわけですし。
@@outatime8420 クレーンの性能が貧弱でしたからな、必然と重量制限が掛かる
輸入戦車を参考に設計、特に初期型の八九式はビッカースC型中戦車にレイアウトがそっくり九〇式五糎七戦車砲の九二式徹甲弾(実際は徹甲榴弾)の貫通力は350mで25.7mm、1,400mで20.5mm、1,800mで17.5mmで、低初速のため移動目標を狙うのは難しいものの、ノモンハンでは熟練の日本戦車兵が小隊で敵1両に火力を集中するなどして確実に命中させ撃破
都合のいい情報しか見てないよね。
隊長、撃った弾が跳ね返ります。
と、いうのが昭和の昔の古い古い資料や小説での描写で、しかし1990年代のソ連崩壊後に公開されたロシア側の正確な損害記録(ソ連時代のは少なめに申告していた)により、ソ連側の装甲車両の損失数が圧倒的だったと判明三十七粍速射砲はBTやT-26、装甲車を余裕で撃破、短砲身五十七粍砲は徹甲弾よりむしろ、初弾命中率で圧倒する日本側(ちなみに当時のソ連軍では二発撃って距離をはかり、三発目で当てる訓練をしていた)が小隊単位で榴弾を敵一両に撃ち込むことで炎上させる事ができた
作った当時は強くても運用中に陳腐化しては話にならない
この戦車自体が強いんじゃなくて、周りが同程度か、もしくはそれ以下だっただけ。
@@stb-1461それってつまりこの戦車は強かったって意味だが、日本語大丈夫か?
@@ayaakiduki6502 ダメだね
武器学校のレストア時に勤務していた一人(レストア現場に参加は叶わず、しかし「当時の塗装に関する資料を…!」との声にアーマーモデリング誌で八九式のガレージキットが特集された時のカラー頁の事を思い出してコピーを提出+完成後の動画撮影時、傍で備品のデジカメで写真撮影と僅かながら関わりあり)として、分解時に「最終減速歯車は、フランスが採用していた内刃式の歯車」だった点は、全く知らなかった事でした
M26パーシングのように基準の変更で重戦車から中戦車になったものもあります。今じゃ10t前後なら装輪装甲車でも軽い方。
なかなか対戦車戦闘を主軸にした戦車を造ろうとしなかったのがね、やっと造り始めるも時既に遅しでしたから。
なにしろ揚陸や輸送が重戦車だと日本軍には難しい。揚陸艦ができたのは戦争末期だし。ただ、ガダルカナルで中戦車は揚陸されてる。水上機母艦で運んだらしい
一応二等輸送艦って言う戦車揚陸用の輸送船あったけどそれも足りないし何なら輸送中に沈められるから…二等輸送艦は正面にハッチあって平だから速度が出ない
ガソリンは飛行機に使いたいって事情もありましたね。
東の勇者君の、ゆうちゃんに対する評価が辛辣すぎるw
日本の戦車は軽量であるがゆえにどこででも走れたそうで、活躍できたと聞いています。
木の橋とか渡っているからな。船から降ろすときもクレーンとワイヤーで吊り下げるから10トンぐらいが限界
活躍した という言葉は範囲が広すぎる。
強かった時期があるのは知らんかったな🤔
1920年代は軍縮の影響で規模が小さくなった陸軍を、世界大戦の戦訓を活かして装備強化で戦力維持しようとしてたある意味で技術革新期。1930年代の軍拡期になるとそんな余裕はなくなるんだよねぇ
11:42 八九式はヴィッカースCを参考にして作られたから。
しかし、最終減速歯車が(フランス戦車が採用していた)「内刃式」と、「全てが毘式参考」ではなかった
ガソリンエンジンとディーゼルエンジンとの違いですが、今時だったらジェット燃料との共有化の点で後者が有利でしょうね。
間に合わせが一線級の性能になるのは日本あるあるですな当面なんとかなってしまうためにマネージメントが弱くなり現場にしわよせがいってブラック化してしまうという、、、
最初こそ勉強熱心で頑張るから良いものができるけどだんだん怠惰になって努力しなくなりいざ戦争になると量産性もなくてダメになるって言う構造は現代にも受け継がれてるような気がする
初っぱなは立派な性能を発揮しても、その後の近代化改修がおざなりで、結局時代遅れになる事例が日本には多すぎる…その傾向は現在も変わっていないと思ってしまうのは俺だけかしらん?
国のリソースがもう少しあったら、そのまま開発を続けて簡単にソ連戦車にやられないものが出来ていたかも知れませんね。。。
セガサターンの「ワールドアドバンスト大戦略」では、八九式中戦車が試製重戦車オイに進化するのが謎だった。
ゲッター線でも浴びたんですかね…
外観が、輸入したビッカースC型戦車に似ているから、けっこう参考にして苦心惨憺して作ったのでしょうね。でも、乙型の外観は日本的で好き。それにしても日本陸軍上層部が、戦車は89式やハ号・チハのママで良いと判断したのは時代遅れに繋がったけど、せっかく大枚はたいて揃えた戦車なのに、更に新型戦車開発と生産に予算が馬鹿食いされるのが厳しかったのかも。軍備って日進月歩で金食い虫で恐ろしいな。アメリカのように既にモータリゼーションが起こって、1940年から戦車開発しても直ぐそれなりのモノを大量に造れる技術的ベースも生産力も無い当時の日本の悲しいところですね。
う~ん、八九式中戦車は表に見えるスペックなら欧米列強と同じスペックなのでしょうが、使い勝手はどうだったのでしょうか。例えば九七式チハは砲塔動かすのが大変だったんですけど、そういったデメリットは無かったのでしょうか?
輸送の問題は海外で戰う目的を持つ国では付き纏いますね、第二次世界大戦下でのアメリカ軍でも輸送部隊、とりわけ輸送艦の積載問題もM4シャーマン戦車のアップデートや新型(タイガー等に対応可能な戦車)の開発を邪魔したと聞きます、勿論兵器調達局の局長が砲兵隊上がりで戦車に対するのは砲兵科であって戦車は対歩兵対拠点以外は必要ないとしていたのも障害となっていたらしいですが。
やはり位置エネルギーには勝てない・・・(高台制覇)
1:26 根性キャプテン・八九式は軽戦車じゃないしぃー蝶野嫁・中戦車だしぃー
冒頭のネタだけど、シャーマン戦車の戦車兵が前面に土嚢を乗っけて装甲をアップしていたが、実はあまり効果はなく逆に重量の為車体のベアリングを痛める理由で正式には禁止されていたらしい。パットン将軍が土嚢装甲のシャーマンの戦車兵を怒っている写真が残っている。
八九式なのに9.8トンとはこれいかに
機関銃は場所的に装填手が射手を兼任するんじゃないかな?
