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2:37 硫黄島の最後の攻撃が2月26日としていますが正しくは3月26日の間違いです。訂正してお詫びします
っっっp
っp
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何故、昭和天皇は統帥権を発動して停戦しなかったのでしょうか?伏見野宮博康王(昭和天皇より25歳年上で海軍軍人)が、暗躍していたそうです。
素晴らしい動画をありがとうございました💦
指揮官が優秀だからですね。そして、部下に慕われた指揮官
一台湾人の視点だが、《硫黄島からの手紙》って珍しくアメリカの戦争映画で敵対相手を馬鹿にせずにちゃんと描いた作品だったと思う。
1970年に映画館で観ました。20世紀FOX映画の「トラトラトラ」の日本向け版では、天皇陛下の日米戦争に反対の立場で描かれています。アメリカ版はそこがカットされています。日米を公平に描いていますが、さすがに天皇陛下が戦争反対だったことは、アメリカでは公にできないと言うことでしょう。
今回も素晴らしい動画でしたこの方々が居たからこそ私たちは平和な日本を過ごせていると考えさせられますこの時代の方々の命は無駄にならなかったと思いたい
硫黄島にはまだまだ遺骨が残ってる。探すの大変やけど、英霊の皆さんを成仏させてあげて欲しい。
硫黄島には未だに一万柱以上の遺骨が残されていることが分かっています早く故郷に帰してあげたいですねなんとかならないものでしょうか…………
@@batanii7321 遺骨収集を、実際にやったが、戦後、米軍が、日本兵の遺体を大量に埋めた地点の地図がない。遺骨収集の限界がある。静かに眠って頂くしかない。とにかく、壕内部の、遺骨収集は、暑かった。外気は、30度くらいあったが、涼しさを感じた。
動画の目的を分かりやすく伝えてくれていて,すんなりと見ることができます.
硫黄島を奪われるくらいなら島自体爆破沈没を図る考えもあったが爆薬の量を計算したら無理という答えが出た。
水源がないって結構致命的だと思うその中での作業、戦闘はやはり想像を絶する厳しさがあったのでしょうね
日本では旧日本海軍が善、旧日本陸軍が悪のような風潮があるけれど、決してそんな事は無くお互い同じように短所も長所もあった
むしろ最近の学界では海軍の行動が陸軍を苦しめたり、陸軍の行動が再評価されて海軍の評価が墜ちつつあります。戦後直ぐの帝国議会では、海軍が責任転嫁して議会は紛糾しました。陸軍の予算を海軍が横取りして戦車開発に要らない苦労を強いられたりしました。
@@コクヨかパイロットか 何しろ当時の海軍の上層部にいた山本五十六とかがもうろくでもないやつだからね
@@18890426 参考文献は日本軍と軍用車両という2019年に出版された、言っては失礼ですが「ウィキしか知らない自称オタク」には知ることができない日本軍の車両にのみフォーカスした良書と、戦史叢書です。
@@18890426 しっかり戦ってくれた将兵には感謝のひとことにひたすら尽きますが、上層部は許せません。私の陸軍所属だった曽祖父は海軍に殺されたも同然です。(まあ米軍だって日本人が興味無いだけで対立がものすごいスケールでありましたけどね…)
ことレーダーに関しては断然陸軍のほうが活用していたんだよね。
硫黄島の戦いは、1945年2月19日から3月26日とも言われる。メタな視点だが、4選目のルーズベルトは、1945年4月12日に脳卒中で死去したとされ、その随分前から心身の衰えが激しく、カイロ会談(1943年11月)でも全く万全ではなかったと言われる。局地戦としての硫黄島の戦いは、凄まじいが、恐るべき日本本土総攻撃が計画されていた。ルーズベルトの命日が、もっと後にズレていたら実行されたのだろうか。
優秀な指揮官と勇敢な兵士達の先人に畏怖と感謝を覚えます。そして戦死した両国の勇士のご冥福をお祈りいたします。
米国海兵隊の『最悪の日』は旧日本軍によって何度も更新されている。当時の海兵隊にとっては悪夢のような時代だってのでは、と推測する。今後は、このような事が日米間で起こる事がないように願うとともに、戦死された方々のご冥福をお祈りします。
硫黄島での兵士が将校以外はほぼ一般人だったと知った時は衝撃だった。徴兵だったとは言え、魚屋や八百屋のおっさんが戦闘のプロである米兵に大損害を与えたのは凄いわ。
それこそ栗林中将の指揮能力の凄さだと思います、言うとおりにやれば結果が出るって惜しむらくはその一般人が命はってまで守った国の現状ですね、学生には歴史は軽視されてますし
米兵だつて、徴兵制の時代だから、日本とおなじだよ。
@@nobu4771 海兵隊は志願制だったよ。
アメリカは今でも徴兵制
戦争の話を聞くたびにフィクションだと思ってしまうけれど、実際に起こったことだという事を忘れてはいけないと思う今日この頃
戦力差に関しては、別にアメリカがチートしてるわけじゃない。戦争はスポーツじゃないし、フェアなわけがない。
