【幼少期から編集時代まで】山田五郎物語まとめ!【山田五郎 公認切り抜き】

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  • Опубліковано 23 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 66

  • @studiokazuyo
    @studiokazuyo Рік тому +39

    私の家には絵が一つかかっていた。絵といっても水墨画、それも素人っぽい、こけしの絵だ。母の結婚式に友人がお祝いに描いてくれたものだそうだ。日本に帰ってきて引き出しを開けたらきちんとしまってあり、それを見た途端に私の小さい時育った家や思い出が蘇った。今その絵を見てわかるのは、この絵を描いた人は母が好きだったのではないかと言うこと。良い絵です。

  • @奥澤千鶴子
    @奥澤千鶴子 10 місяців тому +7

    楽しいお話しありがとうございます⛩️🇯🇵山田五郎誕生面白いです。きちんと大人になって素敵です♥️

  • @パディントン-x6v
    @パディントン-x6v 3 місяці тому +16

    ペンネーム山田五郎の誕生のエピソード、最高に面白い。人間国宝級。

  • @mmasahiko40
    @mmasahiko40 Рік тому +24

    今年、60歳になりますが話に出たように同じような体験しています。
    幼少のときに3階から落ちたり小学校の時に気が付いて起きたら頭に
    包帯巻いていて聞くと車にはねられたとのこと。救急車で病院に運ばれれたけど
    帰りは歩いて家に帰ったみたいです。
    幸運なことに家内も娘も車にはねられた経験がありますが軽傷ですんでいます。

  • @吉川素子-r8b
    @吉川素子-r8b 10 місяців тому +7

    五郎さんは、本当~いつまでもお若い!!!
    良い意味で、ピーターパン~!
    上野でカラヴァジオの映画上映前のト一クイベントで
    きれいなお姉さま水野さんと対談されて、とても
    おもしろかったです~
    私もスペイン少年にバック盗られそうになったけど
    周りの人が止めてくれました〜
    日本人は、すきがあるんでしょうね~
    それからいつでも漁師べストかウエストポーチに
    しています〜
    五郎さんの若い時のお話も面白いですね〜
    アップありがとうございます〜

  • @aryn7201
    @aryn7201 Рік тому +55

    通訳さんの話、笑い話だけど、なんか泣ける。
    通訳さんはチュニジアを背負って、なんとか日本人観光客を呼び込もうと必死だったんだろうな…。泣ける。

  • @duranduran1672
    @duranduran1672 Рік тому +15

    五郎さん大好きです。ブラブラ美術館終わって残念。話も面白いし素敵❗

  • @usagi7011
    @usagi7011 Рік тому +59

    何度聞いてもホッコリ面白いお話に、新年から幸せ気分になれます
    五郎さんは不思議なキャラですね
    そしてそれだけじゃなくて、知性と教養と優しさゆえに尊敬の念まで……
    毎々ありがとうございます🤗
    新年もどうぞ宜しくお願い申し上げます🙏
    💓🎌🐰🌸💓

  • @憲夫松本
    @憲夫松本 Місяць тому +4

    私もフランスで大学に通ってましたが日本の大学と異なる大学運営に驚いたことあり。留学から帰って性格が変わったと言われてました。確かに留学して人生観が変わりましたね。

  • @さ-j1
    @さ-j1 10 місяців тому +7

    楽しいお話聞く事が出来て、良かった、山田五郎誕生のも、面白かった、
    ぶらぶら美術館ずっと観てました
    今日は、若い頃のお話、車にひかれた、パスポート盗まれたり😅本とに、もっと、もっとこれからも、続きを、楽しみに、待っています。😃