元戦車兵の話では戦車長と操縦手の会話は本来伝声管で行うけれど実際には使い物にならず、右肩を蹴られれば右へ左肩を蹴られれば左へと操縦していたと言う。戦車はキャタピラの回転を応用して自分で自分のタコツボを掘れ砲塔だけ出してかく座していれば走行の薄さは大した問題では無かったそうだ。満鉄爆破事件はリットン調査団に否定されたけれど、満州国は国連に承認されたので安直にこの事件により枢軸国入りしたのでは無い。ABCD包囲網による策略の結果孤立したのが正解と言えるのでは?
日本の戦車は惑星のアイドル!
まぁ、1920年代の戦車は、ほとんどが歩兵戦車ですからね。まぁ、占守島の戦いでソ連の勢いを、これらの戦車だけで踏ん張ったんだから、凄いものです。
某ゲーじゃ大発にコレ乗っけた装備にずっとお世話になっておりますm(_ _)mやたら弱い弱い言われるけど日本って海軍国家だからなぁ・・・一番リソース掛けなきゃいけないのはそりゃ海の装備だし世代も旧いし
空冷ディーゼルの重さの欠点に付いて考察して欲しいね
チハは相対的に弱いイメージしかなかったが、なるほどそういう見方もできますねということは北進論からの対ソ連としての戦車強化、強いては対米戦での善戦というルートもあり得たわけかでもそこまでやれる物資は無かったんだよなぁやっぱりWW2は物量の戦争だったんですね
今もそうでしょ宇宙で戦争する時代でも戦いは数だよって言ってたし
日本人にありがちだが、なんでも名前を変えてしまえば、許容されると考えるのは大間違いだぞ。まして当時の戦車兵にとっては戦車戦も任務。それなのに、装甲どころか、砲まで貧弱。その考え方は、過去を擁護しているとしか思えない発言。見方の問題とか、そういうのは戦場では通用しないから
@@stb-1461 当時とは具体的にいつ頃よ
そこ?この戦車が現役の時。
@@stb-1461 1932年からだよねその時戦車戦は主要な任務だった?ノモンハンとその後の太平洋戦争だけで語ってないか?中国での戦闘では上手くやれた時点で兵器としては成功したでしょ動画でも言っているように30年後半から40年の戦車の進化は早い戦車戦が駄目だというなら新規戦車の開発配備が行えなかった軍部が問題そのそも名前を変えれば許容される?なんて誰も言っていないわけだが
16:56 ガルパンのまほみほ姉妹の苗字は、この人から取っているね
零戦にしてもいきなり成功した物を作ってしまった以上、これより良い物を新規で開発するには時間と労力が足りなかった以上に。一部では慢心していたんだろうか?
どちらかというと基礎工業力が圧倒的に不足していたから設計は出来ても製作が難しかった感じですね、零戦に関してはいきなりというより一世代前に当たる九六式艦戦の事実上発展型に近いです
なお、採用したら一切改修しない問題は現在進行形な模様
普通に裏で改修しまくってるらしい
基本的には、戦車は天皇の所有物扱いなので、現地改修ができなかったらしい。
トヨタは元々紡績機械の会社だからどちらかというとフォークリフトの方が本筋なんよ。
この時期のナンバリングは、皇紀をもとにしていて1929年は2589年なので、八九式ですね。
糸と向き合ってるトヨタ可愛いけど確かに向き合ってる場合では無いw
蒋介石の最大の戦果は、第二次上海事変からの戦闘で日本軍の近代化の可能性を潰したこと、という話があります。目先の戦争が発生したことでリソースが完全に奪われました。でも、当時の日本戦車が優秀と言えるかというと…やっぱり当社比7~8割じゃないかな? 冶金技術と基礎工業力の差が地味に大きい。港湾や中国大陸のインフラの問題があって大型化に限界があった話も面白いですが…
ちなみに現地では装甲板を追加するのは普通にやってました
ドイツやアメリカやソ連の工業力が異常すぎただけで、当時の諸国も日本と同じく戦車にそこまで注力する余裕は無かったのが現実ですからね。
旧軍の日本の戦車や飛行機は完成時には優秀なスペックなんだけどいつまでもそれ使ってるから他国の開発競争から遅れちゃって・・・笑いものにされちゃうんだよね。
WW1からWW2までの間に、こう言ったタイプの戦車が活躍をしてたのね。
日本軍の九七式戦車の値段は当時で15万円で零戦より高く戦争後半に米軍やソ連軍のの戦車にあっさり撃破された事から戦車兵は15万両のカンオケと自虐になって居た。
当時の日本と日本軍の主戦場で重大高火力な戦車作っても持て余すだけだしね。
日本の戦車は歩兵支援兵器としては一流だと思うが戦争の様相は変わり戦車対戦車の戦場となり対戦車能力は大きく劣るのは如何ともしがたい。
「八九式は軽戦車じゃないしー」「中戦車だし」
当時のディーゼルエンジンは軽油ではなく重油を使っていたのでは?"いすゞ"の戦前の名前は"日本重油発動機"じゃなかったかな。ヤンマーは最後まで重油を使ってたので、重油の事を"ヤンマー油"って呼ぶオジイチャンもいましたね。ガソリンは燃えるのではなく爆発するので、只燃えるだけのディーゼルとは違いますね。ソ連のディーゼル戦車は戦闘機の増槽みたいにドラム缶括り付けてますね。被弾して燃え出したら捨てちゃえば良いかと。米独のガソリン車で同じ事をやったら自殺行為ですが。水冷ディーゼルはソ連のみ、空冷ディーゼルは日本のみって感じですが、M4シャーマンにもディーゼル仕様が有ったはずです。海兵隊用だから日本相手に使われたんですかね?数は少なく不評だったみたいですが。ノモンハンではどんな武器で敵戦車をやっつけたかの資料がありますが"銃剣1両"ってのがスゴい!