もし自分が徴兵でこのような戦闘に参加していたらどんなことを考えるだろうかと想像してみたが、多分この動画でも紹介されている例に漏れず、絶望的な状況に心折られ自殺してしまうことだろう。当時の日本人は日露戦争などの経験も経て時勢的には他国との戦争がそこまで珍しくなかったとはいえ、徴兵達は援護もない戦闘で死ぬのが決まっているような状況が怖くないわけ無かったろうし、殺さなくていいなら誰も相手を殺したくは無かっただろう今こうして自分が日常に戦闘のない平和な国での生活をひと時でも過ごせていることに感謝しかない。
日米両国の為に戦われた先人の英霊に感謝すると共に、ご冥福を心よりお祈りいたします。
戦争はイカン!そういう言葉で言うのも大事だけど史実を美化せずに伝えるのも確かに反戦。
面白かった。ありがとう
国を守るために最後まで戦ってくださり、ありがとうございました。これしか言葉が出ない。戦死者のご冥福をお祈りいたします。もし、充分な補給、援護が得られていたら栗林中将は米軍を撃退できたのかもしれないなと思うときがある。
自分たちが一日敵を食い止めれば、本土に残してきた家族は一日生きる事ができる。そんな悲壮な覚悟で戦った。
27:15 恩師のたばこは、恩賜のたばこの単純な誤植ですよね
海軍が陸軍の足を引っ張って折角の陣地構築完成を挫折させる原因となった。あれが一番惜しかった。完成していれば更に長く交戦していたろう。
サイパン、硫黄島の戦いの教訓から、日本軍の防御陣地が強固になり、その集大成が沖縄戦で発揮されているんだよなぁ。(縦深陣地、地下壕、ゲリラ戦など)
栗林中将のお孫さんの新藤議員も国政で頑張っておられますね。
ここまで粘り強く戦えるのが素直に凄いなと思いますね。今の自分なら絶対出来ない事だろうなぁ…
アメリカの強襲揚陸艦のネームシップにもなってますね調べたらタラワ、ペリリュー、オキナワなど激戦も艦名になってました
ああ屈辱だ
@@jd8987 完膚なきまで敗けて、それでも激戦まで持ち込んだからこその名残であるのに「屈辱」としかとらえられぬこの浅はかさよ
沖縄戦もサイパン島での戦いの結果を踏まえて最初は全員が硫黄島と同じ作戦で行く予定でしたが沖縄県営鉄道爆発事故で弾薬食糧燃料の半分を失った事で長勇参謀長は八原の言う持久戦を行うには弾薬食糧燃料が全く足りない。だから短期決戦だと言う考えに転換してます。
硫黄島での戦いが過酷なものになった要因はアメリカ側の事前の戦力見積もりが甘かった事もその要因の一つと聞いたことがあります。事前偵察で動画でも触れられていた貯水槽の規模と数と栗林中将が着任する以前の最高指揮官の階級が少将だったことから日本軍の戦力を数千から1万程度と判断したそうです。それに日本側の指揮官の一人としては千田貞季少将の力も大きかったと思います。彼は実は栗林中将と士官学校の同期であり無天組にもかかわらす実力で少将に任官している程の実力者だったそうです。栗林中将の人事上の要請で教えかつ戦える人材を派遣してほしいということで実現したのは大きかったと思います。それとほぼ同時期にアメリカ軍は沖縄作戦を発動しつつあったので大本営はそちらへの介入に忙しく(沖縄駐留の第9師団が台湾へ抽出された挙げ句に追加の部隊は無しとか)硫黄島はあるいみ良きに計らえ的な扱いがあった事も良かったと思います。
堀栄三の対米戦闘の指導要領が出てから、戦闘方法が変わったらしいですね。要所要所に俊才がいた事が救いですが、一般の軍人兵隊はすり潰されるばかりで、本当にご苦労様でしたと思います。ありがとうございました・・・
いずれにせよ硫黄島の戦いはアメリカ軍にトラウマを植え付けたのは言うまでもないよな
太平洋戦争での最大の米軍の損傷率。後の南大東島、沖縄戦などの徹底した準備爆撃につながるんだろうな…バロン西。オリンピック、メインスタジアムの日の丸。ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト、思い出した。
日露戦役で攻城戦を肉弾を以て経験しているから要塞化して戦うのは理に適った作戦だと思う。日本軍は資材不足で白兵主義になりがちなイメージだが事実は合理的な戦術をちゃんと実施していた。
ほぼ負けると分かって、やった闘い。栗林中将を誇りに思う。
損害率100%って牟田口より酷いけどね…wインパールでも損害率50%だから
@@kaminumadaisuke6292 おじさんが、インパールで餓死してます。
@@kaminumadaisuke6292 インパール作戦とは比較できないでしょう。インパール作戦は、戦略目標をほぼ達成出来なかったけど、硫黄島防衛戦はアメリカ軍に多くの損害を与え、時間を浪費させている。そこで作った時間は子供らの疎開など、貴重な時間を稼いだことになる。
栗林中将やバロン西、摺鉢山の星条旗など「硫黄島」の物語は数知れずですが、その結末を知ったうえで後世を生きる我々は改めて襟を正しつつ、戦死者のご冥福をお祈りするばかりです……!
