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今45歳ですが、子供の頃ピアノを習ってたのでポリーニよく聴いてました。リストのソナタがすごく好きでたくさん聴いてました。後ショパンのソナタ2、3番、幻想ポロネーズ、モーツアルトのコンチェルト23番等をよく聴いていて、すごく好きでした。今はベートーヴェンの後期ソナタをよく聴いています。2000年代前半に、サントリーホールにも聞きに行ったのですが、やはりテクニックの衰えを感じました。それでもずっと大好きなピアニストの1人なので寂しい限りです。イタリア人って、真面目な人とそうでない人の差が激しいですよね笑コンサート前に嘔吐していた話は胸が痛くなりました。やはりストレスが大きかったんだな。ご冥福をお祈りいたします。
PolliniのL'isle joyeuseがUA-camにあります。いつ頃の演奏かはわかりませんが、譜面の細かい指示が全て音でクリアに表現され、クライマックスはルバート強めで情熱的、見事な演奏でした。彼の晩年のCDについては買ってがっかりすることが多かったように思います。
素晴らしい演奏をありがとうございます。今の日本の児童音楽教育は文部省唱歌や童謡を殆ど教えなくなりました。日本人として寂しく悲しい思いです。
若い頃、ポリーニのショパン、ストラヴィンスキー、バルトークにびっくりしました。シェーンベルクやウェーベルン、ブーレーズなど現代音楽に導いてもらったのも感謝です。コンサートではいつも真っ赤な顔をして弾いていました。奥様の体験したエピソード、凄い話ですが、なるほどです。
すばらしいです!
先生、ありがとうございます。デビュー時以降の印象が強すぎて、最近のリリースを聴いてこなかったのに改めて気がつきました。
I love Pollini and I have many records and CDs. Luckily I enjoyed the concert of Brahms Piano concerto No. 1 conducted by Abbasid in Paris. I was very happy with the wonderful concert.
わたくしが最も、尊敬しているピアニストは、マリオツオ・ポリーニです。女性では、アルゲリッチであるが、どうしても、一つに選べないでいます。人間性、高い音楽の洞察。とにかく、両者ともとても好きな、これ以上の最高のピアニストがいるのかと、特に私が好きなポリーニのレコードは、ショパンとか、シェーンベルクとかが好きです。又、指揮者のベームと共演したポリーニは、比較できるピアニストはいないほど。モーツァルトも、ベートーヴェンもしかり、とにかく凄いピアニストです。このピアニストと肩わ並べられるピアニストは、いないと思います。
徳岡先生♪ 初めまして、入門させて頂きました。平素UA-camで情報を得たり参考にしたりしていました。突然ポリーニの訃報を知り、そのお陰で先生のサイトに出会えました。先生の解説は多くの評論家より勉強になります。学生時代の授業は眠たかったですが、先生は引き込んで下さいます。時間的に長いので、介護をしながら分割で拝見させて頂きます。実はポリーニの初来日1974年、大阪のフェステイバルホールでの演奏会に行きました。その時お付き合いしていた彼(イタリア人)が友人だったので、終演後に楽屋へ連れて行ってくれサインと握手をして頂きました。ポリーニ32歳、私27歳でした。卒業後は音大の教師をしていたので頑張るようにとエールも頂きました。それ以降ずっとファンでした。死後、多くの画面で分かったのですが、若い頃はジャケットの写真でも分かるように「真っ白の歯」です。晩年の歯はニコチンとタールで茶っぽくなっています。どのニュースも「死因不明」とありますが、私はタバコによる健康障害の可能性大と予測しました。それはインタビューの時も、アバドとの打ち合わせでも、何かとタバコを持っているので愕然としました。多くの演奏会で準備が半端なく、ストレスは相当なんでタバコに逃げるのでしょう。タバコは神経障害も出ますから晩年の演奏で「指が動かなくてゴメン」とアバドに謝ったりも。血管をやられるので記憶障害も。2023・3・28の演奏会では歩行もトボトボ、楽譜を見ながら(譜めくり付き)でした。これが事実上の最後ではと思います。多分、体調不良で自宅療養していてもオーダーがあるので仕方なく本番を迎えていたのではと思います。それで練習は昔ほど出来ていないのと記憶が怪しくなっていて譜面アリではと思いました。背中の丸まりや歩き方はほぼ付き添いが必要な感じです。それに2000年頃からタキシードを着用されずスーツ・ネクタイなのも気になります。大変昔、ホロビッツも夏季静養中で演奏会を断っても日本はリサイタルを開催し、当時の酷評が「ボロビッツ」でした。驚くミス多発でした。でも名誉挽回で次は元のホロビッツでした。全ての分野に言えるのは「身体が資本」なので「健康第一」だと。残念で仕方ありません。先生はとてもお元気で安心です。今後とも宜しくお願い致します。これからも先生の元で勉強させて頂きます。
いえいえ、入門など。気軽に色々楽しんでくだされば幸いです。かつて完璧を誇ったポリーニであってもテクニック上の変化は色々ファンから指摘されていますね。もう少しライブ録音などを聴いてみたいと思います。
1976年ポリーニがコンサートで演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲19番と23番(ベーム指揮)は絶品中の絶品です。
自分は、ポリーニの自称ファンでさえ彼の好きな作品に初期の作品ばかり選ばれるのを複雑な思いを持っていました。確かにプロコフィエフ7番、ペトルーシュカは、素晴らしい。でも彼のシューベルトの後期ソナタ、シューマンの練習的交響曲等、自分は素晴らしいと思います。特にシューマンは、あのポリーニをしてどれほど練習したことでしょう。これ等の作品ほど見事なレガートで弾かれたことはないであろうし、これからも出てこないだろうと思います。音楽は、呼吸だと思います。自分が音楽を聴きながら一緒に呼吸できるピアニストは彼だけでした。
One of his most amazing achievements is the Opus 10 Etude recording by Chopin when he was 14. It is on YT.
