Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
訂正 こんな感じ! とか言いながら旅順港の地図が映っていない問題。レイヤーの層の問題で映ってないですが、さすがにこれだけのために再投稿するの面倒なので、各自遼東半島でググってちょ あと、乃木閣下の写真も顔はみ出てますが、そんなもんみんな顔くらい知ってるよね?
MS 08P 心の目で見えました。大丈夫です。
( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン大丈夫だ
乃木大将の扱いwww
乃木さんってなんかいつも不憫な扱いされるよな…w
@@おてもやん-n2y 俺はPCの横に乃木閣下の写真が額縁に入って飾ってあるし、これくらい日本人なら当然。したがって写真などなくても顔はわかるはず。
第2次世界大戦でのセヴァストポリ要塞攻防戦では、名将マンシュタインが指揮を執り戦車や航空機を投入したのに足掛け1年近くかかった。結局最後は、新旧・大小問わず合計1,300門もの大砲をかき集め猛砲撃を加え、正攻法で攻撃しなければ落とせなかった。時代が変わっても要塞を攻め落とすのは大変な事なんだ。そんな難攻不落の要塞を4か月半で攻め落とした乃木大将は稀代の名将だと思う。
28センチ砲をはじめから投入していたらなあ~。
旧帝国海軍の大躍進(日本海海戦)の陰に埋もれてしまった旧帝国陸軍の躍動…これが歴史なんだよなぁ…
登録者が一人増えるたびに自国にテポドンを撃ち込む金正恩 後半ほぼ(大陸打通作戦とか除く)グダグダのゲリラ掃討戦と化してる定期
ロンメル元帥 そもそもwiki見たら日本軍の勝利が多かったから日本軍sugeeee!ってなったけど、実情を調べたら絶望したゾ..
まさに討匪行
@@Итоскаяимперия 明確な目的と計画なしで戦争を始めてはいけないという教訓>日中戦争
機関銃の十字砲火に対して即座に塹壕を掘って進む正攻法は全くの大正解。10年後に起こる第一次世界大戦も同じだったように乃木は有能だった。なのに司馬遼太郎の坂の上の雲では愚将と言い切ってる。ほかの作品でもそうだけど「司馬史観」って眉唾ものなんだよな。
司馬氏も戦後の左翼史観に対抗するため持ち上げられた面があります。歴史学会が凝り固まっていたので歴史小説家ぐらいしかまともに歴史を見ようとする人が居なかったんですね。まぁそれも戦前の皇国史観があって…とキリが無いですが。ただ、所詮は小説家。資料を突き合わせて徹底検証したりはしていませんし、自分(作劇)に都合のいい資料を取り上げ過ぎたりしています。ここ20年ぐらいでやっと本格的な歴史検証が始まっていると思っていいぐらいです。依然鬼面人を威すようなトンデモ説を上げて面白がったマスコミが使っちゃっている場合も多いですが
司馬遼太郎氏は陸軍に親を殺されたかってぐらい陸軍恨んでるからな。
明晰夢を永遠に見ていたい男 彼は戦争を体験してますからね。
眉唾じゃないですよ
今みたいに簡単に情報が手に入らない部分もあるし、たまたま手にした資料が乃木に批判的な人物が書いたものだったとか考えられるけど物を書くなら中立であるべきだよね。偏った思想で国が滅ぶのを体験したはずなのにとても残念。
昔から地図上をうにゅ~っと矢印が伸びて進軍ルートや攻勢の状況を表すような動画が好きなんだよな。なんならそれと解説のナレーションだけでメシが食えそう。
rook seventhrank なんか昔の戦争の動画でも進軍ルートとか表されてると理解しやすいよね
@@eratosthenes658 前線の人間模様に焦点当てすぎて主人公たちが何のためにどこで誰と戦ってるのかが全くわからなくなったりしますからねw
rook seventhrank そうだよねwww
そんなあなたにはハーツオブアイアン4がおすすめです
Hoi4は見るのは好きだけど多分やったら発狂しそう(小並感) 、まぁやるならやっぱEU4がNo1やな!
後のWW1における攻城戦と比して、損害が少なくしかも短期間で攻略しています。日本軍には当時戦車も航空機もありませんでした。欧州から多数の観戦武官が派遣され、後にWW1を戦っています。旅順攻囲戦は、世界戦史上特筆すべき戦いだったのでは?乃木大将ほど史実と通説とが乖離した人は居りません。
当時は国民にも塹壕戦とはどういうものか当然知らず、戦死者がどんどん増えていっているのをみて乃木将軍に非難が集まり、婦人も嫌がらせを受けたみたいですね。また、観戦武官もいたけれども第一位次世界大戦当初は全く戦訓が活かされていなかったので、死者がどんどん増えていったのだと思います。また、歴史小説の影響も乃木将軍の評価を下げてしまいましたね。本当に、乃木将軍はかなり優秀な方なのでもっとこういった動画は広がっていって欲しいと思います。
14~15年前に旅順行きました。東鶏冠山と203高地を周ってきました。植林もされていて当時の様相とは違ってました。203高地は露軍側から山頂へ登る道が整備されてました。結構キツイ勾配で、装備を付けて突撃するのが大変な事と容易に想像する事が出来ました。残念ながら山頂から旅順港方面を見ましたが、霞んでいて旅順港は見えませんでした。
旅順攻囲戦は、実際は成功例に属する要塞戦ですね実質4ヶ月ほどで、兵員数では余り差のない状況で近代要塞を落とした乃木と第三軍は、他の西洋列強の軍隊と比べて寧ろ優秀なんですよね
そのとおりですね。そういう国際比較なしに乃木将軍を愚将扱いしている『坂の上の雲』とかその他の雑魚歴史小説とかは極めてけしからんですね。乃木将軍は降伏した相手の将軍も丁重に扱うなど、まさに理想的な軍人なのに。
映画「二百三高地」でも酷い扱いでしたな
当時は第一次世界大戦前ですし、これだけの死者を出す戦闘も当時としては、驚愕的だったんでしょうね
コンクリートで固めた、旅順要塞に銃剣突撃を繰り返したという乃木大将愚将というのは、作られたイメージだったんですね。旅順要塞攻略は、10年後の第一次世界大戦における塹壕戦という戦い方のも先がけだったのですね。
「塹壕戦という戦い方のも先がけ」を戦いの中で発見する。このあたりに江戸時代に生まれ明治維新を経てきたいわゆる「明治人」の強かさを感じます。太平洋戦争の軍人には欠けていたのだろうな。
長らく「人格者ではあるが無能」みたいなイメージをこびりつけられてましたねお隣の国なら子孫は司馬さんを名誉毀損で訴えるレベル
この戦いを多くの西欧諸国が観戦武官を送り、惨状を目の当たりにしたが、当時極東の小国だった日本と列強の中でも近代化が遅れていたロシアとの戦いということで極東の変事ということで処理したしかし10年後、西欧諸国はそれが他人事ではなくなるとは誰が予想したろうか…一方で青島のドイツ軍と対峙した日本は、旅順の戦いを教訓に一ヶ月かけて準備を進め攻撃からわずか一週間で青島のドイツ軍を降伏させた…歴史って面白いよなあ
「日露戦争の勝利により陸軍は白兵主義に傾倒した」なんて論評みかけたりもするけど、実際は真逆なんだよね。堅い陣地なら砲兵戦力を集める火力集中が青島にしてもフィリピンのコレヒドールがそうだったわけだし。
塹壕戦(要塞戦)では圧倒的に防衛側が有利で攻撃側が圧倒的不利ということを活かしてペリリュー、硫黄島では米軍に大打撃を与えているし。沖縄でも巧みな陣地で米軍にかなりの損害を与えることができているし。
それが100年の大計 大戦略。
@@byeheisey なおその大戦略は()
@谷干城 それ戦術
203高地って映画すごい好き
まるで三軍司令部で伝令を聞く将校や大本営で報告を受ける将帥になったかの如く時系列で戦況を地図解説してくれていて凄く分かりやすかったです感謝
詳しい解説、そして選曲が神すぎる。
「3年は持ちこたえる」と言われた旅順要塞を半年で陥落させた乃木希典は、ロシアから相当に恐れられたみたいです。そのため奉天会戦でも相当にロシア側からマークされたとか。
当時のロシア軍では、『どんな戦法を駆使してくるかわからない恐るべき指揮官』という評価が下ったのだと思います。
この戦いの中で三河花火職人の兵隊が打ち上げ花火の筒を参考に、城壁を超えて弾道軌道で榴弾を打ち込む装置を即興で作った。これが迫撃砲のルーツ。世界で初めての白兵戦用携帯砲だった。
坂の上の雲を先に読んでから、史実の旅順戦を見ると凄く分かりやすかった。よく分からなかった人はこの方法をオススメします。ただし先入観に囚われないよう注意して下さい
なおクリミア戦争にてセヴァストーポリ要塞に対し英仏連合軍が攻撃175000の兵力を用い約13万の損害と一年近い歳月をかけて占領その教訓を経てさらに巨額の投資をし、作られた改良型がこの旅順要塞比較すると如何に日本軍がヤベーか良く解る
追記すると、日本陸軍は全体的に脚気に悩まされてた(雑穀無し銀シャリが問題)海軍は対策していたのでここが現代に続く陸軍悪玉、海軍善玉の礎になっている感じ
戦車や航空機もなく、浸透戦術も確立されてなかったことを考えると半年の時間で約15400の死者なのは損害を抑えたといえるんだよなあ。
乃木さん参謀からは旅順疲労困憊の部下への思い。サンドイッチ状態で再攻撃なにがすごいって鬼神の如し日本兵要塞を繰り返し突撃し撃滅敬礼
3名の日本兵のくだりは本当に凄いよね。
初の塹壕戦の攻勢側でこの損害比率乃木将軍有能すぎんか?
この損害と言っていますが当時の日本軍からみたら大損害ですよ
@@ashigiwaflip 率か量かの話な。
@@ashigiwaflip 損害量じゃなくて損害比率だぞ。わかりやすく言えばキルレ
結局のところ戦略レベルでの失態を現場が戦術レベルでゴリ押しただけ。乃木将軍は最小の犠牲で求められた戦果を上げた名将だけどそれでも死に過ぎたんだよ。
ただの偶然
未だに新聞記事にまで司馬史観を引いた乃木無能論が展開されることもあるのだから、真実を伝えるこういう動画は価値があると思う。誤読が多すぎて草だけど
この時代は「守りより攻めの方が有利だろjk」というのが一般論じゃから被害が酷い…でも、こんなに早く適応できるのは凄いのう
改めて乃木大将のスゴさが評価されて良かった。司馬には本当に腹が立ちます
装甲車両も航空戦力も無い時代だし並みの指揮官なら失敗して当たり前だし犠牲ももっと大きかったはずなので物凄く有能な人ですね、だから決戦時に第三軍を恐れたロシア側の気持ちは分かる気がします。
日露戦争調べたら第3軍化け物すぎて草。そらロシア軍も恐れますわ。
陸軍分列行進曲大好き
なんやかんや、乃木は超有能
にゃんた 連合国から見たら有能なんだよなぁ.......
