[ゆっくり解説]奈良時代の食事
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- Опубліковано 20 жов 2024
- この時代、貴族に限らずご飯を食べれる人は誰でも器に山のようにご飯を盛っていました。
そうすれば、神聖なお米に神様の力が降りて来ると考えていたからです。
その名残りで今もご飯を「盛る」と言います。今は昔ほどご飯は盛りませんけどね。
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参考文献
・イラスト版 たべもの日本史
・日本食生活史
・日本の食文化史
・日本料理とは何か
・平城京のごみ図鑑
・歴史ごはん(第1巻)
・「和の食」全史
若い頃、長屋王邸址の発掘調査に参加していました。出土した木簡(荷札)に書かれていた内容がすごかった。
都祁村に氷室を持ち、夏はワインを冷やして飲み、干しアワビは三重県の志摩からお取り寄せ。鰹節は千葉県の安房付近から。
橿原市の耳成山付近に菜園、奈良市北部に牧場と乳製品加工場があって、毎日新鮮な野菜と果物や乳製品が届けられ。犬や鶴にまでえさとして白米を与えてました。
そういう傲慢さが身を滅ぼした要因なのでは?
鰹節ってこの時代あったのか?と思ったので調べてみたら、なんと原型は飛鳥時代からあったんですね。和食の起源って意外と新しいものもあれば、びっくりするほど古いものもあって、面白いですね。
凄い内容の書き込みです。
ひたすら感謝です。
長屋王の時代にワインなんてあったんてすか?てっきり明治に欧米からと思っていましたが…🍷
@@江戸城の正成像 奈良時代のことは分からんけど、戦国~江戸の細川藤孝の時点で国産ワインの研究やってたね
おれの貴重でもなんでもない時間を幾らでも捧げて良い動画。
江戸時代のゆっくりは沢山ありますが、奈良時代は初めてですね。今後もよろしくお願いします。😉
確かに江戸時代は食事系の解説動画多いですね。
奈良時代はネットで調べても情報量が少ないので、その分ハードルが上がるんです。
これはもう何冊か本を読まないと作れませんね。
いつか江戸時代の食事動画も作るので(その際は恐らく何本か作ると思います)、その時はまた暇潰し程度に観に来て下さいませ。
奈良時代の木簡には、案外鹿や猪等を税として収めた史料がたくさん出土するので、都には肉食の習慣はあったようです。(奈良時代に仏教で規範に肉食を禁じる法令が出されるのも、肉食の頻度が高かったためとも言われています。)
また、庶民の食事と紹介された玄米と海藻スープだけではカロリーが足りないので、川で魚、山で獣肉を調達していたものと歴史家は考えています。
奈良時代の食事に関しては関根真隆「奈良時代の食生活」という名著があります。
ゆっくりの歴史解説系はよく見ますが、食に特化したところは珍しいですね。
チャンネル登録させていただきました。
資料が少ない時代もあると思いますが、ゆっくり続けていただければ嬉しいです。
食事を中心とした歴史チャンネルを探していたらここを見つけました。時代によっては資料が見つかりにくいものもあると思いますが今後も頑張ってください。
お、ありがとうございます。
そうなんですよ、時代によっては全く資料が見つからないんですよ。
特に難しいのが古墳時代で、ここは多分現時点では独立した動画は作れないかなと思います。
飛鳥時代は何とかなるかもしれませんが。
色々本を読む必要があるので、動画を作るのに時間がかかりますが、ちょっとずつ充実させていければいいかなと思います。
こんばんは!
今回の動画も大変勉強になりました!