ポリーニのエチュードを聴いてしまうと本当に他の演奏は要らない位の名盤。ラフマニノフなど彼が録音しなかったのは同年代のアルゲリッチの存在があったからなのかなと勝手に考えてます。彼女のレパートリーには余り手を付けてない。
彼は常々、自分が共感できるピースしか録音しないと言っていましたしベートーヴェンの全集に時間がかかったのはそう言った理由もあるのだと思います。年間、コンサートも50回くらいに絞って大都市限定でおこなっていたけれどすごく忙しかったと思います。彼のコンサートに30回ほど行っていたのは、彼の音楽に対しての姿勢dedication を聴きたかったからです。自分の世界に入るのに時間がかかるようで最初のピースはいつもグダグダでした。
いつもわかりやすい解説どうもありがとうございます。
[これ以上何をお望みですか?]Chopin etude 24 につけられたタイトルでした。完璧な演奏です。凄いピアニストでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
ポリーニの「ショパン練習曲集」を聴いた吉田秀和氏が「これ以上、何をお望みですか」と評したのは言い得て妙だと思いましたね。
1960年代後半から1980年代末葉ぐらいまでの約20年間、彼は信じられないような演奏をしていたと思います。超人的な集中力、漲る自身、白熱した音楽運び、特立独歩でした。そのかわり、衰えも早かった。後年は欠伸が出るような演奏が多かった、若い頃の彼を聞いていただけに。
ポリーニは、楽譜に忠実に演奏するのでそのピースが良く書かれていればあるほど彼のピアニストとしての素晴らしさが際立つような部分がありましたから彼がベートーヴェン後期ソナタを若い時に弾いたのは、ある意味正解だったと思います。ヴァントのブルックナーのようにそれぞれの音があるべきところに存在する。世界中の賞を総なめにしたのも納得できる出来だと思います。
1974年ころだっただろうかシューマンのピアノ協奏曲をダニエル・バレンボイム指揮のパリ管と共演しているポリーニは、バレンボイムとお互いの音楽性を深く認め合っていたそうだ息子の名前は、イタリア風にダニエッレ、という
ポリーニによる、ベートヴェンのディアベリ変奏曲は、比較的新しい録音もありますが、ショパンエチュードやペトリュシュカ並の決定的演奏ですよ。聞いてみてください。私事ながら、ディアベリ変奏曲を弾く機会があり、他のピアニスト演奏も多数聴きましたが、ポリーニの演奏が精緻さや技術力の点で最高峰と思いました。 この曲に限っては、実際に弾いたことのある人でないと、その凄さが判りにくいという面があると思いました。
平均律のCDについては同様の感想です。10年くらい前にサントリーホールでポリーニの平均律を聴いたときの話ですが、前半かなり危なっかしい演奏で、ハラハラした記憶があります。こりゃもうだめかもなと思ったのですが、前半12曲が終わって一旦袖に引っ込んだあと、なんと急にポリーニが楽譜を抱えて出てきたときは仰天しました。しかし、そこからの演奏がまさに驚異的な集中度で別人のように素晴らしく一気に釘付けとなりました。スコア見るだけでこんな演奏ができるなら毎回見てよ!と思いました笑
それとはまた別件ですが、最近ふつうに楽譜を見て弾くピアニスト、増えたみたいですね。ポリーニも年齢を重ねていたでしょうし、バッハほど暗譜が難しい作曲家はいないとも言われます。実演で平均率をお聞きになられたのですか… 羨ましい。
確かにあの時のポリーニは、楽譜を見て弾くべき音に迷いが無くなったことで音楽に集中できるようになった印象を受けました。変なプライドで最後まで暗譜で通さず、途中で楽譜を持ち出したポリーニは本当のプロだなと改めて思いました。それから、梶本のHPでポリーニ日本公演の記録を確認したところ、日本では2010年にたった一度だけバッハ平均律第1巻を演奏してました。そこに立ち会えた私は幸せ者です😃 いずれ、どこかに眠っているだろう2巻の録音が発売されることを願っています。。
あかとんぼ良いですね
22;36 ブラームスの協奏曲、ティーレマン/SKDと2曲については同じ感想を持ちました。ポリーニの衰えが如実に表れており、年齢が深みに刻まれることもなく、「あのポリーニも流石に衰えたなぁ・・・」と思ってしまいました。
わたしは最晩年の演奏も好きです。おっしゃるとおり、よりLIVEがすばらしかった……
最後の奥様が見たという演奏前のポリーニのエピソード、いかにもなお話で感嘆しました。
ピアニストでこうしたエピソードは多いですね。徳岡先生が紹介されたリヒテルもそうですし、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、カーゾンでも聞いたことがあります。注目されるほど大変なプレッシャーなんでしょうね。
ポリーニがベートーヴェンのソナタを最晩年の者から録音したという気持ち、わかるような気がします。技術的にも音楽的にも奥が深い最晩年のソナタを弾き切る情熱は、壮年期でなければ生まれない。老境に達してからでは無理。逆に、若い頃の一見単純なソナタを味わい深く弾きこなすには、老境になって人間的にも深みが出てからでなければ無理なのではないでしょうか。だから、一見同じような質で仕上がっているベートーヴェンのソナタ全曲をああいう形で遺すには、最晩年のソナタから録音を始めた方が良かった、と。-私は、95年から足掛け15年に渉るウィーン資料研究滞在中、ウィーン楽友協会大ホールでポリーニやブレンデルのコンサートもたびたび聴きました。ポリーニも全盛期を過ぎていたのでしょうが、ブレンデルは引退直前で、ハイドンや初期のベートーヴェンなどの一見単純なソナタでプログラムを組んでいることが多かった。ヴィルトゥオーゾ的な演奏技巧を要求する局ではないのですが、老境に達したブレンデルが、その大きな手で鍵盤を包み込みようにして奏でる演奏には、独特の味わいがありました。わたしはいつも、ステージ上の、ブレンデルの指先が見える位置の席を真っ先に確保し、ブレンデルの大きな手が、いとおしそうに鍵盤をかき鳴らすのに見入っていたものです。
so many CDs.