日本は火災対策でディーゼルエンジンを戦車に使いましたが、トラックはガソリンだったようで、補給面を考えるとどっちかに統一した方が良かったんじゃ無いかと思ってしまう。技術レベルの高いディーゼルは出力が控えめだし、ガソリンなら航空機用の型落ちエンジン使えただろうし。
航空機用のガソリンを優先したから、ディーゼルエンジンを採用したので理由としては逆。航空機用のエンジンと言っても当時まともに使えるのは、空冷星型しかないので、シャーマンの様なデカイ車体で整備がめんどくさい(星型エンジンは下側のシリンダに燃料やオイルがたまったり、当時の燃料は錆びを誘発する為、定期的なメンテナンスが不可欠)戦車になったと推察。
戦後の61式を開発するにあたって、要求仕様を満たすディーゼルエンジンは、旧海軍の舟艇で使われたものを流用したという話をWikiで読んだ記憶がある。おそらくだが、60年以上前の日本では、ディーゼルの技術の方が、ガソリンの技術より、相対的に上回ってたのではないかな。
主殿、89式は専従の装填手はいないよ。砲手が自分で装填する。車長、砲手、操縦手、機銃手の4人。
機動性と走破性にガン振りした結果…ああなったと…(一応、Ⅲ号戦車A〜B型には対応できる程度の能力は持ってたらしいデス)
初っ端から洒落にならないよ… 散華した戦車兵が哀れ(´·_·`)
チロとかあるんですかね?
ある
00:50 まぁ、現地改造は他の軍でも許可されない事は割とありましたよ。その上層部の命令に従わなかっただけで。
八九式は軽戦車じゃないし、中戦車だし
.45ガバメントで日本の戦車の装甲に穴空いた逸話あったなぁ…
多分誇張とかデマだけどそういう話蔓延してる日本軍戦車系の話なら結構信じる人多そう
戦後の61は兎も角としても、74・90・10が出てきたのは或意味必然だったのか。
戦車の開発過程で陸軍が海軍に装甲とかのノウハウを聞きに行ったけど教えてくれなかったらしい
江戸期に蓄積された基礎学力と技術のおかげで明治以降も欧米の技術に食らいつくことが出来たけど、資源と基礎工業力がボトルネックになってしまうのが当時の日本の哀しいところ。戦車はそれに港湾・鉄道の事情も加わるわけだけど、アメリカなら恐らく大陸側にもごっつい港湾をこさえて対応しただろう。
仮に日本軍の戦車が最後まで世界最強だったとしても戦争には負けてただろうなあ…制海権や制空権取られたらどうしようもないし、ドイツの戦車は世界最強と言っても過言じゃなかったのに負けたし。
いや、普通に増加装甲、増加装甲まがいの追加装甲などがされてましたよ。ちなみに九七式中戦車増加装甲型はプラモデル化もされていますし、装甲代わりに履帯を砲塔や前面装甲各部に貼り付けた車体。空間装甲的に支柱で車体前面に増加装甲を付けた車体。敵戦車の装甲板を剥がしてポン付けした車体など、割とバリエーション豊富でした。
いまではスイスイと農業機械や中古車を海外に運んでるんですよね⛵日本が戦車を供与するわけにはいかないから、軽くて小回りのきくコンバインやトラクターを求められるんだろうか
日本の戦車が強いというより当時の混迷期を迎えた中国がガタガタ過ぎて無双できただけって気もするが・・・
松本零士のマンガで日本の戦車はブリキの棺桶!と、刷り込みが
実際その通りだよ。
まさにリアル最低野郎
日本はあくまでも歩兵支援用に開発して運用してたから、対戦者戦闘をそもそも重要視してなかったはず
そもそもこの戦車を設計していた時代には戦車戦という概念がなかった。
本音で言えば、その用途の戦車しか作る技術がなかった。なんせそっちの方が高スペックを必要としないので簡単だから。
やれば出来たけど、やれない要素が色々あった、ってことなのかな?島国の宿命でどうしても海と空が重視されるし。
「トヨタなしで戦車の開発とはな。」ガンバレ、ミツビシ!
戦車はトラクターの進化形、米英独露どこも国産トラクターから戦車を開発してる戦前の日本は国産トラクター作れないのに戦車を作るという蛮勇を振るったが、基礎がないので結果的に技術の進歩についていけなくなった
根性~!!
突撃ー!
当たらなければどうという事はない。性能の差が戦力の差ではないっていつもアイマスクしてる少佐が言ってました
@@akibanokitune その直後に敵の兵器を化け物って言ってた気が
日本の技術力は世界有数かもしれないけど、上に立つ人間がだめだと進歩できないという欠点があります・・
技術はあった、しかし戦争は数だよ兄貴!いかに短時間で数を揃えられるかが不足していたし、職人魂は戦争に向かない。
今の日本なんかまさにそれだわな政治屋どもが日本をどんどんダメにしやがる
「陛下から賜った装備を大切にしろ!」と言うクセに、陛下から預かってる下士官兵を雑な作戦や精神論で死なせる上級士官…
陛下の赤子を無駄死にさせた軍上層部の罪は大きい
上級士官の多くは子供のころから軍に近い環境で育った結果一般社会を「俗世」と認識して浮世離れした思考になりやすかったとか
その結果下士官を「我々の言う事を理解しないしする必要もない凡俗」みたいに扱ったりもしてた、維新で否定したはずの武士と雑兵の関係みたいになっちゃったのね
メチャクチャ穴だらけでも撃破されなかった蓮コラみたいになってる八九式の写真すき
日本の戦車の歴史が知れて、面白かったです。映画「硫黄島からの手紙」で西竹一中佐が戦車連隊の指揮をしていた事を思い出しました。騎兵出身の軍人が、軍馬から戦車に乗り替えるのも時代的なものなんだと感じますね。
下手に器用な職人が沢山いたから一品物はレベル高いが大量生産には不向き
いざ消耗戦になると生産が追いつかない悲しみ
職人技って聞こえはいいけど要は「職人が手を入れなきゃまともな物にならない」てことだしね…
そこはドイツとかイタリアも同じなんだよね。
国民数が少ないから市場も限られて、大規模な工場より小回りの効く小規模な工場が大多数を締めたために、大量生産の有効性を知りながらも、手工業から完全脱却出来なかった。
アメリカやソ連の様にある程度の性能を発揮できたら後は割り切って、大量生産することで多少の性能差なんて気にしないっていう、軍の大規模化と平均化によって常時数的優勢に戦うって言うのは、実に羨ましい限りだわ。
まあ・・・
シャーマンに乗ってティーガーやパンターと戦うしかなかった戦車兵にとっては、地獄でしかないんだけどさ。
高レベルの一品物かというと疑問がある。というのは、例えば歩兵が銃を菊の御紋があるから奉じて扱えと言われたのは、同じ種類・型番の銃であるのに、他の銃との部品互換性が乏しいから、やむを得ない事情があった。下手に器用な職人というのは、精度の低い工作機械を使いこなす能力であって、現在の大量生産における品質管理の概念が無かったから。その概念は、後年の被占領期に勃発した朝鮮戦争時に、米軍が日本の産業界に対して、その概念を広めて兵站を担わせたから覚えたという経緯。
日本は航空機と艦船に軍事リソースの大半を振り向けましたからね。機甲部隊は最後の後回しだったと聞きます。またのご解説楽しみにしております
「戦車を相手にするなんて、聞いてないよぉ!」
@@stb-1461
何をどう解釈してこんなコメントしてるかはわからんが、「知ったかぶりしたい!」という熱意だけは伝わったぞw
@@stb-1461 詳しくない事を知ったかぶらないでええのよ。
楽しい歩兵の友💥
他所のコメントで顔真っ赤にして息巻いてるけどその前にこっちのコメントの意味を説明してくんないかなw
ノモンハンの戦いなんか、タイプ97が新型でしたし、サイパン島から日本戦車が帰還して涙もの!ああ、無情(..)