私の祖母は明治時代終わりに生まれ
白いお米は口にする事が殆どなく
食べたいと願ってやまなかったと
聞いた昔の話を思い出しました。
日本人の昔からの食物の事を
改めて勉強させて頂きありがとうございました。
いえいえ、こちらこそいつもご覧頂きありがとうございます。
昔の人はやはり白いお米に憧れたみたいですね。
軍隊に入る動機の一つが「白いお米が食べられるから」というものでした。
また、関ヶ原の戦いのあとに西軍の主力を務めた宇喜田秀家という人が八丈島に流されるのですが、この人の終生の口癖が「一度でいいから白い米を食ってみたい」というものでした。
これからも分かる通り白いお米はずっと日本では高級品だったみたいです。
それが今は普通に食べられているのですから、日本はよほど豊かになりましたね。
ただ、その代わり白米は栄養価的には劣等生で、雑穀が色々入った食べ物の方が圧倒的に栄養は優れています。
@@yukkuri_rekishi_gurume 様
コメント返信頂きありがとうございました。
やはり昔の方々は白米が貴重だったのですね。
決して贅沢ではないですが、
雑穀で栄養補給をされてた事に
昔の方々の知恵を今現在恩恵を受けてる
ありがたさに感謝です。
いつもありがとうございます。
@@yukkuri_rekishi_gurume 軍隊の兵卒が食べるご飯の量は、一食二合で一日六合。
体を作るために沢山ご飯を食べたのです。
(おかずよりご飯が多い)
今の高校球児も、体を作るためにどか食いしますよね。
すごく面白く拝見しています。
広告無くて、好感!
自分の食生活を見直すために、今勉強中です。
ありがとうございます!
初めてこちらのチャンネルを見させていただきました。某マンガからこの時代に興味を持っていて、さらに昔の日本の食事にも興味があるので楽しくは意見しました。機会があったらまたこの時代の食を取り上げてほしいです。
オープニングのセリフにビックリしてチャンネル登録しました(笑)
石麻呂さんの返し歌、良く覚えてないけど、そういうけど取りに行って川に流されちゃったらどうしようもないよねだった気がする。この二人の歌を知ったのは40年前の中学生だったけど、もううなぎが食べられていたんだと感動した。後で蒲焼きとは別物の生臭い調理法だと知ってがっかりしたけど。体系的な紹介があまりないから、とても面白い。資料が少なくて苦労されていると思いますが、ゆっくりマイペースで続けてください。
あなたへのおすすめに出てきました!私はゆっくり歴史解説をかなり見ているので、同じ層の人がこれからたくさん登録してくれると思います!これからも頑張って下さい!
先に、平安時代の料理があって、奈良時代を見つけました。あっ❗と、驚いた次第です。
①蓮の葉で包んだ蓮の実入りのご飯、②お菓子(干し柿、草餅、煮小豆)、③漬物(ナスと瓜を醤に浸けた物)④漬物(塩水に浸けて発酵させた物)、⑤蘇(牛乳を煮詰めた乳製品)、⑥アワビの焼き物、⑦筍、フキ、菜の花の炊き合せ、⑧車海老の塩焼き、⑨水で戻した干しナマコにトロロとワサビを添えた物、⑩干し蛸、⑪生牡蠣、⑫鹿肉の塩辛、⑬鮭の刺身、⑭蓮の実入りのご飯(①の中身)⑮醤(醤油の原型とされる調味料)⑯塩、⑰鴨肉と芹の汁
皇族や貴族と言う特権階級………税を納めさせられる側の、各地の山海珍味を、平城京跡の木簡や生ゴミを長いこと、念入りに発掘する人たちによって判ってきたことだ、と脱帽します❤️
確かに当時の食生活は調べた人達はほんとすごいと思いますよ。
これはかなりの根気強さがいりますからね。
一種のオタクでなければ出来ないことです。
歴史系食事専門ゆっくり動画ははじめて見ました。
面白いですね。
チャンネル登録させていただきます。
何本かに分けて詳しく解説してくださったら嬉しいです。
チャンネル登録ありがとうございます。
そうなんですよね、やっぱり一本だけだとどうしても紹介できる内容に限界があるんですよね。
補足動画作るとしたら、一通り作りたいもの作ってからになるかもしれません。
面白かった。食いしん坊は聞いちゃうな、食べ物の話。
あ、こういうコメント嬉しいです。
ありがとうございます!
この乳製品が後に廃れ、幕末やっと「欧米人の力の源」なんて紹介されるんだから不思議
米だけより
雑穀のほうが栄養あるような?
たんぱく質もいろんな穀物のほうが
雑穀の方が栄養ありますよ。
お米も古代米のように赤とか黒とか色が付いていれば栄養豊富なのですが、白米にしてしまうと栄養が抜け落ちてしまうんです。
でもこれ、数十年前まで分からないことだったんです。
@@yukkuri_rekishi_gurume 今は割と雑穀ムーブ。でもスーパーで日本古来の粟キビひえが手に入りにくくて悲しい。
平安時代の貴族が白米ばかりを常食して病弱が多かったと聞いたことがあります。
比して地方の国司(武士)はやむなく玄米や雑穀に獣肉を食べていたたのですが、
体格がよく強靭であったそうです。
@@zhicun99 平安時代の貴族は山盛り盛りつけられて、残したのが仕えてる人達のご飯になるから余り沢山食べるのを良しとされてなかったらしい。貴族のお姫様なんか栄養失調で死んだりしてたんだとか。
日本史で食生活の解説面白いですね
ありがとうございます!