沖縄ばかり言われるけど硫黄島は東京都よね。
恐ろしいよな。弾薬や食料の補給がない状態で戦うなんて、、、
こんな陸海軍の対立とかプライドだけが凝り固まったのって戦後70年以上経っても日本の至るところで見られるのが面白いみずほ銀行の合併時の3行の醜い争いが今なお尾を引いていたりとか…
嘘か真かは解らんのだけどベトナム戦争でベトナムに残留した旧日本兵が硫黄島要塞を参考にジャングルの地下トンネルを掘り米軍へのゲリラ戦術を指南したとかしないとか…硫黄島に眠る栗林閣下以下小笠原兵団将兵に哀悼の意を表します
ホントセッない話ですね。北ベトナム軍が、硫黄島やペリリュー島の坑道持久戦を採用して、物量の米軍に勝利した。日本人の先人達の知恵と勇気に感謝して然るべきです。
ベトナムはT.E.ロレンスも参考にしたし、、また、日本と異なりソ連中共からの支援があったからね
足の短い護衛戦闘機部隊の拠点+b29のダイバート地点の確保も主目的
ぶっちゃけそれしか目的ないでしょ。まあ原爆投下では硫黄島ではなく沖縄県がタイバート地点にされましたけどね。
彼方此方のスレでカキコしてますが。母方の祖父は工兵で、硫黄島の工事にも参加しましたが、早々に大人喘息+中耳炎に罹患し横須賀海軍病院に入院した。左耳の聴力を失ったが生き延び、私まで命が繋がっている。しかし戦後生き延びた事に苛まれ続けた様です。
コンニチハ。いつもゆっくりしています。私は昭和60年某月から翌61年某月まで1年間島で生活していました。当時壕によっては入ると酸欠になる場所もありましたが戦時はどーだったのでしょうかね。野生化したオレンジは酸っぱすぎて食べれませんでしたがパインは熟れるととても甘くウマかったです。
こんな話をすると“すぐに降伏しておけば”とわかったような事を言う人達が出てくるけど…こういった戦いがなければ今の日本の世界的地位は今現在の水準ではなく、ひょっとしたらチベットやウイグルやウクライナや台湾等と同じ扱いになってたかもしれんのよな…世界情勢が不安定な時期に降伏するってのは“何されてもおかしくないし、仕方ない“って事と同義だからな…
まさに仰る通りです「英霊のおかげで」とはよく言いますがこのコメントこそが本当に「英霊のおかげ」を意味していると思いますありがとうございました!!
無条件降伏してる時点で”何されてもおかしくないし、仕方ない”のでは?日本のプレゼンスと硫黄島の戦いは何の関係もないでしょ、ただ単に反共の防波堤として都合の良い存在だっただけよ。
無条件降伏の時点で硫黄島とか関係なくね?
もういろいろと深い戦線です、栗林中将(そもそも人が足りてれば将官が来るほどの戦線では無いはず)発案元祖ゲリラ戦法は目からウロコです港区に匹敵する面積の現場をいちいち口出ししに行く・・・多分ですが計算合わない現場の堕落を感じ取っていた気がします
亡き父はWW2で中国→パプアニューギニア(負傷兵)で終戦をムカエ、負傷兵達は船に乗せられず。見捨てられた…と。後で来た船に乗せられ真っ直ぐ日本に戻ったと。万里の長城と極楽鳥、極楽鳥は美しくもう一度見たいと、亡き母が言っていた。何処まで本当か…戦場に行った事もない私はフキンシンな事言ってるな……😱
こんな時間に珍しい
今でも硫黄島に行ったら地下壕は見れるのかな地盤も良くないしガスもたまってるしで普通に危ないか…
確か塹壕内部は崩落の危険があるのと中の気温が地熱等でヤバイことになってるから見学不可だった気がします。慰霊の際も政府の特別許可が必要だった気がします。
硫黄島は一般人は上陸できません!
太平洋の波の上 帝都の南千余キロ 浮かぶ眇たる一孤島 今皇国の興廃を決する要衝硫黄島
「戦前 コカの栽培」とありますが、コケインの原料のコカの木ですか?