逆にWW2で日本の軍司令官以上レベルの有能な将軍っているんですかね(無知)
あるある督戦隊 自分の知ってる限りでは今村均かな....南寧作戦で自軍の倍以上の中国軍を撃退したし、ジャワでは現地民からも尊敬されてて、その後ラバウルの司令官になったけど、米軍が攻略を諦める位防衛施設が充実してたらしいし
@@eratosthenes658 ちなみに今村閣下は乃木がかの小説で不当な扱いを受けたことに対し乃木閣下は無能ではないと言い切っておられました
息子二人を旅順で戦死させ、明治天皇崩御後こんどは妻まで道連れにし、自刃する人物が有能とは思えない。
映画中の203高地盤竜山の堡塁は悲惨だったな堡塁手前の罠に落ちたら先を尖らせた鹿砦の木で串刺しになったり味方が縄梯子持ってきて登ろうとする所を狙撃されたりトラウマシーンでした
「カポニエール」でしたっけ?映画のシーンよく見るとマネキンの肉片が鉄条網にかかってたりグロさ満点でしたよね
本当に国を守るということがどういうことか、当時の軍人は分かっていたんだなぁって思いますね。日露戦争以降の乃木大将がステッセル将軍をロシア皇帝に助命嘆願したり、家族を支援された話しは日本の武士道の素晴らしさを感じます。
当時、日本陸軍が採用していたのはメッケルのドイツ式軍学だったが、機動戦を提唱したこの軍学は効果的な要塞攻略法を一切持たなかった。そのため第2次攻撃の際、井上幾太郎少佐らがフランスのボーバン攻囲戦術を軍議にかけたとき、賛同者はほとんどいなかったそうだが、乃木大将の鶴の一声で採用されるに至ったという。ドイツに留学して大モルトケの戦略戦術指導を受けた信奉者でありながらも、効果的と思えば柔軟に受け入れて、戦術を転換できるのが乃木大将の凄いところであると思う。
WW2がワラワラ2と読んだ件で笑ってしまった。ただ凄く分かりやすいです。有り難う。
情報不足、対策不足で上層部がガバガバなのを、乃木さんをはじめ現場の努力と機転だけでカバーしてなんとかしちゃうのが今の日本のコロナウイルス対策みてるみたいで他人事とは思えんわ
小説の坂の上の雲は間違いだらけだったけど、ドラマの方はわりかし事実に近づけようと努力はしてたと思う坂の上の雲を原作としている以上訂正できない場面(児玉が旅順に来て第三軍参謀達を罵倒するシーンとか、児玉の独創で作戦を指示していたり、28cm榴弾砲の移動を指示していたり)もあるけど、海軍の要請(旅順に籠るロシア艦隊を撃破するか追い出してほしい)を達成しているのに黄海海戦で海軍が捕捉に失敗して取り逃がしたことを取り上げていたり(伊地知参謀長が嫌味を言うという形で表現)、艦隊攻撃が最優先だと考える秋山が直談判しようとするのを島村参謀長が力づくで秋山を押さえ込んで「せっかく陸軍が追い出してくれた旅順艦隊を取り逃がした海軍が陸軍の方針に異議を言っても聞いてくれない」と言わせて、暗に秋山らにも責任があることを示していたり、などと原作よりも旅順戦の苦戦は第三軍だけでなく陸海軍双方の指導部の判断の甘さも要因であるかのように表現されています描写の方もちゃんと榴散弾の猛威を表現していたり、第三軍の将兵の軍服が日露戦争開戦時に改定されたそれまでの黒の冬服、白の夏服からどちらもカーキ色の軍服にしていたり、それも実際は提供が間に合わず旧軍服と新軍服と双方が混在していたり、などと映画二百三高地よりもはるかに考証的にはマトモだったと思うよ原作が原作である以上、変えれないところは仕方がないのかなと見てて思った
日本の日露戦争での損害は、それまでに経験した戦争での損害と比較にならないぐらい多い。よく耐えきったと思うと同時に、近代における要塞戦の常識から見れば旅順は少ない損害で目的を達成できたのに、そう評価されないのは、ギリギリこのところで勝てたというドラマに、国民が陶酔してしまったからなのでしょうね。
児玉源太郎大将のおかげだね!
乃木閣下の柔軟な戦術戦略の賜物ですね。近代要塞をあの日数、損害で攻略したのを聞いた外国の軍関係者は驚愕したそうです。そして過酷な凄惨な戦場に於いて、果敢に勇気を振り絞り戦った将兵には、日本人として胸熱くなり、誇らしさで一杯です。これも陸軍の柔軟性の好例で海軍との差がまた際立ちますね。陸軍が強い訳だ。
こういう日本ホルホル嫌いだわ
さらにWW1でドイツの青島要塞を落として、陸軍が天狗になってしまったのが惜しいですね。
トンネルを掘って地下から爆薬で砲台を破壊する作戦とかあまり知られてなくて、最初の突撃でバタバタ倒されたことばかりが誇張されて広まった印象。
乃木大将のイメージが映画とか小説の影響で突撃戦法しかできない将軍になってるけどむしろ柔軟性のある名将やんけと思った
東郷と真逆でめっぽう部下と運に恵まれない将軍だったからね……
お、伊地知無能論者か?
@@ms08p34 伊地知参謀長が無能なら、対砲兵戦すらろくにやれずに白兵突撃をかまし続けた第一次世界大戦の前線には、味方をできるだけ殺そうとしている敵のスパイしかいなかったのでは?と思います。
工兵専門の上原勇作を参謀長にすべきだったという意見もあるけど、砲兵出身の伊地知の火砲運用ノウハウがあったからこそ効果的な砲撃戦を展開できたんじゃないかと思う今日このごろですね。
@@chiyo0216 その上原も塹壕戦術軽視してたしなそもそも上原がいないと野津さんが大暴走しちゃうから…
映画203高地のイメージが強いです。兵が前線で食事を摂るときのシーンが。「おーい、飯だぞ!」「おおっ、色つき飯とは豪勢だのぅ」「ちがう!?これは血じゃあ!」
小隊がパニクっているさなかに、新沼謙治扮する一兵卒が構わず黙々と食ってました。
おじや おじや 水が悪くご飯にボウフラがついている。兵隊は、下痢に悩まされ、
@@岸俊樹-b4l 正露丸の登場ですね
Riko K さん当時は「征露丸」だったようですよ〜
@@kansaikontentu コレを食って露助をブッ殺すのじゃぁぁぁあ‼️
乃木将軍めちゃ優秀じゃん。司馬遼太郎は名誉棄損で訴えられても良いレベル。
フィクションだから仕方ないねそうしないと自分の小説が盛り上がらないし…盛り上がらないと売れないから…
司馬遼太郎は陸軍がめちゃくちゃ嫌いだったんだよなあ。ルサンチマン全開で小説書いてるからしゃあないね。
1192kamakura そう、それを知ってから司馬史観から抜け出せた。司馬さんは今でも好きだけど。ノモンハンを書けなかったのは、調べれば調べるほど(特にソ連崩壊以降色々新資料が出てきて)、自己否定になるからだったんだと思う。
そもそも司馬遼太郎やパウル・カレルみたいなフィクション作家の作品が一次資料扱いされるのは日本のアレなとことして有名
どうやっても切り崩せないからとりあえず乃木希典呼んでおこうってなって更にバルチック艦隊が到着するまでになんとかしろってww昔から日本の上層部ってのは目玉が飛び出るくらい無能の集まりだったんだな今で言うとブラック企業に勤めて死にかけながらノーベル賞物の開発したみたいな話だよね、乃木希典さんって
弾薬不足や上層部の作戦介入・史上初の近代要塞戦等に振り回されながらも的確な判断を下していった第3軍司令部や最前線で奮闘する日本軍将兵もそうだけど、同時に孤立無援な状況下で降伏まで耐え抜いたロシア軍将兵の活躍ももっと知られていいと思う。
映画『二百三高地』子供のころから5回くらい見たわwあれも古いから基本的には司馬史観の影響を受けてるんだけど、人間乃木の苦悩がよく描かれていた。何よりも要塞の堅固さについての描写は説得力があった。当時、機関銃に対する盾となりうる原始的な戦車か、せめて迫撃砲でも開発されてれば死者も少なくて済んだのだろうが・・・
一応、迫撃砲は現地で制作されてました。
学校では教えてくれない…確かに、学校教育での日露戦争は奉天会戦と日本海海戦が強調されがちですね。それまでの過程を見てみると非常に興味深いのですが。
なお日露戦争で塹壕戦学んだロシア軍は第一次大戦までにドイツ軍の突撃歩兵にあたる部隊と突破戦術を考案した模様
この甚大な死傷者の数にめまいがするけど、彼らは間違いなく本土にいる何千万もの国民の、家族の命を救ったんだよね。
突撃…怖かったやろうなぁ
@@suri4713 日露戦争の頃にはヒロポンねえんだよなあ
@@suri4713 君もう帰っていいよ
映画203高地で隊長が頭イっちゃて銃弾の中ニヤニヤ笑い出すシーンが怖かった
そういった恐怖心を克服するために普段の厳しい訓練があり、厳しい指導が必要なんですよねただその厳しい指導というのが部隊内での上級者が下級者への意味のないしごきとかに繋がってしまうんですよね軍隊という組織の永遠の課題なんだろうな〜
英語圏の日露戦争の動画で、「私のお気に入りは日本人が踊りながら死んでゆくシーンです。」って書かれてて、それめっちゃいいねされてて震えた。
あれは演出過剰なシーンをネタにしてるだけで別に蔑視感情はないと思うぞ
最近の中国映画だったら、やられると脚をバタバタさせながらめっちゃ飛んでいくことが多いが、それの日本版の振り付けのことでしょう。確かにバンザイしつつ3回転くらいしながら倒れるシーンが何度もあり、日本人が見ていてもちょっと目につくのは事実。まあ、中国系や韓国系は溜飲を下げながら見ているのかもしれないが。
分裂行進曲ほんとにいい曲だ。どこで買ってきたかしらないけど祖父が分裂行進曲とか大空とか入ってるレコードを持ってたのが懐かしい。
坂の上の雲見たからか、乃木大将を万歳無能かと思ってたら普通にマトモな将軍でした
二百三高地を観てると、児玉源太郎万歳映画にもなります。本来は海軍と旅順要塞に板挟みになりつつも、要塞攻略を成し遂げた乃木と陸軍の強さですね。
というか、当時の銃火器の性能向上による攻撃重視の考えが西洋列強の軍部を支配していて、要塞戦でも所謂万歳突撃でも落とせるという考えが支配的だったんですよね司馬遼太郎は作品内で「当時の要塞戦はヴォーバンの攻囲戦術が基本だった」と書いてるけど、これは間違いで、当時は旅順第一次総攻撃で第三軍がしたように砲撃を浴びせて敵を無力化し、体制を立て直す前に強襲して制圧するというのが基本でした数年後に起こった第一次世界大戦の緒戦でもドイツ軍とか列強は敵の要塞や陣地に対して同様の戦術をとっていますというかヴォーバンの戦術自体もナポレオン戦争前の戦術で、銃火器も青銅砲や先込めの単発銃、要塞は煉瓦造りの高い防壁の城のような構造という、日露戦争時よりも100年以上も前のもので、この時点でも旧式化して西洋列強に見向きもされなくなっていた戦術ですなので当時の常識では万歳突撃は無能でもなんでもないんですよね塹壕戦とか、なるべく兵を散開させて消耗を減らすとかの考えは第一次世界大戦中から考え出された戦術で、むしろ第一次総攻撃を5日で切り上げて塹壕戦による正攻法を始めた先取りして実施した乃木は先見の明があったと思いますよ後世の発想で、その時代では常識だったことを批判するのは頓珍漢な行為だし、歴史を扱う人間としてはやってはいけないことです
乃木の奉天での活躍って余り語られないよね乃木間に合わないと結構危なかったのに
旅順要塞陥落でロシア〜ソ連はウラジオストク周辺に要塞を沢山作るんだよね
すばらしい動画じゃった。最高じゃ。もっとみたい!!