古語の発音とか詳しすぎて「この人何者だ?」って思ってたら小説家で草 流石でごわす
でもアマチュアですよ、アマチュア。
醍醐味の語源だよね。
長屋王の失脚、本当の理由は
『食物の恨みは恐ろしい』
ですね。
長屋王の変は、藤原四兄弟の陰謀に絡まる冤罪の事なんですよね。宝塚歌劇団で観る機会があり、珍しい奈良時代の時代劇だったので、印象深いです。
大雑把に言えば、長屋王に罪をきせて妃や子供たちまで自害に追い込んだらしいから藤原政権確固のために邪魔だったのでしょうね。だからといって、長屋王の末裔がいないのではなく、藤原系の妃腹はいて、時代を経て、高階だったかな❔たびたび、直系・傍流など、有名どころだけでも、そこそこいますし。
広大な私有地を持ち、飛鳥近辺の田畑から毎日、新鮮な野菜や米などが運ば れただろうし。他にも、山林、炭焼き処、銅造所、鋳物所、氷室など所有していたり、建築用の木材や加工用の木炭をも生産している。邸内では、穀類、食膳、酒、染色、水、薬、医師、庭園、馬、犬など監理する部署があり、鶴まで飼っていたらしいから。天皇に匹敵するほど豪華で優雅な暮らしだったようです。
とても楽しく見させていただきました。「醍醐」は、特上のお酒と聞いたことがあります。お酒は、その昔は、女性が米を口に含んで噛み、発酵させたとか・・「醍醐」は、何度も漉して作ったとか・・??分からないことだらけですね(^_^)♪ありがとう!!
アイザック アシモフ『”昔に戻ろう”と主張する人は、自分がその時代の特権階級に所属する事を前提に話をする。何をおっしゃる。我々がその時代に生きていたら、奴隷か貧民となるのが関の山だ』
過去へのあこがれって上流階級の暮しだけをみて抱く事が多い、特に食事面じゃ顕著ですな。
味の素が食の専門図書館持ってるから行ってみると重要な資料とか閲覧できるよ。
貴重な物は貸出できないらしいけど。
実は江戸以前の食事が健康に良い説。
う~んこれは良い時間泥棒(*´ω`*)
チャンネル登録ボタン2回押しました!
もう一回押しました!
昔の農民は貧しいって口をそろえて言うけど 実際そんなことはないのではないでしょうか(もちろん貧しい人はいるだろうけど) 奈良時代にしろ 無名の防人が詩を読むくらいの文化があったわけで みんなが食うや食わざるやとは思えません。ただ、農業生産力から考えて 毎日米(玄米)を食べられたとは思えないですが 穀類は十分に食べられ 自然の恵みからある程度のタンパク質を採れる程度の食生活はしてたと推測しています。
その国の豊かさって人口増加率でも分かるんですね。
奈良時代の人口は約400万人と言われています。
それから数百年経った10世紀の平安時代が約500万人。
増えたのは約100万人。
江戸時代が続いた年数と合わせるために8世紀から10世紀まで大体260年経ったとします。
それならその江戸時代はどのくらい増えたのかというと約1500万人から約3000万人になりました。
それなのに奈良時代では人口の増加があまり行われませんでした。
天然痘が猛威を振るったというのもありますが、やはり人口を増やせるほどの食料が確保できなかったからなんです。
もちろん上の人口は見る本によって違うんですけどね。
内容すごく面白いのにBGMが落ち着かなくて集中できないのは私だけ?