日本戦車はチリとかチハとチヌとかなんかかわいい響きがあると思う。
私も最初わかんなかったが、単に中戦車の頭文字のチで始まり、あとはイロハニホヘトの順番だったかな。
日本軍にもオイ車という重量150tもあるガンダムでいえばビグザムみたいな怪物戦車がある
@@akibanokitune あれはクソデカくて可愛くないから····
@@akibanokitune あれ砲塔無しの試走で足回りの半分が壊れて結局「この大きさの重戦車は我が国の技術的には時期尚早」って言って開発放棄した奴じゃないですか。
うん。
89式中戦車は、「ちいちゃん」(萌え)。
「そこの軽戦車!さっさと降りろ!」「軽戦車じゃないですうー中戦車ですぅー」
@鳥海誠
「根性で押せー!」「はいぃ!」
「気持ちはわかるけど意味ないですから!」
「クソ!振り下ろしてやる!このぉ!」
@@texmex_tacos
ギギギギ
「車体ってコーティングで守られてるんじゃ...」
「マウスは例外なのかも」
ゲームではアメリカの戦車ばっかり使ってたから日本の戦車に注目薄かったんだけど目から鱗というか関心した!
日本戦車はいいぞぉ…!
チハたんの「俺来たぜ!」なクソデカエンジン音とか、チヌの75mm砲の全能感とか、チリの重戦車ばりの図体とか、12cm砲をポン付け(文字通り)した日本戦車のスーパースター「キングチーハー」とか
軽油は安全性とコスパに優れてるけど寒冷地での始動性に難があるんだよね、
陸軍「数も土地も大きい厄介な相手だが装備は旧式。贅沢言わずに数を揃えるぞ」
海軍「南方作戦始めますね」
陸軍「?!」
陸軍「補給が海で沈められて全然届かないんですけれどぉぉぉぉぉ!?」
海軍「たとえタイガー戦車が100台有っても、手を引いてやる海軍が無ければ海は渡れん❗」
陸軍「うるさい❗大和や武蔵に鉄を取られて、我が陸軍は89式に甘んじて闘ったのじゃ‼️」
海軍「やかましい‼️10トン余りしか吊れんクレーンしかないのじゃ❗我が国は💢」
陸軍「海軍が、制空権と制海権を失ったせいで、陸兵等が、どれだけ絶海の小島で苦しんだか❗」
海軍「だいたい、この戦争は陸軍が始めたんじゃ❗」
陸軍「パールハーバーで爆弾落としたのは海軍じゃい‼️」
海軍「陸軍がムチャクチャ進撃するからだ❗装備も旧式な癖に‼️」
陸軍「艦は山程在ったのに、海軍がヘマしたからじゃ‼️」
二人の言い争いは、『無限に続く』ので在った。
完成が1929で名前が八九式って事は、皇暦(すめらこよみ、こうれき)を基本とした名前の付け方だったんだね。
(皇暦660が西暦0年)
大正時代が短い年号だったから昭和の年号で兵器開発した年と大正時代に開発した兵器の年号と被るから皇紀にした。
@@73moto
おー、そういう事情があったのですね。
皇紀2600年♪(そういう歌があったらしい)、が昭和15年で、西暦1940年ですね。
@@smakocchann
起源二千六百年祝歌と言う歌です。
ちなみに私は歌えたりします。
まだトヨタが自動織機を作ってた時代に戦車製造とは困難過ぎるのに、これほど高性能の戦車作れるとは本当に凄い。
村田銃といいいゼロから作って高性能な兵器つくれるのだから日本人の物作りスキルは最高ですわ。
なお基礎的な技術を飛び越して先進的な技術を人力で達成してしまう傾向があるので量産は不得意だった模様。
すごい一品ものは作れても、安定した品質の量産品と言うものには基礎技術が必須なのです。
その反省を生かしたのが現代日本の基礎技術研究なのです。
チハは中戦車というより歩兵戦車ですわな。前線を突破し敵のトーチカや機関銃陣地を後方若しくは側面から攻撃するのが目的だったからね
英国式で言えばそうなりますね
そもそも戦車戦という概念がなかったしな
そもそもリベット留めだから対戦車戦に向かない。97式までの戦車はリベット留めで、重砲の榴弾の至近弾ですら危うい耐久性。15cm榴弾の至近弾で97式中戦車はバラバラになったそうだ。1式中戦車以降から溶接になり、1式戦車は榴弾の至近弾に耐えたと記録にある。
そもそも対戦車を想定した戦車を作る技術がない模様。
@@90jgsdftype15cm程の大口径の至近弾で吹っ飛ばない同規模の戦車があるなら教えて欲しいんだが…
八九式やら三式やらの写真、30年間も過ごした懐かしい場所ですね・・・。
さて、なかなか新しい戦車技術を開発できない旧陸軍の機甲部隊の心情はいかほどだったでしょうか?旧陸軍も、関東軍の中に機甲部隊を編成しようとした時期があったと聞いています。戦車のみならす、十糎半や七糎半自走砲、歩兵輸送用半装軌輸送車、さらにシベリアの森林地帯や泥濘地を進撃するための特殊機動車両等を相当数揃える予定だったようです。しかしながら、そもそも根本的に経済力が無かった当時の日本ではどう足掻いても無理な話ですね、まして海軍などは無限とも言うほど大量に鉄を使っていましたから。考えてもみれば、戦艦大和1隻で、現代の九〇式戦車に換算しても1400両分の資材を使っていたのですから・・・。