  • @聡宮田-n5u
    @聡宮田-n5u 2 місяці тому +9

    つくずく五郎さんて好い人だね。知識量ハンパないし

  • @こちゃちゃ-d2e
    @こちゃちゃ-d2e Рік тому +30

    ベルニーニの話。江戸時代、日本ではチラシなみの扱いの浮世絵がヨーロッパでは「素晴らしい芸術作品‼️」と評価を受けた話を思い出しました。

  • @moyomon5438
    @moyomon5438 2 місяці тому +5

    いい話だらけで感動した!ありがとう

  • @erikasono565
    @erikasono565 Рік тому +22

    「留学しても、専門の先生に師事するのならともかく、ざっくり西洋美術史というのなら日本で学んでも同じ。それより現物の絵を観た方がいい」って、本当にそうですよね。
    私の場合には、師事したのが普通のゼミを担当して学生を教えている教授ではなく、研究所で資料研究をしている教授。
    その分野で世界の第一人者と言われていた方だったのですが、その教授の手におえない難題について議論していたら、「それじゃ、君がウィーンに行って調べてきて。僕は研究所を離れられないから」って……。
    「延々と給料も払わずにただ働きさせられただけなんじゃないの?」と親は怒っています。確かにそういう面はありますが、でも、大学でゼミに出ているだけよりは遥かにまし。
    ウィーンにいる間は、昼間は図書館や資料館の開館時間一杯、自筆譜と格闘していましたが、図書館の閉館時間後は、毎晩のようにウィーン国立歌劇場やウィーン楽友協会、コンツェルトハウスに通って、当代一流の演奏を浴びるように聴きましたし。
    尤も、ドイツの場合には、日本で大学院を出ていても、最初に2~3科目の複専攻制度の下でマギスター課程を履修させられるから、必修外国語何か国語とか、ゼミの単位とかで、自分の研究に行きつくまでに最低4年かかるのですけれどもね……。
    資料研究とオペラ座・コンサート通いに明け暮れたウィーン資料研究滞在中が、結局、一番充実していました。
    あのまま、あれを仕事にできたら一番幸せだったのですが、なかなかそうもいかなくて(笑)
    *****
    「博物館や美術館は保存研究するところであって、見せるところではない」
    でも、博物館や美術館の資料室は、研究者が申し込めば、所蔵する資料を閲覧させてくれますよね?
    私のウィーンの資料研究滞在は、オーストリア国立図書館、ウィーン図書館、楽友協会資料室、オーストリア国立資料館、ウィーン市資料館などが主体でしたが、一部、博物館所蔵の資料があり、博物館の資料室でも閲覧したことがあります。
    図書館等では、自筆譜等の資料は監視員の目の前の席でしたが、たいていの資料は素手で扱っていました。でも、博物館では、素手で資料に触れないように白手袋を渡されました。
    図書館でも、個人がオークションで競り落とした自筆譜を図書館に預けていて、亡くなった際には相続税の物納という形でそのまま国庫に入るというものがあり、そうした個人蔵の委託資料は、空気に触れて劣化しないよう、30分限定で白手袋で扱う。
    私が通っていたオーストリア国立図書館音楽部門が、まだ移転前で王宮のアルベルティーナ翼(今は改装されて美術館になっている)4階にあった頃、パート譜をヘルデンプラッツの国立図書館本館半地下の大型資料閲覧室で閲覧していた時期があって。
    当時、やはり王宮アルベルティーナ翼2階にあったオーストリア国立図書館美術部門が所蔵するデッサンを研究者が閲覧する際に、美術部門も移転準備中とのことで、やはりヘルデンプラッツの国立図書館本館半地下の大型資料閲覧室で閲覧していて、パート譜を調べている私の目の前で、研究者がデッサン、スケッチ画を閲覧していたことがありました。
    貴重品らしくて、研究者は白手袋着用、そしてすぐそばに監視員が立っていて、ずっと監視していました。
    -
    大作曲家の自筆譜も、オークションにかけられると、1枚何億円相当というものが多いらしく、ずっと現物から紙の透かしをトレースしていた私は冷や汗のかきどおしでした。
    7Bくらいの柔らかな鉛筆を20本くらい、ツンツンに尖らせて準備しておき、トレース紙の上から、軽く細い線で、自筆譜を傷めないようになぞっていく。(線が細いため、後でスキャンして電子データにする際に、濃度などの調整と、その際にできるシミの除去が必要で大変なことになります。)
    この作業には熟練が必要で、私はこのことにかけては、嘘ではなくて、世界一の自信があります。
    幼少時に絵画を少し習っていたことが幸いしたのか、ドイツに来る前に、イタリアで筆写譜カタログ作成時にも、引率教授から、この仕事は私の方が上手だから、と任されていました。お蔭でドイツ・オーストリアでは、この分野で世界の第一人者と目されていた指導教授が、私にはとても敵わないと音を上げて、後は私にお任せ、という状態だったので(笑)
    今は、7Bの鉛筆より柔らかい、デッサン用の黒炭鉛筆も持っているのですが、この方面の研究が続けられる状況ではなくなってしまって、能力の発揮のしようがなくなってしまって。
    本当は、この仕事にかけては私の右に出る者は世界中探してもいないだろうから、それで食べていけるといいのですけれどもねぇ(笑)
    -
    ただ、アトピー性皮膚炎と花粉症が酷い私は、ピークの春先から初夏にかけて、鼻の粘膜を傷めて鼻血を出しやすい。
    自筆譜研究中にもし鼻血が出て貴重な自筆譜を汚してしまったら、と思う時が気ではありませんでした。弁償の仕様がありませんからね。