犬や猫の様に自分達の穀物を守る為に必要な動物は禁忌しても、それを荒らしに来る猪や鹿のような害獣を食べる習慣を絶ちきるのは無理だろうね。
稲作なんか縄文時代からやってた訳だし、獣肉を食べる習慣は日本の国号が出来るよりも遥かに古く伝統があるから。
仰るように1万年以上続いた食文化をいきなりやめさせるのを無理ですね。
一時的にストップさせることは出来ても完全になくすことは出来ません。
日本人は米と野菜と魚をよく食べていたと言われますけど、本来ならずっと肉食をしてきた民族です。
ウサギは一羽、二羽と数えたり猪は山鯨と例えたりして公然の秘密で食べていた。
@@宗岡亮博-u5s
焼肉の起源になってる鋤(すき)焼きなんか最もたる例ですよね。
【※今現在のすき焼き(実はすき鍋)の事ではなく古くからある本物の鋤焼きの事。】
肉を食べると穢れるのはきれいな食器で食べるからだ、ならば汚い農具の鋤(すき)を使って食べれば穢れないだろうって笑える屁理屈😂
奈良時代は疫病災害が多くて大変なときだからなあ
去年の春先、蘇を作るのSNSでめっちゃ流行ったよね☆
牛乳と時間が有り余ってたからw
あ、そうなんですね。
それは知らなかった。
それにしても随分と優雅な料理が流行ったなぁ。
これ作るの相当大変みたいですけどね。
@@yukkuri_rekishi_gurume
疫病蔓延で仕事や学校が休みになって暇を持て余した平民と、給食用の牛乳が余って困るという状況が作った奇跡ですねw
すゑひろがりずっていう芸人さんもUA-camで蘇を作ってました☆
貧しい食生活とは言え当時の人は貧しいと思いながら過ごしていたのか
それとも食うや食わぬやが当たり前で割とへっちゃらだったのか
飽食故に食べられるものを捨てる。腹いっぱい物が食べられるようになったのはほんの一瞬だというのに
時間を奪われたーー!!
観に来て下さってどうもー(笑)!
投稿お疲れ様です。
UA-camの仕様はよくわからないのですが、評価ボタンを2回押せって言われたので、右のボタン→左のボタンの順で押しておきました。
つまり高評価を押してくれたってことですよね?
ありがとうございますー!
明日香村で蘇を食べたけど、ミルキーみたいで美味しかった。
蘇と熟鮓の印象
お腹いっぱい食べる事は難しかったのかな
に、2回ずつ?
おっと、手が滑って3回ずつ押しちまったぜ。w
奈良期の日本語は、発音自体まるで違ってたそうです。
庶民は甘味どころか塩すら入手困難だったかも。
最初に「牛乳って煮沸すれば飲めるんじゃね?」って発想した人何気すごくないか??
ゆっくり解説がめまぐるしい解説に聞こえるのは年を取ったせいだろうか
肉食禁止令でその内魚も食べなくなるって、魚肉まで含まれているのか?
P→F→Hの順番で発音が変わっていくんだとすると、Hの発音が苦手なフランスはFでとどまってるって事?
そうめんというより、ベビースターラーメンですね!
昔、後醍醐天皇の好物だったから、『醍醐』と言う名前がついた・・・とか聞いた覚えがあります。
それ、逆。仏典の中に出て来るインドで作られていたバターのことを中国語に翻訳する時に、
醍醐、
と言う言葉が当てられ、
それが平安時代の天皇陛下の諡(おくりな)に採用されたのが歴史的事実なのです。
醍醐は仏教用語ですよね。だから、仏典を教科書にして文字も学ぶんですよね。聖徳太子(厩戸皇子)の冠位十二階制(今でいう実力ある官僚登用制度)や十七条の憲法(人間として守るべき基本的憲法)が出来上がっていると学校で学びますからね。
鉄板用語の祖・調・庸の税の取り立てシステムは、この時代でしたし。酪・蘇・醍醐も、鉄板用語。その上位に当たるからつけられた可能性大かもしれません。こちらは乳製品をあらわしています。
@@菅沼域雄 さん。
なるほど。教えてくれてありがとう~~。
@@ae3779 さん。
一つの言葉についても、面白いものですね。ありがとう~~。
蘇はCOVID-19流行の初期にSNSで流行りましたね
乳脂肪多めの牛乳をひたすら煮詰める人が続出しました(もちろん自分含め)
昔飛鳥の地で入手した「飛鳥の蘇」と同じ味がしたので多分成功だったようです
醍醐は昔テレビで復活させてたな…蘇見たいな物を何ヶ月か発酵させて真ん中の濃厚な部分を爪楊枝ですくって食べてた気がする。
仏様に供えるのに山盛りのご飯にするのは何時頃なんでしょうかね?