ベトナム戦争でもそうだけどアメリカてゲリラ戦に弱いよな
軍人として、国家、国民のためにこの硫黄島においてアメリカ軍と壮絶な死闘をし敢闘戦死された御霊に感謝と敬礼を持って一礼します。また、この島に於いて我が陸海軍と激闘戦死されたアメリカ軍人の御霊にも同様に敬礼を持って一礼します。
万歳突撃より徹底的に守勢にまわって最後まで戦う方がやっかいだってのはSLGとかでクリア直前の勝ち確定戦争を体験した人なら理解できますよね(^_^;)
坑道を張り巡らせたことで上陸前の艦砲射撃による損耗を防いでいる。
硫黄島の戦いは日本視点・アメリカ視点の二作品で映画化されていました。
クリント・イーストウッド監督作品。日本側視点の「硫黄島からの手紙」米国側視点の「父親たちの星条旗」
大事な事なので2回…
陸軍の伝統では戦地では古兵は新兵に優しかったと聞く。後ろから撃たれたくないからね。恐らく海軍が新兵を虐めたんじゃないの?w
的外れかもしれないけどプレデター2に硫黄島にも来ていたって話が出てハンターからすれば入食いの狩場なんだろうなって妙に納得できた
"「主 イエス を 信じなさい。 そうすれば, あなたもあなたの 家族も 救われます。 」聖書,使徒の働き16章31節"
鬼滅の刃の名言に生殺与奪の権を他人に握らせるな! 弱気人を助けることは、強く生まれた者の責務である、 硫黄島で戦った防人ご先祖様は、父母妹弟・妻の後世の産まれてくる子孫の為に 命を捧げてくれ私達に祖国を託して貰いました。
近年の戦闘で一般人の被害が一切無く、小さな諸島で数多くの兵士だけの激戦。
うおおお待ってました!大東亜戦争で散華されたすべての将兵に感謝を🥲
戦艦多摩㊂🍯能⚡︎民皆保険♪制℉
司令官の優劣でここまで敢闘できるのかとセツに感じます。栗林中将と大田中将の爪の垢を煎じて牟田口に飲ませたい…
○○隊施設にはバケツに水を入れて置いてるそうですね
近年「敵基地攻撃」をすることが日本にとって重要な防衛方法だと思ってる人が多いですが ペリリューや硫黄島の戦いは防御を固めるのも立派な防衛方法のひとつと示したと思いますあとこれに十分な水や食料、医薬品があれば兵士の士気や命をつないだだろうに…
(*´㎜`*) 戦争はよくない山下奉文
動画ありがとうございます。局地戦などで効果があるとともするとそれが針小棒大に語られがちですが、全体としては物量の圧倒的な不足、軍備、兵器の遅れ(既にこれについてはノモンハンで指摘されている)、英米と異なり近代戦の準備ができていない(ex.補給部隊、兵力部隊の区別ができていない、もしくは曖昧)、精神主義による強引な戦術(大和魂で勝つなど)などから判断すれば、日本がどういう道をたどるかは時間の問題だったと言えるでしょう。
俺が硫黄島の司令官だったら、大きな白旗を作って米軍攻撃前に降伏するわ…
正直、フィリピンでの決戦に敗北した時点で、陸の決戦も決着がついており、その後は消化試合だった。もう少し早く小さな島での敵との戦いを軍として検討しておけば、組織的に米軍にもっと損害を与えることもできたと思うと、無念な話。
飛行場に海軍機はいたでしょう?坂井三郎や武藤金義が泥酔した司令に特攻を命じられて出撃したものの死なずに戻ってきてしまったという文章を読んだ記憶がある。
坂井三郎が硫黄島で空戦していたのは19年6月ですね。(栗林着任も同月)その翌月にサイパン玉砕。そしてご存知の通りその後戦雲はフィリピンへと移り捷号作戦のため日本はなけなしの航空機をそちらに指向し持久戦地区の硫黄島から航空戦力はいなくなりました。航空決戦など絵空事になった訳ですが翌年2月の米軍上陸まで栗林着任から8ヶ月間、フィリピンで特攻隊が編成されてから4ヶ月間なおも海軍は現実を直視せず飛行場やら水際陣地やらに資材と労力を濫費し続けました。後の沖縄もですが米軍のためにわざわざ飛行場を整備してやっていたようなもんです。
もっと早い時点で降伏してれば死傷者減らせたのにね 一か月、本土空襲が遅れたからどうだっていうの と現代の目から見たら考えてしまう。
欧州戦線でのドイツ軍と連合軍の派手な戦闘と比べるとなんとも情けない戦法ですなぁ。
それにしては米軍も英軍も戦闘艦の損害が無いね。沖縄では米艦艇314隻が損傷、米軍航空機714機喪失、英正規空母4隻全て損傷撤退したが、ノルマンディで米英軍の艦艇の損害は限りなく0。
海上、島と島の間の戦いだから
16万のところを若者16万に変えて欲しい!現地には若者ばかり派兵されているのだから‼️
玉砕してくださってなんだけど、結果論、数か月本土空襲を遅らせた程度の功績なんだよなあ…。素直に島を爆破して2万を沖縄の防衛とかで使った方が1%勝率が上がったかもしれない。
解説動画作っといて自分は素人です、うんぬんってのは先に予防線で言い訳してる感じで個人的に印象悪いです。素人なら作るなよって思うし、作るならちゃんとすべきかとまぁちゃんと作ってありますけどね。
歴史解説における素人って学者じゃないって意味だからね。東進の映像講師も本質的には日本史素人だし
2:37 硫黄島の最後の攻撃が2月26日としていますが正しくは3月26日の間違いです。訂正してお詫びします
っっっp
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何故、昭和天皇は統帥権を発動して停戦しなかったのでしょうか?