うぽつです。私は、当初この旅順攻略戦はやみくもに兵力を導入して人海戦術でもぎ取り「負けに等しい勝ち」と思っていたが、当時の状況や戦術を考えると、これでも効率的な戦い方だったのかな、と思います。
俺も先生に乃木さんが全員突撃で何とかもぎ取ったと聞いたが、本当は乃木は優秀と知り、先生を信用出来なくなった
20年くらい前に出された研究書から乃木の名誉回復が始まったんですよね
昔の戦いを現代の戦術で考えて批判するのは間違いだってわかり始めたんだよな。
26:54 「旅順開城約成りて敵の将軍すてステッセル。乃木大将と会見の所は何処。水師営。庭に一本棗の木。弾丸跡も著く崩れ残れる民屋に今ぞ見える二将軍。乃木大将は厳かに御恵深き大君の大詔伝うれば彼畏みて謝し奉る。昨日の敵は今日の友。交わす言葉も打ち解けて我は称えつ彼の防備。彼は称えつ我が武勇。形正して言い出し「この方面の戦闘に二子を失い給いつる閣下の心如何にぞ。」と。「2人の我が子それぞれに死所を得たりと喜べろ。これぞ武門の面目。」と答える声に力有り。両将昼餉を共にして尚も尽きせぬ物語。「我に一頭良馬有り。今日の記念に献ずべし。」「厚意謝するに余りあり。軍の掟に従いて他日我が手に受領せば永く労り養わん。」さらばと握手懇ろに別れて行くや右左。筒音絶えし砲ひらめき立てり日の御旗」(ua-cam.com/video/9JtS5CnK3d0/v-deo.html 佐々木信綱作詞岡野貞一作曲「水師営の会見」)
司馬遼太郎のおかげで、偏った印象がありますよね。
さっき旅順関連検索して昔TBSがスペシャルドラマで制作した「獅子の如く」の一部抜粋の動画みてきたが、戦闘シーンの風景からしてガバガバなんだが、例のごとく司馬史観で乃木無能 兒玉有能的に描かれてたな。そんでコメ欄も日本軍はWW2まで銃剣突撃だけをする馬鹿な軍隊だったみたいなこと言う輩もいるのね。MS兄貴の他の解説にあるようにWW2の日本陸軍のドクトリンはそんなステレオタイプなもんじゃねえよと突っ込んでおいたわ
ってゆーか。陸軍って、牟田口の糞以外、総じて優秀やね。寧ろ、海軍の方が馬鹿が多い。諜報はガバガバ、対潜能力は潜水艦に負ける駆逐艦。正直、戦争した事あるのか⁉︎
@@masa8856 いや、牟田口の腐れ縁の河辺とか河辺の後任でビルマ方面軍司令官になったKMR兵太郎もなかなかやで(まあ、KMRは河辺にめちゃくちゃにされたビルマ戦線を押しつけられたと同情もできるが)あとは富永とか花谷とか…
@@chiyo0216 木村にも牟田口にも大いに議論の余地があるし、その議論はほとんどされることなくネットで叩かれてると思うが。
日本人の悪口言ってるのはいつもアイツら。
端的にいうと本格的な要塞攻略は大阪城攻略以来だからノウハウが無かった。長岡外史が分かったような事を言っているが、あれは藩閥と陸大閥との派閥抗争のためのレトリックにすぎない。
日露戦争は、この戦いに限らず観戦武官が各国から見に来てて後のWW1あたりでの戦いの参考になってると聞きますなこの戦いでの乃木の活躍で奉天会戦でひどく恐れられているのは有名
待ってました、日露戦争!次は奉天会戦をお願いします
奉天や遼陽といった他の日露戦解説もいつかやって欲しいですね。某ちゃんねるの解説は正直客観性が微妙な面もあるので(満洲軍司令部叩きに走ってる感有り)
塹壕戦では防衛側有利で攻撃側が圧倒的に不利。砲兵最強で攻撃側が攻勢をかけることができれば勝利することができるという従来の戦闘方法が使えない中で柔軟な対応で攻勢方法を変えた乃木大将はやはり名将なんだなと改めて思った。ここでの戦訓が活かされれば第一次世界大戦はもっと早く終わったのか、それとももっと延びたのかは誰にもわからないけど、確実に言えることは青島戦で日本軍はこの戦訓を活かしてドイツ軍を1週間で撃破していること。
13:32 英雄すぎる
奉天会戦の乃木様のご活躍を是非解説していただきたい!
ゴールデンカムイでも、そこそこ日露戦争の内容はあったけど、ここまで攻略するのが大変だとは....
そりゃ鶴見中尉も頭がおかしくなって、機関銃の音が音楽のようだとか言い出すわけだ…
実は近代要塞を攻撃するマニュアルなんか当時当然ながらあるわけがない。なんと現在の攻城戦のマニュアルでもこの第三軍の旅順攻撃がバイブルになっているくらいだそうな。
乃木さんが総司令官だったから兵の無駄死にが多かったと言うが、児玉や他の軍人が総司令官になっていても軽微な犠牲で済む戦いではなかった事は否めない…
そもそも1万5千強の損害を無駄死にが多いとか言うのが無知4万以上のロシア軍が立て籠ってる難攻不落の要塞に対して、5万強しかいない第三軍だぞ常識的に考えれば多少数は劣ってても何重にも張り巡らされた塹壕と堡塁を持ってるロシア軍の方が圧倒的に有利だったにもかかわらずほぼ同数程度の被害かつ約半年弱で攻略して、被害はロシア軍とほぼ同数なら若干と言ってもいいほど少ない
旅順戦の死傷者数は近代要塞戦ではむしろ少ない事例なんですよね無駄死にだなんてことは全くない誰がやっても同程度かそれ以上の損害が出たでしょうね
旅順攻略戦で出てくる意見ってテレビとかコメント見てる限りソンムとか他の塹壕戦とか比較のがない時点で殆ど感想ばっかりよね。ww1初期のフランス軍とか被害こんなもんじゃないのによく総攻撃1回目からうまくやってるよな・・・
戦死者が多過ぎるだのと批判があるけど陸軍だけ4万人以上で海軍や軍属を合わせて6万人が立て籠もる要塞に約15400人の戦死者だったのは抑えたほうなのにね。
ゴールデンカムイにも203高地の話がでてきたね
日本軍の28センチ砲が味方吹き飛ばしてるの普通にエグい
本当に坂の上の雲の罪は深い。映画の203高地とかNHKの坂の上の雲がおもしろくて知名度高いせいで現代の日本人の大多数と多くの外国人が乃木閣下が無能な愚将だと誤認されている。実際自分も大人になって気になって調べるようになるまで乃木閣下は実直だが愚将だと思ってた。フィクションのくせにノンフィクションだと思われててひでえwだれか司馬史観完全否定の正史史観のめっちゃおもしろい旅順攻囲戦の映画でも作ってくれ!!この動画見てて改めて思ったが事実に基づいて作るだけですごくおもしろいし感動するだろこれ!これのどこにフィクション挟む余地があるというんだ!w
何かを有能に見せる為に何かを無能に仕立て上げて人気を取るこれはなろう系にも受け継がれる人気取りの不文律なんだと思います
ただ曲が最高
それは共感wNHKの坂の上の雲も映画203高地も史実気にしなかった面白いし曲はものすごい面白かった!!w教えて~~ください~~♪w
あらためて帝国陸軍きっての英傑、乃木希典将軍と帝国陸軍将兵の御冥福を御祈り致しております。ありがとうございました。
毎回力作ありがとうございます。感謝。
普通に数時間物の事細かに語る解説動画出して欲しい。映像授業より普通に面白い。
あれほどの犠牲が生まれてしまったのはこれ程の規模の戦争を日本が経験したのが初めてだったというのが大きいのでしょうね。現在の歴史ではよく日清日露戦争とまとめて語られる事も多いですがそもそも規模が桁違いです。南山の戦いでは死傷4000の報告に「数字の0が一つ間違っている」と言った参謀がいたしその後事実とわかると「軍司令官である奥の責任問題だ」と言った関係者もいたそうです。そう考えるとよく旅順を攻略できたなと驚きます。
「桁が間違ってるんじゃないのか」と伊地知が言った。何たる不見識!と一部を切り取って批判したのが司馬史観ですが。実際には伊地知は何故死傷者の桁が多いのかを考察して先進的な対策を立てたのです。乃木と伊地知の知見はWWⅠ3年目に『ヴェルダンの吸血ポンプ』ファルケンハインがようやく到達した知見に等しい。
例えば、盤竜山東を取ったあと望台を強襲するのがセオリーなのだが、乃木と伊地知は数時間でこれを止めた。以降、児玉が再三望台強襲を要請しても伊地知は頑なに黙殺した。このセオリーが間接射撃の発達により無効になっていることをWWⅠ2年間、膨大な死傷者を積み上げて認知されたのだが、乃木と伊地知はこれを数時間で看破した。
以前ウチの棚を整理していたら「旅順戦蹟アルバム(昭和11年発行)」という本が出てきた。遺棄されたロシア軍のカノン砲や巨大な爆破孔が残るトーチカ、乃木将軍ら首脳陣の記念撮影したものなどが掲載されていた。カラーに着色したらもっと生々しいんだろうなあ。また、地元の要塞には28cm榴弾砲が据え付けられていたが、203髙地攻略のため取り外されて旅順に移設されたと聞いた。
司馬遼太郎は、掴んだ元ネタがガセだったて落ちだからなんだかなぁ。。wikiで実態知ったときは、歴史の通説は信用しちゃならんなとおもった。
司馬が参考にした資料の「機密日露戦史」って事実であるか疑わしい箇所があったり第3軍の言い分が全くないまま作成されてるから余計に乃木以下第3軍を叩く内容になってて司馬もそれを真に受けて執筆したからね。
日本国内の、大小を問わず多くの神社の境内に「 日露戦役戰歿者 」の文字が刻まれた2.3m〜3.4m台の石板が建立されているのを観ると、当時の大日本帝国の不沈をかけた、まさに「 ロシアの植民地になるか、ならないか 」の国家の存亡を掛けた戦争だった事が分かるね。
質問「その時歴史が動いた」(※)で見たのですが、第一次総攻撃の時に南山坡山(本動画(25:58))の地図上の「海鼠山」)(を占領し、そこからロシア艦隊を28サンチ砲で7日間砲撃し、第三軍の報告によればこれにより戦艦三隻が運動能力を喪失したんですよね。更に同報告によればその後もロシア戦艦が次々と戦闘能力を喪失し、ロシア艦隊は死角となる山陰(やまかげ)に隠れたんですよね。それでも尚第三軍は艦隊への砲撃を継続したんですよね。そして、ロシア兵捕虜から旅順艦隊主力が弾薬、火薬を撤去し、砲も陸上砲に転用し、水兵も陸戦隊に編成されたという証言を得るんですよね。そして、乃木希典大将は旅順艦隊が戦闘能力を喪失したと判断し、これを直ちに報告したんですよね。推察するに第三軍は前期山陰で死角になる面積からして何発撃てば確率論的に敵艦に致命傷を負わせるだけの砲弾を命中させられるかを計算していたんだと思うんです。そして、前期捕虜証言か補強証拠となり、乃木大将は大本営に旅順艦隊壊滅状態の報告をしたんだと思うんです。しかし、右報告にも関わらず海軍は二百三高地の占領を要請したんですよね。しかも陸軍参謀総長もこれを容れた。ここで質問なんですが、乃木大将の情報判断は前期の通り合理的であり、信頼性が高いものであるにも関わらず、何故乃木希典大将の情報判断は信用されなかったのでしょう。※ ua-cam.com/video/ci7SnIdFxKA/v-deo.html
明治期の陸海軍の連携、昭和にも是非欲しかった...