文化会館で聴いたポッリーニの音色は総てが際立ってました。硬質で堅固でありながら幾分艶消しが施されたようで、較べてしまえばホロヴィッツ、リヒテル、ミケランジェリ、アラウはいずれも最晩年に聴いたこともあって、不利は否めません。清水和音さんが絶賛するアシュケナージにしても、ポッリーニの印象の前では、よほどユルい音なのです。コンクールの勝者、或いは音楽院の秀才の典型と言うのか、ポッリーニは減点法に強く正しい演奏なのですね。でも、繰り返しよく演奏したベートーヴェンの後期は、作品101を除いて、私のベストではありません。作品111は、とくに大事な第2楽章に感動したことがない。作品110のフーガは、正しさゆえ、却って美しさを極めるに至らない。あのフーガは、ベートーヴェン自身によって過小評価されているのです。不要な強弱の指示はそのためであり、バックハウスやグールドは、指示に縛られることなく、速めにさらりと弾いて、結果はより美しい造形が立ち上がるのですよ。グールドの録音はいっそう若い頃で、後の1970年の「ハンマークラヴィール」の第3楽章は無類です。一方ポッリーニの演奏と言えば、感覚と構築性の成果であって、良くも悪くも、それ以上のものではない。
私の愛聴盤はベートーヴェン後期5曲2枚組です。
あれは本当に鮮やかですよね。クッキリ・クールな運びなのに、浪漫派の音楽につながる豊かさもある。自分もよく聞いています。
おはようございます。ポリーニの弾く「展覧会の絵」!リムスキー・コルサコフ改定更訂(←原文ママ)のブライトコップの版を使用して「展覧会の絵」を1992年1月にレコーディングした日本のピアニスト園田高弘さんが、『ビドロの弱音ピアニッシモから強音フォルティッシモまでの演奏指示の盛り上げは、ピアノでの表現には適していないので、荘重なフォルテで演奏する方を選んだ』とCDの演奏者ノート(解説文)に記した「ビドロ」の冒頭をポリーニがどう処理するかを聴くだけでも、一聴の価値はありますね。
彼は、現代曲と古典的な作品をよく同じコンサートで取り上げることがありました。これらの曲に調性に共通点があるなど彼なりに考えてプログラムを作っていたように思います。アンコールは何も考えていなかったようですね。シフなどは、アンコール等も色々考えて選ぶようですが、、、(シフは、学究肌思いあるだろうし、自分はシフには、知性に対するコンプレックスがあるのだと思う。)
徳岡さんのポリーニのロッシーニの指揮に対する指揮者としてのご意見をお聞きしたいです。
4:03 ショパンコンクール優勝の後、8年間沈黙・研鑽を積んだことが必ずしも後年のポリーニに寄与してはいないかもしれません。一方、コンクールの直後からコンサート・レコーディングに忙殺されるようになった1980年台以降、同コンクール優勝者からは巨匠クラスのピアニストは出ていない(1975年のツィメルマンが最後?)ような気がします。
アルゲリッチの闊達よ‼️皆々様、追悼に入るに思い出の自分が居ること。かしこ。( ̄▽ ̄;)( ̄▽ ̄;)
レコード芸術で高木さんと言う方がポリーニがワルトシュタインで片手でグリッサンドをしていたのを神技と呼んだから、日本のウィキに載っていたくらいでポリーニにそれを弾いてくれというと言うファンが何人かいて、ポリーニ自身も最初はポカンとしていましたし見ていたこっちが恥ずかしくなるくらいでした。あとショパンの練習曲、特に10.1に関してはかの吉田翁がこれほど完璧にこのピースが弾かれたことはないと言ったせいでファンにオームの繰り返しを何度聞いたことか?これに関しては自分もそう思いますけど、、、
カップリングされた『ミケランジェリのBeethoven#4』はニセ物だと言われていますが、あなたはどう感じますか?(ミケランジェリは#4を弾いたことがない、というのです。)
昔習っていたピアノの先生が「娘が聴いたポリーニのベートーヴェンがあれよあれよで記憶に残らかった」と言っていたのがポリーニさんの印象になっていいイメージでなかったのですが、ブーレーズとの共演など含めて名手だったことは間違えないですね。
ホントですね。もっと日本の歌を大事にして欲しいとおもいます。赤とんぼ、浜辺の歌、早春賦などなど、大好きな歌、たくさんありますのに。
80年代ポリーニは毎年NYで公演していました。改修前のカーネギーホールでよく聴きました。シュトックハウゼンの変な楽譜をよく覚えています。
23:05 これ聴きたい!!!(๑>◡
いや、コンサートではスクリャービンを弾いていたはず。60年代だったかな。
ポルリーニはいつからポリーニ表記になったのですか
さて… NHKではユーディ・メニューインも1980年代「イエフディ」、アルゲリッチも「アルヘリチ」になっていた時期がありましたから。
@@atm-naokimusic さま 早速の返信コメントありがとうございます🙏なるほどです チャンネル登録させていただきました。これからも学ばせていただきます
亡くなったと聞いてから、色々あさってみた。やはり、壮年期以降のポリーニは欠伸の出る録音がほとんど。(さいわいにも、私は全盛期の彼を生で聞いた上で言うのだが。)もし、1960年代後半~1990年代初葉の録音がなく、それ以降の彼の演奏にしか接するすべが無かったとしたら、なんの事はないポリーニは三流ピアニストでしかなかったと評価をくだすところ。