多分飛鳥時代か奈良時代だと思います。
もう仏教が入っていますからね。
でも勉強不足で、明確に「この時代」って言い切ることが出来ません。
長屋王は血統もあるけれど、女帝の娘であり女帝の妹の夫、というのが大きいと考えられます。
その結果、その皇妹筋の子が皇孫として皇位継承権を持ち、長屋王一家が謀反の疑いをかけられ殲滅された。
奈良時代にはお酒造り専門の役所が朝廷の宮内省に設けられ、貴族たちが嗜むためや豊作祈願の神事のために日本酒を造っていたのですよねぇ。
お酒を始めとしてそれぞれ専門の部門があったみたいです。
確か氷専門とか乳製品専門とかそういう部門が色々あったはずです。
そこら辺は本でパラッと読んだだけだったのでほとんど頭に入ってないですけどね。
蘇が出てきましたので一言を。蘇はチーズのようなものから餅っぽい説がありますよね。
蘇の瞑想というのがあると「ムー」で知ったことがありました。アタマに蘇を乗せてそれを溶けて中に染み渡らすイメージの瞑想法だそうです。
となると蘇はやはり柔らかい物で出来てたんじゃないかと。ムーから知った事ですけどw
牛乳を温めると湯葉という膜が出来る。煮詰めるとチーズも出来る。なるほど、ではスキムミルクではどうだろうか?
好奇心の強い子供の私は、脱脂粉乳のスキムミルクを火に掛けた。
焦げ付いた。とほほ…(T_T)
当時租は口分田収穫の10%ぐらいしか収めてなかたったんじゃなかったけ?
米は食えなかったというより食わなかったったんじゃないかな
醍醐が好きすぎて諡号にされてしまった天皇がいたらしい。誰かは解らんが
醍醐天皇「こんにちは!」
(ただ、近くのお寺が名前の由来という説もあるようです)
8:18 ソーメンを練ったもの。それって、長崎新地(中華街)で売っているヨリヨリみたいなものなのかな?
この頃の下級役人ってメシもまずければ社宅もクソで、制服は1人1着1年に1回支給とかいうドブラック…
千夜一夜物語にハチミツをかけたソーメンがスイーツとして出てくる。めちゃくちゃ違和感あったけど、日本でも麦縄として食べられてたのにびっくり
ソ、酪、醍醐、ヨーグルトみたいなもの、チーズみたいなものはわかったけど、牛乳を煮たら一番自然に出来やすいバターはなんで無かったんですかね?保存も出来るし、調味料にもなっただろうに。
脂っこいものが苦手だったのかな?
最近、和食の歴史という本を買ってみましたが、縄文時代から現代までの食材が結構載っています。
醍醐ってインドの乳製品ディーガから来てるというのは本当なんだろうか。
それは初めて知りました。
というかディーガそのものを初めて知りました。
ネットで調べてみたのですが、情報が全く出ないところを見るとそれは失われた古代食か何かなのでしょうね。
日本の乳製品は大陸由来の物なので、インドが起源になっている可能性は十分あります。
@@yukkuri_rekishi_gurume 昔本で読んだもので、どの本だったかが曖昧です。 インドに取材に行った本の中で現地では「ヨーグルト的なものを指してディーガと言っていた」という事だったか、「釈迦が悟りを開いた後で最初に飲んだ乳製品がディーガ」という話だったか、飛鳥奈良時代の酪などの説明をしていた時に「元はインドから来たもので…」という話だったか… 後者ならたしか唐津一氏の本だったと思いますが記憶が曖昧です。参考にならずすいません。
@@HarunaShimakazeさん
あ、いえいえ、そんなことないですよ。
とても参考になりました。
貴重なご意見ありがとうございました。
コメントで補足して下さる方がいるというのはありがたい限りです。
仏教の生まれ故郷はインドであることから、3ルートを通って日本に来ています。
草原を経て伝えられたルート。砂漠から伝えられたルート。インド亜大陸から海上に出て、島々を経て伝えられたルート。仏典で勉強するから、酪(チーズやヨーグルト)(江戸時代はミルクを差し、八代と十一代将軍が愛飲)・蘇(生クリームやコンデンスミルク)・醍醐(バター)が作られるようになった。七世紀末〜平安時代中期の半ばまで、諸国から都に納められ、貴族の宴会などに出された。その後、廃れているので、軍事貴族の持つ馬が重要視されたとみられる。
仏教そのものではなく、ミルクロードと銘を打っていたため、丸写ししながら、勉強した成果です。
災害でトイレットペーパー売り切れたら木簡。と覚えました。先達に感謝。
蘇って温めて食べるとおいしいらしいと聞いたんで電子レンジでちょこっとだけ温めるといいらしい
これがほんとの『蘇チン』
上手い(笑)!