伏見野宮博康王(昭和天皇より25歳年上で海軍軍人)が、暗躍していたそうです。
素晴らしい動画をありがとうございました💦
指揮官が優秀だからですね。
そして、部下に慕われた指揮官
一台湾人の視点だが、《硫黄島からの手紙》って珍しくアメリカの戦争映画で敵対相手を馬鹿にせずにちゃんと描いた作品だったと思う。
1970年に映画館で観ました。20世紀FOX映画の「トラトラトラ」の日本向け版では、天皇陛下の日米戦争に反対の立場で描かれています。
アメリカ版はそこがカットされています。
日米を公平に描いていますが、さすがに天皇陛下が戦争反対だったことは、アメリカでは公にできないと言うことでしょう。
今回も素晴らしい動画でした
この方々が居たからこそ私たちは平和な日本を過ごせていると考えさせられます
この時代の方々の命は無駄にならなかったと思いたい
硫黄島にはまだまだ遺骨が残ってる。探すの大変やけど、英霊の皆さんを成仏させてあげて欲しい。
硫黄島には未だに一万柱以上の遺骨が残されていることが分かっています
早く故郷に帰してあげたいですね
なんとかならないものでしょうか…………
@@batanii7321 遺骨収集を、実際にやったが、戦後、米軍が、日本兵の遺体を大量に埋めた地点の地図がない。遺骨収集の限界がある。静かに眠って頂くしかない。とにかく、壕内部の、遺骨収集は、暑かった。外気は、30度くらいあったが、涼しさを感じた。
動画の目的を分かりやすく伝えてくれていて,すんなりと見ることができます.
硫黄島を奪われるくらいなら島自体爆破沈没を図る考えもあったが爆薬の量を計算したら無理という答えが出た。
水源がないって結構致命的だと思う
その中での作業、戦闘はやはり想像を絶する厳しさがあったのでしょうね
日本では旧日本海軍が善、旧日本陸軍が悪のような風潮があるけれど、決してそんな事は無くお互い同じように短所も長所もあった
むしろ最近の学界では海軍の行動が陸軍を苦しめたり、陸軍の行動が再評価されて海軍の評価が墜ちつつあります。戦後直ぐの帝国議会では、海軍が責任転嫁して議会は紛糾しました。陸軍の予算を海軍が横取りして戦車開発に要らない苦労を強いられたりしました。
@@コクヨかパイロットか 何しろ当時の海軍の上層部にいた山本五十六とかがもうろくでもないやつだからね
@@18890426 参考文献は日本軍と軍用車両という2019年に出版された、言っては失礼ですが「ウィキしか知らない自称オタク」には知ることができない日本軍の車両にのみフォーカスした良書と、戦史叢書です。
@@18890426 しっかり戦ってくれた将兵には感謝のひとことにひたすら尽きますが、上層部は許せません。私の陸軍所属だった曽祖父は海軍に殺されたも同然です。(まあ米軍だって日本人が興味無いだけで対立がものすごいスケールでありましたけどね…)
ことレーダーに関しては断然陸軍のほうが活用していたんだよね。
硫黄島の戦いは、1945年2月19日から3月26日とも言われる。
メタな視点だが、4選目のルーズベルトは、1945年4月12日に脳卒中で死去したとされ、
その随分前から心身の衰えが激しく、カイロ会談(1943年11月)でも全く万全ではなかったと言われる。
局地戦としての硫黄島の戦いは、凄まじいが、
恐るべき日本本土総攻撃が計画されていた。
ルーズベルトの命日が、もっと後にズレていたら実行されたのだろうか。
優秀な指揮官と勇敢な兵士達の先人に畏怖と感謝を覚えます。そして戦死した両国の勇士のご冥福をお祈りいたします。
米国海兵隊の『最悪の日』は
旧日本軍によって何度も更新されている。
当時の海兵隊にとっては悪夢のような時代だってのでは、と推測する。
今後は、このような事が日米間で起こる事がないように願うとともに、戦死された方々のご冥福をお祈りします。
硫黄島での兵士が将校以外はほぼ一般人だったと知った時は衝撃だった。徴兵だったとは言え、魚屋や八百屋のおっさんが戦闘のプロである米兵に大損害を与えたのは凄いわ。
それこそ栗林中将の指揮能力の凄さだと思います、言うとおりにやれば結果が出るって惜しむらくは
その一般人が命はってまで守った国の現状ですね、学生には歴史は軽視されてますし
米兵だつて、徴兵制の時代だから、日本とおなじだよ。
@@nobu4771 海兵隊は志願制だったよ。
アメリカは今でも徴兵制
戦争の話を聞くたびにフィクションだと思ってしまうけれど、実際に起こったことだという事を忘れてはいけないと思う今日この頃
戦力差に関しては、別にアメリカがチートしてるわけじゃない。
戦争はスポーツじゃないし、フェアなわけがない。
もし自分が徴兵でこのような戦闘に参加していたらどんなことを考えるだろうかと想像してみたが、多分この動画でも紹介されている例に漏れず、絶望的な状況に心折られ自殺してしまうことだろう。
当時の日本人は日露戦争などの経験も経て時勢的には他国との戦争がそこまで珍しくなかったとはいえ、徴兵達は援護もない戦闘で死ぬのが決まっているような状況が怖くないわけ無かったろうし、殺さなくていいなら誰も相手を殺したくは無かっただろう
今こうして自分が日常に戦闘のない平和な国での生活をひと時でも過ごせていることに感謝しかない。
日米両国の為に戦われた先人の英霊に感謝すると共に、ご冥福を心よりお祈りいたします。
戦争はイカン!