何度も書いて申し訳ありません。これだけは、言いたいです。わたしは、ポリーニの腕が落ちた、初期の作品が一番素晴らしいと言っている方々にお聞きしたいです。(徳岡さんが紹介している方もそうですね。わたしは彼の追悼動画を途中で見るのをつまらなかったのでやめてしまいましたが、、、)ポリーニの何が好きでかれのおんがくをあきいていたのですかと、、、わたしはポリーニの演奏には常に唄があったと思います。彼が歳を経るごとにそう言った唄の部分が大きくなっていってわたしはいつも彼と歌っていました。彼のレガートは私にとってかけがえのないものでした。吹奏楽器奏者を除き、楽器を弾いて口が動かない演奏家は、二流だと思っています。彼は時々弾きながら歌っていました。確かに最近の演奏は腕が落ちてきていたけれど最後の方のベートーヴェンは、一つ一つの音を愛おしむように弾かれていました。最晩年は時々、カーネーギーホールで挑戦していたようです。ベートーヴェンの後期ソナタ一夜引き、プロコフィエフ(ペトルーシュカだったかも?)とか本当に引くのかなと思っていたらキャンセルになったり、ショパンに変更されたりしてしまいました。(彼なりの挑戦を見る思いでした。) 最晩年は、技巧の衰えは、あったと思いますがわたしはそれでもマエストロの唄が大好きでした。いつもコンサートの最前列で子供のように号泣しながら声を出さずに彼と一緒に歌っていました。私が一緒に音楽を通して呼吸できたのはマエストロだけです。私が亡くなるまで彼に自分の人生を支えてもらうのだと思います。
私も晩年の演奏の方が好きで、何度も何度も聴いています!勝手な印象。若い頃はテクニシャン(相当練習させられて育ったのだと同情)→壮年期は曲の理解と作曲家への理解(動画中で腕が衰えた?とおっしゃった60年代以降は、タッチを変えた?と思っていましたが違いますかね?)→老年期は音楽は楽しい!美しい!という叫び(聴いていて涙が出てきちゃうんですよね)まあとにかく、ポリーニ大好きです!
史上最高の演奏をした一人ではあったと感じるけれど、【全体的】に見れば、ホロビッツやギレリス等に比べて小粒。極めて小粒だったと思う。ギレリスなんかは、本当に、年齢とともに深みが増していった一流ピアニストだったですね。
「いい音ってなんだろう」村上輝久著より紹介。ミケランジェリにしぼられて、音色を整える整音は得意だ。しかし、ポリーニの言う「ドルチェ」つてどんな音を頭に浮かべているのだろうか?「ドルチェ」は辞書で見ると「甘い」の意。とすると、ソフトな音かな?中音1オクターブの音を少しソフトにして、ポリーニに確認を仰いだ。「オー、ノー、これはオスクーロだ」失敗したようだ。「オスクーロ」は「光らない、暗い」という意味。彼は「ちょっと待ってください」と出ていった。まもなく夫人と共にお皿にケーキをのせて戻り、「このケーキを食べてみてください」「?」「これがドルチェです」一口食べると、こってりした甘さが口一杯に広がる。分かった! 彼は音を味覚で表現してくれたのだ。私の整音は反対のことをしていた。すぐやり直すと「ブラポー! この音だ、ありがとう。すべての音がこのようになりますか?」こんなやりとりで、仕事は終わった。
マウリツィオ・ポリーニ の Beethoven Piano Sonatas op. 109, 110, 111 を聴いた感想確かに楽譜通りに完璧に音化していますが、 バックハウスの様な向こうの世界を垣間見せる様な雰囲気が全く感じられません。上手だなあ、と感心はするのですが、全く感動できませんでした。年齢を重ねても技術が衰えるだけで、何も付け加わったものが無いのですね。おそらく、マウリツィオ・ポリーニ は音楽だけでなく美術も文学も芸術も全く理解できない人間なんでしょうね。 芸術というのは無意識の深層を他人にもわかる様にイメージ化する事です。 マウリツィオ・ポリーニは感情や感覚のレベルで留まっていて、その奥にある深い無意識を認識できないのですね。マウリツィオ・ポリーニ みたいな演奏家を二流と呼ぶのではないでしょうか。音楽学校の卒業生が食べていけなかったり、クラシック音楽の人気が無くなったのも、今は昔の大演奏家の録音が youtube で無料で聴ける様になったからでしょう。 マウリツィオ・ポリーニ みたいなコルトー、バックハウスやホロヴィッツ以下の演奏しかできない二流ピアニストの演奏を金を出してまで聴きたい音楽ファンは存在しないですからね。しかし、科学でも AIでも 工学でも経済学でも日進月歩で進歩しているのに、演奏家だけが100年経っても200年経っても何も進歩しないというのは問題ですね。少なくとも、最新の深層心理学や実験心理学の成果を取り入れて、聴いている観客を感動させる様な音の出し方を研究する演奏家が現れて欲しいですね。
今45歳ですが、子供の頃ピアノを習ってたのでポリーニよく聴いてました。リストのソナタがすごく好きでたくさん聴いてました。後ショパンのソナタ2、3番、幻想ポロネーズ、モーツアルトのコンチェルト23番等をよく聴いていて、すごく好きでした。今はベートーヴェンの後期ソナタをよく聴いています。2000年代前半に、サントリーホールにも聞きに行ったのですが、やはりテクニックの衰えを感じました。それでもずっと大好きなピアニストの1人なので寂しい限りです。イタリア人って、真面目な人とそうでない人の差が激しいですよね笑
コンサート前に嘔吐していた話は胸が痛くなりました。やはりストレスが大きかったんだな。ご冥福をお祈りいたします。
PolliniのL'isle joyeuseがUA-camにあります。いつ頃の演奏かはわかりませんが、譜面の細かい指示が全て音でクリアに表現され、クライマックスはルバート強めで情熱的、見事な演奏でした。彼の晩年のCDについては買ってがっかりすることが多かったように思います。
素晴らしい演奏をありがとうございます。今の日本の児童音楽教育は文部省唱歌や童謡を殆ど教えなくなりました。日本人として寂しく悲しい思いです。
若い頃、ポリーニのショパン、ストラヴィンスキー、バルトークにびっくりしました。シェーンベルクやウェーベルン、ブーレーズなど現代音楽に導いてもらったのも感謝です。コンサートではいつも真っ赤な顔をして弾いていました。奥様の体験したエピソード、凄い話ですが、なるほどです。
すばらしいです!