てか下ネタか!
おかずク〇まずと文句を書いた役人が特定されない様に砕いたのでは。
ヨーロッパの言語でも比較的新しい部類の言語は
お父さんがF音で古い方の言語はP。
最終的にはHに置き換わるという歴史をたどるらしい。
けどこの頃から既にその辺でゴロゴロしてたのが寝子(ニャンニャン)だった訳だよな、千ウン百年も性格が変わってない訳だし。
奈良時代のネコは貴重な生き物で、ネコを飼うことは貴族のステータスのようなものでした。屋敷の中で大切に飼われ、逃げないようリードをつけていたりしていたそうで、「その辺でゴロゴロ」というのはちょっと違いますよ。
ネコが外飼いされるようになったのは15世紀に入ってからです。いまの「にゃんぱく宣言」は、奈良時代のやり方に立ち戻った形です。
この時代農民は、税金代わりの米を作りながら農民は、インコの餌を食ってたのか。
醍醐寺の名前の由来は醍醐を作ってたからなんですか?
いや、それが全く分かりません。
何冊か読んだ本の中には何も書いてありませんでした。
全然、関係ないと想う。平安時代初期、醍醐天皇によって勅願寺となった真言宗醍醐派の総本山ではありますが。
むしろ、醍醐の花見を催した太閤様ゆかりのお寺とだけ覚えておけばいいんじゃないでしょうか。正室である北政所お寧々さんを筆頭に、後継者生母の淀殿など、秀吉の側室や諸大名の家臣まで参加した豪華な宴会が行なわれたところですし。以前、福井県から京都府まで一時間ぐらいで桜🌸を見に行けました。
三宝院の庭園は太閤山が作庭させたので、古代のものとは違いますが………。
@@ae3779 この前醍醐寺に行ってきました
名前の由来は山の湧水が醍醐味(五味において最上の味)ということから来たみたいです
@@hikarimon0 さん
やはり、仏典に関係あるそうです。弘法大師空海の孫弟子ゆかりの寺院で、観音さまを衣笠山頂上にお迎えして開山したのが始まり。その際、同山頂付近をそれにふさわしく「醍醐山」に名付けたようです。
醍醐じたいが、仏典の教えを日本人流にアレンジする際、比喩の対象として、醍醐(酪・蘇・醍醐の鉄板用語にちなんだ)を用いたものと思われます。醍醐寺の前に書いた勅願寺とは、神仏に願い事を行う寺社で、勅願寺とは天皇によって祈願をする寺社の事をさします。特に、醍醐天皇の御代は、菅原道真公の祟りで清涼殿落雷事件があった時期です。
@@ae3779 そうですね
酪農の酪
なんだか歴史を感じる。
長屋王に祟られて・・・・・
そごうが潰れました!
ざっと見ていて思ったンですが、奈良時代の貴族階級の食事は、後の日本料理とは『無関係』な気がします。奈良時代の貴族階級が渡来系民族の子孫だった点から考えれば、日本で手にいられる食材で何とか作り上げた『外国料理』と言ったところでしょう。
特に気になるのが、近代まで民間には全く広まらなかった乳加工食品が存在している点です。日本人は遺伝的に乳加工製品の消化吸収能力が低いので、奈良時代の貴族階級は人種的にも『純粋な日本人じゃなかった』のかも知れません。
あー、言われてみればそうですね。
その視点はなかった!
でも確かにアジア系の人とアフリカ系の多くの人は乳糖不耐症って言いますね。
まあ、アメリカの人とかも牛乳からカルシウムはなかなか取れないらしいですけどね。
アメリカでそういう実験が行われていたんですよ。
奈良時代の貴族の人達は確かに縄文由来の日本人とは違いますね。
やっぱり渡来人との混血の影響がこういうところに出ているのでしょうね。
貴重なご意見ありがとうございました。
醍醐とか蘇とか酪とかいつから日本人は乳製品を食べなくなったんだろ?