    • @erikasono565
      @erikasono565 Рік тому +7

      山田五郎さんというのは、本名ではなかったのですね。芸能人でなくても、こういう形でペンネームで活動している人もいる、と。
      私の Erika Sono はSNS用のペンネームなのですが、もはや、本名より通りがよくなっているようなので、五郎さんに倣って、SNS以外でもペンネームとして活用することを検討したいと思います。(すでに本名で活動している専門分野の研究以外)
      -
      ウィキペディアを拝見して、灘中受験に失敗して公立中に行って回りがバカに見えて非行に走り、東大受験に失敗して上智大学新聞学科に入学、美術史に目覚めてザルツブルク大学に留学、田舎過ぎて暇で退屈した、大学院進学を志すも、周りに引き留められ……というので、爆笑。
      私も随分、挫折や回り道をしてきたように自分では思っていたけれど、五郎さんは私の比ではないですね。
      学芸員資格はお持ちなのでしょうが、美術専攻の教授とは切り口が異なるお話しぶりの背景が少しわかったような気がしました。

  • @DCTOMS1
    @DCTOMS1 Рік тому +30

    与野党含めて現役代議士の40%以上が世襲議員のこの国で、志のある若い研究者が2年や3年足らずの契約期間で切られてしまうとは、一体どういうことなのでしょうか?
    先進国への道は遙か遠いですね。
    欧州の学芸員さんの「われわれは預かっているだけ、求められれば総て見せる」という哲学に隔絶の感ありですね。

  • @ひかり-g7u
    @ひかり-g7u Рік тому +24

    やはり血筋なのですね、五郎さんがこのようなUA-cam番組をなさっているのは。

  • @吉川素子-r8b
    @吉川素子-r8b 10 місяців тому +10

    バンクシーのように
    美術館や画廊で特別なものでなく
    皆がたのしんでもらえるア一トの方が
    いいんじゃないかと思います~
    五郎さんのお話は、わかりやすく
    幅が広くておもしろい~
    私も美術館学芸員に憧れましたが、
    とっても狭き門ですね~
    でも何でもムダな経験はないので、
    誰にでも~たのしめるア一ト~
    思考中です~

  • @久須田眞也
    @久須田眞也 Рік тому +12

    夕べラジオ聞きました
    音楽も造詣が深いんですね

  • @hiroakitakagi7724
    @hiroakitakagi7724 Рік тому +27

    五郎さん、最高。

  • @mannganninc
    @mannganninc Рік тому +11

    確かに昔は誰かが車にはねられるのは日常茶飯事でした笑

  • @リム-f2v
    @リム-f2v 6 місяців тому +3

    五郎さんのモンブランのシャープペンシルの先が割れてて芯を押さえるのを聞いて…確か父のシャープペンシルの先が割れてるのを思い出しました。モンブランの万年筆はありますが、シャープペンシルは捨ててしまったみたいです😅そんなに高かったとは知らなかったです😅