先生、ありがとうございます。デビュー時以降の印象が強すぎて、最近のリリースを聴いてこなかったのに改めて気がつきました。
I love Pollini and I have many records and CDs. Luckily I enjoyed the concert of Brahms Piano concerto No. 1 conducted by Abbasid in Paris. I was very happy with the wonderful concert.
わたくしが最も、尊敬しているピアニストは、マリオツオ・ポリーニです。女性では、アルゲリッチであるが、どうしても、一つに選べないでいます。人間性、高い音楽の洞察。とにかく、両者ともとても好きな、これ以上の最高のピアニストがいるのかと、特に私が好きなポリーニのレコードは、ショパンとか、シェーンベルクとかが好きです。又、指揮者のベームと共演したポリーニは、比較できるピアニストはいないほど。モーツァルトも、ベートーヴェンもしかり、とにかく凄いピアニストです。このピアニストと肩わ並べられるピアニストは、いないと思います。
徳岡先生♪ 初めまして、入門させて頂きました。平素UA-camで情報を得たり参考にしたりしていました。突然ポリーニの訃報を知り、そのお陰で先生のサイトに出会えました。先生の解説は多くの評論家より勉強になります。学生時代の授業は眠たかったですが、先生は引き込んで下さいます。時間的に長いので、介護をしながら分割で拝見させて頂きます。
実はポリーニの初来日1974年、大阪のフェステイバルホールでの演奏会に行きました。その時お付き合いしていた彼(イタリア人)が友人だったので、終演後に楽屋へ連れて行ってくれサインと握手をして頂きました。ポリーニ32歳、私27歳でした。卒業後は音大の教師をしていたので頑張るようにとエールも頂きました。それ以降ずっとファンでした。
死後、多くの画面で分かったのですが、若い頃はジャケットの写真でも分かるように「真っ白の歯」です。晩年の歯はニコチンとタールで茶っぽくなっています。どのニュースも「死因不明」とありますが、私はタバコによる健康障害の可能性大と予測しました。それはインタビューの時も、アバドとの打ち合わせでも、何かとタバコを持っているので愕然としました。多くの演奏会で準備が半端なく、ストレスは相当なんでタバコに逃げるのでしょう。
タバコは神経障害も出ますから晩年の演奏で「指が動かなくてゴメン」とアバドに謝ったりも。血管をやられるので記憶障害も。2023・3・28の演奏会では歩行もトボトボ、楽譜を見ながら(譜めくり付き)でした。これが事実上の最後ではと思います。
多分、体調不良で自宅療養していてもオーダーがあるので仕方なく本番を迎えていたのではと思います。それで練習は昔ほど出来ていないのと記憶が怪しくなっていて譜面アリではと思いました。
背中の丸まりや歩き方はほぼ付き添いが必要な感じです。
それに2000年頃からタキシードを着用されずスーツ・ネクタイなのも気になります。
大変昔、ホロビッツも夏季静養中で演奏会を断っても日本はリサイタルを開催し、当時の酷評が「ボロビッツ」でした。驚くミス多発でした。
でも名誉挽回で次は元のホロビッツでした。
全ての分野に言えるのは「身体が資本」なので「健康第一」だと。残念で仕方ありません。
先生はとてもお元気で安心です。今後とも宜しくお願い致します。
これからも先生の元で勉強させて頂きます。
いえいえ、入門など。気軽に色々楽しんでくだされば幸いです。かつて完璧を誇ったポリーニであってもテクニック上の変化は色々ファンから指摘されていますね。もう少しライブ録音などを聴いてみたいと思います。
1976年ポリーニがコンサートで演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲19番と23番(ベーム指揮)は絶品中の絶品です。
自分は、ポリーニの自称ファンでさえ彼の好きな作品に初期の作品ばかり選ばれるのを複雑な思いを持っていました。確かにプロコフィエフ7番、ペトルーシュカは、素晴らしい。でも彼のシューベルトの後期ソナタ、シューマンの練習的交響曲等、自分は素晴らしいと思います。特にシューマンは、あのポリーニをしてどれほど練習したことでしょう。これ等の作品ほど見事なレガートで弾かれたことはないであろうし、これからも出てこないだろうと思います。音楽は、呼吸だと思います。自分が音楽を聴きながら一緒に呼吸できるピアニストは彼だけでした。
One of his most amazing achievements is the Opus 10 Etude recording by Chopin when he was 14. It is on YT.