坂の上の雲の話とはえらい違いえはないかというか日本軍強すぎだろ
歩兵が戦闘工兵になり爆薬を使うのが上手く、機関銃の弾幕を潜り抜け、圧倒的優勢のロシア兵を爆破と撃破を繰り返しつつ前進・・・・。強すぎだろう。
WWIを「わらわらいち」に突っ込み入れたい
ロシア軍てほんと陣地防衛好きだよな
北海道第七師団メチャ強いなぁ
マグロの刺身 個人的には第9師団も強いと思ってる
@@eratosthenes658 様、恐れながら第9師団とはどこの地方の師団でしょうか?
マグロの刺身 私の記憶が正しければ石川県の金沢第九師団だったと思います
ちなみに大日本帝国陸軍が初めに設置した師団は6個師団でこれが第一~六師団です。第1師団は東京、第2師団は仙台、第3師団は名古屋、第四師団は大阪、第5師団は広島、第六師団は熊本に司令部を置いていました。
@@eratosthenes658 なるほど、勉強になりました。ご説明有難う御座いました。
むかし司馬遼太郎の坂の上の雲を読んだけど、乃木将軍が隻眼だったことが全く書かれてなくてびっくりしたな
東映の二百三高地だと参謀たちが皆双眼鏡を使う中で乃木大将が一人だけ単眼鏡を使ってたりと隻眼を示唆する描写があったね。
この戦闘で砲弾を大量消費したことから、2師団による師団規模の夜襲(弓張嶺夜襲)があったり手製の迫撃砲が開発されたりと色んな逸話や人々に影響を与えている。
名も無き戦史マニア 第2師団は夜襲が上手かったからあだ名が夜襲の仙台だったそうだねwww
ロシア軍の予備兵力を次々投入させ、消耗しつくしさせたのがすごい。欧州は10年後ヴェルダンの戦いで両軍合わせて80万の大損害を出している
雑誌丸にかなり昔出てました、絵図有りででてたのぜ
うpお疲れ様です。各所に疲労の感がでちゃってますが、私は更新頻度気にしまへんで。WW2を(わらわらに)と読むのは最早定期。もっと布教しよう。
乃木閣下は西南戦争で連隊長として従軍し、薩摩軍と激戦を繰り広げていた際に、連隊旗手が戦死して陛下から預かった連隊旗を奪われてしまった。ここで自決しようとしたのを阻止したのが日露戦争の英雄児玉大将。日清戦争で2日で陥落した旅順を誰もが楽観視していた。 旅順のロシア軍も旅順方面軍司令官と旅順要塞司令官が権限を巡って対立したり、前線要塞守備隊のコンドラチェンコ少将がかなり人気があって戦死の報に守備隊の士気がガタ落ちしたりと敵さんもかなり大変だった。
全く関係ないけど風の谷のナウシカの第3軍がめちゃ強い設定なのは、日露戦争の第3軍が強かったからなのかな
3人で登山して穴開けた奴ら何もんや名前とか残ってるんかな?
皆さん、戦死した両国の兵士士官の写真を見たことありますか❓
勿論!今こうやって暮らせるのも先人達の犠牲のおかげだし、すぐにセンソウガー、ギセイガーって逃げずに次の世代の為にしっかり過去の戦争を語り合うのも今の世に生きる僕たちの役目だと思うね
@@クルマエビ-m9f このコメ主ちょっとアレなやつやで…
この柔軟性が大東亜戦争時にもあれば
坂の上の雲を読んで歴史に興味を持つようになって、自分でも調べてみるようになると、小説と事実の違いが多過ぎて驚いたよ。特に乃木さんはなんか恨みでもあんのかってくらい扱いがひでい。乃木さんは世間的にも名将的な評価されてたはずなのにどうしてなんだろうね?ただ小説としてはすごく熱くなれたし感動したし今でも大好きだよ。本当罪作りな小説だわ。
中国戦線について調べてるから中国での戦いとか解説して欲しいなぁ
ちなみにEratosthenesの篩は僕のメイン垢です
ガバガバな国民党の暗号を暴いて数で優れる国民党を打ち破った中原の会戦とか黄河下流の日本軍を水攻めにしてやろうと堤防破壊した黄河決壊事件とかネタには事欠かないからね。
chiyo0216 中原会戦は日本軍の情報工作にまんまと国民党軍が騙されてて滑稽ゾ。黄河決壊事件の後に住民が日本軍の味方になってて草。
@@登録者が一人増えるたびに自 被災住民の救助から食料の提供まで行ったからあの地域は終戦まで日本軍に友好的でしたね…
chiyo0216 中国の都市では自国の軍隊が来たら滅茶苦茶になるから日本軍を歓迎してた位だしね、仕方ないね
ナポレオンのロシア遠征で起きたヴァグラムの戦いみたいあれもスゴイ堡塁(陣地構築)が目立ったクリミアでもこの陣地構築で英仏が酷い目に遭ったロシアの伝統的なのが厳重な陣地構築なのかな・・・
@@taaaaakaaaaa0000 たぶんそれだ 砲兵と陣地作成で土地を保持し コサック騎兵でかく乱 歩兵の物量で制圧・・・こんな感じかな? (とにかくロシア人の土地への執着はトルストイか誰かの「人にはどれだけの土地がいるか」で ロシア人に対して警告しているらしい)で 確か日露戦争のときは・・・というかロシアのホームグラウンドはヨーロッパ方面で これは人口比が示している(欧2億前後で アジア数百万人)シベリア鉄道一本ではとても兵站を賄えないらしいそのため 一時的にアジア方面のロシア人の大部分が引き上げている話がどこかに書いてあった気がする(輸送能力を超過したため 餓死を恐れて疎開だったかな?)あと当時も今も軍人はひと世代前の戦術で戦う傾向があるらしい(第一次で一年ぐらい強襲し合ってた)そのため 要塞戦の前例としてクリミア戦争のセヴァポリス要塞(未完)が半年から一年持ちこたえていたことから旅順要塞の強度はこれをはるかに凌ぐとクロパトキンは考えていたらしい(実際はかなり未完)あと旅順担当のステッセリ将軍は「イスラムの法務官」と蔑称されるほどの無能で 降伏時には将校のほとんどが相手にしていなかったため 日本側の方が優しかったらしい(戦後の助命嘆願を乃木将軍が出しているのでこれは確実)日露戦争を総括すると「ロシア無理すんな 策源地から遠すぎる・・・」状態で大変クロパトキンもクビにならなければナポレオンにくらわした「焦土戦術」で勝者になれたかもしれんどっちも紙一重で日露戦争は興味深い・・・(陣地作成どこ行った?)兵站って大事
早急な攻略を…と要求してた大本営と海軍がむしろ…
乃木、第3軍つながりということで奉天会戦もお願いします!
「竜馬が行く」にしても「坂の上の雲」にしても事実と異なる創作が多いな!。「講釈師、見てきたような嘘を言い」と言うが、歴史小説を読んでると、ノンフィクションでも、まるで隣にいて会話を記録しているように詳細に述べている。すごい想像力だと感心する。
司馬遼太郎を 全面的に信用すると危険。
小説はフィクションですからね作者の情念に基づくバイアスは当然ありますしね創作の許容性というデリケートな問題もありましょうが… ただ、S氏については「長安から北京へ」あたりで観察眼の甘さの馬脚を現していたと思いますけどね
07:39~(海軍が協力的だった事に対して)「それだけバルチック艦隊が迫ってきてた」バルチック艦隊が本拠地・黒海を出港するのはこの前哨戦の2ケ月以上後の10月になってからなんだが・・・?
大正時代にクロパトキンが書いてる回想録昔読んだなー
どんなことが書かれてあったのですか?乃木大将を恐れていた男がどんなことを思ったのか気になったので、差し支えない程度に教えて頂けたら幸いです。
@@寺内央 デジタル化されて誰でも読めるようになってるので是非読んでみてね!!dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782303
乃木大将と第3軍の旅順攻略がロシアにとってどれほどの衝撃だったか。旅順が陥落したその月にロシアで帝都を血で染める暴動が起こっているし、ロシア軍司令官クロパトキンも、第3軍が満州軍と合流されることに恐怖してあわてて黒溝台に攻勢を仕掛けている(皮肉なことにこのせいで満州軍はピンチに陥ってしまうのだが)。奉天会戦でもロシア軍は「旅順を攻め落とした猛将・乃木希典」率いる第3軍に対して兵力を必要以上に集中させすぎて、左翼の防衛線を黒木大将率いる第1軍に突破されるという失策を犯して敗北している。これだけの功績をあげた人を第3軍司令官から解任しようとしていた連中が参謀本部にいるのだから、救いようがない。参謀本部の愚劣さはこの頃に既に芽があったと言うべきか。
うぽつです!歴史の教科書とか資料集だと、機関銃がロシア側にしか無いって書いてあるんですよね・・・なんでだろ?あと、旅順要塞ってWW2のマジノ線みたいな構造ってことでいいんですか?
マジノ線ほど近代的ではないし、あそこまで分厚くないです。堡塁と陣地の集合体だと思ってもらえればいいと思います。
@@ms08p34 分かりました!
日本軍に機関銃あったんだするとあの映画の解説で日本軍は機関銃も手榴弾も見た事がないというのは嘘だったんだね
あったと言っても開戦時点では秋山の騎兵旅団に騎兵砲の代用として配備されていただけで、国内量産も開戦一年前に始まったばかりで数も少なく、軍の将兵のほとんどは開戦時点で知らなかったですよ大体現在のように情報伝達力が大きく劣る時代です新兵器が配備されても、それを映像とかで全将兵に通達できるわけでもなく、実演を全軍将兵が見ることができるわけでもありません下士官兵は配備されてた極少数の部隊以外は見たことも聞いたこともなかっただろうし、士官にしても関わった事のある人以外は文面とかで、そういう新兵器があることは知っていたかもしれないが見聞きしたことがないというのは下士官兵と大同小異だったでしょうある=全員が知っているとは限りませんよ
リアルとフィクションって結構違うんだな
訂正 こんな感じ! とか言いながら旅順港の地図が映っていない問題。レイヤーの層の問題で映ってないですが、さすがにこれだけのために再投稿するの面倒なので、各自遼東半島でググってちょ あと、乃木閣下の写真も顔はみ出てますが、そんなもんみんな顔くらい知ってるよね?