  • @リム-f2v
    @リム-f2v 6 місяців тому +10

    五郎さんの若い頃の写真はイケメンですね💓顔立ちは変わってないのだから、髪の問題だと思います。一度カツラで眼鏡取り講義して下さい💓楽しみにしています💓

  • @artistak1
    @artistak1 Рік тому +6

    幼稚園児の頃、狭いアパートのトイレ近くの廊下に母親がモディリアーニのコピー画を飾ってあって
    トイレから出たあと目の前にその絵が目に飛び込んでくるんだけど、それを見るのが怖くて怖くていつもトイレから走って部屋に戻ってました。
    何故か親にその絵が怖い😱ってことを伝えられなかったのが不思議です。怖いという気持ちが恥ずかしかったのか❓❓
    今となっては分かりません。

  • @nania6363
    @nania6363 Рік тому +10

    最初に見た絵はおじいちゃんの絵だったな。油絵が趣味で、いつも描いてたな~。油絵って独特の匂いがあるから、描いてるときすぐわかったw

  • @花柳彩々
    @花柳彩々 3 місяці тому +4

    五郎さんは日本随一の美術研究者にしてインテリですね^^
    その聡明すぎる頭脳は天才を超越したといえるでしょうね

  • @suttobokesuttoboke6755
    @suttobokesuttoboke6755 Рік тому +6

    ナショナルギャラリーの贋作の話は素敵ですね。

  • @藤井正昭-j1b
    @藤井正昭-j1b 2 місяці тому +3

    ワダさん元気かなー 久々会いたいです。

  • @yukihikoyamada2006
    @yukihikoyamada2006 Рік тому +2

    自分は若い頃、ドイツに留学していたのですが、五郎さんはオーストリアの大学に籍を置きながら、一人の先生の意見で、大学通学よりも、欧州美術放浪の旅を続けた、と言う辺り、ちょっと自分と重ねて見たりもしますが、しかし、芸術的感性の豊かな人が吸収して来たもの質が違うな、と思いました。

  • @satorusuzuki866
    @satorusuzuki866 Рік тому +9

    チュニジアでの体験談で、女優の名取裕子さんがロケでチュニジアに来ていたとのお話でしたが、それはもしかして阿刀田高の「海の挽歌」の映画化ではないですか。わたしはそれに関係のあるチュニジア人建築家(日本のチュニジア大使館を立てた人)の息子と称する人と知り合いになったことがあります。

  • @Tubingenstr
    @Tubingenstr 20 днів тому

    私の元カノはリヨン大学法学部生でしたが、エリート意識のスノッブな同級生の雰囲気が嫌になって文系大学に転学転科して学芸員になりたいと言っていました。結局数十年後、マコンの近くの村の議員をしているようです。結局数十年後、マコンの近くの村の議員をしているようです。今では孫もいる可能性のある歳です。学芸員や研究者は本場のフランスや欧州でも本当にポストが少なく大変なようです。

  • @碓井謙
    @碓井謙 Рік тому +4

    山田先生より7歳ほど年下ですが、大伴昌司さんのイラストにヤラれたクチです。
    (お名前を知ったのはかなり後でしたが・・・)
    幼少時、新聞から裏の白いチラシを抜き取り、毎日のように怪獣やヒーローの透視図を描いていました
    成績も悪く他に何も取柄もない自分でしたが、絵だけは描き続け
    高校からは画塾に通うようになり浪人して美大に進みました
    その後は企業に入ってデザイナーの仕事をしております
    自分だけじゃなかったことにビックリですw

  • @bananalemon9145
    @bananalemon9145 Рік тому +13

    Love to study the paintings in Amsterdam museum and NG again as you mentioned. Thanks for uploading. M of Denmark provide a studio for visitors. But Amsterdam M sounds very good.