ポリーニのエチュードを聴いてしまうと本当に他の演奏は要らない位の名盤。
ラフマニノフなど彼が録音しなかったのは同年代のアルゲリッチの存在があったから
なのかなと勝手に考えてます。彼女のレパートリーには余り手を付けてない。
彼は常々、自分が共感できるピースしか録音しないと言っていましたしベートーヴェンの全集に時間がかかったのはそう言った理由もあるのだと思います。年間、コンサートも50回くらいに絞って大都市限定でおこなっていたけれどすごく忙しかったと思います。彼のコンサートに30回ほど行っていたのは、彼の音楽に対しての姿勢dedication を聴きたかったからです。自分の世界に入るのに時間がかかるようで最初のピースはいつもグダグダでした。
いつもわかりやすい解説どうもありがとうございます。
[これ以上何をお望みですか?]
Chopin etude 24 につけられたタイトルでした。
完璧な演奏です。凄いピアニストでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ポリーニの「ショパン練習曲集」を聴いた吉田秀和氏が「これ以上、何をお望みですか」と評したのは言い得て妙だと思いましたね。
1960年代後半から1980年代末葉ぐらいまでの約20年間、彼は信じられないような演奏をしていたと思います。超人的な集中力、漲る自身、白熱した音楽運び、特立独歩でした。そのかわり、衰えも早かった。後年は欠伸が出るような演奏が多かった、若い頃の彼を聞いていただけに。
ポリーニは、楽譜に忠実に演奏するのでそのピースが良く書かれていればあるほど彼のピアニストとしての素晴らしさが際立つような部分がありましたから彼がベートーヴェン後期ソナタを若い時に弾いたのは、ある意味正解だったと思います。ヴァントのブルックナーのようにそれぞれの音があるべきところに存在する。世界中の賞を総なめにしたのも納得できる出来だと思います。
1974年ころだっただろうか
シューマンのピアノ協奏曲をダニエル・バレンボイム指揮のパリ管と共演している
ポリーニは、バレンボイムとお互いの音楽性を深く認め合っていたそうだ
息子の名前は、イタリア風にダニエッレ、という
ポリーニによる、ベートヴェンのディアベリ変奏曲は、比較的新しい録音もありますが、ショパンエチュードやペトリュシュカ並の決定的演奏ですよ。聞いてみてください。
私事ながら、ディアベリ変奏曲を弾く機会があり、他のピアニスト演奏も多数聴きましたが、ポリーニの演奏が精緻さや技術力の点で最高峰と思いました。 この曲に限っては、実際に弾いたことのある人でないと、その凄さが判りにくいという面があると思いました。
平均律のCDについては同様の感想です。10年くらい前にサントリーホールでポリーニの平均律を聴いたときの話ですが、前半かなり危なっかしい演奏で、ハラハラした記憶があります。こりゃもうだめかもなと思ったのですが、前半12曲が終わって一旦袖に引っ込んだあと、なんと急にポリーニが楽譜を抱えて出てきたときは仰天しました。しかし、そこからの演奏がまさに驚異的な集中度で別人のように素晴らしく一気に釘付けとなりました。スコア見るだけでこんな演奏ができるなら毎回見てよ!と思いました笑
それとはまた別件ですが、最近ふつうに楽譜を見て弾くピアニスト、増えたみたいですね。ポリーニも年齢を重ねていたでしょうし、バッハほど暗譜が難しい作曲家はいないとも言われます。実演で平均率をお聞きになられたのですか… 羨ましい。
確かにあの時のポリーニは、楽譜を見て弾くべき音に迷いが無くなったことで音楽に集中できるようになった印象を受けました。変なプライドで最後まで暗譜で通さず、途中で楽譜を持ち出したポリーニは本当のプロだなと改めて思いました。
それから、梶本のHPでポリーニ日本公演の記録を確認したところ、日本では2010年にたった一度だけバッハ平均律第1巻を演奏してました。そこに立ち会えた私は幸せ者です😃 いずれ、どこかに眠っているだろう2巻の録音が発売されることを願っています。。
あかとんぼ良いですね
22;36 ブラームスの協奏曲、ティーレマン/SKDと2曲については同じ感想を持ちました。
ポリーニの衰えが如実に表れており、年齢が深みに刻まれることもなく、
「あのポリーニも流石に衰えたなぁ・・・」と思ってしまいました。
わたしは最晩年の演奏も好きです。
おっしゃるとおり、よりLIVEがすばらしかった……
最後の奥様が見たという演奏前のポリーニのエピソード、いかにもなお話で感嘆しました。
ピアニストでこうしたエピソードは多いですね。徳岡先生が紹介されたリヒテルもそうですし、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、カーゾンでも聞いたことがあります。注目されるほど大変なプレッシャーなんでしょうね。
ポリーニがベートーヴェンのソナタを最晩年の者から録音したという気持ち、わかるような気がします。
技術的にも音楽的にも奥が深い最晩年のソナタを弾き切る情熱は、壮年期でなければ生まれない。老境に達してからでは無理。
逆に、若い頃の一見単純なソナタを味わい深く弾きこなすには、老境になって人間的にも深みが出てからでなければ無理なのではないでしょうか。
だから、一見同じような質で仕上がっているベートーヴェンのソナタ全曲をああいう形で遺すには、最晩年のソナタから録音を始めた方が良かった、と。
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私は、95年から足掛け15年に渉るウィーン資料研究滞在中、ウィーン楽友協会大ホールでポリーニやブレンデルのコンサートもたびたび聴きました。
ポリーニも全盛期を過ぎていたのでしょうが、ブレンデルは引退直前で、ハイドンや初期のベートーヴェンなどの一見単純なソナタでプログラムを組んでいることが多かった。
ヴィルトゥオーゾ的な演奏技巧を要求する局ではないのですが、老境に達したブレンデルが、その大きな手で鍵盤を包み込みようにして奏でる演奏には、独特の味わいがありました。
わたしはいつも、ステージ上の、ブレンデルの指先が見える位置の席を真っ先に確保し、ブレンデルの大きな手が、いとおしそうに鍵盤をかき鳴らすのに見入っていたものです。
so many CDs.