現在でも、日本は島国だから海空の装備さえあれば防衛できる・・・などという方も一部におりますが、やはりそこはバランスが重要、旧軍の失敗を繰り返さないようにして欲しいところですね。
動画内ではニセコ鋼につひて「北海道のニセコとは関係なひ(14:08)」と云って居りますが、実は命名は、北海道のニセコアンヌプリに引っ掛けた語呂合せとなっております。それもその筈、ニセコ鋼を開発した日本製鋼所の所在地は、北海道胆振地方の室蘭市、ニセコアンヌプリからそんなに離れていないのです(地図上では)。それだけニセコアンヌプリが有名な所だと云へる訳ですね。このニセコ鋼は、所謂表面浸炭処理を施して居る鋼材でして、戦車の装甲以外に、船のプロペラシャフト等にも用いられ、これの性能は戦後にアメリカ軍に絶賛された経緯もあるのです。
初めて知った。
登場当時最強だった、というとチハたんのイメージでしたがこっちも革新的でしたか
とはいえ、日本であっちもこっちもはできず…量産も出来んしアップデートも
30年代後半ですらきついのに、40年代も一部使われるとか老骨にムチ打ち過ぎ状態
とはいえ当時、しっかりした戦車を生み出せたこと自体は本当誇らしいものです
王様「ゆうちゃん、八九式戦車をやろう。これに乗り魔王城を陥落させるのだ!!」
ゆうちゃん「王様、砲手と操縦士も下さい😡」
こち亀でもたまに部長が戦車に乗って派出所に殴り込みかけてるが、一人じゃ砲は撃てないから突撃しか出来ない
@@113g8
両津のバカはどこだー!!
@@蜀パン ドカーン!!
そういや両津と中川が、89式(恐らく)に乗った隣の派出所のメンバーから追っかけられてたな~。
確か『4巻』に載ってた。
上原謙氏出演の松竹映画
西住戦車長伝の劇中での
登場頻度は高かったです
89式や西住みほに関する
元ネタの奥深さに改めて
感服した次第であります!
日本は、兵器製造のノウハウを自前の技術力でごり押すパターンが多いなぁ。
火縄銃もそういうところがあったし。
輸入品は高額だったので、当時の日本は国産の方が安かった
戦車の動画いつも楽しみにしてます。もしまだ陸上巡洋艦ラーテを解説していなかったら是非お願いします!
🦆アヒルさんっぽくてすこ
元々の地力が高いで思ったのですが、江戸時代から寺子屋で読み書きそろばんやってた(教育されてた)のがでかいんやろか。ヨーロッパが教育に気が付く前から日常で教育が行われてたのって面白いですよね。
やっぱり日本の兵器は強い弱いは別にして、味があるから好きw。
そんな事ないで
日本軍にもオイ車という150tもある怪物戦車がある
かわる
戦車は現代で言えばスマホみたいな速度で進化していったから3年経ったら陳腐化するような世界観
当時の日本は鉄が足りなかったのです。アメリカから鉄スクラップを輸入して賄っていたくらいなので、開戦してからはさらに足りなくなります。
さらに、海軍と陸軍で予算の段階で割り振っていて、海軍の方が優先されていたため陸軍が使える鉄はかなり限られている状況でした。
そりゃ、戦車は後回しです。
資源が足りないのは航空機も同じでしたね。
零戦に代表されるように軽装甲の機体でようやく数を揃えられる位ですからここら辺の事情は例の風立ちぬの映画でも言及されてます重装甲の航空機にしたら数を揃えられない悲しき状態。
吶喊!自分は実際にヒトマル式を乗り回して遊んでる。
脆弱な戦車の改良に熱心でない理由がてっきり根性とかの精神論かと思ってしまった。
酸素魚雷も射程を伸ばす事禁止されたから
開発戦車の防御の薄さに抗議した軍人に対して「ではこの性能では任務達成はできないのか?」というクソみたいな論法で反論を封じて開発を強行したとか(軍人としては不足ではあっても「無理です」とは言えんからなぁ)。
なお根本的な原因は「予算の都合」だったらしい。
装甲を強化するにもエンジン出力とインフラ整備が足りず、強力な砲を積むにもエンジン出力と基礎的な冶金技術が足りず、エンジン回りを強化するにも予算的に開発費が足りず、数をそろえるのにも予算が足りず、結局は何もかにも足りないので精神論で頑張ってと言うしかなかった。
みんな足りていないのはわかっていて仕方なく精神論を持ち出しただけで、それだけじゃどうにもならないのはみんな分かっていたのが陸軍の悲劇ですな。
なおわかっていない者も一部にはいた模様。
@@居眠り犬
「足りん足りんは、工夫が足りん」と。
八九式中戦車と言えば、ガルパンのバレー部アヒルさんチーム!