そういう言葉で言うのも
大事だけど
史実を美化せずに伝えるのも
確かに反戦。
面白かった。ありがとう
国を守るために最後まで戦ってくださり、ありがとうございました。これしか言葉が出ない。
戦死者のご冥福をお祈りいたします。
もし、充分な補給、援護が得られていたら栗林中将は米軍を撃退できたのかもしれないなと思うときがある。
自分たちが一日敵を食い止めれば、本土に残してきた家族は一日生きる事ができる。
そんな悲壮な覚悟で戦った。
27:15 恩師のたばこは、恩賜のたばこの単純な誤植ですよね
海軍が陸軍の足を引っ張って折角の陣地構築完成を挫折させる原因となった。あれが一番惜しかった。完成していれば更に長く交戦していたろう。
サイパン、硫黄島の戦いの教訓から、日本軍の防御陣地が強固になり、その集大成が沖縄戦で発揮されているんだよなぁ。(縦深陣地、地下壕、ゲリラ戦など)
栗林中将のお孫さんの新藤議員も国政で頑張っておられますね。
ここまで粘り強く戦えるのが素直に凄いなと思いますね。今の自分なら絶対出来ない事だろうなぁ…
アメリカの強襲揚陸艦のネームシップにもなってますね
調べたらタラワ、ペリリュー、オキナワなど激戦も艦名になってました
ああ屈辱だ
@@jd8987 完膚なきまで敗けて、それでも激戦まで持ち込んだからこその名残であるのに「屈辱」としかとらえられぬこの浅はかさよ
沖縄戦もサイパン島での戦いの結果を踏まえて最初は全員が硫黄島と同じ作戦で行く予定でしたが
沖縄県営鉄道爆発事故で弾薬食糧燃料の半分を失った事で長勇参謀長は
八原の言う持久戦を行うには弾薬食糧燃料が全く足りない。だから短期決戦だ
と言う考えに転換してます。
硫黄島での戦いが過酷なものになった要因はアメリカ側の事前の戦力見積もりが甘かった事もその要因の一つと聞いたことがあります。
事前偵察で動画でも触れられていた貯水槽の規模と数と栗林中将が着任する以前の最高指揮官の階級が少将だったことから日本軍の戦力を数千から1万程度と判断したそうです。
それに日本側の指揮官の一人としては千田貞季少将の力も大きかったと思います。彼は実は栗林中将と士官学校の同期であり無天組にもかかわらす実力で少将に任官している程の実力者だったそうです。栗林中将の人事上の要請で教えかつ戦える人材を派遣してほしいということで実現したのは大きかったと思います。
それとほぼ同時期にアメリカ軍は沖縄作戦を発動しつつあったので大本営はそちらへの介入に忙しく(沖縄駐留の第9師団が台湾へ抽出された挙げ句に追加の部隊は無しとか)硫黄島はあるいみ良きに計らえ的な扱いがあった事も良かったと思います。
堀栄三の対米戦闘の指導要領が出てから、戦闘方法が変わったらしいですね。要所要所に俊才がいた事が救いですが、一般の軍人兵隊はすり潰されるばかりで、本当にご苦労様でしたと思います。ありがとうございました・・・
いずれにせよ硫黄島の戦いはアメリカ軍にトラウマを植え付けたのは言うまでもないよな
太平洋戦争での最大の米軍の損傷率。
後の南大東島、沖縄戦などの徹底した準備爆撃につながるんだろうな…
バロン西。オリンピック、メインスタジアムの日の丸。
ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト、思い出した。
日露戦役で攻城戦を肉弾を以て経験しているから要塞化して戦うのは理に適った作戦だと思う。日本軍は資材不足で白兵主義になりがちなイメージだが事実は合理的な戦術をちゃんと実施していた。
ほぼ負けると分かって、やった闘い。栗林中将を誇りに思う。
損害率100%って牟田口より酷いけどね…w
インパールでも損害率50%だから
@@kaminumadaisuke6292 おじさんが、インパールで餓死してます。
@@kaminumadaisuke6292 インパール作戦とは比較できないでしょう。
インパール作戦は、戦略目標をほぼ達成出来なかったけど、硫黄島防衛戦はアメリカ軍に多くの損害を与え、時間を浪費させている。そこで作った時間は子供らの疎開など、貴重な時間を稼いだことになる。
栗林中将やバロン西、摺鉢山の星条旗など「硫黄島」の物語は数知れずですが、その結末を知ったうえで後世を生きる我々は改めて襟を正しつつ、戦死者のご冥福をお祈りするばかりです……!