  • @あるあ-k5e
    @あるあ-k5e 11 місяців тому +8

    イケメンすぎる

  • @yua1165
    @yua1165 Місяць тому

    1年前と今も違いにビックリしてましたが、若かりしころはもっと違う姿に、ただただビックリしてます。

  • @アンリル僧
    @アンリル僧 Рік тому +28

    海外で男性が同性に親切にしてくれる場合は大抵ゲイですよね。私もスペインで遭いました。😅

  • @nmiokc
    @nmiokc Рік тому +15

    贋作の話、いい話だなあ。日本なら、いくら興味があって真面目に知ろうとしている学生がいても、そんな学芸員の親切心だけである程度機密であろう収蔵品までわざわざ説明して見せてくれたりしないだろうな。
    日本の固くて丁寧な社会もいいけど、欧米のゆるい人柄を生み出す文化ならではじゃないかな。

  • @パディントン-x6v
    @パディントン-x6v 3 місяці тому +5

    イタリアでのエピソード面白い!

  • @user-akoOKI
    @user-akoOKI Рік тому +18

    なんと!村松先生のご親戚だったんですね!村松先生には冗談か本気か分かりませんけど「ヌードモデルになれ」と口説かれたこともあります

  • @Oxalis_acetosella
    @Oxalis_acetosella 10 місяців тому +8

    20:03 ここのため息に万感がこもっていて笑いました。

  • @jbfmify
    @jbfmify Рік тому +5

    跳ねられる?私も3才の時にバイクに跳ねられ、顔から砂利に落ち今でも口に傷残っています。跳ねたの朝鮮人で貧しく、泣き寝入りでしたけど、時代ですかね。

  • @comachicoma2628
    @comachicoma2628 Рік тому +3

    絵本以外ではなんと、モナリザ!ほんまですよ。
    思ったより小さくてびっくりしました。まだまだ海外旅行が一般的になる前の時代。
    父と、祖父がモナリザを私に見せようぜ。企画の旅行だったのでしょうね。小2の夏休みで、モナリザのイメージがあったのが自分でも不思議。

    • @こちゃちゃ-d2e
      @こちゃちゃ-d2e Рік тому +3

      本当に小さいですよね。それから、さりげな~く展示されているのも驚きました。なんだか拍子抜け😁 今はどうだか知りませんが。

  • @poiuytre6030
    @poiuytre6030 Місяць тому +1

    おもしろい話のストック多すぎ

  • @海道狂也
    @海道狂也 Рік тому +5

    最初に観た絵なんて誰も分からないよ。
    最初に強く印象に残った絵と言えば、勿論子供の頃で、ゴッホの「はね橋」。
    当時、「炎の人ゴッホ」を読んでたからね。

  • @XIIIRaphael
    @XIIIRaphael Рік тому +62

    「ワダさ〜ん、これみてどう思う?そうこの山田五郎って人、若い頃イケメンなんだよーぉ。でこの人、万年筆に造詣があるんだよーぉ。ところでワダさんゾウケイって分かる?」

  • @chee.ooooooo1159
    @chee.ooooooo1159 5 місяців тому +2

    この動画に出会ってから、好きな男性のタイプが河野太郎から山田五郎に変わりそうです

  • @助六-k9w
    @助六-k9w 11 місяців тому +2

    凄い‼️凄い生命力!‼️

  • @u.mayumi2862
    @u.mayumi2862 Рік тому +4

    そういえば、私もはねられたことがあります。たいした怪我はしなかったけれど。

  • @imagami
    @imagami 8 місяців тому +2

    親父が売れない日本画の絵描きでした。高度成長期は内職で掛け軸を描いてました。五重塔をモチーフにした絵を描く。住所をそろそろ覚えろ。3の32の10だぞ。言ってみろ。
    3の32の五重塔。何度復唱しても五重塔。親父がイライラし手が飛んでくる。泣いてましたねぇ。