余談ですが、御殿場市のNPO法人「防衛技術博物館(仮)」にイギリス人愛好家より、1943年製九五式軽戦車が18年ぶりに日本へ里帰りしてます。
確かに某惑星だと他国戦車には無双できる。
ただし50口径積んだ自走対空砲に蜂の巣かつ消し炭にされる方が圧倒的に多い。
対空砲の水平射撃楽しいね
椅子は操縦者だけにしか無く、あとの乗員は立ちっぱ。
ロートルだったけど、第2次大戦ではフィリピン攻略戦に投入される(悲しきかな戦車不足)
試製一号戦車で気を良くしても多砲塔戦車(僕の考えた最強戦車)に向かわず、しっかりとした戦術をもって軽戦車を求め成功したのがすごい。この発想が現在の一〇式に通ずるというのは考え過ぎだろうか。
多砲塔に向かわなかったのが賢いだけで軽戦車に向かったのはアホの一言では?ドイツ然りソ連然り戦車で大成功した国を見ると軽戦車なんぞより重戦車か中戦車。イギリスも結局防御と火力を優先した戦車が一番強いと自分たちの戦車開発で証明していますし軽装甲戦車が流行ったのもミサイル万能論とか核兵器万能論が広がった時位ですぐに装甲の硬い戦車の方がやっぱり強いって扱いになりましたからね。
@@チャリオティア 動画内でも言われていましたが、当時は中戦車という分類はなく上のコメントでおっしゃっている軽戦車というのは中戦車の先祖となります。つまり、日本はドイツやソ連と同様に中戦車を選んだということになるのです。実際、その後に作られた主力戦車はほとんど中戦車ですからね。
@@チャリオティア陸続きのヨーロッパ諸国ならクソ重い車両の輸送もなんとかなるけど、どこ行くにも船で海を渡って港で荷下ろししないといけない日本が重戦車一辺倒になってもなぁ。
@@チャリオティア
数万両のT34やKV、ISを陸で相手するのであれば強力な対戦車兵器が進化したかもしれませんが、主戦場は太平洋で陸戦も島しょ部となれば艦船、航空機にリソースを振らざるを得ないのは仕方ないかと。実際、中戦車の開発もされてはいましたが採用、生産数はわずかで、展開が容易で数が揃えられる九五式軽戦車を後継機開発後も生産し続け歩兵支援に充てるくらいしかできなかったわけですし。
@@outatime8420 クレーンの性能が貧弱でしたからな、必然と重量制限が掛かる
輸入戦車を参考に設計、特に初期型の八九式はビッカースC型中戦車にレイアウトがそっくり
九〇式五糎七戦車砲の九二式徹甲弾(実際は徹甲榴弾)の貫通力は350mで25.7mm、1,400mで20.5mm、1,800mで17.5mmで、低初速のため移動目標を狙うのは難しいものの、ノモンハンでは熟練の日本戦車兵が小隊で敵1両に火力を集中するなどして確実に命中させ撃破
都合のいい情報しか見てないよね。
隊長、撃った弾が跳ね返ります。
と、いうのが昭和の昔の古い古い資料や小説での描写で、しかし1990年代のソ連崩壊後に公開されたロシア側の正確な損害記録(ソ連時代のは少なめに申告していた)により、ソ連側の装甲車両の損失数が圧倒的だったと判明
三十七粍速射砲はBTやT-26、装甲車を余裕で撃破、短砲身五十七粍砲は徹甲弾よりむしろ、初弾命中率で圧倒する日本側(ちなみに当時のソ連軍では二発撃って距離をはかり、三発目で当てる訓練をしていた)が小隊単位で榴弾を敵一両に撃ち込むことで炎上させる事ができた
作った当時は強くても運用中に陳腐化しては話にならない
この戦車自体が強いんじゃなくて、周りが同程度か、もしくはそれ以下だっただけ。
@@stb-1461それってつまりこの戦車は強かったって意味だが、日本語大丈夫か?
@@ayaakiduki6502 ダメだね
武器学校のレストア時に勤務していた一人(レストア現場に参加は叶わず、しかし「当時の塗装に関する資料を…!」との声にアーマーモデリング誌で八九式のガレージキットが特集された時のカラー頁の事を思い出してコピーを提出+完成後の動画撮影時、傍で備品のデジカメで写真撮影と僅かながら関わりあり)として、分解時に「最終減速歯車は、フランスが採用していた内刃式の歯車」だった点は、全く知らなかった事でした
M26パーシングのように基準の変更で重戦車から中戦車になったものもあります。
今じゃ10t前後なら装輪装甲車でも軽い方。
なかなか対戦車戦闘を主軸にした戦車を造ろうとしなかったのがね、やっと造り始めるも時既に遅しでしたから。
なにしろ揚陸や輸送が重戦車だと日本軍には難しい。揚陸艦ができたのは戦争末期だし。ただ、ガダルカナルで中戦車は揚陸されてる。水上機母艦で運んだらしい
一応二等輸送艦って言う戦車揚陸用の輸送船あったけどそれも足りないし何なら輸送中に沈められるから…二等輸送艦は正面にハッチあって平だから速度が出ない
ガソリンは飛行機に使いたいって事情もありましたね。
東の勇者君の、ゆうちゃんに対する評価が辛辣すぎるw
日本の戦車は軽量であるがゆえにどこででも走れたそうで、活躍できたと聞いています。
木の橋とか渡っているからな。船から降ろすときもクレーンとワイヤーで吊り下げるから10トンぐらいが限界
活躍した という言葉は範囲が広すぎる。
強かった時期があるのは知らんかったな🤔
1920年代は軍縮の影響で規模が小さくなった陸軍を、世界大戦の戦訓を活かして装備強化で戦力維持しようとしてたある意味で技術革新期。
1930年代の軍拡期になるとそんな余裕はなくなるんだよねぇ
11:42 八九式はヴィッカースCを参考にして作られたから。
しかし、最終減速歯車が(フランス戦車が採用していた)「内刃式」と、「全てが毘式参考」ではなかった
ガソリンエンジンとディーゼルエンジンとの違いですが、今時だったらジェット燃料との共有化の点で後者が有利でしょうね。
間に合わせが一線級の性能になるのは日本あるあるですな
当面なんとかなってしまうためにマネージメントが弱くなり
現場にしわよせがいってブラック化してしまうという、、、
最初こそ勉強熱心で頑張るから良いものができるけど
だんだん怠惰になって努力しなくなり
いざ戦争になると量産性もなくてダメになる
って言う構造は現代にも受け継がれてるような気がする
初っぱなは立派な性能を発揮しても、その後の近代化改修がおざなりで、結局時代遅れになる事例が日本には多すぎる…
その傾向は現在も変わっていないと思ってしまうのは俺だけかしらん?