MS 08P 心の目で見えました。
大丈夫です。
( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン大丈夫だ
乃木大将の扱いwww
乃木さんってなんかいつも不憫な扱いされるよな…w
@@おてもやん-n2y 俺はPCの横に乃木閣下の写真が額縁に入って飾ってあるし、これくらい日本人なら当然。したがって写真などなくても顔はわかるはず。
第2次世界大戦でのセヴァストポリ要塞攻防戦では、名将マンシュタインが指揮を執り戦車や航空機を投入したのに足掛け1年近くかかった。結局最後は、新旧・大小問わず合計1,300門もの大砲をかき集め猛砲撃を加え、正攻法で攻撃しなければ落とせなかった。時代が変わっても要塞を攻め落とすのは大変な事なんだ。そんな難攻不落の要塞を4か月半で攻め落とした乃木大将は稀代の名将だと思う。
28センチ砲をはじめから投入していたらなあ~。
旧帝国海軍の大躍進(日本海海戦)の陰に埋もれてしまった旧帝国陸軍の躍動…
これが歴史なんだよなぁ…
登録者が一人増えるたびに自国にテポドンを撃ち込む金正恩
後半ほぼ(大陸打通作戦とか除く)グダグダのゲリラ掃討戦と化してる定期
ロンメル元帥 そもそもwiki見たら日本軍の勝利が多かったから日本軍sugeeee!ってなったけど、実情を調べたら絶望したゾ..
まさに討匪行
@@Итоскаяимперия
明確な目的と計画なしで戦争を始めてはいけないという教訓>日中戦争
機関銃の十字砲火に対して即座に塹壕を掘って進む正攻法は全くの大正解。10年後に起こる第一次世界大戦も同じだったように乃木は有能だった。
なのに司馬遼太郎の坂の上の雲では愚将と言い切ってる。ほかの作品でもそうだけど「司馬史観」って眉唾ものなんだよな。
司馬氏も戦後の左翼史観に対抗するため持ち上げられた面があります。歴史学会が凝り固まっていたので歴史小説家ぐらいしかまともに歴史を見ようとする人が居なかったんですね。まぁそれも戦前の皇国史観があって…とキリが無いですが。ただ、所詮は小説家。資料を突き合わせて徹底検証したりはしていませんし、自分(作劇)に都合のいい資料を取り上げ過ぎたりしています。ここ20年ぐらいでやっと本格的な歴史検証が始まっていると思っていいぐらいです。依然鬼面人を威すようなトンデモ説を上げて面白がったマスコミが使っちゃっている場合も多いですが
司馬遼太郎氏は陸軍に親を殺されたかってぐらい陸軍恨んでるからな。
明晰夢を永遠に見ていたい男 彼は戦争を体験してますからね。
眉唾じゃないですよ
今みたいに簡単に情報が手に入らない部分もあるし、たまたま手にした資料が乃木に批判的な人物が書いたものだったとか考えられるけど物を書くなら中立であるべきだよね。
偏った思想で国が滅ぶのを体験したはずなのにとても残念。
昔から地図上をうにゅ~っと矢印が伸びて進軍ルートや攻勢の状況を表すような動画が好きなんだよな。なんならそれと解説のナレーションだけでメシが食えそう。
rook seventhrank なんか昔の戦争の動画でも進軍ルートとか表されてると理解しやすいよね
@@eratosthenes658
前線の人間模様に焦点当てすぎて主人公たちが何のためにどこで誰と戦ってるのかが全くわからなくなったりしますからねw
rook seventhrank そうだよねwww
そんなあなたにはハーツオブアイアン4がおすすめです
Hoi4は見るのは好きだけど多分やったら発狂しそう(小並感) 、まぁやるならやっぱEU4がNo1やな!
後のWW1における攻城戦と比して、損害が少なくしかも短期間で攻略しています。
日本軍には当時戦車も航空機もありませんでした。
欧州から多数の観戦武官が派遣され、後にWW1を戦っています。
旅順攻囲戦は、世界戦史上特筆すべき戦いだったのでは?
乃木大将ほど史実と通説とが乖離した人は居りません。
当時は国民にも塹壕戦とはどういうものか当然知らず、戦死者がどんどん増えていっているのをみて乃木将軍に非難が集まり、婦人も嫌がらせを受けたみたいですね。また、観戦武官もいたけれども第一位次世界大戦当初は全く戦訓が活かされていなかったので、死者がどんどん増えていったのだと思います。
また、歴史小説の影響も乃木将軍の評価を下げてしまいましたね。本当に、乃木将軍はかなり優秀な方なのでもっとこういった動画は広がっていって欲しいと思います。
14~15年前に旅順行きました。
東鶏冠山と203高地を周ってきました。
植林もされていて当時の様相とは違ってました。
203高地は露軍側から山頂へ登る道が整備されてました。
結構キツイ勾配で、装備を付けて突撃するのが大変な事と容易に想像する事が出来ました。
残念ながら山頂から旅順港方面を見ましたが、霞んでいて旅順港は見えませんでした。
旅順攻囲戦は、実際は成功例に属する要塞戦ですね
実質4ヶ月ほどで、兵員数では余り差のない状況で近代要塞を落とした乃木と第三軍は、他の西洋列強の軍隊と比べて寧ろ優秀なんですよね
そのとおりですね。そういう国際比較なしに乃木将軍を愚将扱いしている『坂の上の雲』とかその他の雑魚歴史小説とかは極めてけしからんですね。乃木将軍は降伏した相手の将軍も丁重に扱うなど、まさに理想的な軍人なのに。
映画「二百三高地」でも酷い扱いでしたな
当時は第一次世界大戦前ですし、これだけの死者を出す戦闘も当時としては、驚愕的だったんでしょうね
コンクリートで固めた、旅順要塞に銃剣突撃を繰り返したという乃木大将愚将というのは、作られたイメージだったんですね。旅順要塞攻略は、10年後の第一次世界大戦における塹壕戦という戦い方のも先がけだったのですね。
「塹壕戦という戦い方のも先がけ」を戦いの中で発見する。このあたりに江戸時代に生まれ明治維新を経てきたいわゆる「明治人」の強かさを感じます。太平洋戦争の軍人には欠けていたのだろうな。
長らく「人格者ではあるが無能」みたいなイメージをこびりつけられてましたね
お隣の国なら子孫は司馬さんを名誉毀損で訴えるレベル
この戦いを多くの西欧諸国が観戦武官を送り、惨状を目の当たりにしたが、当時極東の小国だった日本と列強の中でも近代化が遅れていたロシアとの戦いということで極東の変事ということで処理した
しかし10年後、西欧諸国はそれが他人事ではなくなるとは誰が予想したろうか…
一方で青島のドイツ軍と対峙した日本は、旅順の戦いを教訓に一ヶ月かけて準備を進め攻撃からわずか一週間で青島のドイツ軍を降伏させた…
歴史って面白いよなあ
「日露戦争の勝利により陸軍は白兵主義に傾倒した」なんて論評みかけたりもするけど、実際は真逆なんだよね。
堅い陣地なら砲兵戦力を集める火力集中が青島にしてもフィリピンのコレヒドールがそうだったわけだし。
塹壕戦(要塞戦)では圧倒的に防衛側が有利で攻撃側が圧倒的不利ということを活かしてペリリュー、硫黄島では米軍に大打撃を与えているし。
沖縄でも巧みな陣地で米軍にかなりの損害を与えることができているし。
それが100年の大計 大戦略。
@@byeheisey
なおその大戦略は()
@谷干城 それ戦術
203高地って映画すごい好き
まるで三軍司令部で伝令を聞く将校や大本営で報告を受ける将帥になったかの如く
時系列で戦況を地図解説してくれていて凄く分かりやすかったです
感謝
詳しい解説、そして選曲が神すぎる。
「3年は持ちこたえる」と言われた旅順要塞を半年で陥落させた乃木希典は、ロシアから相当に恐れられたみたいです。そのため奉天会戦でも相当にロシア側からマークされたとか。
当時のロシア軍では、『どんな戦法を駆使してくるかわからない恐るべき指揮官』という評価が下ったのだと思います。
この戦いの中で三河花火職人の兵隊が打ち上げ花火の筒を参考に、城壁を超えて弾道軌道で榴弾を打ち込む装置を即興で作った。これが迫撃砲のルーツ。世界で初めての白兵戦用携帯砲だった。
坂の上の雲を先に読んでから、史実の旅順戦を見ると凄く分かりやすかった。よく分からなかった人はこの方法をオススメします。ただし先入観に囚われないよう注意して下さい
なおクリミア戦争にて
セヴァストーポリ要塞に対し英仏連合軍が攻撃
175000の兵力を用い約13万の損害と一年近い歳月をかけて占領
その教訓を経てさらに巨額の投資をし、作られた改良型がこの旅順要塞
比較すると如何に日本軍がヤベーか良く解る
追記すると、日本陸軍は全体的に脚気に悩まされてた(雑穀無し銀シャリが問題)
海軍は対策していたのでここが現代に続く陸軍悪玉、海軍善玉の礎になっている感じ
戦車や航空機もなく、浸透戦術も確立されてなかったことを考えると半年の時間で約15400の死者なのは損害を抑えたといえるんだよなあ。
乃木さん
参謀からは旅順
疲労困憊の部下への思い。
サンドイッチ状態で再攻撃
なにがすごいって
鬼神の如し日本兵
要塞を繰り返し突撃し撃滅
敬礼
3名の日本兵のくだりは本当に凄いよね。
初の塹壕戦の攻勢側でこの損害比率
乃木将軍有能すぎんか?
この損害と言っていますが当時の日本軍からみたら大損害ですよ
@@ashigiwaflip 率か量かの話な。
@@ashigiwaflip 損害量じゃなくて損害比率だぞ。わかりやすく言えばキルレ
結局のところ戦略レベルでの失態を現場が戦術レベルでゴリ押しただけ。
乃木将軍は最小の犠牲で求められた戦果を上げた名将だけど
それでも死に過ぎたんだよ。
ただの偶然
未だに新聞記事にまで司馬史観を引いた乃木無能論が展開されることもあるのだから、真実を伝えるこういう動画は価値があると思う。誤読が多すぎて草だけど
この時代は「守りより攻めの方が有利だろjk」というのが一般論じゃから被害が酷い…
でも、こんなに早く適応できるのは凄いのう
改めて乃木大将のスゴさが評価されて良かった。
司馬には本当に腹が立ちます
装甲車両も航空戦力も無い時代だし並みの指揮官なら失敗して当たり前だし犠牲ももっと大きかったはずなので物凄く有能な人ですね、だから決戦時に第三軍を恐れたロシア側の気持ちは分かる気がします。
日露戦争調べたら第3軍化け物すぎて草。そらロシア軍も恐れますわ。
陸軍分列行進曲大好き
なんやかんや、乃木は超有能
にゃんた 連合国から見たら有能なんだよなぁ.......