文化会館で聴いたポッリーニの音色は総てが際立ってました。硬質で堅固でありながら幾分艶消しが施されたようで、較べてしまえばホロヴィッツ、リヒテル、ミケランジェリ、アラウはいずれも最晩年に聴いたこともあって、不利は否めません。清水和音さんが絶賛するアシュケナージにしても、ポッリーニの印象の前では、よほどユルい音なのです。コンクールの勝者、或いは音楽院の秀才の典型と言うのか、ポッリーニは減点法に強く正しい演奏なのですね。でも、繰り返しよく演奏したベートーヴェンの後期は、作品101を除いて、私のベストではありません。作品111は、とくに大事な第2楽章に感動したことがない。作品110のフーガは、正しさゆえ、却って美しさを極めるに至らない。あのフーガは、ベートーヴェン自身によって過小評価されているのです。不要な強弱の指示はそのためであり、バックハウスやグールドは、指示に縛られることなく、速めにさらりと弾いて、結果はより美しい造形が立ち上がるのですよ。グールドの録音はいっそう若い頃で、後の1970年の「ハンマークラヴィール」の第3楽章は無類です。一方ポッリーニの演奏と言えば、感覚と構築性の成果であって、良くも悪くも、それ以上のものではない。
私の愛聴盤はベートーヴェン後期5曲2枚組です。
あれは本当に鮮やかですよね。クッキリ・クールな運びなのに、浪漫派の音楽につながる豊かさもある。自分もよく聞いています。
おはようございます。
ポリーニの弾く「展覧会の絵」!
リムスキー・コルサコフ改定更訂(←原文ママ)のブライトコップの版を使用して「展覧会の絵」を1992年1月にレコーディングした日本のピアニスト園田高弘さんが、『ビドロの弱音ピアニッシモから強音フォルティッシモまでの演奏指示の盛り上げは、ピアノでの表現には適していないので、荘重なフォルテで演奏する方を選んだ』とCDの演奏者ノート(解説文)に記した「ビドロ」の冒頭をポリーニがどう処理するかを聴くだけでも、一聴の価値はありますね。
彼は、現代曲と古典的な作品をよく同じコンサートで取り上げることがありました。これらの曲に調性に共通点があるなど彼なりに考えてプログラムを作っていたように思います。アンコールは何も考えていなかったようですね。シフなどは、アンコール等も色々考えて選ぶようですが、、、(シフは、学究肌思いあるだろうし、自分はシフには、知性に対するコンプレックスがあるのだと思う。)
徳岡さんのポリーニのロッシーニの指揮に対する指揮者としてのご意見をお聞きしたいです。
4:03 ショパンコンクール優勝の後、8年間沈黙・研鑽を積んだことが必ずしも後年のポリーニに寄与してはいないかもしれません。
一方、コンクールの直後からコンサート・レコーディングに忙殺されるようになった1980年台以降、同コンクール優勝者からは
巨匠クラスのピアニストは出ていない(1975年のツィメルマンが最後?)ような気がします。
アルゲリッチの闊達よ‼️
皆々様、追悼に入るに
思い出の自分が居ること。
かしこ。( ̄▽ ̄;)( ̄▽ ̄;)
レコード芸術で高木さんと言う方がポリーニがワルトシュタインで片手でグリッサンドをしていたのを神技と呼んだから、日本のウィキに載っていたくらいでポリーニにそれを弾いてくれというと言うファンが何人かいて、ポリーニ自身も最初はポカンとしていましたし見ていたこっちが恥ずかしくなるくらいでした。あとショパンの練習曲、特に10.1に関してはかの吉田翁がこれほど完璧にこのピースが弾かれたことはないと言ったせいでファンにオームの繰り返しを何度聞いたことか?これに関しては自分もそう思いますけど、、、
カップリングされた『ミケランジェリのBeethoven#4』はニセ物だと言われていますが、あなたはどう感じますか?(ミケランジェリは#4を弾いたことがない、というのです。)
昔習っていたピアノの先生が「娘が聴いたポリーニのベートーヴェンがあれよあれよで記憶に残らかった」と言っていたのがポリーニさんの印象になっていいイメージでなかったのですが、
ブーレーズとの共演など含めて名手だったことは間違えないですね。
ホントですね。もっと日本の歌を大事にして欲しいとおもいます。
赤とんぼ、浜辺の歌、早春賦などなど、大好きな歌、たくさんありますのに。
80年代ポリーニは毎年NYで公演していました。改修前のカーネギーホールでよく聴きました。シュトックハウゼンの変な楽譜をよく覚えています。
23:05 これ聴きたい!!!(๑>◡
いや、コンサートではスクリャービンを弾いていたはず。60年代だったかな。
ポルリーニはいつからポリーニ表記になったのですか
さて… NHKではユーディ・メニューインも1980年代「イエフディ」、アルゲリッチも「アルヘリチ」になっていた時期がありましたから。
@@atm-naokimusic さま 早速の返信コメントありがとうございます🙏なるほどです チャンネル登録させていただきました。これからも学ばせていただきます
亡くなったと聞いてから、色々あさってみた。やはり、壮年期以降のポリーニは欠伸の出る録音がほとんど。(さいわいにも、私は全盛期の彼を生で聞いた上で言うのだが。)