国のリソースがもう少しあったら、そのまま開発を続けて簡単にソ連戦車にやられないものが出来ていたかも知れませんね。。。
セガサターンの「ワールドアドバンスト大戦略」では、八九式中戦車が試製重戦車オイに進化するのが謎だった。
ゲッター線でも浴びたんですかね…
外観が、輸入したビッカースC型戦車に似ているから、けっこう参考にして苦心惨憺して作ったのでしょうね。でも、乙型の外観は日本的で好き。
それにしても日本陸軍上層部が、戦車は89式やハ号・チハのママで良いと判断したのは時代遅れに繋がったけど、せっかく大枚はたいて揃えた戦車なのに、更に新型戦車開発と生産に予算が馬鹿食いされるのが厳しかったのかも。軍備って日進月歩で金食い虫で恐ろしいな。
アメリカのように既にモータリゼーションが起こって、1940年から戦車開発しても直ぐそれなりのモノを大量に造れる技術的ベースも生産力も無い当時の日本の悲しいところですね。
う~ん、八九式中戦車は表に見えるスペックなら欧米列強と同じスペックなのでしょうが、使い勝手はどうだったのでしょうか。
例えば九七式チハは砲塔動かすのが大変だったんですけど、そういったデメリットは無かったのでしょうか?
輸送の問題は海外で戰う目的を持つ国では付き纏いますね、
第二次世界大戦下でのアメリカ軍でも輸送部隊、
とりわけ輸送艦の積載問題もM4シャーマン戦車のアップデートや新型(タイガー等に対応可能な戦車)の開発を邪魔したと聞きます、
勿論兵器調達局の局長が砲兵隊上がりで戦車に対するのは砲兵科であって戦車は対歩兵対拠点以外は必要ないとしていたのも障害となっていたらしいですが。
やはり位置エネルギーには勝てない・・・(高台制覇)
1:26
根性キャプテン・八九式は軽戦車じゃないしぃー
蝶野嫁・中戦車だしぃー
冒頭のネタだけど、シャーマン戦車の戦車兵が前面に土嚢を乗っけて装甲をアップしていたが、実はあまり効果はなく逆に重量の為車体のベアリングを痛める理由で正式には禁止されていたらしい。
パットン将軍が土嚢装甲のシャーマンの戦車兵を怒っている写真が残っている。
八九式なのに9.8トンとはこれいかに
機関銃は場所的に装填手が射手を兼任するんじゃないかな?
元戦車兵の話では戦車長と操縦手の会話は本来伝声管で行うけれど実際には使い物にならず、右肩を蹴られれば右へ左肩を蹴られれば左へと操縦していたと言う。戦車はキャタピラの回転を応用して自分で自分のタコツボを掘れ砲塔だけ出してかく座していれば走行の薄さは大した問題では無かったそうだ。
満鉄爆破事件はリットン調査団に否定されたけれど、満州国は国連に承認されたので安直にこの事件により枢軸国入りしたのでは無い。ABCD包囲網による策略の結果孤立したのが正解と言えるのでは?
日本の戦車は惑星のアイドル!
まぁ、1920年代の戦車は、ほとんどが歩兵戦車ですからね。まぁ、占守島の戦いでソ連の勢いを、これらの戦車だけで踏ん張ったんだから、凄いものです。
某ゲーじゃ大発にコレ乗っけた装備にずっとお世話になっておりますm(_ _)m
やたら弱い弱い言われるけど日本って海軍国家だからなぁ・・・一番リソース掛けなきゃいけないのはそりゃ海の装備だし世代も旧いし
空冷ディーゼルの重さの欠点に付いて考察して欲しいね
チハは相対的に弱いイメージしかなかったが、なるほどそういう見方もできますね
ということは北進論からの対ソ連としての戦車強化、強いては対米戦での善戦というルートもあり得たわけか
でもそこまでやれる物資は無かったんだよなぁ
やっぱりWW2は物量の戦争だったんですね
今もそうでしょ
宇宙で戦争する時代でも戦いは数だよって言ってたし
日本人にありがちだが、なんでも名前を変えてしまえば、許容されると考えるのは大間違いだぞ。
まして当時の戦車兵にとっては戦車戦も任務。それなのに、装甲どころか、砲まで貧弱。
その考え方は、過去を擁護しているとしか思えない発言。
見方の問題とか、そういうのは戦場では通用しないから
@@stb-1461 当時とは具体的にいつ頃よ
そこ?
この戦車が現役の時。
@@stb-1461 1932年からだよね
その時戦車戦は主要な任務だった?
ノモンハンとその後の太平洋戦争だけで語ってないか?
中国での戦闘では上手くやれた時点で兵器としては成功したでしょ
動画でも言っているように30年後半から40年の戦車の進化は早い
戦車戦が駄目だというなら新規戦車の開発配備が行えなかった軍部が問題
そのそも名前を変えれば許容される?なんて誰も言っていないわけだが
16:56 ガルパンのまほみほ姉妹の苗字は、この人から取っているね
零戦にしてもいきなり成功した物を作ってしまった以上、これより良い物を新規で開発するには時間と労力が足りなかった以上に。
一部では慢心していたんだろうか?
どちらかというと基礎工業力が圧倒的に不足していたから設計は出来ても製作が難しかった感じですね、零戦に関してはいきなりというより一世代前に当たる九六式艦戦の事実上発展型に近いです
なお、採用したら一切改修しない問題は現在進行形な模様
普通に裏で改修しまくってるらしい
基本的には、戦車は天皇の所有物扱いなので、現地改修ができなかったらしい。
トヨタは元々紡績機械の会社だからどちらかというとフォークリフトの方が本筋なんよ。
この時期のナンバリングは、皇紀をもとにしていて1929年は2589年なので、八九式ですね。
糸と向き合ってるトヨタ可愛いけど確かに向き合ってる場合では無いw
蒋介石の最大の戦果は、第二次上海事変からの戦闘で日本軍の近代化の可能性を潰したこと、という話があります。
目先の戦争が発生したことでリソースが完全に奪われました。
でも、当時の日本戦車が優秀と言えるかというと…やっぱり当社比7~8割じゃないかな? 冶金技術と基礎工業力の差が地味に大きい。
港湾や中国大陸のインフラの問題があって大型化に限界があった話も面白いですが…
ちなみに現地では装甲板を追加するのは普通にやってました
ドイツやアメリカやソ連の工業力が異常すぎただけで、当時の諸国も日本と同じく戦車にそこまで注力する余裕は無かったのが現実ですからね。
旧軍の日本の戦車や飛行機は完成時には優秀なスペックなんだけど
いつまでもそれ使ってるから他国の開発競争から遅れちゃって・・・
笑いものにされちゃうんだよね。
WW1からWW2までの間に、こう言ったタイプの戦車が活躍をしてたのね。
日本軍の九七式戦車の値段は当時で15万円で零戦より高く戦争後半に米軍やソ連軍のの戦車にあっさり撃破された事から戦車兵は15万両のカンオケと自虐になって居た。
当時の日本と日本軍の主戦場で重大高火力な戦車作っても持て余すだけだしね。
日本の戦車は歩兵支援兵器としては一流だと思うが戦争の様相は変わり戦車対戦車の戦場となり対戦車能力は大きく劣るのは如何ともしがたい。
「八九式は軽戦車じゃないしー」「中戦車だし」
当時のディーゼルエンジンは軽油ではなく重油を使っていたのでは?"いすゞ"の戦前の名前は"日本重油発動機"じゃなかったかな。ヤンマーは最後まで重油を使ってたので、重油の事を"ヤンマー油"って呼ぶオジイチャンもいましたね。
ガソリンは燃えるのではなく爆発するので、只燃えるだけのディーゼルとは違いますね。ソ連のディーゼル戦車は戦闘機の増槽みたいにドラム缶括り付けてますね。被弾して燃え出したら捨てちゃえば良いかと。米独のガソリン車で同じ事をやったら自殺行為ですが。
水冷ディーゼルはソ連のみ、空冷ディーゼルは日本のみって感じですが、M4シャーマンにもディーゼル仕様が有ったはずです。海兵隊用だから日本相手に使われたんですかね?数は少なく不評だったみたいですが。
ノモンハンではどんな武器で敵戦車をやっつけたかの資料がありますが"銃剣1両"ってのがスゴい!