逆にWW2で日本の軍司令官以上レベルの有能な将軍っているんですかね(無知)
あるある督戦隊 自分の知ってる限りでは今村均かな....南寧作戦で自軍の倍以上の中国軍を撃退したし、ジャワでは現地民からも尊敬されてて、その後ラバウルの司令官になったけど、米軍が攻略を諦める位防衛施設が充実してたらしいし
@@eratosthenes658 ちなみに今村閣下は乃木がかの小説で不当な扱いを受けたことに対し
乃木閣下は無能ではないと言い切っておられました
息子二人を旅順で戦死させ、明治天皇崩御後こんどは妻まで道連れにし、自刃する人物が有能とは思えない。
映画中の203高地盤竜山の堡塁は悲惨だったな
堡塁手前の罠に落ちたら先を尖らせた鹿砦の木で串刺しになったり味方が縄梯子持ってきて登ろうとする所を狙撃されたりトラウマシーンでした
「カポニエール」でしたっけ?
映画のシーン
よく見るとマネキンの肉片が鉄条網にかかってたりグロさ満点でしたよね
本当に国を守るということがどういうことか、当時の軍人は分かっていたんだなぁって思いますね。日露戦争以降の乃木大将がステッセル将軍をロシア皇帝に助命嘆願したり、家族を支援された話しは日本の武士道の素晴らしさを感じます。
当時、日本陸軍が採用していたのはメッケルのドイツ式軍学だったが、機動戦を提唱したこの軍学は効果的な要塞攻略法を一切持たなかった。そのため第2次攻撃の際、井上幾太郎少佐らがフランスのボーバン攻囲戦術を軍議にかけたとき、賛同者はほとんどいなかったそうだが、乃木大将の鶴の一声で採用されるに至ったという。ドイツに留学して大モルトケの戦略戦術指導を受けた信奉者でありながらも、効果的と思えば柔軟に受け入れて、戦術を転換できるのが乃木大将の凄いところであると思う。
WW2がワラワラ2と読んだ件で笑ってしまった。ただ凄く分かりやすいです。有り難う。
情報不足、対策不足で上層部がガバガバなのを、乃木さんをはじめ現場の努力と機転だけでカバーしてなんとかしちゃうのが
今の日本のコロナウイルス対策みてるみたいで他人事とは思えんわ
小説の坂の上の雲は間違いだらけだったけど、ドラマの方はわりかし事実に近づけようと努力はしてたと思う
坂の上の雲を原作としている以上訂正できない場面(児玉が旅順に来て第三軍参謀達を罵倒するシーンとか、児玉の独創で作戦を指示していたり、28cm榴弾砲の移動を指示していたり)もあるけど、海軍の要請(旅順に籠るロシア艦隊を撃破するか追い出してほしい)を達成しているのに黄海海戦で海軍が捕捉に失敗して取り逃がしたことを取り上げていたり(伊地知参謀長が嫌味を言うという形で表現)、艦隊攻撃が最優先だと考える秋山が直談判しようとするのを島村参謀長が力づくで秋山を押さえ込んで
「せっかく陸軍が追い出してくれた旅順艦隊を取り逃がした海軍が陸軍の方針に異議を言っても聞いてくれない」
と言わせて、暗に秋山らにも責任があることを示していたり、などと原作よりも旅順戦の苦戦は第三軍だけでなく陸海軍双方の指導部の判断の甘さも要因であるかのように表現されています
描写の方もちゃんと榴散弾の猛威を表現していたり、第三軍の将兵の軍服が日露戦争開戦時に改定されたそれまでの黒の冬服、白の夏服からどちらもカーキ色の軍服にしていたり、それも実際は提供が間に合わず旧軍服と新軍服と双方が混在していたり、などと映画二百三高地よりもはるかに考証的にはマトモだったと思うよ
原作が原作である以上、変えれないところは仕方がないのかなと見てて思った
日本の日露戦争での損害は、それまでに経験した戦争での損害と比較にならないぐらい多い。よく耐えきったと思うと同時に、近代における要塞戦の常識から見れば旅順は少ない損害で目的を達成できたのに、そう評価されないのは、ギリギリこのところで勝てたというドラマに、国民が陶酔してしまったからなのでしょうね。
児玉源太郎大将のおかげだね!
乃木閣下の柔軟な戦術戦略の賜物ですね。近代要塞をあの日数、損害で攻略したのを聞いた外国の軍関係者は驚愕したそうです。そして過酷な凄惨な戦場に於いて、果敢に勇気を振り絞り戦った将兵には、日本人として胸熱くなり、誇らしさで一杯です。
これも陸軍の柔軟性の好例で海軍との差がまた際立ちますね。陸軍が強い訳だ。
こういう日本ホルホル嫌いだわ
さらにWW1でドイツの青島要塞を落として、陸軍が天狗になってしまったのが惜しいですね。
トンネルを掘って地下から爆薬で砲台を破壊する作戦とかあまり知られてなくて、最初の突撃でバタバタ倒されたことばかりが誇張されて広まった印象。
乃木大将のイメージが映画とか小説の影響で突撃戦法しかできない将軍になってるけどむしろ柔軟性のある名将やんけと思った
東郷と真逆でめっぽう部下と運に恵まれない将軍だったからね……
お、伊地知無能論者か?
@@ms08p34 伊地知参謀長が無能なら、対砲兵戦すらろくにやれずに白兵突撃をかまし続けた第一次世界大戦の前線には、味方をできるだけ殺そうとしている敵のスパイしかいなかったのでは?と思います。
工兵専門の上原勇作を参謀長にすべきだったという意見もあるけど、砲兵出身の伊地知の火砲運用ノウハウがあったからこそ効果的な砲撃戦を展開できたんじゃないかと思う今日このごろですね。
@@chiyo0216
その上原も塹壕戦術軽視してたしな
そもそも上原がいないと野津さんが大暴走しちゃうから…
映画203高地のイメージが強いです。
兵が前線で食事を摂るときのシーンが。
「おーい、飯だぞ!」
「おおっ、色つき飯とは豪勢だのぅ」
「ちがう!?これは血じゃあ!」
小隊がパニクっているさなかに、新沼謙治扮する一兵卒が構わず黙々と食ってました。
おじや おじや 水が悪くご飯にボウフラがついている。兵隊は、下痢に悩まされ、
@@岸俊樹-b4l 正露丸の登場ですね
Riko K さん
当時は「征露丸」だったようですよ〜
@@kansaikontentu
コレを食って露助をブッ殺すのじゃぁぁぁあ‼️
乃木将軍めちゃ優秀じゃん。司馬遼太郎は名誉棄損で訴えられても良いレベル。
フィクションだから仕方ないね
そうしないと自分の小説が盛り上がらないし…盛り上がらないと売れないから…
司馬遼太郎は陸軍がめちゃくちゃ嫌いだったんだよなあ。ルサンチマン全開で小説書いてるからしゃあないね。
1192kamakura そう、それを知ってから司馬史観から抜け出せた。司馬さんは今でも好きだけど。
ノモンハンを書けなかったのは、調べれば調べるほど(特にソ連崩壊以降色々新資料が出てきて)、自己否定になるからだったんだと思う。
そもそも司馬遼太郎やパウル・カレルみたいなフィクション作家の作品が一次資料扱いされるのは日本のアレなとことして有名
どうやっても切り崩せないからとりあえず乃木希典呼んでおこうってなって更にバルチック艦隊が到着するまでになんとかしろってww
昔から日本の上層部ってのは目玉が飛び出るくらい無能の集まりだったんだな
今で言うとブラック企業に勤めて死にかけながらノーベル賞物の開発したみたいな話だよね、乃木希典さんって
弾薬不足や上層部の作戦介入・史上初の近代要塞戦等に振り回されながらも的確な判断を下していった第3軍司令部や最前線で奮闘する日本軍将兵もそうだけど、同時に孤立無援な状況下で降伏まで耐え抜いたロシア軍将兵の活躍ももっと知られていいと思う。
映画『二百三高地』子供のころから5回くらい見たわw
あれも古いから基本的には司馬史観の影響を受けてるんだけど、人間乃木の苦悩がよく描かれていた。何よりも要塞の堅固さについての描写は説得力があった。当時、機関銃に対する盾となりうる原始的な戦車か、せめて迫撃砲でも開発されてれば死者も少なくて済んだのだろうが・・・
一応、迫撃砲は現地で制作されてました。
学校では教えてくれない…
確かに、学校教育での日露戦争は奉天会戦と日本海海戦が強調されがちですね。
それまでの過程を見てみると非常に興味深いのですが。
なお日露戦争で塹壕戦学んだロシア軍は第一次大戦までにドイツ軍の突撃歩兵にあたる部隊と突破戦術を考案した模様
この甚大な死傷者の数にめまいがするけど、彼らは間違いなく本土にいる何千万もの国民の、家族の命を救ったんだよね。
突撃…怖かったやろうなぁ
@@suri4713
日露戦争の頃にはヒロポンねえんだよなあ
@@suri4713
君もう帰っていいよ
映画203高地で隊長が頭イっちゃて銃弾の中ニヤニヤ笑い出すシーンが怖かった
そういった恐怖心を克服するために普段の厳しい訓練があり、厳しい指導が必要なんですよね
ただその厳しい指導というのが部隊内での上級者が下級者への意味のないしごきとかに繋がってしまうんですよね
軍隊という組織の永遠の課題なんだろうな〜
英語圏の日露戦争の動画で、
「私のお気に入りは日本人が踊りながら死んでゆくシーンです。」
って書かれてて、それめっちゃいいねされてて震えた。
あれは演出過剰なシーンをネタにしてるだけで別に蔑視感情はないと思うぞ
最近の中国映画だったら、やられると脚をバタバタさせながらめっちゃ飛んでいくことが多いが、それの日本版の振り付けのことでしょう。確かにバンザイしつつ3回転くらいしながら倒れるシーンが何度もあり、日本人が見ていてもちょっと目につくのは事実。まあ、中国系や韓国系は溜飲を下げながら見ているのかもしれないが。
分裂行進曲ほんとにいい曲だ。
どこで買ってきたかしらないけど祖父が分裂行進曲とか大空とか入ってるレコードを持ってたのが懐かしい。
坂の上の雲見たからか、乃木大将を万歳無能かと思ってたら普通にマトモな将軍でした
二百三高地を観てると、児玉源太郎万歳映画にもなります。本来は海軍と旅順要塞に板挟みになりつつも、要塞攻略を成し遂げた乃木と陸軍の強さですね。
というか、当時の銃火器の性能向上による攻撃重視の考えが西洋列強の軍部を支配していて、要塞戦でも所謂万歳突撃でも落とせるという考えが支配的だったんですよね
司馬遼太郎は作品内で「当時の要塞戦はヴォーバンの攻囲戦術が基本だった」と書いてるけど、これは間違いで、当時は旅順第一次総攻撃で第三軍がしたように砲撃を浴びせて敵を無力化し、体制を立て直す前に強襲して制圧するというのが基本でした
数年後に起こった第一次世界大戦の緒戦でもドイツ軍とか列強は敵の要塞や陣地に対して同様の戦術をとっています
というかヴォーバンの戦術自体もナポレオン戦争前の戦術で、銃火器も青銅砲や先込めの単発銃、要塞は煉瓦造りの高い防壁の城のような構造という、日露戦争時よりも100年以上も前のもので、この時点でも旧式化して西洋列強に見向きもされなくなっていた戦術です
なので当時の常識では万歳突撃は無能でもなんでもないんですよね
塹壕戦とか、なるべく兵を散開させて消耗を減らすとかの考えは第一次世界大戦中から考え出された戦術で、むしろ第一次総攻撃を5日で切り上げて塹壕戦による正攻法を始めた先取りして実施した乃木は先見の明があったと思いますよ
後世の発想で、その時代では常識だったことを批判するのは頓珍漢な行為だし、歴史を扱う人間としてはやってはいけないことです
乃木の奉天での活躍って余り語られないよね
乃木間に合わないと結構危なかったのに
旅順要塞陥落でロシア〜ソ連はウラジオストク周辺に要塞を沢山作るんだよね
すばらしい動画じゃった。最高じゃ。もっとみたい!!