沖縄ばかり言われるけど硫黄島は東京都よね。
恐ろしいよな。弾薬や食料の補給がない状態で戦うなんて、、、
こんな陸海軍の対立とかプライドだけが凝り固まったのって戦後70年以上経っても日本の至るところで見られるのが面白い
みずほ銀行の合併時の3行の醜い争いが今なお尾を引いていたりとか…
嘘か真かは解らんのだけどベトナム戦争でベトナムに残留した旧日本兵が硫黄島要塞を参考にジャングルの地下トンネルを掘り米軍へのゲリラ戦術を指南したとかしないとか…硫黄島に眠る栗林閣下以下小笠原兵団将兵に哀悼の意を表します
ホントセッない話ですね。
北ベトナム軍が、硫黄島やペリリュー島の坑道持久戦を採用して、物量の米軍に勝利した。
日本人の先人達の知恵と勇気に感謝して然るべきです。
ベトナムはT.E.ロレンスも参考にしたし、、また、日本と異なりソ連中共からの支援があったからね
ベトナムはT.E.ロレンスも参考にしたし、、また、日本と異なりソ連中共からの支援があったからね
足の短い護衛戦闘機部隊の拠点+b29のダイバート地点の確保も主目的
ぶっちゃけそれしか目的ないでしょ。
まあ原爆投下では硫黄島ではなく沖縄県がタイバート地点にされましたけどね。
彼方此方のスレでカキコしてますが。母方の祖父は工兵で、硫黄島の工事にも参加しましたが、早々に大人喘息+中耳炎に罹患し横須賀海軍病院に入院した。左耳の聴力を失ったが生き延び、私まで命が繋がっている。しかし戦後生き延びた事に苛まれ続けた様です。
コンニチハ。いつもゆっくりしています。私は昭和60年某月から翌61年某月まで1年間島で生活していました。当時壕によっては入ると酸欠になる場所もありましたが戦時はどーだったのでしょうかね。野生化したオレンジは酸っぱすぎて食べれませんでしたがパインは熟れるととても甘くウマかったです。
こんな話をすると“すぐに降伏しておけば”とわかったような事を言う人達が出てくるけど…
こういった戦いがなければ今の日本の世界的地位は今現在の水準ではなく、ひょっとしたらチベットやウイグルやウクライナや台湾等と同じ扱いになってたかもしれんのよな…世界情勢が不安定な時期に降伏するってのは“何されてもおかしくないし、仕方ない“って事と同義だからな…
まさに仰る通りです
「英霊のおかげで」とはよく言いますが
このコメントこそが本当に「英霊のおかげ」を意味していると思います
ありがとうございました!!
無条件降伏してる時点で”何されてもおかしくないし、仕方ない”のでは?
日本のプレゼンスと硫黄島の戦いは何の関係もないでしょ、ただ単に反共の防波堤として都合の良い存在だっただけよ。
無条件降伏の時点で硫黄島とか関係なくね?
もういろいろと深い戦線です、栗林中将(そもそも人が足りてれば将官が来るほどの戦線では無いはず)発案元祖ゲリラ戦法は目からウロコです
港区に匹敵する面積の現場をいちいち口出ししに行く・・・多分ですが計算合わない現場の堕落を感じ取っていた気がします
亡き父はWW2で中国→パプアニューギニア(負傷兵)で終戦をムカエ、負傷兵達は船に乗せられず。見捨てられた…と。後で来た船に乗せられ真っ直ぐ日本に戻ったと。万里の長城と極楽鳥、極楽鳥は美しくもう一度見たいと、亡き母が言っていた。何処まで本当か…戦場に行った事もない私はフキンシンな事言ってるな……😱
こんな時間に珍しい
今でも硫黄島に行ったら地下壕は見れるのかな
地盤も良くないしガスもたまってるしで普通に危ないか…
確か塹壕内部は崩落の危険があるのと中の気温が地熱等でヤバイことになってるから見学不可だった気がします。慰霊の際も政府の特別許可が必要だった気がします。
硫黄島は一般人は上陸できません!
太平洋の波の上
帝都の南千余キロ
浮かぶ眇たる一孤島
今皇国の興廃を
決する要衝硫黄島
「戦前 コカの栽培」とありますが、コケインの原料のコカの木ですか?