もし、1960年代後半~1990年代初葉の録音がなく、それ以降の彼の演奏にしか接するすべが無かったとしたら、なんの事はないポリーニは三流ピアニストでしかなかったと評価をくだすところ。
何度も書いて申し訳ありません。これだけは、言いたいです。わたしは、ポリーニの腕が落ちた、初期の作品が一番素晴らしいと言っている方々にお聞きしたいです。(徳岡さんが紹介している方もそうですね。わたしは彼の追悼動画を途中で見るのをつまらなかったのでやめてしまいましたが、、、)ポリーニの何が好きでかれのおんがくをあきいていたのですかと、、、わたしはポリーニの演奏には常に唄があったと思います。彼が歳を経るごとにそう言った唄の部分が大きくなっていってわたしはいつも彼と歌っていました。彼のレガートは私にとってかけがえのないものでした。吹奏楽器奏者を除き、楽器を弾いて口が動かない演奏家は、二流だと思っています。彼は時々弾きながら歌っていました。確かに最近の演奏は腕が落ちてきていたけれど最後の方のベートーヴェンは、一つ一つの音を愛おしむように弾かれていました。最晩年は時々、カーネーギーホールで挑戦していたようです。ベートーヴェンの後期ソナタ一夜引き、プロコフィエフ(ペトルーシュカだったかも?)とか本当に引くのかなと思っていたらキャンセルになったり、ショパンに変更されたりしてしまいました。(彼なりの挑戦を見る思いでした。) 最晩年は、技巧の衰えは、あったと思いますがわたしはそれでもマエストロの唄が大好きでした。いつもコンサートの最前列で子供のように号泣しながら声を出さずに彼と一緒に歌っていました。私が一緒に音楽を通して呼吸できたのはマエストロだけです。私が亡くなるまで彼に自分の人生を支えてもらうのだと思います。
私も晩年の演奏の方が好きで、何度も何度も聴いています!
勝手な印象。
若い頃はテクニシャン
(相当練習させられて育ったのだと同情)
→壮年期は曲の理解と作曲家への理解
(動画中で腕が衰えた?とおっしゃった60年代以降は、タッチを変えた?と思っていましたが違いますかね?)
→老年期は音楽は楽しい!美しい!という叫び
(聴いていて涙が出てきちゃうんですよね)
まあとにかく、ポリーニ大好きです!
史上最高の演奏をした一人ではあったと感じるけれど、【全体的】に見れば、ホロビッツやギレリス等に比べて小粒。極めて小粒だったと思う。ギレリスなんかは、本当に、年齢とともに深みが増していった一流ピアニストだったですね。
「いい音ってなんだろう」村上輝久著より紹介。
ミケランジェリにしぼられて、音色を整える整音は得意だ。
しかし、ポリーニの言う「ドルチェ」つてどんな音を頭に浮かべているのだろうか?
「ドルチェ」は辞書で見ると「甘い」の意。とすると、ソフトな音かな?
中音1オクターブの音を少しソフトにして、ポリーニに確認を仰いだ。
「オー、ノー、これはオスクーロだ」失敗したようだ。「オスクーロ」は「光らない、暗い」という意味。
彼は「ちょっと待ってください」と出ていった。まもなく夫人と共にお皿にケーキをのせて戻り、「このケーキを食べてみてください」「?」
「これがドルチェです」一口食べると、こってりした甘さが口一杯に広がる。分かった! 彼は音を味覚で表現してくれたのだ。私の整音は反対のことをしていた。すぐやり直すと「ブラポー! この音だ、ありがとう。すべての音がこのようになりますか?」こんなやりとりで、仕事は終わった。
マウリツィオ・ポリーニ の Beethoven Piano Sonatas op. 109, 110, 111 を聴いた感想
確かに楽譜通りに完璧に音化していますが、 バックハウスの様な向こうの世界を垣間見せる様な雰囲気が全く感じられません。
上手だなあ、と感心はするのですが、全く感動できませんでした。年齢を重ねても技術が衰えるだけで、何も付け加わったものが無いのですね。おそらく、マウリツィオ・ポリーニ は音楽だけでなく美術も文学も芸術も全く理解できない人間なんでしょうね。 芸術というのは無意識の深層を他人にもわかる様にイメージ化する事です。 マウリツィオ・ポリーニは感情や感覚のレベルで留まっていて、その奥にある深い無意識を認識できないのですね。
マウリツィオ・ポリーニ みたいな演奏家を二流と呼ぶのではないでしょうか。
音楽学校の卒業生が食べていけなかったり、クラシック音楽の人気が無くなったのも、今は昔の大演奏家の録音が youtube で無料で聴ける様になったからでしょう。 マウリツィオ・ポリーニ みたいなコルトー、バックハウスやホロヴィッツ以下の演奏しかできない二流ピアニストの演奏を金を出してまで聴きたい音楽ファンは存在しないですからね。
しかし、科学でも AIでも 工学でも経済学でも日進月歩で進歩しているのに、演奏家だけが100年経っても200年経っても何も進歩しないというのは問題ですね。少なくとも、最新の深層心理学や実験心理学の成果を取り入れて、聴いている観客を感動させる様な音の出し方を研究する演奏家が現れて欲しいですね。