史学ではなく民俗学でも調べてますか?
千葉県佐倉市にある国立歴史民俗学博物館には食べ物の展示が多数あります。
「肉食禁止」そうかいそうかい。なら雑食の自分はお咎めなしだな。
うふん。お陰様で時代区分って
何なのか分かりました。
究極の飢食として土粥なるものがあるとかないとか
薭 雑穀米
猪鹿蝶蝶は何かな?
笑い飯のネタかと思った
えぇ土ぃー
A君とB君が~さわってはいけないJ文式土器を~
この時代の人々は主に野菜や魚を食べ、今のように肉を口にすることはありませんでした。
食後はプリン、ヨーグルト、イチゴにシロップのようなものがかかった物を飲食し、ww
ぺこぱのしゃべり方は奈良時代のしゃべり方だったのか なるほど
この時代の一般の人は茹でた野蒜を食べてたっていうのは聞いた事ある
食べ物の怨みは本当に怖いですからねぇ
食指が動く…
…の故事よろしく、食べ物の怨念の至った先が、
好物の食いっパグレの逆怨みから
国公殿下の殺害と国家を傾けさせる…
なんて事態に行き着く始末(笑)
昭和時代の食事の特集なんてのは?
初期と末期で全く違ってたりして面白いと思うのだけど。
かくいう私も昭和40年代以降しか知らないが。
夜食が美味しくなる動画
奈良時代の人々の暮らし!
アワ!カーッ!ヒエ!カーッ!
(笑い飯のネタ)
つい…すみません…
カーカーカーカーうるさいなぁ!
@@RAYLA1520
そんなスーツなおす動きないねん!!!
青山とかや!それは!!!🤣
@@ジョニー-s2b
パーパーパー♪
@@RAYLA1520
しつこくてすみませんが…
「エエつちーーッ!!!」🤣🤣
@@ジョニー-s2b
カキーン❗カンゲキーン‼️
(こちらこそ、しつこくてスミマセン)
奈良時代の肉食禁止令は確か牛馬犬猿豚だったはず、猪や鹿や野鳥は冬季には農民を始めとした山間部の住民や国司にとって一般的な食事として肉を食べていたはずです。
食べなかったのは都にいる貴族くらいで地方の貴族や役人は普通に猪や鹿を食べてたと聞きますね
(肉食禁止令)ガーン(←ショック受ける肉主食のバ怪異)
・・・貴族の人たちって、いいもの食べてますよね?
(※この後、天竺から来たえらいお坊さんに無事シバかれます)
だめだ、奈良を聴くと、
奈良づくしが…。
キューピン縄文クッキング!
私は玄米と干物に野菜や多種の乳製品を常食しているのですが至って健康です。
甚だ悪しwww
私の知っている豆餅と写真の豆餅全然違う
発音の違いに興味持った人は着ぐるみ言語学女の子のminerva scientiaちゃんを調べてみよう
庶民は肉の方をよく食べてたんかな
自分で作った米を生産者が食べられず、しかも貧しかった…いつの時代も権力者は腐った人間って思う😡
貧しい貧しいと現代的な目線で見るなよ~おれたち それでやってきたんだからさぁ~子孫よ先祖を敬うんだ(; ・`д・´)
貴族が上級国民に変わっただけで食事格差は変わんないんだな
非常に為になりましたが、
やはり、奈良づくしが。
_| ̄|○
わかる人、おる?
ファルファアケボンノって言ってたんだよね。
本当に近代までは一般庶民なんて原始人に近い知能しかなかった。
知恵も知識もないから権力者に逆らおうという意識は皆無で
ただ食料を生産しそれを権力者に収めていた。
権力者は庶民に知識を与えたらその中から有能な者が出てきて
下剋上を起こし自分たちの甘い汁を奪われるリスクがある。
だから庶民にはわざと学問の機会を与えなかった。
こういう事実を考えると近代までの権力者の統治政策というのは
まさに庶民は生かさず殺さずだといえる。
まじにムカつく!
フランス革命は起こるべくして起こったし、現在だって
皇族どもは勘違いして本気で自分たちは貴族とでも思ってたら
最後はマリーアントワネットのように民衆の間で断頭台に立たされる可能性だって
否定できないだろう。
「長屋」王なのに贅沢出来てたのはなんか草。