うぽつです。私は、当初この旅順攻略戦はやみくもに兵力を導入して人海戦術でもぎ取り「負けに等しい勝ち」と思っていたが、当時の状況や戦術を考えると、これでも効率的な戦い方だったのかな、と思います。
俺も先生に乃木さんが全員突撃で何とかもぎ取ったと聞いたが、本当は乃木は優秀と知り、先生を信用出来なくなった
20年くらい前に出された研究書から乃木の名誉回復が始まったんですよね
昔の戦いを現代の戦術で考えて批判するのは間違いだってわかり始めたんだよな。
26:54 「旅順開城約成りて敵の将軍すてステッセル。乃木大将と会見の所は何処。水師営。庭に一本棗の木。弾丸跡も著く崩れ残れる民屋に今ぞ見える二将軍。乃木大将は厳かに御恵深き大君の大詔伝うれば彼畏みて謝し奉る。昨日の敵は今日の友。交わす言葉も打ち解けて我は称えつ彼の防備。彼は称えつ我が武勇。形正して言い出し「この方面の戦闘に二子を失い給いつる閣下の心如何にぞ。」と。「2人の我が子それぞれに死所を得たりと喜べろ。これぞ武門の面目。」と答える声に力有り。両将昼餉を共にして尚も尽きせぬ物語。「我に一頭良馬有り。今日の記念に献ずべし。」「厚意謝するに余りあり。軍の掟に従いて他日我が手に受領せば永く労り養わん。」さらばと握手懇ろに別れて行くや右左。筒音絶えし砲ひらめき立てり日の御旗」(ua-cam.com/video/9JtS5CnK3d0/v-deo.html 佐々木信綱作詞岡野貞一作曲「水師営の会見」)
司馬遼太郎のおかげで、偏った印象がありますよね。
さっき旅順関連検索して昔TBSがスペシャルドラマで制作した「獅子の如く」の一部抜粋の動画みてきたが、戦闘シーンの風景からしてガバガバなんだが、例のごとく司馬史観で乃木無能 兒玉有能的に描かれてたな。
そんでコメ欄も日本軍はWW2まで銃剣突撃だけをする馬鹿な軍隊だったみたいなこと言う輩もいるのね。
MS兄貴の他の解説にあるようにWW2の日本陸軍のドクトリンはそんなステレオタイプなもんじゃねえよと突っ込んでおいたわ
ってゆーか。陸軍って、牟田口の糞以外、総じて優秀やね。寧ろ、海軍の方が馬鹿が多い。諜報はガバガバ、対潜能力は潜水艦に負ける駆逐艦。正直、戦争した事あるのか⁉︎
@@masa8856
いや、牟田口の腐れ縁の河辺とか河辺の後任でビルマ方面軍司令官になったKMR兵太郎もなかなかやで(まあ、KMRは河辺にめちゃくちゃにされたビルマ戦線を押しつけられたと同情もできるが)
あとは富永とか花谷とか…
@@chiyo0216 木村にも牟田口にも大いに議論の余地があるし、その議論はほとんどされることなくネットで叩かれてると思うが。
日本人の悪口言ってるのはいつもアイツら。
端的にいうと本格的な要塞攻略は大阪城攻略以来だからノウハウが無かった。長岡外史が分かったような事を言っているが、あれは藩閥と陸大閥との派閥抗争のためのレトリックにすぎない。
日露戦争は、この戦いに限らず観戦武官が各国から見に来てて
後のWW1あたりでの戦いの参考になってると聞きますな
この戦いでの乃木の活躍で奉天会戦でひどく恐れられているのは有名
待ってました、日露戦争!次は奉天会戦をお願いします
奉天や遼陽といった他の日露戦解説もいつかやって欲しいですね。
某ちゃんねるの解説は正直客観性が微妙な面もあるので(満洲軍司令部叩きに走ってる感有り)
塹壕戦では防衛側有利で攻撃側が圧倒的に不利。砲兵最強で攻撃側が攻勢をかけることができれば勝利することができるという従来の戦闘方法が使えない中で柔軟な対応で攻勢方法を変えた乃木大将はやはり名将なんだなと改めて思った。
ここでの戦訓が活かされれば第一次世界大戦はもっと早く終わったのか、それとももっと延びたのかは誰にもわからないけど、確実に言えることは青島戦で日本軍はこの戦訓を活かしてドイツ軍を1週間で撃破していること。
13:32 英雄すぎる
奉天会戦の乃木様のご活躍を是非解説していただきたい!
ゴールデンカムイでも、そこそこ日露戦争の内容はあったけど、ここまで攻略するのが大変だとは....
そりゃ鶴見中尉も頭がおかしくなって、機関銃の音が音楽のようだとか言い出すわけだ…
実は近代要塞を攻撃するマニュアルなんか当時当然ながらあるわけがない。なんと現在の攻城戦のマニュアルでもこの第三軍の旅順攻撃がバイブルになっているくらいだそうな。
乃木さんが総司令官だったから兵の無駄死にが多かったと言うが、
児玉や他の軍人が総司令官になっていても軽微な犠牲で済む戦いではなかった事は否めない…
そもそも1万5千強の損害を無駄死にが多いとか言うのが無知
4万以上のロシア軍が立て籠ってる難攻不落の要塞に対して、5万強しかいない第三軍だぞ
常識的に考えれば多少数は劣ってても何重にも張り巡らされた塹壕と堡塁を持ってるロシア軍の方が圧倒的に有利だった
にもかかわらずほぼ同数程度の被害かつ約半年弱で攻略して、被害はロシア軍とほぼ同数なら若干と言ってもいいほど少ない
旅順戦の死傷者数は近代要塞戦ではむしろ少ない事例なんですよね
無駄死にだなんてことは全くない
誰がやっても同程度かそれ以上の損害が出たでしょうね
旅順攻略戦で出てくる意見ってテレビとかコメント見てる限りソンムとか他の塹壕戦とか比較のがない時点で殆ど感想ばっかりよね。
ww1初期のフランス軍とか被害こんなもんじゃないのによく総攻撃1回目からうまくやってるよな・・・
戦死者が多過ぎるだのと批判があるけど陸軍だけ4万人以上で海軍や軍属を合わせて6万人が立て籠もる要塞に約15400人の戦死者だったのは抑えたほうなのにね。
ゴールデンカムイにも203高地の話がでてきたね
日本軍の28センチ砲が味方吹き飛ばしてるの普通にエグい
本当に坂の上の雲の罪は深い。映画の203高地とかNHKの坂の上の雲がおもしろくて知名度高いせいで現代の日本人の大多数と多くの外国人が乃木閣下が無能な愚将だと誤認されている。実際自分も大人になって気になって調べるようになるまで乃木閣下は実直だが愚将だと思ってた。フィクションのくせにノンフィクションだと思われててひでえwだれか司馬史観完全否定の正史史観のめっちゃおもしろい旅順攻囲戦の映画でも作ってくれ!!この動画見てて改めて思ったが事実に基づいて作るだけですごくおもしろいし感動するだろこれ!これのどこにフィクション挟む余地があるというんだ!w
何かを有能に見せる為に何かを無能に仕立て上げて人気を取る
これはなろう系にも受け継がれる人気取りの不文律なんだと思います
ただ曲が最高
それは共感wNHKの坂の上の雲も映画203高地も史実気にしなかった面白いし曲はものすごい面白かった!!w教えて~~ください~~♪w
あらためて帝国陸軍きっての英傑、乃木希典将軍と帝国陸軍将兵の御冥福を御祈り致しております。
ありがとうございました。
毎回力作ありがとうございます。
感謝。
普通に数時間物の事細かに語る解説動画出して欲しい。
映像授業より普通に面白い。
あれほどの犠牲が生まれてしまったのはこれ程の規模の戦争を日本が経験したのが初めてだったというのが大きいのでしょうね。現在の歴史ではよく日清日露戦争とまとめて語られる事も多いですがそもそも規模が桁違いです。南山の戦いでは死傷4000の報告に「数字の0が一つ間違っている」と言った参謀がいたしその後事実とわかると「軍司令官である奥の責任問題だ」と言った関係者もいたそうです。そう考えるとよく旅順を攻略できたなと驚きます。
「桁が間違ってるんじゃないのか」と伊地知が言った。何たる不見識!と一部を切り取って批判したのが司馬史観ですが。実際には伊地知は何故死傷者の桁が多いのかを考察して先進的な対策を立てたのです。乃木と伊地知の知見はWWⅠ3年目に『ヴェルダンの吸血ポンプ』ファルケンハインがようやく到達した知見に等しい。
例えば、盤竜山東を取ったあと望台を強襲するのがセオリーなのだが、乃木と伊地知は数時間でこれを止めた。以降、児玉が再三望台強襲を要請しても伊地知は頑なに黙殺した。このセオリーが間接射撃の発達により無効になっていることをWWⅠ2年間、膨大な死傷者を積み上げて認知されたのだが、乃木と伊地知はこれを数時間で看破した。
以前ウチの棚を整理していたら「旅順戦蹟アルバム(昭和11年発行)」という本が出てきた。遺棄されたロシア軍のカノン砲や巨大な爆破孔が残るトーチカ、乃木将軍ら首脳陣の記念撮影したものなどが掲載されていた。カラーに着色したらもっと生々しいんだろうなあ。また、地元の要塞には28cm榴弾砲が据え付けられていたが、203髙地攻略のため取り外されて旅順に移設されたと聞いた。
司馬遼太郎は、掴んだ元ネタがガセだったて落ちだからなんだかなぁ。。
wikiで実態知ったときは、歴史の通説は信用しちゃならんなとおもった。
司馬が参考にした資料の「機密日露戦史」って事実であるか疑わしい箇所があったり第3軍の言い分が全くないまま作成されてるから余計に乃木以下第3軍を叩く内容になってて司馬もそれを真に受けて執筆したからね。
日本国内の、大小を問わず多くの神社の境内に
「 日露戦役戰歿者 」の文字が刻まれた
2.3m〜3.4m台の石板が建立されているのを
観ると、当時の大日本帝国の不沈をかけた
、まさに「 ロシアの植民地になるか、ならないか 」の国家の存亡を掛けた戦争だった事が分かるね。
質問
「その時歴史が動いた」(※)で見たのですが、第一次総攻撃の時に南山坡山(本動画(25:58))の地図上の「海鼠山」)(を占領し、そこからロシア艦隊を28サンチ砲で7日間砲撃し、第三軍の報告によればこれにより戦艦三隻が運動能力を喪失したんですよね。更に同報告によればその後もロシア戦艦が次々と戦闘能力を喪失し、ロシア艦隊は死角となる山陰(やまかげ)に隠れたんですよね。それでも尚第三軍は艦隊への砲撃を継続したんですよね。そして、ロシア兵捕虜から旅順艦隊主力が弾薬、火薬を撤去し、砲も陸上砲に転用し、水兵も陸戦隊に編成されたという証言を得るんですよね。そして、乃木希典大将は旅順艦隊が戦闘能力を喪失したと判断し、これを直ちに報告したんですよね。
推察するに第三軍は前期山陰で死角になる面積からして何発撃てば確率論的に敵艦に致命傷を負わせるだけの砲弾を命中させられるかを計算していたんだと思うんです。そして、前期捕虜証言か補強証拠となり、乃木大将は大本営に旅順艦隊壊滅状態の報告をしたんだと思うんです。
しかし、右報告にも関わらず海軍は二百三高地の占領を要請したんですよね。しかも陸軍参謀総長もこれを容れた。
ここで質問なんですが、乃木大将の情報判断は前期の通り合理的であり、信頼性が高いものであるにも関わらず、何故乃木希典大将の情報判断は信用されなかったのでしょう。
※ ua-cam.com/video/ci7SnIdFxKA/v-deo.html
明治期の陸海軍の連携、昭和にも是非欲しかった...