ベトナム戦争でもそうだけどアメリカてゲリラ戦に弱いよな
軍人として、国家、国民のためにこの硫黄島においてアメリカ軍と壮絶な死闘をし敢闘戦死された御霊に感謝と敬礼を持って一礼します。
また、この島に於いて我が陸海軍と激闘戦死されたアメリカ軍人の御霊にも同様に敬礼を持って一礼します。
万歳突撃より徹底的に守勢にまわって最後まで戦う方がやっかいだってのはSLGとかでクリア直前の勝ち確定戦争を体験した人なら理解できますよね(^_^;)
坑道を張り巡らせたことで上陸前の艦砲射撃による損耗を防いでいる。
硫黄島の戦いは日本視点・アメリカ視点の二作品で
映画化されていました。
クリント・イーストウッド監督作品。
日本側視点の「硫黄島からの手紙」
米国側視点の「父親たちの星条旗」
クリント・イーストウッド監督作品。
日本側視点の「硫黄島からの手紙」
米国側視点の「父親たちの星条旗」
大事な事なので2回…
陸軍の伝統では戦地では古兵は新兵に優しかったと聞く。後ろから撃たれたくないからね。恐らく海軍が新兵を虐めたんじゃないの?w
的外れかもしれないけどプレデター2に硫黄島にも来ていたって話が出てハンターからすれば入食いの狩場なんだろうなって妙に納得できた
"「主 イエス を 信じなさい。 そうすれば, あなたもあなたの 家族も 救われます。 」聖書,使徒の働き16章31節"
鬼滅の刃の名言に生殺与奪の権を他人に握らせるな!
弱気人を助けることは、強く生まれた者の責務である、
硫黄島で戦った防人ご先祖様は、父母妹弟・妻の後世の産まれてくる子孫の為に
命を捧げてくれ私達に祖国を託して貰いました。
近年の戦闘で一般人の被害が一切無く、
小さな諸島で数多くの兵士だけの激戦。
うおおお待ってました!
大東亜戦争で散華されたすべての将兵に感謝を🥲
戦艦多摩㊂🍯能⚡︎民皆保険♪制℉
司令官の優劣でここまで敢闘できるのか
とセツに感じます。
栗林中将と大田中将の爪の垢を煎じて
牟田口に飲ませたい…
○○隊施設にはバケツに水を入れて置いてるそうですね
近年「敵基地攻撃」をすることが日本にとって重要な防衛方法だと思ってる人が多いですが ペリリューや硫黄島の戦いは防御を固めるのも立派な防衛方法のひとつと示したと思います
あとこれに十分な水や食料、医薬品があれば兵士の士気や命をつないだだろうに…
(*´㎜`*) 戦争はよくない
山下奉文
動画ありがとうございます。
局地戦などで効果があるとともするとそれが針小棒大に語られがちですが、全体としては物量の圧倒的な不足、軍備、兵器の遅れ(既にこれについてはノモンハンで指摘されている)、英米と異なり近代戦の準備ができていない(ex.補給部隊、兵力部隊の区別ができていない、もしくは曖昧)、精神主義による強引な戦術(大和魂で勝つなど)などから判断すれば、日本がどういう道をたどるかは時間の問題だったと言えるでしょう。
俺が硫黄島の司令官だったら、大きな白旗を作って米軍攻撃前に降伏するわ…
正直、フィリピンでの決戦に敗北した時点で、陸の決戦も決着がついており、その後は消化試合だった。もう少し早く小さな島での敵との戦いを軍として検討しておけば、組織的に米軍にもっと損害を与えることもできたと思うと、無念な話。
飛行場に海軍機はいたでしょう?坂井三郎や武藤金義が泥酔した司令に特攻を命じられて出撃したものの死なずに戻ってきてしまったという文章を読んだ記憶がある。
坂井三郎が硫黄島で空戦していたのは19年6月ですね。(栗林着任も同月)その翌月にサイパン玉砕。
そしてご存知の通りその後戦雲はフィリピンへと移り捷号作戦のため日本はなけなしの航空機をそちらに指向し持久戦地区の硫黄島から航空戦力はいなくなりました。
航空決戦など絵空事になった訳ですが翌年2月の米軍上陸まで栗林着任から8ヶ月間、
フィリピンで特攻隊が編成されてから4ヶ月間なおも海軍は現実を直視せず飛行場やら水際陣地やらに資材と労力を濫費し続けました。
後の沖縄もですが米軍のためにわざわざ飛行場を整備してやっていたようなもんです。
もっと早い時点で降伏してれば死傷者減らせたのにね 一か月、本土空襲が遅れたからどうだっていうの と現代の目から見たら考えてしまう。
欧州戦線でのドイツ軍と連合軍の派手な戦闘と比べるとなんとも情けない戦法ですなぁ。
それにしては米軍も英軍も戦闘艦の損害が無いね。沖縄では米艦艇314隻が損傷、米軍航空機714機喪失、英正規空母4隻全て損傷撤退したが、ノルマンディで米英軍の艦艇の損害は限りなく0。
海上、島と島の間の戦いだから
16万のところを若者16万に変えて欲しい!現地には若者ばかり派兵されているのだから‼️
玉砕してくださってなんだけど、結果論、数か月本土空襲を遅らせた程度の功績なんだよなあ…。素直に島を爆破して2万を沖縄の防衛とかで使った方が1%勝率が上がったかもしれない。
解説動画作っといて自分は素人です、うんぬんってのは先に予防線で言い訳してる感じで個人的に印象悪いです。
素人なら作るなよって思うし、作るならちゃんとすべきかとまぁちゃんと作ってありますけどね。
歴史解説における素人って学者じゃないって意味だからね。東進の映像講師も本質的には日本史素人だし
ここまで粘り強く戦えるのが素直に凄いなと思いますね。今の自分なら絶対出来ない事だろうなぁ…