日本は火災対策でディーゼルエンジンを戦車に使いましたが、トラックはガソリンだったようで、補給面を考えるとどっちかに統一した方が良かったんじゃ無いかと思ってしまう。技術レベルの高いディーゼルは出力が控えめだし、ガソリンなら航空機用の型落ちエンジン使えただろうし。
航空機用のガソリンを優先したから、ディーゼルエンジンを採用したので理由としては逆。
航空機用のエンジンと言っても当時まともに使えるのは、空冷星型しかないので、シャーマンの様なデカイ車体で整備がめんどくさい(星型エンジンは下側のシリンダに燃料やオイルがたまったり、当時の燃料は錆びを誘発する為、定期的なメンテナンスが不可欠)戦車になったと推察。
戦後の61式を開発するにあたって、要求仕様を満たすディーゼルエンジンは、旧海軍の舟艇で使われたものを流用したという話をWikiで読んだ記憶がある。おそらくだが、60年以上前の日本では、ディーゼルの技術の方が、ガソリンの技術より、相対的に上回ってたのではないかな。
主殿、89式は専従の装填手はいないよ。砲手が自分で装填する。車長、砲手、操縦手、機銃手の4人。
機動性と走破性にガン振りした結果…ああなったと…(一応、Ⅲ号戦車A〜B型には対応できる程度の能力は持ってたらしいデス)
初っ端から洒落にならないよ… 散華した戦車兵が哀れ(´·_·`)
チロとかあるんですかね?
ある
00:50 まぁ、現地改造は他の軍でも許可されない事は割とありましたよ。その上層部の命令に従わなかっただけで。
八九式は軽戦車じゃないし、中戦車だし
.45ガバメントで日本の戦車の装甲に穴空いた逸話あったなぁ…
多分誇張とかデマだけどそういう話蔓延してる日本軍戦車系の話なら結構信じる人多そう
戦後の61は兎も角としても、74・90・10が出てきたのは或意味必然だったのか。
戦車の開発過程で陸軍が海軍に装甲とかのノウハウを聞きに行ったけど教えてくれなかったらしい
江戸期に蓄積された基礎学力と技術のおかげで明治以降も欧米の技術に食らいつくことが出来たけど、資源と基礎工業力がボトルネックになってしまうのが当時の日本の哀しいところ。
戦車はそれに港湾・鉄道の事情も加わるわけだけど、アメリカなら恐らく大陸側にもごっつい港湾をこさえて対応しただろう。
仮に日本軍の戦車が最後まで世界最強だったとしても戦争には負けてただろうなあ…
制海権や制空権取られたらどうしようもないし、ドイツの戦車は世界最強と言っても過言じゃなかったのに負けたし。
いや、普通に増加装甲、増加装甲まがいの追加装甲などがされてましたよ。
ちなみに九七式中戦車増加装甲型はプラモデル化もされていますし、装甲代わりに履帯を砲塔や前面装甲各部に貼り付けた車体。
空間装甲的に支柱で車体前面に増加装甲を付けた車体。敵戦車の装甲板を剥がしてポン付けした車体など、割とバリエーション豊富でした。
いまではスイスイと農業機械や中古車を海外に運んでるんですよね⛵
日本が戦車を供与するわけにはいかないから、軽くて小回りのきくコンバインやトラクターを求められるんだろうか
日本の戦車が強いというより当時の混迷期を迎えた中国がガタガタ過ぎて無双できただけって気もするが・・・
松本零士のマンガで日本の戦車はブリキの棺桶!と、刷り込みが
実際その通りだよ。
まさにリアル最低野郎
日本はあくまでも歩兵支援用に開発して運用してたから、対戦者戦闘をそもそも重要視してなかったはず
そもそもこの戦車を設計していた時代には戦車戦という概念がなかった。
本音で言えば、その用途の戦車しか作る技術がなかった。なんせそっちの方が高スペックを必要としないので簡単だから。
やれば出来たけど、やれない要素が色々あった、ってことなのかな?
島国の宿命でどうしても海と空が重視されるし。
「トヨタなしで戦車の開発とはな。」
ガンバレ、ミツビシ!
戦車はトラクターの進化形、米英独露どこも国産トラクターから戦車を開発してる
戦前の日本は国産トラクター作れないのに戦車を作るという蛮勇を振るったが、基礎がないので結果的に技術の進歩についていけなくなった
根性~!!
突撃ー!
当たらなければどうという事はない。
性能の差が戦力の差ではない
っていつもアイマスクしてる少佐が言ってました
@@akibanokitune その直後に敵の兵器を化け物って言ってた気が
日本の技術力は世界有数かもしれないけど、上に立つ人間がだめだと進歩できないという欠点があります・・
技術はあった、しかし戦争は数だよ兄貴!
いかに短時間で数を揃えられるかが不足していたし、職人魂は戦争に向かない。
今の日本なんかまさにそれだわな
政治屋どもが日本をどんどんダメにしやがる