坂の上の雲の話とはえらい違いえはないか
というか日本軍強すぎだろ
歩兵が戦闘工兵になり爆薬を使うのが上手く、機関銃の弾幕を潜り抜け、圧倒的優勢のロシア兵を爆破と撃破を繰り返しつつ前進・・・・。強すぎだろう。
WWIを「わらわらいち」に突っ込み入れたい
ロシア軍てほんと陣地防衛好きだよな
北海道第七師団メチャ強いなぁ
マグロの刺身 個人的には第9師団も強いと思ってる
@@eratosthenes658 様、恐れながら第9師団とはどこの地方の師団でしょうか?
マグロの刺身 私の記憶が正しければ石川県の金沢第九師団だったと思います
ちなみに大日本帝国陸軍が初めに設置した師団は6個師団でこれが第一~六師団です。第1師団は東京、第2師団は仙台、第3師団は名古屋、第四師団は大阪、第5師団は広島、第六師団は熊本に司令部を置いていました。
@@eratosthenes658 なるほど、勉強になりました。ご説明有難う御座いました。
むかし司馬遼太郎の坂の上の雲を読んだけど、乃木将軍が隻眼だったことが全く書かれてなくて
びっくりしたな
東映の二百三高地だと参謀たちが皆双眼鏡を使う中で乃木大将が一人だけ単眼鏡を使ってたりと隻眼を示唆する描写があったね。
この戦闘で砲弾を大量消費したことから、2師団による師団規模の夜襲(弓張嶺夜襲)があったり手製の迫撃砲が開発されたりと色んな逸話や人々に影響を与えている。
名も無き戦史マニア 第2師団は夜襲が上手かったからあだ名が夜襲の仙台だったそうだねwww
ロシア軍の予備兵力を次々投入させ、消耗しつくしさせたのがすごい。
欧州は10年後ヴェルダンの戦いで両軍合わせて80万の大損害を出している
雑誌丸にかなり昔出てました、絵図有りででてたのぜ
うpお疲れ様です。
各所に疲労の感がでちゃってますが、私は更新頻度気にしまへんで。
WW2を(わらわらに)と読むのは最早定期。もっと布教しよう。
乃木閣下は西南戦争で連隊長として従軍し、薩摩軍と激戦を繰り広げていた際に、連隊旗手が戦死して陛下から預かった連隊旗を奪われてしまった。ここで自決しようとしたのを阻止したのが日露戦争の英雄児玉大将。日清戦争で2日で陥落した旅順を誰もが楽観視していた。
旅順のロシア軍も旅順方面軍司令官と旅順要塞司令官が権限を巡って対立したり、前線要塞守備隊のコンドラチェンコ少将がかなり人気があって戦死の報に守備隊の士気がガタ落ちしたりと敵さんもかなり大変だった。
全く関係ないけど風の谷のナウシカの第3軍がめちゃ強い設定なのは、日露戦争の第3軍が強かったからなのかな
3人で登山して穴開けた奴ら何もんや
名前とか残ってるんかな?
皆さん、戦死した両国の兵士士官の写真を見たことありますか❓
勿論!
今こうやって暮らせるのも先人達の犠牲のおかげだし、すぐにセンソウガー、ギセイガーって逃げずに次の世代の為にしっかり過去の戦争を語り合うのも今の世に生きる僕たちの役目だと思うね
@@クルマエビ-m9f
このコメ主ちょっとアレなやつやで…
この柔軟性が大東亜戦争時にもあれば
坂の上の雲を読んで歴史に興味を持つようになって、自分でも調べてみるようになると、
小説と事実の違いが多過ぎて驚いたよ。
特に乃木さんはなんか恨みでもあんのかってくらい扱いがひでい。
乃木さんは世間的にも名将的な評価されてたはずなのにどうしてなんだろうね?
ただ小説としてはすごく熱くなれたし感動したし今でも大好きだよ。
本当罪作りな小説だわ。
中国戦線について調べてるから中国での戦いとか解説して欲しいなぁ
ちなみにEratosthenesの篩は僕のメイン垢です
ガバガバな国民党の暗号を暴いて数で優れる国民党を打ち破った中原の会戦とか黄河下流の日本軍を水攻めにしてやろうと堤防破壊した黄河決壊事件とかネタには事欠かないからね。
chiyo0216 中原会戦は日本軍の情報工作にまんまと国民党軍が騙されてて滑稽ゾ。黄河決壊事件の後に住民が日本軍の味方になってて草。
@@登録者が一人増えるたびに自
被災住民の救助から食料の提供まで行ったからあの地域は終戦まで日本軍に友好的でしたね…
chiyo0216 中国の都市では自国の軍隊が来たら滅茶苦茶になるから日本軍を歓迎してた位だしね、仕方ないね
ナポレオンのロシア遠征で起きたヴァグラムの戦いみたい
あれもスゴイ堡塁(陣地構築)が目立った
クリミアでもこの陣地構築で英仏が酷い目に遭った
ロシアの伝統的なのが厳重な陣地構築なのかな・・・
@@taaaaakaaaaa0000
たぶんそれだ 砲兵と陣地作成で土地を保持し コサック騎兵でかく乱 歩兵の物量で制圧・・・こんな感じかな? (とにかくロシア人の土地への執着はトルストイか誰かの「人にはどれだけの土地がいるか」で ロシア人に対して警告しているらしい)
で 確か日露戦争のときは・・・というかロシアのホームグラウンドはヨーロッパ方面で これは人口比が示している(欧2億前後で アジア数百万人)シベリア鉄道一本ではとても兵站を賄えないらしい
そのため 一時的にアジア方面のロシア人の大部分が引き上げている話がどこかに書いてあった気がする
(輸送能力を超過したため 餓死を恐れて疎開だったかな?)
あと当時も今も軍人はひと世代前の戦術で戦う傾向があるらしい(第一次で一年ぐらい強襲し合ってた)
そのため 要塞戦の前例としてクリミア戦争のセヴァポリス要塞(未完)が半年から一年持ちこたえていたことから旅順要塞の強度はこれをはるかに凌ぐとクロパトキンは考えていたらしい(実際はかなり未完)
あと旅順担当のステッセリ将軍は「イスラムの法務官」と蔑称されるほどの無能で 降伏時には将校のほとんどが相手にしていなかったため 日本側の方が優しかったらしい(戦後の助命嘆願を乃木将軍が出しているのでこれは確実)
日露戦争を総括すると「ロシア無理すんな 策源地から遠すぎる・・・」状態で大変
クロパトキンもクビにならなければナポレオンにくらわした「焦土戦術」で勝者になれたかもしれん
どっちも紙一重で日露戦争は興味深い・・・(陣地作成どこ行った?)
兵站って大事
早急な攻略を…と要求してた大本営と海軍がむしろ…
乃木、第3軍つながりということで奉天会戦もお願いします!
「竜馬が行く」にしても「坂の上の雲」にしても事実と異なる創作が多いな!。「講釈師、見てきたような嘘を言い」と言うが、歴史小説を読んでると、ノンフィクションでも、まるで隣にいて会話を記録しているように詳細に述べている。すごい想像力だと感心する。
司馬遼太郎を 全面的に信用すると危険。
小説はフィクションですからね
作者の情念に基づくバイアスは当然ありますしね
創作の許容性というデリケートな問題もありましょうが…
ただ、S氏については「長安から北京へ」あたりで観察眼の甘さの馬脚を現していたと思いますけどね
07:39~(海軍が協力的だった事に対して)「それだけバルチック艦隊が迫ってきてた」
バルチック艦隊が本拠地・黒海を出港するのはこの前哨戦の2ケ月以上後の10月になってからなんだが・・・?
大正時代にクロパトキンが書いてる回想録昔読んだなー
どんなことが書かれてあったのですか?
乃木大将を恐れていた男がどんなことを思ったのか気になったので、差し支えない程度に教えて頂けたら幸いです。
@@寺内央 デジタル化されて誰でも読めるようになってるので是非読んでみてね!!dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782303
乃木大将と第3軍の旅順攻略がロシアにとってどれほどの衝撃だったか。旅順が陥落したその月にロシアで帝都を血で染める暴動が起こっているし、ロシア軍司令官クロパトキンも、第3軍が満州軍と合流されることに恐怖してあわてて黒溝台に攻勢を仕掛けている(皮肉なことにこのせいで満州軍はピンチに陥ってしまうのだが)。奉天会戦でもロシア軍は「旅順を攻め落とした猛将・乃木希典」率いる第3軍に対して兵力を必要以上に集中させすぎて、左翼の防衛線を黒木大将率いる第1軍に突破されるという失策を犯して敗北している。これだけの功績をあげた人を第3軍司令官から解任しようとしていた連中が参謀本部にいるのだから、救いようがない。参謀本部の愚劣さはこの頃に既に芽があったと言うべきか。
うぽつです!歴史の教科書とか資料集だと、機関銃がロシア側にしか無いって書いてあるんですよね・・・なんでだろ?
あと、旅順要塞ってWW2のマジノ線みたいな構造ってことでいいんですか?
マジノ線ほど近代的ではないし、あそこまで分厚くないです。堡塁と陣地の集合体だと思ってもらえればいいと思います。
@@ms08p34
分かりました!
日本軍に機関銃あったんだ
するとあの映画の解説で日本軍は機関銃も手榴弾も見た事がないというのは嘘だったんだね
あったと言っても開戦時点では秋山の騎兵旅団に騎兵砲の代用として配備されていただけで、国内量産も開戦一年前に始まったばかりで数も少なく、軍の将兵のほとんどは開戦時点で知らなかったですよ
大体現在のように情報伝達力が大きく劣る時代です
新兵器が配備されても、それを映像とかで全将兵に通達できるわけでもなく、実演を全軍将兵が見ることができるわけでもありません
下士官兵は配備されてた極少数の部隊以外は見たことも聞いたこともなかっただろうし、士官にしても関わった事のある人以外は文面とかで、そういう新兵器があることは知っていたかもしれないが見聞きしたことがないというのは下士官兵と大同小異だったでしょう
ある=全員が知っている
とは限りませんよ
リアルとフィクションって結構違うんだな