  • @関乃江
    @関乃江 Рік тому +5

    苦労された方だったんですね。盗まれた話しは、私は笑えません。知らない土地でそれは不安だった事でしょう。(T_T)その苦労が、現在に生きているんですね。いゃぁ~やはり、講演会開いて呼びたいなぁ~。勿体ない。もっと知りたいわぁ。

  • @csny0627
    @csny0627 Рік тому +2

    母の姉のおばは伯母と書きます。母の妹が叔母です。おじも一緒で、兄・伯父、弟・叔父です。

  • @take5t0ky0j
    @take5t0ky0j Рік тому +3

    人生相談w 26:35 ~ チュニジア人ガイド=クマイース・ウーレル・アブレッサイエロ氏のトラウマww

  • @さんちゃ太郎
    @さんちゃ太郎 Рік тому +1

    ぎゃー五郎さん色々あったんですね😅でも素敵です❤

  • @ドクター日本
    @ドクター日本 Рік тому +2

    7:40~ 私もアメリカ遊学中、3人のゲイに遭い、2人に「声掛け」されました。1人が黒人の学校の先生、もう1人が白人でした。「声掛け」しなかった白人男性も、学校の先生でした。
    9:28~ 日本の学芸員は、どうなんでしょうね? 日本は、杓子定規だから無理かな?

  • @hmax6400
    @hmax6400 Рік тому +6

    「中野京子」物語もキボンヌ!!

  • @oozuko
    @oozuko Рік тому +9

    五郎さんの若い頃 藤井風似?💧

  • @小林薫-i5j
    @小林薫-i5j Рік тому +1

    小年マガジンが僕らの夢だった。未来を作る。おおともショウジ翁。あれから55年。未来はクレヨNしんちゃんの続き。 30:19

  • @YeswwwNot
    @YeswwwNot Місяць тому

    尾崎豊?バイク乗るんだ😊
    山田五郎とて1日にして成らずですね

  • @hyu954
    @hyu954 9 місяців тому +2

    チュニジアでスパルタ教育w

  • @yukioozaki1746
    @yukioozaki1746 8 місяців тому +1

    Wada-san-no shitsumon ya han-noo ga kawai-sugi-te tamaranai Wada-san o regular de mosaic nashi de video-shutsuen shite itadake-masen-ka?

  • @kaom849
    @kaom849 Рік тому +3

    20代の頃、この人にガン見されたことがある。仕事中で道具を取っている時だった。私のパンツでも見えたのかと不安になった。

  • @ev_ene_env_hunt-suruga4167
    @ev_ene_env_hunt-suruga4167 Місяць тому

    美術には全く疎いのですが、山田さんの解説は面白く拝見しています。
    文房具・メカニカルペンシルに詳しい方が見ておられたら教えて欲しい質問ですが、芯の0.92㎜/1.18㎜という規格は何に由来しているのでしょうか? (当方、メカ好きの規格オタクです)
    このようなキリ悪い寸法はインチ由来かとも思うのですが、インチに換算してもキリの悪い値です。
    chatGPTに訊いたところ、0.92㎜=0.036インチ/1.18㎜=0.046インチ と云いますが、その値をミリ換算して少数二桁で四捨五入すると0.91㎜/1.17㎜となります。 0.92㎜は約0.0362インチ、1.18㎜は約0.0465インチでなければその寸法にはなりません。 私もインチ規格のものは色々みていますが、*/1000インチまでがせいぜいで、*/10000のオーダーまで刻むものはあまり知りません。
    なお、ヤーポン法のUSの連中はしばしば度量衡を分数で謳います。
    例えば、インチ換算すると0.375インチになるものがありますが、これは3/8インチになります。
    さらに、分母が二桁(たとえば12、16、24、36、など)になれば小数としたときの値はさらに半端になります。 */***インチとすれば0.92㎜/1.18㎜の近傍になるのでしょうか??
    最後になりますが、山田五郎さまの快癒・健康・長命をお祈りします。
    これからも素晴らしい評論をお願いします。